働きたくない天才怪盗、盗んだ令嬢に見初められ念願の窓際部署へ 〜サボっているつもりが、なぜか手柄だけ増えていく〜 作:カレーとスコップ
「ケーキを食わせろ! け、け、ケーキ、ケーキを食わせろォォォ! け、け、ケケケ──」
ただの暴漢かと思いきや、頭のイカレた暴漢じゃないか。
「少し遠いかな」
アレクのつぶやきが耳に入る。たしかに今まさに丸太のような腕を振り下ろそうとしている男性客を止めるのは難しい。いくら僕でも割って入って彼の腕を受け止めるのは不可能だ。
──だったら向こうに来てもらえばいい。
次の瞬間、女性客の姿が消えて男性客の腕が空を切った。行き場のない腕が地面を叩き、痛ましい音が響くも男性客は痛がる素振りすら見せなかった。
「なんとか間に合ったかな」
「えっ、何でここに……」
襲われていた女性客は僕の腕の中にいる。何が起こったのか分からず、拭いきれない恐怖に怯えながらもキョロキョロと辺りを見回していた。
そう、割り込むのが間に合わないなら、盗んでしまえばいい。間に合うかどうかは賭けだったけど、どうやら上手くいったようだ。
しかし次の瞬間、背後に凍てつく冷気を感じた。
「モリス様……浮気ですか?」
「助けるには盗むしかなかったんだから、しょうがないじゃないか──」
盗むと簡単に言うけど、いつでも使えるわけじゃない。先ほどはターゲットが視界に入っていたこと、そして男性客が馬乗り──所有を主張していたと認識されたおかげだった。
不満を漏らしつつも、咄嗟の状況では他の手を取れなかったことを理解したのか、アイリスも渋々ながら納得してくれたようだ。
疚しい気持ちがないことを示すために、早々に女性客を下ろしたのも良かったのかもしれない。
「しかたありませんね。今回は大目に見て差し上げます」
「ホントに何もしていないんだけど……」
後は暴れた男性客を捕まえて──そう思ったところで、店の中から5人ほどの店員が現れると、僕たちが割り込む隙もないほど手際よく男性客を連行していった。
「ずいぶん手慣れてるなぁ」
「手慣れてるんだったら被害が出る前に何とかして欲しかったんだけど」
「まあまあ。でもこれで店とあの客が繋がっていることがはっきりしたね」
捕まえる時の手際の良さもさることながら、男を連れて行った先が店の中という時点で関係あると言っているようなもの。
何より不気味なのは、暴れた時には動揺を見せていた他の客が、連れていかれてからは何事もなかったかのように大人しく並んでいることだった。
「でも──そんなことより見直したよ。先ほど女性客を盗んだ技、ダークネスシャドウを彷彿とさせる鮮やかな腕前。ま、といっても本物のダークネスシャドウの足下にも及ばないけどね」
「そうっすか……」
どうやら、アレクは僕よりも凄いダークネスシャドウを知っているらしい。僕は聞いたことないから、彼の住む隣国にいる人なのだろう。
まさか僕と似たようなセンスの持ち主が隣国にもいるとは──少しだけ親近感を感じるな。
「えっと、良かったら話を──」
「あれはいったいなんですか?」
脱線してしまったけど、今は店の偵察が最優先。せっかくなので助けた女性客に話を聞こうと思ったら、割り込むようにアイリスが話を切り出した。
「えっと……」
「もしかして、また浮気をするつもりですか?!」
「いや、そんなつもりはないけど──話を聞かないとだよね?」
「それなら私が聞きますので、モリス様は半径2メートル以内に近づかないでください!」
どうやら僕が彼女を盗んでしまったことを気にしているらしい。いつになく強硬な態度のアイリスに戸惑っていると、背後からポンと肩を叩かれた。
「ま、元気だしなよ」
「アンヌ……に慰められてもなぁ」
「ちょ、モリぴったらヒドすぎじゃん?」
言葉こそ僕を非難するようなものだけど、「わかってるよ」と言いたげにニヤニヤと笑っているのが腹立たしい。
そんな普段のやり取りのようなものですらアイリスを刺激するのは十分だったようで、話を聞きながら僕の方をにらみつけてきた。
このやり取り、どう見ても仲が良いようには見えないと思うんだけど、今のアイリスを刺激するのはマズそうなので、大人しく両手をあげてスススとアンヌから距離を取った。
アンヌの方もアイリスの異変を察知したようで、僕の奇妙な動きに何も言わずに肩をすくめる。
「さっきの人、連れていかれたみたいだけど何をするつもりなんでしょうか?」
「えっと、実は誰も分かっていないと思いますよ」
「わかっていない?」
「はい、ああして連れていかれる人は何度も見かけていますけど、翌日には何事もなかったようにケロリとした顔で日常生活に戻ってますから……」
アンヌとやり取りをしている間にアイリスは着実に情報を集めていたようだ。たしかに何度も連行されるのを見ていて、翌日には元通りになることを知っていたら気にしなくて当然だろう。
「えっと、助けて頂いたのはありがたいのですが、そろそろ列に戻ってもいいでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
「はあはあ……私もそろそろ食べたくてたまらなく……失礼します!」
話をしていた女性客も次第に目が虚ろになっていき、息遣いが荒くなっていた。話を切り上げた彼女はふらつく足取りで元の場所に戻っていく。
すぐに順番が来て、店の中へと吸い込まれていった。
「一体なんだったんだ?」
「明らかに異常でしたが……」
アイリスの言う通り、男性客はもちろん女性客も正常とは言い難かった。なにより、この店のケーキに対する欲求が明らかに度を超えている。
「間違いないね。この店にボクの求めていたものがあるようだ」
「もしかして負けたショックで……」
なんということだろう。あの時はわざと負けたと思っていたから気にしていなかったけど、アレクはボン、というか僕に負けたことがショックだったらしい。
それを忘れるために明らかにヤバそうなケーキに手を出すなんて──そう思っていたけど、なぜかアレクは半眼で僕をにらんでいた。
「言っておくけど、考えていることとは違うからね?」
「えっ、なんで僕の考えていることが──」
「その憐みの籠った視線に気付かないわけない! そっちにいる二人もだ!」
どうやらアイリスとアンヌも僕と同じことを考えていたらしい。
「なーんだ、あのゲロマズケーキを食べたくなるほど追い詰められていたのかと思ったよ」
否、アンヌは少しだけ違ったようだ。あまりにも斜め上すぎる妄想にアレクも一瞬だけ虚を突かれたように放心状態になったが、すぐに我を取り戻して青筋を浮かべた。
「まったく、どいつもこいつも鈍いな! 麻薬だよ、麻薬!」
アレクはどうやら負けたショックで麻薬に手を出そうとしているらしい。そこまで仲が良いわけではないけど、さすがに止めるべきだろう。
「麻薬は犯罪だよ?」
「そんなこと知ってるっての! ボクは麻薬の出元を突き止めにきただけだよ!」
どうやらアレクの言う通り、僕たちの予想は尽く外れていたようだ。