西風騎士団での戦闘能力の確認が終わった翌日。
俺たちはモンドの街中を歩いていた。
目的は、風魔龍についての調査。
昨日の話では、騎士団も風魔龍についていろいろ調べているらしい。
ただ、俺にとっては少し妙な感覚だった。
ゲームで知っている事件が、現実として進んでいる。
風魔龍。
モンド。
西風騎士団。
そして――これから出てくるはずの人物たち。
俺はゲームをプレイしていたから、この先に何が起こるのかをある程度知っている。
……知っているつもりだった。
でも、実際にここへ来てからは、その知識が思ったほど当てにならない。
おじさんがいる。
俺もいる。
しかも、精霊魔法なんてゲームには存在しなかった力まで加わっている。
昨日だって、おじさんの戦闘を見ていたジンさんたちの反応は、俺がゲームで見ていたものとは全然違った。
当然だ。
ここはゲームの画面じゃない。
人がいて、生活があって、怪我もする。
そして、何かが起これば本当に死ぬ。
「たかふみ」
「ん?」
隣を歩いていた蛍がこちらを見る。
「さっきから静か」
「ああ、ちょっと考え事」
「風魔龍?」
「まあ、それもある」
「……ゲームのこと?」
「!」
思わず蛍を見る。
「なんで分かった?」
「たかふみ、たまに変な顔するから」
「変な顔って……」
パイモンが前から振り返る。
「そうだぞ! たかふみは何か知ってる時、ちょっと変な顔するんだ!」
「お前ら俺の顔をそんなに見てたのかよ」
「分かりやすいんだよ」
「マジか……」
自分では普通にしているつもりだった。
だけど、ゲーム知識を持っているせいで、どうしても反応が先に出てしまう。
気をつけないと。
「まあ、考えても仕方ないか」
俺は前を向いた。
今は、分かる範囲で情報を整理するしかない。
そのときだった。
「おや?」
少し離れた場所から、竪琴の音が聞こえてきた。
街の喧騒の中でも、不思議と耳に残る音だった。
軽やかな旋律。
モンドの風に合わせるような、柔らかい音色。
「誰か演奏してるな」
パイモンが音のする方を見る。
「行ってみよう!」
「なんでだよ」
「面白そうだから!」
「理由が雑だな……」
でも、俺たちも結局そちらへ向かった。
街の広場。
そこに、一人の少年がいた。
緑色の服。
緑色の帽子。
手には竪琴。
そして、どこか人を食ったような軽い雰囲気。
楽しそうに笑いながら、竪琴を鳴らしている。
その姿を見た瞬間。
俺は足を止めた。
「……え?」
知っている。
いや。
知っているなんてもんじゃない。
ゲーム画面で何度も見た。
緑色の服。
竪琴。
あの顔。
あの雰囲気。
「ウェンティ……」
思わず名前が口から出た。
「ん?」
隣の蛍がこちらを見る。
「どうしたの?」
「いや……」
しまった。
またやった。
ゲームで知っている人物を見ると、どうしても反応してしまう。
俺は慌てて口を閉じた。
でも、もう遅かった。
「へえ?」
竪琴を弾いていた少年がこちらを見る。
「僕の名前を知ってるのかい?」
「……」
完全に聞かれた。
どうする。
ここで「ゲームで知ってます」なんて言えるわけがない。
「えっと……」
言い訳を考える。
すると、おじさんが横から口を挟んだ。
「たかふみは人の名前を覚えるのが得意なんだ」
「いや、そういうわけじゃ――」
「そうなの?」
少年が笑う。
「じゃあ、僕も覚えてもらえるかな?」
その笑顔。
ゲームで見ていたものと同じだった。
でも、実際に目の前にすると印象が違う。
画面越しなら、ただのキャラクターとして見ていた。
今は違う。
目の前に本当に人がいる。
こっちを見て話しかけてくる。
「もちろん」
蛍が答えた。
「あなたは?」
「僕?」
少年は竪琴を軽く持ち上げた。
「僕はウェンティ。モンドを旅する吟遊詩人さ」
「吟遊詩人……」
パイモンが腕を組む。
「なんか怪しいぞ」
「ひどいなぁ。僕はただの吟遊詩人だよ」
「本当か?」
「本当、本当」
ウェンティは笑っている。
だけど、俺は知っている。
こいつは――。
ただの吟遊詩人じゃない。
風神。
バルバトス。
モンドを治める神。
ゲームでは、その正体を知っている。
そして、このあと起こる事件にも関わってくる。
でも。
俺は何も言わなかった。
ここで「あなたは風神ですよね」なんて言ったら、どうなる?
