魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第二十九話 選んだ場所が燃える

 機動六課の空が、赤く染まった。

 

 夕焼けではない。

 

 隊舎の防護結界へ砲撃が触れるたび、赤い警告光が雲の下まで反射していた。

 

『第三隔壁、閉鎖できません!』

 

『西側通路に侵入反応!』

 

『医務室の搬送を優先して! 動ける人は地下区画へ!』

 

 いくつもの声が、通信の中で重なる。

 

 クオンは答えなかった。

 

 白い仮面の内側で、十二の反応を確かめている。

 

 地上本部。

 

 市街地。

 

 機動六課。

 

 散らばった光点は、どれも動いていた。

 

 まだ、一つも消えていない。

 

「ストライク」

 

『聞こえてる』

 

 短い返事の向こうで、何か硬いものが砕けた。

 

『そっちはそっちでやれ。こっちに口を出すな』

 

「ナンバーズが離脱を始めたら――」

 

『帰す。俺に頼んだことを、もう忘れたのか』

 

「忘れてない」

 

『なら前を見ろ、兄弟』

 

 通信が切れた。

 

 クオンは、機動六課を見る。

 

 帰る場所は、その子が決める。

 

 そう言った場所が、燃えていた。

 

     ◇

 

 最初に落ちてきたのは、天井だった。

 

「伏せて!」

 

 シャマルの声に、避難中の職員達が身を縮める。

 

 防護魔法が展開されるより早く、梁が折れた。

 

 ヴィヴィオの頭上へ、黒い影が広がる。

 

 ザフィーラが跳ぶ。

 

 その前に、白と黒の光が廊下を横切った。

 

 落下した梁が、空中で止まる。

 

 白い手袋に覆われた片手が、その端を支えていた。

 

「東側は使えない」

 

 少年の声がした。

 

「二つ先の区画を左。非常階段から地下へ行ける」

 

 誰も動かなかった。

 

 一人の職員が、音のした方へ顔を向ける。

 

 けれど、すぐに視線が外れた。

 

「今、誰か……」

 

「何か聞こえました?」

 

「分からない。子供の声だったような……」

 

 言葉の意味まで届いていない。

 

 白い仮面。

 

 見たはずなのに輪郭が定まらない顔。

 

 聞いたはずなのに、誰の声だったかを決められない。

 

 完全な認識阻害は、クオンを敵から隠す。

 

 同時に、助けようとしている者からもクオンを消していた。

 

 これでは、避難させられない。

 

 クオンは梁を支えたまま、空いた手を白い仮面へかけた。

 

 迷ったのは、一秒にも満たなかった。

 

 仮面を外す。

 

 白い面が黒い頁へほどけ、騎士甲冑の内側へ消えた。

 

「ここは長く持たない」

 

 今度は、全員が振り返った。

 

「二つ先を左。非常階段から地下へ。走って」

 

 十三歳ほどの少年がいた。

 

 肩へ届かない黒髪。

 

 光の映らない、静かな目。

 

 少女にも見える中性的な顔。

 

 白黒を反転させたような騎士甲冑。

 

「はやて部隊長……?」

 

 一人の職員が呟いた。

 

 その声に、周囲の表情から迷いが消える。

 

 小柄な身体。

 

 騎士甲冑の輪郭と意匠。

 

 白と黒の配色だけを入れ替えれば、八神はやての姿に酷似している。

 

「戻ってきてくださったんですか」

 

 クオンは否定しなかった。

 

 今は、誤解を解くことより足を動かさせる方が先だった。

 

「質問はあと。走って」

 

「はい!」

 

 今度は誰も、目を離したあとに忘れなかった。

 

 天井の梁を片手で支えているのが誰なのか。

 

 避難路を示した声が誰のものなのか。

 

 そこにいる少年を、全員が同じように見た。

 

 廊下の隅では、非常灯の下にある監視カメラが少年を捉えていた。

 

 映像は乱れない。

 

 見る者ごとに姿が変わることもない。

 

 今はまだ、誰もその意味を知らなかった。

 

「早く!」

 

 シャマルが促す。

 

 迷っていた職員が負傷者の肩を取る。

 

 それを合図に、人の流れが動き出した。

 

 シャマルとザフィーラだけは、少年をはやてと見間違えなかった。

 

 白い仮面。

 

 はやての騎士甲冑を白黒反転させた服装。

 

 十三歳ほどに見える、中性的な少年。

 

 ヴィータの報告にあった言葉が、二人の中で同じ名前へ結びつく。

 

 クオン。

 

 シャマルが何かを言おうとした。

 

 ザフィーラも、露わになった少年の顔を見上げる。

 

 二人が問いかけるより先に、小さな靴音が人の流れへ逆らった。

 

 クオンが顔を上げる。

 

 ヴィヴィオが立っていた。

 

 金と緑の目が、まっすぐにクオンの顔を見ている。

 

 今度は滑らない。

 

 迷わない。

 

「クオンお兄ちゃん」

 

 ヴィヴィオが言った。

 

