魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第二十七話 呼ばれる前に

 朝、十二の帰還欄のうち、一つだけ印が消えていた。

 

 ドゥーエ。

 

 昨夜、クオンが最後に帰還済みの印をつけた名前。

 

 彼が休眠に入ったあと、夜明け前に次の任務へ出ていた。

 

 現在地は空欄。

 

 任務内容は非開示。

 

 外部ゲートを通過した時刻だけが残り、帰還予定は記されていない。

 

 クオンは表示を閉じなかった。

 

 帰還予定が記されていないなら、いつ確認しても帰っていないという事実は変わらない。

 

 それでも、何度か画面を更新した。

 

「四分で七回」

 

 背後から声がした。

 

 振り向かなくても、誰かは分かる。

 

「数えていたの?」

 

「管制を預かる者として、無意味な照会が繰り返されれば気づきます」

 

 ウーノは端末の脇へ温い飲み物を置いた。

 

 クオンは十三歳の姿へ戻っている。

 

 正確には、戻ったのではない。

 

 崩れかける輪郭を、十三歳の形へ整え続けている。

 

 昨日、機動六課へ入るために使った力は、まだ回復していなかった。

 

「眠ってください」

 

「ドゥーエが帰ってきていない」

 

「任務中です」

 

「知ってる」

 

「では、帰還するまで待つつもりですか?」

 

「うん」

 

 迷いのない返事に、ウーノはわずかに目を細めた。

 

「彼女の任務は、数日かかることもあります」

 

「数日なら、数日待つ」

 

「その間、あなたの身体が保ちません」

 

「でも、帰ってきたときに誰も見ていなかったら、分からない」

 

「帰還記録は残ります」

 

「記録じゃなくて、ボクが確認する」

 

 昨夜と同じ答えだった。

 

 任務が終わったかではない。

 

 帰ってきたかを見る。

 

 その違いを、クオン自身もうまく説明できない。

 

 ただ、空欄になった名前を見ていると、胸の奥に冷たいものが生まれた。

 

 どこにいるか分からない。

 

 何をされているか分からない。

 

 もう戻らないのかもしれない。

 

 まだ何も起きていないのに、最後だけが先に見える。

 

「困りましたね」

 

 ウーノは静かに言った。

 

「何が?」

 

「十二人にとってはまだ自称とはいえ、兄を倒れさせたまま帰れば、ドゥーエが気分を害するかもしれません」

 

「ドゥーエは、そんなことで怒らないよ」

 

「では、私が困ります」

 

 クオンが顔を上げた。

 

「ウーノが?」

 

「ええ。あなたは十二人全員の帰還を確認するのでしょう。確認する側が先にいなくなっては、任務が成立しません」

 

「これは任務じゃない」

 

「なら、なおさらです。命令されていないことのために、あなたが自分を壊す理由はありません」

 

 ウーノは端末を操作した。

 

 ドゥーエの欄の横に、小さな通知記号が増える。

 

 外部ゲートを通過したとき、クオンの端末にも信号が届く設定だった。

 

「これで、眠っていても分かります」

 

「起きてからじゃ遅いかもしれない」

 

「何に?」

 

 クオンは答えられなかった。

 

 帰ってきた者へ、何をするつもりなのか。

 

 怪我を治すのか。

 

 追手を倒すのか。

 

 ただ、お帰りと言うのか。

 

 どれも必要になるかもしれない。

 

 どれも必要ないかもしれない。

 

「兄というものは、妹が扉を通る瞬間を見ていなければならないのですか?」

 

「分からない」

 

「では、何をするのです?」

 

「それも、まだ分からない」

 

 クオンは正直に答えた。

 

「でも、いなくなったことに気づかないのは嫌だ」

 

 ウーノはしばらく何も言わなかった。

 

 やがて、端末の照明を一段だけ落とす。

 

「三時間」

 

「長い」

 

「二時間」

 

「一時間」

 

「交渉になっていません」

 

「二時間寝る。通知が来たら起こして」

 

「承知しました」

 

 クオンは立ち上がった。

 

 数歩進んでから、振り返る。

 

「ウーノ」

 

