朝、十二の帰還欄のうち、一つだけ印が消えていた。
ドゥーエ。
昨夜、クオンが最後に帰還済みの印をつけた名前。
彼が休眠に入ったあと、夜明け前に次の任務へ出ていた。
現在地は空欄。
任務内容は非開示。
外部ゲートを通過した時刻だけが残り、帰還予定は記されていない。
クオンは表示を閉じなかった。
帰還予定が記されていないなら、いつ確認しても帰っていないという事実は変わらない。
それでも、何度か画面を更新した。
「四分で七回」
背後から声がした。
振り向かなくても、誰かは分かる。
「数えていたの?」
「管制を預かる者として、無意味な照会が繰り返されれば気づきます」
ウーノは端末の脇へ温い飲み物を置いた。
クオンは十三歳の姿へ戻っている。
正確には、戻ったのではない。
崩れかける輪郭を、十三歳の形へ整え続けている。
昨日、機動六課へ入るために使った力は、まだ回復していなかった。
「眠ってください」
「ドゥーエが帰ってきていない」
「任務中です」
「知ってる」
「では、帰還するまで待つつもりですか?」
「うん」
迷いのない返事に、ウーノはわずかに目を細めた。
「彼女の任務は、数日かかることもあります」
「数日なら、数日待つ」
「その間、あなたの身体が保ちません」
「でも、帰ってきたときに誰も見ていなかったら、分からない」
「帰還記録は残ります」
「記録じゃなくて、ボクが確認する」
昨夜と同じ答えだった。
任務が終わったかではない。
帰ってきたかを見る。
その違いを、クオン自身もうまく説明できない。
ただ、空欄になった名前を見ていると、胸の奥に冷たいものが生まれた。
どこにいるか分からない。
何をされているか分からない。
もう戻らないのかもしれない。
まだ何も起きていないのに、最後だけが先に見える。
「困りましたね」
ウーノは静かに言った。
「何が?」
「十二人にとってはまだ自称とはいえ、兄を倒れさせたまま帰れば、ドゥーエが気分を害するかもしれません」
「ドゥーエは、そんなことで怒らないよ」
「では、私が困ります」
クオンが顔を上げた。
「ウーノが?」
「ええ。あなたは十二人全員の帰還を確認するのでしょう。確認する側が先にいなくなっては、任務が成立しません」
「これは任務じゃない」
「なら、なおさらです。命令されていないことのために、あなたが自分を壊す理由はありません」
ウーノは端末を操作した。
ドゥーエの欄の横に、小さな通知記号が増える。
外部ゲートを通過したとき、クオンの端末にも信号が届く設定だった。
「これで、眠っていても分かります」
「起きてからじゃ遅いかもしれない」
「何に?」
クオンは答えられなかった。
帰ってきた者へ、何をするつもりなのか。
怪我を治すのか。
追手を倒すのか。
ただ、お帰りと言うのか。
どれも必要になるかもしれない。
どれも必要ないかもしれない。
「兄というものは、妹が扉を通る瞬間を見ていなければならないのですか?」
「分からない」
「では、何をするのです?」
「それも、まだ分からない」
クオンは正直に答えた。
「でも、いなくなったことに気づかないのは嫌だ」
ウーノはしばらく何も言わなかった。
やがて、端末の照明を一段だけ落とす。
「三時間」
「長い」
「二時間」
「一時間」
「交渉になっていません」
「二時間寝る。通知が来たら起こして」
「承知しました」
クオンは立ち上がった。
数歩進んでから、振り返る。
「ウーノ」
「はい」
「君がいなくなったときも、同じようにするよ」
「私は管制室から動きません」
「それでも」
ウーノの目が、ほんの少しだけ揺れた。
クオンは気づかず、休眠区画へ向かった。
ヴィヴィオからは、クオンお兄ちゃんと呼ばれた。
けれど、その呼び名を十二人へ押しつけるつもりはなかった。
呼ばれるのを待っているだけでもない。
