蒼穹の天駆翔 ~Learning to Fly~ 作:佐伯明人
入学式の朝。
男子寮の食堂で、一夏は焼き魚を食べていた。
「織斑、ネクタイ曲がってる」
向かいに座った男子が言う。
「マジ?」
「逆」
一夏が直す。
「そっちじゃない」
「どっちだよ」
隣から手が伸びてきた。
「貸せ」
「自分でできるって」
「できてないから言ってんだろ」
結局、昨日知り合った普通科の寮生に直された。
「よし」
「なんか負けた気がする」
「入学式前にネクタイで負ける世界初の男性IS操縦者」
「その肩書き付けるのやめろ」
笑い声が上がる。
食堂には同じ制服を着た生徒がいる。
ただし、全員が同じ場所へ向かうわけではない。
普通科。
専攻科。
学年もクラスも違う。
一夏は味噌汁を飲み干した。
「じゃ、先行くわ」
「おう。専攻科で生き残れよ」
「学校だぞ」
「女子ばっかりなんだろ?」
「……学校だぞ」
自分にも言い聞かせるように繰り返した。
***
校門を抜けたところで、一夏は足を止めた。
人が多い。
当然だった。
今日は入学式だ。
その中から知っている顔を探す。
男子寮で知り合った連中はもう先へ行っている。
専攻科では――
「一夏?」
その声だけは、探す必要がなかった。
振り返る。
長い黒髪。
見慣れた顔。
けれど制服姿で学校にいるのを見るのは久しぶりだった。
「箒?」
「……久しぶりだな」
「お前、本当に箒か?」
「どういう意味だ」
「いや、背ぇ伸びたなって」
「お前もだろう」
数年ぶりの再会だった。
もっと何か言うことがあるような気もする。
しかし、実際に顔を合わせると何から話せばいいのか分からない。
「元気だった?」
「見れば分かる」
「相変わらずだな」
「何がだ」
「そういうとこ」
箒の眉が動く。
一夏は少し笑った。
懐かしい。
それだけは分かった。
「箒も専攻科?」
「ああ」
「じゃあ同じだな」
「クラスまで同じとは限らん」
その言葉に、一夏は別の誰かを思い出した。
「それ、この前も言われた」
「誰に?」
「高瀬って子」
箒の表情が少し変わった。
「高瀬しょうか?」
「知ってる?」
「実技測定で一緒だった」
「ああ、箒もあれ受けたんだっけ」
「当然だ」
二人で歩き始める。
「高瀬、最初から飛んだんだろ?」
「見ていた」
「やっぱすごかった?」
箒は少し考えた。
「……変だった」
「変?」
「上手い、とは違う」
一夏は先日のしょうとの会話を思い出す。
跳んだら落ちなかった。
「なんとなく分かる気がする」
「なぜお前が分かる」
「本人に聞いた」
「もう知り合ったのか?」
「事前講義で隣だっただけだよ」
話しているうちに、式場へ着いた。
そこで二人はそれぞれの列へ分かれた。
***
入学式は、入学式だった。
校長の話。
来賓の祝辞。
新入生代表。
校歌。
一夏が少し困ったのは、壇上より自分へ向けられる視線の方が気になる瞬間が何度かあったことくらいだった。
それでも式は普通に終わった。
世界初の男性IS操縦者が入学したからといって、校長の話が短くなるわけではない。
式後。
新入生は所属ごとに分かれて教室へ向かう。
一夏は掲示されたクラス表を見る。
一年一組。
織斑一夏。
篠ノ之箒。
オルコット、セシリア。
そして少し下。
高瀬しょう。
「本当に一緒だったな」
「何がだ」
横から箒。
「高瀬。この前、同じクラスとは限らないって言ってたから」
「そうか」
一夏は教室へ向かう。
扉の前で、一度止まった。
中から女子の声がする。
「……行くか」
「何を構えている」
「いや、男子寮から来ると落差が」
「早く入れ」
箒に押される。
扉が開く。
何人かがこちらを見る。
話し声が小さくなる。
まただ。
一夏は一瞬だけ迷ってから、
「おはよう」
と普通に言った。
何人かが返す。
それで少しだけ空気が戻った。
自分の席を探す。
窓側ではない。
後ろ過ぎもしない。
机に鞄を置く。
「おはようございます」
声。
前の席に、しょうがいた。
「あ、高瀬。おはよう」
「同じクラスでしたね」
「な」
しょうはそれだけ言って前を向いた。
一夏も座る。
箒は少し離れた席だった。
そしてもう一人。
金色の髪をした少女が、教室の前方にいる。
周囲の何人かと話していた。
一夏でも知っている。
セシリア・オルコット。
英国代表候補生。
専用機持ち。
入学前の資料にも名前があった。
向こうも一夏に気づいた。
目が合う。
セシリアは軽く会釈した。
一夏も返す。
それだけだった。
チャイムが鳴る。
担任が入ってくる。
一夏は目を疑った。
「……千冬姉?」
教室の空気が止まった。
千冬も止まった。
正確には、足ではなく視線だけが。
「織斑一夏」
「はい」
「今、私を何と呼んだ」
一夏は周囲を見る。
全員が見ている。
箒が片手で額を押さえている。
しょうも見ている。
セシリアは少し興味深そうだった。
「……織斑先生」
「よろしい」
千冬は教卓へ立つ。
「一年一組担任、織斑千冬だ。担当はIS実戦および関連科目。副担任については後ほど紹介する」
黒板へ名前を書く。
織斑千冬。
教室がざわつく。
当然だった。
本人が目の前にいる。
一夏は机へ少し沈みたくなった。
