異世界おじさん、原神の世界へ   作:ところてんの

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第9話「風魔龍」

 その日の午後。

 

 モンドの街は、いつもと変わらないように見えた。

 

 広場には人が集まり、商人たちは店を開け、通りでは住民たちが行き交っている。

 

 少し前まで風魔龍の襲撃があったとは思えないほど、穏やかな時間が流れていた。

 

 俺たちも、街の様子を見ながら歩いていた。

 

 昨日、西風騎士団でおじさんの戦闘能力を確認してもらった。

 

 精霊魔法。

 

 光の剣。

 

 そして、それらを組み合わせた戦い方。

 

 騎士団側も、おじさんを完全に信用したわけではない。

 

 それでも、少なくとも敵意がないことくらいは分かってもらえたらしい。

 

 だから今日は、しばらく街の中で待機することになっていた。

 

「平和だな」

 

 俺がそう言った直後だった。

 

 ――ゴォォォォォォッ!

 

「……え?」

 

 突然、強烈な風が吹き抜けた。

 

 街の旗が大きくはためく。

 

 看板が揺れ、店先に置かれていた荷物が転がった。

 

「うわっ!」

 

 思わず腕で顔をかばう。

 

「なんだ、この風!」

 

 パイモンが叫ぶ。

 

 蛍もすぐに空を見上げた。

 

 おじさんも立ち止まり、周囲を確認している。

 

「おじさん?」

 

「……上だ」

 

「上?」

 

 俺も顔を上げた。

 

 そして――。

 

 言葉を失った。

 

 空に巨大な影が浮かんでいた。

 

 いや。

 

 浮かんでいるなんて表現では足りない。

 

 巨大な翼。

 

 長い身体。

 

 空を覆うほどの大きさ。

 

 その姿を見た瞬間、俺には分かった。

 

「……トワリン」

 

 風魔龍。

 

 トワリン。

 

 ゲームの中で何度も見た存在。

 

 モンドを襲う巨大な風の龍。

 

 そして――。

 

 俺たちがこれから巻き込まれる事件の中心。

 

「風魔龍だ!」

 

 誰かが叫んだ。

 

 その声をきっかけに、街中が一気に騒がしくなる。

 

「逃げろ!」

 

「龍が来たぞ!」

 

「建物の中へ!」

 

「子供を先に!」

 

 住民たちが一斉に走り出した。

 

 さっきまでの穏やかな空気が、一瞬で消えた。

 

 俺はその光景を見て、息を呑んだ。

 

 ゲームでは何度も見たイベントだった。

 

 だけど。

 

 実際に見ると、まるで違う。

 

「……怖いよな」

 

 誰に言うでもなく呟いた。

 

 当然だ。

 

 空を覆うほど巨大な龍が街の上空にいる。

 

 そんなものを目の前にして、平気でいられる人間のほうが少ない。

 

 建物が揺れている。

 

 風圧で窓が震えている。

 

 人々は本気で怯えている。

 

 ゲーム画面では、そこまで伝わってこなかった。

 

「たかふみ!」

 

 アンバーが走ってきた。

 

「こっち!」

 

「アンバー!」

 

「住民の避難を手伝って!」

 

「分かった!」

 

 アンバーはすぐに周囲を見渡した。

 

「蛍、パイモンは私と一緒に来て! まず人を安全な場所へ誘導するよ!」

 

「分かった」

 

「任せろ!」

 

 蛍とパイモンがアンバーについていく。

 

 俺も後を追おうとした。

 

 そのとき。

 

「たかふみ」

 

「え?」

 

 おじさんだった。

 

「お前はあっちを見ろ」

 

「何を?」

 

「建物の倒壊。逃げ道が塞がれる可能性がある」

 

「……分かった」

 

 俺は周囲を見渡した。

 

 ゲームだったら、ここで何をするかなんて決まっている。

 

 でも今は違う。

 

 街には人がいる。

 

 建物もある。

 

 逃げ遅れた人間もいる。

 

 なら、まずやることは――。

 

「避難経路の確認か」

 

 俺は走り出した。

 

 街の中央から外側へ向かう道。

 

 人が集中している場所。

 

 倒れそうな建物。

 

 風で飛ばされそうな荷物。

 

 ゲームでは気にもしなかった部分が、今は全部重要に見える。

 

「こっちです!」

 

 アンバーが住民を誘導している。

 

「走らないで! 押さないで! 順番に!」

 

「子供がまだ中にいる!」

 

「私が行きます!」

 

 アンバーが建物へ向かう。

 

 その直後。

 

 空から轟音が響いた。

 

 ――ゴォォォォォォッ!

