蒼穹の天駆翔 ~Learning to Fly~ 作:佐伯明人
測定のない放課後。
しょうは図書室にいた。
机の上には数学の教科書とノート。
その横に、借りてきた参考書。
IS関連の本は一冊もない。
「ここ、いい?」
声に顔を上げる。
箒だった。
「どうぞ」
向かいの席に座る。
箒の手には数冊の本がある。
しょうが表紙を見る。
IS基礎理論。
近接戦闘概論。
もう一冊は剣道の本。
「勉強?」
「一応な」
箒は本を置く。
「クラス代表になった以上、何も知らないでは済まない」
「大変ですね」
「高瀬は数学か」
「宿題」
「明日までだったか?」
「明後日」
箒が少し止まる。
「早いな」
「今日暇だから」
「なるほど」
二人とも本を開く。
しばらく会話はなかった。
紙をめくる音。
鉛筆の音。
遠くで椅子を引く音。
十分ほどして、箒が本から顔を上げた。
「高瀬」
「はい」
「お前は、なぜ専攻科を受けた?」
しょうの鉛筆が止まる。
「なんで?」
「いや」
箒は自分の本を見る。
「少し気になっただけだ」
しょうは考える。
「ISに乗ってみたかったから」
「それだけか?」
「それだけじゃ駄目ですか?」
「そういう意味ではない」
箒は少し困る。
「もっと明確な理由があるのかと思った」
「箒さんは?」
今度は箒が止まった。
「私は……」
答えかける。
やめる。
「色々だ」
しょうは待つ。
箒は続けない。
「そうですか」
それで終わった。
箒が少しだけしょうを見る。
「聞かないのか」
「色々なんですよね?」
「ああ」
「じゃあ色々なんだと思って」
箒は何とも言えない顔をした。
しょうは数学へ戻る。
「……お前、一夏と少し似ているな」
「そうですか?」
「今のは忘れろ」
「はい」
また静かになった。
***
同じ頃。
第一アリーナ。
一夏は逃げていた。
「うおっ!」
横を訓練弾が通過する。
白式を傾ける。
次。
下。
上昇。
「遅い!」
千冬の声。
「撃ちながら言うな!」
「敵は待たんと言っただろう!」
「これ模擬戦の練習だよな!?」
「そうだ!」
「俺だけ武器ないぞ!」
「回避訓練だからな!」
訓練弾。
一夏が急旋回。
避ける。
姿勢が崩れる。
戻す。
次が来る。
「多い!」
「敵に言え!」
「先生が敵だろ!」
白式が上昇。
一夏は息を整える。
昨日までとは違う。
攻撃しなくていい。
だから楽。
そう思っていたのは最初の五分だけだった。
避け続ける。
それだけで疲れる。
飛べばエネルギーを使う。
急加速すればもっと使う。
急旋回。
減速。
再加速。
表示される数字が少しずつ減っていく。
「財布……!」
「喋る余裕があるな!」
「ない!」
次。
一夏は避ける。
今度は大きく動かない。
少しだけ軌道をずらす。
訓練弾が通過。
「今のは?」
千冬から声。
「避けた!」
「見れば分かる。なぜ小さく避けた」
「大きく動くと戻るの面倒だから!」
一瞬。
千冬から返事がない。
「……何?」
「続けろ」
「はい!」
また弾が来る。
***
第二アリーナ。
青い光が空中を走る。
セシリアはブルー・ティアーズを展開していた。
周囲には四基のビット。
標的。
一基が動く。
射撃。
別方向。
二基。
射撃。
本体も移動。
止まらない。
一つの標的へ集中しない。
複数の視線。
複数の射線。
それでも全てが同時に自由に動くわけではない。
セシリアの目が動く。
本体。
ビット。
標的。
射撃。
回避。
次。
「終了」
管制から声。
セシリアが動きを止める。
ビットが戻る。
着地。
記録を見る。
命中率。
制御精度。
反応。
「……少し落ちましたわね」
『後半ですね』
「原因は?」
『ビット二基同時制御時に本体側の回避が遅れています』
「分かりましたわ」
セシリアは記録を保存する。
模擬戦の相手は初心者。
だからといって、自分まで初心者になるわけではない。
普段通り。
必要な訓練をする。
それだけ。
「もう一度お願いしますわ」
『休憩を挟んでください』
「まだ――」
言いかける。
止まる。
先日の講義を思い出した。
使えるものは全部、使えば減る。
「……十分休みます」
『了解』
セシリアはブルー・ティアーズを解除した。
***
その日の夕方。
技術棟。
佐伯は一人で昨日のデータを見直していた。
しょうの記録。
