悪役令嬢が破滅するまで   作:光宙

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5話 諦め

カルヴィナが十一歳になった。

 

 公爵家に引き取られてから、七年。

 

 彼女の生活は、以前にも増して忙しくなっていた。

 

 朝は歴史や政治について学び、昼には魔法の訓練を行う。

 

 午後は剣術。

 

 夕食の後には、その日の勉強の復習。

 

 与えられた課題を終えたからといって、カルヴィナはそこで満足することはなかった。

 

 できなかったことがあれば、原因を考える。

 

 分からないことがあれば、教師に尋ねる。

 

 失敗したなら、もう一度試す。

 

 それを繰り返してきた。

 

「カルヴィナ!」

 

 稽古場にノエルの声が響いた。

 

 木剣を構えたノエルが、勢いよく踏み込んでくる。

 

 カルヴィナはその一撃を受け止めた。

 

 ――重い。

 

 以前よりも明らかに力がついている。

 

 ノエルも、この七年間で大きく成長していた。

 

 土属性の魔法も、剣術も、毎日欠かさず鍛えている。

 

「……っ!」

 

 ノエルがさらに攻撃を仕掛ける。

 

 カルヴィナは一歩下がり、木剣を受け流す。

 

 そして、一瞬の隙を突いて踏み込んだ。

 

 カンッ!

 

 木剣がノエルの手元を弾いた。

 

「しまっ……!」

 

 木剣が地面へ落ちる。

 

「そこまで!」

 

 教師の声が響いた。

 

 ノエルは肩で息をしながら、落ちた木剣を拾った。

 

「……また負けた」

 

「以前より、ずっと強くなっています」

 

「でも、まだ勝てない」

 

「はい」

 

「そこは否定してくれよ」

 

 ノエルが苦笑する。

 

 カルヴィナも小さく笑った。

 

「ですが、本当に強くなりました」

 

「……本当か?」

 

「はい」

 

 それはお世辞ではなかった。

 

 カルヴィナは、ノエルの努力をきちんと見ていた。

 

 以前のノエルなら、一度負ければ不機嫌になっていた。

 

 けれど今は違う。

 

 負けた理由を考え、また稽古をする。

 

「次は勝つからな」

 

「楽しみにしています」

 

「絶対だからな」

 

「はい」

 

 ノエルが木剣を握り直す。

 

 その姿を見て、カルヴィナは思った。

 

 ――努力する人は、嫌いではない。

 

 強いか弱いかは関係ない。

 

 昨日より今日。

 

 今日より明日。

 

 少しでも前へ進もうとすること。

 

 それを、カルヴィナは大切なことだと思っていた。

 

 その日の午後。

 

 廊下を歩いていると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。

 

「申し訳ありません……!」

 

 若い使用人が、何度も頭を下げている。

 

 足元には、割れた食器がいくつか転がっていた。

 

「これで何度目ですか!」

 

「……申し訳ありません」

 

「気をつけると言ったでしょう!」

 

 カルヴィナは足を止めた。

 

「何があったのですか?」

 

 使用人たちが振り返る。

 

「カルヴィナお嬢様。こちらの者が食器を落としてしまいまして……」

 

 カルヴィナは床を見る。

 

「怪我は?」

 

「ありません」

 

「そうですか」

 

 それなら大きな問題ではない。

 

「では、片付けてください」

 

「はい」

 

 若い使用人が急いで破片を拾い始める。

 

 カルヴィナはその場を離れようとした。

 

 そのときだった。

 

「……もう、駄目なのかもしれません」

 

 小さな声が聞こえた。

 

 カルヴィナが振り返る。

 

「何がですか?」

 

「何度やっても失敗してしまいます。自分には向いていないのだと思います」

 

「向いていない?」

 

「はい……」

 

「では、どうすれば失敗しないか考えましたか?」

 

「……分かりません」

 

「なら、誰かに聞けばいいでしょう」

 

「でも……」

 

「練習すればいいでしょう」

 

 使用人は困ったように黙り込んだ。

 

 カルヴィナには、その反応が理解できなかった。

 

「失敗したなら、次は失敗しないようにすればいいのではありませんか?」

 

「……それでも、できなかったら?」

 

「できるまでやればいいでしょう」

 

 迷いのない答えだった。

 

 使用人は何も言えなかった。

 

 カルヴィナも、それ以上は何も言わずにその場を離れた。

 

