扈三娘は生き残りたい!!!―水滸戦記―   作:Cima4910

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「玉楼が林冲に二回も届いたんだって?」
顧大嫂が酒を置いた。
「そう! アタシより先に普通に戦えてたの!」
孫二娘が鍋を混ぜながら笑う。
「じゃあ三娘、見学でよかったんじゃないかァ?」
「アタシもそう思ってたわよ!!」
「でも飛び込んだ」
「身体が勝手に!!」
顧大嫂が吹き出す。
「またそれかい」
「しかも玉楼と連携まで始めるの! 説明書どころか操作権返して!!」
孫二娘が首を傾げた。
「それで林冲に負けた、と」
「急に現実へ戻すな!!」
二人が笑う。
でも、倒される直前だけは違った。
身体が知っていたんじゃない。
アタシ自身が、林冲の動きを知っている気がした。
あと少しで思い出せそうだった。
その“あと少し”が、どうしても届かなかった。


闇に立つ蛇矛

闇の中に、影がある。

近づいているはずなのに、距離の感覚が狂う。

こちらの馬は確かに進んでいるのに、その影だけは最初から同じ場所に立って待っていたように見えた。

やがて月明かりが輪郭を拾う。

馬上の男だった。

長い蛇矛を手にしている。

派手な構えじゃない。

威嚇する様子もない。

ただ、そのまま突けば誰かが死ぬことを知っている人間の持ち方だった。

さっきの王英を返してほしい。

いや、返されても困る。

でも、あっちは口を塞げば静かになった。

目の前の男は何も喋っていないのに、周りの空気まで黙らせている。

隊列が自然に広がった。

誰も命じていない。

それでも兵たちは馬をずらし、男の前だけを空けていく。

玉楼も手綱をわずかに引いた。

止まるためじゃない。

間合いを作るためだ。

アタシも同じだけ白馬をずらしていた。

「……また勝手に」

身体が、あの男を危険だと知っている。

それも王英とは比べものにならないくらいに……

男がこちらを見る。

目が合った瞬間、ぞっとした。

いやらしさはない。

怒りもない。

こっちが女かどうかすら、たぶんどうでもいい。

ただ、敵として見ている。

その方がずっと怖い。

玉楼の表情からも、王英を地面へ転がした時の余裕が消えていた。

「……林冲」

その名が聞こえた瞬間、胸の奥が跳ねた。

「林冲?」

知ってる。

たぶん知ってる。

なのに出てこない。

脳内検索、また件名だけ拾って本文が開かない。

何なの、この記憶。

林冲は答えなかった。

蛇矛を持つ手を、ほんの少し変えただけだった。

それだけで玉楼が動いた。

馬腹を蹴り、一気に距離を潰す。

速い。

王英を倒した時より速い。

玉楼の槍が林冲の胸元へ走った。

林冲は大きく避けず、身体をわずかに外して穂先だけを通す。

玉楼は止まらない。

外された勢いを殺さず槍を横へ薙ぎ、林冲が蛇矛で受けた瞬間には、もう馬を横へ抜いている。

すれ違いざま、槍を引き戻して石突きを打ち込んだ。

林冲が上体を引く。

当たらない。

でも、避けさせた。

「玉楼……強っ」

思わず声が漏れた。

侍女じゃなかったの?

いや、王英を一瞬で転がした時点で気づけって話なんだけど、アタシの知ってる侍女は主人に衣を掛けたり髪を整えたりする人で、梁山泊の頭領を槍で追い回す職業じゃない。

玉楼は馬首を返した。

林冲も向きを変える。

槍と蛇矛がぶつかり、離れ、また重なった。

玉楼は速さだけで攻めていない。

林冲が受ける位置を見て、その先へ穂先を滑らせる。

正面が閉じれば馬を斜めへ入れ、横へ回れば林冲の馬首を押さえる。

林冲の蛇矛が槍を強く弾いた。

普通ならそこで崩れる。

玉楼は弾かれた槍をそのまま回し、逆側から林冲の肩へ返した。

林冲が柄で止める。

その隙に玉楼の馬が半歩入った。

穂先が林冲の袖を裂く。

ほんのわずかだった。

それでも届いた。

周囲の兵が息を呑む。

林冲の目が変わった。

「下がって!」

誰に言ったのか、一瞬分からなかった。

アタシだった。

いや、下がりたいわよ。

できれば屋敷まで。

でも白馬は退かない。

というより、アタシの脚が退く合図を出していない。

身体、そこは主人の意見を聞こう?

