働きたくない天才怪盗、盗んだ令嬢に見初められ念願の窓際部署へ 〜サボっているつもりが、なぜか手柄だけ増えていく〜 作:カレーとスコップ
◇side アイリス
視界が歪み、空間に魔法陣が浮かび上がる──転移魔術特有の挙動だった。
おそらく、このまま転移されればホワイトの目の前に出ることになってしまう。それだけは避けたかった。
咄嗟に魔法陣を書き換え、転移先を別の場所に設定する。といっても咄嗟のことなので、近くて安全な場所に変えるのが精々だ。
「ふぅ、危なかったですわ。とっさに転移の術式を書き換えたおかげで助かりました」
無事に安全な場所に転移できて安心したのも束の間、転移した部屋の雰囲気に圧倒されてしまった。
部屋の床一面を覆い尽くすような巨大な魔法陣と、おそらく神隠しに遭った学生たちを収容したカプセルがいくつも並び、魔力を魔法陣に送るためのコードが何本も繋がっている。
「こんな大規模な魔法、どうせろくでもないことに使うつもりですね」
まずは、この術式が何をするものか調べないといけない。いくら王立魔法学院で主席だった私でも一見して分かるような大きさではない。
この魔法陣に関する資料があれば早いのだけど──おや?
並んでいたカプセルの間に置かれた机。その上に無造作に置かれた紙の束を発見した。
「これは……この魔法陣の設計図? だけど、おかしいですね……」
巨大な魔法陣の全てを確認するのは不可能だけど、ポイントを絞って設計図と魔法陣を照合してみる。構造がピッタリと一致し、この設計図を基に作られたものだと確信した。
「これは──邪神召喚の大魔法?」
馬鹿馬鹿しい。そもそも邪神などという存在がいたという事実すら確証がない。建国神話に邪神という存在が出てくるけど、邪神がいたという痕跡はまったく見つかっていない。
邪神がいないとは言わないけど、確実に言えることが一つだけある──この魔法陣では何も起こらない、ということだ。
「こんだけ多くの犠牲者を出した結果が、この魔法陣では犠牲になった人たちも浮かばれないですね。まあ、死んだわけではありませんけど……」
資料と魔法陣を何度も見比べる。不完全というのもあるけど、実用性重視で面白味の欠ける魔法なのが気に入らない。
どうしようか──心の中で何度も言い訳のようにつぶやく。
すでに私のやりたいことは決まっていて、あとはやるかやらないか、というだけの話。
頭では、やるべきではないと警鐘を鳴らしている。だけど、心の中では、悪戯な欲望を満たすための理由がどんどん積み重なっていた。
「ふぅ──やらない後悔より、やる後悔と言いますからね」
そもそも魔法陣を作ったのはホワイトなのだから、発動させた結果として何が起きたとしてもホワイトが悪い。
全てをホワイトの責任にできると理解してしまえば、止まる必要はない。
魔法陣のポイントとなる箇所を特定し、魔力を流して魔術式を書き換えていく。途中でホワイトが来ると厄介だと思ったけど、ちょうど午後の授業の時間だったおかげで集中して作業を進めることができた。
「できた──これでバッチリ」
額の汗を拭いながら、でき上がった魔法陣を眺める。ホワイトの作った駄作とは比べ物にならない出来栄えに大満足だ。
魔法陣の接続先を父の執務室に変えることによって、より少ない魔力で動かせるようになっている。焦って発動させても、せいぜい父の執務室にある机と椅子が消えるだけだろう。
探索をかければ、この場所もすぐに分かるだろう。あとは父が救援を連れてくるのを待つだけだ。
「よし、後顧の憂いを断ったことですし、ダメ元で出口をさがしてみますか」
何しろ偏屈なホワイトのアジトだ。転移を前提にして出入口を作っていない可能性も十分にある。さすがに私でも既存の魔法陣を書き換える程度なら問題ないけど、転移の術式を一から作るのは難しい。
大規模な魔法でアジトごと粉砕することも不可能ではないけど、王都の中だったとすると大惨事になるし、そもそも王都内での大規模な魔法の使用は原則禁止されている。
面倒でも、脱出するには出入口を見つけるしかない。
「はあ……モリス様がいれば安心なのですが……」
かれこれ1時間近く歩いても出口が見つかる気配がない。
来たところで状況が打開できるかどうかは未知数ではある。だけど、かつて私の苦境を救った記憶から、今回も私を助けてくれるんじゃないかという希望は今の私が前に進むために必要なもの。
「アストルムのバッヂに転移の仕掛けが施されているかと思いましたけど──特に付与はされていないのですよね……」
このバッヂがトリガーになっていると思って調べてみたものの、転移に関する術式どころか何の術式も刻まれていない。転移に関しては無関係だろう。
「あー、私らしくもない。モリス様がいなくても、頑張って出口を見つけるくらい──」
異変を感じて足を止める。膨大な魔力が膨れ上がる気配の先は──例の魔法陣が描かれた部屋の方向だった。
時間は──非常にまずい。この時間、父は執務室で仕事をしている可能性が極めて高い。
もし、ホワイトが魔法を発動させてしまったら、この世の終わりだ!
背中に流れ落ちる冷や汗を感じながら、無意識のうちに魔法陣のある部屋へと駆け出していた。何としても魔法の発動を止めさせなければ──。
しかし、前方から感じる魔力は膨れ上がる一方。
本来の魔法陣であれば、まだ魔力が足りないはず。だけど、犠牲者にピエールが追加されたとすれば……それでもわずかに足りない。
「どうして……いえ、非常事態が発生してやむなく発動させたのかもしれませんね」
自棄になって発動させたのであれば、説得して止めるのは難しいかもしれない。
「くっ、ホワイト。何という恐ろしいことを……」
息が上がるのも顧みず走る。やがて目の前に魔法陣の部屋へと続く扉が見えてきた。
勢いよく扉を開けて中へと駆け込むと、すでに魔法は半分以上発動されかけていた。
「アイリス!」
彼の声が聞こえた。そのことにわずかに安堵を覚えたけど、今はそれどころではない。ホワイトを説得しなければ──。
頑としてホワイトは説得に応じず魔法が発動する。部屋の中が白い光によって染め上げられる。反射的に右腕で目を隠したけど、それでも眩い光が放たれたことがわかった。
光が収まって右手を外すと、予想通りの光景が広がっていた。
「な、な、なんですかこれは!」
魔法陣の中には、父の執務室にあった机と椅子──そして、椅子に腰かけてペンを走らせていただろう父の姿があった。
突然の出来事に父はペンを止め、周囲をうかがっていた。
「ああ、間に合わなかったのね……」
私の声に気付いた父と目が合う。
だが、まだ終わっていない。これは全てホワイトが仕組んだことなのだから。
「アイリスよ。これは一体どういうことなのかな?」
ホワイトのせい、そう信じ込むより早く父の声が耳に入り、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。