「ですから、私が彼女のトレーナーに……」
「せやからやめとき、って言うとるんよ。オラ公が言うとるならまだしも、中央から来た新人のちんちくりんが……」
詰められている。兵庫トレセンの重鎮に。任侠のそれの風貌が、ひい、ふう、み。一方こちらは一人でひいひい言っている。3羽揃えば牙を剥くなんて言われるが、揃わずとも一人で俺を食いちぎれそうなスーツの男性が三人、来るぞ白渦。指だけは堪忍してほしい。しかし肝心の話題の本人は……
『私ホルモン食べてくるわー!あと鉄火にコーヒーに串カツにー……』
この通り、その後不在。何故だ、何故その本人がこのタイミングで居ないのだ、オラコシグニフェリ。どうして君はこんな時に限って酒のアテみたいなものばかりを食べに消えてしまったのだろうか。どうやら食事代は園田のNAR経由で後払いのようだが……
「オラコシグニフェリ本人とは昨日合意しています。覚書や伝言はありませんが、今からでも呼びに……」
「いや、オラ公本人の合意の問題とちゃう。わしらが心配しとんのは、あんたのほうやで。せやせや、自分自身に指差しとる
「じゃあどうして……」
問う。少なくとも、URAに受かるならNAR役員と同じぐらいの腕は必要なものとされているなら尚更。
「あんた、オラ公がどういうウマ娘かわかっとる?」
「……過去に中央で勝ち、消された、と。相手はUCAC、それも注目のウマ娘、マールィドクトゥスと関係があるとまでは。」
「それ話したんか……オラ公……だいぶ覚悟決まっとるようやな。」
「そもそもアイツはそんじょそこらのウマ娘とは桁がちゃうよ? 暴れるウマ娘の担当なんぞ、も少し経験積んどるようなトレーナーがええんやけどなぁ。」
左の、青いペイズリーのネクタイをしたご老体が語る。
桁が違う。確かにその生き様は一般的なウマ娘とは違うに決まっている。
「中央でデビューしようとしとったろ? そんで大勝ち……言っとることわかるやろ。オラ公はなぁ、強いんやで?」
強い。そりゃそうではある。中央と地方の差は大きいのは明確、それこそ勝ち上がれば過去の伝説……挙げるなら、笠松のオグリキャップ、大井のイナリワン、更に過去ならハイセイコーも居た。浦和からも一人居たはずだ。少し昔の話で既に多くが引退しているものの、未だに伝説として刻まれている。
「あの時はだいぶ盛り上がったで。やろ?垂れ幕掛けて、セレモニーもして、当日は皆で花道作って見送ったもんや。やっと兵庫からも、中央に殴り込めるウマ娘ができた!ってな?
でも事故巻き込まれたって聞いた時は逆や。ほんま……誰も彼も泣いとったし、後を追おうとしはったんも何人かおった。そしたら2日……3日ぐらい経った頃やったっけか、ざんざ降りの雨やった。そんな夜、事務所の前にな?」
懐かしむように、三人で顔を見合わせて頷きあっている。
「居たんですか。彼女。」
「そうなんよ。ズタボロのカッコして、『おっちゃん、ただいま。やっぱアカンかったわ。』やと。
ごうごう降っとる中で、玄関先でいつもみたいに笑っとったよ。すぐ事務所入れたって、皆呼びつけて夜通し話しとったさ。」
今度は右の赤いネクタイ、七三分けの役員から。
ふと、疑問が浮かぶ。
「……えっと、よろしいですか? シグが目覚めたのは海岸と聞きましたが。それも東京の。」
歩いたとしても、まずあり得ない距離。たしか直線距離ざっと600km以上。
「聴いた限りではヒッチハイクしてきたらしいわ。身元隠して、『旅しとる、古傷多いんやけど』ってトラックで。」
よくもまあ疑われなかったものだ。それでもきっと、応援してた人もその中に居たのかもしれないと脳裏によぎる。
「愛されてたんですね、シグは。」