そもそも、俺が知っていること自体がおかしい。
ゲームで知った情報を、そのまま現実の人間にぶつける。
それはさすがに危険だ。
「たかふみ?」
「……なんでもない」
蛍に聞かれて、俺は首を振った。
ウェンティはそんな俺を見ていた。
何か気づいたのか。
それとも、ただ見ていただけなのか。
判断できない。
「ところで」
ウェンティが、おじさんへ視線を向けた。
「君は?」
「俺か」
「うん」
おじさんは少し考えた。
「ウルフガンブラッドだ」
「……」
俺は思わず横を見る。
「おじさん」
「なんだ」
「またそれ?」
「必要だからな」
「いや、まあ……」
ウェンティは目を丸くした。
「変わった名前だね」
「そうか?」
「うん。でも、嫌いじゃないよ」
「そうか」
おじさんはそれだけだった。
俺はため息をつく。
結局、正式にはウルフガンブラッド。
でも、俺はおじさんと呼ぶ。
パイモンもおじさんと呼ぶ。
最近はアンバーたちまで普通にそう呼び始めている。
偽名とは一体なんなのか。
まあ、それは今はどうでもいい。
問題は――ウェンティだ。
「ねえ、おじさん」
「なんだ」
「この人……」
俺が言いかけたところで、おじさんがウェンティを見る。
少しだけ目を細めた。
「普通の吟遊詩人ではないな」
「!」
俺は思わずおじさんを見る。
ウェンティも一瞬だけ目を丸くした。
でも、すぐに笑った。
「やっぱり分かる?」
「なんとなくだ」
「へえ……」
ウェンティは興味深そうにおじさんを見る。
「面白いね、君」
「そうか?」
「うん」
ウェンティは竪琴を持ったまま、おじさんの周りを軽く見る。
「君から、ちょっと変わった感じがするんだ」
「精霊魔法だ」
「精霊魔法?」
「ああ」
「へえ」
ウェンティの笑顔が少しだけ変わった。
興味を持ったらしい。
「元素とは違うの?」
「違う」
「風とも?」
「風を使うことはあるが、元素ではない」
「なるほどねぇ」
ウェンティは楽しそうに笑った。
「異世界から来た魔法使いっていうのも、本当みたいだ」
「そうだ」
「面白い出会いだね」
俺は二人の会話を聞きながら、なんとなく嫌な予感がした。
おじさんは、おじさんで普通に話している。
ウェンティも、軽い調子で話している。
だけど、俺には分かる。
この二人。
絶対に普通じゃない。
一人は異世界から帰ってきた叔父。
もう一人は――。
……いや。
そこまで考えて、俺は頭を振った。
考えない。
今は言わない。
俺はゲーム知識を持っている。
でも、それを全部口に出していいわけじゃない。
「ところで、君たちは何をしているの?」
ウェンティが聞いてくる。
「風魔龍について調べてる」
蛍が答えた。
「風魔龍?」
「うん」
「なるほど」
ウェンティは少しだけ考えるような顔をした。
その表情もゲームで見たことがある。
でも、やっぱり現実で見ると違う。
俺は妙な感覚になった。
ゲームで知っている。
でも、知らない。
矛盾しているようだけど、そんな感じだった。
知っているのは設定やイベント。
知らないのは、目の前にいるこの人間のことだ。
どんなことを考えているのか。
何を感じているのか。
ゲームでは描かれていなかった部分なんて、いくらでもある。
だから――。
「たかふみ」
「ん?」
ウェンティが俺を見る。
「君は、ずいぶん僕のことを気にしてるね」
「えっ」
「さっきからずっと見てるから」
「いや、それは……」
まずい。
ゲームで知っているから見ていました、なんて言えない。
「その……」
「ふふっ」
ウェンティが笑った。
「まあ、いいけどね」
「……」
助かった。
たぶん。
「それじゃあ、僕はそろそろ行こうかな」
ウェンティが竪琴をしまう。
「また会うこともあるだろうし」
「また会う?」
パイモンが首を傾げる。
「モンドは狭いからね」
ウェンティは笑う。
「風が吹けば、またどこかで会えるさ」
「なんか詩人っぽいこと言うな」
俺が思わず呟く。
「吟遊詩人だからね」
ウェンティは笑った。
そして、そのまま歩き出す。
数歩進んだところで、おじさんが口を開いた。
「たかふみ」
「何?」
「あいつは何者だ」
「……」
俺は答えられなかった。
本当のことを言うわけにはいかない。
「俺にも、よく分からない」
「そうか」
おじさんはそれ以上聞かなかった。
ただ、去っていくウェンティを見ている。
その横顔はいつものおじさんだった。
特に深く考えている様子もない。
ただ、普通ではないと判断しただけ。
それだけなのだろう。
「おじさん」
「なんだ」
「ウェンティのこと、気になる?」
「少しな」
「やっぱり?」
「ああ」
「何が?」
「精霊魔法を見たときと似た感じがする」
「……」
俺は少し考えた。
もしかすると、おじさんは魔力や精霊の力そのものを感じ取っているのかもしれない。
ゲーム知識を持っている俺とは、見えているものが違う。
「まあ、いいか」
俺はウェンティが去っていった方向を見る。
ゲームでは知っていた。
風神バルバトス。
モンドの神。
でも、今ここにいるウェンティは、俺が知っているキャラクターそのものではない。
少なくとも、俺にはそう思えた。
俺が知っているのは、ゲームの中の情報だけ。
現実のウェンティがどう動くのかまでは分からない。
そして、それは他のキャラクターも同じだ。
アンバー。
ジン。
ガイア。
リサ。
そして、ウェンティ。
ゲームで何度も見てきた人物たちが、次々と現実に現れている。
最初は、会うたびに驚いていた。
でも――。
「……少し慣れてきたな」
「何に?」
蛍が聞く。
「いや、ゲームで知ってる人に実際に会うこと」
「そう?」
「うん」
俺は苦笑する。
「まあ、慣れたからって普通になるわけじゃないけど」
「確かに」
蛍も小さく笑った。
「これからも、知ってる人に会うのかな」
「たぶんな」
俺はそう答えた。
でも、そのときの俺はまだ知らなかった。
これから先。
ゲームで知っていた人物たちと、何度も出会うことになる。
そして、そのたびに。
俺が知っている「原神」と、俺たちが実際に生きている「テイワット」との違いを思い知らされることになる。
ただ――。
今はまだ、その程度だった。
俺たちの前には、風魔龍の問題が残っている。
そして隣には、おじさんがいる。
俺は一度だけ、おじさんを見る。
「おじさん」
「なんだ」
「……勝手なことしないでよ」
「分かった」
「絶対だからな」
「分かった」
おじさんはそう言って、街の方へ歩き出した。
俺もその後を追う。
その頭上を、モンドの風が静かに吹き抜けていった。