蒼穹の天駆翔 ~Learning to Fly~ 作:佐伯明人
翌日の放課後。
一夏は授業が終わると同時に立ち上がった。
「そんなに急がなくても機体は逃げん」
箒が呆れたように言う。
「分かってるけどさ」
「顔が分かっていない」
「昨日から待ってたんだぞ?」
鞄へ教科書を入れる。
いつもなら多少雑でも気にしないところを、今日はなぜか一冊ずつ揃えてしまう。
しょうが前の席から振り返った。
「今日でしたっけ」
「白式? うん」
「見に行くのか?」
箒が聞く。
しょうは少し考えた。
「行っていいなら」
一夏の手が止まる。
「見学できるのかな」
「遊びではないぞ」
箒。
「分かってるって」
その時、教室の扉が開いた。
千冬だった。
「織斑、時間だ」
「はい」
一夏は鞄を持つ。
千冬の視線が箒としょうへ移る。
「お前たちは?」
「白式を見学できるかと」
箒が答えた。
「初期調整だ。見世物ではない」
「やっぱり駄目か」
一夏が言う。
千冬は少し考える。
「格納庫の見学区画までなら構わん。邪魔はするな」
「本当?」
「高瀬も来るなら同じだ」
しょうが頷く。
「はい」
「なんで私は聞かれない」
箒が言う。
「お前はもう来る顔をしている」
「どんな顔だ!」
一夏が笑う。
「じゃ、行こうぜ」
「お前は先に行け!」
***
格納庫には独特の匂いがあった。
金属。
機械油。
空調。
一夏は以前にも訓練機の格納施設へ入ったことがある。
だが今日は、中央に一機だけ置かれている。
白。
まだ装甲の一部が開かれ、ケーブルが繋がっている。
整備員が周囲を動く。
一夏は足を止めた。
「……これ?」
「そうだ」
千冬が答える。
「お前の専用機、白式」
昨日、名前だけ聞いた。
今は形がある。
一夏はゆっくり近づく。
「触っていい?」
「まだ待て」
「はい」
即座に止まる。
見学区画へ案内された箒としょうも、少し離れたところから機体を見ていた。
「白いな」
一夏が言う。
「白式だからな」
千冬。
「そういう意味じゃなくて」
「ではどういう意味だ」
「もっとこう……」
一夏は言葉を探す。
「すごいものが来ると思ってた」
整備員の一人が振り返る。
「すごくないように見える?」
「あ、いや、そうじゃなくて」
一夏は慌てる。
「思ってたよりシンプルというか」
「いい感想だと思うよ」
声がした。
佐伯だった。
作業着姿で端末を持っている。
「佐伯先生」
「今日は先生というより技術側」
佐伯は白式を見上げる。
「今の君に、使い道の分からないものを山ほど載せても仕方ないからね」
「これ、武器は?」
「気になる?」
「そりゃ」
佐伯が端末を操作する。
「近接武装が一つ」
「一つ?」
「不満?」
「いや……」
一夏は白式を見る。
専用機。
その言葉から、もっと大量の武装を想像していた。
「少なくない?」
「昨日の財布」
「あ」
佐伯が一夏を見る。
「覚えてた」
「忘れないですよ、あれは」
「武器もただじゃない。載せれば重量も増える。管理するものも増える。使えばエネルギーも使う」
「じゃあ、必要になったら増やす?」
「必要なら」
佐伯は簡単に答えた。
「必要じゃないなら増やさない」
一夏は頷く。
白式を見る。
何ができる機体なのか。
まだ分からない。
だが、何でもできるように作られたわけではないらしい。
「準備できました」
整備員の声。
千冬が一夏を見る。
「行け」
「はい」
一夏は白式へ近づいた。
***
初めて専用機を装着する。
訓練機の時と違う。
同じISなのに、感覚が少し違う。
「どう?」
佐伯の声が通信に入る。
「……近い」
「何が?」
「分からないですけど」
一夏は腕を動かす。
白式が動く。
「訓練機より、自分が動いてる感じがする」
「記録」
佐伯が言う。
整備員が端末へ入力する。
一夏は指を開く。
閉じる。
肩。
肘。
膝。
入学前測定でやったことを、もう一度繰り返す。
「織斑」
千冬。
「遊ぶな。基本動作から確認する」
「はい」
歩く。
止まる。
曲がる。
走る。
訓練機より速い。