ただ、十二人がいなくなる前に気づける者でいたかった。
◇
機動六課の訓練場では、朝の訓練が終わったところだった。
新しい形態へ調整されたデバイスにも、フォワードの四人は少しずつ慣れ始めている。
なのはは最後の射撃記録を確認し、今日の訓練終了を告げた。
スバルが大きく息を吐き、キャロがエリオのストラーダを褒める。ティアナは疲労を隠しながら、自分の射撃値をもう一度確かめていた。
いつもの朝だった。
事件の翌日でも、世界は訓練と報告と食事の時間で進んでいく。
「なのはさん」
食堂へ向かおうとしたなのはを、アイナが呼び止めた。
その隣に、小さな金髪の少女がいる。
ヴィヴィオは昨夜と同じぬいぐるみを抱き、なのはを見つけると表情を明るくした。
「おはよう、ヴィヴィオ。ちゃんと眠れた?」
「うん」
「怖い夢は?」
ヴィヴィオは少し考えてから、首を横へ振る。
「クオンお兄ちゃんが、おうちを決めていいって言ったから」
なのはの表情は変わらなかった。
けれど、隣にいたスバルには、呼吸が一度だけ浅くなったのが分かった。
昨夜から、何度も胸の中で久遠と重ねてしまう名前。
警備記録には残らず、見た者の記憶から顔がほどけていく少年。
ヴィヴィオを連れ去ることも、傷つけることもせず、帰る場所を選ばせた者。
はやては調査を続けると言った。
それ以上のことを、まだ何も話していない。
「そうだね」
なのははヴィヴィオの前へ膝をついた。
「それで、ヴィヴィオは決めたんだよね」
「なのはのところ」
「うん」
返事をすると、ヴィヴィオは安心したように笑った。
その笑顔を見て、なのははようやく理解した。
昨日、自分はこの子に選んでいいと言った。
けれど、選ばれた側の答えは、まだ返していない。
行き場が決まるまで預かる。
安全な家庭が見つかるまで守る。
それだけでは、この子にとって何も決まっていないのと同じなのだ。
「ヴィヴィオ」
「なあに?」
「朝ごはんを食べたあと、少しお話ししようか」
「おはなし?」
「うん。ヴィヴィオが帰りたいって言ってくれた場所を、本当に帰る場所にするためのお話」
ヴィヴィオには、まだ言葉の意味が全部は分からなかった。
それでも、なのはの差し出した手を迷わず握った。
◇
朝食を終えるころには、機動六課もいつもの慌ただしさを取り戻していた。
事件の報告書。
損耗した機材の申請。
次に起こるかもしれない襲撃への備え。
何も起きていない日にしか、できないことがある。
はやては本局へ向かう支度を整え、執務室へティアナを呼んだ。
「今日の予定、空けられる?」
「訓練後は資料整理だけです」
「ほんなら、私と一緒に本局へ来てくれへんかな」
ティアナは姿勢を正した。
「任務でしょうか」
「半分はな。クロノ君とカリム、それにヴェロッサとも会う。執務官を目指すなら、今のうちに本局の人間と話す経験もあったほうがええ」
フェイトの兄であり、艦船の指揮官でもあるクロノ・ハラオウン。
聖王教会の騎士カリム・グラシア。
査察官ヴェロッサ・アコース。
並べられた名前だけで、ただの付き添いではないと分かる。
「同行させてください」
「うん。お願いするわ」
はやては微笑み、机の上の資料を鞄へ入れた。
最後まで残ったのは、一冊の薄い報告書だった。
表紙に名前はない。
記されているのは、赤い帽子の騎士が見た九歳ほどの少年と、白黒を反転させた騎士甲冑。
そして、敵の少年が口にした言葉。
――ボク達はクオンだ。
別の報告には、ヴィヴィオが会った十三歳ほどの少年がいる。
お姉さんのように見えた、お兄さん。
少年は「たぶん、クオン」と名乗り、ヴィヴィオは彼をクオンお兄ちゃんと呼んだ。
同じ存在なのか。
違う存在なのか。
はやてには、分からない。
なのはとフェイトは、もう調べ始めている。
十年前の久遠と同じ音を持つ、顔を思い出せない少年として。
