魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第二十八話 クオンより先に

 乾いた音が、古い道場へ響いた。

 

 木剣と木剣がぶつかる音ではない。

 

 受け損ねた弟子の身体が、床へ叩きつけられた音だった。

 

「立て」

 

 十九歳ほどの青年が、倒れた少年を見下ろしている。

 

 白い仮面はつけていない。

 

 動きやすい黒の稽古着をまとい、右手には何も持っていなかった。

 

 素手で、木剣を持った相手を投げたのだ。

 

「今ので三度目だ。踏み込む前に肩が上がる。目を閉じても分かる」

 

「はい、師匠……!」

 

「返事に息を使うな。立って構えろ」

 

 少年が歯を食いしばって立ち上がる。

 

 周囲では、年齢も得物も違う四人の弟子が、自分の稽古を止めずにその様子を見ていた。

 

「見世物じゃねえぞ」

 

 青年が視線だけを向ける。

 

「止めた奴は外周二十周だ」

 

 四人の動きが一斉に速くなった。

 

 ミッドチルダの市街地から離れた山裾。

 

 交通の便も悪く、近くに転送施設もない。

 

 そこに建つ古い道場を、青年は自分の居場所にしていた。

 

 誰かに命じられたわけではない。

 

 戦い方を知りたい者が来たから教えた。

 

 途中で逃げなかった者だけが残った。

 

 それだけだった。

 

「もう一度だ」

 

 立ち上がった少年が木剣を構える。

 

 今度は肩を上げない。

 

 足で床を蹴り、青年の間合いへ入る。

 

 青年は半歩だけ身を引いた。

 

 木剣が鼻先を通り過ぎる。

 

 空いた脇腹へ拳を添える。

 

 打ち抜きはしない。

 

「一つ直して、一つ忘れたな」

 

「……はい」

 

「百回で足りなきゃ千回だ。次」

 

 入口で、戸が二度鳴った。

 

 誰も返事をする前に、細い少年が顔を覗かせる。

 

 十三歳ほど。

 

 淡い色の上着に、黒いパンツ。

 

 肩から小さな鞄を下げている。

 

 白黒を反転させた騎士甲冑も、白い仮面もない。

 

 ただの子供に見えた。

 

 弟子の一人が手を止める。

 

「入門希望か?」

 

「違うよ」

 

「では、師匠に用ですか」

 

「うん」

 

 少年の顔を見たはずなのに、弟子は視線を外した瞬間、その輪郭を思い出せなくなった。

 

 髪が長かったか、短かったか。

 

 目が何色だったか。

 

 男の子だったかと聞かれれば、たぶんとしか答えられない。

 

「兄弟」

 

 青年だけは、迷わず呼んだ。

 

 クオンは道場へ入った。

 

「久しぶり、ストライク」

 

「俺にとっちゃ、昨日もお前の記録を見てる。久しぶりって感じはしねえな」

 

「会うのは久しぶりだよ」

 

「それもそうか」

 

 ストライクは弟子たちへ向き直った。

 

「外周へ行け。二十周」

 

「師匠、俺は止まってません」

 

「客が来たから自主稽古へ切り替えただけだ。文句があるなら三十周にする」

 

「二十周、行ってきます!」

 

 五人が競うように道場を出ていく。

 

 最後の一人が戸を閉めると、広い空間に二人だけが残った。

 

 ストライクは壁際へ歩き、水の入った瓶を一本投げる。

 

 クオンは両手で受け止めた。

 

「それで?」

 

「何が?」

 

「俺の顔を見に来ただけなら、あいつらを追い出す必要はなかった」

 

 クオンは瓶を持ったまま、しばらく黙った。

 

 頼み方を考えていた。

 

 命令なら、簡単だった。

 

 必要な場所と役割を告げればいい。

 

 けれど、ストライクは命令されるためにここにいるのではない。

 

「手が足りないんだ」

 

 ようやく言った。

 

「だから、手伝ってほしい」

 