「先に言っておく」
千冬が教室を見る。
「ここにいる以上、代表候補生だろうが、専用機持ちだろうが、世界初だろうが関係ない」
一夏のところで視線が止まった気がした。
「生徒は生徒だ」
今度は教室全体を見る。
「学ぶために来た者として扱う。以上」
ざわめきが少し収まる。
一夏は顔を上げた。
それならいい。
むしろ、その方がいい。
「では自己紹介から始める。出席番号順」
教室の端から始まった。
名前。
出身。
趣味。
目標。
似たものもあれば、違うものもある。
やがて、
「オルコット」
セシリアが立つ。
「セシリア・オルコットです。イギリスより参りました。代表候補生として学んできた経験はありますが、こちらでは一生徒として皆様と共に学ぶことになります。よろしくお願いいたしますわ」
落ち着いている。
座る。
何人か後。
「織斑」
来た。
一夏は立った。
視線が集まる。
入学式より近い。
逃げ場がない。
「織斑一夏です」
一度止まる。
何を言うか。
特別なことを言う必要はない。
「普通科で受験したんですけど、合格したあとにISを動かせることが分かって、専攻科に来ることになりました」
少し笑いが起きる。
「だからISについては、たぶんこのクラスで一番初心者に近いと思います。分からないことも多いですけど、ちゃんと生徒としてやっていきたいと思ってます。よろしくお願いします」
頭を下げる。
座る。
千冬は何も言わなかった。
それでいい。
しばらくして、
「篠ノ之」
箒が立つ。
「篠ノ之箒だ。剣道をやっている。ISについてはまだ経験が浅い。よろしく頼む」
短い。
座る。
そして、
「高瀬」
しょうが立った。
「高瀬しょうです」
教室を見る。
「まだ何が得意なのかもよく分かってません。これから分かればいいと思います。よろしくお願いします」
座る。
一夏は少しだけ笑った。
なんとなく、しょうらしい気がした。
まだ二度しか話していないので、本当にそうなのかは知らない。
***
ホームルームが終わると、すぐに教室移動が始まった。
「次、数学だよな?」
一夏が時間割を見る。
「第三講義棟、二〇四」
しょうが答える。
「遠くない?」
「ここからだと少し」
「高瀬、場所分かる?」
「地図なら」
「俺も地図なら分かる」
二人で校内案内を見る。
「何をしている」
箒が来る。
「教室探し」
「二〇四ならこっちだ」
「知ってるの?」
「昨日確認した」
「さすが」
「お前が確認してなさすぎるんだ」
三人で歩く。
途中から専攻科以外の制服姿も増えた。
同じ制服だが、胸元の学科章が違う。
普通科。
講義室へ入る。
一夏が中を見る。
男子がいる。
「あ」
向こうも気づいた。
昨日、食堂で一緒だった男子の一人だった。
「織斑!」
「お前ここ?」
「数学同じみたいだな」
一夏が手を上げる。
箒が少し意外そうに見る。
「知り合いか?」
「寮で」
「早いな」
「飯食っただけだけど」
普通科と専攻科。
男子と女子。
代表候補生も、IS初心者もいる。
授業が始まれば、同じ数学の問題を解く。
教員が入ってきた。
席につく。
一夏の隣は普通科の男子。
前には専攻科の女子。
しょうは数列ほど離れた席。
箒はさらに前。
セシリアは反対側にいた。
黒板に数式が書かれる。
ISは出てこない。
一夏はノートを開いた。
高校最初の授業は、数学だった。
***
昼休み。
専攻科一年一組の教室では、ひとつの話題が広がっていた。
「クラス代表?」
誰かが言う。
午後のホームルームで決めるらしい。
学年行事やクラス対抗戦で、一組を代表する生徒。
当然、名前が挙がる。
「オルコットさんじゃない?」
「代表候補生だし」
「でも代表候補生って、別の訓練もあるんじゃない?」
「織斑君は?」
「まだ初心者って言ってたじゃん」
「でも専用機が来るって――」
一夏は購買で買ったパンを食べながら、その会話を聞いていた。
「俺はないだろ」
向かいの箒が言う。
「自分で言うな」
「実際そうだろ。クラスの代表をする前に覚えることがある」
「まあな」
しょうは隣で紙パックの飲み物を飲んでいる。
「高瀬は?」
一夏が聞く。
「何が?」
「代表」
しょうは紙パックから口を離す。
「なんで私?」
「いや、聞いてみただけ」
「やりたい人がやればいいんじゃないですか」
「雑だな」
「織斑君はやりたいんですか?」
「いや」
「じゃあ同じです」
「そういうことになるのか?」
箒が小さく息を吐いた。
その時。
「少々よろしいかしら」
声がした。
セシリアだった。
一夏が振り返る。
「オルコット?」
「織斑一夏さん」
「はい」
「少し、お聞きしたいことがありますの」
「俺に?」
「ええ」
セシリアは一夏を見る。
敵意があるようには見えない。
ただ、何かを確かめようとしている。
「あなたは、ご自分がなぜ専用機を与えられるのか、ご存じですか?」
教室の音が、ほんの少しだけ遠くなった。
一夏はパンを置いた。
「研究のため、って聞いてるけど」
「それだけ?」
「それだけって?」
セシリアは答えない。
一夏もまだ分からない。
箒が二人を見る。
しょうも紙パックを机へ置いた。
昼休みは、まだ半分ほど残っていた。