テーマ: 動物
「俺さ、あれ苦手なんだよな、あれ」
酔っぱらった友人が、酔い覚ましに、ブランコを揺らしもせずに座っている。
湿っぽい土の、ざくざくとした音を聞きながら、彼の曖昧な「あれ」とやらを咎めた。
「せめて指さして言ってよ」
「ほら、あのシーソーの近く、猫が毛玉になってるだろ」
「ああ、本当だ。猫が丸まってる……あれが?」
「猫だけじゃなくて、ああやって丸まってる毛玉が苦手なんだ」
私は思わず首を傾げた。
「アレルギーなんだっけ?」
「いいや、違う」
「じゃあ何?子供のころ、動物に噛みつかれたりしたの?」
「いやあ……ああ、噛みつかれそうになったというか、なんというか」
うだうだと、歯切れが悪く、嫌そうな顔をして言う。
そんなに苦手な話なら、口に出さなければよかったのに。
こうして始めなければ、会話を続けずに済んだものを……酔っ払いとはそういうものか。
彼の心情を察しながらも、私は続きを促した。
酔っ払いから出てくる、なにか苦手なものの話など、聞きたくないはずがない。
上手くいけば、このネタは、からかいの材料になる。
「中学の時、塾通いでさ、いつも日が落ちてから帰ってたんだよ」
横で小さくブランコを揺らす私を見ながら、彼は話を始めた。
「家までの間に、ちょうどここみたいな小さな公園があって、そこ、レンガで囲まれた小さな花壇があったんだ。そんでレンガの上に、決まって丸まってる猫がいた」
「ああいう感じで?」
「そう。今みたいに、暗いからほとんど毛玉にしか見えなくて、こっちを向いてるのかそっぽをむいてるのかもわからない。あの花壇、街灯から遠かったから、見えねえのなんのって」
ぼんやりとした視界を誤魔化しながら、私はあの丸っこくなっている猫を見た。
公園を囲う塀の上で、くるりと丸くなって、動かない。
こんな時間に外で猫を見るのは珍しいと思ったが、そもそもやつらを日中見かけることも少ない。
ああ、そう。あの子たちは神出鬼没で気まぐれなのだから、一瞬前の考え事も、まるきり無駄だったのではないか。
なら私という酔っ払いの思う、益のある考え事とは何だろう。しいて言うなら、夜行性のくせに夜にぐだついているあの猫は、怠惰なやつかもしれないなんて話だろうか。
「毎日毎日、同じ場所にあの毛玉は居たんだ。だからはじめ、毛玉なんて名前をつけて、呼び掛けるようになったんだけど、でもあいつはぴくりとも動かなかった」
「かわいいことするじゃん」
「だから俺、あんなことしたんだろうな」
「あんなことって?」
「どこまでしたら反応するのか気になって、少しだけ撫でてみたんだよ。ゆっくり近寄って、そーっとな」
「かわいいことするじゃん」
「……」
二度も無視された。
「街灯の影でよく見えないから、近づいてもやっぱりあれは毛玉でさ。撫でたら、毛並みがさらさらしてて、骨が入ってることがわかる。
で、ちゃんと温かくてさ。そこで初めて、ああこいつも生きてるんだって思ったよ」
「なんだ、死んでるのかと思った」
「生きてるよ、あれはちゃんと生きてた。でも俺が撫でても反応しなかった」
塀の上にいた猫が、するりと立ち上がって、近くに座り込む人間ふたりを一瞥したあと、夜闇に消えていった。
「毎日、塾がある日は必ず帰宅途中にアレの名前を呼んで、撫でてから帰ったんだ。たまに心配になって、手を同じ場所にあてて確かめてみると、心臓だかなんだか、中身がちゃんと動いてる感じがした」
「エサとかやらなかったの?」
「あんときは中学生だったし、猫が何なら食べれるかしらなかったから、なにも」
彼は相変わらず、ブランコを揺らすことなく、ぼうっと夜の公園のどこかを見ていた。
この公園と、彼の思い出とを重ねるあの猫がいなくなったから、何に焦点をあわせればいいのか、わからなくなってしまったのかもしれない。
「でさ」
「うん」
「いい加減、顔が見たくなった。動かねえし、反応もねえし。だから抱きかかえても、もしかしたら気づかねえんじゃねえかって、思ったんだよ」
「大胆だね」
「だろ。あんな馬鹿なことしなきゃよかったんだけどな……抱きかかえたくて、こう、毛玉の下に手を入れたんだ。
そしたらさ、ベロン、ってなった」
端的に、彼は表した。
「……?」
「人差し指で自分の唇をめくったみたいに、湿ってて、粘膜みたいなのに触れて、気持ち悪くて」
そのときの感覚を振り払うように、彼は手を擦り合わせて、砂を払うようにせわしなく動かし始めた。
よだれを払うように、彼は両手を振っては、何もついていないことを確かめている。
「俺びっくりして、うわぁって叫びながら手をそのまま上に持ち上げたんだ。そしたら毛玉がぐるんってひっくり返って、そのまま花壇に転がったんだよ。
そんで、裏面が見えた」
しきりに手をこすりながら、彼は早口で語る。
「影で暗くなってても、親指くらいある歯がびっしり丸く生えてるのが見えたんだ。なんか、ぬたぬたしてて、動いてる。
お前さ、わかるか?」
「……なにが?」
「タニシがさ、アクリルに張り付いて口をグニグニ動かしてるの、裏面全部ああいう感じなんだよ、ああいう感じで毛玉はあのレンガに張り付いてグニグニグニグニ、グニグニグニグニ」
「……」
私はなんとなく、公園のどこかに座っているのが気持ち悪くなって、ブランコを降りた。
すごく、居心地が悪い。
「だからさ、俺ああいう毛玉が苦手なんだ。猫だけじゃなくて、狸でもハクビシンでも、イヌでもなんでもいいけど、町とか、テレビとか、動物園とか、見るたびに、実はあれなんじゃねえかって。タニシみたいに、どこから来たのかわかんねえけど、気づいたらどこにでもいるんじゃねえかって。
普段は笑われるし思い出したくねえから言わねえんだけど、あー酒って最悪だ気持ち悪い気持ち悪い最悪だ」
「……夢の内容とごっちゃになってたりするんじゃないの?」
「俺も夢だと思ってるよ。ほら、昔の記憶ってあやふやになってくし、そういうもんだと思ってるよ。そうだろ、だってあんな動物いるわけねえんだから」
彼はどうしても自分自身を納得させたいらしい。
縋るような声に私は答えることができなかった。
実家のチワワの、柔らかくて、暖かくて、毛並みがもふもふとして、しかしどこか骨ばっているあの抱き心地が私の手のひらを支配しているのだ。
あの子も時折、毛玉にしか見えないときがある。
夜更かしをしたとき、トイレに起きたとき、決まってあの子はリビングで毛玉になっていた。
……リビングの、私の椅子の上で。
あの毛玉は、本当にあの子なのだろうか。
この居心地の悪さは、本当にこの公園だけのものなのだろうか。
「……コンビニとか行かない?」
「なんか買うの?」
「ああ……いや、ほら、水とか飲みたくて。……そろそろ帰りたいし」
「じゃあ解散にするか」
私はそそくさと、地面に放置していたカバンを拾いあげた。
そしてまだ、ブランコに座ったままの彼に振り返る。
「駅まで行く?」
「いいや、俺まだここに座ってるよ」
「そっか」
それだけ言って、別れることにした。
私はさっさと公園の出口に向かう。
まるでブランコに張り付くように、微動だにしなくなった彼のことを、気にしないようにしながら。