 ストライクの口元が上がった。

 

「へえ」

 

「何?」

 

「兄弟が俺に甘えてくる日が来るとはな。道場なんか始めてみるもんだ」

 

「甘えてないよ」

 

「手が足りねえから貸してくれ。十分、甘えてる」

 

「必要だから頼んでるだけ」

 

「それを甘えるって言うんだよ」

 

 クオンは瓶へ目を落とした。

 

 甘える。

 

 記録の中では知っている。

 

 自分だけではできないことを、できる誰かへ委ねること。

 

 相手が受け止めてくれると信じて、弱い部分を渡すこと。

 

 これまでのクオンに、その必要はなかった。

 

 足りなければ、新しい身体を作ればいい。

 

 届かなければ、別のクオンが向かえばいい。

 

 それで済むはずだった。

 

「じゃあ」

 

 クオンは顔を上げた。

 

「甘えさせて」

 

 ストライクが声を上げて笑った。

 

「いいねえ。ようやく兄弟らしくなった」

 

「手伝ってくれるの?」

 

「話を聞いてからだ」

 

 すぐには頷かない。

 

 それでも、追い返しもしなかった。

 

 クオンは公開意見陳述会の予定を伝えた。

 

 地上本部へ、管理局の主要人物が集まる。

 

 スカリエッティが動く可能性は高い。

 

 ナンバーズにも、それぞれ別の役割が与えられている。

 

 ドゥーエとチンクはすでに任務へ出た。

 

 ノーヴェたちも、間もなく戦場へ向かう。

 

「帰還地点は三つ用意した」

 

 クオンは端末を開いた。

 

「通常の転送が使える場所。妨害されたときの代替地点。歩けない人を直接送る緊急退避地点」

 

「準備がいいじゃねえか」

 

「でも、入り口を作るだけじゃ帰れない」

 

 転送座標があっても、そこまで辿り着けなければ意味はない。

 

 負傷して動けない者が出るかもしれない。

 

 追われ、座標を固定する時間を得られない者もいる。

 

 戦場は一つではない。

 

 クオンの身体も、一つだった。

 

「他の兄弟はどうした」

 

 ストライクが尋ねる。

 

「呼べばいい。俺に来られるなら、ほかにも声は届くだろ」

 

「遠いよ」

 

「転送させろ」

 

「準備と座標の接続に時間がかかる。戦いが始まってからじゃ間に合わない」

 

「俺なら?」

 

「ここからなら、地上本部の外周へ直接行ける。君なら転送妨害の外から走っても間に合う」

 

 ストライクは腕を組んだ。

 

「つまり、俺が一番速くて、一番使える」

 

「今はね」

 

「最初からそう言えばいい」

 

 断言に迷いはない。

 

 クオンも否定しなかった。

 

「強い奴はいるのか」

 

「戦いに行くんじゃないよ」

 

「いるのかと聞いた」

 

 クオンは記録を辿った。

 

「シグナム。高町なのは。フェイト・T・ハラオウン。八神はやて」

 

 ストライクの笑みが深くなる。

 

「大盤振る舞いじゃねえか」

 

「全員、戦う相手じゃない」

 

「俺が決める」

 

「ナンバーズを帰すほうが先だよ」

 

「俺に命令するな」

 

 低い声だった。

 

 だが、拒絶ではない。

 

「頼まれた仕事を放り出して、目の前の強い奴に飛びつくほど安く見えるか?」

 

「少し」

 

「お前、甘える相手への口の利き方を知らねえな」

 

「初めてだから」

 

 ストライクは鼻を鳴らした。

 

「なら教えてやる。頼んだあとは、任せろ」

 

 クオンは小さく頷いた。

 

「任せる」

 

「よし」

 

 話は決まったように思えた。

 

 それでも、ストライクは壁から背を離さなかった。

 

「もう一つだ」

 

「何?」

 

「俺達が、なぜあいつらへ近づかないと決めたか。分かってるか」

 

