昨夜、ようやく十二人全員に帰還の印がついた。
翌朝。
クオンが端末を開くと、そのうち二つの名前に出発予定が加わっていた。
ドゥーエ。
チンク。
出発先は、どちらも非開示。
任務内容も、帰還予定も記されていない。
ドゥーエは、昨日帰ってきたばかりだった。
それでも、もう次の任務へ出る。
以前のクオンなら、二人がいなくなってから空欄を何度も更新していただろう。
今日は先に、転送区画へ向かった。
出ていくことに気づけたのなら、見送ることができる。
怪我をしていないか確かめられる。
帰ってきてほしいと、出発する前に伝えられる。
帰還だけを見るのでは足りないと、昨日の自分が教えていた。
転送区画の前には、ノーヴェがいた。
壁へ背を預け、腕を組んでいる。
「ノーヴェ」
「遅えよ」
クオンは足を止めた。
「二人は?」
「まだ中だ。出発前の最終確認」
扉の向こうでは、ウーノが転送座標を調整している。
白い衣服へ着替えたドゥーエは、すでに潜入先で使う顔を選んでいた。
その隣に、小柄な少女が立っている。
銀色の髪。
片目を覆う眼帯。
身体の大きさだけなら、十三歳のクオンとほとんど変わらない。
けれど、周囲を見る目は落ち着いていた。
「チンク姉」
ノーヴェが呼んだ。
チンクが振り返る。
「どうした、ノーヴェ」
「別に。見送りに来ただけだ」
「そうか」
短い会話だった。
それだけで、二人の間には説明のいらないものがある。
クオンは、ノーヴェを見た。
「今、姉って呼んだ」
「呼んだけど、それがなんだよ」
「チンクは五番目だよ」
「知ってる」
「ウーノとドゥーエとトーレとクアットロより後なのに、姉なの?」
ノーヴェの眉が寄った。
「番号の話じゃねえよ」
「じゃあ、何で決まるの?」
「んなもん――」
答えかけて、ノーヴェが止まる。
考えたことがなかったのだろう。
チンクは二人のところまで歩いてきた。
「私が答えよう」
出発前だというのに、急いでいる様子はない。
「私たちは、同じドクターから生まれた。同じ目的を与えられ、同じ場所で育った。番号は完成した順番に近いが、それだけで姉妹になったわけではない」
クオンは黙って聞いた。
「失敗した妹を叱る。傷ついた妹を連れ帰る。知らないことを教え、危険があれば前へ出る。そうしているうちに、いつからか呼ばれるようになった」
「チンク姉って?」
「ああ」
ノーヴェは気まずそうに顔を背けた。
「別に、全員が呼んでるわけじゃねえからな」
「お前は呼ぶだろう」
「今はそういう話してねえ!」
チンクはわずかに笑った。
クオンは二人を見比べる。
「じゃあ、姉は自分で決めるものじゃないの?」
「少なくとも私は、自分から名乗った覚えはない」
「ボクは名乗ったよ」
「知っている」
「間違ってた?」
「順番が逆なのだろう」
チンクの答えは静かだった。
「兄だから守るのではない。守り、待ち、必要なときに手を伸ばした者が、いつか兄と呼ばれる」
クオンは胸の奥に、その言葉を置いた。
すぐには理解できない。
久遠は、誰かに兄と呼ばれたかったわけではない。
なのはたちの隣に立つために、できることを増やし続けた。
最後まで、何者にもなれなかったと思いながら。
けれど、呼ばれなかったことと、そうではなかったことは同じなのだろうか。
「難しい顔をするな」
チンクが言った。
「お前は、昨日ノーヴェの脚を見たそうだな」
「誰に聞いたの?」
「本人だ」
クオンがノーヴェを見る。
「言うなよ、チンク姉!」
「報告は必要だ。調整不良を隠すなとも言ったはずだぞ」
「それとこいつの話は別だろ!」
「別ではない。直してもらったのなら礼を言え」
ノーヴェはますます不機嫌な顔になった。
やがて、聞き取れるぎりぎりの声を出す。
「……昨日は、ありがとな」
