第四機動隊が現場へ到着したのは、最初の交通機動隊員が「国籍不明AS」を本庁へ報告してから、ほぼ五十分後だった。
東京湾、お台場港湾地区。
夜の海には、異様な静けさが漂っていた。
停泊している巨大タンカー。その周囲にはすでに所轄署、交通機動隊、警備担当のパトカーが集まり、岸壁から一般車両を遠ざけるための規制線が幾重にも張られていた。
赤色灯が回り続けている。
だが誰も、タンカーへ近づこうとはしない。
近づけない。
理由は単純だった。
岸壁とタンカーの間に、一機のASが立っていたからだ。
M9ガーンズバック。
ミスリルが運用する第三世代AS。
その存在を知らない警察官たちには、ただの「国籍不明の軍用人型機」にしか見えない。
M9は動かなかった。
武器を警察へ向けてもいない。
だが、交通機動隊がタンカーへ接近しようとすれば、ほんの数歩位置を変える。
それだけで十分だった。
八メートル級の巨体が道路を塞げば、パトカーではどうにもならない。
だから現場の警察官たちは、遠巻きに包囲するしかなかった。
そこへ。
遠くから、新しいサイレンが響いてきた。
最初は一つ。
それが二つ。
三つ。
やがて、低く重いディーゼルエンジンの唸りまで混ざった。
交通機動隊員の一人が振り返る。
「来たぞ」
道路の向こう。
赤色灯の列が現れた。
普通のパトカーではない。
先頭を走るのは指揮車。
その後ろに大型輸送車。
さらに、人員輸送用の大型警備車。
装備運搬車。
そして――
特型警備車。
青白の巨大な車体。
窓には防護金網。
車体そのものが、盾のように頑丈に造られている。
さらに後方。
大型の放水警備車。
屋根上に放水銃を備えた巨体が、ゆっくりと港湾道路へ入ってくる。
何台も。
何台も。
第四機動隊。
警視庁警備部の機動隊の中でも、実力部隊として知られる一隊。
赤色灯の光が増えるたび、岸壁の景色そのものが変わっていく。
それまで「数台の警察車両が巨大ロボットを見張っている」という頼りない光景だった場所が、わずか数十秒で、本格的な警備作戦の現場へ変貌していった。
交通機動隊の中年警察官が、その車列を見て呟く。
「……鬼の四機だ」
隣にいた若い警察官が振り返る。
「え?」
その直後。
先頭の指揮車が停止した。
ドアが開く。
ブーツがアスファルトを踏んだ。
降りてきたのは、一人の若い女性警視だった。
黒いヘルメット。
濃紺の機動隊活動服。
防護ベスト。
無線機。
腰には警棒と拳銃。
手には伸ばされた指揮棒。
白峰あかね。
第四機動隊隊長。
二十六歳。
彼女は降車すると、まずタンカーを見た。
次にM9。
そして警察車両の配置。
一般人の退避状況。
周囲の建物。
岸壁。
海。
わずか数秒だった。
しかし、その数秒で白峰は現場全体を頭の中へ叩き込んでいた。
背後から矢崎副隊長が降りてくる。
「隊長」
白峰は答えない。
指揮棒を前へ向けた。
そして。
鋭い声が響いた。
「降車!」
大型警備車の扉が、一斉に開いた。
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
隊員たちが飛び降りる。
「展開!」
その一言で第四機動隊が動いた。
盾を持った隊員。
防護装備の隊員。
通信担当。
救護班。
規制班。
それぞれが走る。
だが無秩序ではない。
次々と所定の位置へ入る。
「第一小隊、正面!」
「了解!」
「第二小隊、右側岸壁を押さえて!」
「了解!」
「第三小隊、避難経路確保!」
「了解!」
「了解!」
白峰の指揮棒が右へ動く。
部隊が右へ流れる。
左へ向ける。
別の隊が展開する。
特型警備車がゆっくり進み、M9と人間の警察官との間に位置する。
放水車は後方。
輸送車両はさらに離れた場所へ。
まるで一つの生物だった。
数十人の人間が、白峰あかねの指揮棒一本で、一つの巨大な組織として動いていく。
交通機動隊員が、その光景を見ながら息を吐いた。
「来やがった……」
そして。
少しだけ安心したように。
「鬼の姫君が来た」
その言葉は。
誰にも聞こえないほど小さかった。
――普通なら。
だが。
普通ではない耳を持っている者がいた。
M9ガーンズバック。
コックピット。
メリッサ・マオ曹長。
