魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第二十八話 姉妹の数え方

 昨夜、ようやく十二人全員に帰還の印がついた。

 

 翌朝。

 

 クオンが端末を開くと、そのうち二つの名前に出発予定が加わっていた。

 

 ドゥーエ。

 

 チンク。

 

 出発先は、どちらも非開示。

 

 任務内容も、帰還予定も記されていない。

 

 ドゥーエは、昨日帰ってきたばかりだった。

 

 それでも、もう次の任務へ出る。

 

 以前のクオンなら、二人がいなくなってから空欄を何度も更新していただろう。

 

 今日は先に、転送区画へ向かった。

 

 出ていくことに気づけたのなら、見送ることができる。

 

 怪我をしていないか確かめられる。

 

 帰ってきてほしいと、出発する前に伝えられる。

 

 帰還だけを見るのでは足りないと、昨日の自分が教えていた。

 

 転送区画の前には、ノーヴェがいた。

 

 壁へ背を預け、腕を組んでいる。

 

「ノーヴェ」

 

「遅えよ」

 

 クオンは足を止めた。

 

「二人は?」

 

「まだ中だ。出発前の最終確認」

 

 扉の向こうでは、ウーノが転送座標を調整している。

 

 白い衣服へ着替えたドゥーエは、すでに潜入先で使う顔を選んでいた。

 

 その隣に、小柄な少女が立っている。

 

 銀色の髪。

 

 片目を覆う眼帯。

 

 身体の大きさだけなら、十三歳のクオンとほとんど変わらない。

 

 けれど、周囲を見る目は落ち着いていた。

 

「チンク姉」

 

 ノーヴェが呼んだ。

 

 チンクが振り返る。

 

「どうした、ノーヴェ」

 

「別に。見送りに来ただけだ」

 

「そうか」

 

 短い会話だった。

 

 それだけで、二人の間には説明のいらないものがある。

 

 クオンは、ノーヴェを見た。

 

「今、姉って呼んだ」

 

「呼んだけど、それがなんだよ」

 

「チンクは五番目だよ」

 

「知ってる」

 

「ウーノとドゥーエとトーレとクアットロより後なのに、姉なの?」

 

 ノーヴェの眉が寄った。

 

「番号の話じゃねえよ」

 

「じゃあ、何で決まるの?」

 

「んなもん――」

 

 答えかけて、ノーヴェが止まる。

 

 考えたことがなかったのだろう。

 

 チンクは二人のところまで歩いてきた。

 

「私が答えよう」

 

 出発前だというのに、急いでいる様子はない。

 

「私たちは、同じドクターから生まれた。同じ目的を与えられ、同じ場所で育った。番号は完成した順番に近いが、それだけで姉妹になったわけではない」

 

 クオンは黙って聞いた。

 

「失敗した妹を叱る。傷ついた妹を連れ帰る。知らないことを教え、危険があれば前へ出る。そうしているうちに、いつからか呼ばれるようになった」

 

「チンク姉って?」

 

「ああ」

 

 ノーヴェは気まずそうに顔を背けた。

 

「別に、全員が呼んでるわけじゃねえからな」

 

「お前は呼ぶだろう」

 

「今はそういう話してねえ!」

 

 チンクはわずかに笑った。

 

 クオンは二人を見比べる。

 

「じゃあ、姉は自分で決めるものじゃないの?」

 

「少なくとも私は、自分から名乗った覚えはない」

 

「ボクは名乗ったよ」

 

「知っている」

 

「間違ってた?」

 

「順番が逆なのだろう」

 

 チンクの答えは静かだった。

 

「兄だから守るのではない。守り、待ち、必要なときに手を伸ばした者が、いつか兄と呼ばれる」

 

 クオンは胸の奥に、その言葉を置いた。

 

 すぐには理解できない。

 

 久遠は、誰かに兄と呼ばれたかったわけではない。

 

 なのはたちの隣に立つために、できることを増やし続けた。

 

 最後まで、何者にもなれなかったと思いながら。

 

 けれど、呼ばれなかったことと、そうではなかったことは同じなのだろうか。

 