「うん」
「嬉しそうな顔すんな!」
クオンは自分の頬へ触れた。
嬉しそうな顔がどんなものか、まだよく分からない。
けれど、ノーヴェにはそう見えたらしい。
「出発時刻です」
ウーノの声が告げた。
チンクは転送陣へ戻る。
ドゥーエも、その隣へ並んだ。
「チンク」
クオンが呼び止める。
「何だ」
「帰ってきて」
「命令か?」
「お願い」
昨日、ドゥーエへ向けたものと同じ言葉。
けれど今日は、待つ以外に何をするべきかを知り始めている。
「分かった。受け取っておこう」
チンクは約束とは言わなかった。
帰還できると保証もしなかった。
ただ、クオンの願いを置き去りにはしなかった。
転送光が二人を包む。
「ドゥーエも」
「ええ」
ドゥーエは穏やかに答えた。
「昨日ほど待たせないよう、努力します」
光が消える。
二人の立っていた場所には、何も残らなかった。
クオンは端末を開く。
ドゥーエ。
チンク。
任務中。
帰還欄は空白。
「また、そこで待つのか?」
ノーヴェが聞いた。
「待つ。でも、それだけじゃ足りない」
「じゃあ、どうすんだよ」
「考える」
「結局、分かってねえじゃねえか」
「うん」
クオンは認めた。
「だから、君たちに教えてもらう」
ノーヴェは呆れたように息を吐いた。
「勝手にしろ、自称兄貴」
昨日までは、自称お兄ちゃんだった。
言い方が少しだけ変わったことに、ノーヴェ自身は気づいていない。
クオンは気づいた。
けれど、指摘しなかった。
◇
「ギン姉!」
機動六課の玄関ホールへ、スバルの声が響いた。
正式な出向辞令を手にしたギンガが、荷物を持って立っている。
駆け寄ったスバルは、そのまま姉へ抱きつきそうになり、直前で隊員らしい姿勢を思い出した。
「本日付で、陸士一〇八部隊から出向になりました。ギンガ・ナカジマ陸曹です」
「よろしく、ギンガ」
なのはが迎える。
フェイトとはやて、フォワードの仲間たちも並んでいた。
ヴィヴィオはなのはの隣から、よく似た姉妹を見上げている。
「スバルのお姉さん?」
「そうだよ。ギン姉っていうの」
「ギンガです。よろしくね、ヴィヴィオ」
ギンガが目線を合わせると、ヴィヴィオは丁寧に頭を下げた。
「よろしくおねがいします」
その姿に、周囲から小さな笑いが起きた。
ギンガはスバルの肩へ手を置く。
「ここで頑張っているところ、父さんから聞いてるわ」
「聞くだけじゃなくて、見てよ。あたし、すっごく強くなったんだから」
「それなら、あとで確かめないとね」
なのはが、その言葉を聞き逃さなかった。
「ちょうどいいね。今日の訓練、最初は二人の模擬戦にしようか」
「え」
声を揃えた姉妹へ、なのはが笑う。
「スバルがどれだけ成長したか、お姉さんに見てもらおう」
スバルの顔が輝いた。
ギンガは少し困ったように笑い、それでも断らなかった。
二人が並んで訓練場へ向かう。
番号ではなく、名前で呼び合う姉妹。
生まれた順番だけではなく、共に過ごした時間によって結ばれた二人。
そのころ、別の場所では、番号を与えられた姉妹たちが戦いの準備を整えていた。
そして、そのどちらにも属さない少年が、兄と呼ばれる方法を考え始めていた。
◇
訓練場では、二組の模擬戦が同時に始まっていた。
一方では、ヴィータがティアナの射撃を正面から崩している。
「突撃型が素直に正面から来ると思うな! 目と足と、相手が次に壊したい場所を見ろ!」
「はい!」
鋼の槌が地面を砕く。
ティアナは土煙を利用して後退し、二つの幻影を左右へ走らせた。
もう一方では、スバルとギンガが拳を構えて向かい合う。
二人の足元へ、同じ形式の魔法陣が広がった。
「準備はいい?」
ギンガが尋ねる。
「いつでも!」
スバルの返事と同時に、二人が踏み込んだ。
