朝の訓練場に、四つの足音が響いていた。
機動六課の始動から、何日かが過ぎている。
一つは、ローラーが地面を削る音。
一つは、それを追う靴音。
少し遅れて、軽い足音が二つ。
「スバル、前に出すぎ!」
「分かってる!」
「分かってる人は、三回続けて同じことをしない!」
ティアナの声が飛ぶ。
スバルは急停止しようとして、地面へ二本の跡を残した。
止まり切れない。
その正面では、訓練用の機械が光弾を放とうとしている。
「スバルさん、右へ!」
エリオが叫ぶ。
スバルは考える前に身体を倒した。
頭上を光弾が抜ける。
空いた正面へエリオが入り、槍の一撃で機械の姿勢を崩した。
「キャロ!」
「はい!」
後方にいたキャロの足元へ、桃色の魔法陣が開く。
補助魔法を受けたティアナの弾丸が、傾いた機械を正確に撃ち抜いた。
停止を告げる音。
四人が息を吐くより先に、別方向から二体目が現れた。
「次、来るよ!」
なのはの声が訓練場へ響く。
「休ませてくれないなあ!」
「実戦の敵に言いなさい!」
「言って聞いてくれるかな!?」
「聞いてくれたら、私が捕まえるわよ!」
文句を言いながらも、二人の足は止まらない。
初日より、声を掛ける回数が増えていた。
前を見る者。
後ろを見る者。
離れすぎた誰かを呼び戻す者。
力の足りない場所へ、力を渡す者。
まだ四人は、一つの部隊にはなっていない。
けれど、四人で戦おうとはしていた。
「そこまで!」
なのはが手を上げた。
訓練機が動きを止める。
同時に、スバルがその場へ倒れ込んだ。
「つ、疲れた……」
「前回より長く動けたね」
「それ、今日の訓練が前回より長かっただけじゃないですか?」
「気づいた?」
なのはが笑う。
スバルは地面に頬をつけたまま、恨めしそうに教導官を見上げた。
「でも、四人ともよくなってるよ。最初から自分の仕事を決めつけず、必要なところへ動けてた」
なのはは四人の前へ降りる。
「だから今日は、ここまで」
「本当に?」
「本当に」
スバルが勢いよく起き上がった。
「ただし、午前の訓練が、ね」
もう一度倒れた。
その横で、ティアナが額の汗を拭う。
「午後は何をするんですか?」
「みんなの相棒を紹介します」
「相棒?」
キャロが首を傾げる。
なのはは訓練場の外を見る。
そこではシャリオが、大切そうに四つのケースを運んでいた。
◇
「武器を渡すのか?」
遠い研究施設で、ノーヴェが尋ねた。
壁の画面には、機動六課の訓練場が映っている。
これまでと同じく、外から拾った不鮮明な映像だった。
クオンは椅子へ座り、その映像を見ている。
「相棒と言っていました」
「呼び方が違うだけだろ」
「違う呼び方には、違う意味があります」
「武器は武器だ」
ノーヴェは自分の脚を指した。
戦うために調整された身体。
その力を地面へ伝えるローラー。
どちらも、彼女が望むより先に与えられたものだった。
「強ければ勝てる。勝てれば壊されねえ。それでいい」
「前回も転びました」
「あれは訓練だ!」
「ストライクにも転ばされました」
「だから、次は転ばねえって言ってんだろ!」
「転ばない練習ではありません」
「うるせえ!」
クオンは画面を見たまま、床を指した。
「休憩は終わりました。続けますか?」
ノーヴェは一瞬だけ黙った。
それから、乱暴に床へ立つ。
「やる」
「はい」
「今日は一回も倒れねえ」
「倒れないなら、受け身の練習になりません」
「お前、どっちの味方なんだよ!」
研究室の奥で、スカリエッティが笑った。
「彼はおそらく、君が壊れないことの味方なのだよ」
「余計分かんねえよ」
ノーヴェが構える。
クオンも椅子から降りた。
構えは取らない。
腕も下げたまま。
それが挑発に見えたのか、ノーヴェの眉が動く。
「今度は、本気で来い」
「怪我をします」
「しねえよ」
「ボクではなく、あなたがです」
「言ったな!」
ノーヴェが床を蹴った。
最初より速い。
正面からの拳を見せ、直前で軸足を切り替える。
狙いは脇腹。
クオンは半歩だけ下がった。
拳が服をかすめる。
ノーヴェは止まらない。
回転の勢いを乗せ、蹴りを放つ。
クオンの手が足首へ触れた。
