蒼穹の天駆翔 ~Learning to Fly~ 作:佐伯明人
「あなたは、ご自分がなぜ専用機を与えられるのか、ご存じですか?」
一夏は少し考えた。
「俺が男でISを動かせるから。そのデータを取るためだって聞いてる」
「では、ご自分の操縦能力については?」
「初心者」
即答だった。
セシリアが一瞬だけ黙る。
「……ずいぶん簡単におっしゃいますのね」
「だって実際そうだし」
一夏は残っていたパンを袋へ戻した。
「入学前に測定したけど、歩くのも止まるのも失敗したぞ。専用機をもらったからって、急に上手くなるわけじゃないだろ?」
セシリアが一夏を見る。
「では、専用機を持つことがどれほど特別なことかは?」
「それは分かってるつもりだけど」
「つもり」
「オルコット」
箒が口を挟む。
「何が言いたい」
セシリアは箒へ視線を移した。
「単純な疑問ですわ。代表候補生であるわたくしが専用機を与えられるまでには、それに足る実績と評価がありました」
一夏は黙って聞く。
「ですが織斑さんは、操縦経験もほとんどない。それでも専用機が用意される」
「研究機だからだろ?」
「ええ。理屈では理解しています」
セシリアは一夏へ戻る。
「ですが、それと納得できるかは別のお話ですわ」
一夏は少しだけ目を細めた。
嫌味を言われている。
最初はそう思った。
だが、セシリアの表情は笑っていない。
自分を見下して楽しんでいるようにも見えない。
「オルコットは、自分で専用機を勝ち取ったってこと?」
「少なくとも、そうありたいとは思っています」
「そっか」
一夏は椅子へ座り直した。
「なら俺と全然違うな」
「……はい?」
「俺のは俺が勝ち取ったものじゃない。必要だから作られてる。それは分かってる」
セシリアの眉がわずかに寄る。
「ですから――」
「でも、俺が断ったら研究できないだろ?」
今度はセシリアが止まった。
「俺にしか取れないデータがあるなら、取った方がいい。専用機が必要なら使う。俺はそれでいいと思ってる」
「随分と無欲ですのね」
「そうかな」
「自分だけのISですのよ?」
一夏は想像する。
まだ見たこともない自分の専用機。
「……来たら嬉しいとは思う」
「でしょう?」
「でも、それと俺が偉いかどうかは別だろ」
セシリアは何も言わなかった。
しょうが紙パックを持ち上げる。
空だった。
振る。
音はしない。
一夏が見る。
「高瀬、さっきから聞いてるけど」
「はい」
「どう思う?」
「何を?」
「この話」
しょうは一夏を見る。
次にセシリアを見る。
「専用機を持ってないので分かりません」
「正論だけど!」
箒が僅かに口元を緩める。
セシリアはしょうを見たままだった。
「高瀬さんでしたわね」
「はい」
「あなたは専用機が欲しいとは思いませんの?」
しょうは少し考える。
「今のところは」
「なぜ?」
「訓練機でも、まだ出来ないこといっぱいあるので」
セシリアが黙る。
しょうは続けない。
昼休み終了を知らせる予鈴が鳴った。
「オルコット」
一夏が立つ。
「俺も自分がどれくらい出来るのかは知りたい」
セシリアも一夏を見る。
「そうでしょうね」
「だから、そのうち実習で一緒になったら教えてくれよ」
「何をですの?」
「代表候補生ってどれくらい強いのか」
一夏は本当に聞いただけだった。
セシリアの目が変わった。
「……よろしいですわ」
「え?」
「その言葉、覚えておきます」
セシリアは自分の席へ戻っていった。
一夏はその背中を見る。
「なんか変なこと言った?」
「言ったな」
箒が答える。
「どこ?」
「自分で考えろ」
「高瀬」
「分かりません」
「お前ら役に立たないな!」
***
午後のホームルーム。
黒板には大きく、
『クラス代表』
と書かれていた。
千冬が教室を見る。
「既に聞いている者もいるだろうが、各クラスから代表を一名選出する」
