原神転移 異世界おじさん   作:ところてんの

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第9話「風魔龍」

第9話「風魔龍」

 

 最初に異変を感じたのは、風だった。

 

 モンドの街には、いつも風が吹いている。

 

 街を囲む草原を抜け、風車の羽根を回し、建物の間を通り抜けていく風。モンドを象徴するような穏やかな風は、この街に暮らす人々にとって、あまりにも当たり前の日常だった。

 

 だからこそ。

 

 その風が、唐突に変わったことに気づいたとき、たかふみは胸の奥に嫌な予感を覚えた。

 

「……ん?」

 

 頬を撫でていた風が、一瞬だけ止まった。

 

 街の旗が大きく揺れる。

 

 そして、その直後。

 

 空気そのものが震えた。

 

 ゴォォォォォ……。

 

 遠くから、低い音が響いてくる。

 

 最初は風の音かと思った。

 

 だが、違う。

 

 もっと大きな何かが、空を移動している音だった。

 

「たかふみ?」

 

 隣にいた蛍が、不思議そうにこちらを見る。

 

「……いや」

 

 答えようとして、たかふみは言葉を止めた。

 

 空を見上げる。

 

 青かったはずの空に、巨大な影が差していた。

 

 雲の向こうから、何かが現れる。

 

 巨大な翼。

 

 長大な身体。

 

 青緑色の鱗。

 

 そして、空を覆い尽くすほどの圧倒的な存在感。

 

「……っ」

 

 たかふみの呼吸が止まった。

 

 見間違えるはずがなかった。

 

 ゲームの画面越しに何度も見た姿。

 

 モンドの魔神任務、その序章に登場する巨大な龍。

 

 かつてモンドを守護した存在であり、今では人々から恐れられている龍。

 

 その名を。

 

「風魔龍……」

 

 声が漏れた。

 

「トワリン……」

 

 その名前を口にした瞬間、胸の奥が冷たくなる。

 

 知っている。

 

 たかふみは、この事件を知っている。

 

 原神をプレイしたことがある人間なら、モンドの物語を進めるうえで避けては通れない出来事だ。

 

 風魔龍。

 

 トワリン。

 

 モンドを襲う巨大な龍。

 

 ゲームの中では、プレイヤーである自分が画面の向こう側から見る存在だった。

 

 映像として見て。

 

 台詞を読んで。

 

 戦闘をして。

 

 物語の流れとして理解していた。

 

 それが今。

 

 現実の空にいる。

 

「……来た」

 

 自分でも気づかないうちに、そんな言葉が口から出ていた。

 

「知ってるのか?」

 

 すぐ隣から、おじさんの声が聞こえる。

 

「……知ってる」

 

 たかふみは空を見上げたまま答えた。

 

「ゲームに出てきた龍だ。モンドの魔神任務で――」

 

「ゲームに出てきた?」

 

「今は説明してる場合じゃない!」

 

 思わず声が大きくなった。

 

 その瞬間。

 

 トワリンが大きく翼を広げた。

 

 空気が爆発したように動く。

 

 ゴォォォッ!

 

 強烈な風圧が街へ押し寄せた。

 

 建物の窓が震え、街の旗が激しくはためく。

 

 街路に置かれていた荷物が転がり、砂埃が舞い上がった。

 

「みんな、伏せて!」

 

 アンバーの声が響く。

 

 彼女はすぐに弓を構えながら、近くにいた人々へ叫んだ。

 

「危険です! 建物の中へ!」

 

「騎士団員は市民の避難を優先してください!」

 

 ジンも即座に指示を飛ばす。

 

「負傷者が出た場合は、ただちに医療班へ!」

 

「了解!」

 

 周囲にいた騎士たちが一斉に動き出した。

 

 ついさっきまで普通の日常だった街が、一瞬にして緊張に包まれていく。

 

 蛍も剣を抜いた。

 

 パイモンは空中で慌ただしく飛び回っている。

 

「お、おい! あの龍、こっちに来てるぞ!」

 

