モンドへ向かう道は、思っていたよりも長かった。
舗装された道が続いているわけでもない。
草原の中を伸びる道を歩き、遠くに見える山や森を横目にしながら進んでいく。
さっきまで戦っていたせいか、俺たち四人の間には少しだけ静かな時間が流れていた。
先頭を歩いているのはアンバー。
その少し後ろを、蛍とパイモン。
そして俺とおじさんが並んで歩いている。
「モンドまでは、もう少しだよ」
振り返ったアンバーが言った。
「この道をまっすぐ進めば、モンドの城門が見えてくるから」
「へえ……」
パイモンが周囲を見回す。
「さっきより道がちゃんとしてるな!」
「うん。モンドの近くは比較的安全だからね」
アンバーはそう言ってから、ちらりとおじさんを見る。
「……ところで」
「なんだ?」
「さっきの魔法なんだけど」
やっぱり来たか。
俺は心の中でそう思った。
アンバーが気になっているのは、当然おじさんの魔法だ。
さっきの戦闘。
蛍は剣を使いながら風を操っていた。
アンバーは弓と炎。
そしておじさんは、突然風を動かした。
しかも、蛍の風とは明らかに違う。
「おじさんが使ってたのって……風元素?」
アンバーが尋ねる。
おじさんは少し考えるように黙った。
「違う」
「え?」
「精霊魔法だ」
あまりにもあっさりした返答だった。
アンバーが目を瞬かせる。
「精霊……魔法?」
「そうだ」
「それって、元素とは違うの?」
「違う」
「じゃあ、何?」
「精霊の力だ」
「…………」
アンバーが困ったような顔をした。
いや、分かる。
俺も最初に聞いたときは同じ反応だった。
「おじさん」
「なんだ」
「もう少し説明してやれよ」
「説明した」
「いや、全然足りないから」
俺がツッコむと、おじさんは少しだけ考えた。
「……精霊と意思を通わせて、力を借りる魔法だ」
「最初からそれ言えよ」
「必要だったか?」
「必要だよ」
俺はため息をついた。
おじさんにとっては当たり前のことなのだろう。
でも、ここはグランバハマルじゃない。
テイワットだ。
そして俺は、この世界についてある程度知っている。
少なくともゲームとしてなら。
テイワットでは、元素という力が大きな意味を持っている。
炎。
水。
風。
雷。
氷。
岩。
草。
七つの元素。
それぞれの元素を使う人間がいて、元素反応という仕組みも存在する。
だから俺も、最初におじさんが風を動かしたときは、てっきり何かの元素力だと思った。
でも違う。
おじさんが使っているのは、元素ではない。
精霊魔法。
ゲームの中には存在しなかった力だ。
「精霊って、どんなものなの?」
アンバーが興味深そうに聞いた。
「目に見えるの?」
「場合による」
「どんな力を持ってるの?」
「精霊による」
「契約してるの?」
「そういうものもある」
「へえ……」
アンバーの目が輝いている。
どうやらかなり興味を持ったらしい。
「じゃあ、おじさんは精霊と契約して、その力を使ってるんだ?」
「そうだ」
「すごいね!」
「普通だ」
「いや、普通じゃないだろ……」
俺はまたツッコんだ。
アンバーは笑った。
「たかふみは、おじさんのことよく分かってるんだね」
「まあ……長い付き合いだから」
「そうなんだ」
アンバーは少しだけ笑いながら前を向いた。
そのときだった。
草むらの向こうから、物音がした。
「……止まって」
アンバーの声が変わった。
さっきまでの明るい声とは違う。
偵察騎士としての声だった。
俺たちも足を止める。
「何かいる」
アンバーが弓を構える。
蛍もすぐに剣へ手を伸ばした。
パイモンが慌てて飛び上がる。
「またかよ!」
「ヒルチャールだと思う」
アンバーが小声で言った。
草むらが揺れる。
一体。
二体。