説明が続く。
クラス代表は単なる名誉職ではない。
学年行事。
対外的なクラス単位の活動。
クラス対抗形式の実技。
教員との連絡。
必要に応じて生徒をまとめる役割もある。
「立候補は?」
何人かが周囲を見る。
すぐに手は上がらない。
やがて、一人の生徒がセシリアを見る。
「オルコットさんは?」
別の声。
「代表候補生だし、一番強いんじゃない?」
視線が集まる。
セシリアは席に座ったまま答えた。
「能力だけで選ぶのでしたら、候補にはなるでしょう」
少しざわつく。
「ですが辞退いたします」
今度は違う意味でざわついた。
一夏も見る。
セシリアは続ける。
「わたくしには代表候補生としての訓練と予定があります。クラス代表を片手間で務めることは、皆様に対して無責任でしょう」
千冬は何も言わない。
「なるほど……」
誰かが呟く。
今度は一夏へ視線が集まり始めた。
嫌な予感。
「織斑君は?」
来た。
「無理」
即答。
笑いが起きる。
「まだ初心者だって。人の面倒見る前に自分の面倒見ないと」
「珍しく正しい判断だな」
千冬。
「珍しくは余計だろ、織斑先生」
「口答えするな」
また笑い。
しょうにも何人かが視線を向ける。
本人は気づいているのかいないのか、黒板を見ている。
「高瀬さんは?」
名前を出されて、しょうが振り向いた。
「私?」
「実技測定で飛んだって聞いたけど」
「ああ、あの子なんだ」
別の場所から声。
しょうは少し困ったように周囲を見る。
「飛んだだけです」
「でも――」
「高瀬」
千冬が呼ぶ。
「はい」
「やる意思は?」
「今はないです」
「なら候補から外す」
話は終わった。
しょうは前を向く。
千冬もそれ以上触れない。
候補が減る。
教室の中で、今度は何人かが相談し始める。
そして名前が出た。
「篠ノ之さんは?」
箒が顔を上げる。
「私?」
「入学前測定も悪くなかったって聞いたし」
「剣道やってるんでしょう?」
「織斑先生とも知り合いみたいだし」
最後の理由に箒の眉が動いた。
「それは関係ない」
「篠ノ之」
千冬が言う。
「はい」
「お前は?」
箒はすぐには答えなかった。
クラスを見る。
一夏を見る。
一夏は何も言わない。
しょうも。
セシリアも。
誰も代わりに決めてはくれない。
「……私で構わないのなら」
教室が少し静かになる。
「やる」
千冬が頷く。
「他に立候補は?」
しばらく待つ。
手は上がらない。
「異論は?」
こちらもない。
「では一年一組クラス代表は篠ノ之箒。正式な手続きは後で行う」
箒は小さく息を吐いた。
一夏が横から声をかける。
「頑張れよ、代表」
「他人事だと思って」
「他人事だよ」
「お前もクラスの一員だ!」
「痛っ」
机の下で蹴られた。
***
放課後。
箒は教室に残っていた。
クラス代表用の書類がある。
思っていたより多い。
「面倒そうだな」
一夏が覗く。
「お前は帰らないのか」
「このあと専攻科の補講」
「もうか?」
「俺だけな」
一夏は笑う。
専攻変更が遅かった分、埋めなければならない基礎がある。
「その前に時間あるから」
箒は書類へ視線を戻す。
「……一夏」
「ん?」
「私は、代表をやれると思うか?」
一夏は少し考えた。
「分からん」
箒が睨む。
「お前な」
「だって始まったばっかりだろ。俺が分かるわけないじゃん」
「ではなぜ頑張れなどと」
「やるって言ったから」
箒は黙る。
「無理だったら無理って分かるだろ。その時また考えればいいんじゃないか?」
「簡単に言う」
「難しく言っても同じだろ」
一夏は時計を見る。
「やべ、行くわ」
「遅れるなよ」
「分かってる」
教室を出る。
箒は書類を見る。
クラス代表。
その下に自分の名前。
しばらくして、一枚目から読み始めた。
***
一夏が向かったのは、通常の教室ではなかった。
小さな実習室。