「分かってる!」

 

 たかふみは答えながら、空を見上げた。

 

 巨大な龍が、モンドの上空を旋回している。

 

 その翼が動くたびに風が生まれ、街全体が揺さぶられる。

 

 ゲームで見た光景。

 

 確かに知っている。

 

 この後、何が起きるのか。

 

 大まかな流れなら覚えている。

 

 けれど。

 

 今、自分の目の前にいるのはゲームデータではない。

 

 巨大な翼を持つ生物。

 

 風をまとい、空を飛び、モンドそのものを揺らす存在。

 

 その一挙手一投足に、人間の命がかかっている。

 

「……怖」

 

 思わず本音が漏れた。

 

 ゲームなら、何度負けてもやり直せる。

 

 現実には、そんなものはない。

 

 この世界に来てから、たかふみは何度もその違いを思い知らされてきた。

 

 そして今回の相手は、これまで戦ったヒルチャールとは明らかに違う。

 

「来るぞ!」

 

 ガイアが叫んだ。

 

 トワリンが大きく旋回する。

 

 その動きに合わせるように、周囲の風が渦を巻き始めた。

 

「――――っ!」

 

 たかふみは反射的に身構える。

 

 トワリンの周囲に集まった風が、一気にこちらへ押し寄せてきた。

 

「危ない!」

 

 アンバーが叫ぶ。

 

 ジンが剣を構える。

 

 蛍も前へ出ようとした。

 

 しかし。

 

 その前に、おじさんが一歩前へ出た。

 

「精霊」

 

 短い呼びかけ。

 

 それだけで、おじさんの周囲を流れていた空気が変化した。

 

 風が集まる。

 

 周囲の空気が渦を巻き、何かに応えるように動き始める。

 

 おじさんはトワリンを見上げたまま、静かに口を開いた。

 

「ワーグレント マグナ――疾風操作」

 

 風が動いた。

 

 トワリンが生み出した風の流れへ、おじさんが別の風をぶつける。

 

 真正面から力を押し返すのではない。

 

 攻撃の流れを読み、その方向をわずかにずらす。

 

 巨大な風の塊が、街の中心から外れていく。

 

 ドォォォォンッ!

 

 風圧が建物の横を通り抜けた。

 

 石畳が震え、砂埃が舞い上がる。

 

 だが。

 

 街の中心への直撃は避けられた。

 

「……今の」

 

 アンバーが目を見開く。

 

「風を……動かした?」

 

「そうだ」

 

 おじさんは淡々と答えた。

 

「ただ、俺が風そのものを自由に操っているわけじゃない」

 

 たかふみは、おじさんの横顔を見る。

 

 精霊魔法。

 

 元素力とは違う。

 

 この世界には本来存在しないはずだった力。

 

 それが今、トワリンの風に対抗している。

 

 原神には、こんな魔法は存在しない。

 

 少なくとも、たかふみが知っているゲームの中には。

 

「……やっぱり」

 

 胸の奥で、嫌な確信が強くなっていく。

 

 この世界は、もう自分の知っているゲームそのものではない。

 

 それは分かっていたつもりだった。

 

 ヒルチャールと戦ったときも。

 

 モンドへ入ったときも。

 

 アンバーやジン、ガイア、リサと出会ったときも。

 

 そして、おじさんが精霊魔法を使ったときも。

 

 ずっとそう思っていた。

 

 だが。

 

 今回は違う。

 

 ゲーム本編の大きな事件そのものが、目の前で始まっている。

 

 それなのに。

 

 そこには、本来存在しない人間がいる。

 

 おじさん。

 

 自分。

 

 そして、おじさんが使う精霊魔法。

 

 それだけではない。

 

 蛍の旅そのものにも、すでに変化が起きている。

 

「……原作通りには、ならない」

 

 たかふみは小さく呟いた。

 

「どうした?」

 

 蛍が振り返る。

 

「いや……」

 

 たかふみは首を横に振った。

 

「なんでもない」

 

 今ここで、ゲームの話を詳しくする意味はない。

 

