行くぞマイケル、俺たちの戦いはこれからだ!
バケツをひっくり返したような豪雨が、深夜の住宅街の端にそびえる異様な建物を叩きつけていた。
新興宗教、聖清真理会の本部施設。
周囲を高いコンクリート塀で囲まれたその場所は、不気味な紫色の街灯に照らされ、まるで現世から切り離された要塞のようだった。
「状況はどうだ」
路地裏の軽ワンボックスカーの車内、蓮は無線に向かって低く呟いた。
身にまとっているのは、量販店で買った無地の黒いオーバーサイズパーカーとワークパンツ。髪はインナーキャップに押し込み、顔は黒いマスクとゴーグルで完全に隠している。
さらにその上から、使い捨ての透明なレインコートを羽織っていた。
『こちら潜入班、裏門の死角に待機中。雨のおかげで監視カメラの視界は最悪、赤外線センサーも雨粒の熱量で誤作動を起こしてる。いつでもいけるよ、蓮』
幼馴染の拓海の声が返ってくる。その背後には、同じく志を共にする友人たちが息を潜めているはずだ。
この施設の最奥には、蓮の唯一の家族である妹の美咲が囚われている。
「魂の浄化」と称し、半年前に教団に連れ去られてから、一度も連絡が取れていない。
今夜、美咲を奪還する。そのために蓮が用意したのは、およそおよそ常軌を逸した「兵器」だった。
蓮は足元に置かれたクーラーボックスを開けた。ボックスには、中身をくり抜いた特大の完熟トマトが十数個、綺麗に並んでいる。
そのトマトの内部に詰められているのは、ドロドロに練り上げられた豚のひき肉だ。さらに、冷えると凝固するマーガリン、強烈な粘り気を生むハチミツ、そして鼻を突くおろしニンニクが大量にブレンドされている。
この教団は「不浄の肉」として豚肉を極限まで忌み嫌い、それを体に触れさせることを最大の罪、いわば神聖への冒涜としている。
「よし、予定通り正面からヘイトを集める。三分後に突入してくれ」
蓮は特製の『豚ミンチ弾』を二個、両手に掴んで車を降りた。激しい雨が容赦なく叩きつけるが、防護服を着た男たちの視線を釘付けにするには、この悪天候こそが最高の味方だった。
施設の正面ゲート前。そこには、ヘルメットにライオットシールドを構えた教団の警備員が二人、立ちはだかっていた。彼らは暴徒対策か、全身を白い防護服で包んでいる。
「誰だ! ここは聖域だ、立ち去れ!」
一人が蓮の不審な姿に気づき、警棒を引き抜いた。
蓮は答えない。ただ、大きく右腕を振りかぶった。
高校時代、エースピッチャーとしてチームを牽引した蓮のフォームは、雨の中でも一切ブレない。指先から放たれた完熟トマトが、夜の闇を切り裂く低軌道で一直線に伸びていった。
ビチャッ!!!
凄まじい破壊音と共に、先頭の警備員のシールド、そしてヘルメットのバイザーの真正面でトマトが炸裂した。
「な、なんだこれは!?」
トマトの皮が弾け、中から「それ」が溢れ出す。雨水に濡れたシールドの上で、マーガリンとハチミツが混ざり合った豚ミンチが、ベチャベチャと嫌な音を立ててへばりついた。
「うわあああ! 臭い、なんだこの臭いは! ニンニク……いや、肉だ! 豚の肉だ!」
男がパニックを起こした。
ハチミツの粘着力でバイザーに張り付いたミンチ肉は、ワイパーのように手で拭おうとすればするほど、マーガリンの脂を広げて視界を真っ白に曇らせていく。完全に前が見えなくなった男は、狂ったようにシールドを振り回した。
「貴様ぁ!」
もう一人の警備員がシールドを構えて突進してくる。
蓮は冷静に二球目を投げた。今度は相手の足元、コンクリートの地面を狙った。
グシャッ!