 

「きゃあああっ!」

 

 強烈な風が街を叩く。

 

 建物の屋根が揺れた。

 

 木箱が飛んでくる。

 

「危ない!」

 

 俺はとっさに身を伏せた。

 

 木箱が頭上を飛んでいく。

 

「マジかよ……!」

 

 ゲームとは違う。

 

 当然だけど、現実の風圧はこんなものじゃない。

 

 怖い。

 

 普通に怖い。

 

 俺は自分が戦闘要員じゃないことを改めて思い知った。

 

 そのときだった。

 

「たかふみ!」

 

 蛍の声。

 

 振り向く。

 

 蛍がこちらへ走ってきていた。

 

「大丈夫?」

 

「俺は大丈夫。そっちは?」

 

「避難は進んでる」

 

「よかった」

 

 蛍は剣を抜いた。

 

 その視線は空へ向いている。

 

「戦う?」

 

「……たぶん」

 

 俺は空を見る。

 

 トワリン。

 

 その巨大な身体が、モンドの上空を旋回している。

 

 ゲームでは、ここから主人公たちが風魔龍を追い、戦いへと進んでいく。

 

 俺もそれを知っている。

 

 知っているけど――。

 

「蛍」

 

「何?」

 

「気をつけて」

 

「分かってる」

 

 蛍は短く答えた。

 

 その顔に、いつもの落ち着きがある。

 

 ゲームのキャラクターとしてではなく。

 

 ここにいる、一人の人間として。

 

 俺はそれを見ていた。

 

「たかふみ!」

 

 今度はおじさんの声。

 

 振り向くと、おじさんが建物の間を歩いていた。

 

 慌てている様子はない。

 

 ただ、周囲を見ている。

 

 人。

 

 建物。

 

 道。

 

 風向き。

 

 逃げ道。

 

 全部を確認しているようだった。

 

「おじさん、何してる?」

 

「防衛するなら、どこを守るか決める必要がある」

 

「防衛?」

 

「ああ」

 

 おじさんは街の外側を見る。

 

「龍が直接街に攻撃しているわけではない。だが、風圧だけでも危険だ」

 

「……」

 

「人が集まる場所を守る」

 

 そして、おじさんは一言だけ言った。

 

「まず人を守る」

 

 そう言って歩き出した。

 

「おじさん!」

 

「なんだ」

 

「どこ行くんだよ!」

 

「危険な場所を確認する」

 

「一人で?」

 

「問題ない」

 

「いや、それが一番問題なんだよ!」

 

 俺も走って追いかける。

 

 おじさんはすでに、風の強い通りへ向かっていた。

 

 途中で倒れかけた看板を見つける。

 

「……」

 

 おじさんが手を伸ばした。

 

 次の瞬間。

 

「ワーグレント マグナ――疾風操作」

 

 風が動いた。

 

 倒れかけていた看板が持ち上がり、建物の壁へゆっくり寄せられる。

 

 危険な場所から取り除かれた。

 

「……こういう使い方もできるんだな」

 

 俺が言うと、おじさんは当然のように答える。

 

「使えるものは使う」

 

「まあ、そうだけど」

 

 おじさんは次の場所へ向かう。

 

 俺も周囲を確認する。

 

 風で飛ばされた荷物。

 

 倒れた木箱。

 

 壊れた看板。

 

 それらが避難の邪魔になっている。

 

「おじさん、あそこ」

 

「分かった」

 

 おじさんが動く。

 

 俺は俺で、人の流れを確認する。

 

 ゲームの知識より、今目の前にある状況を優先する。

 

 それが正しい気がした。

 

 ――でも。

 

 俺は空を見上げる。

 

 トワリンがいる。

 

 やっぱり、同じだ。

 

 ゲームで見た風魔龍。

 

