扈三娘は生き残りたい!!!―水滸戦記―   作:Cima4910

4 / 14
「朝起きたら婚約者が増えてたって?」
顧大嫂が酒を含んだ。
「増えてない! 最初からいたらしいの!」
孫二娘が鍋を混ぜながら笑う。
「三娘、彼氏ゼロから許嫁持ちへ強制アップデートかァ」
「しかも初対面より先に救援要請よ!?」
「恋愛イベント、戦場から始まるのかい」
「運営の設定がおかしい!!」
二人が吹き出す。
笑い事じゃない。
もっと怖かったのは、そのあとだ。
鎧なんて着たこともないのに、身体は玉楼の手に合わせて勝手に動いた。
「身体だけ経験者ってヤツだねェ」
「本人が一番初心者なのよ!」
顧大嫂が首を傾げる。
「それで戦えるのかい?」
アタシは黙った。
知らない。
でも――
身体の方は、知っているみたいだった。


知らない戦

外から、かすかな音が入る。

最初は風か、古い木が軋んだ音だと思った。

けれど、耳を澄ますまでもなく、同じ音がもう一度する。

今度は一つではなく、廊下の向こうから何人分もの足音が重なって近づいてきた。

さっきまで、この屋敷は気味が悪いほど静かだった。

それが急に忙しくなっている。

誰かが走り、別の誰かが呼び止め、さらに奥では何かを運んでいるらしい。

言葉そのものは聞き取れるはずなのに、声が重なりすぎて内容までは拾えない。

でも、普通の朝じゃないことくらいは分かった。

「……何?」

アタシが扉を見ると、女も同じ方向へ顔を向けた。

その横顔に初めて少しだけ硬いものが浮かぶ。

これまで、アタシが「ここどこ」「アタシ誰」「この顔なに」と朝から意味不明なことを言い続けても、ほとんど表情を崩さなかった女である。

その人が反応した。

嫌な予感しかしない。

廊下の向こうで足音が止まり、誰かが何かを告げる声がした。

女は短く耳を傾ける。

「……来たようですね」

「何が?」

聞き返すと、女はこちらへ向き直った。

「祝家荘より、早馬が参ったものと思われます」

祝家荘。

知らない。

人の名前ではなさそうだ。

荘ってことは村か屋敷か、その辺だろうか。

現代日本で言えば町内会みたいなものかもしれない。

いや、たぶん違う。

こっちへ来てから例えが全部雑になっている。

「祝家荘って――」

言いかけた、その時だった。

「……玉楼」

名前が口から出た。

アタシ自身が一番驚いた。

女の顔を見る。

女も、一瞬だけ動きを止めていた。

ほんの一瞬。

でも間違いなく止まった。

「……はい」

返事が返る。

玉楼。

この人の名前だ。

知っていた。

いや、知らない。

さっきまで名前を聞こうとして失敗した相手である。聞いた覚えなんてない。

なのに今、考えるより先に呼んだ。

「え?」

自分の口を手で押さえる。

玉楼が少し心配そうにこちらを見る。

「いかがなさいましたか?」

「いや……今、アタシ……」

どう説明すればいい。

アンタの名前を知らないのに、口が勝手に呼びました。

そんなことを言ったら、いよいよ医者だけでは済まない。

祈祷師が近づく。

火刑も近づく。

黙ろう。

「何でもない」

「左様でございますか」

納得したの?

いや、たぶんしてない。

玉楼、この人たぶん相当できる。

何も言わないだけで全部見ている気がする。

その時、扉の向こうから控えめな声がした。

「お取り次ぎ、よろしゅうございますか」

アタシは反射的に玉楼を見る。

玉楼もこちらを見る。

何その視線。

まさかアタシが返事するの?

「……どうぞ?」

疑問形になった。

扉の向こうが一瞬だけ静かになる。

絶対、普段の扈三娘ならそんな返事しないんだ。

分かる。

もう分かる。

今日だけで何回目だろう、この「やらかした」感じ。

玉楼が何事もなかったように一歩下がった。

「お支度をいたしましょう」

「何の?」

今度こそ、玉楼が完全に止まった。

しまった。

またやった。

「……祝家荘へ向かわれるお支度にございます」

「今から?」

「はい」

「アタシが?」

玉楼の目が少しだけ細くなる。

言葉にしないで。

その顔で「他にどなたが」と言わないで。

「……お嬢様がお向かいになるものと」

やっぱり言われた。

朝起きて一時間も経ってないと思うのに、知らない部屋で知らない名前と顔を押しつけられ、ようやく玉楼という女の名前が分かったと思ったら、今度は知らない場所へ行けと言われている。

今日の予定表どうなってるのよ。

しかも外の様子を見る限り、散歩や観光ではない。

「ちょっと待って。祝家荘で何があったの?」

玉楼が答えるより先に、外から別の足音が近づいた。

それを聞いた玉楼は、アタシへの説明を後回しにしたらしい。

寝台の近くに置かれていた大きな箱を開ける。

中から出てきたものを見て、アタシは固まった。

金属だった。

布ではない。

服でもない。

どう見ても防具。

「……え?」

玉楼は当然のようにそれを持ち上げる。

「お召しくださいませ」

「これを?」

「はい」

また即答。

「アタシが?」

玉楼は何も言わなかった。

その沈黙、今日一番刺さる。

着るんだ。

アタシが。

これを。

何で?

