機動六課の空が、赤く染まった。
夕焼けではない。
隊舎の防護結界へ砲撃が触れるたび、赤い警告光が雲の下まで反射していた。
『第三隔壁、閉鎖できません!』
『西側通路に侵入反応!』
『医務室の搬送を優先して! 動ける人は地下区画へ!』
いくつもの声が、通信の中で重なる。
クオンは答えなかった。
白い仮面の内側で、十二の反応を確かめている。
地上本部。
市街地。
機動六課。
散らばった光点は、どれも動いていた。
まだ、一つも消えていない。
「ストライク」
『聞こえてる』
短い返事の向こうで、何か硬いものが砕けた。
『そっちはそっちでやれ。こっちに口を出すな』
「ナンバーズが離脱を始めたら――」
『帰す。俺に頼んだことを、もう忘れたのか』
「忘れてない」
『なら前を見ろ、兄弟』
通信が切れた。
クオンは、機動六課を見る。
帰る場所は、その子が決める。
そう言った場所が、燃えていた。
◇
最初に落ちてきたのは、天井だった。
「伏せて!」
シャマルの声に、避難中の職員達が身を縮める。
防護魔法が展開されるより早く、梁が折れた。
ヴィヴィオの頭上へ、黒い影が広がる。
ザフィーラが跳ぶ。
その前に、白と黒の光が廊下を横切った。
落下した梁が、空中で止まる。
白い手袋に覆われた片手が、その端を支えていた。
「東側は使えない」
少年の声がした。
「二つ先の区画を左。非常階段から地下へ行ける」
誰も動かなかった。
一人の職員が、音のした方へ顔を向ける。
けれど、すぐに視線が外れた。
「今、誰か……」
「何か聞こえました?」
「分からない。子供の声だったような……」
言葉の意味まで届いていない。
白い仮面。
見たはずなのに輪郭が定まらない顔。
聞いたはずなのに、誰の声だったかを決められない。
完全な認識阻害は、クオンを敵から隠す。
同時に、助けようとしている者からもクオンを消していた。
これでは、避難させられない。
クオンは梁を支えたまま、空いた手を白い仮面へかけた。
迷ったのは、一秒にも満たなかった。
仮面を外す。
白い面が黒い頁へほどけ、騎士甲冑の内側へ消えた。
「ここは長く持たない」
今度は、全員が振り返った。
「二つ先を左。非常階段から地下へ。走って」
十三歳ほどの少年がいた。
肩へ届かない黒髪。
光の映らない、静かな目。
少女にも見える中性的な顔。
白黒を反転させたような騎士甲冑。
「はやて部隊長……?」
一人の職員が呟いた。
その声に、周囲の表情から迷いが消える。
小柄な身体。
騎士甲冑の輪郭と意匠。
白と黒の配色だけを入れ替えれば、八神はやての姿に酷似している。
「戻ってきてくださったんですか」
クオンは否定しなかった。
今は、誤解を解くことより足を動かさせる方が先だった。
「質問はあと。走って」
「はい!」
今度は誰も、目を離したあとに忘れなかった。
天井の梁を片手で支えているのが誰なのか。
避難路を示した声が誰のものなのか。
そこにいる少年を、全員が同じように見た。
廊下の隅では、非常灯の下にある監視カメラが少年を捉えていた。
映像は乱れない。
見る者ごとに姿が変わることもない。
今はまだ、誰もその意味を知らなかった。
「早く!」
シャマルが促す。
迷っていた職員が負傷者の肩を取る。
それを合図に、人の流れが動き出した。
シャマルとザフィーラだけは、少年をはやてと見間違えなかった。
白い仮面。
はやての騎士甲冑を白黒反転させた服装。
十三歳ほどに見える、中性的な少年。
ヴィータの報告にあった言葉が、二人の中で同じ名前へ結びつく。
クオン。
シャマルが何かを言おうとした。
ザフィーラも、露わになった少年の顔を見上げる。
二人が問いかけるより先に、小さな靴音が人の流れへ逆らった。
クオンが顔を上げる。
ヴィヴィオが立っていた。
金と緑の目が、まっすぐにクオンの顔を見ている。
