扈三娘は生き残りたい!!!―水滸戦記―   作:Cima4910

10 / 11
「林冲に、“まず見ろ”って言われたの」
孫二娘が鍋を混ぜながら笑う。
「新人研修が観察からかァ?」
「しかも玉楼には、“守るなら先に見ろ”よ!」
顧大嫂が酒を置いた。
「それで?」
「言われた直後から、玉楼の索敵範囲が広がった」
「人を便利機能みたいに言うなよ」
「だって性能上がってるのよ!!」
二人が笑う。
問題は、その後だった。
また王英が来た。
「教材まで向こうから来たのかい?」
「最低の実習教材よ!」
でも、今度はただ気持ち悪いだけじゃなかった。
アタシが噛みついて、玉楼が道を塞ぐ。
黒と白。
そして二人で見ていた。
王英だけじゃない。
その周りにいる全員を。
孫二娘が鍋を混ぜる手を止める。
「何か見えたかい?」
「……少しね」
梁山泊は、まだ信用できない。
でも――
誰が笑って、誰が黙るのか。
それくらいは、見え始めていた。


まず見ろ

梁山泊の朝は、思ったより静かだった。

もっと荒れていて、怒号が飛び交っている場所だと思っていたけれど、実際に聞こえるのは鍋の蓋が鳴る音や、水桶を運ぶ足音、それから見張りが交代する時の短い声くらいだ。

山賊の砦というより、軍営地に近い。

「……また想像と違う」

廊下を歩きながら呟くと、半歩前にいる玉楼が振り向いた。

「何がでございますか?」

「山賊って、もっと朝から酒飲んで喧嘩してるものかと思ってた」

「朝から酒を召される方もおられるかもしれません」

「そこは否定してよ」

玉楼は少し考えた。

「存じませんので」

律儀。

そして役に立たない。

前を歩く兵は振り返らない。

数日前までなら縄を持たれていたところだけど、今日は何もない。

それでも好きに曲がっていいわけじゃないから、自由になった実感は薄かった。

通り過ぎる兵たちが、ちらちらこちらを見る。

「あれが扈三娘か」

「隣が玉楼だろ」

「林教頭の麾下に入ったってよ」

昨日までは捕虜を見る目だった。

今日は、どう扱えばいいのか迷っている目だ。

仲間になったのか?

まだ敵なのか?