ここでこの報告を見せれば、二人ははやてが先にクオンの名を知っていたことにも気づく。
調べれば、久遠の最後へ近づく。
血に濡れた床。
持ち主だけが消えた鞄。
魔力痕跡が収束した夜天の書。
そして、どれだけ捜しても見つからなかった少年の身体。
あの光景を、なのはへ渡すことはできなかった。
フェイトにさえ、まだ話せない。
「部隊長?」
ティアナに呼ばれ、はやては顔を上げた。
「なんでもない。これは置いていく」
報告書を施錠保管庫へ戻す。
今日、話すのは地上本部の危機と六課の任務だけだ。
クオンの名は、もう扉の外へ出ている。
扉の内側へ残されたのは、はやてがその名を先に知っていたという事実だった。
◇
本局へ向かう輸送艇の中で、ティアナは何度も制服の襟を確かめた。
はやては隣で端末を眺めている。
いつもどおりに見える。
けれど、画面を切り替える指が、普段より少しだけ速い。
「緊張してる?」
先に聞いたのは、はやてだった。
「少しだけ」
「私もや」
「部隊長もですか?」
「そらするよ。偉い人に会うからやなくて、動かしたい人たちが動いてくれへん話をしに行くんやから」
地上本部が襲撃される可能性。
六課の前線メンバーには、すでに共有されている。
予言の詳細と六課設立の事情も、なのはとフェイトへは説明した。
だが、事情を話したからといって、使える戦力が増えるわけではない。
「地上本部は、警告を受け入れないんですね」
「予言を理由に部隊を動かせば、外れたときの責任がある。そもそも、教会の予言自体を信用してへん人も多い」
「本局から増援は?」
「海が陸へ口を出したって受け取られたら、それだけで揉める。正しいことを言えば、正しく動いてもらえるとは限らへんのよ」
ティアナは黙った。
魔法なら、狙いを定めて撃てばいい。
政治には、正しい照準そのものが存在しないように思えた。
会議室では、クロノとカリム、ヴェロッサが待っていた。
ティアナの紹介が終わると、机上へ地上本部周辺の立体図が展開される。
レジアス・ゲイズ中将の影響力。
地上本部と本局の距離。
査察という名目で六課へ向けられている圧力。
そして、対AMF戦力へ流れ込む予算と、通常では考えにくい決裁の速さ。
最後の資料は、前夜にオーダーからクロノへ届いたものだった。
クロノは情報源を伏せ、はやてもこの場では尋ねなかった。
どれも、敵の位置を示す情報ではない。
味方が動けない理由ばかりだった。
「表立った主力投入は難しい」
クロノが結論を告げる。
「少なくとも、襲撃の明確な証拠が出るまでは」
「その証拠が出たときには、始まってる可能性が高いんやけどな」
はやてが苦く笑う。
「せやから六課が最前線で見張る。地上本部が動くか、本局と教会が正式に介入できるようになるまで」
カリムは一人ずつ顔を見た。
「危険な役目をお願いすることになります」
「最初から、そのつもりです」
なのはとフェイトはこの場にいない。
それでも二人がどう答えるか、はやてには分かっていた。
ヴェロッサは会談が終わると、廊下でティアナを呼び止めた。
「少し聞いてもいいかな。君から見て、はやてはどんな人?」
予想していなかった問いだった。
「優秀な指揮官です。魔導師としても、私では測れないほど強くて」
「うん。それも、はやてだ」
ヴェロッサは窓の外へ目を向けた。
「ただ、強い力や大きな権限を持つと、それを持っているから必要とされているのか、自分だから必要とされているのか、分からなくなることがある」
ティアナは、黙って続きを待った。
「上司として支えるだけじゃなく、一人の人間として接してあげてほしい。はやてだけじゃない。君の隊長たちにもね」
「了解しました」
答えてから、ティアナは少しだけ考えた。
「でも、たぶん」
「うん?」
「あの人たちは、もうお互いを力だけでは見ていません」
