悪役令嬢が破滅するまで   作:光宙

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3話 守る力

カルヴィナが公爵家へ連れてこられてから、四年が過ぎた。

 

 八歳になったカルヴィナは、もはや屋敷の中で「使用人の娘」と陰で呼ばれることも少なくなっていた。

 

 その理由は単純だった。

 

 誰もが、彼女の才能を認めざるを得なくなったからだ。

 

 読み書き、歴史、算術。

 

 貴族として必要な教養を身につける速度は、同年代の子供とは比べものにならなかった。

 

 剣を握れば、年上の子供を相手にしても引けを取らない。

 

 そして何より――。

 

「では、始めましょうか」

 

 魔法の教師が、少し離れた場所に立つ。

 

 カルヴィナは小さく頷いた。

 

「はい」

 

 右手を前へ伸ばす。

 

 空気がわずかに震えた。

 

 黒い魔力が、彼女の手のひらに集まっていく。

 

 黒魔法。

 

 破壊と侵食を司る、極めて珍しい属性。

 

 一般的な魔法使いならば、その扱いには細心の注意を払わなければならない。

 

 だが――。

 

「……《侵食》」

 

 黒い光が地面へ触れた。

 

 石の表面が音もなく崩れ、少しずつ形を失っていく。

 

 カルヴィナは魔力の流れを慎重に調整する。

 

 広げすぎない。

 

 深くしすぎない。

 

 必要な範囲だけを壊す。

 

「止めてください」

 

「はい」

 

 カルヴィナが魔力を収める。

 

 黒い光が消えていった。

 

 教師はしばらく黙っていた。

 

「……見事です」

 

「ありがとうございます」

 

「黒魔法をここまで正確に制御できるとは。八歳とは思えませんね」

 

「まだ足りません」

 

 カルヴィナは即座に答えた。

 

「もっと強くならなければいけませんから」

 

 教師はわずかに眉を動かした。

 

「……なぜ、そこまで強さを求めるのです?」

 

「……」

 

 カルヴィナは答えなかった。

 

 答えたくないわけではない。

 

 言葉にするのが、怖かった。

 

 脳裏に浮かぶのは、四年前の光景。

 

 自分の前に立っていた母。

 

 震えながら、それでも自分を守ろうとしていた背中。

 

 そして――。

 

 その母を斬った騎士。

 

 その騎士に命じた男。

 

 父。

 

 公爵。

 

 自分をこの屋敷へ連れてきた人。

 

 母を殺した人。

 

 カルヴィナは、父の前では決してその感情を見せなかった。

 

 呼ばれればすぐに返事をする。

 

 礼儀を求められれば、完璧にこなす。

 

 命じられたことには逆らわない。

 

「はい、お父様」

 

 そう言うたびに、胸の奥が冷たくなる。

 

 ――憎い。

 

 あの人が憎い。

 

 母を殺したことが。

 

 母から自分を奪ったことが。

 

 何事もなかったように、この屋敷で生きていることが。

 

 全部、憎かった。

 

 けれど。

 

 今の自分には何もできない。

 

 八歳の子供に、公爵である父へ逆らう力などない。

 

 だからカルヴィナは、従順な娘であり続けた。

 

 感情を隠し、命令に従い、与えられた教育をすべて受け入れる。

 

 そして、その裏で――。

 

 ひたすら強くなろうとしていた。

 

「……守りたいものがあるからです」

 

 カルヴィナはようやく答えた。

 

 教師はそれ以上聞かなかった。

 

「そうですか。では、今日はここまでにしましょう」

 

「ありがとうございました」

 

 カルヴィナは頭を下げた。

 

 その日の午後。

 

 剣術の稽古場では、ノエルと向かい合っていた。

 

「今日は僕が勝つからな」

 

 ノエルは木剣を構えている。

 

 カルヴィナより一歳年上。

 

 土属性の魔法にも恵まれ、公爵家の嫡男として幼い頃から厳しい教育を受けてきた。

 

 以前とは違う。

 

 ノエルも努力するようになっていた。

 

「……はい」

 

 カルヴィナも木剣を構える。

 

「始め!」

 

 踏み込む。

 

 木剣がぶつかる。

 

 ノエルは以前より速くなっていた。

 

 力もついている。

 

 剣筋にも迷いが少なくなっていた。

 

 それでも――。

 

「そこです!」

 

 カルヴィナが一歩踏み込み、ノエルの木剣を弾く。

 