林冲の下にいるなら、下手に触るなということだけは共有されているらしい。

玉楼が一人の兵へ視線を向けた。

兵が前を見る。

「玉楼」

「はい」

「見るだけで人を正面向かせるの、便利ね」

「わたくしは何も」

「知ってる。見ただけでしょ?」

最近、その言い訳まで分かるようになってきた。

広場へ出ると、朝の空気が一気に広がった。

槍を持った兵が列を作り、その向こうでは馬が引かれている。

武具を点検している者もいれば、遅れて走って来て列へ滑り込む者もいる。

そして、その中心に林冲がいた。

白い披風が風に揺れている。

蛇矛を持っているだけなのに、周りの空気が勝手に整って見えた。

林冲がこちらを見る。

「来たか」

「来たわよ」

玉楼が頭を下げる。

「お待たせいたしました」

同じ返事なのに、どうしてアタシだけ新人アルバイトみたいになるの。

林冲は気にした様子もなく、兵たちへ視線を戻した。

「今日からここで動いてもらう。ただし、まだ隊は預けん」

「いきなり隊長やれって言われても困るけど」

「だから預けん」

即答された。

玉楼の口元が、ほんの少し動いた。

「今、笑った?」

「いいえ」

絶対笑った。

林冲が続ける。

「まず見ろ」

「見る?」

「誰が命を聞く。誰が遅れる。誰が周囲を見ている。誰が自分しか見ていない。それを覚えろ」

戦えでも、従えでもない。

見る。

意外だった。

「人を見る仕事ってこと?」

「戦う前から戦は始まっている」

なるほど。

会社にもいたわ。

仕事が始まってから慌てる人と、始まる前に全部揃えてる人。

ただ、こっちは失敗すると槍が飛んでくる。

研修の圧が違う。

林冲の視線が玉楼へ移った。

「玉楼」

「はい」

「お前も同じだ」

「承知いたしました」

「扈三娘の半歩前に立つのは構わん」

玉楼の目が少しだけ動いた。

「だが、守る相手だけを見るな」

今度はアタシも林冲を見る。

「後ろから来るものを防ぐなら、前だけ見ても間に合わん。守るなら先に見ろ」

玉楼はすぐには答えなかった。

いつもなら「承知しました」で終わるのに、一拍だけ考えてから深く頭を下げる。

「心得ました」

その声は真面目だった。

アタシは少しだけ笑う。

「玉楼、先生に注意された」

「三娘様も同じご命令を受けております」

「巻き込まないで」

「同じでございます」

こういう時だけ反撃が速い。

林冲が蛇矛の石突きを地面へ一度ついた。

広場の空気が変わった。

「始めるぞ」

兵たちが動く。

そこからは速かった。

槍の列が組み替わり、馬が出入りし、伝令が走る。

林冲は大声を張り上げない。

それでも指示が一つ飛ぶたび、人の位置が変わった。

アタシは端から見る。

最初は何となく眺めていただけだった。

でも、意識して見ると違う。

号令より半歩早く動きかける男がいる。

隣の槍先まで確認してから構える男もいる。

遅れた仲間をさりげなく列へ戻す奴もいれば、自分が間違っているのに他人を睨んでいる奴もいた。

「……結構いるわね」

「何がでございますか?」

玉楼はアタシより少し前に立ちながら、視線を広場全体へ動かしていた。

「同じことやってるように見えて、全然違う」

「はい」

「玉楼も分かった?」

「三列目、右から四人目の方は左足を庇っておられます。二列目の端の方は、号令より隣の動きを見ております。あちらの馬は右から近づかれるのを嫌がっております」

待って。

「見えすぎじゃない?」

「見るよう命じられましたので」

性能がおかしい。

林冲、この女に新しい機能を解放してない?