林冲が動いた。

今度は速さが違う。

蛇矛が玉楼へ伸びる。

玉楼は受けずに外し、その移動先へ来た二撃目も槍で弾く。

三撃目を身体を沈めてかわすと、そのまま林冲の懐へ穂先を突き込んだ。

林冲が馬を退かせた。

一歩。

はっきり下がった。

玉楼が追う。

蛇矛の柄が横から入ったが、槍を立てて受ける。

それでも崩れず、すぐ林冲の手元へ穂先を返した。

「何それ……」

もう何をやっているのか、アタシには半分も分からない。

でも身体は分かっていた。

玉楼は押されている。

それでも、まだ負けていない。

林冲へ好きなようにはさせていない。

蛇矛が横薙ぎに来る。

玉楼は馬上で身体を倒してかわし、その下から槍を突き上げた。

林冲が受ける。

玉楼は槍を滑らせ、そのまま喉元へ穂先を走らせる。

届く。

そう思った。

林冲が首を外した。

穂先が襟を裂く。

二度目。

今度は誰の目にも分かった。

玉楼は、林冲へ届いている。

「すご……」

感心している場合じゃなかった。

林冲の顔から、最後の余裕が消えた。

あ。

これ、まずいやつ……

次の一撃で玉楼の槍が外へ弾かれた。

林冲は追わず、先に馬を詰める。

玉楼が槍を戻すより、蛇矛の穂先が近い。

柄で受ける。

馬の蹄が土を削る。

二撃目を受け流し、三撃目も外す。

それでも林冲は止まらず、玉楼が攻めるための一瞬を次々に潰していく。

それでも玉楼は守るだけにはならなかった。

蛇矛を外へ流した瞬間、槍を短く持ち替えて林冲の脇へ突き込む。

林冲の身体がずれた。

また玉楼が前へ出る。

「三娘様、まだです!」

何もしてないのに待てと言われた。

たぶん「来るな」という意味なんだろう。

でも、その直後だった。

林冲の蛇矛が玉楼の槍を押さえ込み、そのまま肩口へ走った。

玉楼は身体をひねる。

避けた。

けれど鎧の肩が裂け、馬が乱れた。

次の一撃が来る。

このままだと――

玉楼が死ぬ。

誰かに教えられたわけじゃない。

身体が先に分かった。

気づいた時には白馬の腹を蹴っていた。

「ちょっと、アタシ!!」

自分に止まれと言っても遅い。

林冲と玉楼の間へ滑り込む。

「三娘様!」

蛇矛が来る。

受ける。

違う。

止めたら負ける。

双刀の片方が蛇矛へ触れ、力の向きを外へ逃がした。

もう片方の刀が勝手に林冲の肩口へ走る。

林冲が初めて大きく馬を退いた。

それでも切っ先が二の腕の袖を浅く裂いた。

「……え?」

アタシが一番驚いた。

林冲もこちらを見る。

さっきまでとは違う。

明らかにアタシ個人を見ている。

やめて……

王英とは別方向で、その目も怖い。

「三娘様、右です!」

玉楼の声が飛ぶ。

意味を考える前に身体が動いた。

右へ半歩。

同時に玉楼が左から入る。

林冲の蛇矛をアタシが外し、その空いたところへ玉楼の槍が走った。

林冲が柄で払う。

今度はアタシの刀が下から入る。

誰も打ち合わせていない。

なのに玉楼が次にどこへ来るか分かる。

玉楼もアタシがどこを空けるか知っている。

アタシが踏み込めば玉楼が逃げ道を塞ぎ、玉楼が前へ出ればアタシが横から刀を入れる。

怖い。

何これ。

コンビ技のチュートリアル、説明なしで本番投入しないで。

林冲の蛇矛が、初めて守りにも回った。

玉楼の槍を弾けばアタシの刀が来る。

アタシを押し返せば玉楼が入る。

それでも崩れない。

むしろ林冲の動きは、戦うほど整っていく。

「化け物じゃない……?」

言った瞬間、蛇矛がこちらへ伸びた。

アタシが外す。

玉楼が脇へ突く。

それも避けられた。

余裕はない。

でも戦えている。

アタシが。

いや、アタシたちが。

その事実に頭が追いつかない。

林冲が一度、間合いを切った。

蛇矛を構え直す。

玉楼が息を整えながら横へ並ぶ。

「三娘様」

「何?」

「お気をつけください」

「今さら!?」

林冲が来た。

さっきまでとは別人だった。

一撃目を外した時には、もう二撃目がいる。

