乾いた音が、古い道場へ響いた。
木剣と木剣がぶつかる音ではない。
受け損ねた弟子の身体が、床へ叩きつけられた音だった。
「立て」
十九歳ほどの青年が、倒れた少年を見下ろしている。
白い仮面はつけていない。
動きやすい黒の稽古着をまとい、右手には何も持っていなかった。
素手で、木剣を持った相手を投げたのだ。
「今ので三度目だ。踏み込む前に肩が上がる。目を閉じても分かる」
「はい、師匠……!」
「返事に息を使うな。立って構えろ」
少年が歯を食いしばって立ち上がる。
周囲では、年齢も得物も違う四人の弟子が、自分の稽古を止めずにその様子を見ていた。
「見世物じゃねえぞ」
青年が視線だけを向ける。
「止めた奴は外周二十周だ」
四人の動きが一斉に速くなった。
ミッドチルダの市街地から離れた山裾。
交通の便も悪く、近くに転送施設もない。
そこに建つ古い道場を、青年は自分の居場所にしていた。
誰かに命じられたわけではない。
戦い方を知りたい者が来たから教えた。
途中で逃げなかった者だけが残った。
それだけだった。
「もう一度だ」
立ち上がった少年が木剣を構える。
今度は肩を上げない。
足で床を蹴り、青年の間合いへ入る。
青年は半歩だけ身を引いた。
木剣が鼻先を通り過ぎる。
空いた脇腹へ拳を添える。
打ち抜きはしない。
「一つ直して、一つ忘れたな」
「……はい」
「百回で足りなきゃ千回だ。次」
入口で、戸が二度鳴った。
誰も返事をする前に、細い少年が顔を覗かせる。
十三歳ほど。
淡い色の上着に、黒いパンツ。
肩から小さな鞄を下げている。
白黒を反転させた騎士甲冑も、白い仮面もない。
ただの子供に見えた。
弟子の一人が手を止める。
「入門希望か?」
「違うよ」
「では、師匠に用ですか」
「うん」
少年の顔を見たはずなのに、弟子は視線を外した瞬間、その輪郭を思い出せなくなった。
髪が長かったか、短かったか。
目が何色だったか。
男の子だったかと聞かれれば、たぶんとしか答えられない。
「兄弟」
青年だけは、迷わず呼んだ。
クオンは道場へ入った。
「久しぶり、ストライク」
「俺にとっちゃ、昨日もお前の記録を見てる。久しぶりって感じはしねえな」
「会うのは久しぶりだよ」
「それもそうか」
ストライクは弟子たちへ向き直った。
「外周へ行け。二十周」
「師匠、俺は止まってません」
「客が来たから自主稽古へ切り替えただけだ。文句があるなら三十周にする」
「二十周、行ってきます!」
五人が競うように道場を出ていく。
最後の一人が戸を閉めると、広い空間に二人だけが残った。
ストライクは壁際へ歩き、水の入った瓶を一本投げる。
クオンは両手で受け止めた。
「それで?」
「何が?」
「俺の顔を見に来ただけなら、あいつらを追い出す必要はなかった」
クオンは瓶を持ったまま、しばらく黙った。
頼み方を考えていた。
命令なら、簡単だった。
必要な場所と役割を告げればいい。
けれど、ストライクは命令されるためにここにいるのではない。
「手が足りないんだ」
ようやく言った。
「だから、手伝ってほしい」
ストライクの口元が上がった。
「へえ」
「何?」
「兄弟が俺に甘えてくる日が来るとはな。道場なんか始めてみるもんだ」
「甘えてないよ」
「手が足りねえから貸してくれ。十分、甘えてる」
「必要だから頼んでるだけ」
「それを甘えるって言うんだよ」
クオンは瓶へ目を落とした。
甘える。
記録の中では知っている。
自分だけではできないことを、できる誰かへ委ねること。
相手が受け止めてくれると信じて、弱い部分を渡すこと。
これまでのクオンに、その必要はなかった。
足りなければ、新しい身体を作ればいい。