彼女は周辺監視システムを起動していた。
光学。
赤外線。
レーザー。
音響。
M9の高性能センサーは、ASの周囲に存在する微細な音まで拾っていた。
警察無線。
エンジン音。
サイレン。
警察官同士の会話。
そして。
「鬼の姫君が来た」
その声も。
マオのヘッドセットへ明瞭に入ってきた。
マオは眉を上げた。
「……ん?」
少し間。
「デーモン・プリンセス?」
英語に置き換えてしまった。
「何よ、それ」
思わずモニターを拡大する。
第四機動隊の指揮車。
その前。
小柄な女性警察官。
マオが呟く。
「……あの子?」
さらにズーム。
白峰あかね。
年齢は明らかに若い。
少なくともマオが想像していた「鬼」とは程遠い。
角はない。
牙もない。
普通の日本人女性にしか見えない。
ただ。
目だけが違った。
その視線。
落ち着き。
巨大なASを目の前にしているにもかかわらず、ほとんど動揺していない。
マオは僅かに感心する。
「へえ……」
その時。
岸壁の別地点。
応援に駆り出された所轄署員たちの中に、一人の新人巡査がいた。
二十歳そこそこ。
警察学校を卒業して、まだ半年も経っていない。
彼は第四機動隊の展開を呆然と眺めていた。
そして。
隣にいた巡査長へ小声で訊く。
「先輩」
「なんだ」
「今、交通機動隊の人が言ってたんですけど」
「何を?」
「鬼の姫君って……?」
巡査長が新人を見る。
そして。
「ああ」
少し苦笑する。
「お前、まだ知らなかったな」
「有名なんですか?」
「有名も何も」
巡査長は指揮車の前に立つ白峰を顎で示した。
「あれが白峰あかね警視」
新人。
「警視……」
若い。
あまりにも若い。
自分と十歳も違わないように見える。
その女性が、数十人の完全装備の機動隊員を動かしている。
巡査長は続ける。
「第四機動隊隊長。通称――鬼の姫君」
「鬼の姫君……」
新人はもう一度白峰を見る。
巡査長。
「親父さんも機動隊」
「はい」
「爺さんも第四機動隊」
「三代ですか?」
「ああ」
巡査長の表情が少し変わる。
「爺さんは、あさま山荘事件で殉職してる」
新人の表情も変わった。
警察官なら知らない者はいない事件。
極寒の山荘。
鉄球。
放水。
銃撃。
長時間の攻防。
警察史に残る大事件。
「……殉職」
「ああ」
巡査長はM9を見ながら続ける。
「第四機動隊自体、昔から“鬼の四機”って呼ばれることがある」
「鬼の四機……」
「そこに三代目が来た」
少し笑う。
「だから鬼の姫君」
新人。
「本人は、その呼び名……」
「たぶん嫌がってる」
「でしょうね」
「でも現場じゃ定着しちまった」
新人はもう一度白峰を見る。
ちょうど白峰が指揮棒を上げた。
「第一線、前進5メートル!」
盾列が進む。
ザッ。
全員が同時に前へ出る。
M9との距離を詰める。
その会話も。
M9は拾っていた。
マオは腕を組む。
「……なるほどね」
デーモン・プリンセス。
単なる物騒なあだ名かと思った。
だが背景を聞けば意味が違う。
祖父。
父。
第四機動隊。
そして自分自身も、その隊を率いている。
マオは白峰を見る。
「三代目……か」
少しだけ笑う。
「宗介が聞いたら好きそうな話ね」
その頃。
タンカー内部。
相良宗介は走っていた。
千鳥かなめ。
テレサ・テスタロッサ。
そして彼らを取り巻く状況は、警察が想像しているより遥かに危険だった。
A21。
そして。
ベヘモス。
通常のASとは桁が違う巨大機。
ラムダ・ドライバを搭載した異形の兵器。
宗介の意識は当然、そこへ集中していた。
だが。
M9を通じてマオから入った通信に、宗介が一瞬反応する。
『ウルズ7、聞こえる?』
「こちらウルズ7」
『外がちょっと面白いことになってる』
宗介の眉が動く。
「状況を報告してくれ」
『日本の警察が本格的に来たわ』
「規模は?」
『かなり大きい。たぶん機動隊ね』
かなめが横から言う。
「機動隊!?」
宗介。
「当然だ」
かなめ。
「当然って!」
「銃器及びASが関係している可能性がある。警察が対応部隊を投入するのは合理的だ」
かなめ。
「そういう問題!?」
マオ。
『それでね』
宗介。
「何だ」
『指揮官が若い女の子』
宗介。
「……それが?」
『デーモン・プリンセス』
宗介が止まりかける。