拳がぶつかる。
硬い音が訓練場へ響き、互いの身体が逆方向へ弾かれた。
先に体勢を立て直したのはスバルだった。
片足のローラーを回転させ、弧を描いてギンガの側面へ入る。
以前なら、そのまま勢いに任せて拳を振り抜いていた。
だが今は、ギンガの視線が動いた瞬間に足を止める。
誘われている。
そう判断し、一歩引いた。
直後、青い拳が、スバルのいた場所を通り過ぎる。
「今のを止まれるようになったのね」
「毎日、何回も引っかかったから!」
なのはとヴィータに、同じような誘いを何度も受けている。
失敗するたび、なぜ踏み込んだのかを言葉にさせられた。
考える前に動く癖は、消えてはいない。
それでも、考えながら動ける瞬間が増えた。
スバルは左を見せ、右から入る。
ギンガが受ける。
受けられることまで予想して、身体を回し、逆の拳を重ねる。
姉の防御が初めて大きく揺れた。
「やるじゃない」
ギンガの声が弾む。
そこからは、訓練というより、久しぶりに会った姉妹の会話だった。
拳で問い、足で答える。
離れていた時間に何を覚えたのか。
どれだけ強くなったのか。
言葉より先に、互いの身体が理解していく。
最後は、二人の拳が同時に頬の前で止まった。
「そこまで」
なのはの声で、姉妹は構えを解いた。
スバルはすぐにギンガへ駆け寄る。
「どうだった?」
「驚いた。攻撃と防御の切り替えも、踏み込む前の判断も、前とは全然違う」
「合格?」
「うん。合格」
その一言だけで、スバルは訓練の勝敗以上に嬉しそうな顔をした。
ティアナが少し離れたところで息を整える。
「本当にお姉ちゃんっ子ね」
「ギンガもスバルには甘いな」
シグナムが腕を組んだ。
「でも、いい動きでした」
なのはも頷く。
入隊してから固めてきた近接戦の基礎が、ようやく一つの形になり始めている。
「せっかくだから、ギンガも入って次へ行こうか」
なのはが明るく言った。
「次、ですか?」
「フォワード五人対、前線隊長四人」
ギンガの表情が固まった。
スバルがそっと姉の肩へ手を置く。
「ギン姉。これ、たまにやるんだ」
「隊長たち、かなり本気できます」
エリオが真面目な顔で付け加える。
「まともにぶつかったら終わりです」
「地形と幻術を使って、とにかく逃げるの」
ティアナはもう作戦を考え始めていた。
キャロが指を一本立てる。
「四人のうち誰か一人に、決められた攻撃を入れられたら私たちの勝ちです」
「それは訓練というより、狩りでは?」
「大丈夫」
なのはが笑う。
「ちゃんと加減するから」
その笑顔を見たフォワード四人は、誰も安心しなかった。
ギンガはようやく、自分が妹の暮らす部隊へ来たことを実感した。
◇
訓練開始から二十分後。
フォワード五人は、全員地面に倒れていた。
ティアナの幻術でフェイトを誘導し、キャロの補助を受けたエリオが一撃を狙うところまではよかった。
だが、フェイトを追い込んだと思った瞬間、背後からシグナムが現れた。
スバルとギンガが進路を塞ぎ、ヴィータをなのはの射線へ押し込む作戦も、あと一歩で崩された。
地面へ仰向けになったギンガが空を見上げる。
「本当に、かなり本気なのね」
「だから言ったでしょ」
隣で倒れているスバルが答えた。
なのはは五人を見回し、記録端末を閉じる。
「連携は悪くなかったよ。ただ、目標へ集中しすぎ。相手が四人いることを忘れないで」
「反省レポートは今日中な」
ヴィータが追い打ちをかける。
五人の返事が、疲れ切った声で重なった。
明日、出動があっても動ける範囲。
そのぎりぎりまで鍛える。
何も起きていない日は、休息であると同時に、次に生き残るための時間だった。
訓練場の入口から、小さな声がする。
「おはようございます」