届かなければ、別のクオンが向かえばいい。
それで済むはずだった。
「じゃあ」
クオンは顔を上げた。
「甘えさせて」
ストライクが声を上げて笑った。
「いいねえ。ようやく兄弟らしくなった」
「手伝ってくれるの?」
「話を聞いてからだ」
すぐには頷かない。
それでも、追い返しもしなかった。
クオンは公開意見陳述会の予定を伝えた。
地上本部へ、管理局の主要人物が集まる。
スカリエッティが動く可能性は高い。
ナンバーズにも、それぞれ別の役割が与えられている。
ドゥーエとチンクはすでに任務へ出た。
ノーヴェたちも、間もなく戦場へ向かう。
「帰還地点は三つ用意した」
クオンは端末を開いた。
「通常の転送が使える場所。妨害されたときの代替地点。歩けない人を直接送る緊急退避地点」
「準備がいいじゃねえか」
「でも、入り口を作るだけじゃ帰れない」
転送座標があっても、そこまで辿り着けなければ意味はない。
負傷して動けない者が出るかもしれない。
追われ、座標を固定する時間を得られない者もいる。
戦場は一つではない。
クオンの身体も、一つだった。
「他の兄弟はどうした」
ストライクが尋ねる。
「呼べばいい。俺に来られるなら、ほかにも声は届くだろ」
「遠いよ」
「転送させろ」
「準備と座標の接続に時間がかかる。戦いが始まってからじゃ間に合わない」
「俺なら?」
「ここからなら、地上本部の外周へ直接行ける。君なら転送妨害の外から走っても間に合う」
ストライクは腕を組んだ。
「つまり、俺が一番速くて、一番使える」
「今はね」
「最初からそう言えばいい」
断言に迷いはない。
クオンも否定しなかった。
「強い奴はいるのか」
「戦いに行くんじゃないよ」
「いるのかと聞いた」
クオンは記録を辿った。
「シグナム。高町なのは。フェイト・T・ハラオウン。八神はやて」
ストライクの笑みが深くなる。
「大盤振る舞いじゃねえか」
「全員、戦う相手じゃない」
「俺が決める」
「ナンバーズを帰すほうが先だよ」
「俺に命令するな」
低い声だった。
だが、拒絶ではない。
「頼まれた仕事を放り出して、目の前の強い奴に飛びつくほど安く見えるか?」
「少し」
「お前、甘える相手への口の利き方を知らねえな」
「初めてだから」
ストライクは鼻を鳴らした。
「なら教えてやる。頼んだあとは、任せろ」
クオンは小さく頷いた。
「任せる」
「よし」
話は決まったように思えた。
それでも、ストライクは壁から背を離さなかった。
「もう一つだ」
「何?」
「俺達が、なぜあいつらへ近づかないと決めたか。分かってるか」
あいつら。
名前を聞き返す必要はなかった。
高町なのは。
フェイト・T・ハラオウン。
八神はやて。
人間だった溱久遠を知る者たち。
「分かってる」
「言ってみろ」
「ボク達が近づけば、あの子たちは久遠を思い出す」
「それだけか」
「ボク達の存在が管理局へ知られる。捕まえようとする人も、利用しようとする人も出る。ほかのクオンまで危険になる」
「なら、地上本部へ出るのは方針に反する」
「白い仮面をつけるよ」
「そういう話じゃねえ」
ストライクの目が細くなった。
「お前があいつらの近くへ行くと決めた時点で、俺達全員に喧嘩を売ってる」
クオンは答えなかった。
「ほかのクオンを危険に晒すかもしれない。久遠を知る連中を、また迷わせるかもしれない。それでもやるのか」
「うん」
「俺達より、ナンバーズを取るか」
逃げ道のない問いだった。
全てを守るとは答えられない。
どちらも同じくらい大切だと濁すこともできない。
今、この瞬間に何を先へ置くかを聞かれている。
クオンの中には、ほかの個体が見た景色も、考えたこともある。