 あいつら。

 

 名前を聞き返す必要はなかった。

 

 高町なのは。

 

 フェイト・T・ハラオウン。

 

 八神はやて。

 

 人間だった溱久遠を知る者たち。

 

「分かってる」

 

「言ってみろ」

 

「ボク達が近づけば、あの子たちは久遠を思い出す」

 

「それだけか」

 

「ボク達の存在が管理局へ知られる。捕まえようとする人も、利用しようとする人も出る。ほかのクオンまで危険になる」

 

「なら、地上本部へ出るのは方針に反する」

 

「白い仮面をつけるよ」

 

「そういう話じゃねえ」

 

 ストライクの目が細くなった。

 

「お前があいつらの近くへ行くと決めた時点で、俺達全員に喧嘩を売ってる」

 

 クオンは答えなかった。

 

「ほかのクオンを危険に晒すかもしれない。久遠を知る連中を、また迷わせるかもしれない。それでもやるのか」

 

「うん」

 

「俺達より、ナンバーズを取るか」

 

 逃げ道のない問いだった。

 

 全てを守るとは答えられない。

 

 どちらも同じくらい大切だと濁すこともできない。

 

 今、この瞬間に何を先へ置くかを聞かれている。

 

 クオンの中には、ほかの個体が見た景色も、考えたこともある。

 

 危険を避けるべきだという判断も、理解できる。

 

 それでも、端末に並んだ十二の名前が浮かんだ。

 

 出発したドゥーエとチンク。

 

 新しい脚の違和感を隠したノーヴェ。

 

 異常ではなく、痛いかと聞かれて戸惑ったセッテ、オットー、ディード。

 

 戻る場所を用意してくれたウーノ。

 

 まだ、誰もクオンを兄とは呼ばない。

 

 そのことは関係なかった。

 

「それでも、あの子たちを帰したい」

 

 クオンは言った。

 

「ボク達の意思より、ナンバーズを選ぶ」

 

 道場が静かになった。

 

 外を走る弟子たちの足音だけが、遠く聞こえる。

 

 ストライクはクオンの顔を見た。

 

 視線を外す。

 

 壁に掛けられた白い仮面へ目を向ける。

 

 もう一度、クオンへ戻した。

 

 忘れていなかった。

 

 伏せがちな目。

 

 年齢より幼く見える頬。

 

 男とも女とも言い切れない、細い輪郭。

 

 そこにいる一人の顔が、記憶からほどけない。

 

「兄弟」

 

「何?」

 

「今、お前の顔が消えなかった」

 

 クオンは自分の頬へ触れた。

 

「ずっとここにあるよ」

 

「そういう意味じゃねえ」

 

 ストライクは数歩近づいた。

 

 相手の呼吸、視線、重心。

 

 日々、弟子たちの僅かな変化を見抜いている目で、クオンを見る。

 

 認識を滑らせていたものが、ない。

 

 仮面の下で一瞬だけ止まるのではなく、何もしなくても顔を覚えていられる。

 

「お前、誰だ?」

 

「ボクはクオンだよ」

 

 答えは、いつもと同じだった。

 

 まだ、それ以外の名を持っていない。

 

「俺もクオンだ」

 

 ストライクは笑った。

 

「だから何だ。その名前のまま、勝手を通せ」

 

「怒らないの?」

 

「喧嘩を売られたとは言った。買わねえとは言ってない」

 

「戦う?」

 

「今から肩を並べるのに、先に潰してどうする」

 

 ストライクはクオンの額を指で弾いた。

 

「俺に頭を下げた以上、半端は許さねえ」

 

 クオンが額を押さえる。

 

「下げてないよ」

 

「同じだ。全員帰すぞ」

 

 全員。

 

 その言葉を聞くと、胸の奥の冷たいものが少しだけ薄れた。

 

 自分一人ではない。

 

 手が二つ増えた。

 

 届く場所が増えた。

 

「うん」

 

 クオンは答えた。

 