ヴィヴィオがアイナに手を引かれ、丁寧に頭を下げていた。
マリエルは、突然現れた子供に戸惑いながら挨拶を返す。
「あの子がヴィヴィオ?」
「そうです」
シャーリーが答えた。
ヴィヴィオはなのはを見つけると、手を離して駆け出す。
「なのはママ!」
数歩走ったところで、足がもつれた。
柔らかい芝の上へ、前から転ぶ。
「ヴィヴィオ!」
フェイトが駆け寄ろうとする。
なのはは、その腕を軽く押さえた。
「大丈夫。ちゃんと手をついて転べたから、怪我はしてないよ」
ヴィヴィオは顔を上げた。
涙が目に溜まっている。
「ママ……」
なのははその場へ膝をついたが、抱き上げには行かなかった。
「ここにいるよ。自分で立って、おいで」
ヴィヴィオは地面へ手をついた。
立とうとして、また膝をつく。
涙がこぼれた。
「まだ小さいんだから、助けてもいいと思う」
フェイトが耐えられずに言った。
「怪我をしたときは助けるよ。でも、転んだだけなら、自分で立てたほうがいいから」
「それでも、泣いてるよ」
フェイトはヴィヴィオのところまで行き、今度は抱き上げた。
ヴィヴィオが首へしがみつく。
「フェイトママ」
「怖かったね。でも、次は気をつけようね。ヴィヴィオが怪我をしたら、私たちも悲しいから」
「ごめんなさい」
なのはは困ったように笑った。
「フェイトママは、ちょっと甘いです」
「なのはママが厳しすぎるんです」
二人はヴィヴィオを挟んで見つめ合った。
喧嘩ではない。
同じ子を大切に思いながら、守り方が違うだけだった。
マリエルはその光景を見て、シャーリーへ小声で尋ねる。
「二人の子供?」
「違います。保護児童です。なのはさんが保護責任者で、フェイトさんが後見人」
「そういうこと」
納得したような、していないような顔だった。
ヴィヴィオはフェイトの腕から降りると、今度こそ歩いてなのはのところへ向かった。
なのはが両腕を広げる。
辿り着いたヴィヴィオを、今度はすぐに抱きしめた。
厳しくすることと、突き放すことは違う。
甘くすることと、何もさせないことも違う。
二人とも、母親になったばかりだった。
ヴィヴィオと一緒に、そのやり方を覚え始めている。
◇
スカリエッティの施設では、新しい身体の動作確認が進んでいた。
セッテ。
オットー。
ディード。
三人が検査区画へ並び、順番に固有技能を起動する。
クアットロが表示された数値を読み上げた。
「七番、八番、十二番。基礎動作に問題なし。固有技能との同期も予定範囲内です」
別の区画では、ノーヴェとウェンディが完成した固有武装を試している。
ウェンディは新しい装備を抱え、隠そうともせず楽しそうにしていた。
「これで思いっきり暴れられるっす!」
「壊すなよ」
ノーヴェが言う。
「使う前から壊さないっすよ」
「お前は信用ならねえ」
二人のやり取りを、クオンは検査室の端から見ていた。
十三歳の姿は、昨日より安定している。
それでも、長く動けば輪郭が崩れる状態は変わらない。
「何を見ているのです?」
クアットロが近づいてきた。
「名前と顔を合わせてる」
「記録には入っていますよ?」
「記録だけじゃ分からないから」
クオンは三人の前へ立った。
「セッテ」
「はい」
「オットー」
「何だ」
「ディード」
「はい」
一人ずつ返事を聞く。
同じ施設で、同じ目的のために生まれた。
けれど、声も、視線も、立ち方も違う。
「身体は痛くない?」
三人が互いを見る。
「調整上の異常はありません」
セッテが代表して答えた。
「異常じゃなくて、痛いかを聞いた」
「同じ意味では?」
「違うよ。動けても痛いことはある」
昨日のノーヴェがそうだった。
ディードが自分の手を握り、開く。
「痛みはありません」
「分かった。痛くなったら教えて」
「なぜ、あなたに?」