危険を避けるべきだという判断も、理解できる。
それでも、端末に並んだ十二の名前が浮かんだ。
出発したドゥーエとチンク。
新しい脚の違和感を隠したノーヴェ。
異常ではなく、痛いかと聞かれて戸惑ったセッテ、オットー、ディード。
戻る場所を用意してくれたウーノ。
まだ、誰もクオンを兄とは呼ばない。
そのことは関係なかった。
「それでも、あの子たちを帰したい」
クオンは言った。
「ボク達の意思より、ナンバーズを選ぶ」
道場が静かになった。
外を走る弟子たちの足音だけが、遠く聞こえる。
ストライクはクオンの顔を見た。
視線を外す。
壁に掛けられた白い仮面へ目を向ける。
もう一度、クオンへ戻した。
忘れていなかった。
伏せがちな目。
年齢より幼く見える頬。
男とも女とも言い切れない、細い輪郭。
そこにいる一人の顔が、記憶からほどけない。
「兄弟」
「何?」
「今、お前の顔が消えなかった」
クオンは自分の頬へ触れた。
「ずっとここにあるよ」
「そういう意味じゃねえ」
ストライクは数歩近づいた。
相手の呼吸、視線、重心。
日々、弟子たちの僅かな変化を見抜いている目で、クオンを見る。
認識を滑らせていたものが、ない。
仮面の下で一瞬だけ止まるのではなく、何もしなくても顔を覚えていられる。
「お前、誰だ?」
「ボクはクオンだよ」
答えは、いつもと同じだった。
まだ、それ以外の名を持っていない。
「俺もクオンだ」
ストライクは笑った。
「だから何だ。その名前のまま、勝手を通せ」
「怒らないの?」
「喧嘩を売られたとは言った。買わねえとは言ってない」
「戦う?」
「今から肩を並べるのに、先に潰してどうする」
ストライクはクオンの額を指で弾いた。
「俺に頭を下げた以上、半端は許さねえ」
クオンが額を押さえる。
「下げてないよ」
「同じだ。全員帰すぞ」
全員。
その言葉を聞くと、胸の奥の冷たいものが少しだけ薄れた。
自分一人ではない。
手が二つ増えた。
届く場所が増えた。
「うん」
クオンは答えた。
魔力が足元へ広がる。
淡い上着と黒いパンツが光に溶けた。
白と黒を反転させた騎士甲冑が、十三歳の身体を包む。
白いズボン。
黒を基調とした上衣。
背には、夜天の主のものを反転させたような白い羽飾り。
最後に、クオンは鞄から白い仮面を取り出した。
顔へつける。
ストライクは目を細めた。
今度は、そこにいると分かっていても輪郭が滑る。
先ほど覚えた顔そのものは消えない。
だが、仮面の中に同じ顔があると結びつかない。
「なるほどな」
「何?」
「素顔はお前一人のものになった。仮面はまだ、俺達のものらしい」
クオンには意味が分からなかった。
ストライクも説明しなかった。
壁へ掛けていた自分の白い仮面を取り、顔へつける。
十九歳の青年の輪郭が、たちまち認識から外れた。
「留守中は基礎稽古だ」
ストライクは外へ届く声で言った。
走っていた弟子たちから、遠く返事が上がる。
「帰ったときに鈍ってた奴は、百周追加する」
「いつ帰るの?」
「仕事が終わったらだ」
「帰ってくる?」
ストライクは仮面越しにクオンを見た。
「俺を誰だと思ってる」
「ストライク」
「なら、心配するな」
二人の足元へ、転送光が広がった。
◇
機動六課では、翌日の公開意見陳述会に向けた最終確認が行われていた。
会議室中央に、地上本部と周辺区域の立体図が浮かんでいる。
内部警備。
外周警備。
交通整理。
緊急時の避難経路。
はやてが配置を一つずつ確認した。
「今夜から先発隊が地上本部へ入る。なのはちゃん、ヴィータ、リイン、それからフォワード四人」
「はい」
なのはが答える。
