調査隊は、魔物の活動が特に活発になっている森林地帯へと入っていた。
モンドの街を離れてしばらく。
街道から外れるにつれて、人の姿は少なくなっていく。
代わりに増えていくのは、自然の気配だった。
木々の間を風が抜ける。
草が揺れ、枝が擦れる。
鳥の鳴き声が遠くから聞こえる。
穏やかな森に見える。
だが、少し歩けば、その印象は変わった。
「……かなり荒れてるな」
たかふみが足元を見る。
草が広い範囲で踏み荒らされていた。
近くには折れた木の枝も落ちている。
さらに地面には、いくつもの足跡が残っていた。
「魔物が集まっているのかもしれないね」
蛍がしゃがみ込み、足跡を確認する。
「大きさからすると、ヒルチャールかな」
「この辺り、前よりも騒がしくなってるぞ」
パイモンも森の奥を見る。
「騎士団の人たちが言ってた通りだな」
たかふみは周囲を見回した。
街道を歩いていたときから感じていたが、森に入るとその違いがはっきりする。
魔物が残した痕跡が多い。
しかも、一つではない。
複数の方向から足跡が集まっている。
「もっと奥にもいるかもしれない」
蛍が立ち上がる。
「行ってみよう」
「ああ」
おじさんが答えた。
一行はさらに森の奥へ進んでいく。
しばらくすると、木々の間に開けた場所が見えてきた。
そこには、簡単な野営地の跡が残っていた。
木の板。
石。
簡単に組まれた道具。
そして、地面には食べ物を置いたような跡まである。
「……ヒルチャールのキャンプか」
たかふみが言った。
「みたいだな」
おじさんが周囲を確認する。
「まだ使われている可能性がある」
「じゃあ、近くにいる?」
パイモンが小声になる。
「その可能性は高い」
おじさんは短く答えた。
たかふみも周囲を見る。
ここまで来ると、さすがに警戒する。
ゲームなら、敵がいる場所には何となく分かりやすい目印があった。
だが、今は違う。
敵の位置が表示されるわけではない。
どこにいるのか。
何体いるのか。
こちらへ近づいているのか。
自分たちで判断する必要がある。
たかふみは森の奥へ目を向けた。
木々が密集していて、その先が見えない。
(この先……たぶん何かいる)
ゲームで見覚えのある地形。
木々の配置も、道の形も、遠くに見える岩場も似ている。
けれど――。
実際の森は、ゲームで見ていたものよりずっと広く感じた。
足元の草を踏む感触。
風の音。
木の匂い。
遠くで鳴く鳥。
画面の中では意識していなかったものが、ここでは全部現実だった。
「……」
たかふみは歩く速度を少し落とした。
「たかふみ?」
蛍が振り返る。
「ん?」
「どうしたの?」
「ああ……いや」
たかふみは森を見ながら答えた。
「ゲームで見た場所と、似てるなって思って」
「そう?」
「うん。でも、実際に歩くと全然違う」
蛍は少しだけ周囲を見る。
「確かに」
「ゲームなら、この辺で敵が出てくるって分かるんだけどな」
「今は分からない?」
「分かる部分もある。でも、全部じゃない」
たかふみは苦笑した。
「実際に来てみると、ゲームで知ってることだけじゃ足りないな」
「そうだね」
蛍はそれだけ答えた。
それ以上は聞かなかった。
たかふみも、それ以上話さなかった。
自分がこの世界について知っていること。
それを、どこまで頼りにしていいのか。
まだ答えは出ていない。
そのときだった。
前を歩いていたおじさんが、突然足を止めた。
「少し待て」
「どうした?」
たかふみが尋ねる。
おじさんは答えず、森の奥を見ている。
それから静かに目を閉じた。
「……」
風が吹く。
木々の葉が揺れる。
おじさんは精霊へ意識を向けた。
「周囲を探ってくれ」
声は小さい。
それでも、何かに呼びかけていることは分かった。
たかふみは黙って待つ。
蛍とパイモンも、おじさんの様子を見ていた。
やがて、おじさんが目を開いた。
「前方にいる」
「何が?」
たかふみが聞く。
「ヒルチャールだ」
おじさんは森の奥を見る。
「数は多い」
「やっぱりか」
たかふみは身構えた。
「何体くらい?」
「正確には分からないが、十体以上いる」
「十体以上!?」
