王立学園での生活が始まってから、しばらくの時間が過ぎた。
十四歳から始まる二年間の学園生活では、魔法や剣術だけではなく、歴史、政治、経済、礼儀作法など、貴族として必要な多くのことを学ぶ。
その中でも、カルヴィナはどの授業においても優秀だった。
「カルヴィナ様。この問題について、何かご意見はございますか?」
「はい」
政治学の授業で教師に指名されると、カルヴィナは立ち上がった。
「この場合、王都から兵を派遣するだけでは根本的な解決にはならないと思います。現地の住民がどのような生活をしているのかを把握し、その地域だけで解決できる仕組みを作る必要があります」
「なるほど。では、その理由を説明してください」
「はい」
カルヴィナは淀みなく答えていく。
教師が満足そうに頷いた。
「素晴らしい回答です。皆さんも参考にしてください」
「ありがとうございます」
カルヴィナは静かに席へ戻った。
周囲から小さな声が聞こえてくる。
「やっぱりカルヴィナ様はすごいな……」
「入学試験も主席だったものね」
「黒魔法まで使えるらしいぞ」
「しかも皇太子殿下の婚約者だろう?」
その言葉を聞いても、カルヴィナは特に気にしなかった。
称賛されることにも、噂されることにも、もう慣れていた。
けれど――。
「……」
ふと、教室の隅へ視線を向ける。
そこにはアリエスがいた。
彼女は授業中も真剣にノートを取っている。
貴族の生徒たちとは少し離れた場所に座っていた。
それだけなら、ただの席順にしか見えない。
しかし、休み時間になると、その理由が分かった。
「アリエスさん」
一人の女子生徒が声をかけた。
「はい?」
「あなた、次の魔法実習は白魔法なんでしょう?」
「はい」
「白魔法なんて珍しいわね」
「……ありがとうございます」
「でも、平民なのにどうして使えるのかしら?」
アリエスの表情が少し曇った。
「それは……私にも分かりません」
「そう」
女子生徒は興味を失ったように言った。
「まあ、珍しいだけなら大したことではないわね」
そのまま友人たちと離れていく。
アリエスは何も言わなかった。
ただ、ノートを閉じる。
カルヴィナはその様子を見ていた。
「……」
以前の自分なら、気に留めなかったかもしれない。
けれど、今は違った。
アリエスは入学試験で三位だった。
家柄も、身分も関係なく。
自分の力だけで、ここまで来た。
それはカルヴィナにとって、無視できることではなかった。
「アリエスさん」
「えっ?」
突然声をかけられ、アリエスが振り向く。
「カルヴィナ様……」
「少しよろしいですか?」
「は、はい!」
アリエスは慌てて立ち上がった。
「そんなに緊張しなくても構いません」
「す、すみません……」
「謝る必要もありません」
「あ……」
アリエスは少しだけ困ったように笑った。
カルヴィナは彼女の机を見る。
そこには魔法理論のノートが置かれていた。
「白魔法について勉強しているのですか?」
「はい」
「なぜです?」
アリエスは少し考えた。
「……人を助けたいからです」
「人を?」
「はい。白魔法は怪我を治したり、失われたものを取り戻したりすることができますから」
アリエスは自分の手を見る。
「私は、魔法を使えることが分かったとき、誰かの役に立てるかもしれないと思いました」
「そうですか」
「だから、もっと上手になりたいんです」
その言葉を聞いて、カルヴィナは黙った。
――もっと上手になりたい。
その言葉には聞き覚えがあった。
自分も、ずっとそうだった。
できないことがあれば練習する。
分からないことがあれば学ぶ。
失敗したら、原因を探す。
そして、昨日より強くなる。
「……毎日、練習しているのですか?」
「はい」
「どのくらい?」
「授業が終わった後も、少しずつ……」
「見せてもらっても?」
「はい!」
二人は校舎の外にある訓練場へ向かった。
アリエスは少し緊張した様子で手を前に出す。
「では……」
白い光が手のひらに集まった。
淡い光だった。
しかし、光はすぐに揺らぎ、消えてしまう。
「……」
アリエスが俯く。
「まだ、長く維持できなくて……」
「もう一度」
「はい」
二度目。
三度目。
何度やっても、途中で光が消える。
アリエスは悔しそうに唇を噛んだ。
「……どうして、できないんだろう」
「何が原因だと思いますか?」
「え?」
「できないなら、原因を探す必要があります」
カルヴィナはアリエスの手を見る。
「魔力の量でしょうか。それとも集中力ですか?」
「……分かりません」