「明日の朝、私とフェイトちゃん、シグナムが中央へ入る。ギンガは外周側で現地部隊との連携。六課に残る組は、シャマルとザフィーラを中心に施設警備や」
公開意見陳述会は、地上本部の将官と各部隊の代表者が集まる大規模な会合だった。
警備は厳重になる。
同時に、一度内側で異常が起きれば、指揮系統そのものが孤立する危険もある。
「予言の解釈どおりなら、明日が一番危ない」
フェイトが言った。
「うん。せやけど、確実な証拠はない。表立って会合を中止させることも、警備計画を全部ひっくり返すこともできへん」
はやては全員を見回した。
「だからこそ、何も起こらんかったで終われるように、できることは全部やる」
返事が重なる。
誰も、明日負けるための準備をしているつもりはなかった。
◇
出発時刻が近づくと、ヴィヴィオはなのはの制服の裾を離さなくなった。
「ヴィヴィオ」
「……うん」
呼べば返事はする。
けれど、指は離れない。
これまでにも、なのはが仕事で部屋を空けることはあった。
夜まで帰らない日もある。
今回は、初めて夜をまたぐ。
「明日のお仕事が終わったら、ちゃんと帰ってくるよ」
「明日の朝?」
「夜かな」
「夜……」
ヴィヴィオには、とても遠い時間に思えたらしい。
視線が床へ落ちる。
なのはは膝をつき、同じ高さになった。
「眠るのは今日、一回だけ。明日起きて、ごはんを食べて、フェイトママやみんなと待っていてくれたら、夜には帰るから」
「ほんとう?」
「本当」
「ぜったい?」
なのはは一瞬だけ言葉に詰まった。
任務に、絶対はない。
それを知っているからこそ、簡単には口にできなかった。
けれど、ヴィヴィオが求めているのは未来の保証ではない。
離れても、自分のところへ戻ろうとしてくれるという約束だった。
「絶対、帰ってくるよ」
なのはは小指を差し出した。
ヴィヴィオの小さな指が絡む。
「だから、ヴィヴィオもちゃんとごはんを食べて、ちゃんと眠ること」
「にがいお野菜は?」
「一つは食べます」
「二つじゃない?」
「明日は特別に一つ」
ヴィヴィオが、ようやく少し笑った。
それでも、指切りを終えてもなのはの手を離さない。
フェイトが隣へ座った。
「ヴィヴィオ。なのはママが帰ってくるまで、私と一緒に待とう」
「フェイトママは、いかない?」
「私は明日の朝に出るよ。でも、その間はシャマル先生やザフィーラ、それに六課のみんながいる」
「二人とも、いなくなるの?」
せっかく浮かんだ笑顔が、また曇った。
フェイトは困ったようになのはを見る。
なのはも、すぐには答えを見つけられなかった。
「ヴィヴィオ」
フェイトは小さな手を包んだ。
「私にも、お母さんが二人いるんだ」
「フェイトママも?」
「うん。私を生んだお母さんと、今の私を娘にしてくれたお母さん」
プレシアを思えば、今でも胸は痛む。
リンディを思えば、帰れる場所の温かさを知る。
どちらか一人を消さなければ、今の自分を家族と呼べないわけではない。
「二人とも同じところにはいない。でも、離れていても、私は二人の娘だよ」
「ヴィヴィオも?」
「もちろん」
「なのはママとフェイトママが、お仕事にいっても?」
「どこにいても、ヴィヴィオは私たちの娘だよ」
なのはが頷いた。
「帰ってきたら、最初にヴィヴィオへただいまって言うね」
「じゃあ、ヴィヴィオがおかえりって言う」
「約束」
今度は三人で指を重ねた。
出発を知らせる音が鳴る。
なのははヴィヴィオを抱きしめ、立ち上がった。
「行ってきます」
「いってらっしゃい、なのはママ」
泣かなかった。
ヴィヴィオはフェイトの手を握り、なのはが廊下の向こうへ見えなくなるまで見送った。
◇