「帰ってくるまで見るから」
答えになっていないと、ディードの目が告げている。
クアットロは口元へ指を当てた。
「お兄ちゃんだから、ですか?」
「うん」
「けれど、あなたには番号がありません。わたくしたちの何番目のお兄ちゃんになるのかしら」
「番号はいらない」
クオンは迷わなかった。
「帰還欄には、名前があればいい」
クアットロの笑みが、ほんの少しだけ止まった。
番号は管理するために必要だ。
能力を分類し、作られた順番を示し、役割を与える。
けれど、帰ってきたかを確かめるだけなら、名前だけで足りる。
スカリエッティが検査区画へ入ってきた。
「素晴らしい。全員、実に良い仕上がりだ」
完成した身体。
完成した武装。
配置についたドゥーエとチンク。
公開意見陳述会へ向けた準備は、ほとんど整っている。
「祭りの日は近い。君たちにも、存分に力を振るってもらうよ」
「楽しみっすね」
ウェンディが答えた。
ノーヴェは笑わない。
「あたしは、確かめたいだけだ」
「何を?」
クオンが聞いた。
「あたしたちの王様が、どんな奴なのか。あたしたちの上に立つだけの奴なのか」
王。
クオンの記録には、古代ベルカの聖王に関する情報がある。
だが、ノーヴェが誰を指しているのかまでは共有されていない。
「会ったことはないの?」
「まだな」
「会ったら戦う?」
「必要なら」
ノーヴェは当然のように答えた。
クオンは検査区画にいる者を見回す。
「君たちは、戦いに行きたいの?」
ウェンディが首を傾げた。
「行けって言われてるっすよ?」
「命令の話じゃない。自分で行くの?」
問いの意味が伝わるまで、少し時間がかかった。
「私は命令を遂行します」
セッテが答える。
「それが、私の存在理由です」
「ボクが聞いているのは理由じゃないよ」
「では、何を?」
「嫌じゃないか」
セッテはすぐには答えなかった。
嫌だと思うことと、命令を拒むことを、別々に考えた経験がない。
オットーも、ディードも同じだった。
「あたしは行く」
ノーヴェが沈黙を破った。
「誰に言われなくても、確かめるって決めた」
「危ないよ」
「知ってる」
「帰れないかもしれない」
「それでもだ」
クオンはノーヴェを見た。
止めようと思えば、止められる。
武装を奪い、別の場所へ転移させ、戦いが終わるまで閉じ込める。
それは、守ることなのだろうか。
本人の答えを無視し、行き先を決める。
子供を戦場へ送る大人と、向きだけが違う同じものにならないだろうか。
「分かった」
クオンは言った。
「止めない」
「最初から、お前に止められるつもりはねえよ」
「でも、帰ってきて」
「またそれか」
「うん」
行くことを選ぶなら、帰る方法を増やす。
傷ついたなら治す。
動けないなら迎えに行く。
それが、自分の考える兄に近いのかもしれない。
「待ってるだけじゃ足りないから、帰れるようにする」
ノーヴェは答えなかった。
代わりに、新しい武装の固定具を確かめる。
クオンの言葉を拒絶はしなかった。
◇
昼食の席で、ヴィヴィオは皿の端へ緑色の野菜を集めていた。
なのはが正面から見ている。
「ヴィヴィオ」
「にがいの、きらい」
「一つは食べよう」
「ひとつ?」
「今日は一つ。明日は二つ」
ヴィヴィオは真剣な顔で野菜を見る。
フェイトが隣から、小さく切り分けた。
「これなら食べられるかな。ほかのおかずと一緒にして」
「フェイトちゃん」
「食べないよりはいいでしょ?」
はやてが向かいから楽しそうに笑った。
「二人とも、すっかりお母さんやな」
「まだ全然だよ」
なのはは答えた。
「分からないことばっかり」
「せやから家族なんやろ。最初から全部分かる相手なんておらへんよ」
ヴィヴィオは小さくされた野菜を口へ入れた。