強く掴んではいない。
押してもいない。
ただ、力の進む先をほんの少し変えた。
「っ!」
ノーヴェの身体が傾く。
右手を出しかけて、引く。
顎を守り、肩から床へ入る。
背中へ衝撃を流し、そのまま一回転。
片膝で止まり、クオンを見上げた。
最初よりも速い。
視線も切れていない。
「どうだ!」
「綺麗です」
「転び方じゃなくて、攻撃を褒めろ!」
「当たっていません」
「お前は本当に――!」
ノーヴェが立ち上がる。
画面の向こうでは、白いケースが開かれようとしていた。
◇
整備室の机に、四つのデバイスが並んでいた。
青い宝石を備えた小さな部品。
拳銃を思わせる二つの機構。
槍の核となる赤い部品。
一対の腕輪。
スバルたちは、訓練の疲れも忘れて机を覗き込んでいた。
「スバル用のインテリジェントデバイス、マッハキャリバー」
シャリオが最初の一つを示す。
「機動と近接戦闘を支えるための専用設計。リボルバーナックルとの連携もできるようにしてあるよ」
スバルが息を呑む。
小さな核から、起動を知らせる電子音声が返った。
「私の……」
恐る恐る指を伸ばす。
触れた瞬間、青い光が一度だけ明滅した。
まるで、よろしくと言うように。
「そして、ティアナ用。クロスミラージュ」
二挺一組のデバイスが、橙色の光を灯す。
「射撃魔法の制御補助と、複数弾の同時処理。今まで使っていたアンカーガンの操作感も、できる限り残してある」
ティアナはすぐに手を伸ばさなかった。
デバイスを見る。
自分の手を見る。
「これがあれば、初日に使った多重弾殻も安定させられますか?」
「うん。でも、勝手に成功させてくれるわけじゃないよ」
「分かっています」
ティアナが二挺を手に取る。
「使うのは、私ですから」
クロスミラージュが短く応えた。
エリオのストラーダと、キャロのケリュケイオンは新しいものではない。
けれど、二人の成長と六課での役割に合わせ、調整が加えられていた。
「強くした、というよりは」
シャリオが言葉を選ぶ。
「みんなの力を、必要なときに正しく出せるようにしたの。出しすぎないことも含めてね」
「出しすぎない?」
スバルが首を傾げる。
「力は、大きければいいってものじゃないから」
答えたのは、なのはだった。
「自分で扱えない力は、自分も、隣にいる人も傷つける。デバイスはみんなを助けてくれるけど、戦うかどうかを決めるのはデバイスじゃない」
四人の顔を順番に見る。
「決めるのは、私たちです」
「なのはさんたちも、ですか?」
エリオが尋ねた。
「もちろん」
「でも、隊長たちはすごく強いって……」
「強いからこそ、決めなきゃいけないことも増えるんだよ」
シャリオが別の資料を表示した。
そこには、六課の隊長たちへ設定された能力限定が記されている。
強い魔導師を一つの部隊へ集めることには、それだけの理由と手続きが必要になる。
必要以上の力を持たせないため。
組織の内側に、強すぎる力を偏らせないため。
なのはも。
フェイトも。
はやても。
ヴィータやシグナムも。
普段は本来の力を制限している。
「自分で弱くなってるんですか?」
キャロが驚いたように聞く。
「自分だけで決めたことじゃないけどね」
なのはは苦笑した。
「六課を作るために必要な約束なの。緊急時には手続きを踏んで解除できるし、今の状態でみんなを守れないつもりもないよ」
「それでも危ないときは?」
スバルが聞いた。
なのはは即答しなかった。
「危なくならないように、先に考える」
それから、少しだけ笑う。
「それでも危なくなったら、全員で戻る方法を考える。教導官だけじゃなくて、隊長も、部隊長も。そのために私たちがいるんだよ」
スバルは手の中の青い光を見る。
強くなるための道具。
戦うための道具。
けれど、それだけではない。
「よろしく、マッハキャリバー」
今度は、はっきりと呼びかけた。
青い光が、もう一度応えた。
◇
聖王教会の窓から、午後の光が差し込んでいた。
はやての前に座るのは、騎士カリム・グラシア。
機動六課の設立を支えた一人であり、はやてが信頼を置く相手でもある。
机の上には、レリック事件とガジェットの出現記録が並んでいた。