「はい」

 

「君がいなくなったときも、同じようにするよ」

 

「私は管制室から動きません」

 

「それでも」

 

 ウーノの目が、ほんの少しだけ揺れた。

 

 クオンは気づかず、休眠区画へ向かった。

 

 ヴィヴィオからは、クオンお兄ちゃんと呼ばれた。

 

 けれど、その呼び名を十二人へ押しつけるつもりはなかった。

 

 呼ばれるのを待っているだけでもない。

 

 ただ、十二人がいなくなる前に気づける者でいたかった。

 

     ◇

 

 機動六課の訓練場では、朝の訓練が終わったところだった。

 

 新しい形態へ調整されたデバイスにも、フォワードの四人は少しずつ慣れ始めている。

 

 なのはは最後の射撃記録を確認し、今日の訓練終了を告げた。

 

 スバルが大きく息を吐き、キャロがエリオのストラーダを褒める。ティアナは疲労を隠しながら、自分の射撃値をもう一度確かめていた。

 

 いつもの朝だった。

 

 事件の翌日でも、世界は訓練と報告と食事の時間で進んでいく。

 

「なのはさん」

 

 食堂へ向かおうとしたなのはを、アイナが呼び止めた。

 

 その隣に、小さな金髪の少女がいる。

 

 ヴィヴィオは昨夜と同じぬいぐるみを抱き、なのはを見つけると表情を明るくした。

 

「おはよう、ヴィヴィオ。ちゃんと眠れた?」

 

「うん」

 

「怖い夢は?」

 

 ヴィヴィオは少し考えてから、首を横へ振る。

 

「クオンお兄ちゃんが、おうちを決めていいって言ったから」

 

 なのはの表情は変わらなかった。

 

 けれど、隣にいたスバルには、呼吸が一度だけ浅くなったのが分かった。

 

 昨夜から、何度も胸の中で久遠と重ねてしまう名前。

 

 警備記録には残らず、見た者の記憶から顔がほどけていく少年。

 

 ヴィヴィオを連れ去ることも、傷つけることもせず、帰る場所を選ばせた者。

 

 はやては調査を続けると言った。

 

 それ以上のことを、まだ何も話していない。

 

「そうだね」

 

 なのははヴィヴィオの前へ膝をついた。

 

「それで、ヴィヴィオは決めたんだよね」

 

「なのはのところ」

 

「うん」

 

 返事をすると、ヴィヴィオは安心したように笑った。

 

 その笑顔を見て、なのははようやく理解した。

 

 昨日、自分はこの子に選んでいいと言った。

 

 けれど、選ばれた側の答えは、まだ返していない。

 

 行き場が決まるまで預かる。

 

 安全な家庭が見つかるまで守る。

 

 それだけでは、この子にとって何も決まっていないのと同じなのだ。

 

「ヴィヴィオ」

 

「なあに?」

 

「朝ごはんを食べたあと、少しお話ししようか」

 

「おはなし?」

 

「うん。ヴィヴィオが帰りたいって言ってくれた場所を、本当に帰る場所にするためのお話」

 

 ヴィヴィオには、まだ言葉の意味が全部は分からなかった。

 

 それでも、なのはの差し出した手を迷わず握った。

 

     ◇

 

 朝食を終えるころには、機動六課もいつもの慌ただしさを取り戻していた。

 

 事件の報告書。

 

 損耗した機材の申請。

 

 次に起こるかもしれない襲撃への備え。

 

 何も起きていない日にしか、できないことがある。

 

 はやては本局へ向かう支度を整え、執務室へティアナを呼んだ。

 

「今日の予定、空けられる?」

 

「訓練後は資料整理だけです」

 

「ほんなら、私と一緒に本局へ来てくれへんかな」

 

 ティアナは姿勢を正した。

 

「任務でしょうか」

 

「半分はな。クロノ君とカリム、それにヴェロッサとも会う。執務官を目指すなら、今のうちに本局の人間と話す経験もあったほうがええ」

 

 フェイトの兄であり、艦船の指揮官でもあるクロノ・ハラオウン。

 

