3日間ほど診療所でぐうたらしていたシグが退院した。看護師の方から聞いた限りでは、病院食に対して凄まじい愚痴を吐いていたらしい……例えば。
『栄養の為ってのはまだ理解できるわ。PFCのバランスやとか、塩分やとか大事や、診療所やしな。私やてよーうわかる、一回くたばったってアスリートや、私は。けど、けど……
せやけども!このカツの衣の……このフニフニ具合!フニフニ具合!カツってんならサクッとザクッとした衣に※※※※ソースの黒いほう*1や!塩分あかんくてもそんぐらいできるんやないの!? もーー!!』
との旨を箸でとんかつをつんつんと突きながらそんなことをべそかいて泣いていたらしい。まあ泣くほどかはわからないが、衣に関しては同感ではある。が、それはそれ、これはこれ。その時は他に入院患者が居なかったとはいえ迷惑は迷惑。後でほんの少し説教しなければ。
スケジュール帳を眺めながら、丸、バツ、矢印。丸、バツ、矢印、丸、矢印。カレンダーの欄に練習の有無でシャープペンシルを踊らせる。
次のレースはどうすべきか。
ふと、レーシングカレンダーの「中央交流戦」という字に目が移る。
そういえば同僚や先輩はどうしているのだろうか、連絡してもなぜか既読すらつかないか既読スルーばかりだが。
LANEを開き、先輩―――阿倉さんのチャットへ。未読スルーのままのメッセージ欄からプロフィールへ。背景には見慣れないウマ娘が二人。あのUCACに所属するならUCAC所属のトレーナー、という定石なのだろう、きっと選考すらあったはず。
同僚も皆、1年目にして担当を持っているようだった。
一方、俺。UCACどころか中央にすら居ないし、その上研修先で引き止められた傷だらけのウマ娘に半ば無理やり担当にさせられた。辛うじてライセンスにはURAの文字があるが、それ以外はもうNARのトレーナーと言えるだろう。
しかしバカだ、俺は。掴まされたというべきか、正義感でやってしまったというべきか。あのUCACが許せないといえばそうだ。シグへの所業もそうだし、ここの人々が苦しんでいるのをこの目で見てこの耳で聞いた。
けれど、そのために自分のキャリアを捨てるのか? 1人のウマ娘のために、世界を敵に回すというのか?
成り行きでこうしてシグのトレーナーになった。無事走れる保証もない傷だらけで、心もだいぶ狂っている。しかも一度死んでいるとかいうのはなるほど正気ではない。
俺じゃなくても良いだろ、その
けれど、流されるままに死ぬのだけはゴメンではあるが、それでも。それでも、夢を見てしまう自分が居て。許せない自分が居てしまって。
あの砂塵、加速、筋肉、それに判断力。契約を結んだ後のあの走りが、どうも心を握り潰してしまいそうな、そんなほどに掴まれて。
責任と不安が芯の上に乗っかったのか、ポキと折れてしまった。
ふと、玄関の方からまた違った重さを感じて、瞬間。
とん、とん。
とん、ととん。
ノック? この家にはドアベルがないのだった。しかし大家さん、にしては軽快。
とんととんととんととんととんととんととんととんととんととん
……おそらく両手でリズミカルに、スチールのドアでお囃子を奏でている。こんなことをするのは1人しか候補にない。犯人はお前か、
「……シグ。」
軽く身なりを整え、引っかかりのある鍵のツマミを縦に直して。
「はいはい、どうした、よ……。」
ガコンと音を立ててドアを開けたシグは。
「ただいまー。風呂沸いとる?」
「……なんで。」
胸元に校章のついた、マルーンカラーに紺のアンダーのジャージを纏って。
「なんで。」
膨れたボストンバッグを背負って、紙袋には本が詰まっていて。
「なんで?」
玄関前に、満面の笑みを浮かべて。
「……なんで、そんな大荷物を?」
「住む家あらへんから。」
「へ?」
家が、無い?
「い、いや実家とか、ご両親とか……」
「おらへんで、とうの昔に。」
「えっ?」
「なんや、身の上語りの外郎売でも必要ならやったるけど。あぁなんてことや、悲劇のヒロイン、それはこの私オラコシグニフェリ……うっ、うぇーん……」
演技がざーとらしいし、目が笑ってるぞシグ。
「……とりあえず、玄関前でずっと続ける気なら一旦学園に帰ろうか。」
「そないか、私の過去はまた今度てか。でも何はともあれ入れてくれへんか、シロウズ。もうすぐ梅雨、じめーっとした空気と蚊が入ってまうで?」
「それはそれで嫌だけど入るってならせめて片付けぐらいさせ……「あー、見捨てるんか見捨てるんか?こないな行き倒れのウマ娘拾っておいて、また捨て子にするんかぁ?」
だいぶ神経を逆撫でするのが上手いらしい。国語の点数は赤点回避の名人の癖に、言葉のセンスだけは一丁前にある。成り行きでなったトレーナーだけども、入学検査のペーパーテストの成績を俺は知っているんだぞ、シグ。
「まーとりあえずお邪魔するでー。畳1枚ありゃええし、片付けの1つ2つぐらいなら敷金代わりにしたげるから、ホレホレ。」
……その時、ふと閃いた!