「そりゃあそうさぁ、オラ公は兵庫トレセン皆の英雄や!あんの金持ち中央を今度こそキャン言わせたるぞ、一泡吹かせて態度改めさせたるぞ、って息巻いとったんやから。」
「それほど恨むとは、過去に何か揉め事でも?」
恐る恐る質問する。中央の話をしている時だけ目が怖いのだ、仕方がない。
「昔から中央はどいつもこいつも地方を見下しとった。特にあの……何やったか、たしか、うかく……」
「UCAC。ユーシーエーシーやとあかんのかいな?」
「それやとコーヒーの会社やないか。」
言われてみればそうかもしれない。
「逸れかけたわ、すんまへんな。そんでUCACか。あそこはだいぶ私らを貶しとるとしか思えへん。週刊誌とかで見たことあらへん?『地方は不要』とか、『あんな所は行くべきではない』とか。
ほんまあの代表おもろないわ、笑いよりも反吐が出てまう。」
空を睨む中央に座る重鎮。肩書きは「理事長」と。
「せやけど、オラ公が中央で星を挙げてみぃ!あの仮面の二枚三枚剥がれるんやで?蔑ろにされてきた過去まとめて返してやれるんよ?」
意気揚々と語る。そりゃあそうではある。知る限り、UCACは地方まで手を伸ばしておらずそれ故に、NAR所属のウマ娘が見放されているように見られるのも当然である。
「やっぱ金にならへんのやろなぁ、大井とかならまだしもこちとら尼崎、JPN1やとかもあらへんし。それに、中央に入れるんは腕のある子ってことの裏付けや。やとしてもローカルのこっちに入ることを走れへんとでも思っとるんやろかな、全く。わかるか、この前のJBCは……」
愚痴る。昨年まで活躍していたウマ娘や、そのさらに前の英雄譚までも話す。
「金に、ならないと。」
その一言がリフレインする。あくまでも、ウマ娘のレースはエンターテイメント。賞金は出るには出るが、一番の意味は芝と土の上で、各々の意味の下に駆けること。そこのどこが。
「どこが金になるんですか。あの娘たちをお金って。」
「そりゃ、色々さ。広告、スポンサー、物販にライブのチケット、あとコラボとか……まあその他諸々色々なとこや。ウイニングライブやて、うちみたいにステージ前の広場に入れられるだけ入れての歌って踊るとは格が違いおるしなぁ。
そないファンサ……いうやつやったらこっちの方が上かもしれへんな、毎レースに写真付きのサイン会やっても時間余るわ。そもそもあんまし人こーへんけど。」
そういえば、先ほどレースに勝ったウマ娘が売店前で何かしていたような。行列とまではいかないが、ファンの人々に囲まれていた。
「なあ兄ちゃん、こんな噂聞いたことあらへん?
『UCACはそういう金にめざとい』って。利権絡みの噂やったら大抵名前載っとるぐらいや、そらこんな話流れるわけやが。」
「あー、昔に動画サイトで少し。その時は陰謀論みたいな扱いでしたが。」
たしかサムネイルはこんな文言だった、ような。
『トレセンのUCACはレースを操っている!?絶対に勝てないウマ娘と確実に勝てるウマ娘の違いとは!?ウマ娘ビジネスの実態や如何に!!』
太枠の赤文字でデカデカとサムネイルに書いていたのは覚えている。
「まあ、外からしたらそういう都市伝説でしかあらへんわな。もし本当のことが漏れたら……首の一つ二つ以上は確実にトぶで。」
首が飛ぶ。どの意味か、までは詳しく聞けなかったがきっと凄惨なものだろう。
「まあオラ公のようなウマ娘が出とるんやし、黒で間違いあらへんわ。前にも怯えて帰ってきた娘らもやられとるんやろな、医者から心を休ませるように診断出とったぐらいにボコボコにな。」
「……。」
言葉が詰まる。夢を追って中央に挑んで、なのに最後はそうやって。