 次の瞬間には、走り出していた。

 

「ヴィヴィオ!」

 

 アイナの手が届くより早く、小さな身体がクオンの胸へぶつかる。

 

 両腕が、白黒の騎士甲冑へ回された。

 

「クオンお兄ちゃん、助けて」

 

 クオンの身体が固まった。

 

 誰かを運んだことはある。

 

 傷ついたナンバーズを抱えたこともある。

 

 けれど、助けを求めて抱きつかれたことはなかった。

 

「なのはママが帰ってくるの」

 

 ヴィヴィオの指が、甲冑の背を強く掴む。

 

「ここで待ってるって約束したの。だから、ここ、なくさないで」

 

 声が震えていた。

 

 クオンは梁を魔力で固定する。

 

 空いた両腕を下ろした。

 

 どう触れればいいのか、一瞬だけ分からなかった。

 

 それでも、ヴィヴィオの背へ腕を回す。

 

 抱き返した身体は、小さかった。

 

 温かかった。

 

 服越しに伝わる震えも、胸元へ押しつけられた頬も、背へ食い込む指の力も分かった。

 

「ヴィヴィオは、ここへ帰りたいの?」

 

「なのはママのところに帰りたい」

 

 ヴィヴィオはクオンの胸へ顔を埋めたまま答える。

 

「でも、なのはママも、ここに帰ってくるから。ヴィヴィオが待ってないと」

 

 隊舎ではない。

 

 部屋でもない。

 

 帰ってくる誰かを待ち、自分もその人のところへ戻りたいと願うこと。

 

 この子は、それを帰る場所と呼んでいる。

 

 クオンは初めて、あの日に自分が伝えた言葉の続きを知った。

 

「分かった」

 

 ヴィヴィオの背へ置いた手に、少しだけ力を込める。

 

「君も、なのはが帰ってくる場所も守る」

 

 ヴィヴィオが顔を上げた。

 

「お兄さんが?」

 

「うん」

 

「ありがとう」

 

 その言葉と一緒に、腕の力がもう一度強くなる。

 

 クオンは、ヴィヴィオを抱いた。

 

 誰かの帰る場所を守るということが、これほど小さく、温かいものだとは知らなかった。

 

「お顔、ちゃんと見える」

 

 ヴィヴィオは確かめるように、クオンの頬を見つめた。

 

「前は見えなかった?」

 

「見てたはずなのに、あとで分からなくなったの。でも、今は分かる」

 

 ヴィヴィオが、もう一度笑う。

 

「クオンお兄ちゃん」

 

「うん。ボクはクオンだよ」

 

「なのはママが帰ってきたら、会って」

 

「なのはに?」

 

「うん。クオンお兄ちゃんだよって、ヴィヴィオが教えてあげる」

 

 ヴィヴィオがようやく腕を解く。

 

 クオンの胸から、体温が離れた。

 

 返事をする前に、新しい反応が結界へ触れた。

 

 ガジェットではない。

 

 ナンバーズでもない。

 

 小さな人影と、その傍らを飛ぶ召喚獣。

 

 クオンの視界に、作戦情報が開く。

 

 ルーテシア・アルピーノ。

 

 十一歳。

 

 クオンは、仮面を外したまま目を閉じた。

 

 守ろうとしているのは、子供だった。

 

 その子を連れ去りに来たのも、子供だった。

 

 そして、自分の手は一つしかない。

 

 クオンはザフィーラを見る。

 

 青い獣はすでに、ヴィヴィオを庇う位置へ立っていた。

 

 報告の中で自分を知っている目。

 

 それでも今は、正体を問うより少女の前へ立つことを選んだ目だった。

 

「ザフィーラ」

 

 名前を呼ばれ、青い耳がわずかに動く。

 

「ヴィヴィオを頼んだ」

 

 ザフィーラは一度だけ、クオンの顔を見た。

 

 何者なのか。

 

 なぜ自分達を知っているのか。

 

 なぜ、敵として報告された存在がヴィヴィオを抱きしめたのか。

 

 聞くべきことはいくつもあった。

 

 けれど今、答えるべき言葉は一つしかない。

 

「承知した」

 

 クオンは頷く。

 

「ヴィヴィオを地下へ」

 

「任せろ」

 

 クオンは前へ出た。

 

「ここから先は、通さない」

 

 顔を隠さない白と黒の騎士が、燃える隊舎と少女達の間に立った。

 

 その約束を守りきれないことを、まだ誰も知らなかった。

 

     ◇

 

 紫色の光が、破損した外壁の向こうへ降りた。

 

 ルーテシアはガリューの腕から床へ下りる。

 

 足元へ召喚陣が広がった。

 

 クオンは、その前から動かない。

 

「また、戦ってる」

 

 ルーテシアがクオンを見る。

 

 以前、水路で会ったときよりも、その目に迷いがなかった。

 

「必要だから」

 

「誰に?」

 

「私に」

 

「本当に?」

 

 ルーテシアの背後で、ガリューが腕を振るった。

 

 クオンは黒い障壁で受け止める。

 