やがて姿を現したのは、木製の盾を持ったヒルチャールと、弓を持ったヒルチャールだった。
「やっぱりヒルチャールか」
俺は周囲を見る。
さっき戦った連中とは違う。
今回は二体だけ。
だけど、その後ろにも何かいる。
「アンバー」
「うん?」
「後ろにもいる」
俺が言うと、アンバーがすぐに振り返った。
「……本当だ」
草むらの奥から、さらにヒルチャールが姿を現した。
三体。
四体。
合計五体。
「囲まれた?」
パイモンが慌てる。
「大丈夫」
蛍が剣を構えた。
その声は落ち着いていた。
おじさんも周囲を見ている。
敵の数。
距離。
地形。
逃げ道。
さっきと同じように、戦う前に状況を確認している。
「おじさん」
「なんだ」
「今回は俺たちもいる」
「分かっている」
「無茶するなよ」
「しない」
「……本当か?」
「必要ならする」
「それを無茶って言ってるんだよ」
俺が言った直後。
ヒルチャールが動いた。
「来るよ!」
アンバーが叫ぶ。
弓を引き絞る。
放たれた矢が、先頭のヒルチャールへ飛んでいった。
「当たった!」
パイモンが声を上げる。
ヒルチャールがよろめく。
そこへ蛍が駆け込んだ。
剣が振られる。
一撃。
二撃。
盾を持ったヒルチャールが後退する。
「右!」
俺は叫んだ。
別のヒルチャールが蛍の横から接近していた。
蛍が振り返る。
間に合わない。
そう思った瞬間だった。
「――ワーグレント・マグナ――疾風操作」
おじさんが手を伸ばした。
風が吹いた。
いや。
正確には、風が「動いた」。
目には見えない。
でも、空気の流れが一瞬で変わった。
ヒルチャールが振り下ろした棍棒が、大きく横へ流される。
「えっ?」
アンバーが驚く。
攻撃が蛍の身体をかすめることすらなく、地面へ叩きつけられた。
蛍がその隙を逃さない。
「……!」
剣を振る。
ヒルチャールが吹き飛んだ。
「今の……」
アンバーが呆然とする。
「風元素じゃないの?」
「違う」
おじさんは淡々と答えた。
「精霊魔法だ」
「でも、風を動かしたよね?」
「そうだ」
「じゃあ、風元素と何が違うの?」
「精霊に頼んでいる」
「…………」
アンバーが完全に固まった。
俺は思わず額を押さえた。
「それを普通みたいに言うなよ……」
「普通だ」
「だから!」
戦闘中だというのに、俺は思わずツッコんでしまった。
アンバーが俺を見る。
「たかふみ」
「何?」
「本当に風元素じゃないんだよね?」
「うん」
「……変わった魔法だね」
「俺もそう思ってる」
その間にも戦闘は続いている。
ヒルチャールが一斉に向かってきた。
「来るぞ」
おじさんが言った。
そして一歩前へ出る。
手を伸ばす。
「キライド・ルギド・リオルラン――光剣顕現」
光が集まった。
おじさんの手の中に、一本の剣が現れる。
光を固めたような剣。
その姿を見るのは二度目だった。
だけど、やっぱり慣れない。
蛍が持つ普通の剣とは明らかに違う。
アンバーも目を丸くしている。
「剣……?」
「光の剣だ」
「それも精霊魔法?」
「そうだ」
「風を動かしたり、剣を作ったり……」
アンバーが呟く。
「精霊魔法って、何でもできるの?」
「何でもではない」
おじさんはそう答えた。
「できることは限られている」
その言葉は意外だった。
俺も少し驚く。
おじさんは強い。
グランバハマルで十七年間も生き延びてきた。
精霊魔法もかなりの数を使える。
それでも、何でもできるわけではない。
魔法には制約がある。
使い続ければ疲れる。
強力な魔法ほど負担も大きい。
精霊との関係だって必要になる。
だからこそ、おじさんは戦闘中に無駄な魔法を使わない。
必要なところで必要な魔法だけを使う。
「来た」
おじさんが呟いた。
ヒルチャールが飛び込んでくる。
光の剣が振られた。
ガンッ!
