3月の園田レース場にて。
左遷された俺は今、ボロボロの少女の前に立っている。傷まみれの身体、ボサボサの髪、服にしてはずいぶんと風通しの良い布……いや一部にブルーシートもあるらしい、少なくともあの青は布ではない。ちょっとイロイロと匂う……いや、なぜかそういったものは匂わない。想像止まりだった。ホルモンのソース臭ぐらいしか漂ってこない。
園田レース場は治安が悪い、なんて言う先輩が居たがまあその通りであった。何せレース場の中でウマ娘がこんな姿で佇んでいるのに、追い出されないのが不思議で仕方がない。
「なぁシロウズ。若いし出張はあると思うが、少なくとも園田はやめとけよ。観客に若いのは居ない……というか数は少ないし、上層部も少なくともこっちよりかは気難しいしな。行くにしても船橋かTCKにしとけよ?近いし、綺麗だし。」
こんな小言を先輩は言っていた。その本人は中央勤務のくせに、クソっ。
呼ばれたシロウズとは俺自身、
「なあ、そこのにいちゃん。ウマ娘は皆がスターになれるわけとはちゃう。星を挙げられへん子、普通に成績が悪い子、退学になるようなアホしでかした子……まあピンからキリまで色々おるけど、私もその一人や。何したかって? 殺された……そう、なんて言ったらエエやろかな……虹の橋の向こう側や。これにて可愛い可愛いウマ娘がホンマにお星さまになってしまいました、「スター」だけに……アハハ……ハァ。
……まあええ。そんなわけで私は死んでまいましたとさ。はい、オシマイ。チャンチャン。
……
……いや、わろてんか?なんか、こう。リアクションとかあるやろ?
……
……あーなんや? 詳細? あーーー……たしかに言っとらんな、ほんまごめん。せやな、地縛霊が話しとるんとちゃうし、生きたウマ娘が生きてへんとか言うのも違和感しかあらへんやろ?
まあ、どない言うんがええんやろかな……んー……せやな……私は、名前を消されたんや。人前ではもう走れへんし、尊厳なんてあるわけない。
それでも、そないな私にもう一回光を与えるーやとか、まさか甦らすーとかけったいなこと考えとるんなら……もう、そこから先は私と共倒れ。
クズの手によってまた抹消されて、幸運にも復活できへんかったらそこでゲームオーバー。日の光は二度と見られへんし、そもそもの命すら安全とは限らへんで?
それでも、そんな結末かもしれへんと知りながら。その大事な人生、投げ出す覚悟はアンタにあるんか?」
傷や火傷痕の目立つウマ娘は流暢に語る。段ボールの上でカラスが止まっていた所を追い払って起こしたら、俺が持っていたおにぎりをかっぱらってはがっつき始め、そのまま語りだした。
図々しいにも程があるものの、食いっぷりからしてしばらく食べていないとしか思えないのでお茶も少し飲ませた。一息でペットボトルを凹ませ空にして、「けふっ」とげっぷを軽く済ます。値上がりのした緑のラベルと財布がベコベコという音を立て始めた。
一枚だけ羽織る服……というには少し悲惨なそれは燃えるごみから漁ったのだろう、人参の皮のカスらしきものや染みが目立つ。見てはいけない部分は隠れているだけマシかもしれないと自分自身をなだめる俺を横目に彼女は話し続けている。
「んー……なんや?そんなじろじろと。傷汚れ使用感焼けにシミに臭い、
え?『どんなことがあったらこんな怪我をするんだ』やと?まぁ、せやな……鉄骨数トン、朽ちた電気設備、暴行が少々、それと悪意。語りたくあらへんから何されたかは想像におまかせするわ。しっかしさっすがお金持ち、こんな事件やのにお巡りさんに無視させる権力あるわけや。おかげ様でこの通り、ちょっとやそっとの手術でもなくならへん傷と痕の完成。けど五体満足走れるぼでーなだけお釣りいっぱいや、そこは神様に感謝やな。」