 だが、廊下を歩きながら、先ほどの会話を思い返していた。

 

 ――できない。

 

 ――向いていない。

 

 ――だから諦める。

 

 どうしてだろう。

 

 カルヴィナには、それが分からなかった。

 

 自分にできないことがあったら、できるようになるまで努力する。

 

 それが当たり前だった。

 

 そうしなければならないと思っていた。

 

 翌日。

 

 カルヴィナは父の執務室へ呼ばれていた。

 

「失礼いたします、お父様」

 

「入れ」

 

 カルヴィナは静かに入室する。

 

「座りなさい」

 

「はい」

 

 父から、最近の成績についていくつか質問を受ける。

 

 カルヴィナは一つずつ、落ち着いて答えていった。

 

「魔法の訓練はどうだ?」

 

「順調です」

 

「剣術は?」

 

「まだ改善できるところがあります」

 

「学問については?」

 

「もっと勉強する必要があります」

 

 父が僅かに頷く。

 

「その調子で励みなさい」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 それ以上の会話はなかった。

 

 カルヴィナは一礼して部屋を出る。

 

 屋敷の中で父に呼ばれれば、カルヴィナはいつもこうして素直に従った。

 

 余計なことは言わない。

 

 求められたことにはきちんと答える。

 

 そして、自分に必要なものを手に入れるため、与えられた環境を最大限に利用する。

 

 カルヴィナにとって、それもまた強くなるための一つの方法だった。

 

 数日後。

 

 魔法の訓練場で、一人の少年が火属性の魔法を練習していた。

 

「もう一度……!」

 

 少年が両手を前に出す。

 

 小さな炎が生まれる。

 

 しかし、すぐに消えた。

 

「……っ」

 

 少年は悔しそうに顔をしかめた。

 

 それでも、もう一度魔力を集める。

 

「もう一度……!」

 

 また炎が生まれる。

 

 今度は、ほんの少しだけ長く燃えた。

 

 すぐに消えてしまったが、少年は嬉しそうに笑った。

 

「昨日より長くできた……!」

 

 カルヴィナはその様子を静かに見ていた。

 

 小さな進歩だった。

 

 けれど、確かな進歩でもある。

 

 ――こういうことなのだ。

 

 カルヴィナは思った。

 

 努力するというのは、必ずしも一気に強くなることではない。

 

 昨日より少しだけできるようになる。

 

 その積み重ねが、いつか大きな力になる。

 

 ノエルもそうだった。

 

 最初は自分に手も足も出なかった。

 

 今でもまだ勝てていない。

 

 それでも、以前とは比べものにならないほど強くなっている。

 

 だからカルヴィナは、努力する者を認めることができた。

 

 ――では。

 

 努力しても、どうしても強くなれない者は?

 

 ふと、そんな疑問が浮かんだ。

 

 才能がない。

 

 身体が弱い。

 

 何度努力しても、他人より遅い。

 

 それでも努力を続ける人間なら、カルヴィナはきっと認めるだろう。

 

 だが――。

 

 最初から諦める人間は?

 

「……」

 

 カルヴィナは答えを出せなかった。

 

 まだ、分からない。

 

 ただ一つだけ、確かなことがある。

 

 自分は諦めない。

 

 できないことがあっても。

 

 苦しいことがあっても。

 

 いつか強くなるために、努力し続ける。

 

 それだけは決して変わらなかった。

 

 夜。

 

 カルヴィナは窓辺に立っていた。

 

 月を眺めながら、自分の手を見つめる。

 

「……もっと強くならないと」

 

 それは、もう口癖のようになっていた。

 

 母を守れなかったあの日から、ずっと。

 

 力があれば。

 

 強ければ。

 

 あの日とは違う結果になっていたかもしれない。

 

 だから強くなる。

 

 誰にも守られるだけの存在にはならない。

 

 自分の大切なものを、自分の力で守れる人間になる。

 

 そして、そのためには努力するしかない。

 

 カルヴィナは静かに目を閉じた。

 

 まだ彼女は知らなかった。

 

 「努力する者を認める」という考えが、やがて「努力しない者への嫌悪」へと変わっていくことを。

 

 そしてさらにその先で――。

 

 「弱い者」そのものに対する考え方まで、少しずつ変わっていくことを。

 

 今はまだ。

 

 カルヴィナにとって、強さとは誰かを守るためのものだった。

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