 ノエルの手から木剣が落ちた。

 

「……また負けた」

 

 悔しそうに呟く。

 

 カルヴィナは木剣を下ろした。

 

「前より強くなっています」

 

「慰めるなよ」

 

「慰めていません」

 

「じゃあ、なんで勝てないんだよ」

 

「……私のほうが、もっと練習したからだと思います」

 

 ノエルは黙った。

 

 そして、落ちた木剣を拾う。

 

「もう一回」

 

「はい」

 

 その姿を見て、カルヴィナは少しだけ目を細めた。

 

 ノエルは変わった。

 

 以前のように、自分が公爵家の嫡男だから勝てると思っているわけではない。

 

 負ければ悔しがり、また立ち上がる。

 

 そんなノエルを、カルヴィナは嫌いではなかった。

 

 むしろ――。

 

 努力することのできる人間として、少しずつ認め始めていた。

 

 夕方。

 

 カルヴィナは屋敷の庭を歩いていた。

 

 そのときだった。

 

「助けて!」

 

 遠くから悲鳴が聞こえた。

 

 カルヴィナはすぐに走り出した。

 

 庭の外れ。

 

 木々の間から、小さな男の子が転がり出てくる。

 

 その後ろには、魔物がいた。

 

「危ない!」

 

 カルヴィナは立ち止まり、右手を伸ばした。

 

 黒い魔力が集まる。

 

「《侵食》!」

 

 黒い光が魔物の脚を包み込んだ。

 

 魔物が苦しそうに身をよじる。

 

 カルヴィナは魔力をさらに集中させる。

 

 しかし、破壊しすぎない。

 

 必要なところだけを削る。

 

 やがて魔物は力を失い、その場へ倒れた。

 

 カルヴィナはすぐに少年へ駆け寄った。

 

「怪我は?」

 

「……だ、大丈夫」

 

「本当に?」

 

 少年は頷いた。

 

 その服装から、屋敷で働く使用人の家族だと分かった。

 

「ありがとう……ございます」

 

「気にしなくていいです」

 

 カルヴィナは立ち上がる。

 

「危ないと思ったから助けただけです」

 

 少年は少し驚いたような顔をした。

 

「でも……僕、使用人の息子なのに」

 

「だから何ですか?」

 

 カルヴィナは不思議そうに首を傾げた。

 

「危ないなら、助けるでしょう」

 

 それがカルヴィナにとっては当たり前だった。

 

 強い者は、弱い者を守る。

 

 自分が強くなれば、大切な人を守れる。

 

 母を守れなかった自分だからこそ――。

 

 今度は誰も失いたくなかった。

 

 その日の夜。

 

 カルヴィナは自分の部屋で、一人窓の外を見ていた。

 

 月が出ている。

 

 静かな夜だった。

 

 昼間の出来事を思い返す。

 

 魔法。

 

 剣。

 

 勉強。

 

 礼儀作法。

 

 どれも少しずつ上達している。

 

 けれど。

 

 まだ足りない。

 

 カルヴィナは胸元を握った。

 

「……もっと強くならないと」

 

 そして、父の顔を思い出す。

 

 胸の奥に、冷たい感情が生まれる。

 

 ――お父様。

 

 ――私は、あなたを許さない。

 

 母を殺したことを。

 

 母を奪ったことを。

 

 絶対に忘れない。

 

 けれど、今は何もできない。

 

 だから――。

 

 カルヴィナは目を閉じた。

 

「……強くなる」

 

 いつか。

 

 誰にも奪われない力を手に入れる。

 

 誰かの命令に従うしかない自分ではなくなる。

 

 誰かに守ってもらわなければならない自分でもなくなる。

 

 自分の大切なものを、自分の力で守れる人間になる。

 

 そして――。

 

 母を奪った父を前にしても、決して怯えないほどに。

 

「私、強くなってるよ……お母さん」

 

 窓から差し込む月明かりが、幼い少女の横顔を照らしていた。

 

 その瞳には、まだ復讐を誓う炎はない。

 

 ただ、二度と大切なものを失いたくないという願いがあった。

 

 そして、その願いの奥底には。

 

 父への憎しみが、静かに沈んでいた。

 

 カルヴィナはまだ知らない。

 

 自分が求め続ける「強さ」が、いつの日か彼女自身の心を変えていくことを。

 

 守るために求めた力が。

 

 やがて、人を選別するための物差しになっていくことを。

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