 むしろ。

 

 これから先は、自分の知識を過信しないほうがいい。

 

 そう思った。

 

「来ます!」

 

 ジンの声が響く。

 

 トワリンが再び翼を大きく動かした。

 

 アンバーが弓を構える。

 

「私が牽制する!」

 

 矢が放たれた。

 

 風を切り裂きながら、空へ向かって飛んでいく。

 

 蛍も走った。

 

 迫ってくる風圧を避けながら、剣を構える。

 

「はっ!」

 

 身体を捻り、攻撃をかわす。

 

 そのまま踏み込み、蛍が剣を振る。

 

 風元素の力が剣へ集まり、周囲の空気を巻き込んだ。

 

 小さな風の渦が生まれる。

 

「……すごい」

 

 たかふみは思わず呟いた。

 

 ゲームでは何度も見た光景だった。

 

 だが、実際に見ると印象がまるで違う。

 

 剣が空気を切る。

 

 風が渦になる。

 

 その風が周囲のものを巻き込む。

 

 映像として見ていたときには意識していなかった細かな動きまで、今ははっきりと分かる。

 

「おじさん!」

 

「分かってる」

 

 おじさんが前へ出る。

 

 右手を伸ばした。

 

「キライド ルギド リオルラン――光剣顕現」

 

 光が集まった。

 

 空気を切り裂くように、一振りの剣が現れる。

 

 白く輝く刀身。

 

 光の剣。

 

 おじさんはそれを握ると、迫ってきた風圧へ向かって構えた。

 

 しかし、真正面から受け止めることはしなかった。

 

 一歩。

 

 わずかに身体をずらす。

 

 風の中心を避ける。

 

 そのまま流れに沿って踏み込み、剣を振り抜いた。

 

 シュッ!

 

 空気が切り裂かれる。

 

 たかふみは思わず息を呑んだ。

 

 力任せではない。

 

 トワリンの攻撃を真正面から打ち消そうとしているわけでもない。

 

 攻撃の方向を見て。

 

 速度を見て。

 

 避けられるものは避ける。

 

 必要な瞬間だけ、精霊魔法で流れを変える。

 

 そして。

 

 最後に光の剣で反撃する。

 

「これが……」

 

 たかふみは、おじさんの戦い方を見つめる。

 

「十七年……」

 

 グランバハマルで生き残るために身につけた戦い方。

 

 ゲームのように決められた攻撃パターンを覚えるだけではない。

 

 目の前の敵を観察する。

 

 自分が生き残るために必要な行動を考える。

 

 そして、その場で判断する。

 

 それを十七年間、繰り返してきた。

 

 それが、おじさんの強さだった。

 

「たかふみ!」

 

「え?」

 

 蛍の声で我に返った。

 

 目の前に風が迫っている。

 

「下がって!」

 

「うわっ!」

 

 蛍がたかふみの腕を引いた。

 

 直後。

 

 強烈な風が二人の目の前を通り抜けた。

 

「助かった……」

 

「ぼーっとしてると危ないぞ!」

 

 パイモンが怒鳴る。

 

「ご、ごめん!」

 

 たかふみは慌てて周囲を見回した。

 

 戦いは続いている。

 

 アンバーは遠距離から攻撃を続け、ジンとガイアは周囲の状況を確認しながら市民の安全を確保している。

 

 蛍は前線で動き続け、おじさんはトワリンの動きを観察していた。

 

 その光景を見ながら。

 

 たかふみは、ふと奇妙な感覚に襲われた。

 

 知っているはずなのに。

 

 知らない。

 

 見たことがあるはずなのに。

 

 初めて見る。

 

 それは、ゲームの世界を現実にしたからこそ生まれる、どうしようもない違和感だった。

 

「……トワリン」

 

 たかふみは空を見上げた。

 

 巨大な龍は、荒々しく空を舞っている。

 

 その姿だけを見れば、モンドを襲う恐ろしい魔物にしか見えない。

 

 だが。

 

「……あいつ」

 

