魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第十一話 夜明けに残る名前

 夜空を覆う黒い塊へ、いくつもの光が突き進んでいった。

 

 久遠は地上から見上げていた。

 

 最初に届いたのは音だった。

 

 空気を震わせる轟音。

 

 遅れて、白い光が夜を塗りつぶす。

 

 病院の窓が細かく鳴った。

 

 久遠は反射的に入口を振り返る。

 

 待合室には、結界が解けたことで戻ってきた患者や職員がいる。

 

 何が起きているのか分からず、立ち尽くす人。

 

 泣いている子供。

 

 停電した照明を確かめる看護師。

 

 空を見ているだけではいけない。

 

「窓から離れてください!」

 

 久遠は声を上げた。

 

「何か飛んでくるかもしれません。廊下の内側へ!」

 

 魔法のことは説明できない。

 

 説明している時間もない。

 

 久遠は泣いている子供の手を取り、窓のない場所まで連れていく。

 

 転んだ老人へ椅子を運ぶ。

 

 散らばった荷物を通路の端へ寄せる。

 

 看護師が避難を呼びかけ始めた。

 

 久遠はその指示に従いながら、何度も外を見る。

 

 赤い光が黒い触手を打ち砕く。

 

 紫の刃が闇を切り裂く。

 

 金色の光が、その亀裂を駆け抜ける。

 

 白い砲撃が巨大な影を押し返した。

 

 誰の光なのか、久遠には分かった。

 

「なのは」

 

 白。

 

「フェイト」

 

 金。

 

「ヴィータ。シグナム。シャマル。ザフィーラ」

 

 赤、紫、緑、青。

 

 そして、そのすべてを包む夜天の白。

 

「はやて」

 

 名前を呼ぶ。

 

 返事は聞こえない。

 

 それでも、誰がまだ戦っているのか分かる。

 

 光が消えていないから。

 

 久遠は胸元を押さえた。

 

 青い栞は、上着の内ポケットに入れてある。

 

 折れていない。

 

 なくしていない。

 

 はやてへ返すものが、ここにある。

 

「みんな、帰ってくる」

 

 自分へ言い聞かせる。

 

 信じることは、何もしないことではない。

 

 帰ってきた人を迎えられるように、今いる場所を守る。

 

 怪我をしていたら手当てする。

 

 助けが必要なら大人を呼ぶ。

 

 魔法がなくても、できることはある。

 

 そう教えてくれた人たちが、空で戦っている。

 

     ◇

 

 防御プログラムは、攻撃されるたびに形を変えた。

 

 砕かれた場所から、別の腕が生える。

 

 切り離された黒い肉が、獣のような形となって襲いかかる。

 

 倒しても。

 

 凍らせても。

 

 焼き払っても。

 

 取り込んだ力を使い、何度でも再生する。

 

「ほんま、しつこいなあ」

 

 はやては杖を構えたまま、息を吐いた。

 

 隣に立つリインフォースが、静かに答える。

 

「壊れた命令が、自らを守れと繰り返しています。止まる理由を持たないのです」

 

「ほんなら、うちらで止める」

 

「はい」

 

「これ以上、誰も傷つけさせへん」

 

 なのはとフェイトが左右へ分かれる。

 

 守護騎士たちが四方から黒い塊を押さえ込む。

 

 クロノから通信が入った。

 

 ここで完全に消し去るには、街から引き離さなければならない。

 

 逃げ場のない場所へ転送し、凍結させ、一撃で破壊する。

 

 失敗すれば、また再生する。

 

「一度きりやな」

 

「怖い?」

 

 フェイトが尋ねる。

 

「怖いよ」

 

 はやては笑った。

 

「せやけど、一人やないから」

 

 なのはも笑い返す。

 

「うん」

 

 黒い腕が伸びる。

 

 ヴィータの鉄槌が正面から受け止めた。

 

「主はやて! あたしたちが道を開ける!」

 

「頼んだで!」

 

 鉄槌が振り抜かれる。

 

 シグナムの炎が走る。

 

 ザフィーラの鎖が巨体を縛り、シャマルの風が黒い霧を吹き払う。

 

 開いた中心へ、なのはとフェイトの光が突き刺さった。

 

 白と金の奔流が、防御プログラムを空高く押し上げていく。

 

 はやてが杖を掲げた。

 

 足元に巨大な魔法陣が広がる。

 

 夜天の光が集まり、凍りついた空気さえ震わせた。

 

「これで、終わりや!」

 

 光が放たれる。

 