三機の訓練機。
ほぼ同じ傾向。
画面の端に、一夏の白式の調整記録も開いている。
本来は別件だった。
白式の初期運用データ。
訓練機との差。
専用機による個人最適化。
佐伯の視線が止まる。
「……比較できるか」
二つの画面を並べる。
一夏。
しょう。
意味のある比較ではない。
一方は専用機。
一方は訓練機。
操縦者も違う。
機体も違う。
条件も違う。
そのまま数字を比べても意味はない。
佐伯は画面を閉じようとした。
止まる。
「逆か」
数字そのものを比べる必要はない。
見るべきなのは差。
訓練機から専用機へ移った一夏に、何が起きたか。
白式初装着時。
一夏の発言。
――訓練機より、自分が動いてる感じがする。
個人へ合わせた機体。
標準機ではない環境。
そこで応答はどう変化したか。
佐伯はデータを呼び出す。
「……やっぱり変わる」
当然だった。
専用機は搭乗者に最適化される。
学習する。
馴染む。
訓練機とは違う。
では。
しょうを個人最適化された環境へ置いたら。
あの数字はどうなる。
短くなるのか。
変わらないのか。
あるいは。
「そこから先は測らないと分からない、か」
佐伯は椅子へ背を預ける。
昨日、千冬が言った。
専用環境が必要になる条件を決めておけ。
専用機を作れとは言っていない。
まだ早い。
佐伯は新しい資料を開いた。
題名。
『高瀬しょう 継続測定計画』
その下。
目的。
標準訓練機における応答特性の再現性確認。
疲労との相関。
稼働時間との関係。
個体差の排除。
そして最後。
『個人最適化環境における比較測定の必要性評価』
佐伯は保存した。
***
翌日の専門実習。
一年一組は二人一組で基本動作の確認をしていた。
しょうの相手は箒だった。
「行くぞ」
「はい」
箒が訓練刀を構える。
攻撃ではない。
決められた軌道で振る。
しょうが避ける。
一歩。
「次」
もう一度。
しょうが避ける。
「次」
少し速く。
避ける。
箒の手が止まる。
「高瀬」
「はい」
「もう少し早く動けるか」
「たぶん」
「やってみろ」
箒が振る。
しょうが動く。
速い。
「……もう一度」
振る。
動く。
「もう一度」
「篠ノ之」
千冬の声が飛ぶ。
「勝手に課題を変えるな」
「すみません」
箒が刀を下ろす。
しょうも戻る。
「何かあった?」
しょうが聞く。
箒は少し考える。
「いや」
「そうですか」
「ただ」
箒はしょうを見る。
「お前、避けるのが早いな」
「そう?」
「自覚がないのか」
「測定でも似たこと言われました」
「測定?」
「反応が早いって」
箒が少し眉を寄せる。
「身体の?」
「ISの」
「どう違う」
「分かりません」
箒も分からなかった。
「再開しろ」
千冬。
「はい」
二人が構える。
***
実習後。
千冬は管制室へ上がった。
佐伯がいる。
「見ていたか」
「はい」
「篠ノ之が気づいた」
「そのうち誰かは気づきます」
佐伯は記録を表示する。
「ただ、見た目だけなら『反応がいい』で終わる程度です」
「実際には?」
「昨日までと同じ」
千冬は画面を見る。
「今日の条件でも出たか」
「はい」
「何回目だ」
「数えます?」
「いい」
千冬は腕を組む。
「誤差ではないな」
「僕ももう、その前提で考えています」
「危険性は」
「今のところ直接は」
「今のところ」
「そこが嫌なんですよ」
佐伯は別の記録を出す。
しょうの稼働時間。
「反応が早い。それ自体は便利です」
「だろうな」
「でも、機体が本人についてくるから、本人も止まる理由が減る」
千冬が佐伯を見る。
「どういう意味だ」
「普通は疲れてくれば操作も乱れる。機体の反応についていけなくなる。そこで本人も『今日は駄目だ』と気づく」
「高瀬は?」
「今のところ、応答特性がほとんど崩れない」
佐伯は波形を示す。
「少なくとも、本人が『まだ飛べる』と言っている間は」
「限界が見えにくい」
「そういう可能性があります」
千冬の表情が変わる。
「なら時間で切れ」
「もう切ってます」
「さらに短くするか」
「それも選択肢です」
佐伯は続ける。
「でも、ずっとそれだけでいいのかは別問題です」
「専用環境か」
「はい」
佐伯は昨日作った資料を開く。
千冬が読む。
「まだ専用機とは書いていないな」
「書けませんよ」
「なぜ」
「機体を作る理由がまだない」