 聖王教会の騎士カリム・グラシア。

 

 査察官ヴェロッサ・アコース。

 

 並べられた名前だけで、ただの付き添いではないと分かる。

 

「同行させてください」

 

「うん。お願いするわ」

 

 はやては微笑み、机の上の資料を鞄へ入れた。

 

 最後まで残ったのは、一冊の薄い報告書だった。

 

 表紙に名前はない。

 

 記されているのは、赤い帽子の騎士が見た九歳ほどの少年と、白黒を反転させた騎士甲冑。

 

 そして、敵の少年が口にした言葉。

 

 ――ボク達はクオンだ。

 

 別の報告には、ヴィヴィオが会った十三歳ほどの少年がいる。

 

 お姉さんのように見えた、お兄さん。

 

 少年は「たぶん、クオン」と名乗り、ヴィヴィオは彼をクオンお兄ちゃんと呼んだ。

 

 同じ存在なのか。

 

 違う存在なのか。

 

 はやてには、分からない。

 

 なのはとフェイトは、もう調べ始めている。

 

 十年前の久遠と同じ音を持つ、顔を思い出せない少年として。

 

 ここでこの報告を見せれば、二人ははやてが先にクオンの名を知っていたことにも気づく。

 

 調べれば、久遠の最後へ近づく。

 

 血に濡れた床。

 

 持ち主だけが消えた鞄。

 

 魔力痕跡が収束した夜天の書。

 

 そして、どれだけ捜しても見つからなかった少年の身体。

 

 あの光景を、なのはへ渡すことはできなかった。

 

 フェイトにさえ、まだ話せない。

 

「部隊長?」

 

 ティアナに呼ばれ、はやては顔を上げた。

 

「なんでもない。これは置いていく」

 

 報告書を施錠保管庫へ戻す。

 

 今日、話すのは地上本部の危機と六課の任務だけだ。

 

 クオンの名は、もう扉の外へ出ている。

 

 扉の内側へ残されたのは、はやてがその名を先に知っていたという事実だった。

 

     ◇

 

 本局へ向かう輸送艇の中で、ティアナは何度も制服の襟を確かめた。

 

 はやては隣で端末を眺めている。

 

 いつもどおりに見える。

 

 けれど、画面を切り替える指が、普段より少しだけ速い。

 

「緊張してる?」

 

 先に聞いたのは、はやてだった。

 

「少しだけ」

 

「私もや」

 

「部隊長もですか?」

 

「そらするよ。偉い人に会うからやなくて、動かしたい人たちが動いてくれへん話をしに行くんやから」

 

 地上本部が襲撃される可能性。

 

 六課の前線メンバーには、すでに共有されている。

 

 予言の詳細と六課設立の事情も、なのはとフェイトへは説明した。

 

 だが、事情を話したからといって、使える戦力が増えるわけではない。

 

「地上本部は、警告を受け入れないんですね」

 

「予言を理由に部隊を動かせば、外れたときの責任がある。そもそも、教会の予言自体を信用してへん人も多い」

 

「本局から増援は?」

 

「海が陸へ口を出したって受け取られたら、それだけで揉める。正しいことを言えば、正しく動いてもらえるとは限らへんのよ」

 

 ティアナは黙った。

 

 魔法なら、狙いを定めて撃てばいい。

 

 政治には、正しい照準そのものが存在しないように思えた。

 

 会議室では、クロノとカリム、ヴェロッサが待っていた。

 

 ティアナの紹介が終わると、机上へ地上本部周辺の立体図が展開される。

 

 レジアス・ゲイズ中将の影響力。

 

 地上本部と本局の距離。

 

 査察という名目で六課へ向けられている圧力。

 

 そして、対AMF戦力へ流れ込む予算と、通常では考えにくい決裁の速さ。

 

 最後の資料は、前夜にオーダーからクロノへ届いたものだった。

 

 クロノは情報源を伏せ、はやてもこの場では尋ねなかった。

 

 どれも、敵の位置を示す情報ではない。

 

 味方が動けない理由ばかりだった。

 

「表立った主力投入は難しい」

 

 クロノが結論を告げる。

 