ヴェロッサが笑った。
「それなら、僕の心配しすぎだ」
ティアナは、施錠保管庫へ一冊の報告書を戻したはやての顔を思い出した。
力とは関係のないところで、部隊長は何かを一人で抱えている。
けれど、何を抱えているのかまでは分からなかった。
◇
二時間眠るという約束を破ったクオンは、転送区画へは行かなかった。
まだ通知は来ていない。
代わりに、訓練区画へ向かった。
硬いものがぶつかる音が、扉の向こうから繰り返し響いている。
ノーヴェが一人で打撃訓練を続けていた。
拳を打ち込み、蹴りを振り抜き、床を蹴って距離を取る。
動きは鋭い。
だが、右足を踏み込むたび、ほんのわずかに重心が逃げる。
「右脚、痛いの?」
ノーヴェの蹴りが止まった。
「勝手に見てんじゃねえ」
「音が違った」
「調整したばっかで馴染んでねえだけだ」
クオンは近づき、壁際の長椅子へ小さな整備箱を置いた。
「ウーノから借りた」
「頼んでねえぞ」
「うん」
「じゃあ持って帰れ」
「嫌なら持って帰る。でも、壊れてから直すより、今見てもらったほうが早いよ」
「誰に?」
「ボクに」
ノーヴェは露骨に顔をしかめた。
「お前、自分の身体もまともに保ててねえだろ」
「だから、壊れかけは分かる」
「自慢すんな」
言いながらも、ノーヴェは長椅子へ腰を下ろした。
クオンは彼女の右脚へ触れない。
触れていいとは、まだ言われていない。
「どこから?」
「膝の下。強く踏むと引っかかる」
「見てもいい?」
「見るだけだぞ」
許可を得てから、クオンは膝をついた。
外装に傷はない。
内部の魔力伝導が、ほんの少しだけ遅れている。
「昨日の負荷が残ってる」
「これくらいで休めるかよ」
「休めとは言ってない。左を多く使うか、調整してから続ければいい」
クオンは整備箱を開き、必要な器具を並べた。
ノーヴェが横目で見る。
「兄ってのは、妹の動きまで見張るもんなのか?」
「分からない」
「またそれかよ」
「でも、嫌だって言われたらやめる。困っているなら手伝う。帰ってこなかったら捜す」
「それで兄になれると思ってんのか?」
「分からない」
クオンは同じ答えを返した。
「ボクが兄じゃなくても、君の脚が痛いことは変わらないよ」
ノーヴェは何も言わなかった。
やがて右脚を少しだけ前へ出す。
「見るだけじゃなくて、直せ」
「うん」
「あと、兄とは認めてねえからな」
「これから認めてもらう」
「その自信はどっから来るんだよ」
クオンには、それも分からなかった。
ただ、整備を終えるまで、ノーヴェが脚を引っ込めることはなかった。
◇
なのはは午後の事務作業を、ほとんど同じ一行を見つめたまま過ごした。
保護責任者申請。
その欄へ自分の名前を入力すれば、少なくとも当面、ヴィヴィオは六課で暮らせる。
安全な引き取り先が見つかるまで。
本当の家族が見つかるまで。
期限を置けば、簡単な決断に見えた。
けれど、ヴィヴィオにとっては違う。
昨日まで何もなかった場所を、今日から帰る場所と呼ぶことになる。
「なのはさん」
隣の机から、スバルが遠慮がちに声をかけた。
「同じ画面、ずっと開いてますよ」
「うん。見てた」
「迷ってるんですか?」
「責任を取れるのかなって」
なのはは正直に答えた。
「任務があれば、私は出る。危険な場所へ行くこともある。ずっと一緒にはいられない」
「それ、普通の家族だって同じじゃないですか」
スバルの返事は早かった。
「ずっと隣にいることと、帰る場所でいることは、たぶん別です」
なのはは、朝のヴィヴィオを思い出した。
なのはのところ。
あの子は、建物を選んだのではない。
いつでも傍にいると約束した人を選んだのでもない。
離れても戻ってくると信じたい相手を選んだ。
「そっか」
なのはは自分の名前を入力した。
高町なのは。
保護責任者。