中には佐伯がいた。
「遅刻三十秒前」
「間に合った!」
「なら座って」
「はい」
机には教材が置かれている。
一夏は席につく。
「今日は何を?」
「エネルギー管理」
「また安全?」
「また、じゃない」
佐伯は端末を操作する。
画面にISの模式図が出る。
「君はこれから専用機を持つ」
一夏が顔を上げた。
「完成したんですか?」
「まだ君に渡せる状態じゃない」
「そっか」
「残念?」
「そりゃちょっと」
佐伯は画面を見る。
「そのくらいでいい」
「え?」
「専用機を持つことを嬉しいと思うのは悪いことじゃない。道具に愛着を持つのもね」
別の画面。
エネルギー残量を示す数字。
「ただし、愛着と過信は違う」
一夏はノートを開く。
「君の機体がどれだけ高性能でも、使えるエネルギーには限界がある」
「はい」
「絶対防御も使う。シールドも使う。飛行も使う。武装も使う」
数字が減っていく。
「全部同じ財布から払う」
一夏のペンが止まる。
「財布?」
「そう考えればいい」
佐伯が一夏を見る。
「君が一万円持っていて、千円の昼飯を十回食えば終わりだ」
「分かりやすい」
「だからといって昼飯を抜けばいいわけでもない」
「急に難しくなった」
「戦闘も同じ」
佐伯は数字を初期値へ戻す。
「何に使うか。何を我慢するか。どこで払うか。どこで逃げるか」
一夏は画面を見る。
「強い攻撃があれば勝てる、じゃないんですね」
「当てられるならね」
「当てられなかったら?」
「高い買い物をして終わり」
一夏は笑った。
「嫌だな、それ」
「嫌でしょう」
佐伯も僅かに笑った。
扉が開く。
千冬が入ってくる。
「進んでいるか」
「財布の話をしています」
「なんだそれは」
「分かりやすかったぞ」
一夏が言う。
千冬は一夏のノートを見る。
「なら覚えておけ。お前は特に必要になる」
「なんで?」
佐伯と千冬が一瞬だけ視線を交わした。
「専用機を受け取れば分かる」
「またそれかよ」
千冬は答えない。
「それと一夏」
「ん?」
「明日の放課後を空けておけ」
「補講?」
「違う」
一枚の書類が机へ置かれる。
一夏は読む。
『専用機搬入予定』
目が止まった。
「……来るの?」
「ああ」
一夏はもう一度読む。
日付。
明日。
「俺のIS?」
「正確には、お前の運用データを取得するために開発された専用機だ」
「分かってるよ」
そう答えながら、一夏の顔には笑みが浮かんでいた。
佐伯がそれを見る。
「嬉しそうですね」
「そりゃ嬉しいですよ」
「さっきまで研究機だからどうこう言っていたくせにな」
「それとこれとは別だろ!」
千冬は小さく息を吐く。
佐伯は画面を閉じた。
「じゃあ今日の話はちゃんと覚えておいて」
「財布?」
「財布」
一夏は搬入予定表とノートを並べて見る。
まだ姿も知らない機体。
自分だけのものではない。
研究のためのものでもある。
それでも明日から、自分が乗る。
「名前は?」
一夏が聞く。
千冬が答える。
「白式だ」
白式。
一夏はその名前を、もう一度口の中で繰り返した。
***
同じ頃。
別の場所。
セシリアはブルー・ティアーズの訓練記録を確認していた。
入学したからといって、代表候補生としての日課が消えるわけではない。
画面には射撃精度。
ビット制御。
機動記録。
既に何度も見た数字。
その横に、今日の予定が表示される。
セシリアは昼休みの会話を思い出した。
代表候補生ってどれくらい強いのか。
悪意はなかった。
だからこそ、引っ掛かった。
知らないのだ。
一夏は本当に、自分がどれほど知らないのかを知っている。
セシリアは端末を閉じる。
「……よろしいですわ」
誰もいない格納庫で呟く。
知りたいと言うのなら。
いずれ、見せればいい。
ブルー・ティアーズの青い装甲が、静かに光を返していた。
今日はここまでです
それでは、また明日の投稿で