奔狼領の調査は、まだ終わっていなかった。
ヒルチャールの集団を倒した一行は、レザーの案内で森の奥へ進んでいる。
先頭を歩いているのはレザー。
その少し後ろに蛍とパイモン。
そして最後尾には、たかふみとおじさんが続いていた。
森の中は静かだった。
さっきまで戦闘があったとは思えないほど、木々の間には穏やかな風が流れている。
葉が揺れる。
枝が擦れる。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。
それだけだった。
「……本当に静かだな」
たかふみが呟く。
「うん」
蛍も周囲を見ながら歩いている。
だが、レザーだけは周囲の状況をよく把握しているようだった。
迷う様子がない。
木の間を抜ける。
少し開けた場所を通る。
また森の中へ入る。
まるで、この森そのものが自分の庭であるかのようだった。
「レザーって、ずっとここにいるのか?」
たかふみが尋ねた。
「うん」
レザーは振り返る。
「ここ、俺の場所」
「なるほどな」
たかふみは頷いた。
ゲームで知っている情報と一致する。
奔狼領。
狼たちと暮らす少年。
それがレザーだ。
ただ、今のたかふみにとっては、それだけではない。
目の前を歩いているのは、ゲームのキャラクターではなく、この世界で実際に生きている少年だ。
そんなことを考えながら歩いていると。
レザーが、また後ろを振り返った。
視線の先にいるのは、おじさんだった。
さっきから何度も見ている。
正確には、おじさんそのものというより。
おじさんの手にあるもの。
光の剣だった。
戦闘が終わってからも、おじさんは必要に応じて光剣を維持していた。
淡い光を放つ剣身が、木々の隙間から差し込む日差しを反射している。
レザーは、それをじっと見ていた。
「……」
おじさんも視線に気付いていた。
だが、特に何も言わない。
そのまま歩いている。
レザーも、しばらく何も言わなかった。
やがて。
「おじさん」
「なんだ?」
レザーが足を止めた。
後ろを歩いていた一行も立ち止まる。
「その剣……」
レザーの視線が、おじさんの手元へ向く。
「どうして光る?」
おじさんは自分の手にある光の剣を見下ろした。
少しだけ考える。
そして。
「使えるから使っている」
「…………」
レザーが黙った。
たかふみも黙った。
蛍も黙った。
パイモンだけが首を傾げる。
「……それ、答えになってるか?」
パイモンが言った。
「なっている」
「なってないぞ!」
たかふみが即座に口を挟んだ。
「いやいやいや! そこはもうちょっと説明しようよ!」
「何を?」
「何をって……」
たかふみは呆れた顔をする。
「なんで剣が光るのかとか、どうやって出してるのかとか!」
「精霊に頼んで出してもらっている」
「だから説明が雑なんだよ!」
「分かりやすいだろ」
「全然分かりやすくない!」
おじさんは真顔だった。
たかふみは頭を抱える。
「レザーも聞いてるんだから、もう少し詳しく説明してやれよ」
「必要か?」
「必要だろ」
「使える」
「そういうことじゃない!」
パイモンが笑いながら二人を見る。
「たかふみ、おじさんに詳しい説明を期待するだけ無駄だぞ」
「それは分かってるけどさ」
蛍も光剣を見る。
「私も気になる」
「蛍まで?」
「どうやって作っているのかは、私も知らない」
「そうだよな」
たかふみは少し安心した。
自分だけが説明不足だと思っているわけではないらしい。
レザーは、そんな三人の会話を聞きながら、再び光剣を見る。
「精霊……」
「ああ」
「精霊と、話す?」
「話すこともある」
「友達?」
レザーの問いに、おじさんは少し考えた。
「契約している」
「契約……」
レザーがその言葉を繰り返す。
おじさんは光剣を見た。
「精霊の力を借りる」
「力、借りる?」
「ああ」
「元素じゃない?」
「違う」
「でも、風に似てる」
「似ているだけだ」
おじさんの説明は短い。
しかし、レザーはそれでも何となく理解しているようだった。
たかふみは二人の会話を聞きながら、少し感心する。
レザーは質問が少ない。
だけど、聞いたことをそのまま受け入れているわけでもない。
自分なりに考えている。
「精霊って、どんなやつなんだ?」
たかふみが聞いた。
「いろいろいる」