申請を送信すると、もう一つの記入欄が残る。
後見人。
そこだけは空欄のまま、なのはは立ち上がった。
「ヴィヴィオに話してくる」
「私も行っていいですか?」
「もちろん」
ヴィヴィオは談話室で絵を描いていた。
白い紙の中央に、小さな家。
その前に、桃色の髪の人と、金色の髪の人。
少し離れたところには、白い服を着た人物がいる。
髪は長くも短くも見えた。
なのはは最後の一人について聞かなかった。
「ヴィヴィオ。朝のお話、してもいい?」
「うん」
なのはは向かいへ座った。
「ヴィヴィオは、私のところへ帰りたいって言ってくれたよね」
ヴィヴィオが頷く。
「私も、ヴィヴィオに帰ってきてほしい」
小さな目が、大きく開いた。
「本当のお母さんやお父さんが見つかるまで、私がヴィヴィオを預かる人になる。ごはんを食べて、眠って、寂しいときは話をして。お仕事で離れても、ちゃんとヴィヴィオのところへ帰ってくる」
言葉を選んでも、ヴィヴィオには難しかったらしい。
眉を寄せて、なのはとスバルを交互に見る。
スバルがしゃがみ込んだ。
「つまりね。しばらく、なのはさんがヴィヴィオのお母さん代わりになるってこと」
なのはは少し驚いた。
けれど、訂正しなかった。
「おかあさん?」
「うん。本当のお母さんが見つかるまで、代わりでよければ」
ヴィヴィオは、なのはを見つめた。
やがて、唇が小さく動く。
「ママ」
「はい」
答えた途端、ヴィヴィオの顔が崩れた。
大きな声で泣きながら、なのはの胸へ飛び込む。
なのはは慌てて抱き止めた。
「どうしたの? 嫌だった?」
ヴィヴィオは何度も首を横へ振る。
泣いていて、言葉にはならない。
それでも両腕は、なのはの服を離さなかった。
悲しくて泣いているのではない。
帰る場所ができたことを、涙でしか確かめられないのだ。
なのはは細い背中を撫でた。
「大丈夫。ここにいるよ」
今度は、選ばれた側から答えた。
◇
そのころ、陸士部隊の捜査室では、過去と現在が同じ画面に並べられていた。
ギンガ・ナカジマは、機動六課から送られた戦闘記録を一つずつ確認していた。
人間の動きに似ている。
だが、筋肉や関節だけでは説明できない加速がある。
傷ついたあとも動作精度が落ちない。
魔力反応とは別に、体内で稼働する動力炉の痕跡がある。
「この術式、前の記録と同じです」
マリエル・アテンザが古い事件資料を呼び出した。
十年以上前。
違法研究施設。
人間の身体を機械的に改造し、戦闘能力を与える技術。
ゲンヤは腕を組んだまま、何も言わない。
ギンガは画面の中の女たちを見た。
番号で呼ばれていた。
だが、互いを庇い、合図を交わし、怒りも焦りも見せている。
「戦闘機人」
その言葉を口にすると、胸の奥に古い痛みが戻ってきた。
母を奪った事件。
終わったと思いたかった事件。
スバルには、まだ全てを話していない。
「六課へ行きます」
ギンガが言った。
「現場の資料を、もっと近くで確認したい。それに、スバルが見たものも直接聞きたいです」
ゲンヤは娘を見た。
捜査官としての申し出であり、母を失った娘としての願いでもある。
「出向の手続きは進めてある」
「父さん」
「止めても行くだろ」
ギンガは答えなかった。
否定しないことが答えだった。
「だったら、捜査官として行け。昔の仇を捜しに行くんじゃねえ」
「分かっています」
返事はまっすぐだった。
けれど画面の中に並ぶ番号から、目を離すことはできなかった。
母を殺したものと、同じ技術。
あの事件は、まだ終わっていない。
◇
同じころ、スカリエッティの施設では、十二の番号が一つの画面に並んでいた。
起動状態。
調整状況。
固有装備。
次の作戦で与えられる役割。
そこに帰還欄はない。
「ようやく揃った」
スカリエッティは満足そうに言った。
「私のナンバーズが、これで全機完成だ」
