扈三娘は生き残りたい!!!―水滸戦記―   作:Cima4910

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「ねえ、刑場で知らない男と並んで処刑見てたんだけど?」
孫二娘が盃を止めた。
「朝から話が重いねェ」
顧大嫂まで眉をひそめる。
「で、その男は?」
「背が高くて、顔は優男っぽいのに、全然目を逸らさないの」
「顔まで見てたのかァ?」
「そこ拾わないで!」
「名前は?」
「知らない」
顧大嫂が笑った。
「じゃあ終わりだな」
「終わりなんだけど、変なこと言われたのよ。『面倒で済むうちは、まだいい』って」
孫二娘がニヤつく。
「それで気になってる、と?」
「言葉がよ!」
「誰も男とは言ってないねェ?」
「玉楼と同じこと言うな!」
名前も知らない。
もう会わないかもしれない。
なのに――
その日の昼まで、あの一言だけが頭から離れなかった。


目を逸らさない男

目を開けた時には、もう朝だった。

光がまっすぐ差し込んでいる。

昨夜あれだけ喋ったのだから、少しくらい気まずい朝になると思っていた。

ところが、玉楼は普通だった。

「……早いのね」

「いつも通りでございます」

衣を整え、湯を用意し、いつもの顔で立っている。

アタシは寝台の上からじっと見た。

「何かないの?」

「何か、とは?」

「昨日、アタシが元の扈三娘じゃないって言ったじゃない」

「伺いました」

「それで今朝は通常営業!?」

玉楼が少し考える。

「三娘様は三娘様のままでございますので」

「そういうの、さらっと言うのやめてくれない?」

昨夜から何度刺してくるのよ、この女……

アタシは顔を洗いながら息を吐いた。

でも、助かっていた。

昨夜の告白を腫れ物みたいに扱われるより、ずっといい。

帯を締めてもらっている途中で、今日の予定を思い出した。

「……今日は、あれよね?」

玉楼の手が一瞬だけ止まった。

「はい、高唐州で捕らえた者たちの処置が行われます」

胸の奥が少し重くなる。

高廉は死んだ。

高唐州も落ちた。

昨日、梁山泊では酒まで飲んでいた。

だけど、それで全部終わったわけじゃない。

「……見に行く」

玉楼は理由を聞かなかった。

「承知いたしました」

外へ出る。

朝の光が強い。

人が荷を運び、武具を直し、昨日まで戦場にいた兵たちも、もう次の仕事へ動いている。

世の中って、こっちの気分なんか待ってくれないのね。

刑場へ近づくにつれて、賑やかな音が減っていった。

人はいる。

兵もいる。

見物に来ている者までいる。

囲いの中には、後ろ手を縛られた男たちが並ばされていた。

俯いている者もいれば、睨んでいる者もいる。

口だけ動かして、何かを呟き続けている者もいた。

昨日までは敵だった。

でも今は、縛られている。

アタシは少し離れたところで足を止めた。

「ここでいい」

「はい」

玉楼が一歩後ろへ下がる。

一人が引き出された。

何か叫んでいた。

命乞いなのか、誰かの名前なのか、ここからでは分からない。

兵に押さえられる。

刃が上がった。

次の瞬間、乾いた音が響いた。

目は閉じなかった。

閉じようと思えばできた。

見なかったことにもできる。

でも、それは嫌だった。

高唐州で民家の戸が壊された時と同じだ。

嫌だと思うなら、せめて嫌だと思ったものくらい覚えていなきゃいけない。

次の男が連れてこられる。

周囲の人間はほとんど反応しない。

仕事だから。

処置だから。

戦の後には、こういうこともあるから。

そんな空気だった。

「……慣れるものなのかしら」

自分に言ったつもりだった。

返事はなかった。

当然だ。

玉楼に聞いたわけでもない。

ところが、人の流れが少し動いた。

誰かが通ったのか、後ろで衣擦れの音がする。

その直後だった。

アタシのすぐ横へ、一人の男が出てきた。

出てきたというより、妙に唐突だった。

今までそこにいなかったはずなのに、気づけば並んでいる。

思わず横を見る。

背が高い。

細身だけど、弱そうには見えない。

顔立ちは整っている。

梁山泊で荒っぽい男を見慣れすぎたせいか、一瞬、

……優男?