「難しい顔をするな」

 

 チンクが言った。

 

「お前は、昨日ノーヴェの脚を見たそうだな」

 

「誰に聞いたの?」

 

「本人だ」

 

 クオンがノーヴェを見る。

 

「言うなよ、チンク姉!」

 

「報告は必要だ。調整不良を隠すなとも言ったはずだぞ」

 

「それとこいつの話は別だろ!」

 

「別ではない。直してもらったのなら礼を言え」

 

 ノーヴェはますます不機嫌な顔になった。

 

 やがて、聞き取れるぎりぎりの声を出す。

 

「……昨日は、ありがとな」

 

「うん」

 

「嬉しそうな顔すんな!」

 

 クオンは自分の頬へ触れた。

 

 嬉しそうな顔がどんなものか、まだよく分からない。

 

 けれど、ノーヴェにはそう見えたらしい。

 

「出発時刻です」

 

 ウーノの声が告げた。

 

 チンクは転送陣へ戻る。

 

 ドゥーエも、その隣へ並んだ。

 

「チンク」

 

 クオンが呼び止める。

 

「何だ」

 

「帰ってきて」

 

「命令か?」

 

「お願い」

 

 昨日、ドゥーエへ向けたものと同じ言葉。

 

 けれど今日は、待つ以外に何をするべきかを知り始めている。

 

「分かった。受け取っておこう」

 

 チンクは約束とは言わなかった。

 

 帰還できると保証もしなかった。

 

 ただ、クオンの願いを置き去りにはしなかった。

 

 転送光が二人を包む。

 

「ドゥーエも」

 

「ええ」

 

 ドゥーエは穏やかに答えた。

 

「昨日ほど待たせないよう、努力します」

 

 光が消える。

 

 二人の立っていた場所には、何も残らなかった。

 

 クオンは端末を開く。

 

 ドゥーエ。

 

 チンク。

 

 任務中。

 

 帰還欄は空白。

 

「また、そこで待つのか?」

 

 ノーヴェが聞いた。

 

「待つ。でも、それだけじゃ足りない」

 

「じゃあ、どうすんだよ」

 

「考える」

 

「結局、分かってねえじゃねえか」

 

「うん」

 

 クオンは認めた。

 

「だから、君たちに教えてもらう」

 

 ノーヴェは呆れたように息を吐いた。

 

「勝手にしろ、自称兄貴」

 

 昨日までは、自称お兄ちゃんだった。

 

 言い方が少しだけ変わったことに、ノーヴェ自身は気づいていない。

 

 クオンは気づいた。

 

 けれど、指摘しなかった。

 

     ◇

 

「ギン姉!」

 

 機動六課の玄関ホールへ、スバルの声が響いた。

 

 正式な出向辞令を手にしたギンガが、荷物を持って立っている。

 

 駆け寄ったスバルは、そのまま姉へ抱きつきそうになり、直前で隊員らしい姿勢を思い出した。

 

「本日付で、陸士一〇八部隊から出向になりました。ギンガ・ナカジマ陸曹です」

 

「よろしく、ギンガ」

 

 なのはが迎える。

 

 フェイトとはやて、フォワードの仲間たちも並んでいた。

 

 ヴィヴィオはなのはの隣から、よく似た姉妹を見上げている。

 

「スバルのお姉さん?」

 

「そうだよ。ギン姉っていうの」

 

「ギンガです。よろしくね、ヴィヴィオ」

 

 ギンガが目線を合わせると、ヴィヴィオは丁寧に頭を下げた。

 

「よろしくおねがいします」

 

 その姿に、周囲から小さな笑いが起きた。

 

 ギンガはスバルの肩へ手を置く。

 

「ここで頑張っているところ、父さんから聞いてるわ」

 

「聞くだけじゃなくて、見てよ。あたし、すっごく強くなったんだから」

 

「それなら、あとで確かめないとね」

 

 なのはが、その言葉を聞き逃さなかった。

 

「ちょうどいいね。今日の訓練、最初は二人の模擬戦にしようか」

 

