働きたくない天才怪盗、盗んだ令嬢に見初められ念願の窓際部署へ 〜サボっているつもりが、なぜか手柄だけ増えていく〜 作:カレーとスコップ
「ちょっと、それは難しいと思いますけど……」
「そんなことはありません。無能なクソジ──あっ、国王の勅命もここにあります!」
「えっ?!」
思わず変な声が出てしまった。と言っても、アイリスが言いかけた言葉に反応したわけじゃない──と思う。その後の『勅命』という言葉があまりに重すぎたからだ。
アイリスが差し出した書類に目を通す。たしかに『モリス・ファンタズマ男爵令息がアイリス元公爵令嬢を妻として迎えることを命じる』と書かれていた。
アイリスはお願いって言ってたよね? これって、どう考えても命令だし、国王からの命令となると絶対に断ったらアウトなやつじゃないか。
「本来なら私は追放された身。本来ならクソ──国王の許可など不要なのですが……なんとかモリス様と結婚できないかと、お父様に相談したのです」
もう、そこまで言ったなら取り繕う意味もないと思うんだけど、そもそも取り繕えていないし。
隣に立っている従者も、同じ感想を抱いたのか、冷ややかな視線を浴びせている。残念なことに、当の本人はまったく気づいていないのだが。
「だけど、さすがに公爵家と男爵家では地位が離れすぎてるからなぁ……」
「そこは心配いりません! 男爵家ではなく伯爵家になりますので!」
「えっと……?」
貴族にとって爵位の差とは非常に重要なもの。一つ離れただけで住む世界が違うと言われるほどで、二つ離れていれば結婚相手としてはギリギリ。アイリスの公爵家からしたら、僕の男爵家など虫けらに等しい。
その懸念を伝えたはずなんだけど、アイリスから斜め上の話が返ってきた。もはや何と答えればいいのかわからない。
すかさず従者が近寄って耳打ちをすると、何かを理解したらしくポンと手を叩いた。
「大丈夫ですわ。今日からモリス様は伯爵になります!」
「なりますって言われても……」
「お嬢様、ちゃんと説明して差し上げないと、完全に置いてきぼりになっておりますよ」
「えっ、そうなの? 普通はわかるのではないかしら」
どうやら理解したと思ったのは気のせいだったらしい。従者のアドバイスを聞いても、僕の戸惑いが理解できていなかったようだ。
唯一の救いは従者の人が優秀だったこと。彼のおかげで異次元の会話にならずに済んでいると言ってもいい。
「失礼──どうやら、お嬢様はモリス様とお会いして舞い上がっておられるようです」
「そ、そんなことはありません!」
「具体的に説明いたしますと、爵位を理由に断られないようにするため、公爵家にある爵位をモリス様に譲るということです」
従者の説明を聞いて、ようやく話の内容が理解できた。もっとも理解できたと言っても、納得できたわけじゃない。
何も貢献していないのに伯爵位をもらうとかありえないし、その理由が結婚を断るために、爵位を理由にさせないようにするためとか、意味不明すぎる。
そもそも、アイリスの父親である公爵が娘が見ず知らずの男と結婚するのを、猛烈にプッシュしてくるのが理解不能だった。
「旦那様はお嬢様を溺愛しておりますので」
「それだったら、普通は嫁になどやらん、とか言いそうですけど……」
「旦那様にとって、お嬢様のお願いを無下にすることの方が恐ろしいのです、それにモリス様はお嬢様を救ってくれた恩もございますので、旦那様も結婚を歓迎しております」
マジかよ。でも、それならそれで懸念はある。
別の家になってしまう、ということは妹と経済的に独立してしまうということ。先行き不安な現状、妹を残して家を出るわけにはいかない。
「うーん……」
「ご心配かもしれませんが、持参金は男爵家に入りますし、今後の支援も──」
「それじゃあ、お兄ちゃんは結婚するということで」
渋る僕に対して、従者の人が詳しく補足する。それに真っ先に食いついたのは妹の方だった。
いや、妹なら絶対食いつくと思っていたのだろう。従者が狙い通りと言わんばかりに口角を上げる。
アイリスは純粋に嬉しくて笑顔になっただけだが……優秀でも、こういった駆け引きには疎いのかもしれない。
「お嬢様は普段からこんな感じではありませんよ。今回はモリス様と結婚する、という目的のために少々ご乱心されているようです」
「そ、そうなんですか?」
「ちょっと! そんな言い方はないのではありませんか?」
従者の言葉に戸惑う僕。そして、当の本人であるアイリスは顔を真っ赤にして彼をにらみつけていた。
「なんか怒っているようですけど、実は違うんじゃないでしょうか?」
「恥ずかしがっておられるだけですよ」
「ちょっと──!」
「それはそうと、早く話を進めてもらえませんか?」
アイリスと従者の不毛な言い合いに痺れを切らした妹が声を掛ける。我に返った従者が向き直って書類を僕たちの前に差し出した。
「こちらが今後の支援についてでございます」
そこには僕たちにとって至れり尽くせりと言っていいような条件が列挙されていた。
「悪くありませんね。では、このまま結婚を進めま──」
「ちょっと待って、僕の意思を無視して話を進めないでよ!」
「お兄ちゃん……お金の前には人の意思なんて、ちっぽけなものでしかないんだよ」
「ヘレン……」
妹も全てを納得したわけじゃないようだ。僕が家から出てしまうことに躊躇いはあるけど、これで生活が安定するなら……という覚悟が垣間見えた。
妹が覚悟を決めているのに、僕が覚悟を決めないでどうする。僕も妹も過去から解放されて未来へと進む時だ。
アイリスとの結婚という悪くない──むしろ理想的ともいえる選択をして先へ進む。障害となる未知への不安など些細なものだ。
「決めたよ、僕もアイリスと結婚したい」
「モリス様!」
感極まったアイリスが僕に抱き着いてくる。そんな感動的な結末にも従者は冷静だった。
「では、手続きを進めましょう」
「あっ、はい……」
冷静になった僕はテーブルの前に置かれた書類に目を通してサインをしていく。後ろに回ってソファの背もたれ越しに抱き着いていたまま、アイリスは頬を膨らませていた。
「もぅ、少しは空気を読んでいただきたいですわ」
「それはお嬢様の方ですよ。まったく……ここまで来るのに何度も助け舟を出してあげましたよね」
「……はい」
あまりの正論にアイリスはあっさりと返り討ちにあってしまった。しょぼくれてはいるけど、僕の首に回した手がほどけることはなかった。