「六課の始動、おめでとうございます」
「ありがとうございます。カリムが力を貸してくれへんかったら、まだ書類の山に埋まってたと思います」
「それは少し見てみたかったですね」
「助けてください」
二人が笑う。
けれど、資料へ視線を戻せば、その表情は自然に引き締まった。
「ガジェットの確認数が増えています」
カリムが言う。
「これまでとは異なる型の情報もあります。レリックを探すだけでなく、運び出すための動きが始まっているのかもしれません」
「誰かが、本格的に集め始めた」
「ええ」
相手の名前は、まだ確定していない。
残された研究施設。
消された記録。
複数の管理世界で見つかる、同じ設計思想の機械。
それぞれは小さな点だった。
だが、点の間隔は狭まり始めている。
「六課は、間に合いますか?」
カリムの問いに、はやては少し考えた。
「間に合わせます」
無責任に楽観した声ではなかった。
「そのために作った部隊ですから」
「フォワードの子たちは?」
「まだ訓練中です。連携も、判断も、これから覚えることばっかりや」
「それでも、現場へ出すのですね」
問いかけは責めるものではない。
だからこそ、はやても軽くは答えなかった。
「はい」
短く認める。
「安全な訓練だけで守れるほど、現場は優しくありません。せやけど、子供やから危険へ出してええとも思ってません」
はやては、自分の手を見る。
九歳の冬。
何も知らないまま、大きすぎるものを抱えた手だった。
「選ばせることと、任せること。その結果から帰ってこられるようにすること。たぶん、全部うちら大人の仕事です」
「あなたは昔から、難しいものを一人で持とうとしますね」
「今は、一人やありませんよ」
はやてが笑う。
そのとき、机上の端末が短く鳴った。
まだ警報ではない。
広域捜索網が拾った、ごく小さな異常。
移動する微弱な魔力反応が、一度だけ表示され、消えた。
「今のは?」
「確認させます」
はやては端末を手に取った。
◇
「戦うかどうかを決めるのは、道具ではない」
クオンが言った。
整備室の映像は終わっている。
それでも、その言葉だけを確かめるように繰り返した。
「当たり前だろ」
ノーヴェが床へ座り、息を整えている。
「お前、武器に命令されたら戦うのか?」
「分かりません」
「分かんねえのかよ」
「命令されたことがありません」
「なら、今度やってやる。そこに立て」
「休憩中です」
「融通が利かねえな!」
ノーヴェが床へ寝転がる。
クオンは、自分の手を見た。
道具。
命令。
戦うかどうか。
それらを考えようとして、思考が同じ場所を回る。
誰かを家へ帰す。
そのために必要な行動をする。
クオンにとっては、それだけが最初から決まっていた。
「博士」
「何かな?」
「あなたは、彼女たちに武器を与えましたか?」
スカリエッティは端末を操作する手を止めた。
ノーヴェが横目でクオンを見る。
「与えたとも。身体も、能力も、それを扱う知識もね」
「戦わせるためですか?」
「彼女たちが、その力を望むからだよ」
「望む前には?」
スカリエッティの笑みが、ほんの少しだけ止まった。
「何?」
「力を知らない彼女たちは、どんな力を望めばよいか分かりません」
静かな声だった。
責めてもいない。
怒ってもいない。
ただ、分からないものを確かめている。
「先に望む形を教えたのですか。それとも、望んだ形を与えたのですか」
「興味深い質問だ」
スカリエッティは椅子を回し、クオンへ身体を向けた。
「君は、どちらだと思う?」
「ボクには分かりません」
「では、彼女たちに聞いてみるといい」
クオンはノーヴェを見る。
「なんだよ」
「あなたは、戦う力が欲しかったですか?」
「いるに決まってる」
「なぜですか?」
「負けたくねえからだ」
「誰に?」
ノーヴェの口が止まった。
ストライク。
管理局。
自分より強い姉妹。
思い浮かぶ顔はいくつもある。
だが、それより前。
まだ一度も負けたことのない頃、自分が何を望んでいたのか。
「……知らねえよ」
「はい」
「勝手に納得すんな」
「分からないことが同じでした」
「一緒にすんな!」