「え」

 

 声を揃えた姉妹へ、なのはが笑う。

 

「スバルがどれだけ成長したか、お姉さんに見てもらおう」

 

 スバルの顔が輝いた。

 

 ギンガは少し困ったように笑い、それでも断らなかった。

 

 二人が並んで訓練場へ向かう。

 

 番号ではなく、名前で呼び合う姉妹。

 

 生まれた順番だけではなく、共に過ごした時間によって結ばれた二人。

 

 そのころ、別の場所では、番号を与えられた姉妹たちが戦いの準備を整えていた。

 

 そして、そのどちらにも属さない少年が、兄と呼ばれる方法を考え始めていた。

 

   ◇

 

 訓練場では、二組の模擬戦が同時に始まっていた。

 

 一方では、ヴィータがティアナの射撃を正面から崩している。

 

「突撃型が素直に正面から来ると思うな! 目と足と、相手が次に壊したい場所を見ろ!」

 

「はい!」

 

 鋼の槌が地面を砕く。

 

 ティアナは土煙を利用して後退し、二つの幻影を左右へ走らせた。

 

 もう一方では、スバルとギンガが拳を構えて向かい合う。

 

 二人の足元へ、同じ形式の魔法陣が広がった。

 

「準備はいい?」

 

 ギンガが尋ねる。

 

「いつでも!」

 

 スバルの返事と同時に、二人が踏み込んだ。

 

 拳がぶつかる。

 

 硬い音が訓練場へ響き、互いの身体が逆方向へ弾かれた。

 

 先に体勢を立て直したのはスバルだった。

 

 片足のローラーを回転させ、弧を描いてギンガの側面へ入る。

 

 以前なら、そのまま勢いに任せて拳を振り抜いていた。

 

 だが今は、ギンガの視線が動いた瞬間に足を止める。

 

 誘われている。

 

 そう判断し、一歩引いた。

 

 直後、青い拳が、スバルのいた場所を通り過ぎる。

 

「今のを止まれるようになったのね」

 

「毎日、何回も引っかかったから!」

 

 なのはとヴィータに、同じような誘いを何度も受けている。

 

 失敗するたび、なぜ踏み込んだのかを言葉にさせられた。

 

 考える前に動く癖は、消えてはいない。

 

 それでも、考えながら動ける瞬間が増えた。

 

 スバルは左を見せ、右から入る。

 

 ギンガが受ける。

 

 受けられることまで予想して、身体を回し、逆の拳を重ねる。

 

 姉の防御が初めて大きく揺れた。

 

「やるじゃない」

 

 ギンガの声が弾む。

 

 そこからは、訓練というより、久しぶりに会った姉妹の会話だった。

 

 拳で問い、足で答える。

 

 離れていた時間に何を覚えたのか。

 

 どれだけ強くなったのか。

 

 言葉より先に、互いの身体が理解していく。

 

 最後は、二人の拳が同時に頬の前で止まった。

 

「そこまで」

 

 なのはの声で、姉妹は構えを解いた。

 

 スバルはすぐにギンガへ駆け寄る。

 

「どうだった?」

 

「驚いた。攻撃と防御の切り替えも、踏み込む前の判断も、前とは全然違う」

 

「合格?」

 

「うん。合格」

 

 その一言だけで、スバルは訓練の勝敗以上に嬉しそうな顔をした。

 

 ティアナが少し離れたところで息を整える。

 

「本当にお姉ちゃんっ子ね」

 

「ギンガもスバルには甘いな」

 

 シグナムが腕を組んだ。

 

「でも、いい動きでした」

 

 なのはも頷く。

 

 入隊してから固めてきた近接戦の基礎が、ようやく一つの形になり始めている。

 

「せっかくだから、ギンガも入って次へ行こうか」

 

 なのはが明るく言った。

 

「次、ですか?」

 

「フォワード五人対、前線隊長四人」

 

 ギンガの表情が固まった。

 

 スバルがそっと姉の肩へ手を置く。

 

「ギン姉。これ、たまにやるんだ」

 