今度は滑らない。
迷わない。
「クオンお兄ちゃん」
ヴィヴィオが言った。
次の瞬間には、走り出していた。
「ヴィヴィオ!」
アイナの手が届くより早く、小さな身体がクオンの胸へぶつかる。
両腕が、白黒の騎士甲冑へ回された。
「クオンお兄ちゃん、助けて」
クオンの身体が固まった。
誰かを運んだことはある。
傷ついたナンバーズを抱えたこともある。
けれど、助けを求めて抱きつかれたことはなかった。
「なのはママが帰ってくるの」
ヴィヴィオの指が、甲冑の背を強く掴む。
「ここで待ってるって約束したの。だから、ここ、なくさないで」
声が震えていた。
クオンは梁を魔力で固定する。
空いた両腕を下ろした。
どう触れればいいのか、一瞬だけ分からなかった。
それでも、ヴィヴィオの背へ腕を回す。
抱き返した身体は、小さかった。
温かかった。
服越しに伝わる震えも、胸元へ押しつけられた頬も、背へ食い込む指の力も分かった。
「ヴィヴィオは、ここへ帰りたいの?」
「なのはママのところに帰りたい」
ヴィヴィオはクオンの胸へ顔を埋めたまま答える。
「でも、なのはママも、ここに帰ってくるから。ヴィヴィオが待ってないと」
隊舎ではない。
部屋でもない。
帰ってくる誰かを待ち、自分もその人のところへ戻りたいと願うこと。
この子は、それを帰る場所と呼んでいる。
クオンは初めて、あの日に自分が伝えた言葉の続きを知った。
「分かった」
ヴィヴィオの背へ置いた手に、少しだけ力を込める。
「君も、なのはが帰ってくる場所も守る」
ヴィヴィオが顔を上げた。
「お兄さんが?」
「うん」
「ありがとう」
その言葉と一緒に、腕の力がもう一度強くなる。
クオンは、ヴィヴィオを抱いた。
誰かの帰る場所を守るということが、これほど小さく、温かいものだとは知らなかった。
「お顔、ちゃんと見える」
ヴィヴィオは確かめるように、クオンの頬を見つめた。
「前は見えなかった?」
「見てたはずなのに、あとで分からなくなったの。でも、今は分かる」
ヴィヴィオが、もう一度笑う。
「クオンお兄ちゃん」
「うん。ボクはクオンだよ」
「なのはママが帰ってきたら、会って」
「なのはに?」
「うん。クオンお兄ちゃんだよって、ヴィヴィオが教えてあげる」
ヴィヴィオがようやく腕を解く。
クオンの胸から、体温が離れた。
返事をする前に、新しい反応が結界へ触れた。
ガジェットではない。
ナンバーズでもない。
小さな人影と、その傍らを飛ぶ召喚獣。
クオンの視界に、作戦情報が開く。
ルーテシア・アルピーノ。
十一歳。
クオンは、仮面を外したまま目を閉じた。
守ろうとしているのは、子供だった。
その子を連れ去りに来たのも、子供だった。
そして、自分の手は一つしかない。
クオンはザフィーラを見る。
青い獣はすでに、ヴィヴィオを庇う位置へ立っていた。
報告の中で自分を知っている目。
それでも今は、正体を問うより少女の前へ立つことを選んだ目だった。
「ザフィーラ」
名前を呼ばれ、青い耳がわずかに動く。
「ヴィヴィオを頼んだ」
ザフィーラは一度だけ、クオンの顔を見た。
何者なのか。
なぜ自分達を知っているのか。
なぜ、敵として報告された存在がヴィヴィオを抱きしめたのか。
聞くべきことはいくつもあった。
けれど今、答えるべき言葉は一つしかない。
「承知した」
クオンは頷く。
「ヴィヴィオを地下へ」
「任せろ」
クオンは前へ出た。
「ここから先は、通さない」
顔を隠さない白と黒の騎士が、燃える隊舎と少女達の間に立った。
その約束を守りきれないことを、まだ誰も知らなかった。
◇
紫色の光が、破損した外壁の向こうへ降りた。
ルーテシアはガリューの腕から床へ下りる。
足元へ召喚陣が広がった。
クオンは、その前から動かない。
「また、戦ってる」
ルーテシアがクオンを見る。