「いろいろ?」
「風、水、火、雷……そういうものだけじゃない」
「へえ」
たかふみは少し興味を持つ。
ゲームで知っている元素とは違う。
精霊魔法。
それは、この世界では未知の力だ。
元素とは違う。
けれど、結果だけを見れば似ているものもある。
だからこそ、テイワットの人間からすれば余計に分かりづらい。
「じゃあ、さっきの光の剣も精霊が作ってるのか?」
「そうだ」
「じゃあ、おじさん自身が光を出してるわけじゃない?」
「俺だけではない」
「なるほど……」
たかふみが頷く。
「つまり、おじさんが精霊に頼んで、その力を借りて剣を作ってるってことか」
「ああ」
「最初からそう言えばいいだろ」
「今言った」
「最初に言えよ!」
パイモンが笑う。
「やっぱりたかふみとおじさんの会話って面白いな!」
「面白くするつもりはないんだけどな……」
蛍も小さく笑った。
レザーはまだ光剣を見ている。
「精霊……」
レザーの視線が森の奥へ向く。
そこには、木々の間から見える広い空があった。
風が吹く。
葉が揺れる。
「俺、狼といる」
「うん」
蛍が答える。
「狼、仲間」
レザーは少し考えた。
「精霊も、仲間?」
おじさんはすぐには答えなかった。
少し考えてから。
「仲間というより、契約相手だ」
「契約相手……」
レザーは再び考える。
自分と狼。
おじさんと精霊。
似ているようで、違う。
でも。
力を一方的に使う関係ではない。
そこだけは、何となく理解できる。
「おじさん」
「なんだ?」
「狼と、仲間になれる?」
「狼?」
「うん」
おじさんは少し考えた。
奔狼領。
狼の縄張り。
ここで狼と仲良くなれるか。
そう聞かれれば。
「……普通に襲われると思うぞ」
「……そうか」
レザーが少しだけ笑った。
「いや、そこで真面目に答えるのかよ」
たかふみも思わず笑う。
「まあ、おじさんなら狼に襲われても普通に倒しそうだけどな」
「必要ならな」
「そこは否定しないんだ……」
「襲ってくるなら対応する」
「対応の仕方が物騒なんだよ」
パイモンが両手を広げる。
「でも、おじさんなら狼とも仲良くなれるかもしれないぞ!」
「無理だと思う」
蛍が即答した。
「蛍まで……」
たかふみが苦笑する。
「なんでだ?」
「おじさんが狼と一緒にいるところ、想像できない」
「確かに」
「おい」
おじさんが初めて少しだけ不満そうな声を出した。
たかふみは笑った。
「いや、だっておじさんって動物と仲良くするタイプじゃないだろ」
「別に嫌いではない」
「じゃあ好きなの?」
「普通」
「ほらな」
「どういう意味だ」
パイモンが笑う。
レザーは、そんな四人のやり取りを静かに見ていた。
森の中にいる自分とは、少し違う。
けれど。
嫌な感じはしない。
むしろ、妙に自然だった。
騒がしいパイモン。
冷静な蛍。
よく喋るたかふみ。
そして。
変な力を使う、おじさん。
四人とも、自分とは違う。
でも。
少しだけ、気になる。
「おじさん」
「なんだ?」
「もっと、見たい」
レザーは光の剣を見る。
「その力」
「そうか」
「もう一回、使う?」
「戦いになればな」
「戦い」
レザーの目が少し変わった。
「強い敵?」
「そうかもしれない」
「なら、見たい」
「レザー、戦い好きなのか?」
たかふみが聞く。
「強い相手、知りたい」
「なるほど」
たかふみは納得した。
レザーらしい。
ただし、今の言葉を聞いていると少し不安になる。
「でも、無理に戦おうとするなよ」
「分かってる」
レザーは答えた。
その時。
森の奥から、風が吹いてきた。
木々が一斉に揺れる。
レザーが立ち止まった。
「……」
おじさんも足を止める。
「どうした?」
たかふみが尋ねる。
「何かいる?」
蛍も周囲を見る。
レザーは耳を澄ましていた。
「狼」
「狼?」
パイモンが辺りを見る。
「近い」
レザーが言う。
少しすると。
木々の向こうから、遠吠えが聞こえた。
「……!」
たかふみが息を呑む。
ゲームで聞いたことのある声。
けれど。
今はスピーカーから流れてくる音ではない。
森の中から、本当に聞こえている。
「狼だ」
レザーが言った。
その表情が少し柔らかくなる。
レザーは森の奥へ向かって歩き出した。
「待ってくれよ!」
パイモンが追いかける。
蛍も続く。