足元で弾けたミンチ弾から、マーガリンの油分とハチミツが路面に広がる。
重量のある防護服を着て勢いよく踏み込んだ警備員は、その超潤滑トラップに足をすくわれ、派手に仰向けに転倒した。
「ぐはっ! 尻が、背中が肉まみれに……! 穢れた…私は穢れてしまった!」
精神的なショックと物理的な滑りやすさで、男は亀のように地面でのたうち回り、起き上がることができない。
「正面口に襲撃者! 武器は……不浄の肉! 繰り返す、不浄の肉による精神攻撃を受けている! 応援を!」
無線に向かって悲鳴を上げる警備員。
それと共に施設の奥から、さらに数人の信者たちが怒号を上げて走ってくるのが見えた。
「大漁だな」
蓮はニヤリと笑うと、残りのミンチ弾を次々と投げつけ、教団の注意を完全に自分へと引き付けた。
その頃、施設の真裏にある通用口では、拓海たちが音もなく動いていた。
正面から聞こえてくる「豚肉が!」「悪魔の攻撃だ!」という異常な怒号とパニックの無線を受け、裏口を守っていた警備員たちが慌てて正面へと走っていくのを見送った。
「蓮のやつ、大暴れだな。行くぞ!」
拓海はピッキングツールを鍵穴に差し込み、わずか十秒で解錠した。
雨音がすべての足音やドアの開閉音をかき消してくれる。潜入班の四人は、事前に手に入れた内部マップを頼りに、一歩も迷うことなく「隔離棟」へと突き進んだ。
廊下は静まり返っていた。正面の「豚肉パニック」に対処するため、館内の信者たちも右往左往している。
「ここだ」
拓海は「第三巡礼室」と書かれた札のついた部屋のドアを静かに開けた。
白い部屋の真ん中、教壇の前にポツンと置かれたパイプ椅子に、一人の少女が座っていた。
「美咲ちゃん…?」
拓海が呼びかける。しかし、やつれた顔を上げた美咲の瞳には、かつての生気がなかった。
「……拓海さん? ダメです、来ちゃダメ。私はここで、魂を清めるの。そして、あの御方の元に……」
完全にマインドコントロールされた虚ろな声。美咲の胸元には、教団の不気味な紋章のペンダントが握られていた。
「目を覚ますんだ美咲ちゃん!」
拓海は美咲の肩を掴んだ。
「蓮は今、外でお前を助けるために、一人で泥まみれになって戦ってる! これを見ろ!」
拓海はポケットから、小さな、古びたキーホルダーを取り出した。それは、幼い頃に蓮と美咲が二人で分かち合った、不格好な手作りのフェルトの人形だった。
「お前の兄貴はな、お前が『お腹すいた』って泣いたら、自分の分の飯を全部やるような男だろ。今も外で、お前が大嫌いなアイツらを、お前が大好きなトマトでボコボコにしてるよ」
キーホルダーを見た瞬間、美咲の瞳の奥で、小さな光が爆発するように弾けた。
「あ……お兄ちゃん……」
ボロボロと涙が溢れ出し、美咲の身体から力が抜ける。拓海はその身体をしっかりと抱きとめた。
「戻ろう、美咲ちゃん」
正面口では、蓮が限界を迎えていた。
「待てぇ! 悪魔の使いめ!」
十人以上の信者に追われ、蓮は雨の中を全速力で走っていた。
防護服の男たちはマーガリンで滑り、ハチミツで互いに張り付きながらも、執念で追いかけてくる。
息が上がる。だが、スマホのバイブレーションが三回、短く震えた。作戦成功、美咲の確保を意味する合図だ。
「ここまでだ」
蓮は路地の角を曲がると、あらかじめ確認していた場所まで走り、防犯カメラの死角へと飛び込んだ。
手早く使い捨てのレインコートを剥ぎ取る。コートの表面には、信者のシールドから跳ね返った豚ミンチとトマトの汁、そして強烈なニンニクの臭いが付着していた。それを一瞬で裏返しに丸め、用意していた遮臭性のゴミ袋に押し込んでジッパーを閉める。
マスクとゴーグルを外し、普通のパーカー姿に戻った蓮は、息を整えて路地から大通りへと歩き出た。
激しい雨が、蓮の顔や服についたわずかな汚れを瞬く間に洗い流していく。
大通りの向こうから、ヘッドライトを消した軽ワンボックスカーが静かに近づき、蓮の目の前でスライドドアが開いた。
滑り込むように車内に入ると、そこには拓海たち、そして――
「お兄ちゃん!」
泣きながら飛びついてきた美咲の温もりがあった。蓮は泥に汚れた腕で、最愛の妹をきつく抱きしめた。
「よく頑張ったな、美咲。帰ろう」
車は深夜の豪雨の中を、何事もなかったかのように走り去っていく。バックミラーの遠く向こうで、豚肉の悪臭とパニックに包まれた教団の要塞が、激しい雨のカーテンの向こうへと小さく消えていった。
ジャスティスミート!