異世界おじさん、原神の世界へ   作:ところてんの

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第2話「異世界帰りの男」

 ヒルチャールたちが去ってから、しばらくの間。

 

 俺たちはその場から動かず、周囲の様子を確認していた。

 

 さっきまで戦闘が行われていたとは思えないほど、辺りは静かだった。

 

 風が吹いている。

 

 草が揺れている。

 

 遠くでは鳥の鳴き声が聞こえる。

 

 空は青い。

 

 日本にいた頃と同じような青空なのに、俺にはまったく別のものに見えた。

 

「……」

 

 俺はもう一度、周囲を見渡した。

 

 広い草原。

 

 遠くに見える山々。

 

 そして、少し離れたところに立っている巨大な神像。

 

 さっき戦ったヒルチャール。

 

 目の前には蛍。

 

 その隣にはパイモン。

 

 そして、俺の横には――。

 

「おじさん」

 

「なんだ」

 

「ちょっと確認したい」

 

「分かった」

 

 おじさんは相変わらず落ち着いている。

 

 さっきヒルチャールに襲われたばかりなのに、特に慌てた様子もない。

 

 むしろ、周囲の地形を観察していた。

 

「ここ、本当に原神だと思う」

 

「まだ断定するのか?」

 

「いや、だってさ」

 

 俺は指を一本ずつ折りながら説明する。

 

「まず、モンド周辺っぽい景色」

 

「うん」

 

「巨大な七天神像」

 

「うん」

 

「ヒルチャール」

 

「さっきいたな」

 

「パイモン」

 

「いるな」

 

「蛍」

 

「いる」

 

「あと、さっきの元素の力」

 

 俺は蛍を見る。

 

 蛍は特に何も言わず、こちらを見返している。

 

「これだけ揃ってて別の世界って考えるほうが難しいだろ」

 

「そうかもしれないな」

 

「でしょ?」

 

「だが、ゲームの世界と現実の世界が同じとは限らない」

 

「……」

 

 やっぱりそこか。

 

 おじさんは簡単には信じない。

 

「でも、原神っていうゲームの内容と一致してるんだぞ?」

 

「それだけなら、似た世界という可能性もある」

 

「いや……」

 

 俺は言葉を止めた。

 

 確かに、おじさんの言うことにも一理ある。

 

 俺が知っているのは、あくまでゲームとしての原神だ。

 

 ゲームに登場する場所。

 

 ゲームに登場するキャラクター。

 

 ゲームの設定。

 

 ゲームのストーリー。

 

 それを知っているだけだ。

 

 実際に、この世界を見たことがあるわけじゃない。

 

 だからこそ。

 

 目の前にある景色を「ゲームそのもの」と決めつけるのは、少し危険なのかもしれない。

 

「……でもさ」

 

「なんだ」

 

「蛍がいる」

 

「それは見れば分かる」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

 俺は蛍を見る。

 

 ゲームの主人公。

 

 旅人。

 

 兄を探して、この世界を旅している少女。

 

 俺はその設定を知っている。

 

 でも、目の前にいる蛍はゲームのキャラクターではない。

 

 俺たちを見ている。

 

 俺たちの会話を聞いている。

 

 そして、さっきはヒルチャールと戦っていた。

 

「本人がいるんだよ」

 

 俺が言うと、蛍が少し首を傾げた。

 

「本人?」

 

「いや……なんでもない」

 

「そう」

 

 蛍はそれ以上聞かなかった。

 

 このあたりもゲームの印象と少し違う。

 

 当たり前だけど。

 

 ゲームでは主人公を操作している。

 

 俺が動かしていた。

 

 でも今は違う。

 

 蛍自身が考えて、動いている。

 

 俺が知っているのは、ゲームの中で描かれていた彼女だけ。

 

 今ここにいる蛍の全部を知っているわけじゃない。

 

「……ゲームと同じじゃないのかもな」

 

 思わず口に出した。

 

「そうだ」

 

 おじさんが答える。

 

「ここは現実だ」

 

