モンドの街が見えてから、しばらく歩いた。
遠くに見えていた城壁は、少しずつ大きくなっている。
風車も見える。
風に合わせて、大きな羽根がゆっくりと回っていた。
ゲームの中で何度も見た景色だ。
最初にモンドへ向かうとき、何度も通った道。
序盤の景色として覚えている。
なのに。
実際に自分の足で歩いてみると、まるで別の場所に感じた。
「モンド、もうすぐだな」
俺が言うと、パイモンが振り返った。
「そうだぞ! あそこまで行けば、ちゃんとした街だからな!」
「ちゃんとした街って」
「屋根のある建物がいっぱいあって、食べ物も買えて、宿もある!」
「そこが基準なのかよ」
「大事だぞ!」
パイモンは真剣だった。
確かに大事だ。
俺たちは異世界に放り出されたばかり。
まともな寝床もなければ、金もない。
食料だって十分じゃない。
街に入れるなら、それだけでかなり安心できる。
「おじさんは?」
「何がだ?」
「モンドに着いたらどうする?」
「まず情報を集める」
「日本に帰る方法?」
「ああ」
おじさんは淡々と答えた。
「この世界に来た理由も分からない。なら、帰る方法を探すしかない」
「そりゃそうか」
俺は頷いた。
蛍も同じだ。
兄の空を探している。
俺たちは目的こそ違うけれど、やることは似ている。
情報を集める。
人に話を聞く。
手掛かりを探す。
そして、旅を続ける。
そんなことを考えていたときだった。
「……待って」
蛍が足を止めた。
「どうした?」
俺も止まる。
蛍が前方を見ていた。
パイモンも同じ方向を見る。
「誰かいるぞ」
道の先。
少し高くなった丘の上に、一人の少女が立っていた。
赤い服。
短い髪。
背中には弓。
頭には特徴的な赤いゴーグル。
そして、その姿を見た瞬間。
俺は足を止めた。
「……アンバー」
名前が口から出ていた。
「え?」
蛍がこちらを見る。
「たかふみ、知ってるの?」
「いや……」
しまった。
また言ってしまった。
「見たことがある気がしただけ」
「そう?」
蛍は少し不思議そうにしたが、それ以上は聞かなかった。
パイモンも首を傾げている。
「でも、あの子は――」
丘の上にいた少女が、こちらに気づいた。
「誰かいる!」
明るい声だった。
少女はすぐに丘を駆け下りてくる。
その動きに迷いがない。
俺たちの前まで来ると、少女は笑顔で立ち止まった。
「こんにちは!」
「こんにちは」
蛍が答える。
「私はアンバー。西風騎士団の偵察騎士だよ!」
「西風騎士団……」
俺は思わず呟いた。
やっぱり。
アンバーだ。
ゲームの中で何度も見た。
最初に仲間になるキャラクター。
弓を使う偵察騎士。
モンドの案内役。
何度もゲーム画面で見た。
でも。
今、目の前にいる。
「……」
変な感じだった。
ゲームでは立ち絵やモデルとして見ていた。
戦闘中にはプレイヤーの操作に合わせて走り、弓を引き、敵を攻撃していた。
でも今のアンバーは、自分の意思で動いている。
周囲を見ている。
俺たちを観察している。
笑っている。
普通に呼吸をしている。
一人の人間として、ここにいる。
「どうしたの?」
アンバーが俺を見る。
「え?」
「なんだか、じっと見てるから」
「いや、その……」
俺は言葉を探した。
「珍しいなと思って」
「何が?」
「弓を持ってる人」
「えっ?」
アンバーが自分の弓を見る。
「これ?」
「うん」
「偵察騎士だからね!」
アンバーは胸を張った。
「モンドの周辺を見回ったり、危険がないか確認したりするのが仕事なの」
「なるほど」
俺は頷いた。
ゲームの設定として知っていた。
でも、本人から聞くと妙に新鮮だった。
「それで、こんなところで何をしてたの?」
蛍が尋ねる。
「ああ、それなんだけど」
アンバーの表情が少し変わった。
「ヒルチャールを追ってたの」
「ヒルチャール?」
パイモンが反応する。
「この辺りに集まってるみたいなんだ。普段より動きがおかしくてね」
「……おかしい?」
おじさんが口を挟んだ。
「どの程度だ?」