だから簡単になるわけではなかった。
「うわっ」
止まりきれない。
二歩余計に進む。
「速度が上がれば止まる距離も伸びる」
千冬の声。
「分かってる!」
「分かっていれば止まれ」
「今覚えてる!」
見学区画で箒が額を押さえている。
しょうは白式を目で追っていた。
一夏は再び走る。
今度は早めに減速。
止まる。
「よし」
「一回成功しただけで喜ぶな」
「喜ばせてくれよ!」
次。
跳躍。
着地。
少し傾く。
戻す。
そして飛行。
「飛べ」
千冬が言う。
一夏は少し身構えた。
入学前測定では、飛行はほとんど扱わなかった。
飛行そのものが出来ないわけではない。
だが、地面から離れるという行為は、歩くこととは違う。
「どうやって?」
「上がれ」
「説明になってないぞ!」
見学区画でしょうが小さく首を傾ける。
箒が気づく。
「どうした?」
「私も説明できないなって」
「お前は参考にするなと言われる側だろう」
一夏は二人の声を通信越しに聞いた。
「高瀬!」
「はい?」
「跳んだら落ちなかったんだよな!」
「はい」
「よし!」
「待て一夏!」
箒の声。
一夏は跳んだ。
白式が床を蹴る。
上がる。
当然、落ち始める。
「落ちるじゃねえか!」
「私の時は落ちなかったです」
「知ってる!」
千冬の声が飛ぶ。
「織斑一夏!」
「はい!」
「遊んでいるなら降ろすぞ!」
「真面目です!」
「なら機体の感覚を探れ!」
一夏は空中で姿勢を戻す。
白式が応える。
上へ。
ほんの少し。
「あ」
もう一度。
上へ。
今度は明確に高度が増した。
「これか?」
前へ意識する。
白式が進む。
「おお!」
速い。
「速っ――」
壁が近づく。
慌てて減速。
機体が大きく傾いた。
「うわああっ!」
姿勢を崩しながら旋回。
何とか壁を避ける。
「織斑!」
千冬の怒声。
「避けた!」
「褒めていない!」
見学区画で箒がため息をついた。
しょうは一夏が通過した方向を見る。
「飛びましたね」
「飛んだな」
「私より危なかったです」
「お前が言うのか」
***
初期調整は二時間ほど続いた。
終わる頃、一夏は床に座っていた。
白式は解除されている。
「疲れた……」
「当然だ」
千冬は立ったまま。
「集中力が落ちていた。最後の十五分は動きが明らかに鈍い」
「自分でも分かったよ」
佐伯が端末を見る。
「でもいいデータは取れた」
「俺、役に立った?」
「君が乗って動けば大体役に立つ」
「実験動物みたいだな」
「嫌?」
一夏は少し考える。
「別に。俺も白式に乗れるし」
「なら今はそれでいい」
佐伯は端末を閉じる。
「ただし、疲れた状態で無理に続けないこと」
「はい」
「疲労も財布」
一夏が笑う。
「何でも財布にする気ですか?」
「有限なら大体いける」
「雑になってきたぞ」
箒としょうが見学区画から降りてくる。
「どうだった?」
一夏が聞く。
「危なっかしい」
箒。
「知ってる」
しょうは白式を見る。
「訓練機と全然違いますね」
「見ただけで分かる?」
「速さは」
一夏も白式を見る。
「俺もまだ分かんない」
専用機を手に入れた。
それなのに、出来ないことは減るどころか増えたような気さえする。
速く飛べる。
だから止まり方を覚えなければならない。
よく動く。
だから動かし方を覚えなければならない。
「明日から訓練量を増やす」
千冬が言う。
「マジ?」
「嫌なら専用機を返せ」
「やる」
即答。
千冬はそれ以上言わない。
佐伯が少し笑った。
***
翌日。
専攻科の実習。
一年一組の生徒たちはアリーナへ集められていた。
今日から本格的な基礎実習が始まる。
訓練機。
装着。
基本動作。
二人一組での確認。
一夏の白式も用意されている。
そしてアリーナの反対側。
青い機体が展開された。
一夏は初めて実物を見る。
ブルー・ティアーズ。
セシリアが装着している。
訓練機とは明らかに違う。
白式とも違う。
「すげえな……」
一夏が呟く。
セシリアがこちらを見る。
「何か?」
「いや。実物初めて見たから」