 黒い巨体が、転送の光へ呑み込まれた。

 

 遠く離れた海上。

 

 待ち構えていた氷結の魔法が、その動きを一瞬だけ止める。

 

 その一瞬へ、巡航艦の主砲が撃ち込まれた。

 

 音のない閃光が、水平線の向こうで膨れ上がる。

 

 黒い影が崩れる。

 

 塊がほどける。

 

 蒐集された魔力が光の粒となり、夜へ散っていく。

 

「反応、消失」

 

 クロノの声が届いた。

 

「防御プログラムの消滅を確認した」

 

 誰も、すぐには声を上げなかった。

 

 本当に終わったのかを確かめるように、静かになった空を見つめる。

 

 やがて、ヴィータが大きく息を吐いた。

 

「終わった……」

 

 はやては頷く。

 

「うん。終わったんや」

 

 その隣で、リインフォースだけが海上へ目を向けていた。

 

 消えたのは、暴走した防御プログラム。

 

 切り離された機能。

 

 壊れた器。

 

 けれど、長い年月の中で書き込まれた命令のすべてが、今の一撃に含まれていたのか。

 

 彼女にも、それを確かめる術はなかった。

 

 閃光の端で。

 

 一片の黒い頁が、光に焼かれながら裂けた。

 

 魔力反応さえ持たないほど小さな欠片。

 

 誰の目にも留まらず。

 

 それは夜の風へ紛れ、街の方角へ落ちていった。

 

     ◇

 

 病院前の空へ、最初に降りてきたのはなのはだった。

 

 騎士甲冑は傷つき、頬には煤がついている。

 

 それでも、自分の足で立っている。

 

「久遠君」

 

「おかえり、なのは」

 

 久遠は約束どおりに言った。

 

 なのはの顔が、泣きそうに歪む。

 

「……ただいま」

 

 続いて、金色の光が降りる。

 

「おかえり、フェイト」

 

「ただいま、久遠」

 

 ヴィータが着地する。

 

 久遠は名前を呼ぶ。

 

「おかえり、ヴィータ」

 

「おう」

 

「ただいま、は?」

 

「うるせえな。……ただいま」

 

 シグナム。

 

 シャマル。

 

 ザフィーラ。

 

 一人ずつ降りるたびに、久遠は同じ言葉を伝えた。

 

 誰も欠けていない。

 

 最後に、白い翼がゆっくりと降りてくる。

 

 リインフォースに支えられたはやてが、久遠の前へ着地した。

 

「久遠君」

 

「おかえり、はやて」

 

「……ただいま」

 

 はやてが両腕を伸ばす。

 

 久遠は一瞬迷ってから、その身体を抱きしめた。

 

 軽かった。

 

 けれど、温かい。

 

 ちゃんと、生きて帰ってきた。

 

「待っててくれたんやな」

 

「約束したから」

 

「怖くなかった?」

 

「怖かったよ」

 

「そっか」

 

「でも、待てた」

 

 久遠は上着の内側から青い栞を取り出した。

 

 端が少しだけ曲がっている。

 

 けれど、破れてはいない。

 

「これも、おかえり」

 

 はやては栞を両手で受け取った。

 

「ただいま」

 

 今度は、栞へ答える。

 

「ちゃんと持っててくれたんやね」

 

「なくしたら、はやてに怒られるから」

 

「当たり前や。大事なもんなんやから」

 

「知ってる」

 

 はやては栞を胸元へ寄せた。

 

 その後ろに、銀髪の女性が立っている。

 

 久遠は彼女を見る。

 

 初めて会うはずなのに、初めてではない気がした。

 

 あの闇の中から、はやてを連れ戻した人。

 

「あなたが、リインフォース?」

 

「はい」

 

 女性は静かに頷いた。

 

「我が主より賜った名です」

 

 久遠は少し考えた。

 

「おかえり、リインフォース」

 

 リインフォースが目を見開く。

 

「私にも、ですか」

 

「一緒に行っただろ」

 

「ですが、私は今夜生まれたばかりです」

 

「じゃあ、初めましても言う」

 

 久遠は手を差し出した。

 

「おかえり。初めまして、リインフォース」

 

 銀髪の女性は、その手を見つめた。

 

 やがて、おそるおそる握り返す。

 

「……ただいま。初めまして、久遠」

 

 その手は冷たかった。

 

 はやてと帰ってきたのに。

 

 久遠は、その冷たさを覚えていた。

 

     ◇

 

 夜が明ける頃。

 

 はやては検査のため、病室で眠っていた。

 

