春の王立学園。
入学してしばらくが経ち、カルヴィナは学園での生活にもすっかり慣れていた。
授業では常に上位。
魔法の実技でも、剣術の実技でも、彼女に並ぶ者はほとんどいない。
それは入学試験の結果だけではなかった。
日々の授業でも、カルヴィナは誰よりも真剣に取り組んでいた。
教師から出された課題を終わらせれば、それで満足することはない。
間違えたところがあれば原因を探し、理解できなければ質問する。
そして、翌日には必ず改善してみせる。
その姿を見て、彼女を尊敬する生徒も少なくなかった。
一方で――。
「……カルヴィナ様って、少し怖くありませんか?」
廊下の向こうから、そんな声が聞こえた。
カルヴィナは足を止めた。
声の主たちは、彼女には気づいていない。
「分かります。いつも一人で黙々と勉強しているでしょう?」
「魔法も剣も、僕たちとは比べものにならないし……」
「黒魔法まで使うんですよね?」
「……やっぱり、近寄りにくいですよ」
カルヴィナは何も言わなかった。
ただ、その場を離れた。
怒っているわけではない。
悲しいわけでもない。
ただ――少しだけ、不思議だった。
自分は、彼らに何かをしただろうか。
そんなことを考えながら教室へ戻ると、レオニードが窓際の席に座っていた。
「カルヴィナ。どうしたの?」
「……少し、気になることがありまして」
「珍しいね。カルヴィナがそんな顔をするなんて」
「そんな顔?」
「考え込んでいる顔」
カルヴィナは向かいの席に座った。
「先ほど、私のことを怖いと言っている人たちがいました」
「……そう」
レオニードは少し考えるように黙った。
「気になる?」
「はい。私は何もしていません」
「うん。僕もそう思うよ」
「では、なぜでしょう?」
レオニードは苦笑した。
「カルヴィナが強いからじゃないかな」
「強いから?」
「うん」
カルヴィナは納得できない様子で首を傾げる。
「強いことが、怖いのですか?」
「強さそのものが怖いというより……自分との差を感じるんじゃないかな」
「差……」
「カルヴィナは努力すれば、できないことをできるようにしてしまうでしょう?」
「……はい」
「それを見ていると、自分も頑張らなくちゃって思う人もいる。でも、逆に自分には無理だと思ってしまう人もいるんだと思う」
カルヴィナは黙っていた。
「だから、怖いというより……遠く感じているのかもしれない」
「私は、遠くにいるつもりはありません」
「知ってるよ」
レオニードは笑った。
「でも、相手から見たら違うこともある」
その言葉は、カルヴィナの中に残った。
*
その日の午後。
剣術の実技授業。
生徒たちは二人一組になり、模擬戦を行っていた。
カルヴィナの相手になったのは、同じ学年の男子生徒だった。
「よろしくお願いいたします、カルヴィナ様」
「こちらこそ」
木剣を構える。
教師の合図とともに、試合が始まった。
男子生徒が踏み込む。
カルヴィナはそれを受け流した。
次の一撃。
かわす。
さらに一撃。
受け止める。
カルヴィナは相手の動きを見ながら、少しずつ距離を詰めていく。
「……っ!」
男子生徒が焦った。
力を込めて振り下ろす。
カルヴィナは身体を半歩ずらし、その腕を木剣で軽く叩いた。
「そこです」
男子生徒の動きが止まった。
「……参りました」
教師が試合終了を告げる。
周囲から小さなどよめきが起こった。
「やっぱりカルヴィナ様は強いな……」
「全然歯が立たない」
男子生徒は木剣を下ろし、カルヴィナに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
カルヴィナは相手を見つめた。
「ですが、最初の踏み込みは良かったと思います」
「……本当ですか?」
「はい。ただ、その後に少し力みました」
男子生徒が驚いた顔をする。
カルヴィナは続けた。
「次は、最初の動きを維持してみてください。そうすれば、もっと良くなると思います」
「ありがとうございます!」
男子生徒は嬉しそうに笑った。
その様子を見ていた生徒の一人が、小さく呟いた。
「……やっぱり、すごいな」
別の生徒が答える。
「うん。でも、あんなふうにはなれないよ」
カルヴィナには、その言葉が聞こえていた。
けれど、今度は何も思わなかった。
*
放課後。
カルヴィナが一人で廊下を歩いていると、先ほど模擬戦をした男子生徒が追いついてきた。
「カルヴィナ様!」
「どうしました?」
「さっき教えていただいたこと、もう一度練習してみました」
「そうですか」
「まだ上手くできませんけど……」
彼は少し照れたように笑った。
「昨日よりは、できるようになりました」
カルヴィナは足を止めた。
「……それは良いことです」
「はい!」
男子生徒は嬉しそうに頭を下げて、去っていった。
その背中を、カルヴィナはしばらく見つめていた。
――昨日より、今日のほうが強い。
それは、以前から知っていることだった。
けれど。
「……強さは、人を遠ざけることもある……」
先ほどのレオニードの言葉を思い出す。
自分が努力して強くなることで、誰かが自分との差を感じる。
それなら――。
カルヴィナは少し考えた。
「……どうすればいいのでしょう」
強くならなければ、守れない。
努力しなければ、できないことはできない。
だから、自分は努力する。
それは変わらない。
けれど、強くなったことそのものが誰かを遠ざけるのなら。
自分はどうすればいいのか。
答えは出なかった。
*
翌日。
授業が終わった後、カルヴィナは中庭へ向かった。
そこでは数人の生徒が剣の練習をしていた。
その中に、昨日の男子生徒もいた。
「もう一度……!」
木剣を振る。
失敗する。
「くっ……!」
それでも、もう一度。
カルヴィナは少し離れた場所から、その様子を見ていた。
やがて男子生徒が気づく。
「カルヴィナ様?」
「続けてください」
「はい!」
再び木剣を振る。
今度は、昨日よりわずかに動きが良かった。
カルヴィナは小さく頷いた。
「……できています」
「本当ですか?」
「はい」
男子生徒は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
カルヴィナも、ほんの少しだけ微笑んだ。
その光景を、遠くからレオニードが見ていた。
カルヴィナはまだ知らない。
自分の強さが、誰かにとっては憧れであり、誰かにとっては壁になっていることを。
そして――。
いつか彼女自身が、その壁をさらに高くしてしまうことを。
今のカルヴィナにとって、強さとはまだ、
自分を変え、守れるものを増やすためのものだった。
けれどその考えは、少しずつ形を変え始めていた。
「強くなろうとする者」と、
「強くなろうとしない者」。
その違いを、カルヴィナは以前よりもはっきりと意識するようになっていた。