悪役令嬢が破滅するまで   作:光宙

1 / 4
悪役令嬢が破滅するまで

少女が、倒れた。

 

 血に濡れた銀色の髪が地面に広がる。

 

 その身体を抱き起こしたのは、一人の少女だった。

 

「カルヴィナ様……!」

 

 涙を流すアリエス。

 

 その後ろには、かつてカルヴィナの婚約者だった皇太子レオニードと、彼女を止めるために集まった者たちが立っている。

 

 カルヴィナはゆっくりと目を開けた。

 

「……アリエス」

 

「はい……」

 

「泣かないで」

 

「無理です……!」

 

 アリエスの声が震える。

 

「私は……カルヴィナ様を殺したくなんて……!」

 

 カルヴィナは、ほんの少しだけ笑った。

 

「そう」

 

 そして、かすかに手を伸ばす。

 

「……強くなったわね」

 

「え……?」

 

「初めて会った頃とは、大違いよ」

 

 カルヴィナの手が、力なく落ちる。

 

「カルヴィナ様……?」

 

 返事はなかった。

 

 カルヴィナ・ブランシュ。

 

 公爵令嬢にして、希少な黒魔法の使い手。

 

 彼女は十五歳という若さで、その生涯を終えた。

 

 何故、彼女は殺されたのか。

 

 何故、彼女を慕っていた少女が、その手で彼女の命を奪うことになったのか。

 

 その始まりは――十一年前。

 

 カルヴィナが、まだ四歳だった頃まで遡る。

 

 これは、一人の令嬢が破滅するまでの物語。

 

     * * *

 

 小さな村だった。

 

 王都から遠く離れた、名前すら知られていない田舎の村。

 

 畑と森に囲まれたその場所で、一人の少女が走っていた。

 

「お母さん!」

 

「こら、カルヴィナ。走ったら転ぶわよ」

 

 振り返った女性が笑う。

 

 カルヴィナの母、リゼット。

 

 かつて公爵家で働いていた元使用人だった。

 

 公爵家を離れた後、この村へ移り住み、カルヴィナを一人で育てていた。

 

 裕福な暮らしではなかった。

 

 家は小さく、食事も決して贅沢ではない。

 

 服だって何度も繕って使っていた。

 

 それでも。

 

 二人は幸せだった。

 

「今日はね、村のおばさんからパンをもらったのよ」

 

「ほんと!?」

 

「ええ。でも夕食まで我慢よ」

 

「……半分だけ!」

 

「駄目です」

 

「じゃあ、三分の一!」

 

「カルヴィナ」

 

「……はい」

 

 しょんぼりする娘を見て、リゼットは笑った。

 

「夕食になったら、一緒に食べましょう」

 

「うん!」

 

 カルヴィナも笑う。

 

 母親の手を握る。

 

 その手は、少し荒れていた。

 

 けれどカルヴィナにとっては、何より温かい手だった。

 

 夜。

 

 二人で小さな食卓を囲む。

 

 パンを二人で分け、薄いスープを飲む。

 

「お母さん」

 

「なあに?」

 

「大きくなったら、私がお母さんを楽にしてあげるね」

 

「まあ」

 

「いっぱいお金を稼いで、大きなお家を買って」

 

「そんなこと考えていたの?」

 

「うん!」

 

 カルヴィナは胸を張る。

 

「私、強くなるから!」

 

 リゼットは少しだけ驚いた顔をした。

 

「強く?」

 

「うん!」

 

 カルヴィナは拳を握る。

 

「強くなったら、何でもできるんでしょう?」

 

「……そうね」

 

「だったら私が強くなって、お母さんを守る!」

 

 リゼットは黙って娘を抱きしめた。

 

「……ありがとう」

 

 その夜。

 

 カルヴィナは母親の腕の中で眠った。

 

 これがずっと続くと思っていた。

 

 明日も母と一緒に朝を迎え。

 

 一緒に食事をして。

 

 一緒に笑う。

 

 そんな毎日が、ずっと続くのだと思っていた。

 

 ――四歳のカルヴィナは、まだ何も知らなかった。

 

 強い者が、弱い者の全てを奪えることも。

 

 力の前では、正しさなど簡単に踏みにじられることも。

 

 そして。

 

 自分がその現実を、身をもって知ることになることも。

 

     * * *

 

 数日後。

 

「……黒魔法?」

 

 村を訪れた魔法使いの男が、驚愕した顔でカルヴィナを見つめていた。

 

「間違いありません。お嬢さんには、黒魔法の適性があります」

 

 リゼットの顔から血の気が引いた。

 

「……そうですか」

 

「これほどの適性は非常に珍しい。王都へ報告すれば――」

 

「必要ありません」

 