 魔力が足元へ広がる。

 

 淡い上着と黒いパンツが光に溶けた。

 

 白と黒を反転させた騎士甲冑が、十三歳の身体を包む。

 

 白いズボン。

 

 黒を基調とした上衣。

 

 背には、夜天の主のものを反転させたような白い羽飾り。

 

 最後に、クオンは鞄から白い仮面を取り出した。

 

 顔へつける。

 

 ストライクは目を細めた。

 

 今度は、そこにいると分かっていても輪郭が滑る。

 

 先ほど覚えた顔そのものは消えない。

 

 だが、仮面の中に同じ顔があると結びつかない。

 

「なるほどな」

 

「何?」

 

「素顔はお前一人のものになった。仮面はまだ、俺達のものらしい」

 

 クオンには意味が分からなかった。

 

 ストライクも説明しなかった。

 

 壁へ掛けていた自分の白い仮面を取り、顔へつける。

 

 十九歳の青年の輪郭が、たちまち認識から外れた。

 

「留守中は基礎稽古だ」

 

 ストライクは外へ届く声で言った。

 

 走っていた弟子たちから、遠く返事が上がる。

 

「帰ったときに鈍ってた奴は、百周追加する」

 

「いつ帰るの?」

 

「仕事が終わったらだ」

 

「帰ってくる?」

 

 ストライクは仮面越しにクオンを見た。

 

「俺を誰だと思ってる」

 

「ストライク」

 

「なら、心配するな」

 

 二人の足元へ、転送光が広がった。

 

     ◇

 

 機動六課では、翌日の公開意見陳述会に向けた最終確認が行われていた。

 

 会議室中央に、地上本部と周辺区域の立体図が浮かんでいる。

 

 内部警備。

 

 外周警備。

 

 交通整理。

 

 緊急時の避難経路。

 

 はやてが配置を一つずつ確認した。

 

「今夜から先発隊が地上本部へ入る。なのはちゃん、ヴィータ、リイン、それからフォワード四人」

 

「はい」

 

 なのはが答える。

 

「明日の朝、私とフェイトちゃん、シグナムが中央へ入る。ギンガは外周側で現地部隊との連携。六課に残る組は、シャマルとザフィーラを中心に施設警備や」

 

 公開意見陳述会は、地上本部の将官と各部隊の代表者が集まる大規模な会合だった。

 

 警備は厳重になる。

 

 同時に、一度内側で異常が起きれば、指揮系統そのものが孤立する危険もある。

 

「予言の解釈どおりなら、明日が一番危ない」

 

 フェイトが言った。

 

「うん。せやけど、確実な証拠はない。表立って会合を中止させることも、警備計画を全部ひっくり返すこともできへん」

 

 はやては全員を見回した。

 

「だからこそ、何も起こらんかったで終われるように、できることは全部やる」

 

 返事が重なる。

 

 誰も、明日負けるための準備をしているつもりはなかった。

 

     ◇

 

 出発時刻が近づくと、ヴィヴィオはなのはの制服の裾を離さなくなった。

 

「ヴィヴィオ」

 

「……うん」

 

 呼べば返事はする。

 

 けれど、指は離れない。

 

 これまでにも、なのはが仕事で部屋を空けることはあった。

 

 夜まで帰らない日もある。

 

 今回は、初めて夜をまたぐ。

 

「明日のお仕事が終わったら、ちゃんと帰ってくるよ」

 

「明日の朝?」

 

「夜かな」

 

「夜……」

 

 ヴィヴィオには、とても遠い時間に思えたらしい。

 

 視線が床へ落ちる。

 

 なのはは膝をつき、同じ高さになった。

 

「眠るのは今日、一回だけ。明日起きて、ごはんを食べて、フェイトママやみんなと待っていてくれたら、夜には帰るから」

 

「ほんとう?」

 

「本当」

 

「ぜったい?」

 

 なのはは一瞬だけ言葉に詰まった。

 

 任務に、絶対はない。

 