「隊長たち、かなり本気できます」

 

 エリオが真面目な顔で付け加える。

 

「まともにぶつかったら終わりです」

 

「地形と幻術を使って、とにかく逃げるの」

 

 ティアナはもう作戦を考え始めていた。

 

 キャロが指を一本立てる。

 

「四人のうち誰か一人に、決められた攻撃を入れられたら私たちの勝ちです」

 

「それは訓練というより、狩りでは?」

 

「大丈夫」

 

 なのはが笑う。

 

「ちゃんと加減するから」

 

 その笑顔を見たフォワード四人は、誰も安心しなかった。

 

 ギンガはようやく、自分が妹の暮らす部隊へ来たことを実感した。

 

   ◇

 

 訓練開始から二十分後。

 

 フォワード五人は、全員地面に倒れていた。

 

 ティアナの幻術でフェイトを誘導し、キャロの補助を受けたエリオが一撃を狙うところまではよかった。

 

 だが、フェイトを追い込んだと思った瞬間、背後からシグナムが現れた。

 

 スバルとギンガが進路を塞ぎ、ヴィータをなのはの射線へ押し込む作戦も、あと一歩で崩された。

 

 地面へ仰向けになったギンガが空を見上げる。

 

「本当に、かなり本気なのね」

 

「だから言ったでしょ」

 

 隣で倒れているスバルが答えた。

 

 なのはは五人を見回し、記録端末を閉じる。

 

「連携は悪くなかったよ。ただ、目標へ集中しすぎ。相手が四人いることを忘れないで」

 

「反省レポートは今日中な」

 

 ヴィータが追い打ちをかける。

 

 五人の返事が、疲れ切った声で重なった。

 

 明日、出動があっても動ける範囲。

 

 そのぎりぎりまで鍛える。

 

 何も起きていない日は、休息であると同時に、次に生き残るための時間だった。

 

 訓練場の入口から、小さな声がする。

 

「おはようございます」

 

 ヴィヴィオがアイナに手を引かれ、丁寧に頭を下げていた。

 

 マリエルは、突然現れた子供に戸惑いながら挨拶を返す。

 

「あの子がヴィヴィオ?」

 

「そうです」

 

 シャーリーが答えた。

 

 ヴィヴィオはなのはを見つけると、手を離して駆け出す。

 

「なのはママ!」

 

 数歩走ったところで、足がもつれた。

 

 柔らかい芝の上へ、前から転ぶ。

 

「ヴィヴィオ!」

 

 フェイトが駆け寄ろうとする。

 

 なのはは、その腕を軽く押さえた。

 

「大丈夫。ちゃんと手をついて転べたから、怪我はしてないよ」

 

 ヴィヴィオは顔を上げた。

 

 涙が目に溜まっている。

 

「ママ……」

 

 なのははその場へ膝をついたが、抱き上げには行かなかった。

 

「ここにいるよ。自分で立って、おいで」

 

 ヴィヴィオは地面へ手をついた。

 

 立とうとして、また膝をつく。

 

 涙がこぼれた。

 

「まだ小さいんだから、助けてもいいと思う」

 

 フェイトが耐えられずに言った。

 

「怪我をしたときは助けるよ。でも、転んだだけなら、自分で立てたほうがいいから」

 

「それでも、泣いてるよ」

 

 フェイトはヴィヴィオのところまで行き、今度は抱き上げた。

 

 ヴィヴィオが首へしがみつく。

 

「フェイトママ」

 

「怖かったね。でも、次は気をつけようね。ヴィヴィオが怪我をしたら、私たちも悲しいから」

 

「ごめんなさい」

 

 なのはは困ったように笑った。

 

「フェイトママは、ちょっと甘いです」

 

「なのはママが厳しすぎるんです」

 

 二人はヴィヴィオを挟んで見つめ合った。

 

 喧嘩ではない。

 

 同じ子を大切に思いながら、守り方が違うだけだった。

 

 マリエルはその光景を見て、シャーリーへ小声で尋ねる。

 

「二人の子供?」

 

「違います。保護児童です。なのはさんが保護責任者で、フェイトさんが後見人」

 

