蒼穹の天駆翔 ~Learning to Fly~ 作:sho_greenhouse
翌日。
第三アリーナ。
しょうは訓練機を装着していた。
目を閉じる。
ドローンが二機。
昨日と同じ。
「始めるよ」
『はい』
翻訳試験系。
起動。
右。
左。
「どこ?」
少し間。
『右と左』
ドローンが動く。
右側の一機が前へ。
左側の一機が後ろへ。
「今は?」
『右前と、左後ろ』
「了解」
佐伯は記録する。
反応時間。
昨日とほぼ同じ。
「じゃあ次」
二機が動く。
互いに近づく。
中央。
交差。
左右が入れ替わる。
「どこ?」
しょうが黙る。
『……右と左』
「どっちがさっき右にいた方?」
長い沈黙。
『分からない』
「了解」
もう一度。
交差。
「どっち?」
『分かりません』
管制室。
技術者が頷く。
「昨日と同じですね」
「うん」
位置は分かる。
二つあることも分かる。
でも。
どちらがどちらだったかは分からない。
「じゃあ識別入れる」
***
画面。
対象A。
対象B。
訓練機側では以前から識別できている。
機体にとって二機は最初から別のもの。
ただ。
翻訳試験系では、その情報を渡していなかった。
「高瀬さん」
『はい』
「今から二つに名前つける」
『名前?』
「AとB」
『名前なの?』
「記号かな」
『どっちがA?』
「今、右にいる方」
『じゃあ右がA』
「今はね」
『今は?』
「動くから」
『ああ』
翻訳試験系。
識別情報。
追加。
「始めるよ」
『はい』
A。
右。
B。
左。
「Aは?」
『右』
「B」
『左』
移動。
Aが左へ。
Bが右へ。
「A」
少し間。
『左』
「B」
『右』
技術者が画面を見る。
もう一度。
交差。
A。
右後方。
B。
左前方。
「A」
『右後ろ』
「B」
『左前』
佐伯は何も言わない。
試行を続ける。
***
十回。
二十回。
間に休憩。
識別あり。
識別なし。
条件を入れ替える。
しょうには、いつ切り替えたか伝えない。
識別なし。
交差。
「さっき右にいた方」
『……分からない』
識別あり。
交差。
「A」
『左』
識別なし。
「一つ目」
『どれ?』
識別あり。
「B」
『右後ろ』
結果が並ぶ。
技術者が腕を組む。
「差、出ましたね」
「出たね」
対象数は同じ。
方向情報も同じ。
変えたのは。
機体側が持つ個体識別情報を、翻訳試験系へ通したかどうか。
「高瀬さん」
佐伯が通信を開く。
『はい』
「疲れた?」
『ちょっと』
「昨日より?」
しょうが考える。
『同じくらい?』
「AとBがある時と、ない時は?」
『AとBがある方が楽』
「どうして?」
『どっちか分かるから』
「Aって見える?」
『見えない』
「聞こえる?」
『聞こえない』
「じゃあ、どうやってAって分かる?」
沈黙。
『Aだから』
管制室。
技術者が吹き出した。
佐伯は額を押さえる。
「そうなるよね」
『変?』
「変じゃない」
『じゃあ何?』
「説明する側が困ってる」
『頑張って』
「他人事だなあ」
***
休憩。
しょうが管制室へ来る。
机の上に二つの小さな模型。
佐伯が置いた。
「これ」
片方を指す。
「A」
もう片方。
「B」
「はい」
模型を左右に置く。
「Aは?」
しょうが指す。
「こっち」
入れ替える。
「A」
「こっち」
「なんで?」
「今、見てたから」
「そうだね」
佐伯が笑う。
「じゃあISの中では?」
しょうは考える。
「見てない」
「うん」
「でもAはA」
「そうなんだよね」
佐伯は模型を持ち上げる。
「昨日まで僕らは」
Aを右へ置く。
「右に何かいる」
Bを左。
「左にも何かいる」
「うん」
「それを高瀬さんに渡してた」
二つを入れ替える。
「だから位置が変わると」
「どっちか分からない」
「そう」
今度は模型の上に紙を置く。
A。
B。
「今日は」
模型を入れ替える。
「右にAがいる」
「左にBがいる」
「そういう情報も渡した」
しょうが少し考える。
「名前まで翻訳した?」
佐伯が止まる。
「名前」
「Aって」
「……そう言ってもいいのかな」
技術者が横から言う。
「識別情報です」
しょうがそちらを見る。
「難しくなった」
「技術用語なので」
佐伯が笑う。
「高瀬さんの言い方なら、名前でもいい」
「じゃあ名前」
「ただし」
佐伯はAの紙を外す。
「本当に文字のAを感じてるわけじゃない」
「うん」
「この子がこの子だっていう区別」
しょうが模型を見る。
「人と同じ?」
「人?」
「佐伯先生が右に行っても左に行っても、佐伯先生」
佐伯が止まる。
「……そういうこと」
「じゃあ簡単」
「説明はね」
***
放課後。
セシリアが技術棟へ来た。