その言葉を、部屋の入口でクオンが聞いていた。
眠るよう言われたはずの少年は、二時間を待たずに戻ってきている。
「全機じゃない」
クオンが言った。
スカリエッティが振り返る。
「おや。何か間違っていたかい?」
「十二人だよ」
画面には、一から十二までの番号がある。
番号の横には、性能を示す数値が並ぶ。
「機械として作られ、戦うために調整された。そういう意味では、全機で間違っていない」
「でも、帰ってくるのは一人ずつだ」
クオンは画面を見た。
ドゥーエの番号も、他と同じ色で表示されている。
どこにいるのかは書かれていない。
「面白い区別をするね」
「区別じゃない」
「では、何だい?」
「名前を呼んでるだけ」
スカリエッティは笑った。
クオンは笑わなかった。
画面に並ぶ十二の番号を、一つずつ目で追う。
二番で、視線が止まった。
ドゥーエ。
端末が震えた。
外部ゲート通過。
識別番号Ⅱ。
クオンは表示を最後まで読む前に走り出した。
背後でスカリエッティが何かを言ったが、聞かなかった。
廊下を曲がり、転送区画へ向かう。
十三歳に保っていた身体が、一歩ごとに軋む。
それでも止まらない。
扉が開く。
長い髪の女が、何事もなかったように歩いてくる。
白い衣服にも、顔にも、目立った傷はない。
クオンはその場で足を止めた。
「ドゥーエ」
「ただいま戻りました」
「怪我は?」
「ありません」
「追ってくる人は?」
「いません」
「次に出るのは?」
「それを聞くために、休眠を抜け出したの?」
「帰ってきたことを確認するため」
ドゥーエはクオンの後ろへ目を向けた。
廊下の角から、ウーノが静かに歩いてくる。
怒ってはいない。
怒る必要がないほど、逃げ道を塞ぐ顔だった。
「どうやら、自称お兄ちゃんは約束を守れないようですね」
「自称じゃない」
「ヴィヴィオは、そう呼んでくれた」
「では、あの子にとってはね。私たちにとっては、まだです」
ドゥーエはクオンへ手を差し出した。
昨日と同じ手だった。
「帰還確認は済んだのでしょう?」
「うん」
「では、今度はあなたが帰る番です」
「どこに?」
「寝台へ」
クオンは差し出された手を見た。
帰ってきた者に手を引かれ、戻る場所を教えられる。
少し変な気がした。
けれど、その手を取った。
十二人にそう呼ばれる前から兄であろうとする少年は、まだ知らない。
帰りを待つ者もまた、誰かに帰る場所を作られていることを。
そして同じ日、帰る場所として選ばれたなのはも、その答えを返そうとしていた。
◇
フェイトが機動六課へ戻ったのは、日が傾き始めたころだった。
現場調査の報告を終え、執務室へ戻る途中で、小さな足音が廊下を駆けてくる。
「フェイト!」
ヴィヴィオだった。
その後ろから、なのはが少し困った顔で追ってくる。
「廊下は走っちゃ駄目だよ、ヴィヴィオ」
「ごめんなさい」
素直に止まり、それでもフェイトのところまでは歩いてくる。
フェイトは膝をついた。
「ただいま、ヴィヴィオ」
「おかえり」
その一言が、思ったより深く胸へ届いた。
今日の調査では、何も見つからなかった。
ヴィヴィオの出生記録も、家族へ繋がる情報もない。
プロジェクトFとの類似を疑わせる結果だけが増えている。
作られた命。
誰かの代わりとして生まれたかもしれない子供。
それでも今、目の前にいるヴィヴィオは誰の代わりでもない。
「フェイトちゃん。話があるの」
なのはが言った。
執務室で保護責任者申請を見せると、フェイトは最後の空欄を見つめた。
「なのはが、ヴィヴィオの保護責任者に」
「うん。勝手に決めてごめん」
「謝ることじゃないよ」
フェイトは即座に答えた。
ただ、続く言葉を少しだけ考える。
「でも、なのは一人で全部背負うのは駄目」
「フェイトちゃん?」
「後見人の欄、空いてるよね」