 守護騎士たちは、そのそばを離れない。

 

 なのはとフェイトも椅子に座ったまま眠っている。

 

 久遠は眠れず、廊下の窓から白み始めた空を見ていた。

 

「休まないのですか」

 

 背後から声をかけられる。

 

 リインフォースだった。

 

「あなたこそ」

 

「私は、眠りを必要としません」

 

「便利だね」

 

「以前は、そうでした」

 

 その答えが気になり、久遠は振り返る。

 

 リインフォースの姿は、夜空で見たときより薄く見えた。

 

 朝の光が透けているようだった。

 

「消えるの?」

 

 久遠は尋ねた。

 

 リインフォースは否定しなかった。

 

「主との分離には成功しました。ですが、私の根幹には、破損した部分が多く残っています」

 

「直せないの」

 

「今の技術では、完全には」

 

「完全じゃなくてもいい」

 

「私が存在し続ければ、いずれ再び主の命を蝕む可能性があります」

 

 久遠は唇を噛んだ。

 

「可能性なんだろ」

 

「はい」

 

「だったら、すぐに決めなくても」

 

「久遠」

 

 穏やかな声だった。

 

 それが、余計に腹立たしかった。

 

「また一人で決めるの」

 

「いいえ」

 

 リインフォースは病室の扉を見る。

 

「はやては、知っています」

 

「知ってる?」

 

「私から、すべてを話しました。残る危険も。消えるという選択も」

 

「はやては何て」

 

「泣きました。怒りました。何度も別の道を探しました」

 

 閉じた扉の向こうから、眠る人たちの気配がする。

 

「それでも最後は、私の選択を一緒に背負うと言ってくれました」

 

 一人で決めない。

 

 一人で諦めない。

 

 けれど、話したからといって、必ず助かるわけではない。

 

 みんなで考えても、救えないことはある。

 

 久遠は、その事実を認めたくなかった。

 

「名前をもらったのに」

 

「はい」

 

「家族になったばかりなのに」

 

「はい」

 

「それなのに、いなくなるの」

 

「名前は、永遠を約束するものではありません」

 

 リインフォースは窓の外へ目を向けた。

 

 暗かった空に、朝の色が広がっていく。

 

「名前は始まりになります」

 

 彼女は、自分の名を確かめるように胸へ手を当てた。

 

「過去を縛る鎖にも」

 

 一度、言葉を切る。

 

「未来へ進む道標にもなる」

 

「未来がない人にも?」

 

「未来の長さを決めるのは、時間だけではありません」

 

 リインフォースは微笑んだ。

 

「私はこの名を得たことで、壊れた魔導書として終わるのではなく、はやての家族として別れを選べます」

 

「そんなの」

 

 久遠は拳を握る。

 

「言い方を変えただけだ」

 

「そうかもしれません」

 

 リインフォースは怒らなかった。

 

「ですが、言葉は人が選んだ意味を残します」

 

「残ったら、何になるの」

 

「いつか、誰かの選ぶ道になります」

 

 久遠には分からなかった。

 

 いなくなった後に意味が残っても。

 

 残された人は悲しむ。

 

 はやては、また家族を失う。

 

「僕は、あなたにも帰ってきてほしかった」

 

「帰りました」

 

 リインフォースは答える。

 

「あなたが、私にもおかえりと言ってくれました」

 

「一度だけじゃ足りない」

 

「欲張りですね」

 

「悪い?」

 

「いいえ」

 

 少しだけ、楽しそうに笑う。

 

「その願いを、どうか大切にしてください」

 

 リインフォースは久遠の前へ膝をついた。

 

 視線の高さを合わせる。

 

「あなたは、力がないことを恐れている」

 

「……うん」

 

「だから、いつか力を得たときが心配です」

 

「どうして」

 

「届かなかった痛みを知る人ほど、届く力のすべてを差し出してしまうからです」

 

 久遠は答えられなかった。

 

「一人で背負わないでください」

 

「あなたに言われたくない」

 

「そのとおりですね」

 

 リインフォースは困ったように笑った。

 

「では、私との約束にしましょう」

 

「約束?」

 

「何かを選ぶとき、帰りを待つ人のことを忘れない」

 

 久遠は病室を見る。

 

 なのは。

 

 はやて。

 

 フェイト。

 

 みんながいる。

 

「分かった」

 

 嘘ではなかった。

 

 このときは、本当に守るつもりだった。

 

     ◇

 

 別れは、その日の夕方に訪れた。

 

 病院の屋上。

 