「では、一つずつ試しましょう」
「え?」
カルヴィナは当然のように言った。
「魔力を少なくしてみてください」
「はい」
「今度は逆に、少しだけ増やして」
「はい」
「次は詠唱の速度を変えてみましょう」
「分かりました」
二人は何度も試した。
やがて――。
「……あ」
アリエスの手のひらに、先ほどより安定した白い光が浮かんだ。
「できた……!」
ほんの数秒。
それだけだった。
けれど、アリエスは嬉しそうに笑った。
「カルヴィナ様! 今、少し長くできました!」
「ええ」
カルヴィナも頷いた。
「先ほどより安定しています」
「ありがとうございます!」
「礼を言う必要はありません」
「でも……」
「あなたが練習した結果です」
カルヴィナは淡々と言った。
「私は方法を考えただけです」
アリエスは少し驚いたような顔をして、それから笑った。
「……はい!」
その笑顔を見て、カルヴィナはほんの少しだけ口元を緩めた。
――やはり。
努力する人間を見るのは、嫌いではない。
むしろ、好ましく思う。
身分など関係ない。
どれだけ大きな家に生まれたかも関係ない。
自分自身を変えようとしているかどうか。
カルヴィナにとって、それが重要だった。
その日の帰り道。
廊下を歩いていると、レオニードが声をかけてきた。
「カルヴィナ」
「レオニード殿下」
「アリエスと一緒だったんだね」
「はい。白魔法の練習をしていました」
「どうだった?」
「少しずつですが、上達しています」
「そっか」
レオニードは嬉しそうに笑った。
「よかったね」
「はい」
二人で歩きながら、レオニードが尋ねる。
「アリエスは平民だけど、気にならないの?」
「何がですか?」
「周りの貴族たちは、少し気にしているみたいだから」
カルヴィナは少し考えた。
「私は、彼女が平民だからどうこうとは思いません」
「うん」
「入学試験で三位になるだけの努力をしているのですから」
カルヴィナは迷いなく答えた。
「私は、それを評価します」
レオニードは微笑んだ。
「やっぱりカルヴィナらしいね」
「そうでしょうか?」
「うん」
少し間を置いて、レオニードが言った。
「でも、カルヴィナは最近、努力しない人を見ると少し怖い顔をするようになったね」
「……そうですか?」
「うん」
カルヴィナは黙った。
心当たりがないわけではなかった。
授業を真面目に受けない者。
練習をせずに才能だけを誇る者。
失敗するとすぐに諦める者。
そういう人間を見ると、以前よりも強く苛立つようになっていた。
「……努力できる環境があるのに、努力しないことは、もったいないと思います」
「そうだね」
「できることを増やせるのに、それをしない」
カルヴィナは前を向いた。
「私には、理解できません」
レオニードは少しだけ考えてから答えた。
「人には、人それぞれ事情があるからね」
「……はい」
「努力できない時もある。立ち止まる時もある」
「……」
「それでも、その人が弱いと決めつける必要はないと思うよ」
カルヴィナは何も答えなかった。
ただ、胸の中に小さな引っかかりが残った。
努力できない事情。
立ち止まること。
それを許すこと。
レオニードの考えが間違っているとは思わない。
けれど――。
自分には、どうしても理解できない。
母を失ったあの日から。
自分は、立ち止まることなどできなかった。
強くならなければならなかった。
もっと強く。
もっと、もっと。
そうしなければ、何も守れないと思っていた。
「カルヴィナ?」
「……なんでもありません」
カルヴィナは静かに答えた。
その翌朝。
誰もいない訓練場で、カルヴィナは一人、黒魔法の練習をしていた。
黒い光が手のひらに集まる。
それを細く、鋭く制御する。
少しでも乱れれば、魔力を止める。
そして、また最初から。
何度も繰り返す。
「……まだです」
誰も見ていない場所で、カルヴィナは呟いた。
強くならなければならない。
昨日より今日。
今日より明日。
少しでも強く。
その考えは、今のカルヴィナにとって、疑う必要のないものだった。
けれど――。
その「強くなろうとすること」を、他人にも求めるようになるまでには、まだ時間があった。
そしてカルヴィナ自身も知らなかった。
努力する者を認める心が。
やがて、努力しない者への苛立ちへと変わり。
その苛立ちが、少しずつ「弱い者」そのものへの見方を変えていくことを。
今はまだ――。
カルヴィナにとって、強さとは、自分自身を守り、誰かを守るためのものだった。