 その言葉は妙に重かった。

 

 俺は足元を見る。

 

 草がある。

 

 さっき転んだ時についた土が服についている。

 

 手で触ると、本当に土の感触がする。

 

 ゲームなら、そんなことは気にしたこともなかった。

 

 でもここでは違う。

 

 地面は地面だ。

 

 転べば痛い。

 

 敵に殴られれば怪我をする。

 

 死んだとしても、セーブデータからやり直せるわけじゃない。

 

「……リセットできないんだよな」

 

「何?」

 

 パイモンが聞いてきた。

 

「いや、こっちの話」

 

 俺は誤魔化した。

 

 ゲームなら、何か失敗してもやり直せる。

 

 ロードすればいい。

 

 でも、この世界にはそんなものはない。

 

 俺たちがさっき戦ったヒルチャールだってそうだ。

 

 攻撃を受ければ本当に痛い。

 

 矢が刺されば、本当に怪我をする。

 

 そんな当たり前のことを、俺はようやく実感し始めていた。

 

「たかふみ」

 

「ん?」

 

「さっきの敵について、何か知っているのか?」

 

 蛍が尋ねてきた。

 

「え?」

 

「ヒルチャールを見た時、名前を言っていた」

 

「ああ……」

 

 しまった。

 

 また余計なことを言った。

 

「ゲームで知ってたんだ」

 

「ゲーム?」

 

「俺の世界にあったもの」

 

「そう」

 

 蛍はそれ以上追及しなかった。

 

 パイモンは興味津々だった。

 

「お前の世界にもヒルチャールがいるのか?」

 

「いや、いない」

 

「じゃあなんで知ってるんだ?」

 

「それは……ゲームに出てくるから」

 

「ゲームって何だ?」

 

「……説明すると長くなる」

 

「なんだそれ!」

 

 パイモンが頬を膨らませる。

 

 その反応も、なんだか懐かしい。

 

 俺は本当に原神の世界に来てしまったらしい。

 

 まだ完全には信じ切れない。

 

 でも。

 

 少なくとも、ここが俺の知っている世界とかなり近いことだけは間違いない。

 

     ◆

 

「ところで」

 

 パイモンが俺たちを見回した。

 

「お前たち、どこから来たんだ?」

 

「日本」

 

「ニホン?」

 

「俺たちのいた国」

 

「聞いたことないな」

 

 当然だ。

 

 テイワットに日本があるわけじゃない。

 

 少なくとも、俺の知っている原神にはそんな国は存在しない。

 

「どこにあるんだ?」

 

「それが分からない」

 

「分からない?」

 

「気づいたらここにいたんだ」

 

 俺は説明する。

 

 家にいた。

 

 突然光に包まれた。

 

 そして、気がついたらこの草原にいた。

 

 蛍とパイモンは黙って聞いていた。

 

 おじさんは特に口を挟まない。

 

「異世界から来たってことか?」

 

 パイモンが聞く。

 

「たぶん」

 

「たぶんって……」

 

「俺たちもよく分かってないから」

 

「なるほどな」

 

 パイモンは腕を組む。

 

「それならモンドに行ったほうがいいぞ」

 

「モンド?」

 

「近くに街があるんだ」

 

 その言葉を聞いて、俺は少しだけ安心した。

 

 やっぱりモンド。

 

 ゲームの中で最初に訪れる国。

 

 俺にとっては見慣れた場所だ。

 

 ただし。

 

 実際のモンドは知らない。

 

 どんな場所なのか。

 

 人々がどう暮らしているのか。

 

 ゲームでは描かれていない細かい部分が、いくらでもあるはずだ。

 

「……モンドに行けば何とかなるか」

 

「少なくとも人はいる」

 

 蛍が言う。

 

「それに、私も用事がある」

 

「用事?」

 

「兄を探している」

 

 その言葉に、俺は反応した。

 

 兄。

 

 蛍が探している兄。

 

 空。

 

 ゲームのストーリーを思い出す。

 

 でも。

 