地上本部へ向かう輸送車の中で、ティアナは窓の外を眺めていた。
隣にはヴァイスが座っている。
いつもなら軽口の一つも出るところだが、今日は整備用の布でストームレイダーを拭いていた。
「緊張してるんですか?」
ティアナが尋ねる。
「そりゃするさ。お偉いさんがまとめて狙われるかもしれねえ日だ」
「ヘリは飛ばすだけでしょう」
「飛ばすだけが難しいんだよ」
ヴァイスは照準器を確かめ、布を畳んだ。
「地上で何かあっても、俺が降りて助けに行けるとは限らねえ。だから、お前らをちゃんと必要な場所へ運ぶ。それが俺の仕事だ」
「私たちは、運ばれた先でちゃんと働きます」
「頼もしくなったな、ティアナ」
「最初からです」
「そういうことにしといてやるよ」
ヴァイスは笑った。
ティアナは腰のクロスミラージュへ触れる。
明日、内部へ入る隊長たちはデバイスを持ち込めない。
何かあれば、外にいる自分たちが届ける役目も負う。
「必ず届けます」
「何を?」
「必要なものを、必要な人へ」
ヴァイスは一瞬だけ目を細めた。
やがて、いつもの調子でティアナの頭を軽く小突く。
「まずは自分が倒れねえことだ」
「分かってます」
輸送車は、夜の地上本部へ入っていった。
◇
公開意見陳述会当日の朝。
地上本部中央棟では、入場者の確認が続いていた。
内部へ持ち込める武装には厳しい制限がある。
なのははレイジングハートを。
フェイトはバルディッシュを。
はやてはシュベルトクロイツを。
シグナムはレヴァンティンを。
それぞれ外周警備の隊員へ預けた。
「何かあったら、すぐ持ってきてね」
なのはの言葉に、スバルが大きく頷く。
「はい!」
「何も起こらないのが一番だけどな」
ヴィータが腕を組んだ。
リインはその隣で、周囲の魔力反応を確認している。
「今のところ、異常はありませんです」
「そのまま終わってくれたら、みんなで晩ごはんやな」
はやてが笑う。
「ヴィヴィオが待ってるから、遅れられないね」
なのはも笑った。
昨夜交わした約束は、まだ温かいまま胸に残っていた。
中央棟の扉が閉じる。
なのは、フェイト、はやて、シグナムは内部へ。
フォワードたちはデバイスを預かり、外周の配置へ戻った。
いつもより多くの人間がいる。
いつもより厳重な警備がある。
それでも、誰も見ていない地下で、最初の命令はすでに動き始めていた。
◇
「さあ、始めよう」
ジェイル・スカリエッティは、無数の画面を前に両腕を広げた。
「長く待った祭りの日だ」
地上本部周辺。
機動六課。
それぞれの位置へ、ガジェットとナンバーズが動き始める。
高濃度のAMFが発生した。
外部通信が一斉に乱れる。
中央棟の隔壁が、下層から順に閉鎖された。
「通信障害!」
「内部回線も切られています!」
地上本部の管制員たちが声を上げる。
照明が一度落ち、非常灯へ切り替わる。
なのはは反射的に胸元へ手を伸ばした。
そこにレイジングハートはない。
フェイトも同じだった。
「始まった」
はやてが短く言う。
シグナムは閉じた隔壁を睨んだ。
「主はやて。ここは私が」
「単独行動はあかん。まず内部の状況を確認する。なのはちゃん、フェイトちゃん、いける?」
「うん」
「大丈夫」
魔力は使える。
だが、AMFの中で出力は大きく削られ、手元にデバイスもない。
四人は避難誘導を始めた。
外周では、スバルたちが閉じた中央棟を見上げていた。
「なのはさん!」
通信は届かない。
デバイスを届けるための入口も、次々と隔壁に塞がれていく。
「まず合流経路を探す!」
ティアナが声を張った。
「ここで全員動いたら、外から来る敵を止められない。エリオ、キャロ、周辺反応を!」
「はい!」
キャロが探査を広げる。