棍棒と剣がぶつかる。
おじさんは正面から受け止めるのではなく、少しだけ身体をずらした。
攻撃を流す。
そのまま一歩踏み込む。
剣がヒルチャールの武器を弾いた。
「すご……」
アンバーが呟く。
おじさんはそのまま別のヒルチャールへ向かう。
弓を持ったヒルチャールが矢を放つ。
俺は反射的に叫んだ。
「おじさん、左!」
おじさんが身体を傾ける。
矢が横を通り抜けた。
蛍が一気に距離を詰める。
剣が閃く。
アンバーも矢を放つ。
俺は敵の動きを見ながら、次に来そうな方向を確認する。
俺自身は戦えるわけじゃない。
だから、せめて状況を見る。
「後ろからもう一体!」
俺が叫ぶ。
おじさんが振り返る。
だが、その前に風が動いた。
「ワーグレント・マグナ――疾風操作」
ヒルチャールの身体が風に押される。
攻撃がわずかに逸れた。
その隙を蛍が突く。
「――!」
剣が振り抜かれた。
ヒルチャールが倒れる。
最後の一体も、アンバーの矢によって動きを止めた。
戦闘が終わった。
「……終わった?」
パイモンが周囲を見る。
「うん」
アンバーが弓を下ろす。
「みんな、大丈夫?」
「俺は大丈夫」
蛍も頷く。
「問題ない」
おじさんも光の剣を消した。
そして何事もなかったように歩き始める。
「いや、ちょっと待って」
俺はその背中を追った。
「おじさん」
「なんだ」
「さっきの魔法」
「精霊魔法だ」
「それは分かった」
「そうか」
「じゃなくて」
俺は歩きながら聞く。
「本当に元素とは別物なんだな」
「そうだ」
「風を使ってるのに?」
「風を使っている」
「でも風元素じゃない」
「そうだ」
「……ややこしいな」
「そうか?」
「そうだよ」
俺は頭の中を整理する。
俺が知っている原神では、キャラクターが使う力は基本的に元素を中心としている。
もちろん、元素とは少し違う存在や能力もある。
でも、少なくともおじさんの使う精霊魔法みたいなものは、ゲームにはなかった。
精霊と意思を通わせる。
精霊から力を借りる。
その力で風を動かす。
そして光の剣まで作る。
これはゲーム内の元素システムでは説明できない。
俺は改めて、それを実感していた。
「たかふみ」
アンバーが横から声をかけてくる。
「ん?」
「さっきから難しい顔してるけど、大丈夫?」
「え?」
「なんというか……考え込んでる感じ」
「ああ……」
俺は少し迷った。
原神というゲームを知っている。
この世界のことを知っている。
そういうことをアンバーに説明するわけにはいかない。
少なくとも今は。
「おじさんの魔法が珍しいから」
俺はそう答えた。
「俺もまだ全部理解してるわけじゃないんだ」
「そうなんだ」
「うん」
アンバーは納得したように頷いた。
「じゃあ、モンドに着いたら騎士団の人たちにも説明してもらったほうがいいかもね」
「そうなると思う」
俺は頷いた。
むしろ、その方がいい。
おじさんの力は、どう考えてもテイワットでは珍しい。
いや。
珍しいだけではない。
この世界の常識から外れている可能性がある。
元素でもない。
アビスの力でもない。
少なくとも俺が知っている原神のゲームシステムにも存在しない。
そんな力を使う人間が、いきなりモンドへやってきた。
騎士団が警戒するのも当然だ。
「おじさん」
「なんだ」
「モンドで、魔法について聞かれたらちゃんと説明してくれよ」
「分かった」
「短くしすぎるなよ」
「分かった」
「『精霊に頼んでいるだけだ』だけじゃダメだからな」