と思った。

でも、目を見て考えを変えた。

柔らかくはない。

怖くもない。

ただ静かだった。

男はアタシを見ない。

刑場だけを見ている。

また一人、前へ出された。

刃が上がる。

アタシは目を逸らさなかった。

隣の男も逸らさなかった。

乾いた音が響いた。

そこで初めて、妙なことに気づいた。

この人も、平気な顔をしているわけじゃない。

顔つきは変わらない。

でも、無関心とは違う。

見ている。

ちゃんと。

アタシは前を向いたまま口を開いた。

「……慣れているのね」

さっきの独り言とは違う。

今度は明らかに隣へ向けた。

少し間があった。

「いいえ」

声は静かだった。

大きくもないのに、周囲のざわめきに消えない。

男は続けた。

「慣れるものではありません」

アタシは横を見る。

ちょうど男もこちらを見た。

一瞬だけ、目が合う。

その目は何も求めてこない。

王英とは全然違う。

アタシが女だから見ているんじゃない。

扈三娘だからでもない。

今ここで、同じものを見ている人間を見る目だった。

また処置が進む。

「でも、見てる」

「はい」

「嫌じゃないの?」

男が少しだけ息を吐いた。

「嫌かどうかで決めることでもないでしょう」

「じゃあ、何で?」

「目を逸らす理由がないので」

胸の奥へ、すとんと落ちた。

昨日、玉楼へ言った。

嫌だと思う気持ちまでなくなったら、自分じゃなくなる。

でも、傷ついてばかりでも生きていけない。

答えなんて出ていない。

なのに、知らない男が同じ刑場を見ながら、当たり前みたいに目を逸らさないと言う。

「……面倒ね」

思わず漏れた。

男がほんの少しだけこちらを見る。

「何がです?」

「色々よ。見たら嫌になるし、見なきゃ見ないで、逃げたみたいで嫌になるし」

「そうですか」

「それだけ?」

「他に何と?」

何、この人……

玉楼とは違う方向で会話が続かない。

思わず後ろを見る。

玉楼はそこにいる。

助けてくれそうな顔ではない。

むしろ、ほんの少しだけ面白がってない?

「玉楼?」

「はい」

「何でもない」

今度は隣の男が、わずかに口元を動かした。

笑った?

「今、笑った?」

「いいえ」

「絶対笑ったでしょ」

「そう見えましたか?」

認めない。

腹立つ。

でも、不思議と嫌じゃなかった。

その時、また乾いた音が響いた。

笑いかけたものが止まる。

アタシも男も、同時に前へ視線を戻した。

結局、そこから逃げない。

しばらく黙って見ていた。

何人目かも分からなくなった頃、アタシは小さく息を吐いた。

「やっぱり面倒」

今度は男がすぐ答えた。

「面倒で済むうちは、まだいい」

アタシは眉を寄せる。

「どういう意味?」

返事はない。

男は刑場を見ている。

「ちょっと、そこで意味深に黙るのやめてくれない?」

また少しだけ口元が動いた。

今度は絶対笑った。

そう言おうとした時、少し離れたところから誰かが男を呼んだ。

名前は聞き取れなかった。

男がそちらを見る。

それからアタシへ軽く頭を下げた。

「……失礼」

「え、ちょっと」

呼び止める間もなく、男は人の間へ戻っていった。

何人かの兵の向こうへ入ると、長身なのに意外なくらい早く見えなくなる。

アタシはその背中が消えた場所を見る。

「……誰?」

玉楼が答える。

「存じ上げません」

「玉楼でも知らないの?」

「梁山泊のすべての方を存じ上げているわけではございません」

そりゃそうか。

もう一度、男が消えた方を見る。

名前も聞かなかった。

向こうも聞かなかった。

なのに言葉だけが残っている。

――面倒で済むうちは、まだいい。

「……何なのよ」

「お気になりますか?」

「ならない!」

返事が速すぎた。

玉楼がこちらを見る。

「何よ?」

「何も申し上げておりません」

「顔が言ってる!」

「事実でございますか?」

「その使い方はずるい!」

朝から何なの?