以前、水路で会ったときよりも、その目に迷いがなかった。
「必要だから」
「誰に?」
「私に」
「本当に?」
ルーテシアの背後で、ガリューが腕を振るった。
クオンは黒い障壁で受け止める。
衝撃が廊下を走り、残った窓が砕けた。
反撃はしない。
刃へ変えられる頁を、壁にする。
ガリューの腕を切断できる角度であっても、押し返すだけに留めた。
「どいて」
「行かせない」
「前は、手伝ってくれた」
「君を帰すためにね」
クオンは召喚陣を見る。
その奥に、さらに二つの反応がある。
オットー。
ディード。
どちらも、クオンが帰そうとしている十二人のうちの一人だった。
「今日は、ここにいる人も帰す」
『相変わらず欲張りですね、お兄ちゃん』
開いた通信から、クアットロの声がした。
『ご安心を。ルーお嬢様も妹達も、あなたへ攻撃することを躊躇う必要はありません』
「クアットロ」
『だって、お兄ちゃんは私達を傷つけられない。子供であるルーお嬢様も攻撃できない。そうでしょう?』
否定できなかった。
ガリューが踏み込む。
クオンは拳を受け、軌道を外へ逸らした。
壁が吹き飛ぶ。
その破片を、背後へ通さないために頁を広げる。
正面にはルーテシア。
左右からオットーとディード。
背後には避難中の職員とヴィヴィオ。
倒してはいけない者ばかりが、守りたい者へ向かってくる。
『それでも全員を守りますか?』
「守るよ」
クオンは答えた。
『では、頑張ってくださいな』
通信が切れた。
◇
地上本部の隔壁が、ようやく開いた。
高濃度AMFの中で待機していたなのは達が、一斉に外へ出る。
戻った通信へ、救援要請が雪崩れ込んだ。
「ギンガさんの反応が途絶えました!」
「機動六課にも襲撃です!」
「ヴィータ副隊長とリイン曹長は、ゼストとアギトに拘束されています。離脱できません!」
どちらも近くない。
どちらにも、大切な人がいる。
はやては一瞬だけ目を閉じ、指揮官の顔で開いた。
「なのはちゃんはギンガの方へ。フェイトちゃんは六課へ向かって。私はここに残って全体を繋ぐ」
「ヴィヴィオは?」
なのはが尋ねる。
「シャマルとザフィーラがついとる。救援も向かわせた」
それだけでは足りないと、全員が分かっていた。
それでも、今は分かれるしかなかった。
「必ず戻る」
なのはは誰へともなく言った。
ヴィヴィオと交わした約束だった。
白い光と金の光が、別々の空へ上がる。
シグナムは残る敵性反応へ剣を向けた。
地上本部側では、まだ終わっていない戦闘がある。
シグナムはそちらへ向かった。
その背後、彼女の視界にも探知にも入らない経路では、別のクオンが三つの反応を追っていた。
ノーヴェ。
ウェンディ。
チンク。
ストライクは、ヌメロンから頼まれた帰還路だけを守る。
互いの姿も、声も、まだ知らない。
シグナムとストライクが出会う時は、先へ残された。
◇
フェイトの視界に、機動六課を包む煙が見えた。
まだ遠い。
けれど、ヴィヴィオの反応が隊舎内にあることは分かる。
「待ってて」
速度を上げようとした金の軌道を、二つの影が遮った。
トーレ。
セッテ。
二人のナンバーズが、逃げ道を塞ぐ角度で並ぶ。
「そこを退いて」
フェイトはバルディッシュを構えた。
答えの代わりに、トーレの脚部から光が走る。
高速の蹴りを刃で受ける。
衝撃に押し戻された先へ、セッテの武器が振り下ろされた。
フェイトは身体を捻り、二撃目をかわす。
進めない。
下がるつもりもない。
「作られた子供を助けるために、同じように作られた私達と戦うのですか」
セッテの問いに、フェイトの目が揺れた。
プロジェクトF。
失われた命を求めて作られた身体。
誰かの都合から始まった命。
自分にも、ヴィヴィオにも、目の前の二人にも繋がっている。
「同じだから、戦わないんじゃない」