 ここで先の展開を全部話すわけにはいかない。

 

 俺は口を閉じた。

 

「……そうなんだ」

 

「うん」

 

 蛍はそれ以上言わなかった。

 

 俺も聞かなかった。

 

 今はまだ、それでいいと思った。

 

 ゲームの知識があるからといって、全部知っているふりをする必要はない。

 

 むしろ、やらないほうがいい。

 

 ここが本当に現実なら。

 

 俺の知識が外れた時、取り返しがつかなくなる。

 

「たかふみ」

 

「何?」

 

 おじさんが呼ぶ。

 

「俺たちもモンドへ行こう」

 

「そうだな」

 

 帰る方法を探すにしても、まずは人のいる場所へ行く必要がある。

 

 情報が必要だ。

 

 食料も必要。

 

 寝る場所も必要。

 

 そして。

 

 この世界のルールを知らなければならない。

 

 ゲームでは簡単だったことが、現実ではそうとは限らない。

 

 俺たちは歩き出した。

 

 蛍とパイモンが先を進む。

 

 俺とおじさんがその後ろを歩く。

 

 しばらく進んだところで、俺は隣のおじさんを見る。

 

「……そういえば」

 

「なんだ」

 

「おじさん」

 

「なんだ」

 

「さっきパイモンに名前聞かれた時、なんで偽名使おうとしたの?」

 

「身元を隠すためだ」

 

「いや、分かるけど」

 

 俺はため息をついた。

 

「この世界でいきなり『俺は異世界から来ました』って言うのも怪しいけどさ」

 

「だから偽名だ」

 

「俺は普通にたかふみって名乗るけど」

 

「それでいい」

 

「おじさんだけ?」

 

「そうだ」

 

「なんか変じゃない?」

 

「問題ない」

 

「問題あるだろ」

 

 おじさんは真顔だった。

 

 どうやら本気らしい。

 

「じゃあ、なんて名乗るの?」

 

「……」

 

 おじさんが少し考える。

 

 俺は嫌な予感がした。

 

「おじさん」

 

「それはお前が呼んでいるだけだ」

 

「いや、じゃあ何?」

 

「必要になったら考える」

 

「まだ決めてないのかよ!」

 

「そうだ」

 

「先に決めとけよ!」

 

 前を歩いていたパイモンが振り返る。

 

「おじさんって誰だ?」

 

「俺の叔父さん」

 

「名前は?」

 

「……」

 

 俺はおじさんを見る。

 

 おじさんは何も言わない。

 

「ほら」

 

「何がだ」

 

「もうパイモンが『おじさん』って呼び始めそうになってる」

 

「別に問題ない」

 

「あるだろ!」

 

 蛍がこちらを見る。

 

「おじさん」

 

「なんだ」

 

「呼びやすい」

 

「だろ?」

 

「いや、納得するなよ!」

 

 俺は頭を抱えた。

 

 こうして、まだ偽名すら決まっていない。

 

 なのに、なぜか周囲では「おじさん」という呼び方が定着しつつある。

 

 まあ。

 

 本人が気にしていないなら、俺もそこまで気にする必要はないのかもしれない。

 

「とにかく」

 

 俺は言った。

 

「俺はたかふみ」

 

「分かった」

 

「おじさんは……」

 

「俺は俺だ」

 

「いや、それ名前じゃないから」

 

「問題ない」

 

「問題しかないって」

 

 パイモンが笑う。

 

「面白い奴らだな、お前たち!」

 

 蛍も少しだけ笑っていた。

 

 俺はため息をつく。

 

 こんな状況なのに。

 

 妙にいつも通りだった。

 

     ◆

 

 歩きながら、俺は改めてこの世界を観察していた。

 

 草原。

 

 道。

 

 遠くの山。

 

 そして巨大な神像。

 

 ゲームではマップとして表示されるだけだった場所。

 

 でも今は違う。

 

 道には轍がある。

 

 草は風に合わせて揺れる。

 

 小さな虫が飛んでいる。

 