いくつもの反応が近づいていた。
◇
地上本部のさらに外側。
AMFの境界を見下ろす高架の上に、二人の白い仮面が立っていた。
一人は十三歳ほど。
もう一人は、十九歳ほどの長身。
仮面のせいで、監視映像にはどちらの顔も残らない。
クオンの端末には、十二人の名前が並んでいた。
位置を示す情報は、すでに複数へ分かれている。
地上本部内。
外周。
遠隔待機。
所在非開示。
「始まったね」
「見りゃ分かる」
ストライクは眼下の警備網を見た。
逃げ道を見つける目だった。
強い相手を探す目でもある。
「第一帰還地点は生きてる」
クオンが言う。
「でも、中央側からはAMFを抜けないと転送できない」
「俺が道を作る」
「戦わないでとは言わない。でも、追いすぎないで」
「二度も言わせるな。任せろ」
ストライクは高架から身を投げた。
落下の途中で足場を蹴り、地上本部の外壁沿いへ消える。
シグナムの位置は共有記録で知っている。
だからこそ、その探知範囲を避けた。
今ここで会う理由はない。
先に果たすと決めた役目がある。
別の区画では、ヴィータとリインが大きな魔力反応を捉えていた。
「来るぞ、リイン!」
「はいです!」
ゼストとアギト。
二人の前に現れた相手へ、白い仮面は割り込まない。
外周を進もうとしたフォワードの前には、ノーヴェとウェンディが降り立った。
「ここから先は通さねえ」
ノーヴェが拳を構える。
ウェンディが固有武装を展開した。
「悪いっすけど、少し付き合ってもらうっすよ!」
スバルが前へ出る。
「ティア、ここはあたしが!」
「一人で行かない! 隊列を崩さず、デバイスを守って!」
戦いが始まる。
クオンは高架の上から動かなかった。
ノーヴェの戦いへ割り込めば、六課側を傷つけることになる。
六課へ加勢すれば、ノーヴェの選択を奪う。
今の役目は勝敗を変えることではない。
倒れたときに迎えに行ける距離を保つ。
帰還路が塞がれたら、別の道を開く。
そのために来た。
端末へ新しい作戦情報が流れ込んだ。
次の目標。
機動六課隊舎。
レリック。
聖王の器。
クオンの指が止まった。
聖王の器という言葉を、記録は知っている。
けれど、最初に浮かんだのは、その呼び名ではなかった。
ヴィヴィオ。
自分をクオンお兄ちゃんと呼んだ子。
帰る場所を自分で選んだ子。
今、機動六課には、ヴィヴィオと非戦闘員が残っている。
地上本部で待てば、ノーヴェたちへ手を伸ばせる。
機動六課へ行けば、ここへ戻るまでに時間がかかる。
一つの身体で、二つの場所にはいられない。
けれど、今日は一人ではなかった。
「ストライク」
通信を開く。
『何だ』
「機動六課も狙われる」
『知ってる。こっちにも更新が来た』
「ヴィヴィオがいる」
短い沈黙。
『行け』
「でも、ノーヴェたちは」
『俺に頼んだだろ』
道場で聞いた言葉が返ってくる。
『こっちは俺が帰す。お前は、お前が先に浮かべた名前のところへ行け』
「分かった」
『兄弟』
「何?」
『全部、自分で持とうとするな。手が足りねえなら、また呼べ』
「うん」
クオンは通信を切った。
機動六課の方角へ身体を向ける。
白い仮面の下にある顔を、今は誰も知らない。
自分自身さえ、それが一人だけの顔になったことを理解していない。
それでも、選んだ名前だけは迷わなかった。
「待ってて、ヴィヴィオ」
クオンは高架を蹴った。
地上本部では、十二人を帰すために頼った兄弟が待っている。
機動六課には、帰る場所を選んだ少女がいる。
一人で両方へ行くのではない。
任せた場所を振り返らず、自分が行くと決めた場所へ向かう。
クオンより先に、失いたくない一人の名前があった。