 モンドを襲うトワリン。

 

 そして、この後に起こることも知っている。

 

 たぶん。

 

 俺は「たぶん」と考えて、すぐに訂正した。

 

 違う。

 

 知っているんじゃない。

 

 ゲームでは、そうだった。

 

 それだけだ。

 

 ここでは――。

 

 俺たちがいる。

 

 おじさんがいる。

 

 精霊魔法がある。

 

 蛍もいる。

 

 アンバーたちもいる。

 

 俺が余計なことをしてしまえば、展開が変わるかもしれない。

 

 おじさんが何かをすれば、もっと大きく変わるかもしれない。

 

「……原作通り」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 その言葉に、妙な違和感を覚える。

 

 原作通り。

 

 そんな保証はどこにもない。

 

 俺たちはもう、ゲームには存在しない人間だ。

 

 その時点で、完全に同じ展開になるわけがない。

 

「たかふみ?」

 

 蛍が俺を見る。

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

 俺は首を振った。

 

「なんでもない」

 

「そう」

 

 蛍はそれ以上聞かなかった。

 

 空では、トワリンが再び大きく旋回する。

 

 巨大な翼が風を巻き起こした。

 

「来るぞ!」

 

 アンバーが叫ぶ。

 

「全員、建物の中へ!」

 

 街中に声が響く。

 

 俺も身を低くする。

 

 おじさんはその場に立っていた。

 

「おじさん!」

 

「大丈夫だ」

 

「そういう問題じゃ――」

 

 次の瞬間。

 

 強烈な風が吹き抜けた。

 

「うわあああっ!」

 

 身体が浮きそうになる。

 

 俺は必死に地面へ手をついた。

 

 視界が風で白くなる。

 

 その中で、おじさんだけは立っていた。

 

 精霊魔法を使って風を制御している。

 

 それでも、完全に止めることはできない。

 

「……さすがに、これは強いな」

 

 おじさんが呟いた。

 

「おじさんでも?」

 

「風そのものが大きい」

 

「だよな……!」

 

 トワリンが飛び去っていく。

 

 風が少しずつ弱まる。

 

 俺は顔を上げた。

 

 街は無事だった。

 

 大きな被害はない。

 

 だけど、住民たちはまだ怯えている。

 

 泣いている子供もいる。

 

 壊れた店を見て呆然としている人もいる。

 

 俺は、その光景を見ていた。

 

 ゲームでは、イベントの一つだった。

 

 映像が流れて。

 

 敵が現れて。

 

 戦闘が始まって。

 

 そして次の場面へ進んでいく。

 

 でも、ここでは違う。

 

 人がいる。

 

 生活がある。

 

 守らなければならないものがある。

 

「……ゲームじゃないんだな」

 

 俺は小さく呟いた。

 

「最初からそうだろ」

 

 おじさんが答える。

 

「分かってるよ」

 

「ならいい」

 

 おじさんは街を見渡した。

 

「まだ来るかもしれない」

 

「……うん」

 

 俺も空を見る。

 

 トワリンの姿は、もう見えない。

 

 だけど、これで終わったとは思えなかった。

 

 むしろ――。

 

 始まったばかりだ。

 

 ゲームで知っている事件。

 

 風魔龍。

 

 モンドの危機。

 

 そして、その先にある戦い。

 

 俺は知っている。

 

 でも、もう「ゲームと同じだから大丈夫」とは思えない。

 

 何が起こるか分からない。

 

 何が変わるかも分からない。

 

 だからこそ。

 

 俺は、自分にできることを考える。

 

 戦うのは蛍やおじさん。

 

 避難や救助はアンバーたち。

 

 俺は周囲を見て、必要な情報を伝える。

 

 それでいい。

 

「たかふみ」

 

「ん?」

 

 おじさんがこちらを見る。

 

「行くぞ」

 

「どこへ?」

 

「騎士団だ」

 

「……そうだな」

 

 風魔龍の襲撃。

 

 ただの偶然じゃない。

 

 これから、モンドで何かが起こる。

 

 俺たちはその中心に巻き込まれていくことになる。

 

 ゲームで知っていた事件が。

 

 今度は、俺たち自身の目の前で始まった。

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