アタシは刑場へ向き直った。

まだ終わっていない。

知らない男のことを考えている場合でもない。

残りの処置が終わるまで、そこに立った。

視線は逸らさずに。

昼になると、朝より光が高くなっていた。

廊下を歩きながら、頭の隅に残った言葉を追い出そうとする。

追い出そうとすると、余計に残る。

こういうの何て言うんだっけ?

考えないようにすると考えちゃうやつ。

名前は忘れた。

「……面倒で済むうちは、まだいい」

口に出してしまった。

一歩後ろから玉楼の声が返る。

「お気になっておられるのですね?」

「言葉がよ!」

「わたくしは何も限定しておりません」

「アンタ今日ちょっと性格悪くない!?」

「いつも通りでございます」

絶対、昨日の告白で距離縮まったと思って調子乗ってるでしょ?

少し歩いてから、結局聞いた。

「……さっきの」

「はい」

「背が高いの、いたでしょ」

「はい」

「誰か知ってる?」

ただの確認。

本当にそれだけ。

玉楼は少し考えた。

「名前までは存じ上げません」

「そっか」

「ですが、あの場では少し浮いておりました」

「やっぱり?」

「三娘様ほどではございませんが」

「何でアタシ基準!?」

「分かりやすいかと」

分かりやすくない!

それ以上は聞かなかった。

名前が分からないなら仕方ない。

興味がないわけじゃない。

でも、今じゃない。

訓練場へ着く。

考え事が続く時は、身体を動かした方がいい。

「玉楼、付き合って」

「承知いたしました」

向かい合い、刀を抜く。

踏み込む。

玉楼の刃とぶつかり、乾いた音が弾ける。

すぐに角度を変えてもう一度。

玉楼が外す。

追う。

踏み込む。

受けられた。

「速うございます」

「それ褒めてる?」

「力んでおられます」

「やっぱり!」

握りを見る。

確かに力が入っていた。

息を吐いて、もう一度構える。

玉楼が先に動く。

受ける。

流す。

身体を動かしている間だけは、余計なことを考えずに済む。

ところが、訓練場の入口から速い足音が近づいてきた。

一直線。

玉楼も同時にそちらを見る。

「止めて!」

アタシが声を飛ばすと、周囲で稽古をしていた兵たちも動きを止めた。

伝令が走り込んでくる。

アタシの前で膝をついた。

「扈三娘殿!」

「何事?」

「出陣の準備を!」

空気が変わる。

アタシも刀を下ろした。

「どこへ?」

伝令は息を整える間もなく答えた。

「討伐軍が、こちらに向かって来ている模様です!」

周囲の兵が一斉に動き始める。

玉楼も刀を納めた。

「支度を整えます」

「頼むわ」

玉楼が近づき、帯と留め具を確かめる。

いつもの手。

迷いがない。

アタシは双刀の柄を握った。

高唐州での略奪。

昨夜の告白。

朝の刑場。

そして、名前も知らない男。

全部、まだ胸の中に残っている。

何一つ片づいていない。

でも、この世界は待ってくれない。

「……分かったわ」

伝令が立ち上がる。

アタシも動く。

訓練は終わりだ。

戦の準備に入る。

刀を納める。

足を速める。

討伐軍が来る。

――また、戦になる。




玉楼でございます。
「玉楼、三娘が知らない男を気にしてるんだって?」
孫二娘様が楽しそうに仰いました。
「本人は、言葉が気になるだけだと申しております」
顧大嫂様が笑います。
「じゃあ男は?」
「背が高く、整った顔立ちでございました」
三娘様が飛び込んできました。
「何でそこ覚えてるの!?」
「三娘様がお話しになりましたので」
「言ったけど!」
孫二娘様がにやつきます。
「名前も知らないんだろォ?」
「はい」
「なら安心かい?」
「何がでございますか?」
三娘様がこちらを見る。
「玉楼、ちょっと楽しんでない?」
「事実を確認しているだけでございます」
「絶対楽しんでる!」
ですが、わたくしもあの方の名は存じません。
ただ――
三娘様が、誰かの言葉をあれほど何度も口にされたのは、初めてでございました。
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