「少なくとも、襲撃の明確な証拠が出るまでは」

 

「その証拠が出たときには、始まってる可能性が高いんやけどな」

 

 はやてが苦く笑う。

 

「せやから六課が最前線で見張る。地上本部が動くか、本局と教会が正式に介入できるようになるまで」

 

 カリムは一人ずつ顔を見た。

 

「危険な役目をお願いすることになります」

 

「最初から、そのつもりです」

 

 なのはとフェイトはこの場にいない。

 

 それでも二人がどう答えるか、はやてには分かっていた。

 

 ヴェロッサは会談が終わると、廊下でティアナを呼び止めた。

 

「少し聞いてもいいかな。君から見て、はやてはどんな人?」

 

 予想していなかった問いだった。

 

「優秀な指揮官です。魔導師としても、私では測れないほど強くて」

 

「うん。それも、はやてだ」

 

 ヴェロッサは窓の外へ目を向けた。

 

「ただ、強い力や大きな権限を持つと、それを持っているから必要とされているのか、自分だから必要とされているのか、分からなくなることがある」

 

 ティアナは、黙って続きを待った。

 

「上司として支えるだけじゃなく、一人の人間として接してあげてほしい。はやてだけじゃない。君の隊長たちにもね」

 

「了解しました」

 

 答えてから、ティアナは少しだけ考えた。

 

「でも、たぶん」

 

「うん?」

 

「あの人たちは、もうお互いを力だけでは見ていません」

 

 ヴェロッサが笑った。

 

「それなら、僕の心配しすぎだ」

 

 ティアナは、施錠保管庫へ一冊の報告書を戻したはやての顔を思い出した。

 

 力とは関係のないところで、部隊長は何かを一人で抱えている。

 

 けれど、何を抱えているのかまでは分からなかった。

 

     ◇

 

 二時間眠るという約束を破ったクオンは、転送区画へは行かなかった。

 

 まだ通知は来ていない。

 

 代わりに、訓練区画へ向かった。

 

 硬いものがぶつかる音が、扉の向こうから繰り返し響いている。

 

 ノーヴェが一人で打撃訓練を続けていた。

 

 拳を打ち込み、蹴りを振り抜き、床を蹴って距離を取る。

 

 動きは鋭い。

 

 だが、右足を踏み込むたび、ほんのわずかに重心が逃げる。

 

「右脚、痛いの?」

 

 ノーヴェの蹴りが止まった。

 

「勝手に見てんじゃねえ」

 

「音が違った」

 

「調整したばっかで馴染んでねえだけだ」

 

 クオンは近づき、壁際の長椅子へ小さな整備箱を置いた。

 

「ウーノから借りた」

 

「頼んでねえぞ」

 

「うん」

 

「じゃあ持って帰れ」

 

「嫌なら持って帰る。でも、壊れてから直すより、今見てもらったほうが早いよ」

 

「誰に?」

 

「ボクに」

 

 ノーヴェは露骨に顔をしかめた。

 

「お前、自分の身体もまともに保ててねえだろ」

 

「だから、壊れかけは分かる」

 

「自慢すんな」

 

 言いながらも、ノーヴェは長椅子へ腰を下ろした。

 

 クオンは彼女の右脚へ触れない。

 

 触れていいとは、まだ言われていない。

 

「どこから?」

 

「膝の下。強く踏むと引っかかる」

 

「見てもいい?」

 

「見るだけだぞ」

 

 許可を得てから、クオンは膝をついた。

 

 外装に傷はない。

 

 内部の魔力伝導が、ほんの少しだけ遅れている。

 

「昨日の負荷が残ってる」

 

「これくらいで休めるかよ」

 

「休めとは言ってない。左を多く使うか、調整してから続ければいい」

 

 クオンは整備箱を開き、必要な器具を並べた。

 

 ノーヴェが横目で見る。

 

「兄ってのは、妹の動きまで見張るもんなのか?」

 

「分からない」

 

「またそれかよ」

 

「でも、嫌だって言われたらやめる。困っているなら手伝う。帰ってこなかったら捜す」

 

「それで兄になれると思ってんのか?」

 