アンバーが少し驚いた顔をする。
「えっと……」
すぐに真面目な表情に戻った。
「いつもより数が多い。それに、道から外れた場所にも集まってる」
「目的は?」
「分からない」
アンバーは首を横に振った。
「だから、確認してるところ」
おじさんは周囲を見る。
丘。
岩。
木々。
道。
その先に続く草原。
俺にはただの景色にしか見えない。
でも、おじさんは違った。
「何体いる?」
「今のところ確認できたのは八体」
「距離は?」
「……え?」
「ヒルチャールまでの距離だ」
「たぶん、二百メートルくらい」
アンバーが答える。
おじさんは頷いた。
「逃げ道は?」
「後ろの道を使えばモンドへ戻れるよ」
「地形は?」
「前方は開けてる。右側に岩場があるけど、隠れるには少し狭いかな」
「分かった」
俺は横で聞いていた。
やっぱり、おじさんはこういうときだけ異様に冷静だ。
敵がいる。
なら戦う。
ただそれだけではない。
敵の数。
距離。
地形。
逃げ道。
それを確認してから動く。
グランバハマルで十七年も生き延びてきた経験は、こういうところに出る。
「おじさん」
「何だ?」
「戦うの?」
「必要なら」
「必要以上に目立つのは避けたほうがいいんじゃない?」
俺が言う。
おじさんがこちらを見る。
「そうだな」
短く答えた。
俺も同じことを考えていた。
ここでおじさんが派手な精霊魔法を使えば、アンバーに余計な情報を与えることになる。
俺たちは異世界から来た。
テイワットの常識を知らない。
おじさんは元素とは違う力を使う。
それだけでも十分に目立つ。
まして、俺たちが何者なのかもまだ分かっていない。
だからこそ。
余計なことはしない。
「じゃあ、私が先に行くね」
アンバーが弓を手に取った。
「危険だから、みんなはここで待ってて」
「いや」
蛍が剣に手を添える。
「私も行く」
「え?」
「一人より二人のほうがいい」
「でも――」
アンバーが言いかけたところで。
草むらが揺れた。
「!」
全員がそちらを見る。
次の瞬間。
草の向こうから、ヒルチャールが飛び出してきた。
「来たぞ!」
パイモンが叫ぶ。
一体。
二体。
三体。
さらに後ろから、別のヒルチャールが姿を現す。
「八体……いや」
おじさんが数える。
「十体いる」
「増えてる!」
アンバーが驚く。
ヒルチャールたちはこちらを見つけると、一斉に武器を構えた。
「来る!」
アンバーが叫んだ。
最初の一体が走ってくる。
アンバーは一歩下がった。
弓を構える。
矢をつがえる。
弦が引き絞られる。
「そこ!」
放たれた矢が、ヒルチャールの肩に突き刺さった。
「すご……」
思わず声が出る。
アンバーは止まらない。
次の矢を構える。
別のヒルチャールへ向けて放つ。
命中。
ヒルチャールの動きが止まる。
「ゲームと同じだ……」
また口から出た。
「ゲーム?」
アンバーが振り返る。
「いや!」
俺は慌てて首を振った。
「なんでもない!」
「変なの」
アンバーは首を傾げた。
でも、すぐに敵へ向き直った。
ヒルチャールが迫っている。
「蛍!」
「分かってる」
蛍が駆け出した。
剣を抜く。
ヒルチャールの攻撃を横へかわし、そのまま斬りつける。
ヒルチャールがよろめく。
蛍は距離を取る。
無駄がない。
「右から来る!」
俺が叫ぶ。
おじさんが振り向く。
右側から、棍棒を持ったヒルチャールが突っ込んできていた。
「分かった」
おじさんは一歩だけ横へ移動する。
ヒルチャールの棍棒が空を切った。
そのまま、おじさんは敵の横を通り抜ける。
まだ剣は出していない。
素手のまま。
「おじさん!」
「問題ない」
ヒルチャールが振り返る。
おじさんは敵との距離を測るように、一度だけ視線を動かした。
そして。
手を前に出す。
空気が変わった。
風が集まる。
「……来る」
俺には分かった。
おじさんが精霊へ働きかけている。
「ワーグレント・マグナ――疾風操作」
風が一気に吹き抜けた。
ヒルチャールの身体が横へ押し流される。
