悪役令嬢が破滅するまで   作:光宙

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11話 嫌がらせ

王立学園に入学してから、数週間が過ぎた。

 

 カルヴィナは、すっかり学園での生活にも慣れていた。

 

 朝から授業を受け、昼には図書室で必要な資料を探し、放課後には魔法や剣術の訓練をする。

 

 その生活は、幼い頃から続けてきたものと大きく変わらなかった。

 

 ただ、一つだけ違うことがある。

 

 学園には、自分と同じように努力している者が数多くいた。

 

「カルヴィナ様、おはようございます」

 

「おはようございます」

 

 廊下を歩けば、すれ違う生徒たちが頭を下げる。

 

「カルヴィナ様、本日の課題について少しお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

「構いません」

 

「ありがとうございます」

 

 カルヴィナは丁寧に答える。

 

 公爵令嬢。

 

 そして皇太子の婚約者。

 

 王族を除けば、彼女に対してこれほど近い距離で話せる者は多くない。

 

 それでもカルヴィナ自身は、身分を理由に他人を遠ざけようとは思っていなかった。

 

 ――努力している者なら。

 

 身分が高いか低いかなど、彼女にとって大きな問題ではない。

 

 その日の昼休み。

 

 カルヴィナは図書室へ向かっていた。

 

 すると、廊下の先から何人かの生徒の声が聞こえてきた。

 

「だから、あなたには無理でしょう?」

 

「……でも」

 

「白魔法を使えるからって、何でもできるわけじゃないでしょう」

 

「私は……もっと練習すれば」

 

「練習?」

 

 笑い声が聞こえた。

 

 カルヴィナは足を止めた。

 

 聞き覚えのある声だった。

 

「……アリエスさん?」

 

 廊下の角を曲がる。

 

 そこには、アリエスと三人ほどの女子生徒がいた。

 

「白魔法なんて珍しいから、少し期待していたのだけれど」

 

「平民が王立学園に入るだけでも大変だったでしょう?」

 

「無理をしなくてもいいのではなくて?」

 

 アリエスは俯いていた。

 

「……私は、まだ勉強が足りないだけです」

 

「そうやって努力すれば何とかなると思っているところが、平民らしいわね」

 

 その言葉に、アリエスの肩が小さく震えた。

 

 カルヴィナは黙ってその場を見ていた。

 

 ――平民だから。

 

 その言葉だけで、アリエスを評価している。

 

 カルヴィナには、それが理解できなかった。

 

「失礼ですが」

 

 静かな声が廊下に響いた。

 

 女子生徒たちが振り返る。

 

「……カルヴィナ様」

 

 三人の顔から笑みが消えた。

 

「何をしているのですか?」

 

「い、いえ……その……」

 

「アリエスさんと話をしていただけです」

 

「そうですか」

 

 カルヴィナはアリエスを見る。

 

「アリエスさん。あなたは何か失敗したのですか?」

 

「え?」

 

「先ほど、無理だと言われていましたから」

 

「あ……」

 

 アリエスは少し迷ってから答えた。

 

「白魔法の実習で、治癒の魔法を三回続けて失敗してしまって……」

 

「それだけですか?」

 

「はい……」

 

 カルヴィナは女子生徒たちを見る。

 

「それなら、なぜ笑うのですか?」

 

「……」

 

「失敗したのなら、原因を探して練習すればいいでしょう」

 

「ですが、カルヴィナ様。白魔法は特殊な魔法ですし――」

 

「だから何です?」

 

 カルヴィナの声は冷静だった。

 

「特殊なら、できるまで練習してはいけないのですか?」

 

「そういう意味では……」

 

「では、問題ありませんね」

 

 女子生徒たちは何も言えなくなった。

 

 カルヴィナはアリエスへ向き直る。

 

「アリエスさん」

 

「はい」

 

「あなたは、治癒魔法を使えるようになりたいのですか?」

 

「はい」

 

「なぜです?」

 

「……人を助けたいからです」

 

 以前と同じ答えだった。

 

 カルヴィナは頷く。

 

「なら、練習してください」

 

「……はい」

 

「三回失敗した程度で、できないと決める必要はありません」

 

「はい!」

 

 アリエスの顔が少しだけ明るくなる。

 

 カルヴィナはその様子を見てから、女子生徒たちに視線を戻した。

 

「それから」

 

「は、はい」

 

「彼女が平民であることと、魔法が上達するかどうかに何の関係があるのですか?」

 

 三人は答えられなかった。

 

「……ありません」

 

 一人が小さく答える。

 

「そうでしょう」

 

 カルヴィナはそれだけ言うと、その場を離れようとした。

 

「あの……カルヴィナ様」

 

 アリエスが呼び止める。

 

「何でしょう?」

 

「ありがとうございます」

 

「礼を言われるようなことではありません」

 

「でも……」

 

「私は、あなたが努力しているから話をしただけです」

 

 カルヴィナはそう言った。

 

「身分は関係ありません」

 

 アリエスは目を丸くした。

 