聞く間もなく玉楼が近づいてきた。

「失礼いたします」

手が伸びる。

反射的に身構えたが、玉楼の動きには迷いがなく、衣の上から手早く形を整え、その上へ防具を重ねていく。

固い。

重い。

胸元へ金属の重さが乗り、肩にも圧が掛かった。

ところが身体は、その重さに驚かなかった。

そこが一番怖かった。

「……ちょっと」

玉楼の手が腰へ回る。

紐を通し、締め、位置を直す。

アタシは何も知らないのに、身体だけが自然に腕を上げた。

「え?」

自分の腕を見る。

今、何で上げた?

玉楼がそこへ帯を通す。

まるで最初から、そうする順番を二人とも知っていたみたいだった。

「待って待って」

玉楼が手を止める。

「いかがなさいましたか?」

「アタシ、今、勝手に腕上げた」

「……?」

通じてない。

そりゃそうだ。

「身体が勝手に協力してるのよ」

「お加減が?」

「そうじゃない!」

玉楼の心配がまた病人方向へ進んでいる。

違う。

具合は悪くない。

むしろ身体の調子だけは妙にいい。

それが問題なのだ。

玉楼が再び支度を始めると、今度はアタシも黙って自分の身体を観察した。

肩へ重さが加われば、自然に姿勢が変わる。

腰を締められると、足の置き方まで少し変わった。

無意識に重心が整っていく。

初めて着るはずなのに、着慣れている。

いや。

アタシは初めてでも、この身体は初めてじゃない。

その事実が、鏡を見た時とは別の怖さで胸へ落ちた。

「お履き物を」

差し出された革の履き物にも、今度は迷わず足が入った。

紐を締めれば、どこまで締めればいいのか感覚で分かる。

「……すごく嫌」

「きつうございますか?」

「そっちじゃないのよ……」

玉楼には説明できない。

アタシの身体なのに、アタシよりこの身体の方が物事を知っている。

鏡に続いて、身体にまで先を越されている。

転生した本人が一番遅れてるってどういう仕様?

玉楼は最後に胸元を確かめ、一歩下がった。

「よろしゅうございます」

終了らしい。

アタシは自分を見る。

完全に戦う人の格好だった。

どう見ても、これから市場へ買い物に行く装備ではない。

「ねえ、玉楼」

「はい」

「これ着て、祝家荘へ何しに行くの?」

玉楼が答えようとした時、廊下の空気が変わった。

さっきまで控えていた者たちが、一斉に姿勢を正した気配がする。

玉楼も扉へ向き直る。

誰か来た。

今までの使いの人間とは違う。

見なくても分かる。

この屋敷で、周りを黙らせる立場の人だ。

扉が開いた。

廊下の先に男が立っている。

年齢はアタシより上に見えた。

派手なことは何もしていない。

ただ立っているだけなのに、その男を中心に周囲の人間の位置が決まっている。

視線が合う。

知らない。

絶対に知らない男だ。

なのに身体の奥で、何かが反応した。

「起きたか」

男が言う。

短い言葉だった。

心配より確認に近い。

アタシは返事をしようとして――

「……兄様」

先に口が動いた。

まただ。

アタシの知らない人間関係を、身体が勝手に提出してくる。

男は何も驚かなかった。

つまり正解。

兄。

いるらしい。

父親に続いて兄まで追加された。

家族構成くらい事前説明してよ。

「祝家荘から知らせが来た」

兄――扈成は、アタシの混乱など知るはずもなく続ける。

「梁山泊が攻め寄せている」

梁山泊。

その言葉だけ、胸のどこかに引っかかった。

聞いたことがある。

絶対にある。

でも思い出せない。

何だっけ。

旅館?

料理屋?

いや、それはさすがに違う。

もっと別の――

「祝彪はお前の許嫁だ。加勢するしかあるまい」

思考が全部吹き飛んだ。

「……は?」

扈成の眉が動く。

でも今のは仕方ないでしょ。

待って。

祝彪。

誰。

その前に。

「許嫁?」

声が裏返った。

廊下にいる全員がアタシを見る。

玉楼まで見ている。

やめて。

そんな「何を今さら」という顔で見ないで。

前世では彼氏すらいなかった。

それが朝起きたら婚約者がいる。

しかも初めて存在を知らされた瞬間、婚約者の家が武装集団に襲われている。

恋愛イベントの導入として最悪じゃない?