 遠くに動物らしき姿も見える。

 

 世界が動いている。

 

 俺はスマホを取り出した。

 

 電波はない。

 

 インターネットも使えない。

 

 でも写真は撮れる。

 

 俺は一枚、景色を撮った。

 

「何をしている?」

 

 おじさんが聞く。

 

「写真」

 

「記録か」

 

「うん」

 

 おじさんは特に興味を示さなかった。

 

 俺は画面を見る。

 

 写真の中には、テイワットの景色が映っている。

 

 現実の写真だ。

 

 そう思うと、変な感じがした。

 

 俺のスマホの中に。

 

 原神の世界の写真がある。

 

 ゲームの画面じゃない。

 

 本物の景色だ。

 

「……やっぱり変だな」

 

「何が?」

 

 パイモンが聞く。

 

「いや、何でもない」

 

 俺はスマホをしまった。

 

 その時。

 

 おじさんが足を止めた。

 

「どうした?」

 

「人がいる」

 

 前方を指差す。

 

 遠くに何人かの人影が見えた。

 

 商人らしい荷車。

 

 旅人らしき人。

 

 道を歩いている。

 

 人間だ。

 

 俺は少しだけ安心した。

 

 少なくとも、完全に無人の世界ではない。

 

「モンドは近い」

 

 蛍が言った。

 

「街に着けば、情報を集められる」

 

「そうだな」

 

 俺は頷いた。

 

 そして。

 

 ここで初めて気づいた。

 

「……お金」

 

「何?」

 

「お金持ってない」

 

 俺とおじさんは顔を見合わせる。

 

「……」

 

「……」

 

「どうする?」

 

 俺が聞く。

 

「働けばいい」

 

「そういう問題じゃなくて」

 

 この世界のお金。

 

 モラ。

 

 ゲームでは何度も使っている。

 

 でも、実際にどれくらいの価値があるのかは分からない。

 

 そもそも俺たちはモラを持っていない。

 

 日本円しかない。

 

 そして日本円は、この世界では使えない可能性が高い。

 

「まあ、街に着いてから考えよう」

 

 今はそれしかなかった。

 

 俺たちは再び歩き始める。

 

 その途中。

 

 俺は何度も後ろを振り返った。

 

 草原。

 

 山。

 

 神像。

 

 さっきまでいた場所。

 

 もう日本は見えない。

 

 当然だ。

 

 ここは日本ではない。

 

 ゲームの中かもしれない。

 

 別の世界かもしれない。

 

 でも。

 

 一つだけ確かなことがある。

 

 俺たちは今。

 

 この世界で生きている。

 

「おじさん」

 

「なんだ」

 

「ゲームの世界だとしてもさ」

 

「うん」

 

「気をつけよう」

 

「最初からそのつもりだ」

 

「……そっか」

 

 おじさんは前を見ている。

 

 その顔には、異世界を生き抜いてきた人間らしい警戒心があった。

 

 俺も前を見る。

 

 蛍とパイモンが歩いている。

 

 少し先には、モンドへ続く道がある。

 

 ゲームでは何度も通った道。

 

 でも今は。

 

 初めて歩く道だ。

 

 俺の知識がどこまで通じるのか。

 

 まだ分からない。

 

 ゲームと現実。

 

 同じところもある。

 

 違うところもある。

 

 だからこそ、俺は思った。

 

 知っているから大丈夫。

 

 ――とは、考えないほうがいい。

 

「まずはモンドだな」

 

「そうだ」

 

 おじさんが答える。

 

「情報を集める」

 

「うん」

 

「帰る方法も探す」

 

「……うん」

 

 そして。

 

 俺たちは歩き続けた。

 

 青空の下。

 

 風に揺れる草原を抜けて。

 

 モンドへ向かって。

 

 この世界が本当に『原神』のテイワットなのか。

 

 それを確かめるために。

 

 そして。

 

 日本へ帰る方法を探すために。

 

 俺たちの異世界生活は、まだ始まったばかりだった。

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