「なあ、兄ちゃん。あんたはオラ公がもしそないなったらどないする? あんたも無事ですまへんで、それに中央を裏切ったとか言われたら……私らやて、手ぇ出せへんなるかもしれへんで。」
確かにウマ娘がこうなるのならばトレーナーも、きっと。
でも、それでも。
「それでも、俺はあの娘と。シグと、彼女の望むことをやりたいんです。」
沈黙、そして威圧と眼差し。後に、
「……わかったわかった。だいぶ決まっとるようやな、覚悟。」
部屋の空気が和らぐ。
「ほなお二人はこれでええか?」
理事長が左右へと目を振る。二人は言葉を抜きに、頷くだけ。
「ほな、決まり。」
咳払いをして、紙を取り出す。
「白渦朗。君を、オラ公……ちゃうかった。オラコシグニフェリのトレーナーに任命する。」
席を立ったかと思うと、歩み寄ってきて肩をぽんと叩かれる。そして、差し出されたのは右手。
「任したで、白渦君。オラ公潰した奴らをキャン言わせて帰ってきぃ。」
「はい。よろしくお願いします。」
右手には、右手で。ごわごわとした手がガシッと掴まれた。掴み返す。
すると、駆け足の微かな地響き。ダッドッダッドッと廊下を駆ける音が右後ろから。
「終わったー? そろそろやなーと思たんやけど……」
話をすれば本人がドアを開いた。今朝届いたシャツの下で腹を膨れさせ、手には……何だろうか、プラスチックの容器に入ったベージュ。あの茶色はサンドイッチの食パンの耳だろうか?
「あ、これマグロカツサンド、けどそんな目したってあげへんで、ラス1は私のや!」
相当食べてきたらしい。その食費は俺を挟んで君の反対側にいるお偉いさんが払っているんだぞ、シグ。
「ああ、オラ公。よう来てくれたな、飲んでき。」
理事長が机の下から缶ジュースを取り出すと、おおきに、と手に取るシグ。
「んで、決まったみたいやな。」
ニヤリと此方へ振り向いて、視線は契約書へ。
「せやせや、ちゃんと印は本人が押さんとな、せやったろ、おっちゃん?」
手慣れた様子で棚を漁り、判子と朱肉をさっと出す。オラコシグニフェリ、と書いては右には印をトンと押す。
「はい、ほな次シロウズの番!」
カシュ、とプルタブを片手で弾きながら
「ああ。」
懐から印鑑を、理事長からペンを。
白渦 朗
と、右上がりの字で刻まれていく。シグと同じように、印は右に。
「改めて、よしなに頼むで、シロウズ。」
「俺こそ、よろしく。」
よし、やるべきことはやった。とりあえず今日は家に戻り、シグの身の回りの整理を……
「あ、ちょい待ってや。」
理事長に呼び止められた。何か書類に抜けでもあったのだろうか、それともまだサインするものでもあるのだろうか。
「せっかくやしオラ公、コース均せとらんけど走って行かんか? もう今日はレース終わりやし貸し切りやで。」
瞬間。
「走ってええんか!?」
両目を大きく開き、そして輝く。
「ほら久々やろ、
確かに走っていた記憶が無い。まあ、模擬レースに勝ったとはいえそのウマ娘の中で一位だっただけだ。ペースが遅かったのかもしれない。強い、の定義が何なのか。
「では、お言葉に甘えまして。」
体操服に着替えたシグと、外ラチを挟んで重鎮三人と俺。園田レース場は距離が近い……というか遠くとも間にはラチ、フェンス、溝だけ。シグはフェンスに肘をついて此方に語りかける。
「だいぶ久々に走るで、変に遅うても今更契約消さんといてな!」
解除するものか。遅いなら遅いなりで、勝てるまでトレーニングを組んでやるとも。
距離は1400m。本人曰く、『一番楽な距離』と。ゲートも用意して貰った。
「オラ公の走りは久しぶりやしな!俺らもこんな近くで見られるんは眼福やわ!」
造園課に特権を自慢される。少し羨ましい。
1枠1番だけのゲートを出してもらい、スイッチと合図は俺から。
「よーーい、ドン!」