 それを知っているからこそ、簡単には口にできなかった。

 

 けれど、ヴィヴィオが求めているのは未来の保証ではない。

 

 離れても、自分のところへ戻ろうとしてくれるという約束だった。

 

「絶対、帰ってくるよ」

 

 なのはは小指を差し出した。

 

 ヴィヴィオの小さな指が絡む。

 

「だから、ヴィヴィオもちゃんとごはんを食べて、ちゃんと眠ること」

 

「にがいお野菜は?」

 

「一つは食べます」

 

「二つじゃない?」

 

「明日は特別に一つ」

 

 ヴィヴィオが、ようやく少し笑った。

 

 それでも、指切りを終えてもなのはの手を離さない。

 

 フェイトが隣へ座った。

 

「ヴィヴィオ。なのはママが帰ってくるまで、私と一緒に待とう」

 

「フェイトママは、いかない?」

 

「私は明日の朝に出るよ。でも、その間はシャマル先生やザフィーラ、それに六課のみんながいる」

 

「二人とも、いなくなるの?」

 

 せっかく浮かんだ笑顔が、また曇った。

 

 フェイトは困ったようになのはを見る。

 

 なのはも、すぐには答えを見つけられなかった。

 

「ヴィヴィオ」

 

 フェイトは小さな手を包んだ。

 

「私にも、お母さんが二人いるんだ」

 

「フェイトママも?」

 

「うん。私を生んだお母さんと、今の私を娘にしてくれたお母さん」

 

 プレシアを思えば、今でも胸は痛む。

 

 リンディを思えば、帰れる場所の温かさを知る。

 

 どちらか一人を消さなければ、今の自分を家族と呼べないわけではない。

 

「二人とも同じところにはいない。でも、離れていても、私は二人の娘だよ」

 

「ヴィヴィオも?」

 

「もちろん」

 

「なのはママとフェイトママが、お仕事にいっても?」

 

「どこにいても、ヴィヴィオは私たちの娘だよ」

 

 なのはが頷いた。

 

「帰ってきたら、最初にヴィヴィオへただいまって言うね」

 

「じゃあ、ヴィヴィオがおかえりって言う」

 

「約束」

 

 今度は三人で指を重ねた。

 

 出発を知らせる音が鳴る。

 

 なのははヴィヴィオを抱きしめ、立ち上がった。

 

「行ってきます」

 

「いってらっしゃい、なのはママ」

 

 泣かなかった。

 

 ヴィヴィオはフェイトの手を握り、なのはが廊下の向こうへ見えなくなるまで見送った。

 

     ◇

 

 地上本部へ向かう輸送車の中で、ティアナは窓の外を眺めていた。

 

 隣にはヴァイスが座っている。

 

 いつもなら軽口の一つも出るところだが、今日は整備用の布でストームレイダーを拭いていた。

 

「緊張してるんですか?」

 

 ティアナが尋ねる。

 

「そりゃするさ。お偉いさんがまとめて狙われるかもしれねえ日だ」

 

「ヘリは飛ばすだけでしょう」

 

「飛ばすだけが難しいんだよ」

 

 ヴァイスは照準器を確かめ、布を畳んだ。

 

「地上で何かあっても、俺が降りて助けに行けるとは限らねえ。だから、お前らをちゃんと必要な場所へ運ぶ。それが俺の仕事だ」

 

「私たちは、運ばれた先でちゃんと働きます」

 

「頼もしくなったな、ティアナ」

 

「最初からです」

 

「そういうことにしといてやるよ」

 

 ヴァイスは笑った。

 

 ティアナは腰のクロスミラージュへ触れる。

 

 明日、内部へ入る隊長たちはデバイスを持ち込めない。

 

 何かあれば、外にいる自分たちが届ける役目も負う。

 

「必ず届けます」

 

「何を?」

 

「必要なものを、必要な人へ」

 

 ヴァイスは一瞬だけ目を細めた。

 