千冬が資料から目を上げる。
「測定だけなら訓練機でできる」
「はい」
「安全管理も時間制限でできる」
「今は」
「なら作れんな」
「作れません」
二人とも同じ結論だった。
佐伯は画面を見る。
「ただし」
「なんだ」
「訓練機で測れない領域へ高瀬さんが行ったら、話が変わります」
「例えば」
「機体側が先に限界へ近づくとか」
千冬の視線が鋭くなる。
「あり得るのか」
「分かりません」
佐伯はいつものように答えた。
「だから、次はそこを見ます」
***
数日後。
第三アリーナ。
しょうは訓練機で飛んでいた。
今日の測定は長い。
速く飛ぶ必要はない。
決められた航路を一定速度で回る。
一周。
二周。
三周。
「体調は?」
『大丈夫です』
「疲労は?」
『少し』
「続けられる?」
『はい』
「じゃあ次の一周で休憩」
『分かりました』
佐伯は時計を見る。
無理はさせない。
限界を見るために限界まで飛ばすようなことはしない。
それでも必要なデータは取れる。
しょうが旋回する。
四周目。
「……ん?」
スタッフが画面を見る。
「どうした」
「出力補正が増えてます」
佐伯が確認する。
僅か。
誤差にも見える。
「機体温度は?」
「正常」
「エネルギー」
「範囲内」
しょうは飛んでいる。
見た目には何も変わらない。
「高瀬さん」
『はい』
「何か違和感ある?」
『ないです』
「予定変更。そこで降りて」
『一周まだですけど』
「いいから降りて」
『はい』
しょうが下降する。
着地。
その瞬間。
一つの数字が跳ねた。
佐伯が見る。
応答補正。
一瞬だけ、標準域の上限を越えている。
「記録止めないで」
スタッフの手が動く。
しょうが訓練機を解除する。
「何かあった?」
管制室へ上がってきたしょうが聞く。
「今調べてる」
佐伯は答える。
「体は?」
「普通です」
「手、震えてない?」
しょうが両手を見る。
「ないです」
「頭痛」
「ない」
「気持ち悪い」
「ないです」
佐伯は頷く。
「今日はもう乗らない」
「はい」
しょうはスポーツドリンクを受け取る。
「悪い数字?」
佐伯は画面を見る。
「まだ分からない」
しょうはそれ以上聞かなかった。
***
しょうが帰ったあと。
訓練機は格納庫へ送られた。
整備班が調べる。
佐伯も立ち会う。
「異常なし」
整備員が言う。
「ログは?」
「残ってます」
「機体保護側の補正?」
「動いてます。ただ……」
整備員が記録を拡大する。
「操縦入力に追従するための補正量が一時的に増えています」
「本人が急操作した?」
「してません」
佐伯はしょうの入力記録と重ねる。
一定航路。
一定速度。
特別な操作はない。
それなのに機体側が補正している。
「訓練機が遅れ始めた?」
誰かが言う。
佐伯はすぐには答えなかった。
その言い方はまだ早い。
だが。
今まで見ていたのは、しょうに対して機体がどれだけ早く応答するかだった。
今日初めて、逆側の数字が動いた。
しょうは変わっていない。
訓練機が合わせるために働いた。
「……機体を替えて再測定」
佐伯が言う。
「同条件?」
「いや」
少し考える。
「次は短時間。絶対に疲労を重ねない」
「了解」
「それと、この機体は他の生徒に戻す前に全系統確認」
「分かりました」
佐伯は記録を保存する。
***
夜。
千冬の端末に一件の報告が届いた。
送信者。
佐伯。
件名。
『高瀬しょう継続測定・追加所見』
千冬は開く。
読み進める。
最後の一文で止まった。
『標準訓練機側の追従補正増加を初観測。現時点では単発事象につき、異常とは断定しない』
その下。
『再現した場合、標準訓練機による長期運用の妥当性を再検討する』
千冬はしばらく画面を見る。
閉じる。
机の上には、別の資料があった。
一夏とセシリアの模擬戦実施案。
白式の訓練記録。
ブルー・ティアーズの既存データ。
千冬はそちらを開く。
学園では、いくつものことが同時に進んでいる。
一夏は戦うための基礎を覚え始めた。
箒はクラス代表として訓練を始めた。
セシリアはいつも通り、自分の技術を磨いている。
そしてしょうは。
本人が何もしていないところで、訓練機の方が一つ、基準から外れた。
千冬は模擬戦の日程表へ視線を戻した。
今日はここまでです
分からない部分があれば、素直に質問してくださいね笑