扈三娘は生き残りたい!!!―水滸戦記― 作:Cima4910
「ねえ、何でアタシなの?」
孫二娘が笑う。
「適任なんじゃないかい? 左右にアタイと顧大嫂を置いても逃げないしねェ」
顧大嫂が腕を組んだ。
「普通は逃げるのか?」
「今すぐ逃げたい!」
「大将が逃げたら集団心理的にまずいよォ」
「原因が左右にいるんだけど!?」
孫二娘は左翼で敵の逃げ道を作って追い込み、顧大嫂は右翼で敵を殴って戻してくる。
「結果、全部アタシの前に来たんだけど!?」
「大将だからねェ」
「大将だからだろ」
「そこだけ息合わせないで!」
しかも玉楼まで、
「両翼とも大変元気でございます」
って……
元気で済ませるな!
大将になって分かった。
敵より先に――
味方を何とかしないといけない……
終わった話ではなかった。
盧俊義は断った。
北京大名府へ帰った。
それでも、忠義堂の中では何かが終わらないまま動き続けていた。
石秀、楊雄、時遷。
その三人の名が呼ばれてから数日、梁山泊には妙な静けさが漂っている。
大軍が動くわけでも、銅鑼が鳴るわけでもないのに、誰かが水面の下で縄を引いているような気配だけがあった。
廊下の先に時遷を見つけた時も、そうだった。
軽い荷を背負い、何でもない顔で歩いている。
普段どおりすぎて怪しい。
「出るの?」
時遷が足を止め、振り返って笑った。
「ちょっと散歩にね」
「北京大名府まで?」
「さてね」
その顔が答えだった。
少し先には石秀と楊雄も旅支度で待っている。
「ろくな散歩じゃないわね」
「散歩なんて大体ろくなもんじゃないさ」
「アンタの散歩だけでしょ!」
三人は笑って門へ向かった。
玉楼が隣へ並ぶ。
「お止めになりますか?」
「止められないでしょ。忠義堂で決まったことだもの」
言いながら、旗を見上げた。
忠義――
最近、この二文字を見るたびに胸のどこかが重くなる。
「便利な言葉ね」
「聞こえております」
「聞こえないように言ったのよ」
「わたくしには」
「……それならいい」
良くない気もする。
門の向こうへ三人が消えた。
それで終わればよかった。
当然、終わらなかった。
数日後、石秀が一人で戻ってきた。
泥と埃にまみれ、服は裂けている。
それでも足取りだけはしっかりしていて、忠義堂へ入るなり息を整える間もなく言った。
「北京大名府で事が起きました。盧俊義殿、危うし。楊雄、時遷とも途中で分かれております」
嫌な予感が、そのまま人の形をして帰ってきた気分だった。
「だから嫌なのよ、嫌な予感って……」
隣の玉楼が、
「三娘様の場合、よく当たりますので」
と真顔で返す。
「それを慰めだと思ってる?」
「いいえ」
「でしょうね!」
少し離れたところで孫二娘が腕を組んだ。
「予期不安が現実になった時、人間は『やっぱり』って納得して落ち着くこともあるんだけどねェ」
「今のアタシ、全然落ち着いてないけど!?」
「じゃあ個人差だねェ」
「心理学便利すぎない!?」
顧大嫂が鼻を鳴らす。
「そんなことより、助けに行くんだろ?」
その一言で空気が変わった。
宋江が立つ。
「救援へ向かう」
異論はなかった。
呉用が地図を広げ、兵の割り振りを始める。
道筋、合流地点、進軍の順番が次々と決まっていき、やがて聞き慣れない言葉が出た。
「第四軍」
顔を上げる。
「大将、扈三娘殿」
一瞬、自分の名前だと分からなかった。
「……アタシ?」
「はい」
呉用が当たり前のように答える。
周りもそれほど驚いていない。
待って……
アタシだけ聞いてないんだけど?
「副将、玉楼殿」
玉楼は静かに一礼した。
「承知いたしました」
早い!