瞬間。
「ハァァッ!」
ガコン、と鳴るゲートから一瞬で飛び出していた。過去に見た中央のウマ娘のそれを早送りにしたかの如く。そんなことを考えていた頃には、既に俺たちの前をぶち抜いていた。
教科書の対偶。まるで、理想と掛け離れたフォーム。ピッチ走法のペースなのに、ストライドが大きい。しかし失速することもなく、この一瞬でもうすぐ第四コーナーに差し掛かる。
「オラ公はな、こっからよ。ここまでは何も考えねぇウマ娘でもできんことはないが、そんなのはここで崩れ去ってまう。本当の強さいうんは、ここからどこまでスピードを落とさへんかや。」
すると、それを見せつけるかのように。
「オラァァァッッ!!」
瞬間、俺の眼がバグったような気がした。逃げているウマ娘は先も言われたように多かれ少なかれ失速するのが基本。なのに、問題のシグは。
加速する。逃げのペースを落とさずに、更に前へ、前へ。砂のキックバックが衝撃波……爆発音のような空気の振動と共に重く、大きく広がる霞のような砂のぼかし。あんなものはもろに顔面に受けたくない、と生理的に拒否してしまうほどの余りある力の分散。
一人だけを照らす照明を纏い、異端の速度が俺の目の前を再度ぶち抜いていった。
言葉が出てこない。動けない。視覚的な脳髄へのスパーク。
ゴールを過ぎて速度を落としていくのに尚、眼が離せない。
「はーっ、も少し上半身のストレッチしとくべきやったわ、あかんぐらい肩痛いわもー……」
ケラケラと笑って、肩をコキコキ言わせながら戻ってくる。本人はこれでも本気では無いというのか。それでも。
「……化物。」
口から漏れる。怪物でも、勇者でも、絶対なんかでもない。バケモノ。畏敬と畏怖の念を表した、最大限の敬意と恐怖の下絞り出せた一言。これを恐れたからUCACに、アイツらに消されたとまで思ってしまう。
「ほら、言ったやろ? オラ公は強いんや。これからこの娘と君は少なくとも三年はやりあうわけやが……」
何も言い返せない。畏れと、静かでありながらも興奮の沸き立つ血液。オーバーパワーともいえる逃げ差しの逸材。
「どやった!?」
微かに肩を震わせるシグがフェンスを片手で掴んで飛び越える。息を深く吸い吐き、肺の中の二酸化炭素を絞り出す。
「......凄い。新人の俺が本当に担当していいのか、ってぐらいに。」
「してええんやで、というか言ったやろ、して欲しいのはこっちのほうや。」
あっけらかん。相変わらず。
「これなら……この走りなら、今すぐにだって中央にも殴り込める。今から中央に転入して……」
「あ、私一応まっさらな転入生なんよ、トレーナーがおらんから走らせて貰えへんかっただけ。行くのはちゃんとこっちで勝ち挙げてからやな……まあ一組、クラシック級で言ったらB1クラスからにさしてもろたし、どっかの交流ぐらい出て転入相当の実績作ってから。それに。」
「それに?」
何が続くのだろうか。
「
そうだった。自分が中央所属であることを忘れていた。
「あぁ、その辺りはこっちでなんとかしとくさかい、そもそも白渦君やてなんでこっち来たんか心当たりとかあらへん?」
やはり理事長の名は伊達じゃない、心強いものだ。
「少しありますが、もう少し明確な理由が欲しいところでは。」
謎の記録の閲覧?UCACに所属しなかったのが原因?いや、そもそも所属できなかったのに……
「今ここで考えとってもしゃーないで、シロウズ。も少し情報掴んでからにしたらどない?」
当然。まだ未解明のピースまみれのこの事件には謎が多すぎる。今から考察したとしても、どうせ外れるまで。
「よし、中央にかちこんでから考えよう。じゃあ、次のレースはいつのがある?」
「一週間後。」
……一週間後?
「……へ?」