 おじさんが呟いた。

 

「苦しんでるんじゃないか?」

 

「え?」

 

 たかふみが振り返る。

 

「何言ってるの?」

 

「分からん。ただ……」

 

 おじさんはトワリンの動きを見続けていた。

 

「動きが変だ」

 

「変?」

 

「ああ」

 

 おじさんは光の剣を構えたまま答える。

 

「強い力を持っている。それは間違いない。だが、自分の意思だけで力を制御しているようには見えない」

 

「……」

 

「怒っているというより、何かに振り回されている感じがする」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 たかふみの頭の中に、ゲームで見たストーリーが浮かんだ。

 

 トワリン。

 

 かつてモンドを守った龍。

 

 そして今は、風魔龍と呼ばれている存在。

 

 そこには理由がある。

 

 長い年月。

 

 孤独。

 

 そして、アビスによる干渉。

 

「……そうだ」

 

 たかふみは呟いた。

 

 自分は知っている。

 

 トワリンは、ただモンドを襲いたいから襲っているわけではない。

 

 だが。

 

 それを、この世界の人々は知らない。

 

 そして何より。

 

 今の自分には、ゲームで知った情報を、そのまま現実に当てはめていい保証がない。

 

「……」

 

 たかふみは拳を握った。

 

 ゲームの情報。

 

 それは武器になる。

 

 でも。

 

 絶対的な答えではない。

 

 ここまでの旅で、それは何度も証明されてきた。

 

 おじさんがいる。

 

 精霊魔法がある。

 

 蛍の旅も変化している。

 

 なら。

 

 これから起きることも、ゲームと同じとは限らない。

 

「……だったら」

 

 たかふみは顔を上げた。

 

「俺たちで考えるしかない」

 

「何か言ったか?」

 

 おじさんが聞く。

 

「いや」

 

 たかふみは少しだけ笑った。

 

「もう、攻略情報だけを信じるのはやめようと思って」

 

「最初からゲームじゃないだろ」

 

「そうなんだけどさ……」

 

 たかふみは空を見る。

 

「やっぱり、実際に見ると違うよ」

 

 巨大な龍が空を舞う。

 

 風が街を揺らす。

 

 人々が逃げる。

 

 騎士たちが市民を守る。

 

 蛍が剣を握る。

 

 パイモンが叫ぶ。

 

 そして。

 

 異世界帰りのおじさんが、光の剣を構えている。

 

 この光景は、ゲームのどこにもなかった。

 

 たかふみは改めて思う。

 

 ここから先は。

 

 自分が知っている原神の物語を、そのままなぞるだけではない。

 

 自分たち自身が、その物語の中に入ってしまったのだ。

 

「……トワリン」

 

 たかふみは、もう一度その名前を口にした。

 

 空を舞う巨大な龍は、再び翼を広げた。

 

 その瞬間、強い風がモンドの街を駆け抜ける。

 

 風車が激しく回り、街の旗が大きくはためいた。

 

 人々の叫び声。

 

 騎士たちの指示。

 

 パイモンの声。

 

 そして、龍の咆哮。

 

 すべてが混ざり合い、モンドの空へ響き渡る。

 

 たかふみはその光景を見つめながら、静かに息を吐いた。

 

 ゲームで知っていた世界。

 

 ゲームで知っていた事件。

 

 ゲームで知っていた龍。

 

 そのすべてが、今は現実にある。

 

 けれど。

 

 現実になった瞬間、それはもう攻略情報の中にある出来事ではない。

 

 自分たちが選び。

 

 自分たちが動き。

 

 自分たちで結果を作っていくしかない。

 

 それが。

 

 この世界で旅をするということなのだろう。

 

 たかふみは、剣を握る蛍を見る。

 

 その隣には、おじさんがいる。

 

 そして、空にはトワリンがいる。

 

 風魔龍事件は。

 

 四人の旅を、次の段階へ進める最初の大きな事件となった。

 

 そしてモンドの物語は。

 

 今、本当の意味で動き始めようとしていた。

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