「左翼、孫二娘殿」
「アタイかい?」
孫二娘の目が明らかに輝いた。
嫌な光り方だ。
「右翼、顧大嫂殿」
「任せな」
顧大嫂まで楽しそうに笑っている。
左右とも不安しかない。
「三娘様」
玉楼が小声で呼ぶ。
「何?」
「大将でございます」
「知ってる。今ものすごく後悔し始めたところ」
「まだ何もしておりません」
「左右を見て!」
孫二娘が首を傾げる。
「何だい?」
顧大嫂も、
「文句あるのか?」
と笑う。
「あるけど戦力としては文句ないのが一番腹立つ!」
軍議が終わって廊下へ出ると、李俊が待っていた。
「大将になったな」
開口一番それだった。
「笑わないでよ」
「笑ってねえ」
口元が笑ってる。
「アタシより先に知ってた?」
「軍の組み方を見りゃな」
「教えなさいよ!」
「聞かれなかった」
何それ……
李俊は少しだけ表情を改めた。
「前へ出すぎるなよ?」
「アンタまで玉楼みたいなこと言うの?」
「お前が大将なら、沈んだ時に困る奴が増える」
胸の奥が変に跳ねた。
また、その言い方。
「……心配してる?」
「してる」
即答だった。
「そこは少しくらい誤魔化しなさいよ!」
李俊が笑う。
「何でだ?」
後ろから孫二娘が、
「三娘、耳赤いよォ」
と余計な報告を入れた。
「聞いてない!」
「アタイは見たことを言っただけさ」
顧大嫂まで笑い出し、玉楼は口元を隠している。
第四軍、解散したい……
でも解散する暇もなく、出陣になった。
門が開き、軍勢が次々に梁山泊を離れていく。
第四軍の兵を前にすると、さっきまで笑っていた三人の顔も変わった。
アタシは馬上から列を見る。
「急ぐけど、崩さないで。疲れた馬は交代させる。北京大名府に着く前に潰れたら意味ないから」
玉楼がすぐ後ろへ号令を通す。
孫二娘は左、顧大嫂は右へ移った。
四人で進む。
林冲の後ろにいた頃とは違う。
今度はアタシが決める。
その重さはある。
でも、不思議と一人で背負っている感じはしなかった。
日が落ちても行軍は続いた。
翌日の昼過ぎ、先行していた兵が戻ってくる。
「前方に騎兵! 数、およそ五十!」
北京大名府から出た物見らしい。
こちらを見つければ、すぐ城へ知らせに戻るだろう。
「捕まえる?」
孫二娘が楽しそうに聞く。
「その顔で聞かないで」
「逃がすのかい?」
「逃がしたくはないけど――」
顧大嫂がもう武器を握っていた。
「なら話は早い」
「待って! まだ命令してない!」
玉楼が前方を見ながら言う。
「敵はすでにこちらを認めております。三つに分かれました」
見ると騎兵が左右と中央へ散り始めている。
全員を追えばこちらも散る。
孫二娘が目を細めた。
「右の連中、本気で逃げる気だねェ。左はこっちを引っ張ろうとしてる」
「分かるの?」
「後ろを見る回数が違う。右は城しか見てないよォ」
顧大嫂が笑った。
「じゃあ右を潰す」
「何でそうなるの!?」
「知らせに行くんだろ?」
正しい……
正しいけど速い!
「玉楼、中央を押さえて! 孫二娘は左を追いすぎない! 顧大嫂は――」
もう走ってる。
「顧大嫂ぁ!」
「聞こえてるよ!」
「だったら待って!」
右翼が顧大嫂について一気に加速した。
「三娘、アタイも行くよォ!」
「アンタは待て!」
「左も動いた!」
「だからって嬉しそうに言うな!」
孫二娘まで飛び出す。
玉楼だけがアタシの横に残った。
「三娘様」
「何よ!」
「両翼とも大変元気でございます」
「見れば分かる!」
仕方なくアタシも馬腹を蹴った。
中央の敵へ向かう。
向こうは左右へ散ったこちらを見て、こちらの中央が薄くなったと思ったらしい。
三十騎ほどが反転して突っ込んでくる。
「玉楼!」
「はい!」
アタシが右へ出ると、玉楼は左へ回った。
敵の先頭へ双刀を合わせ、槍を外へ払う。
すれ違った相手を玉楼の長槍が馬上から落とし、その穴へ後続が突っ込んで列を乱す。
左右なんて決めていない。
必要な方へ出ればいい。
その時、左から孫二娘の笑い声が聞こえた。
「ほら、逃げな! そっちは空いてるよォ!」
敵が一方向へ寄っていく。
何してるの!?
