魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第二十一話 ただ、聞く

「あたしね」

 

 壁の向こうから、ティアナの声がする。

 

「ここで役に立たなきゃいけないの」

 

 クオンは答えなかった。

 

 言える答えを持っていない。

 

 ただ、続く言葉を待った。

 

「隊長たちも、副隊長たちも、みんなすごい力を持ってる。スバルには前で戦える身体がある。エリオとキャロにだって、あの子たちにしかできないことがある」

 

 ティアナの指が、クロスミラージュを握る。

 

「あたしにあるのは、撃つことだけ」

 

 声が少し震えた。

 

「だから、それくらいはちゃんとできるって証明したかった」

 

「誰にですか?」

 

 クオンが初めて尋ねた。

 

「……分からない」

 

 ティアナは膝を抱える。

 

「みんなに。部隊に。あたしを選んだ人に」

 

 一度、息を吸う。

 

 間には壁がある。

 

 少年の顔も見えない。

 

 明日、もう一度会うかどうかも分からない。

 

 だから、仲間には言えなかった名前が口からこぼれた。

 

「死んだ兄さんを、役立たずって言った人たちに」

 

 壁の反対側で、クオンの視線が上がった。

 

「兄さんは、航空隊の魔導師だった。執務官を目指してた。逃走犯を追った任務で死んで、犯人は別の部隊が捕まえた」

 

 ティアナは、何度も思い出してきた言葉を口にする。

 

「死んでも犯人を止めるべきだった。任務を失敗した、役に立たない魔導師だったって」

 

 十歳の少女には、反論できなかった。

 

 兄は帰ってこなかった。

 

 犯人も、兄が止めたわけではなかった。

 

 結果だけを並べれば、何も言い返せなかった。

 

「兄さんが教えてくれた射撃魔法で、あたしが執務官になる。どんな任務でも成功できる魔導師になれば、兄さんが間違ってなかったって証明できると思った」

 

 けれど、今日の弾丸は相棒へ向かった。

 

「なのに、また失敗した」

 

 クオンは壁へ背を預けたまま、動かなかった。

 

「何か言いなさいよ」

 

「何を言えばいいか、分かりません」

 

「普通はあるでしょ。気にするなとか、次があるとか」

 

「気にしないのですか?」

 

「無理よ」

 

「では、言えません」

 

「次がないって思ってるの?」

 

「ボクには決められません」

 

 慰めにも、励ましにもならない言葉だった。

 

 ティアナは壁へ後頭部を預け、目を閉じる。

 

「本当に使えないわね、あんた」

 

「はい」

 

「そこも否定しないんだ」

 

「否定できることがありません」

 

 ティアナの口から、短い息が漏れた。

 

 笑ったのか、呆れただけなのか、壁越しでは分からない。

 

「でも、強くなりたい」

 

 クオンは口を挟まない。

 

「もう二度と外したくない。誰も傷つけたくない。兄さんの魔法が役に立たないなんて、言わせたくない」

 

 その三つが同じ願いなのか。

 

 どこかで違うものへ変わっているのか。

 

 クオンには分からなかった。

 

 分からないまま、聞いた。

 

 日が沈み始める。

 

 撤収車両の音が、少しずつ遠ざかっていった。

 

「……そろそろ戻る」

 

 長い沈黙のあと、ティアナが立ち上がる。

 

 クオンも壁の反対側で立った。

 

「あんたは?」

 

「ボクも帰ります」

 

「そう」

 

 ティアナが角から顔を出す。

 

 そこに少年がいることは分かる。

 

 自分より少し年下に見えることも、声が静かなことも覚えている。

 

 けれど、顔だけがどうしても定まらない。

 

「そういえば、名前」

 

「先ほど言いました」

 

「聞いたはずなんだけど、思い出せないのよ」

 

「クオンです」

 

「クオン」

 

 ティアナは確かめるように繰り返した。

 

「話したこと、誰にも言わないで」

 

「分かりました」

 

「……ありがと」

 

 最後の言葉は、クオンへ届く前に消えてしまいそうなほど小さかった。

 

「これから戻ると連絡します」

 

「誰に?」

 

「待っている人です」

 

 クオンが通信端末を取り出す。

 

 ティアナは一度だけ振り返り、仲間たちのいる場所へ歩き出した。

 

