悪役令嬢が破滅するまで   作:光宙

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2話 公爵家として

公爵家の屋敷は、カルヴィナが暮らしていた村の家とは何もかもが違っていた。

 

 広すぎる廊下。

 

 高い天井。

 

 磨き上げられた床。

 

 壁には見たこともないほど豪華な絵画が飾られ、廊下を歩く使用人たちは、誰一人として無駄な言葉を口にしない。

 

 四歳のカルヴィナは、その中央を一人で歩いていた。

 

 隣に母はいない。

 

 手を握ってくれる人もいない。

 

 ただ前を歩く使用人の背中を、黙って追いかけていた。

 

「こちらが、お嬢様のお部屋になります」

 

 扉が開かれる。

 

 広い部屋だった。

 

 大きなベッド。

 

 立派な机。

 

 柔らかな絨毯。

 

 村の小さな家よりも、ずっと豪華な部屋。

 

 けれど。

 

 カルヴィナには、何も嬉しくなかった。

 

「……お母さんは?」

 

 小さな声で尋ねる。

 

 使用人は答えなかった。

 

 少しの沈黙の後、視線を逸らす。

 

「……お母様は、もういらっしゃいません」

 

「……」

 

 分かっている。

 

 分かっているはずなのに。

 

 胸が痛かった。

 

 カルヴィナは窓の外を見る。

 

 ここからでは、あの村は見えない。

 

 母の姿も。

 

 小さな家も。

 

 畑も。

 

 何も。

 

「……強くなる」

 

 カルヴィナは小さく呟いた。

 

 あの日、馬車の中で誓った言葉。

 

「私が……強くなる」

 

 その言葉だけを胸に、カルヴィナは公爵家での生活を始めた。

 

     * * *

 

 翌日から、教育が始まった。

 

 公爵家の令嬢として必要な勉強。

 

 文字の読み書き。

 

 歴史。

 

 数学。

 

 魔法理論。

 

 礼儀作法。

 

 そして剣術。

 

 カルヴィナには、覚えることが山ほどあった。

 

「ここは、こういう意味です」

 

「はい」

 

「では、もう一度」

 

「はい」

 

 何度間違えても。

 

 何度失敗しても。

 

 カルヴィナは机から離れなかった。

 

 夜になっても本を開いていた。

 

「今日はもう休みなさい」

 

 教師がそう言っても。

 

「まだできます」

 

「ですが……」

 

「まだ、強くなっていませんから」

 

 幼い少女は答えた。

 

 教師は何も言えなかった。

 

     * * *

 

 公爵家には、ノエルというカルヴィナより1歳年上の少年がいた。

 

 公爵と本妻の間に生まれた嫡男。

 

 カルヴィナの異母兄だった。

 

「お前が、カルヴィナか」

 

「……はい」

 

 初めて会った兄は、カルヴィナをじっと見つめた。

 

 そして。

 

「ふうん」

 

 興味がなさそうに呟く。

 

「母親が使用人だったって聞いたぞ」

 

「……」

 

「僕と同じ公爵家の子供だと思われたら困るな」

 

 その言葉に、カルヴィナは黙っていた。

 

 そこへノエルの母である公爵夫人が現れた。

 

「その子に構う必要はありませんよ」

 

「母上」

 

「血が繋がっているとはいえ、あの子は本妻の子ではありません」

 

 公爵夫人は冷たい目でカルヴィナを見る。

 

「身の程をわきまえてもらえば、それで十分です」

 

 カルヴィナは俯いた。

 

 悔しかった。

 

 けれど。

 

 言い返さなかった。

 

 代わりに。

 

 小さな拳を握った。

 

 ――強くなればいい。

 

 そう思った。

 

 強くなれば。

 

 誰にも見下されない。

 

 誰にも奪われない。

 

 母を守れなかった自分とは違う自分になれる。

 

 だから。

 

 カルヴィナは努力した。

 

     * * *

 

 この世界には、六つの魔法属性が存在する。

 

 火。

 

 水。

 

 風。

 

 土。

 

 白。

 

 黒。

 

 火、水、風、土は、自然を操る四つの基本属性。

 

 そして――

 

 白と黒は、それらとは性質が大きく異なる。

 

 白魔法。

 

 創造と再生の力。

 

 傷を癒やし、失われたものを生み出し、命を支える力。

 

 聖なる力とも呼ばれ、極めて希少な属性だった。

 

 そして。

 

 黒魔法。

 

 破壊と侵食の力。

 

 物質を壊し、魔力を蝕み、対象そのものを侵食する。

 

 扱う者が少ないだけではない。

 

 その力を恐れる者も多かった。

 

 カルヴィナは、その黒魔法の適性を持っていた。

 

「……黒魔法を使うのか」

 