「うわっ!」
アンバーが驚く。
ヒルチャールは踏ん張ろうとするが、足元を崩される。
「今!」
蛍が踏み込んだ。
剣が閃く。
ヒルチャールが倒れる。
「なるほど……」
アンバーが目を丸くしている。
「今の、風元素?」
「違う」
おじさんが答えた。
「精霊魔法だ」
「精霊魔法?」
アンバーの顔がぱっと明るくなる。
「それって元素じゃないの?」
「違う」
「じゃあ、いったい何の力なの?」
「精霊の力だ」
「精霊?」
「そうだ」
「へえ……!」
アンバーが興味津々になる。
けれど。
「アンバー!」
俺が叫んだ。
「後ろ!」
「え?」
振り返ったアンバーの後ろに、ヒルチャールが迫っていた。
アンバーが弓を構えるより早く。
おじさんが動いた。
一歩。
二歩。
距離を詰める。
「近い!」
俺は思わず叫ぶ。
おじさんの手に光が集まった。
剣の形になる。
「キライド ルギド リオルラン――光剣顕現」
光の剣が現れた。
おじさんはそのまま振り抜く。
ヒルチャールの攻撃を受け流し、横へ回り込む。
そして。
一撃。
ヒルチャールが吹き飛んだ。
「……」
アンバーが固まっている。
俺も思わず息を止めていた。
ゲームで見たことのない戦い方。
蛍も驚いた様子でおじさんを見る。
おじさんは何事もなかったように剣を構え直した。
「残りは?」
俺は周囲を見る。
「左に三体!」
「分かった」
おじさんが走る。
「アンバー!」
「分かってる!」
アンバーが弓を構える。
「そこ!」
矢が飛ぶ。
一体の動きを止める。
蛍が飛び込む。
残った二体が蛍へ向かう。
「蛍、右!」
俺が叫ぶ。
蛍が身体を捻る。
棍棒が空を切る。
その隙を狙って、蛍が斬り返した。
もう一体はおじさんが相手をしている。
光の剣が振られる。
ヒルチャールの武器を弾く。
そのまま距離を取る。
追ってきたところへ、風が走る。
「ワーグレント・マグナ――疾風操作」
風がヒルチャールの身体を押し返す。
そこへアンバーの矢が飛んだ。
「当たった!」
最後の一体が倒れる。
辺りが静かになった。
ヒルチャールの姿は、もうない。
「……終わった?」
パイモンが恐る恐る顔を出す。
「たぶん」
俺が答える。
アンバーが周囲を見渡す。
「うん。もういない」
弓を下ろす。
「みんな、大丈夫?」
「俺は平気」
蛍も頷いた。
「大丈夫」
おじさんは光の剣を消した。
「問題ない」
アンバーは三人を順番に見た。
そして。
「すごいね」
「何が?」
おじさんが聞く。
「みんな強いよ!」
アンバーが笑った。
「特におじさん!」
「そうか」
「さっきの風みたいな魔法、元素じゃないんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、モンドに着いたらもっと話を聞かせてよ!」
「必要なら」
「ほんと?」
アンバーが嬉しそうに笑う。
俺はその様子を見ながら、少しだけ安心した。
警戒されるかと思っていた。
当然だ。
見たことのない力を使う人間が突然現れれば、普通は警戒する。
でも、アンバーは戦闘が終わるとすぐに仲間として接してくれている。
もちろん、まだ何も知られていない。
俺たちが異世界から来たことも。
おじさんがグランバハマルという世界に十七年間いたことも。
俺がゲームとしてテイワットを知っていることも。
それは話していない。
「ところで」
アンバーがこちらを見る。
「あなたたちは?」
「俺はたかふみ」
俺は普通に答えた。
「こっちはおじさん」
「おじさん?」
「そう」
「名前は?」
アンバーがおじさんを見る。
おじさんは少し考えた。
「……おじさんでいい」
「分かった!」
アンバーはあっさり頷いた。
俺は頭を抱えたくなった。
「いや、そこでいいのかよ……」
「何か問題ある?」
アンバーが聞く。
「いや……」
問題はある。
かなりある。
でも、おじさん本人が気にしていない。
「たかふみ、行こう」
おじさんが言う。
「はいはい」
俺は諦めた。
アンバーは蛍を見る。