「そうでしたの」
一夏はブルー・ティアーズを見る。
「それがオルコットの専用機?」
「ええ」
「飛ぶところ見ていい?」
セシリアが一瞬止まる。
「……授業ですから、好きになさい」
「ありがとう」
千冬の声がアリーナに響く。
「私語はそこまで。始めるぞ」
実習開始。
最初は全員同じ課題だった。
規定地点まで移動。
停止。
旋回。
上昇。
下降。
一夏は昨日より慎重に白式を動かす。
速く行こうとしない。
まず止まれる速度。
曲がれる速度。
その横を、青い影が抜けた。
セシリア。
上昇。
旋回。
停止。
動きに迷いがない。
一夏は思わず目で追う。
「前を見ろ!」
千冬。
「はい!」
慌てて進路を戻す。
しばらくして、飛行課題。
一夏が上がる。
昨日よりは安定している。
少し離れたところでしょうも訓練機を浮かせた。
こちらは上がるまでが早い。
上がった後、少しだけ左右を確認する。
そして進む。
「高瀬、規定航路から出るな」
「はい」
千冬に言われ、しょうは軌道を戻す。
箒も飛行を始める。
速くはない。
姿勢を崩さないことを優先している。
四人とも飛んでいる。
けれど、同じ飛び方ではなかった。
セシリアが規定航路を一周する。
一夏より早い。
しょうよりも安定している。
箒より遥かに滑らか。
着地。
ほとんど揺れない。
一夏も遅れて降りる。
「……代表候補生ってあれか」
誰に言うでもなく呟く。
セシリアには聞こえていた。
「何か分かりまして?」
「うん」
一夏は素直に答えた。
「俺より全然上手い」
セシリアの表情が少し変わる。
「当然ですわ」
「だよな」
「……それだけ?」
「それだけって?」
まただ。
セシリアは一夏を見る。
一夏も見る。
「織斑さん」
「ん?」
「先日、わたくしがどれほど強いのか知りたいとおっしゃいましたわね」
「言った」
「今ので満足?」
一夏はブルー・ティアーズを見る。
飛行を見た。
上手い。
それは分かった。
「いや」
答える。
「飛ぶのが上手いのは分かったけど、強いかはまだ分からない」
アリーナの空気が一瞬だけ止まった気がした。
箒が遠くで顔をしかめる。
しょうが一夏を見る。
セシリアは笑った。
昨日までとは違う笑みだった。
「では」
青い機体が一歩前へ出る。
「確かめてみます?」
一夏は白式を見る。
次にセシリアを見る。
「いいの?」
「織斑先生」
セシリアが千冬へ向く。
「模擬戦の許可をいただけますか?」
千冬はすぐには答えなかった。
二人を見る。
白式。
ブルー・ティアーズ。
周囲の生徒たち。
「授業中だ」
「でしたら、授業として」
セシリアは引かない。
千冬は腕を組む。
「却下する理由はいくらでもある」
一夏が少し肩を落とす。
「ですよね」
「だが」
千冬が続ける。
「許可する理由もある」
一夏が顔を上げる。
「佐伯」
通信。
少しして声が返る。
『聞いています』
「データとして価値は?」
『かなり』
セシリアが僅かに眉を上げる。
『オルコットさんは既存データが豊富です。一夏君の比較対象としては都合がいい』
「都合がいい……」
一夏が呟く。
『研究対象なんだから慣れて』
「はい」
千冬は二人を見る。
「今日ではない」
セシリアが頷く。
「構いませんわ」
「安全管理、機体確認、時間の確保。条件を整える」
そして一夏。
「お前もだ」
「俺?」
「白式を受け取って一日だ。今戦わせても、初心者が負けるデータしか取れん」
「それはそうか」
「最低限、戦えるところまで持っていく」
一夏は白式を見る。
「どれくらい?」
「お前次第だ」
セシリアが一夏を見る。
「逃げませんわよね?」
「なんで逃げるんだよ」
「では決まりですわ」
セシリアは笑う。
一夏も少し笑った。
箒は二人を見ながら、何か言いたそうな顔をしている。
しょうが隣へ来る。
「模擬戦するんですね」
「ああ」
「大丈夫ですか?」
「何が?」
しょうは少し考える。
「財布」
一夏は吹き出した。
少し離れた管制室で、通信を聞いていた佐伯も笑った。
千冬だけが額を押さえていた。