奔狼領の森を、レザーの案内で進んでいた。
風魔龍の襲撃以降、この周辺では魔物の活動が活発になっている。
ヒルチャールとの戦闘も一度や二度ではない。
森の中を進むたびに、たかふみは周囲を警戒していた。
木々の間。
岩陰。
少し開けた場所。
何かが潜んでいてもおかしくない。
レザーも同じだった。
時折立ち止まっては、周囲の音を確認している。
そんな中。
突然、おじさんが足を止めた。
「……いるな」
「何が?」
たかふみが振り返る。
おじさんは答えず、周囲を見回していた。
視線が木々の間を移動する。
しかし、何かを目で探しているというより、周囲の気配を確かめているようだった。
「おじさん?」
「精霊だ」
「……精霊?」
たかふみは周囲を見る。
何もいない。
少なくとも、たかふみの目には何も見えなかった。
蛍も森を見渡す。
「私には、分からない」
「俺にも見えないぞ」
パイモンも辺りをきょろきょろと見回した。
「どこにいるんだ?」
「見えない」
「え?」
おじさんは淡々と答えた。
「俺にも見えない」
「……」
たかふみは一瞬、言葉を失った。
「じゃあ、どうしているって分かるんだ?」
「気配だ」
おじさんは目を閉じる。
周囲の音に意識を向ける。
風。
木々。
葉が擦れる音。
遠くから聞こえる鳥の声。
その中に混じる、普通とは違う感覚。
目には見えない。
けれど、確かに何かが存在している。
おじさんは、その気配を探る。
すると。
森の中を風が通り抜けた。
木々が揺れる。
葉が舞う。
だが、それだけではない。
おじさんには、その風の流れとは別に、精霊の存在を感じ取ることができた。
姿は見えない。
形も分からない。
それでも。
そこにいることだけは分かる。
「……」
おじさんが意識を集中する。
精霊へ呼びかける。
言葉だけではない。
意思を伝える。
そして。
返ってきたものを受け取る。
「……分かった」
「何が分かったんだ?」
たかふみが尋ねる。
「この近くに魔物が集まっている」
「魔物?」
蛍が反応した。
レザーもすぐに周囲を確認する。
「どこ?」
「北東」
おじさんが森の奥を指差した。
「数は?」
「多い」
「どうして分かるんだ?」
レザーが尋ねる。
おじさんはレザーを見る。
「精霊から聞いた」
「精霊が?」
「ああ」
レザーは少し黙った。
「精霊、見える?」
「見えない」
「でも、話せる?」
「意思を交わすことはできる」
「……そう」
レザーは納得したように頷く。
たかふみは、その様子を見ながら改めて考えていた。
元素力なら、この世界の人間にも理解できる。
炎なら炎。
風なら風。
雷なら雷。
神の目を持つ者なら、元素を操ることもできる。
蛍の力もそうだ。
けれど。
おじさんが使う精霊魔法は違う。
精霊そのものを目で見ることはできない。
それでも、その存在を感じ取ることができる。
そして。
意思を交わし、契約によって力を借りる。
「元素とは、やっぱり全然違うんだな」
たかふみが呟いた。
「ああ」
おじさんが答える。
「精霊魔法は元素魔法じゃない」
短い言葉だった。
けれど、それで十分だった。
少なくとも、おじさんにとっては。
「でもさ」
たかふみが続ける。
「風を使ったり、水を使ったり、雷を使ったりするから、こっちから見ると元素と似てるんだよな」
「結果が似ることはある」
「なるほど」
「だが、力の使い方が違う」
「精霊と契約するから?」
「そうだ」
おじさんが頷く。
「精霊の力を借りる」
レザーが興味深そうに聞いている。
「精霊と、仲間?」
「仲間というより契約相手だ」
「契約……」
レザーは少し考えた。
「狼と、似てる」
「そうか?」
「狼も、一緒にいる」
レザーが森の奥を見る。
「助ける。助けてもらう」
「そういうところは似ているかもしれないな」
