蒼穹の天駆翔 ~Learning to Fly~ 作:佐伯明人
翌日の昼休み。
しょうは食堂の端で昼食を食べていた。
向かいには一夏がいる。
「今日も測定?」
「放課後に」
「結構やってるよな」
「入学してから三回目」
しょうは味噌汁を飲む。
一夏は自分の定食を見る。
「俺も白式で毎日訓練だし、似たようなもんか」
「織斑君は模擬戦あるからじゃないですか?」
「それもあるけど、なくてもやるらしい」
「大変ですね」
「高瀬もだろ」
しょうは少し考える。
「私は飛んでるだけなので」
「俺も飛ぶだけなら楽しいんだけどな」
一夏は昨日の訓練を思い出す。
千冬には一度も攻撃を当てられなかった。
今日は回避。
何をされるのかは教えられていない。
知らない方がいい、と千冬は言った。
嫌な予感しかしない。
「そういえば」
一夏が箸を止める。
「佐伯先生から何測ってるか聞いた?」
「反応が早いって」
「高瀬の?」
「ISの」
「違うの?」
しょうが少し首を傾げる。
「よく分かりません」
「俺も」
二人とも食事へ戻る。
少しして一夏が言った。
「まあ、悪い数字じゃないならいいんじゃない?」
「佐伯先生も今のところはって言ってました」
「じゃあ今のところはいいんだろ」
「たぶん」
会話はそこで終わった。
二人にとっては、それ以上広げようのない話だった。
***
放課後。
第三実習アリーナ。
しょうは訓練機を装着していた。
管制室には佐伯。
今日は他にも二人の技術スタッフと、IS操縦データを担当する教員がいる。
「高瀬さん、聞こえる?」
『はい』
「今日は少し変なことやるから」
『変なこと?』
「動かない」
しょうがアリーナ中央で止まる。
『もう動いてません』
「そうじゃなくて」
佐伯は画面を操作する。
アリーナ内に一つの光点が現れた。
『あれに行く?』
「まだ行かない」
『はい』
「光ったら、行こうと思って」
少し間。
『思うだけ?』
「思うだけ」
『動かない?』
「動かない」
しょうは光点を見る。
佐伯は複数の計測画面を開く。
「じゃあ始める」
光点が消える。
数秒。
別の場所に光点。
しょうは見る。
動かない。
画面に小さな波形。
スタッフが確認する。
もう一度。
別の位置。
しょうは動かない。
波形。
「次は、光ったら行って」
『はい』
光点。
しょうが動く。
計測。
「もう一回」
繰り返す。
「次。行こうと思ってから、一秒待って動いて」
『一秒?』
「自分の感覚でいい」
光点。
間。
しょうが動く。
佐伯が数字を見る。
「もう一度」
繰り返す。
「次、二秒」
『はい』
光点。
間。
動く。
スタッフの一人が画面を見る。
「意図形成側は普通ですね」
「そう見える」
佐伯が答える。
「本人の反射神経だけが異常に速いわけじゃない」
「ならインターフェース?」
「まだ」
佐伯は通信を入れる。
「高瀬さん、次は歩こう」
『飛ばない?』
「歩く」
『はい』
「右足だけ」
しょうが右足を出す。
「戻す」
戻す。
「左」
左。
「腕」
上げる。
下げる。
指。
首。
身体を捻る。
しゃがむ。
立つ。
どれも単純な動作。
佐伯は数字を見る。
速さではない。
動作の種類でもない。
「全部出てるな」
教員が言う。
「誤差では?」
「ここまで揃うと、その説明の方が難しい」
佐伯は過去データを呼び出す。
入学前。
初飛行。
授業。
低速飛行。
今日。
同じ傾向。
「訓練機を替えましょう」
スタッフの一人が言った。
佐伯が頷く。
「そうしよう」
通信。
「高瀬さん、一回解除して」
『はい』
***
十分後。
しょうは別の訓練機を装着していた。
「違います?」
佐伯が聞く。
しょうは腕を動かす。
「少し」
「どこが?」
「さっきの方が動きやすかったです」
「それ以外は?」
「分かりません」
「十分」
同じ測定。
歩く。
止まる。
腕。
跳ぶ。
飛ぶ。
低速。
高速。
数字が出る。
スタッフが画面を見る。
「同じですね」
佐伯は答えない。
別の訓練機。
同じ。
「機体固有ではない」
教員が言う。
「少なくとも三機で再現」
「ソフトウェア側の設定は?」
「標準です。個人調整も最低限」
佐伯は椅子へ深く座る。
画面の向こうでしょうが飛んでいる。
特別速いわけではない。
今日の課題では速度を制限している。
それでも。
しょうが動こうとする。
訓練機が動く。
その間にあるはずの時間が、短い。
「遅れないな」
佐伯が呟いた。
「はい?」
スタッフが聞く。
佐伯は画面を見る。
「いや」
通信を入れる。
「高瀬さん、降りて」
『もう終わり?』
「今日はね」
『はい』
しょうが下降する。
着地。
少しだけ姿勢が揺れる。
佐伯はそれを見る。
操縦が完璧なわけではない。
着地はまだ甘い。
旋回も時々膨らむ。
飛行経路も修正される。
技術そのものは初心者の範囲にある。
だから余計に数字だけが浮いていた。
***
測定終了後。
しょうは管制室へ来た。
佐伯からスポーツドリンクを渡される。
「ありがとうございます」
「今日は長かったから」
しょうが飲む。
画面にはまだ記録が出ている。
「やっぱり早い?」
「早い」
「どのくらい?」
佐伯は少し考える。
「そこを簡単に言うのが難しい」