パイモンが驚く。
「そんなにいるのか!」
「近づいてきてる?」
蛍が剣に手を添える。
「ああ」
おじさんが答えた。
「こちらへ向かっている」
「じゃあ、戦うしかないか」
たかふみが後ろを見る。
逃げ道はある。
しかし、ここは調査中だ。
このまま放置すれば、街道へ出る可能性もある。
「蛍」
「うん」
蛍が剣を抜く。
その直後だった。
木々の向こうから、低い声が響いた。
「グルァ!」
枝の隙間から、一体のヒルチャールが姿を現す。
続いて二体。
さらに、その後ろから次々と姿を現していく。
棍棒を持った個体。
弓を構えた個体。
盾を持った個体。
数は明らかに多い。
「来るぞ!」
たかふみが叫んだ。
ヒルチャールたちが一斉に走り出す。
「蛍!」
「分かってる!」
蛍が前へ出た。
最初に迫ってきたヒルチャールの攻撃を剣で受け止める。
金属音が森に響いた。
蛍はそのまま相手の武器を弾き、横へ移動する。
別のヒルチャールが棍棒を振り下ろしてきた。
蛍は身を低くしてかわした。
その頭上を棍棒が通り過ぎる。
「そこ!」
蛍が剣を振り抜く。
一体が倒れた。
だが、敵はまだいる。
その横で、おじさんが手を前へ出した。
光が集まる。
淡い輝きが徐々に形を変えていく。
柄が生まれ、刃が伸びる。
「キライド ルギド リオルラン――光剣顕現」
光が一本の剣となった。
おじさんはそれを握る。
迫ってくるヒルチャールの数を確認する。
真正面から相手をすれば囲まれる。
ならば、まず敵の動きを崩す。
おじさんは精霊へ意識を向けた。
「レグスウルド スタッガ――縛動 拘鎖」
地面から光の鎖が伸びた。
突然の拘束に、前方のヒルチャールが足を取られる。
「グァッ!?」
一体が倒れる。
さらに、その後ろにいた別の個体も動きを止めた。
敵陣にわずかな乱れが生まれる。
「今!」
蛍が踏み込んだ。
一気に距離を詰める。
拘束されたヒルチャールへ攻撃を叩き込み、そのまま横へ移動する。
しかし、右側から別の敵が迫っていた。
「右!」
たかふみが叫ぶ。
「蛍、右に三体!」
蛍が即座に振り返る。
三体のヒルチャールが、ほぼ同時に襲いかかってくる。
「――!」
蛍が一体目の攻撃を受け流す。
だが、その直後。
横から別の攻撃が迫った。
ガンッ!
光の剣がそれを受け止める。
「今だ」
おじさんが敵を押し返した。
蛍がその隙に踏み込む。
一体を倒す。
続けて二体目の攻撃をかわし、剣を振り抜いた。
「助かった」
「まだ来るぞ」
おじさんが周囲を見る。
その直後。
「後ろからも来てる!」
たかふみが叫んだ。
「四体!」
「分かった!」
蛍が向きを変える。
おじさんも同時に動いた。
敵が四人を囲もうとしている。
たかふみは後方へ下がりながら周囲を確認した。
前。
右。
左。
後ろ。
敵の動きを追う。
「左から一体!」
おじさんが振り向く。
迫ってきたヒルチャールの攻撃を光の剣で受け流した。
そのまま身体を回転させ、反撃する。
敵がよろめいた。
「蛍!」
「うん!」
蛍が駆け込む。
剣が閃く。
ヒルチャールが倒れた。
「次、右!」
たかふみが叫ぶ。
蛍が右へ移動する。
おじさんは逆方向から回り込んだ。
二人の動きが自然に噛み合っていく。
蛍が敵を引きつける。
おじさんが横から攻撃を受け止める。
敵の動きが止まった瞬間、蛍が斬り込む。
別の敵が蛍へ向かえば、おじさんがそちらへ回る。
おじさんが敵の動きを崩せば、蛍が攻撃する。
たかふみはその様子を見ながら、次の敵を探す。
「前!」
ヒルチャールが一体、蛍へ向かって走ってくる。
「二体!」
蛍が迎え撃つ。
その後ろから、盾を持ったヒルチャールが近づいていた。
「盾持ちが後ろ!」
蛍が振り返る。
盾が迫る。
蛍は一歩下がった。
その瞬間、おじさんが盾持ちの横へ回り込む。
光の剣が盾を叩く。
盾が大きく揺れた。
敵が体勢を崩す。
「今だ」
「分かった!」
蛍が攻撃する。
盾を持ったヒルチャールが倒れた。
「あと三体!」
たかふみが叫ぶ。
「前に二体、右に一体!」
「分かった!」
蛍が前の二体を引き受ける。