「そういうこと」

 

 納得したような、していないような顔だった。

 

 ヴィヴィオはフェイトの腕から降りると、今度こそ歩いてなのはのところへ向かった。

 

 なのはが両腕を広げる。

 

 辿り着いたヴィヴィオを、今度はすぐに抱きしめた。

 

 厳しくすることと、突き放すことは違う。

 

 甘くすることと、何もさせないことも違う。

 

 二人とも、母親になったばかりだった。

 

 ヴィヴィオと一緒に、そのやり方を覚え始めている。

 

   ◇

 

 スカリエッティの施設では、新しい身体の動作確認が進んでいた。

 

 セッテ。

 

 オットー。

 

 ディード。

 

 三人が検査区画へ並び、順番に固有技能を起動する。

 

 クアットロが表示された数値を読み上げた。

 

「七番、八番、十二番。基礎動作に問題なし。固有技能との同期も予定範囲内です」

 

 別の区画では、ノーヴェとウェンディが完成した固有武装を試している。

 

 ウェンディは新しい装備を抱え、隠そうともせず楽しそうにしていた。

 

「これで思いっきり暴れられるっす!」

 

「壊すなよ」

 

 ノーヴェが言う。

 

「使う前から壊さないっすよ」

 

「お前は信用ならねえ」

 

 二人のやり取りを、クオンは検査室の端から見ていた。

 

 十三歳の姿は、昨日より安定している。

 

 それでも、長く動けば輪郭が崩れる状態は変わらない。

 

「何を見ているのです?」

 

 クアットロが近づいてきた。

 

「名前と顔を合わせてる」

 

「記録には入っていますよ?」

 

「記録だけじゃ分からないから」

 

 クオンは三人の前へ立った。

 

「セッテ」

 

「はい」

 

「オットー」

 

「何だ」

 

「ディード」

 

「はい」

 

 一人ずつ返事を聞く。

 

 同じ施設で、同じ目的のために生まれた。

 

 けれど、声も、視線も、立ち方も違う。

 

「身体は痛くない?」

 

 三人が互いを見る。

 

「調整上の異常はありません」

 

 セッテが代表して答えた。

 

「異常じゃなくて、痛いかを聞いた」

 

「同じ意味では?」

 

「違うよ。動けても痛いことはある」

 

 昨日のノーヴェがそうだった。

 

 ディードが自分の手を握り、開く。

 

「痛みはありません」

 

「分かった。痛くなったら教えて」

 

「なぜ、あなたに?」

 

「帰ってくるまで見るから」

 

 答えになっていないと、ディードの目が告げている。

 

 クアットロは口元へ指を当てた。

 

「お兄ちゃんだから、ですか?」

 

「うん」

 

「けれど、あなたには番号がありません。わたくしたちの何番目のお兄ちゃんになるのかしら」

 

「番号はいらない」

 

 クオンは迷わなかった。

 

「帰還欄には、名前があればいい」

 

 クアットロの笑みが、ほんの少しだけ止まった。

 

 番号は管理するために必要だ。

 

 能力を分類し、作られた順番を示し、役割を与える。

 

 けれど、帰ってきたかを確かめるだけなら、名前だけで足りる。

 

 スカリエッティが検査区画へ入ってきた。

 

「素晴らしい。全員、実に良い仕上がりだ」

 

 完成した身体。

 

 完成した武装。

 

 配置についたドゥーエとチンク。

 

 公開意見陳述会へ向けた準備は、ほとんど整っている。

 

「祭りの日は近い。君たちにも、存分に力を振るってもらうよ」

 

「楽しみっすね」

 

 ウェンディが答えた。

 

 ノーヴェは笑わない。

 

「あたしは、確かめたいだけだ」

 

「何を?」

 

 クオンが聞いた。

 

「あたしたちの王様が、どんな奴なのか。あたしたちの上に立つだけの奴なのか」

 

 王。

 

 クオンの記録には、古代ベルカの聖王に関する情報がある。

 

 だが、ノーヴェが誰を指しているのかまでは共有されていない。

 