「三娘?」

扈成が怪訝そうにこちらを見る。

「いや……何でもない」

何でもある。

ありすぎる。

でも説明できない。

『昨日まで独身会社員でしたので、婚約者の引き継ぎを受けておりません』なんて言えるわけがない。

扈成はそれ以上追及しなかった。

「祝家荘とは以前より誼がある。まして祝彪はお前の許嫁だ。放ってはおけぬ」

そうでしょうね。

この世界の扈三娘なら。

でもアタシ、祝彪の顔すら知らないんだけど。

「それで……アタシは何を?」

聞いた瞬間、扈成の顔が変わった。

まずかった。

また扈三娘なら聞くはずのない質問をした。

「加勢だ」

「加勢……」

戦うの?

この格好で?

いや、どう考えてもそうだ。

会社員時代の技能に一騎討ちは含まれていない。

パソコンなら使える。

電話応対もできる。

ヒールで長時間歩くこともできる。

でも、武装集団同士の戦争では全部役に立たない。

職務経歴書を出してもたぶん落ちる。

「行け!」

扈成の声が廊下へ通った。

迷う余地を与える言い方ではなかった。

周囲の人間も一斉に動き始める。

誰も驚かない。

誰も「本当に三娘様を?」なんて聞かない。

扈三娘が戦へ行く。

それが、この家では当たり前らしい。

冗談でしょ。

アタシは戦ったことなんてない。

なのに足は震えていなかった。

呼吸も乱れていない。

むしろ、扈成の命令を聞いた瞬間から身体の奥で何かが切り替わっている。

肩の位置。

腰の重さ。

足裏へ掛かる力。

全部が、さっきより自然になっていく。

「待ってよ……」

誰に言ったのか自分でも分からない。

身体?

扈三娘?

それとも、この世界そのもの?

誰も待ってくれない。

扈成はすでに次の者へ指示を出している。

玉楼が一歩前へ出た。

振り返りはしない。

ただ、アタシが続くことを知っている人間の位置に立つ。

その背中を見た途端、足が動いた。

一歩。

廊下へ出る。

左右にいた者たちが、何の合図もないのに道を開けた。

「うわ……」

思わず漏れる。

人の列が左右へ割れていく。

何これ。

モーセの十戒?

こんな時に頭へ浮かぶ例えじゃない。

でも本当にそう見える。

誰もアタシへ道を教えない。

それなのに玉楼が歩けば、周りが自然に位置を変え、アタシの前に一本の道ができていく。

そして、もっとおかしいことに――

アタシの足も迷わない。

玉楼と歩幅が合っている。

合わせようとしていない。

身体が勝手に知っている。

この廊下をどう歩くのか。

どこで曲がるのか。

玉楼との距離をどれだけ空けるのか。

全部。

「……何なのよ、これ」

小さく呟く。

玉楼は聞こえたはずなのに振り返らない。

その代わり、ほんの少しだけ歩調を緩めた。

アタシの足も、それに合わせる。

また合った。

怖い。

でも今は、その怖さに頼るしかない。

廊下の先から外の光が差し込んでいる。

そこを越えたら、たぶん本当に始まる。

祝家荘も梁山泊も、許嫁もこれから向かう戦も、アタシには何ひとつ分からない。

それなのに、この身体だけはアタシよりずっと戦い方を知っているらしい。

アタシは一瞬だけ足を緩めた。

玉楼の気配が、ほんの少し前へ出る。

急かさない。

振り向かない。

ただ、流れが切れない場所にいる。

それだけで、もう一歩踏み出せた。

二人で進む。

外へ……




玉楼でございます。
「玉楼、三娘の身体を勝手に動かしたんだって?」
顧大嫂様が笑いました。
「わたくしは鎧をお着せしただけでございます」
孫二娘様が鍋を叩きます。
「腕を上げるタイミングまで合ってたんだろォ?」
幕舎の外から声が飛びました。
「そうなのよ! アタシより玉楼の方がアタシの扱いに慣れてるの!!」
「長くお仕えしておりますので」
「ほらァ! 取扱説明書みたいになってるよォ!」
「人を家電みたいに言うな!!」
甚だ妙な例えでございます。
ですが、あの朝、三娘様のお身体は鎧の重さにも、歩き方にも迷いませんでした。
顧大嫂様が酒の椀を置きます。
「じゃあ次は、本当に戦えるかだねぇ」
外が静かになりました。
そう――
それだけは、誰にも分からなかったのでございます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。