おじさんは右へ回り込んだ。
右側のヒルチャールが棍棒を振り上げる。
おじさんは一歩横へ移動した。
棍棒が目の前を通り過ぎる。
そのまま距離を詰める。
光の剣を振り抜く。
敵が倒れた。
残った二体が蛍へ向かう。
一体の攻撃を受け流す。
もう一体の攻撃をかわす。
蛍は二体の間を抜け、距離を取った。
ヒルチャールが追いかける。
その進路へ、おじさんが入った。
「そこだ」
光の剣が一体の攻撃を弾く。
蛍が横から攻撃する。
残った一体が振り返る。
だが、その隙を逃さない。
蛍の剣が敵を捉えた。
最後のヒルチャールが倒れる。
「……終わった」
たかふみが息を吐いた。
森に静けさが戻る。
さっきまで響いていた足音も、叫び声も聞こえない。
残っているのは、木々の葉が揺れる音だけだった。
蛍は剣を下ろす。
おじさんも光の剣を消した。
光が霧のように散っていく。
「ふう……」
パイモンが木の陰から出てきた。
「みんな大丈夫か?」
「大丈夫」
蛍が答える。
「怪我もない」
「おじさんも?」
「問題ない」
おじさんは答えながら、周囲を確認する。
「近くに他の敵はいない」
「よかった」
パイモンが安心したように胸を撫で下ろす。
たかふみは、二人の戦いを思い返していた。
戦闘中、蛍とおじさんはほとんど言葉を交わしていない。
それでも、互いの動きを理解していた。
蛍が前へ出れば、おじさんが援護する。
おじさんが敵の動きを止めれば、蛍が攻撃する。
そして、自分が敵の位置を伝える。
「……二人とも、結構息合ってきたな」
たかふみが言った。
「そう?」
蛍が首を傾げる。
「ああ。最初の頃よりずっと自然だった」
おじさんは倒れたヒルチャールを確認しながら答えた。
「戦いながら相手の動きを見ていれば、合わせられる」
「それに、たかふみが敵の位置を教えてくれた」
「俺も役に立ってる?」
「ああ」
「そっか」
たかふみは少しだけ笑った。
自分は剣を使えるわけじゃない。
元素を使えるわけでもない。
それでも、戦場を見ることならできる。
敵がどこにいるのか。
何体いるのか。
誰を狙っているのか。
それを伝えるだけでも、戦い方は変わる。
「じゃあ、俺は後ろから見る役でいいか」
「それが一番安全かもな」
おじさんが言う。
「……それ、褒めてる?」
「事実だ」
「まあ、そうだけど」
パイモンが笑う。
「たかふみは戦うより、敵を見て教えるほうが向いてるんじゃないか?」
「自分でもそう思ってる」
蛍も頷いた。
「さっき助かった」
「ならよかった」
たかふみは少しだけ肩の力を抜いた。
そして、改めて二人を見る。
自分がゲームで知っていた旅人。
そして、本来ならこの世界に存在するはずのなかったおじさん。
二人が今、同じ場所で戦っている。
しかも、それがもう不自然には感じられなくなっていた。
(……もう、ゲームとは違う道を進み始めてるんだな)
たかふみは森の奥を見る。
知っている場所。
知っている世界。
それでも、ここで起きる出来事は、自分の知っているものとは少しずつ違っている。
風魔龍の事件が終わった。
その後の魔物の動きも違う。
そして、自分たちもこの世界で行動している。
これから何が起きるのか。
ゲームの知識だけでは、もう判断できないかもしれない。
「たかふみ?」
蛍が声をかける。
「ん?」
「行こう」
「ああ」
おじさんが歩き出す。
「調査を続けるぞ」
「了解」
「分かった」
「オイラも行くぞ!」
四人は再び森の奥へ進んでいった。
足元には、先ほどの戦闘で荒れた草が残っている。
木々の間には、ヒルチャールが残した痕跡もある。
だが、まだ調査は終わっていない。
今回確認したのは、この森に存在する一つの集団だけだ。
周辺には、まだ別の集団がいる可能性がある。
風魔龍の襲撃以降、何が変わったのか。
なぜ魔物の活動が活発になっているのか。
それを確かめる必要がある。
たかふみは歩きながら、もう一度森を見回した。
静かな森。
しかし、その奥にはまだ何かが潜んでいる。
異変の全貌は、まだ分からない。
だが――。
モンドで何かが変わり始めていることだけは、確かだった。