ノーヴェが立ち上がろうとする。
その瞬間、研究室の照明が赤へ変わった。
警告音。
以前から追っていた反応が、再び捉えられた。
今度は消えない。
貨物列車の経路に沿って、複数の機械型反応が移動している。
その中心には、レリックを示す光があった。
「来たか」
スカリエッティが画面を見る。
「出るのか?」
ノーヴェが尋ねた。
声に、わずかな期待が混じっている。
「いいや。今日は彼らの初舞台だ」
「見てるだけかよ」
「観測も立派な仕事だよ。新しいデバイス。新人たちの判断。そして、機動六課がどこまで動けるのか」
スカリエッティの指が画面をなぞる。
「知りたいことは多い」
クオンは、レリックの光ではなく、その周囲に並ぶ機械型反応を見ていた。
「中に人はいますか?」
「現在確認できる範囲では、乗員の反応はない」
「周囲には?」
「じきに、君が見ていた子供たちが来るだろうね」
子供たち。
新しい力を渡された四人。
クオンの視線が動く。
画面の端に、機動六課の通信反応が現れた。
◇
機動六課の隊舎へ、最初の警報が鳴り響いた。
廊下の照明が切り替わる。
休憩室にいた四人が、同時に顔を上げた。
『レリックと思われる反応を確認。ガジェット・ドローン複数が、反応を追跡中』
館内放送が状況を告げる。
『スターズ、ライトニング両分隊は、直ちに出動準備』
スバルが立ち上がる。
先ほどまで手の中にあった、新しいデバイスを見る。
指先が少し震えていた。
「本当に来た……」
「来るための部隊でしょ」
ティアナがクロスミラージュを手に取る。
声は落ち着いている。
だが、ケースを閉じる手が一度だけ滑った。
エリオはストラーダを握り、キャロを見る。
「行ける?」
「はい」
キャロが答える。
それから、自分にも言い聞かせるように繰り返した。
「行けます」
扉が開く。
なのはとフェイトが立っていた。
二人とも、すでに出動用の制服をまとっている。
「状況は移動しながら説明します」
フェイトが告げる。
「初めての実戦になるけど、訓練と同じだよ」
なのはが四人を見る。
「一人で全部しようとしない。見えたものは伝える。痛いときは、痛いと言う」
「はい!」
四人の返事が重なる。
格納庫では、ヴァイス・グランセニックの操縦するヘリが起動していた。
回転翼の音が大きくなる。
ヴィータとシグナムが、それぞれの分隊を待っている。
シャマルは通信と医療支援の準備を整え、リインフォースⅡは小さな身体で端末の間を飛び回っていた。
はやてが指揮席へ着く。
カリムとの会談から戻ったばかりだった。
「各員、配置確認」
応答が次々と返る。
誰かが状況を見る。
誰かが道を作る。
誰かが戦う。
誰かが、戻る場所を守る。
「機動六課、初出動です」
格納庫の扉が開いた。
夜の空へ、一本の道が伸びる。
ヘリが浮かび上がった。
◇
遠い研究施設で、クオンは飛び立つ機影を見ていた。
「行かないのか?」
ノーヴェが聞く。
「命令はありません」
「戦うかどうかを決めるのは、道具じゃねえんだろ」
「ボクはデバイスではありません」
「だったら、お前はどうしたいんだよ」
「分かりません」
ノーヴェは頭をかいた。
「気になるなら、見に行けばいいだろ」
「観測できます」
「画面だけで分かるのかよ」
クオンは答えなかった。
初日の訓練では、画面の向こうにいたスバルの痛みを見つけた。
けれど、映らない場所までは分からない。
声が届かなければ、助けを求めていることも分からない。
それでも。
今、彼らを送り出した大人たちは一緒に飛んでいる。
帰る場所にも、大人が残っている。
新しい力を渡し、使い方を教え、危険になれば止めると言った。
その言葉が本当かどうか。
クオンはまだ知らない。
「彼らは帰りますか?」
問いの向け先は、定まっていなかった。
スカリエッティが微笑む。
「さて。力を与えた者が、最後まで責任を持つとは限らない」
クオンは画面を見る。
ヘリの光が、夜の中を進んでいく。
警報は、戦いが始まることを知らせる。
同時に。
誰かが帰れなくなるかもしれないと、知らせる音でもあった。
「確認します」
九歳の少年は、静かに告げた。