午前の稽古が終わり、兵たちが散り始めた。

アタシたちも広場を離れる。

林冲から次の指示はない。

つまり、まだ見ろということらしい。

梁山泊の中を歩くと、武具を直している者がいて、食料を運ぶ者がいる。

その向こうでは怪我人の手当てをしていた。

戦う人間だけで出来ている場所じゃない。

昨日までは、そこまで見えていなかった。

「山賊っていうより会社……いや、町?」

「先ほどから、その『かいしゃ』とは何でございますか?」

「説明すると長いから忘れて」

「承知しました」

聞き分け良すぎるのも困る。

その時だった。

「おい、扈三娘」

声だけで気分が下がった。

王英。

今日も元気に最悪。

振り向くと、向こうからにやつきながら歩いてくる。

周囲にいた兵が、少しだけ距離を取った。

止めない。

でも、見ている。

昨日なら、それだけだった。

今日は違う。

林冲の言葉が頭に残っている。

アタシは王英ではなく、その周りを見た。

王英と目を合わせない兵。

面白そうに様子を窺う男。

眉をひそめる女。

荷物を抱えたまま、足だけ止めた若い兵。

なるほど。

「昨日は随分言ってくれたな?」

王英が近づく。

玉楼が半歩前へ出た。

いつもなら、そのまま王英だけを見る。

でも今日は違った。

身体はアタシを庇える位置に置いたまま、玉楼の視線は周囲まで拾っている。

もう使ってる。

林冲に言われたことを。

早いわ。

「聞いてんのか?」

「聞いてる。聞きたくないけど」

「相変わらず口が減らねえな」

「減らしたらアンタが喜びそうだから維持してあげる」

どこかで小さく笑いが漏れた。

王英の目がそちらへ動く。

その瞬間、玉楼が囁いた。

「三娘様」

「分かってる」

今、見た。

王英はアタシに嫌われることより、周囲に笑われることを気にした。

昨日までは、ただ気持ち悪い男だった。

今日は少しだけ中身が見える。

王英が一歩出る。

「林冲殿の下に入ったからって、調子に乗るなよ」

玉楼の手が腰へ寄った。

武器には触れていない。

でも王英は、それを見る。

足が止まった。

「主人の前に出る癖、直した方がいいぜ」

「ご忠告ありがとうございます」

玉楼が微笑む。

「ですが、三娘様の前へ出ることより、三娘様へ近づこうとなさる方を直す方が早いかと存じます」

周囲が静かになった。

「玉楼」

「はい」

「今日も切れ味いいわね」

「刃には触れておりませんが?」

「そういう意味じゃない」

王英の顔が歪む。

「お前ら……」

アタシは玉楼の横へ出た。

半歩。

今度はアタシが前だ。

玉楼は止めない。

「試してみる?」

王英が眉を寄せる。

「何をだ?」

「ここでアタシに触ったら、誰がどうするか?」

周囲へ視線を向ける。

「アンタも気になるでしょ?」

王英の目が動いた。

兵たちを見る。

誰も助けようとはしていない。

かといって、王英を止めに入る奴もいない。

みんな見ている。

林冲の麾下へ入ったばかりの女に、王英が本当に手を出すのか。

アタシも見ている。

玉楼も見ている。

王英だけが、急に見られる側になった。

「……冗談だよ」

やっぱり。

「つまらない冗談」

「覚えてろ」

「忘れたいから、もう話しかけないで」

今度は笑いが二つ、三つ漏れた。

王英はそちらを睨んだが、誰が笑ったのか分からない。

舌打ちして去っていく。

追わない。

玉楼も動かなかった。

姿が人の間へ消えてから、玉楼がこちらを見る。

「危のうございました」

「でも見えた」

「何がでございますか?」

「王英、アタシに嫌われるより、人に笑われる方が嫌みたい」

玉楼が少し考える。

「確かに」

「それから、誰も助けなかった」

「はい」

「でも止めもしなかった」

玉楼の表情が、ほんの少しだけ変わる。

「……それも、見るべきことでございますね」

「でしょ?」

林冲の言った意味が、ようやく少し分かった気がする。

敵が誰かを見るだけじゃない。

味方が誰かを見るだけでもない。

何か起きた時、誰が手を出すのか?

誰が黙るのか?

誰が笑うのか?

それを知っていれば、次に何が起きるか、ほんの少しだけ先に読める。

玉楼がいつもの半歩前へ戻った。

でも朝とは違う。

今の玉楼は、アタシだけを見ていない。

道の先を見ている。

横を通る人間も見ている。

背後の足音まで拾っている。

「玉楼」

「はい」

「半歩、意味変わった?」

少しだけ間があった。

「三娘様をお守りすることに変わりはございません」

「うん」

「ですが、守るために見るものは増えました」

なるほど。

林冲、教えるの上手いじゃん。

本人に言ったら無表情で流されそうだから言わないけど。

アタシも前を見る。

梁山泊には暮らしがある。

規律もあるし、笑う人もいれば、黙って働く人もいる。

その同じ場所に王英みたいなのもいる。

だから、まだ信用はしない。

でも昨日よりは見える。

少なくとも、ここが単純な善人の集まりでも、悪党の巣でもないことくらいは。

アタシが先に踏み込む。

玉楼は、その先を見る。

玉楼が道を塞げば、アタシが横から噛みつく。

黒と白。

やっぱり、悪くない。

梁山泊は、まだ分からない。

でも、少しだけ見えた。

ここは、火だけで出来ている場所じゃない。

影も、同じだけ濃い。




玉楼でございます。
「玉楼、林冲に“先に見ろ”って言われたんだって?」
顧大嫂様が酒を置きました。
「はい、大変勉強になりました」
孫二娘様が鍋を混ぜます。
「それで三娘以外まで全部見るようになったのかァ?」
「必要でございますので」
幕舎の外から声が飛びました。
「索敵範囲が広がってるのよ!!」
「三娘様をお守りするためでございます」
「また性能上がった!」
甚だ失礼でございます。
ですが、あの日、三娘様も変わられました。
王英様だけではなく、その周りで笑う者、黙る者、目を逸らす者まで見ておられたのです。
林冲殿の仰った「見ろ」の意味を、三娘様なりに掴まれたのでしょう。
ですから私も――
次は、三娘様より先に見つけるつもりでございます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。