フェイトはバルディッシュを握り直す。
「同じように作られたからこそ、誰かの道具のままで終わってほしくない」
「それは、あなたの価値観です」
「うん」
否定しなかった。
「だから私は、私の選んだ人のところへ帰る」
金色の魔力が広がる。
「あの子にも、帰る場所を選ばせる」
トーレとセッテが同時に踏み込んだ。
フェイトも前へ出る。
機動六課までの距離は、まだ縮まらなかった。
◇
ギンガの身体が、崩れた道路へ倒れた。
チンクの刃。
ノーヴェの拳。
ウェンディの射撃。
三方向から削られた防御は、もう残っていない。
ノーヴェが息を荒くしながら立つ。
「終わりだ」
ギンガは起き上がろうとした。
腕に力が入らない。
視界の端で、チンクも片膝をついている。
勝った側も無傷ではなかった。
「ギン姉!」
青い道が、瓦礫の上を駆ける。
スバルが到着した。
倒れた姉。
その身体へ伸びる敵の手。
目に入ったものは、それだけだった。
「離れろ!」
拳が振り抜かれる。
ノーヴェが受け、ウェンディのボードごと後方へ弾かれた。
反撃がスバルの左腕を捉える。
皮膚が裂ける。
その下から現れたものは、骨ではなかった。
金属の骨格。
人工の筋肉。
姉と同じ、戦闘機人の身体。
スバルは隠そうとしなかった。
壊れた腕のまま、もう一歩踏み込む。
瞳から理性の色が薄れた。
「ギン姉を、返せ!」
地面が沈む。
ノーヴェは歯を食いしばった。
先ほどまでとは違う。
技術も隊形も捨てている。
ただ姉を奪い返すためだけの力が、正面から迫っていた。
「セイン!」
チンクの声と同時に、道路が水面のように揺れた。
セインの腕が足元から伸びる。
ギンガ。
チンク。
ノーヴェ。
ウェンディ。
四人の身体が、地面の中へ沈んだ。
スバルの拳が、何もない道路を砕く。
「待って!」
追おうとした青い道の先で、退路ごと地面が割れた。
今度の破壊は、ナンバーズのものではない。
白い仮面の青年が、亀裂の向こうへ拳を振り下ろしていた。
収束した魔法陣が地下の追跡経路だけを潰す。
スバルへは、一度も拳を向けなかった。
「邪魔を……!」
スバルが顔を上げる。
しかし、そこに誰がいたのかを認識できない。
白い仮面。
大きな身体。
それ以上の情報が、怒りの中から滑り落ちる。
ストライクは答えなかった。
地下へ消えた反応を追う。
四つ。
すべて動いている。
「そのまま帰れ」
届くはずのない声を、地下へ投げる。
「兄弟が数えてる」
遠くから、なのはの魔力反応が近づいてくる。
ストライクは追撃経路を完全に閉じ、次の帰還点へ向かった。
姉を呼び続けるスバルの声だけが、壊れた道路へ残った。
青い道が消える。
力を使い切ったスバルの身体が傾いた。
地面へ落ちる寸前、白い腕が抱き止める。
「スバル!」
遅れて到着したなのはだった。
壊れた左腕。
涙で濡れた顔。
何もいなくなった道路。
なのはは一瞬で、間に合わなかったことを知った。
「ギン姉が……」
「うん」
「連れていかれた……」
「うん」
なのはは答えながら、スバルの身体を抱きしめた。
取り返すと言う前に、今ここにいる一人を落とさないために。
その腕の中でも、スバルは姉の名前を呼び続けた。
◇
機動六課では、クオンが一歩も進めずにいた。
ガリューの拳を受ければ、ディードの光剣が脇を抜ける。
光剣を頁で絡め取れば、オットーの光が避難通路を穿つ。
誰も傷つけずに止めるたび、別の誰かがクオンの手を抜けていく。
「クオン」
ディードが、初めて迷いを見せた。
仮面のない顔を見ている。
「その顔……」
「今は進まないで」
クオンは光剣を握った。
手袋が裂け、掌から黒い液が落ちる。
それでも折らない。
持ち主ごと弾き飛ばすこともしない。
「君たちも帰す。ここにいる人達も帰す」
「できません」
オットーの砲撃が放たれた。