     ◇

 

 機動六課へ戻る輸送車の前で、スバルが待っていた。

 

 ティアナの姿を見つけた瞬間、飛び上がるように身体を起こす。

 

「ティア!」

 

「まだ残ってたの?」

 

「待ってた。さっきは、その……」

 

 スバルが言葉を探す。

 

 ティアナは、自分が怒鳴った時の顔を思い出した。

 

「あたしの方こそ、ごめん」

 

「ううん。私も、指示を破るって決めたから」

 

「それでね、スバル」

 

 ティアナはクロスミラージュを握る。

 

 壁の向こうで口にした言葉が、まだ胸に残っている。

 

 強くなりたい。

 

 その願いが正しいとは、誰にも言われなかった。

 

 間違っているとも言われなかった。

 

「頼みがあるの」

 

「うん」

 

「あたしと一緒に、特訓して」

 

 スバルは一瞬だけ目を見開いた。

 

 それから、迷わず頷く。

 

「分かった。二人でやろう」

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 研究施設の転送装置が、白い光を放った。

 

 入口にはノーヴェが立っている。

 

 約束した時間はない。

 

 それでも、帰還連絡が入ってからずっと同じ場所にいた。

 

 光の中から、人影が一歩踏み出す。

 

 ノーヴェより少し背が高い。

 

 朝までのクオンより手足が伸び、顔立ちにもわずかな成長がある。

 

 ノーヴェの身体が、一瞬だけ強張った。

 

「ただいま、ノーヴェ」

 

 声は知っている。

 

 魔力の反応も、歩く時にほとんど音を立てない癖も。

 

「……おかえり」

 

 返してから、ノーヴェはもう一度クオンを見上げた。

 

「でかくなってんじゃねぇか!」

 

 その声を聞きつけ、近くの部屋からウェンディが顔を出す。

 

「何の騒ぎっスか?」

 

 後ろから、ディエチも廊下へ出てきた。

 

 二人の視線が、見慣れない少年へ向く。

 

「ただいま、ウェンディ、ディエチ」

 

「おかえりっス」

 

「おかえりなさい」

 

 返事をしてから、ウェンディが首を傾げた。

 

「クオンっスよね?」

 

「はい」

 

「一日で育ちすぎっス」

 

「身体の器を広げました」

 

 ウェンディがクオンの周囲を一周する。

 

 顔へ視線を合わせようとすると、やはり輪郭は少し滑る。

 

 それでも、誰なのかはもう迷わなかった。

 

「何のためだ」

 

 ノーヴェが尋ねる。

 

「ノーヴェとの訓練です」

 

「は?」

 

「今まで、ボクへ拳が当たる直前に力を止めていました」

 

「止めてねぇ」

 

「腰と右肩が遅くなっていました」

 

「細けぇな!」

 

「この高さなら、止めない可能性があります」

 

「あたしのためだけに大きくなったんスか?」

 

 ウェンディが面白そうに尋ねる。

 

「訓練に必要だったからです」

 

「同じだろ!」

 

 ノーヴェの声が廊下へ響く。

 

 奥の扉が開き、スカリエッティが姿を見せた。

 

「声だけでなく、姿まで変えたのかい?」

 

「声は変えていません」

 

「そうだったね」

 

 スカリエッティは、十三歳ほどになったクオンを興味深そうに眺める。

 

「ホテルでは何を見た?」

 

「子供が失敗しました」

 

「それで?」

 

「一人で残りました」

 

「連れて帰ったのかい?」

 

「いいえ。自分で戻りました」

 

「君は何をした?」

 

「聞いていました」

 

「それだけかよ」

 

 ノーヴェが言う。

 

「はい」

 

「何か教えたり、止めたりは?」

 

「していません。何が正しいか分かりませんでした」

 

 ノーヴェはクオンの顔を見た。

 

「それで、そいつは帰ったんだな?」

 

「はい」

 

「なら、今日はそれでいいだろ」

 

 ノーヴェが踵を返す。

 

「飯が残ってる。食うぞ」

 

「必要ありません」

 

「それも昨日聞いた」

 

 返事を待たずに、クオンの袖を掴む。

 

 十三歳の身体になっても、その手は離れなかった。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 ノーヴェは訓練区画の中央で拳を構えた。

 

 向かいには、十三歳ほどのクオンが立っている。

 