「分かった」
「本当に分かってる?」
「分かっている」
おじさんは真顔で答えた。
たぶん分かっている。
……たぶん。
「でもさ」
アンバーが歩きながら言った。
「精霊って、本当にいるんだよね?」
「ああ」
「見せてもらうことってできる?」
「必要なら」
「へえ!」
アンバーが嬉しそうに笑う。
「楽しみだな」
「アンバー、食いつきすぎだろ」
「だって気になるじゃない!」
「まあ、それは分かるけど」
俺も正直、気になる。
ゲームにはなかった。
それだけじゃない。
おじさんが使っている精霊魔法は、俺たちが今いる世界で普通に機能している。
つまりこれは、単なるゲームの設定変更とかではない。
ここは現実だ。
そして現実のテイワットには、俺の知らない力が存在している。
その事実が、少しずつ重くなってきていた。
「たかふみ」
蛍がこちらを見る。
「どうした?」
「精霊魔法について考えてる?」
「まあ……」
「私も少し気になる」
「蛍も?」
「うん」
蛍はおじさんを見る。
「私の風とは違う」
「そうなんだよ」
俺も頷く。
「俺もゲームで見たことない」
言いかけて、慌てて口を閉じる。
「……?」
蛍が首を傾げた。
「いや、なんでもない」
「そう?」
「うん」
危なかった。
ゲーム。
その言葉は、今の俺たちにとって簡単には出せない。
この世界の住人にとって、テイワットは現実だ。
当然だ。
俺にとっても、もうそうなりつつある。
だからこそ、知識だけで判断するのは危険だ。
「おじさん」
「なんだ」
「これからは、俺たちが知ってることだけで判断しないほうがいいかもな」
「そうだな」
珍しく、おじさんはすぐに頷いた。
「ここはグランバハマルではない」
「……うん」
「お前が知っているゲームの世界とも違う」
「そうだな」
「なら、見たものを判断するしかない」
「その通りだよ」
俺は少しだけ安心した。
おじさんも分かっている。
俺たちが知っている情報は、あくまで参考だ。
実際のテイワットは、ゲームとは違う。
おじさんがいる時点で、もう違う。
精霊魔法が存在している時点で、さらに違う。
これから先、どれだけ原作と同じ展開になるのか。
それすら分からない。
「見えてきたよ!」
アンバーの声が響いた。
俺は顔を上げる。
遠くに、巨大な城壁が見えた。
その向こうには、高い塔。
そして風に揺れる旗。
モンド。
ゲーム画面で何度も見た場所。
何度も訪れた場所。
何度も歩いた場所。
その景色が、今は現実に存在している。
「……モンドだ」
思わず呟いた。
「うん」
蛍が頷く。
パイモンも嬉しそうに飛び跳ねる。
「やっと着くぞ!」
アンバーが笑った。
「さあ、もうすぐだからね!」
俺はその背中を見ながら歩く。
ここまで来ても、まだ実感がない。
俺は本当にテイワットにいる。
ゲームの中ではなく。
画面の向こうでもなく。
自分の足で歩いている。
そして隣には、おじさんがいる。
そのおじさんは、ゲームには存在しなかった「精霊魔法」という力を使っている。
風元素と同じように風を動かしながら、それは風元素ではない。
俺が知っている原神の知識だけでは説明できない。
その事実を、俺はもう無視できなかった。
「……まあ」
俺は小さく息を吐く。
「ゲームと同じだと思わないほうがいいよな」
「何か言ったか?」
おじさんが聞いてくる。
「いや」
俺は前を見る。
「なんでもない」
モンドの城壁が、少しずつ近づいてくる。
俺たちの旅は、まだ始まったばかりだった。