蒼穹の天駆翔 ~Learning to Fly~   作:佐伯明人

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第3話 はじめの一歩 3

「あなたは、ご自分がなぜ専用機を与えられるのか、ご存じですか?」

 

一夏は少し考えた。

 

「俺が男でISを動かせるから。そのデータを取るためだって聞いてる」

 

「では、ご自分の操縦能力については?」

 

「初心者」

 

即答だった。

 

セシリアが一瞬だけ黙る。

 

「……ずいぶん簡単におっしゃいますのね」

 

「だって実際そうだし」

 

一夏は残っていたパンを袋へ戻した。

 

「入学前に測定したけど、歩くのも止まるのも失敗したぞ。専用機をもらったからって、急に上手くなるわけじゃないだろ?」

 

セシリアが一夏を見る。

 

「では、専用機を持つことがどれほど特別なことかは?」

 

「それは分かってるつもりだけど」

 

「つもり」

 

「オルコット」

 

箒が口を挟む。

 

「何が言いたい」

 

セシリアは箒へ視線を移した。

 

「単純な疑問ですわ。代表候補生であるわたくしが専用機を与えられるまでには、それに足る実績と評価がありました」

 

一夏は黙って聞く。

 

「ですが織斑さんは、操縦経験もほとんどない。それでも専用機が用意される」

 

「研究機だからだろ?」

 

「ええ。理屈では理解しています」

 

セシリアは一夏へ戻る。

 

「ですが、それと納得できるかは別のお話ですわ」

 

一夏は少しだけ目を細めた。

 

嫌味を言われている。

 

最初はそう思った。

 

だが、セシリアの表情は笑っていない。

 

自分を見下して楽しんでいるようにも見えない。

 

「オルコットは、自分で専用機を勝ち取ったってこと?」

 

「少なくとも、そうありたいとは思っています」

 

「そっか」

 

一夏は椅子へ座り直した。

 

「なら俺と全然違うな」

 

「……はい?」

 

「俺のは俺が勝ち取ったものじゃない。必要だから作られてる。それは分かってる」

 

セシリアの眉がわずかに寄る。

 

「ですから――」

 

「でも、俺が断ったら研究できないだろ?」

 

今度はセシリアが止まった。

 

「俺にしか取れないデータがあるなら、取った方がいい。専用機が必要なら使う。俺はそれでいいと思ってる」

 

「随分と無欲ですのね」

 

「そうかな」

 

「自分だけのISですのよ?」

 

一夏は想像する。

 

まだ見たこともない自分の専用機。

 

「……来たら嬉しいとは思う」

 

「でしょう?」

 

「でも、それと俺が偉いかどうかは別だろ」

 

セシリアは何も言わなかった。

 

しょうが紙パックを持ち上げる。

 

空だった。

 

振る。

 

音はしない。

 

一夏が見る。

 

「高瀬、さっきから聞いてるけど」

 

「はい」

 

「どう思う?」

 

「何を?」

 

「この話」

 

しょうは一夏を見る。

 

次にセシリアを見る。

 

「専用機を持ってないので分かりません」

 

「正論だけど!」

 

箒が僅かに口元を緩める。

 

セシリアはしょうを見たままだった。

 

「高瀬さんでしたわね」

 

「はい」

 

「あなたは専用機が欲しいとは思いませんの?」

 

しょうは少し考える。

 

「今のところは」

 

「なぜ?」

 

「訓練機でも、まだ出来ないこといっぱいあるので」

 

セシリアが黙る。

 

しょうは続けない。

 

昼休み終了を知らせる予鈴が鳴った。

 

「オルコット」

 

一夏が立つ。

 

「俺も自分がどれくらい出来るのかは知りたい」

 

セシリアも一夏を見る。

 

「そうでしょうね」

 

「だから、そのうち実習で一緒になったら教えてくれよ」

 

「何をですの?」

 

「代表候補生ってどれくらい強いのか」

 

一夏は本当に聞いただけだった。

 

セシリアの目が変わった。

 

「……よろしいですわ」

 

「え?」

 

「その言葉、覚えておきます」

 

セシリアは自分の席へ戻っていった。

 

一夏はその背中を見る。

 

「なんか変なこと言った?」

 

「言ったな」

 

箒が答える。

 

「どこ?」

 

「自分で考えろ」

 

「高瀬」

 

「分かりません」

 

「お前ら役に立たないな!」

 

***

 

午後のホームルーム。

 

黒板には大きく、

 

『クラス代表』

 

と書かれていた。

 

千冬が教室を見る。

 

「既に聞いている者もいるだろうが、各クラスから代表を一名選出する」

 

説明が続く。

 

クラス代表は単なる名誉職ではない。

 

学年行事。

 

対外的なクラス単位の活動。

 