「分からない」

 

 クオンは同じ答えを返した。

 

「ボクが兄じゃなくても、君の脚が痛いことは変わらないよ」

 

 ノーヴェは何も言わなかった。

 

 やがて右脚を少しだけ前へ出す。

 

「見るだけじゃなくて、直せ」

 

「うん」

 

「あと、兄とは認めてねえからな」

 

「これから認めてもらう」

 

「その自信はどっから来るんだよ」

 

 クオンには、それも分からなかった。

 

 ただ、整備を終えるまで、ノーヴェが脚を引っ込めることはなかった。

 

     ◇

 

 なのはは午後の事務作業を、ほとんど同じ一行を見つめたまま過ごした。

 

 保護責任者申請。

 

 その欄へ自分の名前を入力すれば、少なくとも当面、ヴィヴィオは六課で暮らせる。

 

 安全な引き取り先が見つかるまで。

 

 本当の家族が見つかるまで。

 

 期限を置けば、簡単な決断に見えた。

 

 けれど、ヴィヴィオにとっては違う。

 

 昨日まで何もなかった場所を、今日から帰る場所と呼ぶことになる。

 

「なのはさん」

 

 隣の机から、スバルが遠慮がちに声をかけた。

 

「同じ画面、ずっと開いてますよ」

 

「うん。見てた」

 

「迷ってるんですか?」

 

「責任を取れるのかなって」

 

 なのはは正直に答えた。

 

「任務があれば、私は出る。危険な場所へ行くこともある。ずっと一緒にはいられない」

 

「それ、普通の家族だって同じじゃないですか」

 

 スバルの返事は早かった。

 

「ずっと隣にいることと、帰る場所でいることは、たぶん別です」

 

 なのはは、朝のヴィヴィオを思い出した。

 

 なのはのところ。

 

 あの子は、建物を選んだのではない。

 

 いつでも傍にいると約束した人を選んだのでもない。

 

 離れても戻ってくると信じたい相手を選んだ。

 

「そっか」

 

 なのはは自分の名前を入力した。

 

 高町なのは。

 

 保護責任者。

 

 申請を送信すると、もう一つの記入欄が残る。

 

 後見人。

 

 そこだけは空欄のまま、なのはは立ち上がった。

 

「ヴィヴィオに話してくる」

 

「私も行っていいですか?」

 

「もちろん」

 

 ヴィヴィオは談話室で絵を描いていた。

 

 白い紙の中央に、小さな家。

 

 その前に、桃色の髪の人と、金色の髪の人。

 

 少し離れたところには、白い服を着た人物がいる。

 

 髪は長くも短くも見えた。

 

 なのはは最後の一人について聞かなかった。

 

「ヴィヴィオ。朝のお話、してもいい?」

 

「うん」

 

 なのはは向かいへ座った。

 

「ヴィヴィオは、私のところへ帰りたいって言ってくれたよね」

 

 ヴィヴィオが頷く。

 

「私も、ヴィヴィオに帰ってきてほしい」

 

 小さな目が、大きく開いた。

 

「本当のお母さんやお父さんが見つかるまで、私がヴィヴィオを預かる人になる。ごはんを食べて、眠って、寂しいときは話をして。お仕事で離れても、ちゃんとヴィヴィオのところへ帰ってくる」

 

 言葉を選んでも、ヴィヴィオには難しかったらしい。

 

 眉を寄せて、なのはとスバルを交互に見る。

 

 スバルがしゃがみ込んだ。

 

「つまりね。しばらく、なのはさんがヴィヴィオのお母さん代わりになるってこと」

 

 なのはは少し驚いた。

 

 けれど、訂正しなかった。

 

「おかあさん?」

 

「うん。本当のお母さんが見つかるまで、代わりでよければ」

 

 ヴィヴィオは、なのはを見つめた。

 

 やがて、唇が小さく動く。

 

「ママ」

 

「はい」

 

 答えた途端、ヴィヴィオの顔が崩れた。

 

 大きな声で泣きながら、なのはの胸へ飛び込む。

 

 なのはは慌てて抱き止めた。

 