今度は「たまたま」とは言わなかった。
「どうでした?」
「結果出たよ」
佐伯が画面を見せる。
識別なし。
識別あり。
セシリアは数値を見る。
「やはり」
「予想してた?」
「そこまでではありません」
「でも驚かない」
「当然ですもの」
佐伯が笑う。
「またそれ?」
セシリアは画面上のAを見る。
「一基目は、右にあるから一基目なのではありません」
「うん」
「左へ移動しても一基目」
「うん」
「わたくしの後ろへ行っても一基目」
「うん」
「見失っても」
少し止まる。
「機体側が認識している限り、一基目でしょう」
佐伯がその言葉を見る。
「機体側が認識している限り」
「何か?」
「いや」
記録に残す。
セシリアが見る。
「高瀬さんは?」
「AとBがある方が楽だったって」
「でしょうね」
「本人曰く、AはAだから」
セシリアが少し笑う。
「その通りではありませんの」
「技術者はそれじゃ困るんだよ」
「大変ですわね」
***
会議室。
夕方。
しょうはいない。
セシリアも帰った。
画面には今日の結果。
『対象位置情報』
その下。
『対象識別情報』
佐伯がホワイトボードへ書く。
「昨日までは」
対象。
座標。
方向。
距離。
「物がどこにあるかを翻訳してると思ってた」
技術者が頷く。
「今日は?」
「何がそこにあるか、も通せた」
「対象情報?」
「そう」
「でもAという文字じゃない」
「うん」
「識別子そのもの?」
「たぶん」
別の技術者が言う。
「だったら翻訳層って、センサー情報を感覚に変えてるだけじゃないですね」
佐伯が見る。
「そうなる」
「機体が内部で持っている対象モデルの一部を、操縦者側へ渡してる?」
沈黙。
佐伯はすぐには書かない。
「まだそこまで言わない」
「でも」
「今日分かったのは」
画面を指す。
「位置が変わっても、同じ対象として区別できた」
それだけ。
「一回で世界を広げない」
「はいはい」
「大事だから」
***
設計資料。
翻訳試験系・02。
結果。
『対象識別情報付加時、移動後も対象の継続識別が可能』
備考。
『操縦者は識別情報を文字・音声等として知覚していない』
その下。
本人聞き取り。
『AはAだから』
技術者が見る。
「これ残すんです?」
「残す」
佐伯。
「本人の表現も一次記録だから」
「設計書ですよ」
「実験記録も兼ねてる」
「後で絶対誰か困りますよ」
「その時は翻訳して」
保存。
***
翌日。
昼休み。
しょうは一夏たちと食事をしていた。
「で」
一夏が聞く。
「昨日は何を翻訳した?」
「AとB」
「英語じゃん」
「またそれ?」
「今度こそ英語だろ」
「違う」
箒が聞く。
「何をしたんだ」
しょうが考える。
「二つあるものが」
箸を二本取る。
右。
左。
「こっちとこっちにいて」
入れ替える。
「こうなっても」
一方を指す。
「こっちはこっち」
一夏が黙る。
箒も。
「……当たり前じゃないか?」
一夏。
「うん」
しょう。
「じゃあ何の実験なんだ?」
「分からない」
セシリアが向かいから言う。
「それでいいんですの」
一夏が見る。
「オルコット知ってるの?」
「少し」
「何がすごいんだ?」
「すごいかどうかは知りません」
セシリアはしょうの箸を見る。
「ただ」
右の一本。
「それが左へ行った時」
しょうが左へ動かす。
「機体にとって同じものなら」
「うん」
「高瀬さんにとっても同じものだった」
一夏が考える。
「……それだけ?」
「それだけですわ」
「地味だな」
しょうも頷く。
「地味」
セシリアが少し笑う。
「研究とはそういうものでしょう」
***
放課後。
技術棟。
次回試験案。
対象。
二機。
識別。
あり。
位置。
方向のみ。
そして。
新しい欄。
『操縦者 → 対象』
まだ空白。
技術者が聞く。
「次、返します?」
佐伯は画面を見る。
これまでは。
機体からしょうへ。
一方通行。
右にいる。
左にいる。
Aがいる。
Bがいる。
しょうは受け取るだけだった。
「何を返す?」
「一番簡単なの」
「移動?」
「まだ危ない」
「点灯」
佐伯が見る。
「点灯?」
「Aに光れって送るだけ」
「Bは?」
「何もしない」
「出力は?」
「オン、オフ」
佐伯は考える。
一つの対象。
一つの命令。
移動しない。
飛ばない。
撃たない。
危険もない。
そして。
成功しても。
できることは。
ランプが一個点くだけ。
「……それくらいなら」
試験案。
入力。
対象A。
意図。
『点灯』
出力。
A搭載ランプ。
ON。
ただし。
まだ実施承認は出さない。
佐伯は保存する。
翻訳は。
右と左を覚え。
AとBを覚えた。
次に覚える言葉は。
まだ。
「光れ」
その一語だけだった。