たかふみもその後を歩く。
おじさんは最後に続いた。
「おじさん」
「なんだ?」
「狼、見てみたいんだろ?」
「別に」
「いや、今ちょっと嬉しそうだったぞ」
「そうか?」
「そうだよ」
「気のせいだ」
「……まあいいけど」
たかふみは苦笑する。
少し先で、レザーが立ち止まっていた。
木々の間。
一頭の狼がこちらを見ている。
灰色の毛。
鋭い目。
警戒している。
パイモンが小声になる。
「おお……」
蛍も足を止める。
たかふみも黙った。
レザーだけがゆっくりと狼へ近づく。
狼は逃げない。
レザーも手を伸ばさない。
ただ、そこにいる。
しばらくすると、狼がレザーの周囲を回った。
「仲間?」
蛍が尋ねる。
「うん」
レザーが答える。
「友達」
おじさんは、その様子を見ていた。
精霊との契約。
狼との関係。
どちらも、人間だけでは成立しない。
相手の意思がある。
力を借りるだけではない。
だからこそ。
おじさんは少しだけレザーに興味を持った。
「お前も、相手の力を借りているんだな」
「うん」
レザーが頷く。
「狼、俺を助ける。俺も狼を助ける」
「そうか」
短い返事。
それだけだった。
だが、レザーは少し嬉しそうだった。
「おじさんも、精霊助ける?」
「ああ」
「精霊も、おじさん助ける?」
「ああ」
「同じ」
「似ているな」
レザーが頷く。
「うん」
たかふみは二人の会話を聞いていた。
おじさんがこんなに素直に他人と話しているのは珍しい。
もちろん、内容そのものは短い。
でも。
レザーとの会話は、妙に噛み合っている。
「なんか似てるな」
たかふみが呟く。
「何が?」
パイモンが聞く。
「レザーとおじさん」
「そうか?」
「必要なことしか喋らないところ」
「確かに!」
パイモンが頷く。
「おじさんもレザーも、もっと喋れそうなのに全然喋らないぞ!」
「別に必要ない」
おじさんが言う。
「ほら」
たかふみが指を差す。
「そういうところ」
蛍が小さく笑った。
レザーも少しだけ笑う。
その時だった。
遠くから、再びヒルチャールの声が聞こえた。
「ギャッ!」
レザーの表情が変わる。
狼も耳を立てた。
「ヒルチャール」
「まだいるのか」
たかふみが周囲を見る。
「いる」
レザーが頷く。
おじさんも周囲を確認する。
精霊へ意識を向ける。
森の中に散らばる気配。
数は多くない。
だが。
まだ完全には安全ではない。
「奥にいる」
「何体?」
蛍が聞く。
「五……六」
「じゃあ、行こう」
蛍が剣に手を掛ける。
レザーも大剣を構えた。
おじさんは光剣を見る。
「おじさん」
レザーが言う。
「なんだ?」
「また、見せて」
「ああ」
おじさんは光剣を握り直した。
レザーは嬉しそうに前を向く。
たかふみは二人を見ながら、小さく息を吐いた。
「……まあ、こうなるよな」
「何が?」
パイモンが聞く。
「おじさんの変な魔法に興味持つ人、また増えたなって」
「変とは失礼だぞ!」
パイモンが言う。
「いや、おじさん本人が変だから」
「それは否定できない」
蛍が淡々と言った。
「蛍まで言うのか」
おじさんが呟く。
レザーが振り返る。
「おじさん」
「なんだ?」
「行く」
「ああ」
レザーが森の奥へ走る。
蛍が続く。
おじさんもその後を追う。
たかふみとパイモンも慌てて続いた。
奔狼領の森。
そこには、まだ魔物がいる。
風魔龍の襲撃から始まった異変。
魔物の増加。
そして、今度はこの森で出会った一人の少年。
たかふみは歩きながら、レザーの背中を見る。
ゲームで知っていた少年。
けれど。
今はもう、それだけではない。
レザーには、この世界での生活がある。
狼との関係がある。
この森を守ろうとする理由がある。
そして、おじさんの精霊魔法にも興味を持った。
「……面白いな」
たかふみが呟く。
「何が?」
パイモンが振り返る。
「いや、なんでもない」
「またそれか!」
パイモンが笑う。
たかふみも笑った。
前を歩く蛍とレザー。
その後ろを、おじさん。
さらに、たかふみとパイモン。
五人の足音が、森の奥へ進んでいく。
まだ調査は終わっていない。
奔狼領の奥には、風魔龍の襲撃以降に生まれた異変が残っている。
そして。
この出会いが、後の戦いにも繋がっていくことを。
この時のたかふみたちは、まだ知らなかった。