「どうしたの? 嫌だった?」

 

 ヴィヴィオは何度も首を横へ振る。

 

 泣いていて、言葉にはならない。

 

 それでも両腕は、なのはの服を離さなかった。

 

 悲しくて泣いているのではない。

 

 帰る場所ができたことを、涙でしか確かめられないのだ。

 

 なのはは細い背中を撫でた。

 

「大丈夫。ここにいるよ」

 

 今度は、選ばれた側から答えた。

 

     ◇

 

 そのころ、陸士部隊の捜査室では、過去と現在が同じ画面に並べられていた。

 

 ギンガ・ナカジマは、機動六課から送られた戦闘記録を一つずつ確認していた。

 

 人間の動きに似ている。

 

 だが、筋肉や関節だけでは説明できない加速がある。

 

 傷ついたあとも動作精度が落ちない。

 

 魔力反応とは別に、体内で稼働する動力炉の痕跡がある。

 

「この術式、前の記録と同じです」

 

 マリエル・アテンザが古い事件資料を呼び出した。

 

 十年以上前。

 

 違法研究施設。

 

 人間の身体を機械的に改造し、戦闘能力を与える技術。

 

 ゲンヤは腕を組んだまま、何も言わない。

 

 ギンガは画面の中の女たちを見た。

 

 番号で呼ばれていた。

 

 だが、互いを庇い、合図を交わし、怒りも焦りも見せている。

 

「戦闘機人」

 

 その言葉を口にすると、胸の奥に古い痛みが戻ってきた。

 

 母を奪った事件。

 

 終わったと思いたかった事件。

 

 スバルには、まだ全てを話していない。

 

「六課へ行きます」

 

 ギンガが言った。

 

「現場の資料を、もっと近くで確認したい。それに、スバルが見たものも直接聞きたいです」

 

 ゲンヤは娘を見た。

 

 捜査官としての申し出であり、母を失った娘としての願いでもある。

 

「出向の手続きは進めてある」

 

「父さん」

 

「止めても行くだろ」

 

 ギンガは答えなかった。

 

 否定しないことが答えだった。

 

「だったら、捜査官として行け。昔の仇を捜しに行くんじゃねえ」

 

「分かっています」

 

 返事はまっすぐだった。

 

 けれど画面の中に並ぶ番号から、目を離すことはできなかった。

 

 母を殺したものと、同じ技術。

 

 あの事件は、まだ終わっていない。

 

     ◇

 

 同じころ、スカリエッティの施設では、十二の番号が一つの画面に並んでいた。

 

 起動状態。

 

 調整状況。

 

 固有装備。

 

 次の作戦で与えられる役割。

 

 そこに帰還欄はない。

 

「ようやく揃った」

 

 スカリエッティは満足そうに言った。

 

「私のナンバーズが、これで全機完成だ」

 

 その言葉を、部屋の入口でクオンが聞いていた。

 

 眠るよう言われたはずの少年は、二時間を待たずに戻ってきている。

 

「全機じゃない」

 

 クオンが言った。

 

 スカリエッティが振り返る。

 

「おや。何か間違っていたかい?」

 

「十二人だよ」

 

 画面には、一から十二までの番号がある。

 

 番号の横には、性能を示す数値が並ぶ。

 

「機械として作られ、戦うために調整された。そういう意味では、全機で間違っていない」

 

「でも、帰ってくるのは一人ずつだ」

 

 クオンは画面を見た。

 

 ドゥーエの番号も、他と同じ色で表示されている。

 

 どこにいるのかは書かれていない。

 

「面白い区別をするね」

 

「区別じゃない」

 

「では、何だい?」

 

「名前を呼んでるだけ」

 

 スカリエッティは笑った。

 

 クオンは笑わなかった。

 

 画面に並ぶ十二の番号を、一つずつ目で追う。

 

 二番で、視線が止まった。

 

 ドゥーエ。

 

 端末が震えた。

 

 外部ゲート通過。

 

 識別番号Ⅱ。

 

 クオンは表示を最後まで読む前に走り出した。

 

 背後でスカリエッティが何かを言ったが、聞かなかった。

 