 伸びた身体の重心には、まだ完全に慣れていない。

 

「本当に、止めなくていいんだな?」

 

「はい」

 

「あとで痛いとか言うなよ」

 

「痛ければ言います」

 

「言うのかよ」

 

 ノーヴェが床を蹴った。

 

 一撃目は、クオンの腹部へ向かう。

 

 拳が触れる寸前。

 

 やはり、わずかに速度が落ちた。

 

 クオンは腕で受け流し、ノーヴェの手首を取る。

 

「止めました」

 

「うるせぇ!」

 

 掴まれた腕を軸に身体を回し、踵をクオンの側頭部へ振り抜く。

 

 今度は止まらない。

 

 クオンは空いた手で受けた。

 

 衝撃が腕から肩へ抜ける。

 

 新しい重心を捉えきれず、一歩、二歩と後ろへ滑った。

 

「今のは止めませんでした」

 

「上から言うな!」

 

 三撃目。

 

 四撃目。

 

 ノーヴェの拳と蹴りが、少しずつ本来の速度へ戻っていく。

 

 クオンは受け、避け、ときどき床へ転がされた。

 

 身体が大きくなっても、技まで勝手に馴染むわけではない。

 

 最後の拳が、クオンの防御を正面から押し切った。

 

 背中から床へ落ちる。

 

「どうだ!」

 

 ノーヴェが得意そうに笑う。

 

「痛いです」

 

「効いてんじゃねぇか!」

 

「はい。止めなかったので」

 

 クオンが起き上がる。

 

 ノーヴェはもう一度構えようとして、右手を握り直した。

 

 拳の表面が赤くなっている。

 

「今日は終わりです」

 

「まだ始めたばっかりだろ」

 

「右手を見せてください」

 

「何ともねぇ」

 

 ノーヴェが反射的に拳を背中へ隠す。

 

 訓練区画の扉が開いた。

 

 入口に、二人の少女が立っている。

 

 一人は救急箱を抱え、もう一人は飲み物とタオルを持っていた。

 

「使いますか?」

 

 救急箱を持った少女が尋ねる。

 

 クオンは受け取る前に、二人を見る。

 

「名前を教えてください」

 

「オットーです」

 

「ディードです」

 

「覚えました。ありがとうございます、オットー、ディード」

 

 名前を呼ばれた二人が、わずかに目を合わせる。

 

 ディードが、持っていた飲み物とタオルを差し出した。

 

「こちらは休憩用です」

 

「休憩じゃねぇ。少し止めるだけだ」

 

「それを休憩と呼びます」

 

 オットーが静かに訂正した。

 

 ノーヴェが言い返そうとしたところで、クオンが右手を差し出す。

 

「明日も訓練しますか?」

 

「当たり前だ」

 

「では、今日は手を冷やしてください」

 

 明日も続ける。

 

 その言葉に、ノーヴェは渋々、隠していた拳を差し出した。

 

 クオンは冷却材を薄い布で包み、赤くなった手へ当てる。

 

「冷てぇ」

 

「冷やすものです」

 

「分かってる!」

 

 怒鳴りながらも、ノーヴェは手を引かなかった。

 

 オットーとディードも、その場を離れない。

 

 ウェンディとディエチが、休憩用の椅子を運んでくる。

 

 訓練は止まった。

 

 誰も、先には帰らなかった。

 

     ◇

 

 機動六課では、ホテル・アグスタ任務の報告が続いていた。

 

 ティアナは、なのはとフェイトの前へ立っている。

 

「任務終了後、ホテル裏手で所属不明の少年と接触しました」

 

 ティアナは自分から報告した。

 

 あの少年に敵意はなかった。

 

 それでも、警備区域へ侵入した者を隠すわけにはいかない。

 

「年齢は?」

 

 フェイトが尋ねる。

 

「十三歳前後だと思います。あたしより少し年下に見えました」

 

「服装と髪の色は?」

 

「それが……」

 

 ティアナは言葉に詰まる。

 

「見たはずなのに、思い出せません。顔もです」

 

 なのはとフェイトの視線が合った。

 

「キャロが訓練場で会った子と、同じ症状だね」

 

 なのはが言う。

 

「でも、キャロは自分たちと同じくらいの年齢だと話していました」

 