「すごく?」
「そういう言い方もしたくない」
しょうは飲みながら待つ。
佐伯は二つの波形を表示した。
「普通はね」
一方を指す。
「人が動こうとする」
次。
「ISがそれを受け取る」
次。
「機体が動く」
しょうが見る。
「はい」
「高瀬さんの場合、この間が短い」
「ここ?」
「そう」
「なんで?」
「分からない」
佐伯は即答した。
しょうが画面を見る。
「故障?」
「三機で同じ故障するなら面白いけどね」
「私?」
「それもまだ分からない」
佐伯は画面を閉じる。
「だから調べる」
しょうは頷いた。
「はい」
「怖くない?」
突然聞かれて、しょうは少し考えた。
「何が?」
「普通と違う数字が出てること」
しょうはまた考える。
「悪いんですか?」
「今のところ、悪いとは言ってない」
「じゃあ、まだ分かりません」
佐伯はしょうを見る。
「そうだね」
それ以上聞かなかった。
「今日は終わり。寮に帰って休んで」
「明日も?」
「明日は通常授業だけ」
「測定は?」
「休み」
しょうは少し意外そうな顔をする。
「測らないんですか?」
「測らない日も必要」
「財布?」
「便利だな、その言葉」
佐伯が笑う。
しょうも少し笑った。
「じゃあ、お疲れさまでした」
「お疲れさま」
しょうが出ていく。
扉が閉まる。
佐伯の表情から笑みが消えた。
「さて」
画面を再び開く。
「どうしようか」
***
その日の夕方。
小さな会議室に、しょうの測定記録が映されていた。
千冬もいる。
佐伯。
技術スタッフ。
学園側の担当者。
「結論から」
千冬が言う。
「異常なのか?」
佐伯は少し考える。
「統計上は」
「危険性は」
「不明」
「原因」
「不明」
千冬の眉が動く。
「分かっていることを言え」
「複数の訓練機で再現します。高速、低速、単純動作、飛行。どれでも同じ傾向」
佐伯が記録を切り替える。
「高瀬さん自身の反応速度だけで説明するのも難しい。意図して待たせれば待てるし、動作そのものには初心者らしいミスもある」
「つまり?」
「本人が上手いから速いわけじゃない」
別の波形。
「ISが本人の意図を拾ってから実際の動作へ移るまでが、妙に短い」
担当者が聞く。
「操縦適性が高い?」
「そう呼ぶには雑すぎます」
佐伯は首を振る。
「適性という言葉にまとめると、原因を見失う」
千冬は画面を見る。
入学前測定の映像。
しょうが跳ぶ。
浮く。
飛ぶ。
千冬から逃げる。
「訓練機で観測を続ければいいのでは?」
別の担当者。
佐伯は答えなかった。
「佐伯?」
千冬。
「それを考えてます」
「問題が?」
「訓練機は多数の生徒が使うことを前提にした標準機です」
佐伯は画面を切り替える。
機体ごとの微細な調整差。
整備履歴。
他の生徒の利用記録。
「測るたびに機体が変わる。個体差もある。本人用に極端な調整もできない」
「専有させるか?」
「訓練機を一機?」
佐伯は首を傾げる。
「短期なら」
「長期では?」
「もったいないですね」
「財布か」
千冬が言った。
佐伯が見る。
「一夏君から聞きました?」
「聞かされている」
会議室に小さな笑いが起きた。
すぐに戻る。
佐伯はしょうの記録を見る。
「もう一つあります」
稼働時間。
「高瀬さん、長いです」
「測定が?」
「乗っていられる時間が」
授業。
測定。
自主的な動作。
複数日の記録。
「今のところ危険な長時間運用はさせていません。でも、本人が『まだできる』と言う時点が遅い」
千冬が画面を見る。
「体力があるだけでは?」
「かもしれない」
佐伯は否定しない。
「でも、分からないなら分からないまま安全側に置くべきです」
「本人保護か」
「はい」
少し沈黙。
学園側の担当者が口を開く。
「では、当面は訓練機で観測を継続。時間制限を設ける」
「賛成です」
佐伯が答える。
「その上で」
千冬が佐伯を見る。
「その上で?」
「専用環境が必要になる条件を決めておけ」
佐伯の指が止まる。
「機体を作ると?」
「まだ言っていない」
「高瀬本人に合わせた機体が必要になる可能性を検討しろ、と?」
「そうだ」
佐伯は画面へ戻る。
訓練機。
標準仕様。
短い応答。
長い稼働。
初心者。
そして、まだ原因不明。
「……分かりました」
記録の備考欄に、新しい項目が加わる。
継続観測。
運用時間制限。
専用環境移行条件の検討。
まだ、専用機とは書かれていない。
***
翌朝。
しょうはいつも通り教室にいた。
「今日、測定ないんだって?」
一夏が聞く。
「ないです」
「珍しいな」
「休みだって」
「じゃあ放課後暇?」
「たぶん」
「俺は訓練」
「大変ですね」
「模擬戦決まったからなあ」
箒が横から来る。
「決まる前から必要だっただろう」
「それ言う?」
「事実だ」
しょうが少し笑う。
一夏は机に突っ伏す。
「普通の放課後が欲しい」
「昨日男子寮で遊んでいただろう」
「なんで知ってるんだよ」
「お前が今朝言った」
「あ、そうだった」
チャイムが鳴る。
三人が席へ戻る。
しょうは教科書を出す。
昨日、自分の数字について会議が行われたことは知らない。
専用環境という言葉が出たことも知らない。
ただ今日は測定がない。
それだけだった。
授業が始まる。
しょうは黒板を見た。