苦そうに顔をしかめ、それでも飲み込む。
「食べた」
「えらい」
なのはとフェイトの声が重なった。
少し離れた席では、ギンガがその様子を見ながらスバルの幼いころを話している。
「スバルも、嫌いなものを全部私のお皿へ移してたのよ」
「ギン姉、それ言わなくていいから!」
「それで父さんに見つかって、二人とも怒られた」
「ギンガも食べてあげてたんだ」
ティアナが呆れる。
「お姉ちゃんだから」
ギンガは当たり前のように答えた。
その言葉に、重さはない。
日々の小さな失敗と、庇い合った記憶が、そのまま姉という呼び名になっている。
午後、スバルとギンガ、フォワードの一部は、マリエルとともに医療センターへ向かった。
表向きは、いつもの健康診断。
出動が続いた身体に異常がないかを確かめるためのものだ。
検査項目の一部は、ほかの隊員より細かい。
理由を知る者は限られている。
スバルとギンガは何も言わず、慣れた手順で検査室へ入った。
姉妹がどのような身体で生まれたのか。
その事実は、まだ部隊の仲間たちへ明かされない。
今はただ、同じ部隊で笑い、訓練し、互いを姉妹と呼ぶ二人だった。
◇
地上本部では、公開意見陳述会へ向けた準備が進んでいた。
レジアス・ゲイズの机には、機動六課の調査報告と、本局査察部の動向が並んでいる。
「六課から、こちらへ繋がる材料は出たか」
「現時点では何も」
オーリスが答える。
「ですが、本局側もこちらを調べています。査察官の中には、追跡に向いた希少技能の保有者もいます」
「いつものことだ。いつものように処理しろ」
レジアスは苛立ちを隠さない。
地上を守るためには力が必要だ。
本局の魔導師や、希少な才能を持つ少数の人間だけに依存しない力。
そのために進めてきた計画を、途中で止めるつもりはない。
「アインヘリアルは」
「三号機の最終確認が遅れています。陳述会までには完了させます」
「遅らせるな」
オーリスは一礼し、部屋を出た。
過ぎた力ではないかと思うことはある。
それでも、父が選んだ道だった。
最高評議会から届く言葉も、これまでどおり進めよというものだった。
表では、陳述会の警備が強化される。
裏では、その警備を破る準備が完成へ近づいている。
誰もが必要な力を求めながら、同じ場所へ集まり始めていた。
◇
地上本部監察部門の内部領域には、公開意見陳述会へ参加する全部隊の配置表が集められていた。
以前から機動六課を追っている閲覧者が、地上本部の防衛計画と六課の警備計画を並べる。
業務上必要なのは、部隊名、担当区域、指揮権限だけだった。
それでも閲覧者は、配置表にある三人の名を一つずつ開いた。
八神はやて。
高町なのは。
フェイト・T・ハラオウン。
現在の担当区域。
直近の負傷記録。
次に予定されている勤務。
監察報告へ載せる必要のない情報だった。
閲覧者は三人の記録を閉じ、それらを報告から外した。
公開意見陳述会当日、地上本部と機動六課の主要戦力が同一地点へ集中。
当日を重点監察へ切り替える。
署名のない上位権限から、返信が届く。
警備計画には手を加えるな。地上本部と六課、双方が何を選ぶのかを、そのまま記録したまえ。
配置表は閉じられた。
三人の個人記録を開いた理由だけは、どこにも残らなかった。
◇
クオンは、ウーノの管制室へ三つの転送座標を並べた。
第一帰還地点。
第二帰還地点。
緊急退避地点。
「何をしているのです?」
ウーノが尋ねる。
「帰る場所を増やしてる」
「通常の作戦にも撤退地点は設定されています」
「そこが使えなくなったら?」
「代替座標へ移ります」
「それも使えなかったら?」
「現地判断です」
「じゃあ、もう一つ作る」
クオンは施設内部だけではなく、外部の安全区画を候補へ加えていた。
