扈三娘は生き残りたい!!!―水滸戦記―   作:Cima4910

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「玉楼、毎回毒見してたの!」
孫二娘が鍋を混ぜながら笑う。
「止めなかったのかァ?」
「止めたわよ! 三日連続で無視されたの!!」
顧大嫂が酒を吹いた。
「侍女に命令負けしてるじゃないか」
「しかも自分を優先してって言ったら、“必要になりましたら”よ!?」
孫二娘が首を傾げる。
「玉楼、自分の優先順位どこ?」
「たぶん圏外!!」
二人が笑う。
その夜までは、それでよかった。
梁山泊は妙に普通で、宋江は女の人に呼ばれて普通に奥へ行くし、牢屋は客室みたいだし……
何もかも、想像と違っていた。
だから――
廊下の向こうから聞こえた一言だけは、笑えなかった。
「扈家荘が落ちた」
なのにアタシは、 どう悲しめばいいのかさえ分からなかった。


玉楼の涙

梁山泊に連れてこられて、だいぶ夜も遅くなった。

部屋へ通された、と言えば聞こえはいい。

実際には、閉じ込められた。

木の柱に土壁、低い卓と水差しが一つ。

寝具は二組あるし、床も汚れていない。

牢屋よりはずっとましだけど、扉だけは妙に厚かった。

内側から開けられる作りじゃない。

「客室の顔をした牢屋ね……」

思わず呟く。

玉楼が扉を確かめ、窓を見て、天井まで一通り眺めた。

「外に二名おります」

「見えたの?」

「足音が二つございましたので」

「そっち?」

普通、見張りを数える時って見るんじゃないの?

玉楼は当然のようにアタシの半歩前へ戻った。

捕まる前から何度も見た位置だ。

近すぎず、離れすぎず。

誰かがアタシへ来れば、先に玉楼へ届く。

「玉楼」

「はい」

「座らないの?」

「必要ございません」

「何時間立つ気?」

「必要なだけ」

侍女という職業、労働基準どうなってるの?

そう思ったところで、廊下から人の声が聞こえた。

さっきの男だ。

縄を解かせた、梁山泊の頭領。

「この二人には手を出すな。林教頭に任せておけ」

「承知しました、宋江様」

宋江――

胸の奥が、また引っかかった。

林冲。

王英。

梁山泊。

そして宋江。

知ってる。

絶対知ってる。

なのに頭の中では名前だけが横一列に並んで、誰一人として説明欄が開かない。

この脳内データベース、検索結果だけ返して本文を全部消してない?

その時だった。

廊下のさらに奥から、女の声がした。

「宋江様、少々よろしいでしょうか?」

柔らかい声だった。

でも、遠慮がちという感じではない。

呼べば来ることを知っている人の声だ。

廊下が一瞬だけ静かになる。

「ああ、今行く」

宋江が普通に答えた。

足音が、そのまま奥へ遠ざかっていく。

アタシは扉を見た。

「……行った?」

玉楼も扉を見ている。

「行かれましたね」

「梁山泊の頭領よね?」

「そのようでございます」

「奥から女の人に呼ばれて?」

「はい」

「普通に?」

「普通に」

何なの、この山賊の砦。

頭領にも家庭の呼び出しがあるの?

もっとこう、「俺が梁山泊の頭領だ!」みたいな豪快さを想像していたのに、縄を解いたと思ったら、今度は女の人に呼ばれて「今行く」である。

山賊の解像度が一向に上がらない。

むしろ下がっていく。

やがて別の足音が近づいた。

今度は分かる。

玉楼の肩が、ほんのわずかに動いたからだ。

扉が開く。

林冲だった。

蛇矛は持っていない。

持っていないのに、安心できない。

何なら武器がない方が怖い。

この人、武器が無くても普通に強そうなのよ。

林冲は部屋の奥まで入ってこなかった。

玉楼が一歩前へ出る。

「――ここから先は、私を通して下さい」

初対面なら、侍女が何を言ってるんだと思うところだろう。

でも林冲は、もう玉楼が何者なのか知っている。

袖を裂かれ、襟まで届かれた相手だ。

「用件だけだ」

「でしたら、そこで」

玉楼、捕虜よね?

さっきから交渉権を当然のように持ってない?

林冲も林冲で怒らない。

むしろ、その位置で止まった。

「当分、ここにいろ。処遇は後で決まる」

アタシは玉楼の肩越しに林冲を見る。

「守ることは三つだ」

林冲が指を上げることもなく続けた。

「騒ぐな。逃げようとするな。呼ばれれば来い」

簡潔。

会社だったら仕事できる上司。

山賊だから就職したくはない。

玉楼が頷く。

「承知いたしました」

「ちょっと待って」

二人がアタシを見る。

「アタシの返事は?」

玉楼が振り返った。

「同じでよろしいですね?」

「確認が事後なのよ!」

林冲の口元が、ごくわずかに動いた気がした。

笑った?

いや、この人が?