 廊下を曲がり、転送区画へ向かう。

 

 十三歳に保っていた身体が、一歩ごとに軋む。

 

 それでも止まらない。

 

 扉が開く。

 

 長い髪の女が、何事もなかったように歩いてくる。

 

 白い衣服にも、顔にも、目立った傷はない。

 

 クオンはその場で足を止めた。

 

「ドゥーエ」

 

「ただいま戻りました」

 

「怪我は?」

 

「ありません」

 

「追ってくる人は?」

 

「いません」

 

「次に出るのは?」

 

「それを聞くために、休眠を抜け出したの?」

 

「帰ってきたことを確認するため」

 

 ドゥーエはクオンの後ろへ目を向けた。

 

 廊下の角から、ウーノが静かに歩いてくる。

 

 怒ってはいない。

 

 怒る必要がないほど、逃げ道を塞ぐ顔だった。

 

「どうやら、自称お兄ちゃんは約束を守れないようですね」

 

「自称じゃない」

 

「ヴィヴィオは、そう呼んでくれた」

 

「では、あの子にとってはね。私たちにとっては、まだです」

 

 ドゥーエはクオンへ手を差し出した。

 

 昨日と同じ手だった。

 

「帰還確認は済んだのでしょう?」

 

「うん」

 

「では、今度はあなたが帰る番です」

 

「どこに?」

 

「寝台へ」

 

 クオンは差し出された手を見た。

 

 帰ってきた者に手を引かれ、戻る場所を教えられる。

 

 少し変な気がした。

 

 けれど、その手を取った。

 

 十二人にそう呼ばれる前から兄であろうとする少年は、まだ知らない。

 

 帰りを待つ者もまた、誰かに帰る場所を作られていることを。

 

 そして同じ日、帰る場所として選ばれたなのはも、その答えを返そうとしていた。

 

     ◇

 

 フェイトが機動六課へ戻ったのは、日が傾き始めたころだった。

 

 現場調査の報告を終え、執務室へ戻る途中で、小さな足音が廊下を駆けてくる。

 

「フェイト!」

 

 ヴィヴィオだった。

 

 その後ろから、なのはが少し困った顔で追ってくる。

 

「廊下は走っちゃ駄目だよ、ヴィヴィオ」

 

「ごめんなさい」

 

 素直に止まり、それでもフェイトのところまでは歩いてくる。

 

 フェイトは膝をついた。

 

「ただいま、ヴィヴィオ」

 

「おかえり」

 

 その一言が、思ったより深く胸へ届いた。

 

 今日の調査では、何も見つからなかった。

 

 ヴィヴィオの出生記録も、家族へ繋がる情報もない。

 

 プロジェクトFとの類似を疑わせる結果だけが増えている。

 

 作られた命。

 

 誰かの代わりとして生まれたかもしれない子供。

 

 それでも今、目の前にいるヴィヴィオは誰の代わりでもない。

 

「フェイトちゃん。話があるの」

 

 なのはが言った。

 

 執務室で保護責任者申請を見せると、フェイトは最後の空欄を見つめた。

 

「なのはが、ヴィヴィオの保護責任者に」

 

「うん。勝手に決めてごめん」

 

「謝ることじゃないよ」

 

 フェイトは即座に答えた。

 

 ただ、続く言葉を少しだけ考える。

 

「でも、なのは一人で全部背負うのは駄目」

 

「フェイトちゃん?」

 

「後見人の欄、空いてるよね」

 

 フェイトは端末を受け取った。

 

 自分の名前を入力する。

 

 フェイト・T・ハラオウン。

 

 ヴィヴィオの保護責任者を補佐し、二人を見守る者。

 

「これで、なのはとヴィヴィオのことを私も一緒に守れる」

 

 なのはは、少しだけ目を潤ませて笑った。

 

「ありがとう、フェイトちゃん」

 

 ヴィヴィオは二人の間で話を聞いていた。

 

 難しい言葉は、やはり分からない。

 

「フェイトも、ママ?」

 

 フェイトが瞬きをした。

 

 なのはと顔を見合わせる。

 

 先に笑ったのは、なのはだった。

 