フェイトは端末を受け取った。
自分の名前を入力する。
フェイト・T・ハラオウン。
ヴィヴィオの保護責任者を補佐し、二人を見守る者。
「これで、なのはとヴィヴィオのことを私も一緒に守れる」
なのはは、少しだけ目を潤ませて笑った。
「ありがとう、フェイトちゃん」
ヴィヴィオは二人の間で話を聞いていた。
難しい言葉は、やはり分からない。
「フェイトも、ママ?」
フェイトが瞬きをした。
なのはと顔を見合わせる。
先に笑ったのは、なのはだった。
「フェイトちゃんも、ヴィヴィオのことを一緒に見てくれるんだよ」
「じゃあ、なのはママと、フェイトママ?」
フェイトの表情がほどけた。
「そうだよ」
「二人とも、ママ?」
「うん」
なのはとフェイトは、ほとんど同時に答えた。
ヴィヴィオが笑う。
今度は泣かなかった。
二人の手を一本ずつ握り、真ん中を歩き始める。
エリオとキャロはその光景を見送り、少し離れたところで顔を見合わせた。
「すごいね」
キャロが小声で言う。
「何が?」
「なのはさんとフェイトさんが二人ともママなら、ヴィヴィオ、絶対に守ってもらえる」
エリオは頷いた。
フェイトに救われた自分には、それがどれほど心強いことか分かる。
スバルが二人の背後から笑った。
「エリオとキャロだって似たようなものでしょ。フェイト隊長に守られて、なのはさんに教えてもらってるんだから」
「そう言われると、そうですけど」
エリオは少し照れた。
◇
スカリエッティの施設では、クオンがようやく眠っていた。
休眠区画の寝台へ横たわり、十三歳の姿のまま目を閉じている。
呼吸は浅い。
けれど、輪郭の揺らぎは少しずつ収まっていた。
ドゥーエは寝台の脇に立ち、先ほどまで握っていた手を見た。
帰ってきた自分より、待っていた少年のほうが先に倒れかけていた。
「本末転倒ですね」
ウーノが端末を持って入ってくる。
「ええ。帰還を確認する者が、帰還した者に運ばれていてはね」
「通知設定は正常でした。休眠を抜けたのは本人の意思です」
「知っているわ」
ドゥーエは端末を受け取った。
十二人の名前。
十一人には、帰還を示す印がついている。
自分の欄だけが空いていた。
クオンは帰還を目で確認した。
だが、記録を更新する前に力を失った。
「これは管制記録ではありません」
ウーノが言う。
「分かっています。任務が終わったかではなく、帰ってきたかを見るのでしょう」
昨夜、クオンが口にした区別。
ドゥーエは自分の欄へ触れた。
識別番号Ⅱ。
ドゥーエ。
帰還。
十二人全員に印が並ぶ。
「本人以外がつけてもよろしいのですか?」
「目を覚ましたら、もう一度確認するでしょう」
端末を寝台の脇へ置く。
クオンの指が、眠ったままわずかに動いた。
「……おかえり」
意識のない声だった。
ドゥーエは返事をしなかった。
代わりに、少年の肩まで毛布を掛け直す。
「兄と認めますか?」
ウーノが尋ねた。
「まだ」
ドゥーエは答えた。
「帰ってきた者を数えるだけでは、兄とは呼べないわ」
「では、何をすれば?」
ドゥーエは眠る少年を見た。
自分でも、答えを持っていなかった。
「それを、これから見せてもらうの」
機動六課では、小さな少女が二人の母を呼んでいる。
同じ少女は、ここにいない少年をクオンお兄ちゃんと呼んだ。
けれど、この場所で帰りを数えられている十二人は、まだ誰も彼を兄とは呼ばない。
一人から受け取った呼び名は、十二人からの答えではなかった。
それでも、クオンが眠る横で、ドゥーエは彼の帰還表を完成させた。
寝台の横では、十二人全員の帰還を示す光が、静かに並んでいた。
投稿順の確認漏れで、本話の掲載が遅くなりました。
時系列では「決めるのは、その子」の続きで、「姉妹の数え方」の前に入る話です。
すでに先を読んでくださった方には、順番が前後してしまい申し訳ありません。