狙いはクオンではない。
背後の天井。
支柱が折れ、医務区画へ続く通路全体が傾く。
「クオン!」
シャマルの声が、初めてその名を呼んだ。
クオンは振り返る。
大きな瓦礫が、担架と職員達の上へ落ちていた。
黒い頁を伸ばす。
何枚も重ね、落下を空中で止める。
その一瞬に、ディードが横を抜けた。
ザフィーラが立ちはだかる。
鋼の軛が床から伸び、光剣の進路を塞いだ。
「この先へは行かせん!」
ディードの剣と鋼の軛が衝突する。
ザフィーラは退かない。
ヴィヴィオを背へ隠し、二撃目も受けた。
オットーの光が横合いから走る。
シャマルが防護魔法を展開した。
障壁が砕ける。
シャマルの身体が壁へ叩きつけられた。
「シャマル!」
ザフィーラの視線が一瞬だけ動く。
その隙を、ディードの光剣が貫いた。
青い身体が、床へ落ちる。
「ザフィーラ!」
ヴィヴィオの悲鳴が響いた。
クオンは頁を引き戻そうとした。
できない。
力を抜けば、頭上の瓦礫が担架ごと人を潰す。
支えているのは、何人分の命か。
数える余裕もなかった。
「立って!」
クオンは職員達へ叫ぶ。
「動ける人が担架を引いて! 早く!」
はやてと見間違えた少年の声に、職員達が動く。
一人。
二人。
瓦礫の下から退避していく。
その間にも、ルーテシアの召喚陣がヴィヴィオの足元へ広がった。
「嫌!」
ヴィヴィオがザフィーラへしがみつく。
重傷を負った青い獣が、前脚を床へ立てた。
「行かせ……ん」
倒れた身体で、もう一度ヴィヴィオを庇う。
クオンが託した役目を、最後まで手放さなかった。
ガリューがザフィーラを引き剥がす。
クオンは片手を瓦礫から離した。
黒い頁が腕の形を取り、ヴィヴィオへ伸びる。
オットーの光が頁を焼いた。
指先が崩れる。
それでも伸ばす。
「ヴィヴィオ!」
少女が顔を上げた。
金と緑の目が、クオンだけを見る。
「クオンお兄ちゃん!」
小さな手が伸びる。
「助けて!」
先ほどまで、腕の中にいた。
甲冑へ回された腕の力を覚えている。
胸へ押しつけられた頬の温度を覚えている。
今は、指一本分の距離さえ届かない。
「待って」
言ってから、その言葉の残酷さに気づいた。
待つと決めたのはヴィヴィオだった。
帰ってくるなのはを、ここで待つと。
自分は、その場所を守ると約束した。
待たせる側になってはいけなかった。
召喚陣の光が強くなる。
クオンの頁が、もう一度焼き切られた。
ヴィヴィオの姿が紫色の光へ沈む。
「クオンお兄ちゃん!」
最後まで、クオンの名を呼んでいた。
最後まで、クオンの顔を見ていた。
光が消える。
そこには、何も残らなかった。
クオンの手が空を掴む。
背後で、担架の車輪が瓦礫の下から抜けた。
「全員、出ました!」
職員の声が届く。
クオンは、支えていた瓦礫をゆっくりと床へ下ろした。
助かった呼吸がある。
帰せなかった体温がある。
どちらも、同じ自分の手で選んだ結果だった。
◇
戦場から、ナンバーズの反応が一つずつ離れていく。
トーレ。
セッテ。
オットー。
ディード。
ディエチ。
クオンの視界に、帰還経路へ入った印が増えていく。
地上本部側では、ストライクが最後の追撃を止めていた。
『四人、帰還路へ入った』
仮面越しの声が通信へ届く。
『チンク、ノーヴェ、ウェンディ、セイン。全員生きてる』
「うん」
『ほかも順に帰してる。俺がいるんだ。取り落とすわけねえだろ』
「うん」
『兄弟』
「聞いてるよ」
『そっちはどうした』
クオンは答えられなかった。
空になった廊下を見る。
ヴィヴィオがいた場所。
ザフィーラへ託した場所。
助けてと呼ばれた場所。
「一人、帰せなかった」
通信の向こうで、ストライクが黙る。
慰める言葉は言わなかった。
できるとも思っていなかった。
『なら、生きて帰れ』
代わりに、それだけを言う。
『取り返すなら、そのあとだ』