「数日で、九歳か十歳から十三歳に?」

 

 フェイトは端末へ二つの報告を並べた。

 

 監視映像には、どちらも何も残っていない。

 

 接触した二人は、会話だけを覚えている。

 

「名前は聞いた?」

 

「二度、聞きました」

 

 ティアナは眉間へ指を当てる。

 

「その場では覚えていたんです。でも今は、音さえ思い出せません」

 

「何をしてきたの?」

 

「何も」

 

「何も?」

 

「関係者以外立ち入り禁止だと言ったら、見えないところまで下がりました。ただ……」

 

 ティアナは少しだけ視線を逸らす。

 

「あたしが戻るまで、壁の向こうにいました」

 

「どうして?」

 

「一人で残っていたから、と」

 

 フェイトの指が止まった。

 

 胸の奥へ、古い痛みが触れた。

 

 誰かが、一人でいる子供を見つけた。

 

 何も解決できないまま、それでも帰るまで残った。

 

 その在り方を、確かに知っている気がした。

 

 けれど、思い出そうとした途端に輪郭が滑る。

 

「フェイトちゃん?」

 

 なのはの声に、フェイトは顔を上げた。

 

「ごめん。少し、考えてた」

 

「危害を加えられたり、何かを渡されたりは?」

 

「ありません。話を聞かれただけです」

 

「どんな話?」

 

 ティアナの肩が、わずかに強張る。

 

「任務で失敗したことを、少し」

 

 兄のことまでは言わなかった。

 

 なのははそれ以上、問い詰めなかった。

 

「報告してくれてありがとう。もしまた会ったら、すぐに知らせて」

 

「はい」

 

 ティアナが部屋を出る。

 

 扉が閉じても、フェイトは二つの報告を見比べていた。

 

「同じ子だと思う?」

 

 なのはが尋ねる。

 

「分からない。年齢が違いすぎる」

 

「でも、顔も名前も残らない」

 

「うん」

 

 フェイトは、ティアナの証言を記録へ残した。

 

 所属不明。

 

 十三歳前後。

 

 敵意なし。

 

 顔貌、氏名ともに記憶保持不能。

 

 任務後、一人で残った局員が帰るまで現場に滞在。

 

 分からないことばかりの報告だった。

 

 それでも、消去はしなかった。

 

     ◇

 

 その日の訓練は、いつもどおり基礎から始まった。

 

 射撃精度。

 

 移動しながらの照準。

 

 仲間の位置を確認してから撃つ判断。

 

 なのはは、一つずつ丁寧に繰り返させる。

 

「ティアナ。撃つ前に、もう一度スバルの位置を確認して」

 

「はい」

 

「急がなくていいよ。正確に」

 

「はい」

 

 返事は素直だった。

 

 指示にも従っている。

 

 けれどティアナには、それが足踏みに思えた。

 

 失敗した自分に必要なのは、今までと同じ基礎ではない。

 

 短い時間で、誰にも追いつける力。

 

 もう二度と外さず、誰も傷つけず、どんな敵でも撃ち抜ける力。

 

 そんな方法があるはずだと信じたかった。

 

 通常訓練が終わったあと。

 

 ティアナとスバルは、人のいない区画へ残った。

 

「まず、近距離戦を教えて」

 

 ティアナがクロスミラージュを短剣形態へ変える。

 

「私が教えるの?」

 

「前へ出る動きは、あんたの方が上でしょ」

 

「分かった。でも、無理はなしだよ」

 

「分かってる」

 

 その返事に、スバルは少しだけ不安そうな顔をした。

 

 それでも、ティアナを一人にはしなかった。

 

 踏み込み。

 

 身体の捻り。

 

 防御を抜くための角度。

 

 スバルが実演し、ティアナが繰り返す。

 

 一度目は足が絡んだ。

 

 二度目は短剣が届かない。

 

 三度目で、訓練標的の表面へ傷をつけた。

 

「できた!」

 

「まだ浅いわ。もう一回」

 

「うん!」

 

 日が落ちても、二人は止めなかった。

 

     ◇

 

 秘密の訓練は、一日では終わらない。

 

 早朝。

 

 通常訓練のあと。

 

 消灯前のわずかな時間。

 

 二人は休息を削り、同じ動きを繰り返した。

 

 スバルが前へ出て、相手の障壁を開かせる。

 