転送妨害がある場合。
魔力が尽きた場合。
歩けない者がいる場合。
追跡されている場合。
帰還経路を一つずつ分ける。
治療区画には、ナンバーズそれぞれの身体に合わせた最低限の器具を置く。
ノーヴェの脚を調整した経験が役に立った。
「許可は取ったのですか?」
「まだ」
「使う予定は?」
「分からない」
「必要になる根拠は?」
「ないよ」
ウーノは端末を見た。
無駄になる可能性のほうが高い。
誰も使わず、誰も感謝せず、作ったことさえ知られないかもしれない。
「それでも作るのですね」
「使わなかったら、それでいい」
クオンは次の座標を入力する。
「帰ってこられないより、ずっといい」
ウーノは止めなかった。
代わりに、使用されていない治療区画の権限を一部だけ開放した。
「ここなら、最低限の設備があります」
「使っていいの?」
「通常任務の妨げにならない範囲で」
「ありがとう」
「礼は、誰かが無事に帰ってからにしてください」
クオンは頷いた。
端末の端では、二つの名前が任務中のまま残っている。
チンクからは、一度だけ短い定時信号が届いた。
ドゥーエからの通信はない。
潜入任務では、予定どおりだった。
予定どおりだと理解していても、空白を見ると胸が冷える。
クオンは画面を閉じず、同時に座標の作成を続けた。
待つだけではない。
帰ってくるために、今できることがある。
それを教えたのは、兄と呼ばれる者が何をしてきたかを語ったチンクだった。
◇
日が沈む前、機動六課の隊長陣は会議室へ集まった。
聖王教会から届いた、最新の予言解釈。
公開意見陳述会。
地上本部の要人が一か所へ集まる日。
襲撃が起きるなら、そこだと考えられた。
「警備は通常より厳重になる」
はやてが配置図を示す。
「ただ、建物の中へ入れる六課の主力は、私となのはちゃん、フェイトちゃんの三人だけになりそうや」
「三人いれば、内部は対応できるよ」
フェイトが言う。
「外はフォワードと副隊長たちに任せる。みんな、ここまで鍛えてきたから」
なのはの声にも迷いはなかった。
デバイスの出力制限も、翌日から一段階緩和される。
予測される戦いへ向け、六課も準備を終えつつある。
「ここを守り切れたら、事件は一気に好転する」
はやてが言った。
「きっと大丈夫」
なのはが応える。
フェイトも頷いた。
誰も、その言葉を疑わなかった。
訓練は積んだ。
装備も整えた。
警戒すべき場所も分かっている。
守る準備は、できているはずだった。
同じ時刻。
スカリエッティの施設でも、別の準備が終わろうとしていた。
新しい身体。
固有武装。
潜入経路。
地上本部と機動六課、それぞれへ向けられた役割。
ノーヴェたちは、まだ出撃命令を受けていない。
だが、その日が近いことを全員が知っている。
クオンの端末には、十二人の名前が並んでいた。
ドゥーエ。
任務中。
チンク。
任務中。
ほかの十人。
施設内。
その横へ、新しい項目が加わっている。
帰還地点。
代替経路。
必要な治療。
最後に確認した時刻。
名前を数えるだけだった表が、帰すための計画へ変わり始めていた。
クオンは、チンクの言葉を思い出す。
兄だから守るのではない。
守り、待ち、必要なときに手を伸ばした者が、いつか兄と呼ばれる。
呼ばれるかどうかは、まだ分からない。
それでも、先にできることをする。
クオンは十二人分の退路を、もう一度確かめた。
待つのは、できることを全て終えたあとでいい。
兄と呼ばれる方法は、まだ分からない。
けれど、帰ってこられるようにする方法なら、一つずつ増やせる。
公開意見陳述会まで、あとわずか。
誰かの娘たちと、誰かの姉妹たちが、同じ戦場へ向かおうとしていた。
その間でクオンは、まだ空いている帰還欄を見つめていた。c