「お邪魔する、だって? そうか、邪魔するなら帰ってくれるか?」
「わかったわかった、ほなまた。
……
ッて新喜劇ちゃうねん。こっからずっコケたら頭から落ちるで。」
流石に回避された。やはり関西人はこういうところが抜け目ない。
「改めて、なんで家が無いんだ? 寮とかあるだろ、トレセン学園なら。」
「寮は満室、親は赤ん坊の私を捨ててどっちも早逝。せやけどあの教会にずっと留まるわけにもいかんのや。」
「早逝……教会……? えっとどういう……」
「もー、せやから身の上語りさせろ言うたんや私は。こないしてシロウズが戸惑うから。せやから昨今の若いのは……」
教会のことは気にはなるしお前も若いのだが、それよりも。
「なんや、そない下半身見られるとちょっと引くで、私。」
瞬間、シグの太腿をぱし、と叩く。
「んひゃっ!?」
「……ほら、玄関前でずっと話してるから。」
今年はやけに暑いらしい、コバエか蚊か潰れたそれがどちらかわからないが、図々しくもジャージの上からシグに触れようとしていた。
「……アホ。これでも女の子やぞ、一言添えんかい。」
ぺし、と手首にスナップを効かせて頭を叩かれる。
「そういう女の子が部品チェックみたいに突然裸を見せるか。」
「そういうアンタやてあの傷見てドン引きせぇへんのも大概やろ?」
いやいや以前のあの『確認』はちょっとしたトラウマなんだぞ、シグ。昔は少年の心で見れたグラビアアイドルもマトモに見れなくなってしまったのだから。
けれど、腹を括るしか。
「まあどうこう言っても仕方ない、話は一旦中でしようか。」
「よっし!おっじゃまっしまーす!」
狭い家に、二人分のスペースと一人分の新たな荷物。
「2度目か、こないして上がらせてもらうんは。しっかし相変わらずこじんまりしとるな、シロウズ。」
「これといった趣味も無いし、仕事できればいいからね。」
大体の物は押し入れに全て入れきって、布団を一式入れたとて空白が半分以上余ってしまっている。
「なあシロウズ、『立って半丁寝て一郎』って言葉あるやろ?」
「それを言うなら『立って半畳寝て一畳』だろ?」
「あー、ソレソレ。」
実際居間は六畳一間、確かに畳が敷いてある。
……まさか。
「寝る時に全部使わんやろ、部屋。布団は毛布1枚でええから、私もこれから寝かしてもらおっと。」
「あぁもうやっぱりか!」
このウマ娘、本気で俺の家で寝泊まりする気だ。
さっそくガサゴソと鞄を開けては物を取り出していく。
紙袋には教科書、ノート。ボストンバッグには制服、ジャージ、いくつかの私服……ほぼ衣類。テキパキと部屋の片隅に並べられていくが……羞恥心ぐらいは本当に学んで欲しい、物を丁寧に置くのはいいがせめて下着とかの類は袋に詰めてくれ。
「あ、タオルは多そうやし借りるで。」
「使うなら、せめて洗濯ぐらいはしてくれよ?」
「そらそーよ、おん。」
……どういう返事だ。
押し入れのほうを一瞥して、ガラッと開けられた。
「ここ空いとる?」
「はいはいご勝手にどうぞ。」
「ほなオッケーってことで。」
奥から順に服が詰められていく。教科書やノートはボストンバッグへ。
「ここに棚とか突っ張り棒とか欲しいなぁ、一応クローゼットやろ、この押し入れ。」
「まあクローゼットだし、買うなら何か1つぐらい言ってほしいけどね。」
「ほな、『何か』」
「違う。」
そんな話をしながら片付けが終わったのか、部屋には俺、シグ、机とそれに乗ったノート。
「そのノートは?なんか字と線とまみれやけど。」
「今後のレースどうしようかな、って。今度見せようと思ってたけど、今考えてたとこで。」
「あーね、そら大事や。」
「とりあえず目標としては、中央に戻ること。移籍か特別留学生ならトゥインクルシリーズで走れるようになるからね。」
「まあ要するに、地方で勝って名前売ればええんやろ?」
「そういうこと。けどどれぐらいの距離とか、回る右左、ダート一本か、芝も走るかとか色々あるからどうしようかな、って。」
「そないやったら重賞Ⅰっての穫れば交流戦とか出れると思うで。せやから狙うなら、クラシック級の兵庫三冠。全部取れへんでも、一つ取れたらjpnⅡとかⅢとか出る権利貰えるやろ。」
そう言いながらクラシック級の四月の欄を指さして。
「菊水賞。いっちゃん速いんはこれ。せやけどその前、ステップレースするんやとしたら、こっち。」
次はジュニア級の秋へ。
「JpnⅡ、兵庫ジュベナイルカップ。これ勝ったら抽選もハズレへんやろ。」
「GⅡを目指す、と。」
「ちゃうちゃう、JpnⅡや。グレード制とちゃうで、シロウズ。」
「あぁ、すまない。まあとりあえずそこを目指して行こうか。でも条件足りてる?」
「前のもちゃんと勝ったことになったらしいし、晴れてAクラスやから出られるで、重賞。」
怪我しながら勝つのはだいぶ理解できないが、まあこうして笑っているなら幸いである。俺がコースに入ったのは緊急性が認められて審議無しと判断されていたが、一着入線が認められたのはまだ連絡が来てなかったため聞けて良かった。
「次はちゃんとトラブル無しで勝とうな。」
「はいはーい。」
ふと、シグが握りこぶしをこちらに向けて。
「はい。」
「はい、と言われても……」
手をお椀にして受け取ろうとした。
「いやいやグータッチやけど。」
「あっ。」
……不覚。
改めて、フィストバンプ。
「……そういや、なんで四月でジュニア級が?」
脱衣所のシグへ質問。またもサラバ一番風呂。
「知らん知らんそんなの、メイクデビューはとうに終わっとるし。」
メイクデビューがあるのは6月からではなかっただろうか? しかし謎は謎だが、脱衣所から出る時ぐらいは胴体ぐらい隠してくれないか、シグ。俺はあくまでもただのトレーナーなんだから。
あぁ、この破綻した社会性に慣れてしまいませんように。
一週間一本ペースで、ぼちぼち行きます。