 ティアナが死角へ入り、短剣で障壁の内側を狙う。

 

 防御を捨てた、攻撃だけの連携。

 

 成功すれば、格上にも一撃を届かせられる。

 

 失敗すれば、二人とも無防備になる。

 

「ティア、今日はもう休まない?」

 

 何度目かの早朝、スバルが言った。

 

 ティアナは息を切らし、膝へ手をついている。

 

「もう一回だけ」

 

「昨日もそう言ってたよ」

 

「次で合わせられるから」

 

 スバルは困ったように笑う。

 

「じゃあ、本当に次で最後ね」

 

「うん」

 

 スバルはティアナを止められなかった。

 

 けれど、一人で無茶をさせることもできなかった。

 

 だから、隣に立った。

 

     ◇

 

 ティアナの事情を、ヴィータが知ったのもその頃だった。

 

 両親を早くに亡くし、兄のティーダが一人で育てたこと。

 

 兄は首都航空隊の魔導師で、執務官を目指していたこと。

 

 そして、ティアナが十歳の時、逃走犯を追う任務で命を落としたこと。

 

「だから、あいつは証明しようとしてんのか」

 

 ヴィータが端末を閉じる。

 

 兄から教わった射撃魔法は、役に立たないものではない。

 

 兄が届かなかった執務官へ、自分がなる。

 

 どんな任務でも完遂できる魔導師になれば、兄の生き方まで失敗ではなかったと証明できる。

 

「気持ちは分かるよ」

 

 なのはは、訓練記録を見つめていた。

 

「だからこそ、急がせたくない」

 

「けど、本人には止まってるように見えてるぞ」

 

「うん」

 

 なのはの端末には、四人それぞれに合わせた訓練計画が表示されている。

 

 誰が、どの順番で、どこまで力を伸ばすのか。

 

 今日を勝つためではなく、何年先も生きて戦えるように組まれた計画。

 

 その意味は、まだティアナへ届いていなかった。

 

「次の模擬戦で、もう一度見てみる」

 

「甘やかすなよ」

 

「うん。でも、追い詰めもしない」

 

「難しいな、教導官」

 

「難しいよ」

 

 なのはは苦く笑った。

 

     ◇

 

 その夜。

 

 なのはは自室の机で、四人の訓練映像を見直していた。

 

 スバルの踏み込み。

 

 ティアナの射線。

 

 エリオの加速。

 

 キャロの補助が届く範囲。

 

 同じ場面を何度も再生し、端末へ次の訓練内容を書き加えていく。

 

「まだ起きてたの?」

 

 飲み物を持ったフェイトが、開いた扉から顔を覗かせた。

 

「もう少しだけ。ティアナの動きが、ここ数日ちょっと変わってるから」

 

「ホテルでのことを気にしてる?」

 

「たぶん。それに、訓練のあとも疲れが抜けてないみたい」

 

 なのはは映像を止めた。

 

 画面の中で、ティアナは射撃姿勢のまま歯を食いしばっている。

 

「もっと早く強くなりたいんだと思う」

 

「気持ちは分かるけど」

 

「うん。急いで覚えた力は、急いで使わなきゃいけない時に自分を傷つけるから」

 

 なのは自身が、よく知っていることだった。

 

「明日、模擬戦なんだよね」

 

「うん。言葉だけじゃ、伝わらないこともあるから」

 

 フェイトが机へカップを置く。

 

 その横には、ホテル・アグスタの警備報告が開いたまま残っていた。

 

 所属不明の十三歳前後の少年。

 

 顔も、名前も、映像も残らない。

 

 けれど、ティアナの証言だけは文字になっている。

 

「この子のこと、まだ気になってる?」

 

 なのはが尋ねた。

 

「うん」

 

 フェイトは報告書の一文を見る。

 

一人で残っていたため、局員が帰るまで現場に滞在。

 

 理由の分からない痛みが、また胸の奥へ触れた。

 

「敵じゃないと思う」

 

「私も、そう思う」

 

「でも、誰なのか分からない」

 

「分からないままでも、記録は残るよ」

 

 なのはが言った。

 

 フェイトは報告書を閉じなかった。

 

 誰の顔も、名前も残せなかった一日の中で。

 

 帰るまで隣にいたという事実だけが、そこに残った。

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