 空から、細かな雪が降り始めていた。

 

 はやては車椅子に座り、リインフォースの手を握っている。

 

 その後ろに、シグナムたちが並ぶ。

 

 ヴィータは泣いていた。

 

 泣いていないふりをすることも、もうできなかった。

 

 なのはとフェイトもいる。

 

 久遠は少し離れた場所に立っていた。

 

 何か言えば、止めてしまいそうだった。

 

 止める方法もないのに。

 

「ほんまに、行くんやね」

 

「はい」

 

「嫌やって言うたら?」

 

 リインフォースは、すぐには答えなかった。

 

「困ります」

 

「命令やったら?」

 

「従いたいと思います」

 

「思うだけ?」

 

「私はもう、命令だけで動く書ではありませんから」

 

 はやては泣きながら笑った。

 

「ずるいなあ」

 

「はやてに教わりました」

 

 握った手が、光へ変わり始める。

 

 銀色の粒が、雪と一緒に空へ昇っていく。

 

「シグナム。ヴィータ。シャマル。ザフィーラ」

 

「はっ」

 

 四人が同時に応える。

 

「はやてを、お願いします」

 

「我らのすべてに代えても」

 

 シグナムの声は震えていた。

 

「なのは。フェイト」

 

「うん」

 

「はい」

 

「どうか、よい友でいてください」

 

「もちろんだよ」

 

「約束します」

 

 リインフォースは久遠を見る。

 

「久遠」

 

「なに」

 

「帰ってくる者を、迎えてください」

 

「あなたは?」

 

 分かっているのに、尋ねる。

 

「私は、もう迎えてもらいました」

 

「それで足りるの」

 

「はい」

 

 迷いのない答えだった。

 

「私の名を、覚えていてくれますか」

 

「忘れない」

 

「ありがとう」

 

 身体の半分以上が光になる。

 

 はやては、消えかけた手を両手で包んだ。

 

「リインフォース」

 

 名前を呼ぶ。

 

「はい。はやて」

 

「うちの家族になってくれて、ありがとう」

 

「私を家族にしてくれて、ありがとう」

 

「大好きや」

 

「私もです」

 

 最後に、リインフォースは笑った。

 

 闇の書の意思としてではなく。

 

 夜天の書の管制人格としてでもなく。

 

 はやての家族として。

 

「さようなら。私の愛しい主」

 

 光がほどけた。

 

 はやての両手が空になる。

 

 銀色の粒は雪の中へ混じり、見えなくなった。

 

 誰も声を出せなかった。

 

 やがて、はやての肩が震える。

 

 ヴィータがその身体へ抱きついた。

 

 シグナムが二人を包む。

 

 シャマルも。

 

 ザフィーラも。

 

 家族が、空いた場所を囲む。

 

 けれど、その場所は埋まらなかった。

 

 埋めてはいけないのだと、久遠は思った。

 

 そこには確かに、リインフォースという人がいた。

 

 短い時間でも。

 

 帰ってきて。

 

 名前を呼ばれ。

 

 家族になった人がいた。

 

     ◇

 

 病室へ戻った後も、はやては青い栞を握っていた。

 

 泣き疲れて眠っても、手放さなかった。

 

 なのはとフェイトは、その両側で眠っている。

 

 守護騎士たちは、静かに家族を見守っていた。

 

 久遠は病室の外に立つ。

 

 扉は開いている。

 

 結界もない。

 

 数歩進めば、はやてへ手が届く。

 

 それなのに。

 

 リインフォースには、もう二度と届かない。

 

 名前は始まりになる。

 

 過去を縛る鎖にも。

 

 未来へ進む道標にもなる。

 

 久遠は、その言葉を胸の中で繰り返した。

 

 まだ意味は分からない。

 

 分かりたくもなかった。

 

 名前が残るより、本人に残ってほしかった。

 

 どれだけ意味があっても。

 

 どれだけ大切な選択でも。

 

 誰かが消えることで終わる夜を、正しいとは思えなかった。

 

「もう、誰もいなくならない」

 

 小さく口にする。

 

 約束する相手は眠っている。

 

 だから、それは久遠が自分へ課した約束になった。

 

 何かを選ぶとき、帰りを待つ人のことを忘れない。

 

 リインフォースと交わした言葉も、忘れない。

 

 次に誰かへ手を伸ばすときは。

 

 今度こそ、一人も失わない。

 

 そう決めた。

 

 夜は明けた。

 

 長い夜は、終わった。

 

 久遠は、そう信じていた。

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