「フェイトちゃんも、ヴィヴィオのことを一緒に見てくれるんだよ」

 

「じゃあ、なのはママと、フェイトママ?」

 

 フェイトの表情がほどけた。

 

「そうだよ」

 

「二人とも、ママ?」

 

「うん」

 

 なのはとフェイトは、ほとんど同時に答えた。

 

 ヴィヴィオが笑う。

 

 今度は泣かなかった。

 

 二人の手を一本ずつ握り、真ん中を歩き始める。

 

 エリオとキャロはその光景を見送り、少し離れたところで顔を見合わせた。

 

「すごいね」

 

 キャロが小声で言う。

 

「何が?」

 

「なのはさんとフェイトさんが二人ともママなら、ヴィヴィオ、絶対に守ってもらえる」

 

 エリオは頷いた。

 

 フェイトに救われた自分には、それがどれほど心強いことか分かる。

 

 スバルが二人の背後から笑った。

 

「エリオとキャロだって似たようなものでしょ。フェイト隊長に守られて、なのはさんに教えてもらってるんだから」

 

「そう言われると、そうですけど」

 

 エリオは少し照れた。

 

     ◇

 

 スカリエッティの施設では、クオンがようやく眠っていた。

 

 休眠区画の寝台へ横たわり、十三歳の姿のまま目を閉じている。

 

 呼吸は浅い。

 

 けれど、輪郭の揺らぎは少しずつ収まっていた。

 

 ドゥーエは寝台の脇に立ち、先ほどまで握っていた手を見た。

 

 帰ってきた自分より、待っていた少年のほうが先に倒れかけていた。

 

「本末転倒ですね」

 

 ウーノが端末を持って入ってくる。

 

「ええ。帰還を確認する者が、帰還した者に運ばれていてはね」

 

「通知設定は正常でした。休眠を抜けたのは本人の意思です」

 

「知っているわ」

 

 ドゥーエは端末を受け取った。

 

 十二人の名前。

 

 十一人には、帰還を示す印がついている。

 

 自分の欄だけが空いていた。

 

 クオンは帰還を目で確認した。

 

 だが、記録を更新する前に力を失った。

 

「これは管制記録ではありません」

 

 ウーノが言う。

 

「分かっています。任務が終わったかではなく、帰ってきたかを見るのでしょう」

 

 昨夜、クオンが口にした区別。

 

 ドゥーエは自分の欄へ触れた。

 

 識別番号Ⅱ。

 

 ドゥーエ。

 

 帰還。

 

 十二人全員に印が並ぶ。

 

「本人以外がつけてもよろしいのですか?」

 

「目を覚ましたら、もう一度確認するでしょう」

 

 端末を寝台の脇へ置く。

 

 クオンの指が、眠ったままわずかに動いた。

 

「……おかえり」

 

 意識のない声だった。

 

 ドゥーエは返事をしなかった。

 

 代わりに、少年の肩まで毛布を掛け直す。

 

「兄と認めますか?」

 

 ウーノが尋ねた。

 

「まだ」

 

 ドゥーエは答えた。

 

「帰ってきた者を数えるだけでは、兄とは呼べないわ」

 

「では、何をすれば?」

 

 ドゥーエは眠る少年を見た。

 

 自分でも、答えを持っていなかった。

 

「それを、これから見せてもらうの」

 

 機動六課では、小さな少女が二人の母を呼んでいる。

 

 同じ少女は、ここにいない少年をクオンお兄ちゃんと呼んだ。

 

 けれど、この場所で帰りを数えられている十二人は、まだ誰も彼を兄とは呼ばない。

 

 一人から受け取った呼び名は、十二人からの答えではなかった。

 

 それでも、クオンが眠る横で、ドゥーエは彼の帰還表を完成させた。

 

 寝台の横では、十二人全員の帰還を示す光が、静かに並んでいた。




投稿順の確認漏れで、本話の掲載が遅くなりました。
時系列では「決めるのは、その子」の続きで、「姉妹の数え方」の前に入る話です。
すでに先を読んでくださった方には、順番が前後してしまい申し訳ありません。
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