 リゼットが即座に遮った。

 

「この子は、ここで暮らします」

 

「ですが、黒魔法ですよ?」

 

「関係ありません」

 

 リゼットはカルヴィナを抱き寄せた。

 

「この子は私の娘です」

 

 男は困ったような顔をした。

 

「しかし……この才能を持つ者を、この村で一生過ごさせるのは――」

 

「この子は幸せです」

 

「……」

 

「それで十分です」

 

 リゼットはカルヴィナの頭を撫でた。

 

「そうよね、カルヴィナ?」

 

「うん!」

 

 カルヴィナは笑った。

 

「お母さんと一緒なら、どこでもいい!」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 リゼットは、娘を強く抱きしめた。

 

 だが。

 

 数日後。

 

 家の扉を叩く音がした。

 

 リゼットの顔が強張った。

 

「……誰?」

 

 返事を待たず、扉が開かれる。

 

 そこに立っていたのは、数人の騎士と一人の男だった。

 

 豪奢な服。

 

 冷たい目。

 

 その男を見た瞬間、リゼットはカルヴィナを抱き寄せた。

 

「……旦那様」

 

 ブランシュ公爵。

 

 カルヴィナの父親だった。

 

「久しいな、リゼット」

 

「なぜ……ここに」

 

「黒魔法の適性が確認されたと聞いた」

 

 公爵はカルヴィナを見る。

 

「その子を渡せ」

 

「お断りします」

 

 リゼットは即答した。

 

「この子は私が育てます」

 

「公爵家の血を引く子供だ。相応しい教育を受けさせる」

 

「必要ありません」

 

「黒魔法は極めて希少だ。このまま田舎で埋もれさせるつもりか?」

 

「この子が幸せなら、それでいいんです」

 

 公爵の眉が僅かに動く。

 

「……お前は昔から変わらんな」

 

「何とでも仰ってください」

 

 リゼットはカルヴィナを背中に隠した。

 

「この子だけは渡しません」

 

 カルヴィナは母親の服を握った。

 

「お母さん……?」

 

「大丈夫よ」

 

 リゼットは振り返り、笑った。

 

「お母さんがいるから」

 

 その笑顔が。

 

 カルヴィナが母から受け取った、最後の笑顔になった。

 

「……そうか」

 

 公爵が目を伏せる。

 

「ならば、仕方がない」

 

「え?」

 

 次の瞬間。

 

 騎士の一人が剣を抜いた。

 

「お母さん!」

 

 カルヴィナが叫ぶ。

 

 リゼットは娘を庇うように両手を広げた。

 

「やめて!」

 

 刃が閃く。

 

 リゼットの身体が、ゆっくりと崩れた。

 

「……お母さん?」

 

 カルヴィナは呆然と立ち尽くした。

 

 目の前で。

 

 母親が倒れている。

 

 床に広がる赤い色。

 

 いつも握ってくれた手が、もう動かない。

 

「お母さん……?」

 

 返事はない。

 

「起きてよ……」

 

 カルヴィナは母親の身体に縋りつく。

 

「ねえ……」

 

 それでも。

 

 返事はなかった。

 

「お母さん……!」

 

 初めて味わう喪失だった。

 

 何故、母が殺されたのか。

 

 何故、自分が連れて行かれるのか。

 

 四歳のカルヴィナには分からない。

 

 ただ一つだけ。

 

 幼い彼女にも分かったことがある。

 

 母を守ろうとしていた自分には、何もできなかった。

 

 どれだけ泣いても。

 

 どれだけ叫んでも。

 

 相手の方が強ければ。

 

 何もできない。

 

「……私が」

 

 カルヴィナは震える手を握りしめた。

 

「私が、もっと強かったら……」

 

 母は死ななかった。

 

 そう思った。

 

 公爵家へ向かう馬車の中。

 

 カルヴィナは一言も喋らなかった。

 

 ただ、膝の上で小さな拳を握りしめている。

 

 涙はもう出なかった。

 

 代わりに。

 

 胸の奥に、ひどく冷たいものが生まれていた。

 

「……強くなる」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

「私が……強くなる」

 

 もう二度と。

 

 大切な人を奪われないために。

 

 もう二度と。

 

 自分の無力さを味わわないために。

 

 そして――

 

 弱い者が強い者に踏みにじられることを、決して許さないために。

 

 四歳の少女は、そう誓った。

 

 それが正しいのか。

 

 間違っているのか。

 

 そのときのカルヴィナには、まだ分からなかった。

 

 ただ。

 

 この日から彼女は、強さを求め続けることになる。

 

 いつしかその強さへの執着は、彼女自身を縛る鎖へと変わっていく。

 

 けれど。

 

 それを知るのは、まだずっと先の話だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。