働きたくない天才怪盗、盗んだ令嬢に見初められ念願の窓際部署へ 〜サボっているつもりが、なぜか手柄だけ増えていく〜 作:カレーとスコップ
「さあ、こちらにポチっとお願いします!」
「ふっ、結婚などという重要なことを簡単に決めるのは感心しないな」
良く言った。素の僕だったらアイリスの勢いに押されていたかもしれないけど、このまま回避できそうだ。
たしかに貴族の結婚はほとんど政略だから、親の意向であっさり決まってしまうことも少なくない。
だけど、僕とアイリスには当てはまらない。当事者だけの話だし、政略的な要素もない。
何より爵位の差などの問題が多すぎる。躊躇して当然だ。
「簡単に決めたとは――私の覚悟を見くびらないでいただけます?」
「ふっ、そこまで覚悟があるなら――いいだろう」
いいだろう、じゃないんだけど。なんで即堕ちしてるんだよ!しかも、あっさり拇印を押そうとしているし――鎮まれ、僕の右腕!
願いが通じたのか、間一髪で右腕の動きが止まった。
チャンスだ――ここで問題点を指摘してアイリスを思い止まらせる!
「だが、我輩たちは貴族。覚悟だけで結婚するものでもあるまい。政略的な意味も必要であるし、何より爵位が違いすぎる」
「その点は心配いりません」
アイリスは婚姻届に書かれた僕の名前を指差した。そこには『モリス・アンヴェイル』と――家名が違うんだけど。
「書かれている名前を間違えているようだな。これでは通るはずがない」
「いえ、間違っておりませんわ。ただ今をもって、モリス様はアンヴェイル伯爵を我が家から賜っております」
ちょっと待って、上位貴族は爵位を複数持っていることも珍しくない。だけど爵位って、そんなポンポンあげるものじゃないよね。
「爵位を理由に断られる可能性を考慮して、あらかじめお父様に頂いておりますのよ。それに政略なんて、後でこじつければどうとでもなります」
「そうか、ならば問題はないな」
たしかに問題はなくなっている。だが、あっさり受け入れないで、もう少し粘って欲しいんだけど。何より政略を後でこじつけるとか、意味がわからなすぎる。
とはいうものの、目の前にいるアイリスは僕の一目惚れの相手。もはや僕には右腕を鎮めるだけの理由も余裕もなかった。
「ありがとうございます。これで晴れて夫婦ですわ」
拇印を押すと、アイリスは婚姻届をひったくり、脇に跪いた姿勢で現れた男に婚姻届けを手渡す。そして僕の方を見て、ニッコリと微笑んだ。
その男は、どう見ても僕より強い。ともすれば僕がいなくても救出できていたんじゃないか?
「我輩が助ける必要はなかったのではないか?」
「それはありません。なぜなら、運命によって定められていたのですから」
アイリスは運命と言っているけど、その中身は単なる占い師の言葉だ。それを信じるのはどうかと思うけど、現に僕と遭遇している。
だが、それを運命という言葉で片付けてしまうのはどうなんだろうか。最初に運命と言い出したのは僕だけど。
「もう手遅れかもしれないが、両親は問題ないのか?」
「これからです。モリス様がお父様に認められれば、問題ありません」
「それは厄介だな」
「モリス様なら余裕でしょう」
アイリスの父親は貴族の中でもトップに立つ公爵。僕からすれば雲の上の存在なんだけど、なぜかアイリスの信頼が高すぎて逆につらい。
「いずれにしてもやるしかない、ということか」
「はい。では、お父様にご挨拶に参りましょう」
アイリスは余裕の笑みを崩さない。それもそのはず、頑張らなきゃいけないのは僕の方なのだから。
心の中で悲鳴を上げながら、僕はアイリスの家に向かうことにした。
「まだ、結構いるな……」
「そうですわね、五、六人といったところでしょうか?」
外の気配を探りながらつぶやくと、アイリスが首を縦に振る。令嬢と思って見くびっていたけど、意外と慣れているのかもしれない。
「どうやら、こちらに向かってきているようだな」
「ですね。では――」
そう言って、アイリスは僕の首に両腕を掛けてぶら下がってきた。
「何かの冗談か?」
「結婚したのですから、お姫様抱っこは当然でしょう」
何が当然なのか、さっぱり意味がわからない。だけど、敵は迫ってきていて迷っている余裕はなさそうだ。
「致し方あるまい――」
僕はアイリスを抱き上げると、扉の脇で待ち伏せをする。しばらくすると、扉を開けて数名の男たちが一斉に飛び込んできた。
剣を抜いて、全員がいつでも戦えるような状態で入ってきた男たちの目に、倒れた男とサンマが二尾。
「いったい何があった?!」
「もしかして……換気をしないでサンマを焼いたんじゃないですか?」
「バカヤロウ、そんなわけあるか!」
鋭い。たしかにサンマを焼くと煙が凄いから、換気をしていないと倒れてしまうかもしれない。
だが、落ちているサンマは生だ。そのことに気付いたリーダーと思しき男は注意が必要だろう。
もっとも、彼らが目を奪われている隙に、僕たちは建物の外に出ようとしていた。
「取引のブツもなくなって――」
「クソッ、盗まれやがったのか!」
「このバカどもを早く起こせ!」
怒号の響き渡る建物を背に、僕たちは悠然と王都の街中を通って公爵邸へと向かう。
ダークネスシャドウの格好で追放されたアイリスをお姫様抱っこした状態という、あまりにも目立ちすぎる姿を通行人に見られるわけにはいかない。
僕は屋根の上を跳んで、見つからないように向かっていた。
「さすがはモリス様、あとは私の部屋まで送ってくださればバッチリです」
何がバッチリなのかはわからないけど、公爵邸の警備は遠目で見てもわかるほど厳重だった。