二撃目を刀で流せば、三撃目が玉楼との間を裂いた。

連携を切られる。

玉楼が外へ押し出された。

「玉楼!」

返事をする暇すらない。

玉楼も戻ろうとしているが、林冲はアタシたちの間へ蛇矛の軌道を通し続ける。

一人ずつにされた。

まずい。

身体がそう言った。

林冲の狙いがアタシへ移る。

蛇矛が来る。

外す。

次も受け流す。

まだ間に合う。

そう思ったのは数合だけだった。

刀へ衝撃が残る。

腕が痺れる。

身体は次に何をすればいいか知っているのに、アタシの頭がその速さについていけない。

分かる。

分かるのに、一瞬だけ迷う。

その一瞬が致命的だった。

林冲の蛇矛が刀を弾く。

次を避けたつもりで、肩をかすめた。

「っ!」

痛い。

急に現実になった。

ゲームじゃない。

夢でもない。

切られたら痛いし、たぶん死ぬ。

呼吸が乱れる。

その瞬間、頭の奥で何かが引っかかった。

この距離、この蛇矛の角度。

知っている。

身体だけじゃない。

もっと奥で、アタシ自身が――

何かを思い出しかけている。

林冲が踏み込む。

来る場所が分かる。

刀を出す。

一瞬だけ、完璧に噛み合った。

蛇矛を外し、懐へ入る。

林冲の目がわずかに見開かれる。

あと一歩。

そこまでだった。

浮かびかけたものが途切れた。

身体も一瞬だけ遅れる。

蛇矛が来る。

受けるしかない。

衝撃で刀が弾かれた。

何をされたのか分からなかった。

馬上の支点だけを正確に崩され、鐙から足が外れる。

空がひっくり返った。

地面が背中へ叩きつけられる。

息が消えた。

痛い。

起き上がろうとしても身体が動かない。

蛇矛の穂先が喉元で止まった。

死ぬ。

初めて、はっきりそう思った。

「三娘様!」

玉楼の声がする。

林冲から離れた場所で何人もの兵に囲まれている。

それでも槍を手放さず、一人の得物を弾き、もう一人の懐へ石突きを叩き込んでいた。

まだ戦ってる。

何人来ても、アタシのところへ戻ろうとしている。

「玉楼、来ないで!」

声になったかどうか分からない。

林冲は蛇矛を下ろした。

殺さないらしい。

安心する暇もなく、兵がアタシの腕を取った。

身体を地面へ押さえつけられ、手首へ縄が回る。

視界の端では、玉楼がなお二人を振り払い、三人目の槍を外していた。

「三娘様から離れなさい!」

怖い。

敵じゃなくて玉楼が。

最後は人数で囲まれ、槍を押さえられた。

それでも玉楼は膝をつかず、最後までこちらへ戻ろうとしていた。

林冲は少し離れた場所から、黙ってアタシを見下ろしている。

冷たい目だった。

でも、さっきまでとは違う。

何かを確かめている。

アタシは動けない。

息もまだ浅い。

それでも頭の奥には、さっき届きかけた感覚だけが残っている。

あと一歩だった。

何かを思い出せそうだった。

扈三娘の身体が知っていることじゃない。

アタシ自身が知っている何かに。

でも、もう届かない。

顔だけを横へ向ける。

夜空は何も変わっていなかった。

戦いだけが―― 一瞬で終わっていた。




玉楼でございます。
「玉楼、林冲に二回も届いたんだって?」
顧大嫂様が酒を置きました。
「二回しか届きませんでした」
孫二娘様が鍋を叩きます。
「そこ反省するとこなのォ!?」
幕舎の外から声が飛びました。
「アタシなんか途中まで見学者だったのよ!!」
「三娘様は途中から十分お働きでした」
「身体がね!!」
顧大嫂様が笑います。
「しかも二人で林冲に守らせたんだろ?」
「はい、ですが負けました」
「現実を即答するなァ!」
甚だ不可解でございます。
けれど、あの時ひとつだけ気になったことがございました。
倒される直前、三娘様のお顔が変わったのです。
身体が思い出した顔ではございません。
まるで――
三娘様ご自身が、林冲殿を知っていたような顔でございました。
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