傷。少女の右の目元を頬から眉まで縦に1本、左の頬に2本……いや顎の下にもう1本、少し大きめのウマ耳にも両方切れ込みが深く入り込んでいる。火傷の痕は右の頬、左の首もとには浅黒い色の痕がシミになっている。そしてボロ布の隙間からもここですよ、と呼び掛けられる程の大きさのそれがチラリと見える。少なくとも胸や下半身よりかはもし見えてもまだ社会的には死なないものの、視覚だけでも精神を削り取られSAN値減少2D/100でロストするような痛々しさが目に飛び込んでくる。だがその肉体のバランスや姿勢のブレの無さが骨や筋肉には傷一つ無いと弁明しているために、彼女の話すような欠陥品では無さそうだ。
「ん?『家まで来い』、やと? きゃーお巡りさーん、成人男性が女の子をすっ裸にして家に連れ込もうとしてまーす、たーすーけーてー……。 あーいやいやいやいや冗談冗談トーセンジョーダン。……そんな顔せんといてや。どーせ今警察にお世話なったら詰められるのはまず私やしな。まァエエで、何考えとるかはなんとなーくわかる。少なくとも、私を更なるキズモノにするとかとはちゃうやろ?煮るなり焼くなりレンチンなり好きにしてや。その代わり、私の手を取ったら……共同正犯やろうと幇助犯やろうと、最後の最期まで責任取ってや?新進気鋭のトレーナー君?」
ああ、俺は確かに中央のトレーナーだとも。輝かしいURAへ就職する少し前に何か事件があったと聞いたが、君には関係の無い話だと突き放した先輩が居たのははっきりと覚えている。
しかし、ウマ娘がこうしてみすぼらしい格好であることへの少しの怒りと、目の前で私の買った夜食を夕食に変えられてしまったことからの人助け、哀れなその姿を見ていると罪悪感で睡眠障害になってしまう不安、そして万が一、万が一その消えたウマ娘とやらが目の前にいたとしたらという恐怖から、とりあえず家に連れ込むことにした。
どうも昔拾った子猫を思い出す。最後は引き取り手にケージごと預けたが、このウマ娘もいずれはそうなってくれるといいのだが。
不動産屋からの提案が安アパートでなかったことには感謝したい。何せこのウマ娘は本人が言うには消えたはずなのだし、そもそもマトモな服が無いのだからせめて上下一つ二つは着せてやろう。とジャケットを着せて駆け足で家までこの捨て子を持って帰った。
……共同正犯。
読まれていた。
「ほら、あんたの家その近くやろ?お風呂は沸いとる?飯の貯蔵は?私がこの布切れ剥がしても襲われへんスペースあるやろな?いやいやあんたが変なことするわけ無いやん。そういう
訳有りの
「オラコシグニフェリ。てきとーにしてはエエ名前やろ?」と名乗る。
オラコ。シグ。フェリ。長い名前には呼び名が要る。名を呼んで毎回舌を噛んではイギリスのような三枚舌でもストックが切れるというもの。オラコ……オラコ……オラ…「あ、その名前はナシで頼むわ、まあ理由は今度やけど……とりあえず今は勘弁してもろてええやろか?おっちゃんらに言われるのならまだええけど、流石にまだ私らは一朝一夕のドラマティックな出会いをしたまでやろ?」
……口に出していないのに、こうも見抜かれると少し腹が立つ。
じゃあシグ。シグって呼ぶぞ。俺が平らげるはずだった今日の夕食を六割方持っていった少女……シグはエエやん、と口一杯に白飯を頬張りながら頷く。
「シャンプーこれしかあれへんの? いやスースーするん好きやからこれ私の分もおねがいな!」
飯のみならず疲れた俺を癒すはずの一番風呂が奪われてしまった。流石ウマ娘、行動も早い。彼女の着替えのことは……将来の自分が考えることとした。さすがにアパレルショップの代わりにホームセンターでブルーシートを試着室に持ち込むのは気が引ける。
こうして、行方不明者が俺の六畳一間に住みついてしまった。