 そして、ゆっくりと笑った。

 

「……はい」

 

 その日の放課後。

 

 訓練場の片隅で、アリエスは一人で白魔法の練習をしていた。

 

 手のひらに白い光を集める。

 

 光が揺れる。

 

 消える。

 

「……もう一回」

 

 再び魔力を集める。

 

 今度は少しだけ長く続いた。

 

「……!」

 

 アリエスは嬉しそうに手を見る。

 

「できた……」

 

「よかったですね」

 

「えっ?」

 

 振り返ると、カルヴィナが立っていた。

 

「カルヴィナ様!」

 

「先ほどより安定しています」

 

「はい!」

 

 アリエスは嬉しそうに頷く。

 

「教えていただいた通り、魔力を少しずつ調整してみました」

 

「それなら、あなた自身の力です」

 

「でも、カルヴィナ様が教えてくださったから……」

 

「教えたことを実際にやったのは、あなたでしょう」

 

「……はい」

 

 アリエスは嬉しそうに笑った。

 

 カルヴィナは、その笑顔を見ながら思う。

 

 この少女は、まだ弱い。

 

 魔法の扱いも未熟だ。

 

 けれど――。

 

 できないからといって、諦めてはいない。

 

 失敗しても、もう一度立ち上がる。

 

 それなら、カルヴィナが認める理由としては十分だった。

 

「カルヴィナ」

 

 その時、後ろから声がした。

 

 レオニードだった。

 

「レオニード殿下」

 

「二人で練習していたんだね」

 

「はい」

 

 アリエスが慌てて頭を下げる。

 

「殿下、失礼いたします」

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

 

 レオニードは穏やかに笑った。

 

「白魔法、少し上達したみたいだね」

 

「はい!」

 

「よかったね」

 

「ありがとうございます」

 

 アリエスは嬉しそうに答える。

 

 その様子を見ながら、レオニードはカルヴィナに尋ねた。

 

「さっき、何かあった?」

 

「少しだけ」

 

「何が?」

 

「アリエスさんが、平民だからという理由で馬鹿にされていました」

 

 レオニードの表情が曇った。

 

「……そうか」

 

「私は、それが理解できません」

 

「うん」

 

「彼女は努力しています」

 

「そうだね」

 

「なら、平民であることを理由に見下す必要などないでしょう」

 

 カルヴィナは淡々と言った。

 

 レオニードは微笑む。

 

「カルヴィナは、本当に努力している人をよく見ているね」

 

「そうでしょうか」

 

「うん」

 

 カルヴィナはアリエスを見る。

 

 アリエスは再び白魔法の練習を始めていた。

 

 何度も失敗しながら。

 

 それでも、諦めずに。

 

「……私は」

 

 カルヴィナは小さく呟いた。

 

「強くなろうとしている人を、嫌いにはなれません」

 

「うん」

 

「それが平民でも、貴族でも」

 

「そうだね」

 

「逆に――」

 

 カルヴィナは言葉を止めた。

 

 その先にある言葉を、自分でも少し考えた。

 

「……何でも誰かに任せて、自分では何もしようとしない人を見ると、少し苛立ちます」

 

 レオニードはすぐには答えなかった。

 

「カルヴィナ」

 

「はい」

 

「その気持ちは、悪いものだとは思わないよ」

 

「……」

 

「努力することは素晴らしいことだからね」

 

 カルヴィナは頷く。

 

 しかし、レオニードは続けた。

 

「ただ、それを他の人にも同じように求めるなら、少し難しいかもしれない」

 

「……なぜですか?」

 

「人には、それぞれできることが違うからだよ」

 

「ですが」

 

 カルヴィナは言う。

 

「できないなら、できるようになるまで努力すればいいのでは?」

 

 レオニードは困ったように笑った。

 

「カルヴィナらしいね」

 

 その言葉に、カルヴィナは少しだけ眉を寄せた。

 

 納得したわけではない。

 

 けれど、レオニードが自分を否定しているわけでもないことは分かっていた。

 

「……考えておきます」

 

「うん」

 

 二人の少し離れたところで、アリエスがまた魔法を失敗した。

 

「あっ……」

 

 白い光が消える。

 

 アリエスは悔しそうに手を握った。

 

 しかし――。

 

「もう一度」

 

 すぐに顔を上げた。

 

 カルヴィナは、その姿を見つめる。

 

 そして、ほんの少しだけ笑った。

 

「……そうです」

 

 その声は、アリエスには届かなかった。

 

「もう一度です」

 

 カルヴィナ自身もまた、何度でもそうしてきた。

 

 失敗しても。

 

 届かなくても。

 

 昨日より強くなるために。

 

 だからこそ、努力する者を認めることは、カルヴィナにとって自然なことだった。

 

 けれど同時に――。

 

 努力しない者への苛立ちは、少しずつ強くなっていた。

 

 まだ、それはただの苛立ちだった。

 

 まだ、誰かを見下すほどではない。

 

 けれど、その小さな感情は、確かにカルヴィナの中に積み重なっていた。

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