「……何?」
かなめ。
「何それ?」
テッサまで首を傾げる。
「デーモン……プリンセス?」
マオ。
『日本語では“鬼の姫君”らしいわ』
かなめ。
「何その漫画みたいなあだ名!?」
宗介は真顔だった。
「強力な戦闘指揮官であることを示す呼称かもしれない」
かなめ。
「絶対違う!」
マオが説明する。
『祖父も父親も同じ機動隊だったみたい。祖父は任務中に殉職。本人も隊長』
宗介の表情が少し変わった。
ふざけていた空気が消える。
「……そうか」
かなめが宗介を見る。
宗介は短く言う。
「筋金入りだな」
かなめ。
「そこ?」
「三代にわたり同じ部隊で勤務することは、それだけで容易ではない」
テッサも静かに言う。
「責任の重い方なのでしょうね」
マオ。
『かなりね』
そして。
『目の前に私のM9がいるのに、一歩も下がらない』
宗介の顔が僅かに険しくなる。
「マオ」
『分かってる』
「警察を刺激するな」
『誰に言ってるのよ』
「火器を向けるな。急激な機動も避けろ」
『了解』
かなめ。
「でも宗介」
「何だ」
「警察、あんたたちのこと敵だと思ってるんじゃない?」
宗介。
「可能性は高い」
かなめ。
「高いじゃないわよ!」
「現時点でこちらの身元を明かすわけにはいかない」
「だからって!」
テッサが静かに言う。
「でも、警察が来たこと自体は悪いことではありません」
かなめ。
「え?」
「一般の方々を遠ざけてもらえます」
宗介が頷く。
「肯定だ」
ベヘモスが起動すれば。
この一帯は戦場になる。
その事実を。
宗介も。
テッサも。
よく理解していた。
そして。
その危険を最も早く感じ取っていた別の集団がいる。
A21。
タンカー内部。
警戒中のA21メンバーが、監視カメラ映像を確認していた。
一人が声を上げる。
「警察が増えた!」
別の男。
「何人だ?」
「分からない!」
画面。
盾列。
大型車両。
放水車。
特型警備車。
そして次々と展開する機動隊員。
「普通の警官じゃない」
「機動隊だ!」
「くそっ……」
A21の一人が机を殴る。
「どうしてここまで早い!」
別のメンバーが吐き捨てる。
「外のASのせいだ!」
「ミスリルか?」
「分からない!」
彼らにとって最悪なのは。
警察そのものではなかった。
警察が状況を把握し始めていることだった。
時間が経てば。
警察だけでは済まない。
自衛隊。
海上保安庁。
さらに政府。
次々と介入してくる。
A21側の一人がモニターを睨む。
「これ以上包囲されたら動けないぞ」
「ベヘモスを起動すればいい」
その言葉。
室内が静かになる。
誰もが分かっている。
ベヘモス。
そのためにここまで来た。
常識外れの巨体。
常識外れの火力。
そしてラムダ・ドライバ。
警察の盾列など、問題ではない。
普通なら。
だが。
画面の中。
白峰あかねは退かなかった。
彼女はM9を見る。
巨大な未知の兵器。
しかし。
白峰の頭の中では既に別の計算が始まっていた。
「矢崎副隊長」
「はい」
「正面隊、これ以上近づけないでください」
「了解」
「M9――仮称対象ASは、現時点で警察官への攻撃行動なし」
「はい」
「挑発しません」
白峰は指揮棒を下げる。
「ただし」
視線がタンカーへ移る。
「問題は、あれじゃない」
矢崎。
「タンカーですか」
「ええ」
白峰の目が細くなる。
「ASが警察を攻撃せず、わざわざタンカーへの接近だけを妨害している」
「……」
「つまり」
白峰は静かに言う。
「見られたくない何かがある」
矢崎の表情が変わる。
「中で何か起きている」
「可能性が高い」
白峰。
「本庁へ。」
「海保にもタンカー周辺海域の封鎖を要請」
「了解」
その言葉を。
M9のマオも拾っていた。
マオは小さく口笛を吹く。
「……やるじゃない」
未知の機械を見ても。
すぐ撃とうとしない。
怯えて逃げもしない。
まず市民を遠ざけ。
負傷者。
海側への逃走。への警戒
いくつもの可能性を同時に準備している。
マオはモニターの中の白峰を見る。
「鬼の姫君、ね」
さっきとは違う口調だった。
少し。
納得している。
「悪くないあだ名じゃない」
だがASはM9だけでなかった遥かに巨大なものがいることにあかねたちはまだ気がついていなかった