「会ったことはないの?」

 

「まだな」

 

「会ったら戦う?」

 

「必要なら」

 

 ノーヴェは当然のように答えた。

 

 クオンは検査区画にいる者を見回す。

 

「君たちは、戦いに行きたいの?」

 

 ウェンディが首を傾げた。

 

「行けって言われてるっすよ?」

 

「命令の話じゃない。自分で行くの?」

 

 問いの意味が伝わるまで、少し時間がかかった。

 

「私は命令を遂行します」

 

 セッテが答える。

 

「それが、私の存在理由です」

 

「ボクが聞いているのは理由じゃないよ」

 

「では、何を?」

 

「嫌じゃないか」

 

 セッテはすぐには答えなかった。

 

 嫌だと思うことと、命令を拒むことを、別々に考えた経験がない。

 

 オットーも、ディードも同じだった。

 

「あたしは行く」

 

 ノーヴェが沈黙を破った。

 

「誰に言われなくても、確かめるって決めた」

 

「危ないよ」

 

「知ってる」

 

「帰れないかもしれない」

 

「それでもだ」

 

 クオンはノーヴェを見た。

 

 止めようと思えば、止められる。

 

 武装を奪い、別の場所へ転移させ、戦いが終わるまで閉じ込める。

 

 それは、守ることなのだろうか。

 

 本人の答えを無視し、行き先を決める。

 

 子供を戦場へ送る大人と、向きだけが違う同じものにならないだろうか。

 

「分かった」

 

 クオンは言った。

 

「止めない」

 

「最初から、お前に止められるつもりはねえよ」

 

「でも、帰ってきて」

 

「またそれか」

 

「うん」

 

 行くことを選ぶなら、帰る方法を増やす。

 

 傷ついたなら治す。

 

 動けないなら迎えに行く。

 

 それが、自分の考える兄に近いのかもしれない。

 

「待ってるだけじゃ足りないから、帰れるようにする」

 

 ノーヴェは答えなかった。

 

 代わりに、新しい武装の固定具を確かめる。

 

 クオンの言葉を拒絶はしなかった。

 

   ◇

 

 昼食の席で、ヴィヴィオは皿の端へ緑色の野菜を集めていた。

 

 なのはが正面から見ている。

 

「ヴィヴィオ」

 

「にがいの、きらい」

 

「一つは食べよう」

 

「ひとつ?」

 

「今日は一つ。明日は二つ」

 

 ヴィヴィオは真剣な顔で野菜を見る。

 

 フェイトが隣から、小さく切り分けた。

 

「これなら食べられるかな。ほかのおかずと一緒にして」

 

「フェイトちゃん」

 

「食べないよりはいいでしょ?」

 

 はやてが向かいから楽しそうに笑った。

 

「二人とも、すっかりお母さんやな」

 

「まだ全然だよ」

 

 なのはは答えた。

 

「分からないことばっかり」

 

「せやから家族なんやろ。最初から全部分かる相手なんておらへんよ」

 

 ヴィヴィオは小さくされた野菜を口へ入れた。

 

 苦そうに顔をしかめ、それでも飲み込む。

 

「食べた」

 

「えらい」

 

 なのはとフェイトの声が重なった。

 

 少し離れた席では、ギンガがその様子を見ながらスバルの幼いころを話している。

 

「スバルも、嫌いなものを全部私のお皿へ移してたのよ」

 

「ギン姉、それ言わなくていいから!」

 

「それで父さんに見つかって、二人とも怒られた」

 

「ギンガも食べてあげてたんだ」

 

 ティアナが呆れる。

 

「お姉ちゃんだから」

 

 ギンガは当たり前のように答えた。

 

 その言葉に、重さはない。

 

 日々の小さな失敗と、庇い合った記憶が、そのまま姉という呼び名になっている。

 

 午後、スバルとギンガ、フォワードの一部は、マリエルとともに医療センターへ向かった。

 

 表向きは、いつもの健康診断。

 

 出動が続いた身体に異常がないかを確かめるためのものだ。

 