クラス対抗形式の実技。

 

教員との連絡。

 

必要に応じて生徒をまとめる役割もある。

 

「立候補は?」

 

何人かが周囲を見る。

 

すぐに手は上がらない。

 

やがて、一人の生徒がセシリアを見る。

 

「オルコットさんは?」

 

別の声。

 

「代表候補生だし、一番強いんじゃない?」

 

視線が集まる。

 

セシリアは席に座ったまま答えた。

 

「能力だけで選ぶのでしたら、候補にはなるでしょう」

 

少しざわつく。

 

「ですが辞退いたします」

 

今度は違う意味でざわついた。

 

一夏も見る。

 

セシリアは続ける。

 

「わたくしには代表候補生としての訓練と予定があります。クラス代表を片手間で務めることは、皆様に対して無責任でしょう」

 

千冬は何も言わない。

 

「なるほど……」

 

誰かが呟く。

 

今度は一夏へ視線が集まり始めた。

 

嫌な予感。

 

「織斑君は?」

 

来た。

 

「無理」

 

即答。

 

笑いが起きる。

 

「まだ初心者だって。人の面倒見る前に自分の面倒見ないと」

 

「珍しく正しい判断だな」

 

千冬。

 

「珍しくは余計だろ、織斑先生」

 

「口答えするな」

 

また笑い。

 

しょうにも何人かが視線を向ける。

 

本人は気づいているのかいないのか、黒板を見ている。

 

「高瀬さんは?」

 

名前を出されて、しょうが振り向いた。

 

「私?」

 

「実技測定で飛んだって聞いたけど」

 

「ああ、あの子なんだ」

 

別の場所から声。

 

しょうは少し困ったように周囲を見る。

 

「飛んだだけです」

 

「でも――」

 

「高瀬」

 

千冬が呼ぶ。

 

「はい」

 

「やる意思は?」

 

「今はないです」

 

「なら候補から外す」

 

話は終わった。

 

しょうは前を向く。

 

千冬もそれ以上触れない。

 

候補が減る。

 

教室の中で、今度は何人かが相談し始める。

 

そして名前が出た。

 

「篠ノ之さんは?」

 

箒が顔を上げる。

 

「私?」

 

「入学前測定も悪くなかったって聞いたし」

 

「剣道やってるんでしょう?」

 

「織斑先生とも知り合いみたいだし」

 

最後の理由に箒の眉が動いた。

 

「それは関係ない」

 

「篠ノ之」

 

千冬が言う。

 

「はい」

 

「お前は?」

 

箒はすぐには答えなかった。

 

クラスを見る。

 

一夏を見る。

 

一夏は何も言わない。

 

しょうも。

 

セシリアも。

 

誰も代わりに決めてはくれない。

 

「……私で構わないのなら」

 

教室が少し静かになる。

 

「やる」

 

千冬が頷く。

 

「他に立候補は?」

 

しばらく待つ。

 

手は上がらない。

 

「異論は?」

 

こちらもない。

 

「では一年一組クラス代表は篠ノ之箒。正式な手続きは後で行う」

 

箒は小さく息を吐いた。

 

一夏が横から声をかける。

 

「頑張れよ、代表」

 

「他人事だと思って」

 

「他人事だよ」

 

「お前もクラスの一員だ!」

 

「痛っ」

 

机の下で蹴られた。

 

***

 

放課後。

 

箒は教室に残っていた。

 

クラス代表用の書類がある。

 

思っていたより多い。

 

「面倒そうだな」

 

一夏が覗く。

 

「お前は帰らないのか」

 

「このあと専攻科の補講」

 

「もうか?」

 

「俺だけな」

 

一夏は笑う。

 

専攻変更が遅かった分、埋めなければならない基礎がある。

 

「その前に時間あるから」

 

箒は書類へ視線を戻す。

 

「……一夏」

 

「ん?」

 

「私は、代表をやれると思うか?」

 

一夏は少し考えた。

 

「分からん」

 

箒が睨む。

 

「お前な」

 

「だって始まったばっかりだろ。俺が分かるわけないじゃん」

 

「ではなぜ頑張れなどと」

 

「やるって言ったから」

 

箒は黙る。

 

「無理だったら無理って分かるだろ。その時また考えればいいんじゃないか?」

 

「簡単に言う」

 

「難しく言っても同じだろ」

 

一夏は時計を見る。

 

「やべ、行くわ」

 

「遅れるなよ」

 

「分かってる」

 

教室を出る。

 

箒は書類を見る。

 

クラス代表。

 

その下に自分の名前。

 

しばらくして、一枚目から読み始めた。

 

***

 

一夏が向かったのは、通常の教室ではなかった。

 

小さな実習室。

 

中には佐伯がいた。

 