「あなたは?」
「蛍」
「蛍?」
「うん」
「分かった。蛍だね!」
続いてパイモンを見る。
「じゃあ、あなたは?」
「オイラはパイモンだぞ!」
「よろしく、パイモン!」
「よろしく!」
あっという間だった。
名前を交換しただけ。
それなのに、少しだけ距離が縮まった気がした。
「じゃあ、改めて!」
アンバーが道の先を指差す。
「モンドへ案内するよ!」
「いいの?」
蛍が尋ねる。
「もちろん!」
アンバーは笑った。
「さっきのヒルチャールも気になるし、みんなを一人で歩かせるのも危ないからね」
「助かる」
おじさんが言った。
「それに」
アンバーが続ける。
「モンドについて分からないことがあったら、私に聞いて!」
「じゃあ、まず――」
俺が言いかける。
「モラって、どれくらいの価値?」
アンバーが目を丸くする。
「え?」
「いや、その……」
俺は誤魔化した。
「こっち、まだよく分からないことが多くて」
「ああ、そういうことね!」
アンバーは納得したように頷いた。
「じゃあ、街に着いたらいろいろ説明するよ!」
「ありがとう」
俺は素直に礼を言った。
こうして。
俺たち四人の旅に、アンバーが加わった。
正確には、一緒に旅をすることになったわけじゃない。
アンバーはモンドへ戻る。
俺たちはモンドを目指す。
ただ、目的地が同じだった。
それだけだ。
でも。
ゲームでは、アンバーは最初から主人公の仲間になるキャラクターだった。
俺はそのことを知っている。
だからこそ、今こうして本人と並んで歩いているのが不思議だった。
「ねえ、たかふみ!」
「ん?」
「さっきの戦い、どこかで弓を使ったことある?」
「ないよ」
「そうなの?」
「俺、戦えるほうじゃないから」
「でも、敵の位置をよく見てたよね」
「それくらいしかできないから」
「それ、十分すごいと思うけどな」
アンバーは笑った。
「戦いって、強いだけじゃ勝てないからね」
「……」
俺は少しだけ驚いた。
ゲームでは、そんなことを意識することはなかった。
キャラクターのステータス。
武器。
聖遺物。
元素反応。
そういうものを考えていた。
でも現実では。
敵がどこにいるか。
何体いるか。
どこから攻撃してくるか。
逃げ道はどこか。
それを見るだけでも意味がある。
「たかふみ」
おじさんが呼ぶ。
「何?」
「そのままでいい」
「え?」
「周囲を見ていろ」
「……分かった」
おじさんはそれだけ言った。
俺は少しだけ気が楽になった。
俺には、おじさんみたいな戦闘力はない。
蛍みたいに剣を振ることもできない。
アンバーみたいに弓を扱えるわけでもない。
だから。
俺は俺にできることをする。
敵を見る。
状況を見る。
知っていることを必要なときだけ伝える。
それでいい。
アンバーが前を歩いている。
蛍とパイモンがその隣。
少し後ろを俺とおじさんが歩く。
風車が近づいてきた。
モンドの街も、さらに大きく見える。
城壁。
門。
風車。
ゲームで見慣れた景色。
けれど、今は違う。
俺はそこへ向かって、自分の足で歩いている。
アンバーが振り返る。
「もうすぐだよ!」
「モンド?」
「うん!」
アンバーが笑う。
「私たちの街、モンドへようこそ!」
その言葉を聞いて。
俺はもう一度、街を見る。
ここから先は、ゲームで知っている場所だ。
西風騎士団。
ジン。
ガイア。
リサ。
そして、これから起きる風魔龍の事件。
知っていることは多い。
でも。
俺はもう、ゲームを見ているわけじゃない。
この世界で生きている。
だから、知識をそのまま答えとして扱うのはやめよう。
おじさんが言った。
ゲームと現実は同じとは限らない。
それなら。
目の前で起きることを見るしかない。
アンバーが歩く。
蛍が続く。
パイモンが楽しそうに飛ぶ。
そして俺とおじさんも、その後を追う。
モンドへの道は、もうすぐ終わる。
そして。
ここから、本格的なテイワットでの生活が始まる。
俺はそう思いながら、目の前の街を見つめていた。