「分かった」
クオンは通信を切った。
床へ倒れたザフィーラの隣へ膝をつく。
傷口へ頁を重ね、出血を抑える。
ザフィーラが薄く目を開けた。
「すまない」
「違うよ」
「託された」
「君は守った」
クオンは答えた。
「最後まで、ヴィヴィオの前にいた」
ザフィーラの目が閉じる。
意識を失っただけだと確かめてから、クオンはシャマルへ向かった。
呼吸はある。
脈も途切れていない。
シャマルが霞む視界でクオンを見る。
「あなたが……クオン、なのね」
「今は喋らないで」
「ヴィヴィオを……」
「連れて帰る」
今度は、守るとは言わなかった。
守れなかった約束を、同じ言葉で塗り重ねることができなかった。
「帰る場所は、あの子が決めたから」
シャマルが目を閉じる。
救護班の足音が近づいてきた。
クオンは立ち上がる。
顔を隠す仮面は、つけ直さなかった。
◇
地上本部と機動六課に残った画面が、一斉に切り替わった。
ジェイル・スカリエッティの姿が映る。
声明。
嘲笑。
管理局の中枢へ、自分達がどれほど容易く手を届かせたかという誇示。
言葉が続く間にも、負傷者は運ばれていた。
炎は消えていない。
瓦礫の下を探す声も止まらない。
カリムは、破壊された本部を見下ろした。
予言を覆せなかった。
ギンガの反応は敵側へ移った。
ヴィヴィオも戻っていない。
はやては目を伏せなかった。
「まだや」
声は小さかった。
それでも、隣にいる者には届いた。
「機動六課は、まだ終わってへん」
勝ったとは言えない。
守れたとも言えない。
それでも、ここで終わりにすることだけは拒んだ。
◇
六課の壊れた記録装置から、一つの映像が回収された。
白い仮面を外す少年。
はやての騎士甲冑を反転させた姿。
ヴィヴィオを抱き返す、十三歳ほどの顔。
これまでの映像と違い、輪郭は揺れていない。
見る者によって年齢も性別も変わらない。
生き残った職員達の証言も一致していた。
はやて部隊長に似た少年。
避難路を作った者。
ヴィヴィオから、クオンお兄ちゃんと呼ばれた者。
搬送される直前、シャマルが残した言葉も記録へ添えられた。
クオン。
その名が、十年前の久遠と同じ音を持つことを、なのはとフェイトはすでに知っている。
はやては、それよりも前から知っていた。
けれど、映像の少年が人間の久遠本人だと断定できる証拠はない。
それでも、正体不明の影として処理することは、もうできなかった。
映像は調査待ちの記録として保存された。
◇
クオンの視界で、今回の作戦へ出た最後の反応が帰還域へ入った。
帰還一覧を開く。
施設に残っていた者と、戦場から戻った者の名前が並ぶ。
ウーノ。
トーレ。
クアットロ。
チンク。
セイン。
セッテ。
オットー。
ノーヴェ。
ディエチ。
ウェンディ。
ディード。
一人ずつ、名前で確かめる。
今回出撃した者の帰還欄が、すべて埋まった。
ストライクへ頼んだ者達は帰ってきた。
安堵は確かにあった。
それを喜ぶ自分もいた。
一つだけ、別の表示が残っている。
ドゥーエ。
任務継続。
最終通信時刻は更新されている。
生きている。
けれど、まだここには帰っていない。
十二人全員を、自分の目で確かめたわけではなかった。
そして同じ画面の外にも、帰っていない者がいる。
ギンガ・ナカジマ。
家族のいる場所から奪われた。
ヴィヴィオ。
自分で選んだ場所から奪われた。
クオンは新しい帰還欄を作った。
名前を入力する。
ヴィヴィオ。
帰還先。
なのはのところ。
状態。
未帰還。
保存しようとして、指が止まった。
空になった腕へ、まだ温度が残っている気がした。
背へ回された小さな手。
助けてと震えた声。
なのはが帰ってきたら会うという、返事を返せなかった約束。
クオンは保存を押した。
帰っていないなら。
まだ、数え終わっていない。