 ノエルが訓練場からカルヴィナを眺めていた。

 

 教師がカルヴィナに杖を持たせる。

 

「魔力を集中させてください」

 

「はい」

 

 カルヴィナは目を閉じる。

 

 体の奥にある何かを探す。

 

 胸の奥。

 

 腹の奥。

 

 自分でも分からない場所から、力が湧き上がってくる。

 

「……っ」

 

 黒い魔力が、少女の手のひらに集まった。

 

 ゆっくりと渦を巻き。

 

 やがて、小さな黒い球体となる。

 

「見事です」

 

 教師が驚いた。

 

「四歳とは思えません」

 

「……これが、黒魔法」

 

 カルヴィナは手のひらを見る。

 

 恐ろしくはなかった。

 

 むしろ。

 

 この力があれば。

 

 強くなれる。

 

 そう思った。

 

     * * *

 

 それからの日々は、努力の連続だった。

 

 朝は早く起きる。

 

 勉強をする。

 

 魔法を学ぶ。

 

 剣を振る。

 

 礼儀作法を繰り返す。

 

 疲れても続ける。

 

 失敗しても、もう一度やる。

 

「もう一度お願いします」

 

「今日はここまでにしましょう」

 

「まだできます」

 

「手が震えていますよ」

 

「それでも、やります」

 

 カルヴィナは剣を握った。

 

 何度も振った。

 

 一回。

 

 十回。

 

 百回。

 

 腕が痛くなる。

 

 手に豆ができる。

 

 それでも。

 

「……もう一回」

 

 剣を振る。

 

 魔法も同じだった。

 

 最初は制御できず、黒い魔力を暴発させることもあった。

 

 失敗すれば、原因を考える。

 

 教師に質問する。

 

 本を読む。

 

 そしてまた試す。

 

 礼儀作法も。

 

 何度も指摘された。

 

 姿勢。

 

 歩き方。

 

 お辞儀。

 

 食事の作法。

 

 言葉遣い。

 

 何度も繰り返して、身体に覚え込ませていった。

 

 カルヴィナは、天才だった。

 

 だが。

 

 それ以上に。

 

 努力を惜しまない少女だった。

 

     * * *

 

 数年が過ぎた。

 

 カルヴィナは七歳になっていた。

 

 その頃には、屋敷の者たちも気づき始めていた。

 

「カルヴィナ様の成績が、また一番です」

 

「……兄君を抜いたのか?」

 

「はい」

 

 勉強だけではない。

 

 魔法の成績も。

 

 剣術の成績も。

 

 礼儀作法も。

 

 全て。

 

 カルヴィナはノエルを上回っていた。

 

 ノエルは悔しそうにカルヴィナを見る。

 

「……どうしてだ」

 

「え?」

 

「どうして、お前なんかが……!」

 

 カルヴィナは答えなかった。

 

 ノエルは公爵家の嫡男。

 

 幼い頃から何不自由なく育てられてきた。

 

 それなのに。

 

 自分より身分の低い母を持つ妹に、何もかも負けている。

 

「僕の方が、公爵家の跡継ぎなんだぞ!」

 

「……はい」

 

「なのに、どうして!」

 

 カルヴィナは少し考えた。

 

「……努力したから、だと思います」

 

「!」

 

「私も、最初からできたわけではありません」

 

 カルヴィナは静かに言った。

 

「できないことがあったら、できるまで練習しました」

 

 ノエルは唇を噛んだ。

 

 カルヴィナはそんなノエルを見ながら、ふと思った。

 

 ――強い者が勝つ。

 

 それは、あの日から変わらない。

 

 でも。

 

 強さは、生まれつき決まっているものではない。

 

 努力すれば強くなれる。

 

 弱いままなら、強くなればいい。

 

 そう思っていた。

 

 この頃のカルヴィナは、まだ知らなかった。

 

 その考えが、やがて別の意味を持つようになることを。

 

 努力しても強くなれない者がいることを。

 

 強くなることを諦める者がいることを。

 

 そして。

 

 いつの日か自分が――

 

 「弱い」というだけで、人を切り捨てるようになってしまうことを。

 

     * * *

 

 夜。

 

 カルヴィナは一人で机に向かっていた。

 

 本を閉じる。

 

 そして窓の外を見る。

 

 夜空に浮かぶ月。

 

 村にいた頃、母と一緒に見た月と同じだった。

 

「……お母さん」

 

 小さく呟く。

 

 返事はない。

 

 それでも。

 

「私、強くなってるよ」

 

 カルヴィナは微笑んだ。

 

「もっと強くなるから」

 

 あの日の約束を胸に。

 

 少女は再び、本を開いた。

 

 母を守れなかった少女は。

 

 強さだけを信じる少女へと、少しずつ変わり始めていた。

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