おじさんが答えた。
たかふみは思わず二人を見る。
レザーは狼と共に生きている。
おじさんは精霊と契約している。
方法は違う。
だが、どちらも一方的に力を使う関係ではない。
「レザー、精霊に会いたい?」
パイモンが聞いた。
「うん」
「でも、おじさんにも見えないんだろ?」
「見えない」
おじさんが答える。
「じゃあ、どうやって会うんだ?」
「感じる」
「それだけ?」
「それだけだ」
「うーん……」
パイモンが唸る。
たかふみも苦笑する。
「やっぱり説明が足りないんだよなぁ……」
「必要か?」
「必要だろ!」
思わず声が大きくなる。
おじさんは少し考えた。
「精霊は、目で見るものじゃない」
「うん」
「気配を感じる」
「うん」
「意思を交わす」
「うん」
「それだけだ」
「……いや、もうちょっと!」
たかふみが叫ぶ。
蛍が小さく笑った。
レザーも少しだけ笑っている。
どうやら、このやり取りにも慣れてきたらしい。
「たかふみ」
「何?」
「おじさんの説明は、いつも短い」
「蛍、それ言っちゃう?」
「事実」
「まあ……そうなんだけどさ」
たかふみはため息を吐いた。
おじさんはそんな二人を気にする様子もなく、再び歩き始める。
「魔物がいるんだろ?」
「そうだ」
「じゃあ、先に行こう」
蛍が剣に手を添える。
レザーも大剣を持ち直した。
たかふみも二人についていく。
その途中。
レザーが、おじさんの横に並んだ。
「おじさん」
「なんだ?」
「精霊は、今もいる?」
「ああ」
「近い?」
「近くにいる」
レザーは周囲を見回した。
当然、何も見えない。
それでも。
「……いる」
小さく呟く。
おじさんはレザーを見る。
「分かるのか?」
「分からない」
「そうか」
「でも、いると思う」
おじさんは少しだけ頷いた。
「そのうち分かるようになるかもしれない」
「うん」
レザーは嬉しそうだった。
たかふみはその会話を後ろから聞いていた。
レザーは精霊に興味を持ったらしい。
ただの珍しい魔法としてではない。
自分が狼と共に生きているように。
おじさんにも、精霊との関係がある。
そのことが気になっているのだろう。
しばらく進むと。
おじさんが再び足を止めた。
「近い」
「魔物?」
たかふみが聞く。
「ああ」
森の奥から、何かの声が聞こえた。
「ギャッ!」
ヒルチャールの声だ。
レザーが大剣を構える。
蛍も剣を抜く。
おじさんも右手を前へ出した。
淡い光が集まり始める。
「キライド ルギド リオルラン――光剣顕現」
光が形を変える。
一本の剣となり、おじさんの手に収まった。
レザーがその剣を見る。
「……光」
「また見られるぞ」
たかふみが言う。
レザーは頷いた。
「うん」
森の奥。
複数のヒルチャールが姿を現した。
棍棒を持った個体。
弓を構えた個体。
盾を構えた個体。
その数は、おじさんが精霊から聞いた通りだった。
「いるな」
おじさんが言う。
たかふみは苦笑する。
「精霊から聞いた情報、ちゃんと当たってるな」
「ああ」
「便利だな……」
「使い方次第だ」
おじさんは光剣を構えた。
蛍も前へ出る。
レザーは大剣を握り直した。
そして。
森の中に、戦闘の気配が広がっていく。
精霊は見えない。
けれど。
確かに、この森のどこかに存在している。
たかふみはそれを意識しながら、剣を構えるおじさんを見た。
元素とは違う力。
目には見えない存在との契約。
まだ知らないことは多い。
けれど。
少なくとも一つだけは分かった。
この世界には、自分がゲームで知っていた以上のものがある。
「……行くぞ」
おじさんが言った。
「うん」
蛍が答える。
「行こう!」
パイモンが叫ぶ。
「俺も行く」
レザーが続く。
たかふみも後に続いた。
奔狼領の森。
精霊の気配を感じながら。
一行は、さらに奥へ進んでいった。