と思った直後、その先には伏せていた孫二娘隊が待っていた。
「逃げ道を一個にすりゃ、焦った奴はそこへ集まるんだよォ!」
「それを先に言って!」
「今言ったじゃないか!」
「遅い!」
反対側では顧大嫂が、逃げる騎兵の横へ無理やり並んでいた。
「止まれ!」
止まるわけない。
顧大嫂が武器を振る。
一人落ちる。
「止まったぞ!」
「物理的に止めるな!」
顧大嫂隊がそのまま右から敵列へ突っ込む。
馬が散り、逃げようとした騎兵が中央へ戻されてきた。
孫二娘が左から追い込み、顧大嫂が右から押し返す。
アタシと玉楼の正面へ敵が集まった。
「何で最終的に全部こっちへ来るのよ!」
「大将だからでは?」
「玉楼まで!」
それでも、やることは分かる。
「前列、開いて!」
玉楼が声を飛ばす。
「前列、左右へ!」
道が開く。
逃げ場を探して突っ込んできた敵が、そのまま第四軍の奥へ入った。
「閉じる!」
左右が戻る。
包む。
孫二娘が笑った。
「集団パニックってのは伝染するからねェ!」
顧大嫂が横で武器を振り上げる。
「難しいことは知らないけど、まとまってるなら殴りやすい!」
「両極端すぎる!」
戦いは長く続かなかった。
五十騎のうち何人かは逃したが、大半は捕らえるか馬を失わせた。
息を整えながら周囲を見る。
第四軍の損害は少ない。
初陣としては上出来だと思う。
ただし――
「孫二娘」
「何だい?」
「追いすぎ」
「でも崩れたよォ」
「顧大嫂」
「何だ?」
「命令する前に突っ込まない」
「勝っただろ?」
「二人とも結果論で押し切るな!」
玉楼が静かに頷く。
「大将は大変でございますね」
「誰のせいだと思ってるの!?」
三人が笑った。
……腹立つ。
でも、アタシも笑ってしまった。
夜になっても軍は進んだ。
松明が細い道を長く照らし、蹄の音が暗闇へ続いていく。
「眠いねェ」
孫二娘が言った。
「さっきまで暴れてた人が何言ってんの」
「運動したら眠くなるだろォ」
顧大嫂まで、
「腹も減ったねぇ」
と続ける。
「遠足じゃないのよ!」
玉楼が静かに告げる。
「三娘様、第四軍の士気は高いようでございます」
「この状態を士気が高いって言っていいの?」
「少なくとも疲弊はしておりません」
それはそうだけど……
遠くに灯が見えた。
前方から伝令が馬を飛ばしてくる。
笑い声が消える。
アタシは手綱を握り直した。
「先行隊より報告!」
伝令が馬を止め、息を切らしながら頭を下げる。
「北京大名府周辺に到達した斥候より!」
誰も喋らない。
「城下の警戒、強化されております!」
北京大名府が近い。 その事実だけが、夜の冷たい空気の中で重く響いた。
玉楼でございます。
「玉楼、第四軍の初陣どうだった?」
孫二娘様が楽しそうに尋ねます。
「大変よくまとまっておりました」
三娘様が勢いよく振り返りました。
「どこが!?」
顧大嫂様が笑います。
「左は二娘が勝手に追い込み、右はアタシが勝手に突っ込んだだけだろ」
「自覚あるなら直して!」
孫二娘様は悪びれません。
「でも三娘が真ん中で受けたから、結果的に綺麗な包囲になったねェ」
「結果的にって言うな!」
わたくしは頷きました。
「三娘様は、立派に大将を務めておられました」
「玉楼……」
「ただし、両翼の制御には改善の余地がございます」
「やっぱりそこ!?」
北京大名府は、もう目前。
第四軍の本当の初陣は――
どうやら、これからでございます。