 検査項目の一部は、ほかの隊員より細かい。

 

 理由を知る者は限られている。

 

 スバルとギンガは何も言わず、慣れた手順で検査室へ入った。

 

 姉妹がどのような身体で生まれたのか。

 

 その事実は、まだ部隊の仲間たちへ明かされない。

 

 今はただ、同じ部隊で笑い、訓練し、互いを姉妹と呼ぶ二人だった。

 

   ◇

 

 地上本部では、公開意見陳述会へ向けた準備が進んでいた。

 

 レジアス・ゲイズの机には、機動六課の調査報告と、本局査察部の動向が並んでいる。

 

「六課から、こちらへ繋がる材料は出たか」

 

「現時点では何も」

 

 オーリスが答える。

 

「ですが、本局側もこちらを調べています。査察官の中には、追跡に向いた希少技能の保有者もいます」

 

「いつものことだ。いつものように処理しろ」

 

 レジアスは苛立ちを隠さない。

 

 地上を守るためには力が必要だ。

 

 本局の魔導師や、希少な才能を持つ少数の人間だけに依存しない力。

 

 そのために進めてきた計画を、途中で止めるつもりはない。

 

「アインヘリアルは」

 

「三号機の最終確認が遅れています。陳述会までには完了させます」

 

「遅らせるな」

 

 オーリスは一礼し、部屋を出た。

 

 過ぎた力ではないかと思うことはある。

 

 それでも、父が選んだ道だった。

 

 最高評議会から届く言葉も、これまでどおり進めよというものだった。

 

 表では、陳述会の警備が強化される。

 

 裏では、その警備を破る準備が完成へ近づいている。

 

 誰もが必要な力を求めながら、同じ場所へ集まり始めていた。

 

   ◇

 

 地上本部監察部門の内部領域には、公開意見陳述会へ参加する全部隊の配置表が集められていた。

 

 以前から機動六課を追っている閲覧者が、地上本部の防衛計画と六課の警備計画を並べる。

 

 業務上必要なのは、部隊名、担当区域、指揮権限だけだった。

 

 それでも閲覧者は、配置表にある三人の名を一つずつ開いた。

 

 八神はやて。

 高町なのは。

 フェイト・T・ハラオウン。

 

 現在の担当区域。

 直近の負傷記録。

 次に予定されている勤務。

 

 監察報告へ載せる必要のない情報だった。

 

 閲覧者は三人の記録を閉じ、それらを報告から外した。

 

 公開意見陳述会当日、地上本部と機動六課の主要戦力が同一地点へ集中。

 当日を重点監察へ切り替える。

 

 署名のない上位権限から、返信が届く。

 

 警備計画には手を加えるな。地上本部と六課、双方が何を選ぶのかを、そのまま記録したまえ。

 

 配置表は閉じられた。

 

 三人の個人記録を開いた理由だけは、どこにも残らなかった。

 

   ◇

 

 クオンは、ウーノの管制室へ三つの転送座標を並べた。

 

 第一帰還地点。

 

 第二帰還地点。

 

 緊急退避地点。

 

「何をしているのです?」

 

 ウーノが尋ねる。

 

「帰る場所を増やしてる」

 

「通常の作戦にも撤退地点は設定されています」

 

「そこが使えなくなったら?」

 

「代替座標へ移ります」

 

「それも使えなかったら?」

 

「現地判断です」

 

「じゃあ、もう一つ作る」

 

 クオンは施設内部だけではなく、外部の安全区画を候補へ加えていた。

 

 転送妨害がある場合。

 

 魔力が尽きた場合。

 

 歩けない者がいる場合。

 

 追跡されている場合。

 

 帰還経路を一つずつ分ける。

 

 治療区画には、ナンバーズそれぞれの身体に合わせた最低限の器具を置く。

 

 ノーヴェの脚を調整した経験が役に立った。

 

「許可は取ったのですか?」

 

「まだ」

 

「使う予定は?」

 

「分からない」

 

「必要になる根拠は?」

 

「ないよ」

 

 ウーノは端末を見た。

 