「遅刻三十秒前」

 

「間に合った!」

 

「なら座って」

 

「はい」

 

机には教材が置かれている。

 

一夏は席につく。

 

「今日は何を?」

 

「エネルギー管理」

 

「また安全?」

 

「また、じゃない」

 

佐伯は端末を操作する。

 

画面にISの模式図が出る。

 

「君はこれから専用機を持つ」

 

一夏が顔を上げた。

 

「完成したんですか?」

 

「まだ君に渡せる状態じゃない」

 

「そっか」

 

「残念?」

 

「そりゃちょっと」

 

佐伯は画面を見る。

 

「そのくらいでいい」

 

「え?」

 

「専用機を持つことを嬉しいと思うのは悪いことじゃない。道具に愛着を持つのもね」

 

別の画面。

 

エネルギー残量を示す数字。

 

「ただし、愛着と過信は違う」

 

一夏はノートを開く。

 

「君の機体がどれだけ高性能でも、使えるエネルギーには限界がある」

 

「はい」

 

「絶対防御も使う。シールドも使う。飛行も使う。武装も使う」

 

数字が減っていく。

 

「全部同じ財布から払う」

 

一夏のペンが止まる。

 

「財布?」

 

「そう考えればいい」

 

佐伯が一夏を見る。

 

「君が一万円持っていて、千円の昼飯を十回食えば終わりだ」

 

「分かりやすい」

 

「だからといって昼飯を抜けばいいわけでもない」

 

「急に難しくなった」

 

「戦闘も同じ」

 

佐伯は数字を初期値へ戻す。

 

「何に使うか。何を我慢するか。どこで払うか。どこで逃げるか」

 

一夏は画面を見る。

 

「強い攻撃があれば勝てる、じゃないんですね」

 

「当てられるならね」

 

「当てられなかったら?」

 

「高い買い物をして終わり」

 

一夏は笑った。

 

「嫌だな、それ」

 

「嫌でしょう」

 

佐伯も僅かに笑った。

 

扉が開く。

 

千冬が入ってくる。

 

「進んでいるか」

 

「財布の話をしています」

 

「なんだそれは」

 

「分かりやすかったぞ」

 

一夏が言う。

 

千冬は一夏のノートを見る。

 

「なら覚えておけ。お前は特に必要になる」

 

「なんで?」

 

佐伯と千冬が一瞬だけ視線を交わした。

 

「専用機を受け取れば分かる」

 

「またそれかよ」

 

千冬は答えない。

 

「それと一夏」

 

「ん?」

 

「明日の放課後を空けておけ」

 

「補講?」

 

「違う」

 

一枚の書類が机へ置かれる。

 

一夏は読む。

 

『専用機搬入予定』

 

目が止まった。

 

「……来るの?」

 

「ああ」

 

一夏はもう一度読む。

 

日付。

 

明日。

 

「俺のIS?」

 

「正確には、お前の運用データを取得するために開発された専用機だ」

 

「分かってるよ」

 

そう答えながら、一夏の顔には笑みが浮かんでいた。

 

佐伯がそれを見る。

 

「嬉しそうですね」

 

「そりゃ嬉しいですよ」

 

「さっきまで研究機だからどうこう言っていたくせにな」

 

「それとこれとは別だろ!」

 

千冬は小さく息を吐く。

 

佐伯は画面を閉じた。

 

「じゃあ今日の話はちゃんと覚えておいて」

 

「財布?」

 

「財布」

 

一夏は搬入予定表とノートを並べて見る。

 

まだ姿も知らない機体。

 

自分だけのものではない。

 

研究のためのものでもある。

 

それでも明日から、自分が乗る。

 

「名前は?」

 

一夏が聞く。

 

千冬が答える。

 

「白式だ」

 

白式。

 

一夏はその名前を、もう一度口の中で繰り返した。

 

***

 

同じ頃。

 

別の場所。

 

セシリアはブルー・ティアーズの訓練記録を確認していた。

 

入学したからといって、代表候補生としての日課が消えるわけではない。

 

画面には射撃精度。

 

ビット制御。

 

機動記録。

 

既に何度も見た数字。

 

その横に、今日の予定が表示される。

 

セシリアは昼休みの会話を思い出した。

 

代表候補生ってどれくらい強いのか。

 

悪意はなかった。

 

だからこそ、引っ掛かった。

 

知らないのだ。

 

一夏は本当に、自分がどれほど知らないのかを知っている。

 

セシリアは端末を閉じる。

 

「……よろしいですわ」

 

誰もいない格納庫で呟く。

 

知りたいと言うのなら。

 

いずれ、見せればいい。

 

ブルー・ティアーズの青い装甲が、静かに光を返していた。




今日はここまでです
それでは、また明日の投稿で
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