 やがて、いつもの調子でティアナの頭を軽く小突く。

 

「まずは自分が倒れねえことだ」

 

「分かってます」

 

 輸送車は、夜の地上本部へ入っていった。

 

     ◇

 

 公開意見陳述会当日の朝。

 

 地上本部中央棟では、入場者の確認が続いていた。

 

 内部へ持ち込める武装には厳しい制限がある。

 

 なのははレイジングハートを。

 

 フェイトはバルディッシュを。

 

 はやてはシュベルトクロイツを。

 

 シグナムはレヴァンティンを。

 

 それぞれ外周警備の隊員へ預けた。

 

「何かあったら、すぐ持ってきてね」

 

 なのはの言葉に、スバルが大きく頷く。

 

「はい!」

 

「何も起こらないのが一番だけどな」

 

 ヴィータが腕を組んだ。

 

 リインはその隣で、周囲の魔力反応を確認している。

 

「今のところ、異常はありませんです」

 

「そのまま終わってくれたら、みんなで晩ごはんやな」

 

 はやてが笑う。

 

「ヴィヴィオが待ってるから、遅れられないね」

 

 なのはも笑った。

 

 昨夜交わした約束は、まだ温かいまま胸に残っていた。

 

 中央棟の扉が閉じる。

 

 なのは、フェイト、はやて、シグナムは内部へ。

 

 フォワードたちはデバイスを預かり、外周の配置へ戻った。

 

 いつもより多くの人間がいる。

 

 いつもより厳重な警備がある。

 

 それでも、誰も見ていない地下で、最初の命令はすでに動き始めていた。

 

     ◇

 

「さあ、始めよう」

 

 ジェイル・スカリエッティは、無数の画面を前に両腕を広げた。

 

「長く待った祭りの日だ」

 

 地上本部周辺。

 

 機動六課。

 

 それぞれの位置へ、ガジェットとナンバーズが動き始める。

 

 高濃度のAMFが発生した。

 

 外部通信が一斉に乱れる。

 

 中央棟の隔壁が、下層から順に閉鎖された。

 

「通信障害!」

 

「内部回線も切られています!」

 

 地上本部の管制員たちが声を上げる。

 

 照明が一度落ち、非常灯へ切り替わる。

 

 なのはは反射的に胸元へ手を伸ばした。

 

 そこにレイジングハートはない。

 

 フェイトも同じだった。

 

「始まった」

 

 はやてが短く言う。

 

 シグナムは閉じた隔壁を睨んだ。

 

「主はやて。ここは私が」

 

「単独行動はあかん。まず内部の状況を確認する。なのはちゃん、フェイトちゃん、いける?」

 

「うん」

 

「大丈夫」

 

 魔力は使える。

 

 だが、AMFの中で出力は大きく削られ、手元にデバイスもない。

 

 四人は避難誘導を始めた。

 

 外周では、スバルたちが閉じた中央棟を見上げていた。

 

「なのはさん!」

 

 通信は届かない。

 

 デバイスを届けるための入口も、次々と隔壁に塞がれていく。

 

「まず合流経路を探す!」

 

 ティアナが声を張った。

 

「ここで全員動いたら、外から来る敵を止められない。エリオ、キャロ、周辺反応を!」

 

「はい!」

 

 キャロが探査を広げる。

 

 いくつもの反応が近づいていた。

 

     ◇

 

 地上本部のさらに外側。

 

 AMFの境界を見下ろす高架の上に、二人の白い仮面が立っていた。

 

 一人は十三歳ほど。

 

 もう一人は、十九歳ほどの長身。

 

 仮面のせいで、監視映像にはどちらの顔も残らない。

 

 クオンの端末には、十二人の名前が並んでいた。

 

 位置を示す情報は、すでに複数へ分かれている。

 

 地上本部内。

 

 外周。

 

 遠隔待機。

 

 所在非開示。

 

「始まったね」

 

「見りゃ分かる」

 

 ストライクは眼下の警備網を見た。

 

