悪役令嬢が破滅するまで   作:光宙

6 / 10
6話 婚約者

カルヴィナが十二歳になった。

 

 公爵家の娘として過ごすようになってから、八年。

 

 魔法も、剣術も、学問も。

 

 カルヴィナは着実に力を身につけていた。

 

 その日も、朝からいつも通りの授業を終え、午後の魔法訓練を終えた頃だった。

 

「カルヴィナ様」

 

 侍女が部屋を訪ねてきた。

 

「旦那様がお呼びです」

 

「分かりました」

 

 カルヴィナは本を閉じた。

 

 父から呼び出されることは、珍しいことではない。

 

 カルヴィナは身だしなみを整えると、父の執務室へ向かった。

 

「失礼いたします、お父様」

 

「入れ」

 

 扉を開ける。

 

 父はいつものように机の前に座っていた。

 

「座りなさい」

 

「はい」

 

 カルヴィナが向かいの椅子に腰掛ける。

 

 父は一枚の書類を机の上へ置いた。

 

「お前に話しておくことがある」

 

「何でしょうか?」

 

「皇太子殿下との婚約が決まった」

 

「……」

 

 カルヴィナの目が僅かに見開かれた。

 

「……皇太子殿下と、ですか?」

 

「ああ」

 

 予想していなかった話だった。

 

 カルヴィナはしばらく黙って考える。

 

 皇太子。

 

 将来、この国を治める人間。

 

 その婚約者になれば、当然、自分の立場も大きく変わる。

 

「……私が、皇太子殿下の婚約者になれば」

 

「何だ?」

 

「今よりも、発言できることが増えるのでしょうか?」

 

 父は少し意外そうな顔をした。

 

「当然だ。将来の王妃となる立場なのだからな」

 

「……そうですか」

 

 カルヴィナは考える。

 

 魔法。

 

 剣。

 

 知識。

 

 公爵家の身分。

 

 これまで自分が積み上げてきた力。

 

 そこへ、皇太子の婚約者という立場が加わる。

 

 それは単なる肩書きではない。

 

 人を動かすことのできる力だ。

 

「ならば……」

 

 カルヴィナは顔を上げた。

 

「お受けします」

 

「異論はないのだな?」

 

「はい」

 

「理由を聞いても?」

 

 カルヴィナは少しだけ考えた。

 

「力が増えるからです」

 

 父が黙る。

 

「……力?」

 

「はい」

 

 カルヴィナは続けた。

 

「強さには、いろいろな形があると思います」

 

「ほう」

 

「魔法の力も、剣の力も、知識も」

 

 そして――。

 

「人を動かす立場も」

 

 父はしばらくカルヴィナを見つめていた。

 

「随分と現実的だな」

 

「必要なことだと思っています」

 

「何のために?」

 

 カルヴィナは迷わず答えた。

 

「守るためです」

 

 父の眉が僅かに動く。

 

「自分自身を守るためでもあります。そして……私の大切な人たちを」

 

 カルヴィナの脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。

 

 もう二度と会うことのできない母。

 

 カルヴィナはその記憶を胸の奥へしまい込む。

 

「力があれば、できることが増えます」

 

「……そうか」

 

 父は書類へ目を落とした。

 

「では、準備を進めよう」

 

「はい、お父様」

 

 カルヴィナは立ち上がり、一礼した。

 

「失礼いたします」

 

 部屋を出る。

 

 廊下を歩きながら、カルヴィナは静かに考えていた。

 

 皇太子の婚約者。

 

 これまでとは比べものにならないほど、大きな力を得ることになる。

 

 ならば。

 

 その力も、自分のものにすればいい。

 

 そう思った。

 

 それからしばらくして。

 

 王宮で、カルヴィナと皇太子レオニードの顔合わせが行われた。

 

「初めまして、カルヴィナ嬢」

 

 穏やかな声だった。

 

 カルヴィナが顔を上げる。

 

 目の前にいる少年が、皇太子レオニード。

 

 自分と同じ十二歳。

 

 けれど、その表情にはどこか落ち着いた雰囲気があった。

 

「初めまして、殿下」

 

 カルヴィナは丁寧に頭を下げる。

 

「カルヴィナと申します。これからよろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ、よろしく」

 

 レオニードは微笑んだ。

 

「黒魔法を使うと聞いているよ」

 

「はい」

 

「珍しい力だね」

 

「恐ろしくはないのですか?」

 

 カルヴィナが尋ねる。

 

「どうして?」

 

「黒魔法は破壊と侵食の力です」

 

「でも、君が使う力だろう?」

 

「……はい」

 

「なら、力そのものより、どう使うかのほうが大切なんじゃないかな」

 

 カルヴィナは少し驚いた。

 

 黒魔法を恐れる人は多い。

 

 特に貴族の中には、黒魔法を忌まわしいものとして見る者もいる。

 

 けれどレオニードは違った。

 

「それに」

 

 レオニードが続ける。

 

「君はかなり努力しているそうだね」

 

「……ご存じなのですか?」

 

「父上から聞いたよ。勉強も魔法も剣も、毎日欠かさず続けているって」

 

「……そうですか」

 

「すごいと思う」

 

 素直な言葉だった。

 

 カルヴィナは少しだけ戸惑う。

 

「ありがとうございます」

 

「でも、無理はしないでね」

 

「……無理?」

 

「頑張ることは大切だけど、一人ですべてを背負わなくてもいいと思う」

 

 カルヴィナは黙った。

 

「誰かに頼ることも、弱いことではないよ」

 

「……」

 

 その考えは、カルヴィナにはあまり馴染みがなかった。

 

 頼る。

 

 誰かに守ってもらう。

 

 それよりも、自分自身が強くなればいい。

 

 そう思っていた。

 

「私は……自分で強くなりたいです」

 

「うん」

 

 レオニードは否定しなかった。

 

「それも君の考えなんだね」

 

「はい」

 

「なら、僕は応援するよ」

 

 カルヴィナはレオニードを見る。

 

 不思議な人だった。

 

 自分の考えを否定しない。

 

 けれど、自分とは少し違う。

 

 そんな印象を受けた。

 

 王宮からの帰り道。

 

 カルヴィナは馬車の中で、今日のことを考えていた。

 

 皇太子との婚約。

 

 それは、自分にとって大きな意味を持つ。

 

 魔法の力。

 

 剣の力。

 

 知識。

 

 そして、公爵令嬢としての立場。

 

 そこへ皇太子の婚約者という立場が加わった。

 

 これまでよりも、できることが増える。

 

 守れるものも増える。

 

「……強くならなければ」

 

 カルヴィナは呟いた。

 

 十二歳の少女が見つめる窓の外には、王都の街並みが広がっている。

 

 その先には、まだ見たことのない世界がある。

 

 カルヴィナは知らなかった。

 

 この婚約が、ただ彼女に新しい力を与えるだけではないことを。

 

 やがてレオニードという存在が、彼女の「強さ」という考え方そのものに、大きな影響を与えることを。

 

 そして今はまだ。

 

 二人の間にあるのは恋ではなかった。

 

 ただ、それぞれが異なる形で「強さ」を信じる者同士として。

 

 二人の人生が、静かに重なり始めていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。