 無駄になる可能性のほうが高い。

 

 誰も使わず、誰も感謝せず、作ったことさえ知られないかもしれない。

 

「それでも作るのですね」

 

「使わなかったら、それでいい」

 

 クオンは次の座標を入力する。

 

「帰ってこられないより、ずっといい」

 

 ウーノは止めなかった。

 

 代わりに、使用されていない治療区画の権限を一部だけ開放した。

 

「ここなら、最低限の設備があります」

 

「使っていいの?」

 

「通常任務の妨げにならない範囲で」

 

「ありがとう」

 

「礼は、誰かが無事に帰ってからにしてください」

 

 クオンは頷いた。

 

 端末の端では、二つの名前が任務中のまま残っている。

 

 チンクからは、一度だけ短い定時信号が届いた。

 

 ドゥーエからの通信はない。

 

 潜入任務では、予定どおりだった。

 

 予定どおりだと理解していても、空白を見ると胸が冷える。

 

 クオンは画面を閉じず、同時に座標の作成を続けた。

 

 待つだけではない。

 

 帰ってくるために、今できることがある。

 

 それを教えたのは、兄と呼ばれる者が何をしてきたかを語ったチンクだった。

 

   ◇

 

 日が沈む前、機動六課の隊長陣は会議室へ集まった。

 

 聖王教会から届いた、最新の予言解釈。

 

 公開意見陳述会。

 

 地上本部の要人が一か所へ集まる日。

 

 襲撃が起きるなら、そこだと考えられた。

 

「警備は通常より厳重になる」

 

 はやてが配置図を示す。

 

「ただ、建物の中へ入れる六課の主力は、私となのはちゃん、フェイトちゃんの三人だけになりそうや」

 

「三人いれば、内部は対応できるよ」

 

 フェイトが言う。

 

「外はフォワードと副隊長たちに任せる。みんな、ここまで鍛えてきたから」

 

 なのはの声にも迷いはなかった。

 

 デバイスの出力制限も、翌日から一段階緩和される。

 

 予測される戦いへ向け、六課も準備を終えつつある。

 

「ここを守り切れたら、事件は一気に好転する」

 

 はやてが言った。

 

「きっと大丈夫」

 

 なのはが応える。

 

 フェイトも頷いた。

 

 誰も、その言葉を疑わなかった。

 

 訓練は積んだ。

 

 装備も整えた。

 

 警戒すべき場所も分かっている。

 

 守る準備は、できているはずだった。

 

 同じ時刻。

 

 スカリエッティの施設でも、別の準備が終わろうとしていた。

 

 新しい身体。

 

 固有武装。

 

 潜入経路。

 

 地上本部と機動六課、それぞれへ向けられた役割。

 

 ノーヴェたちは、まだ出撃命令を受けていない。

 

 だが、その日が近いことを全員が知っている。

 

 クオンの端末には、十二人の名前が並んでいた。

 

 ドゥーエ。

 

 任務中。

 

 チンク。

 

 任務中。

 

 ほかの十人。

 

 施設内。

 

 その横へ、新しい項目が加わっている。

 

 帰還地点。

 

 代替経路。

 

 必要な治療。

 

 最後に確認した時刻。

 

 名前を数えるだけだった表が、帰すための計画へ変わり始めていた。

 

 クオンは、チンクの言葉を思い出す。

 

 兄だから守るのではない。

 

 守り、待ち、必要なときに手を伸ばした者が、いつか兄と呼ばれる。

 

 呼ばれるかどうかは、まだ分からない。

 

 それでも、先にできることをする。

 

 クオンは十二人分の退路を、もう一度確かめた。

 

 待つのは、できることを全て終えたあとでいい。

 

 兄と呼ばれる方法は、まだ分からない。

 

 けれど、帰ってこられるようにする方法なら、一つずつ増やせる。

 

 公開意見陳述会まで、あとわずか。

 

 誰かの娘たちと、誰かの姉妹たちが、同じ戦場へ向かおうとしていた。

 

 その間でクオンは、まだ空いている帰還欄を見つめていた。c

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