 逃げ道を見つける目だった。

 

 強い相手を探す目でもある。

 

「第一帰還地点は生きてる」

 

 クオンが言う。

 

「でも、中央側からはAMFを抜けないと転送できない」

 

「俺が道を作る」

 

「戦わないでとは言わない。でも、追いすぎないで」

 

「二度も言わせるな。任せろ」

 

 ストライクは高架から身を投げた。

 

 落下の途中で足場を蹴り、地上本部の外壁沿いへ消える。

 

 シグナムの位置は共有記録で知っている。

 

 だからこそ、その探知範囲を避けた。

 

 今ここで会う理由はない。

 

 先に果たすと決めた役目がある。

 

 別の区画では、ヴィータとリインが大きな魔力反応を捉えていた。

 

「来るぞ、リイン!」

 

「はいです!」

 

 ゼストとアギト。

 

 二人の前に現れた相手へ、白い仮面は割り込まない。

 

 外周を進もうとしたフォワードの前には、ノーヴェとウェンディが降り立った。

 

「ここから先は通さねえ」

 

 ノーヴェが拳を構える。

 

 ウェンディが固有武装を展開した。

 

「悪いっすけど、少し付き合ってもらうっすよ!」

 

 スバルが前へ出る。

 

「ティア、ここはあたしが!」

 

「一人で行かない! 隊列を崩さず、デバイスを守って!」

 

 戦いが始まる。

 

 クオンは高架の上から動かなかった。

 

 ノーヴェの戦いへ割り込めば、六課側を傷つけることになる。

 

 六課へ加勢すれば、ノーヴェの選択を奪う。

 

 今の役目は勝敗を変えることではない。

 

 倒れたときに迎えに行ける距離を保つ。

 

 帰還路が塞がれたら、別の道を開く。

 

 そのために来た。

 

 端末へ新しい作戦情報が流れ込んだ。

 

 次の目標。

 

 機動六課隊舎。

 

 レリック。

 

 聖王の器。

 

 クオンの指が止まった。

 

 聖王の器という言葉を、記録は知っている。

 

 けれど、最初に浮かんだのは、その呼び名ではなかった。

 

 ヴィヴィオ。

 

 自分をクオンお兄ちゃんと呼んだ子。

 

 帰る場所を自分で選んだ子。

 

 今、機動六課には、ヴィヴィオと非戦闘員が残っている。

 

 地上本部で待てば、ノーヴェたちへ手を伸ばせる。

 

 機動六課へ行けば、ここへ戻るまでに時間がかかる。

 

 一つの身体で、二つの場所にはいられない。

 

 けれど、今日は一人ではなかった。

 

「ストライク」

 

 通信を開く。

 

『何だ』

 

「機動六課も狙われる」

 

『知ってる。こっちにも更新が来た』

 

「ヴィヴィオがいる」

 

 短い沈黙。

 

『行け』

 

「でも、ノーヴェたちは」

 

『俺に頼んだだろ』

 

 道場で聞いた言葉が返ってくる。

 

『こっちは俺が帰す。お前は、お前が先に浮かべた名前のところへ行け』

 

「分かった」

 

『兄弟』

 

「何?」

 

『全部、自分で持とうとするな。手が足りねえなら、また呼べ』

 

「うん」

 

 クオンは通信を切った。

 

 機動六課の方角へ身体を向ける。

 

 白い仮面の下にある顔を、今は誰も知らない。

 

 自分自身さえ、それが一人だけの顔になったことを理解していない。

 

 それでも、選んだ名前だけは迷わなかった。

 

「待ってて、ヴィヴィオ」

 

 クオンは高架を蹴った。

 

 地上本部では、十二人を帰すために頼った兄弟が待っている。

 

 機動六課には、帰る場所を選んだ少女がいる。

 

 一人で両方へ行くのではない。

 

 任せた場所を振り返らず、自分が行くと決めた場所へ向かう。

 

 クオンより先に、失いたくない一人の名前があった。

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