気のせいかもしれない。

「食事は運ばせる」

それだけ言って、林冲は出ていった。

扉が閉じる。

鍵の音。

「……自由ではないわね」

「縄が無いだけでも十分でございます」

「玉楼、適応早くない?」

「三娘様がおられますので」

さらっと言われた。

どう返していいか分からない。

しばらくすると、本当に食事が運ばれてきた。

粥と野菜、それに少しの肉。

扉が閉じるなり、玉楼が卓の前へ座る。

箸を取った。

「待って」

「はい」

「それ、何してるの?」

「毒見でございます」

やっぱり。

「しなくていい!」

「必要でございます」

「さっきから玉楼の必要判定、全部おかしくない!?」

玉楼は聞かなかった。

粥を一口。

菜を一口。

肉も食べる。

そして静かに待つ。

「……問題ございません」

「結果的に普通に夕飯食べてるだけじゃない」

「毒が無かっただけでございます」

強い。

理屈が強い。

アタシも箸を取った。

味は薄い。

でも、ちゃんと温かい。

捕虜へ出す食事としては拍子抜けするくらい普通だった。

食べ終えても、何も起きない。

夜もそのまま過ぎていく。

翌日も、次の日も同じだった。

呼び出されない。

責められない。

尋問もない。

もちろん外へは出られないけど、食事は来るし、水も来る。

玉楼は毎回毒見する。

毎回止める。

毎回無視される。

三日目には、止める方が疲れてきた。

「玉楼」

「はい」

「アタシたち、何を待たれてると思う?」

玉楼はすぐには答えなかった。

「こちらが何をするか、ではないでしょうか」

「逃げるか、暴れるか?」

「あるいは、誰かを頼るか」

なるほど。

縄を解いたのも、部屋へ入れたのも、親切じゃない。

こっちがどう動くかを見るため。

アタシは卓へ肘をつきかけて、背中が痛くてやめた。

「じゃあ、何もしない」

玉楼が頷く。

「それがよろしいかと」

「相手が待ってるなら、こっちも待つ」

「はい」

「ゆっくり休めって言われたしね」

「では、お休みください」

「今?」

「今でございます」

「作戦会議から睡眠導入まで早すぎない?」

それでも横になる。

玉楼は、また扉の前へ座った。

「そこ?」

「はい」

「寝具あるけど?」

「ここで結構でございます」

「玉楼」

「はい」

「たまにはアタシより自分を優先しない?」

玉楼は少し考えた。

本当に考えた。

「必要になりましたら」

駄目だ。

この人、「自分を優先する」が必要事項に入ってない。

数日が過ぎた。

梁山泊の中にも少しずつ慣れてきた頃、廊下を歩く兵の声が聞こえた。

「……扈家荘が巻き添えで落ちたってよ」

手が止まった。

扈家荘。

知っている。

いや。

知っているはずの名前。

「本当か?」

「ああ、李逵が勘違いして大暴れしたらしい」

「誰か止めろよ」

「止められるなら苦労しねえよ。宋江様と戴宗様くらいだろ」

「扈三娘にやられた逆恨みもあったらしいぞ」

笑い混じりだった声が、少し遠ざかる。

「こっちにも関係者いるんだろ?」

「林冲殿が預かってる女たちだ」

「ああ……余計なこと言うなよ」

「分かってる」

足音が消えた。

部屋へ静けさが戻る。

アタシは動かなかった。

扈家荘――

朝、目を覚ました場所。

兄様と呼んだ男がいた場所。

玉楼と暮らしていたらしい場所。

たぶん、アタシにとっては故郷だった場所。

それが落ちた。

なのに――

何も出てこない。

悲鳴も。

涙も。

怒りも。

胸の中に空洞だけがある。

「……扈三娘様」

玉楼の声がした。

顔を上げる。

いつの間にか、玉楼がこちらを見ていた。

「なに?」

玉楼はすぐに答えなかった。

珍しい。

「ご様子が……」

途中で言葉が止まる。

「変わりませんが……」

「変わる必要、ある?」

言ってから、自分でも妙だと思った。

玉楼の目がわずかに揺れた。

「ございます」

いつもなら即答する玉楼が、今度はその先を言えない。

アタシは扈家荘を思い出そうとした。

部屋。

廊下。

庭。

兄様。

何も浮かばない。

玉楼がアタシを守る位置だけは、身体が知っているのに。

自分が育った場所は、何ひとつ出てこない。

「……どうかしらね」

それしか言えなかった。

玉楼が目を伏せる。

「……承知しました」

声が小さい。

そこで初めて気づいた。

玉楼の目に涙が浮かんでいる。

アタシより先に。

アタシの故郷のことで。

玉楼が泣いている。

それなのに、アタシは泣けない。

悲しくないわけじゃない。

たぶん。

でも、何を失ったのか分からない。

誰を心配すればいいのかも、どんな顔を思い浮かべればいいのかも分からない。

朝からずっと、身体だけが先に知っていた。

玉楼を知っていた。

兄様を知っていた。

馬を知っていた。

戦い方まで知っていた。

なのに今度は、身体さえ何も教えてくれない。

故郷がなくなったと聞かされても、アタシには悲しみ方が分からなかった。

外で足音が響く。

答えはまだ出なかった。




玉楼でございます。
「玉楼、三日も毒見してたんだって?」
顧大嫂様が酒を置きました。
「はい、三娘様がお召し上がりになりますので」
孫二娘様が鍋を叩きます。
「三娘が毎回止めてただろォ!」
「毎回、問題ございませんでした」
幕舎の外から声が飛びました。
「結果論で押し切るな!!」
「毒があれば、わたくしが先に倒れます」
「もっと駄目だろ!!」
甚だ騒がしいことでございます。
ですが――
あの日だけは、三娘様のお声が止まりました。
扈家荘が落ちたと聞いても、泣かず、怒らず、ただ私を見ておられたのです。
私は分かってしまいました。
三娘様は悲しくないのではございません。
何を失ったのか、思い出せないのでございます。
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