 衝撃が廊下を走り、残った窓が砕けた。

 

 反撃はしない。

 

 刃へ変えられる頁を、壁にする。

 

 ガリューの腕を切断できる角度であっても、押し返すだけに留めた。

 

「どいて」

 

「行かせない」

 

「前は、手伝ってくれた」

 

「君を帰すためにね」

 

 クオンは召喚陣を見る。

 

 その奥に、さらに二つの反応がある。

 

 オットー。

 

 ディード。

 

 どちらも、クオンが帰そうとしている十二人のうちの一人だった。

 

「今日は、ここにいる人も帰す」

 

『相変わらず欲張りですね、お兄ちゃん』

 

 開いた通信から、クアットロの声がした。

 

『ご安心を。ルーお嬢様も妹達も、あなたへ攻撃することを躊躇う必要はありません』

 

「クアットロ」

 

『だって、お兄ちゃんは私達を傷つけられない。子供であるルーお嬢様も攻撃できない。そうでしょう?』

 

 否定できなかった。

 

 ガリューが踏み込む。

 

 クオンは拳を受け、軌道を外へ逸らした。

 

 壁が吹き飛ぶ。

 

 その破片を、背後へ通さないために頁を広げる。

 

 正面にはルーテシア。

 

 左右からオットーとディード。

 

 背後には避難中の職員とヴィヴィオ。

 

 倒してはいけない者ばかりが、守りたい者へ向かってくる。

 

『それでも全員を守りますか?』

 

「守るよ」

 

 クオンは答えた。

 

『では、頑張ってくださいな』

 

 通信が切れた。

 

     ◇

 

 地上本部の隔壁が、ようやく開いた。

 

 高濃度AMFの中で待機していたなのは達が、一斉に外へ出る。

 

 戻った通信へ、救援要請が雪崩れ込んだ。

 

「ギンガさんの反応が途絶えました!」

 

「機動六課にも襲撃です!」

 

「ヴィータ副隊長とリイン曹長は、ゼストとアギトに拘束されています。離脱できません!」

 

 どちらも近くない。

 

 どちらにも、大切な人がいる。

 

 はやては一瞬だけ目を閉じ、指揮官の顔で開いた。

 

「なのはちゃんはギンガの方へ。フェイトちゃんは六課へ向かって。私はここに残って全体を繋ぐ」

 

「ヴィヴィオは?」

 

 なのはが尋ねる。

 

「シャマルとザフィーラがついとる。救援も向かわせた」

 

 それだけでは足りないと、全員が分かっていた。

 

 それでも、今は分かれるしかなかった。

 

「必ず戻る」

 

 なのはは誰へともなく言った。

 

 ヴィヴィオと交わした約束だった。

 

 白い光と金の光が、別々の空へ上がる。

 

 シグナムは残る敵性反応へ剣を向けた。

 

 地上本部側では、まだ終わっていない戦闘がある。

 

 シグナムはそちらへ向かった。

 

 その背後、彼女の視界にも探知にも入らない経路では、別のクオンが三つの反応を追っていた。

 

 ノーヴェ。

 

 ウェンディ。

 

 チンク。

 

 ストライクは、ヌメロンから頼まれた帰還路だけを守る。

 

 互いの姿も、声も、まだ知らない。

 

 シグナムとストライクが出会う時は、先へ残された。

 

    ◇

 

 フェイトの視界に、機動六課を包む煙が見えた。

 

 まだ遠い。

 

 けれど、ヴィヴィオの反応が隊舎内にあることは分かる。

 

「待ってて」

 

 速度を上げようとした金の軌道を、二つの影が遮った。

 

 トーレ。

 

 セッテ。

 

 二人のナンバーズが、逃げ道を塞ぐ角度で並ぶ。

 

「そこを退いて」

 

 フェイトはバルディッシュを構えた。

 

 答えの代わりに、トーレの脚部から光が走る。

 

 高速の蹴りを刃で受ける。

 

 衝撃に押し戻された先へ、セッテの武器が振り下ろされた。

 

 フェイトは身体を捻り、二撃目をかわす。

 

 進めない。

 

 下がるつもりもない。

 

「作られた子供を助けるために、同じように作られた私達と戦うのですか」

 

 セッテの問いに、フェイトの目が揺れた。

 

 プロジェクトF。

 

 失われた命を求めて作られた身体。

 

 誰かの都合から始まった命。

 

 自分にも、ヴィヴィオにも、目の前の二人にも繋がっている。

 

「同じだから、戦わないんじゃない」

 

 フェイトはバルディッシュを握り直す。

 

「同じように作られたからこそ、誰かの道具のままで終わってほしくない」

 

「それは、あなたの価値観です」

 

「うん」

 

 否定しなかった。

 

「だから私は、私の選んだ人のところへ帰る」

 

 金色の魔力が広がる。

 

「あの子にも、帰る場所を選ばせる」

 

 トーレとセッテが同時に踏み込んだ。

 

 フェイトも前へ出る。

 

 機動六課までの距離は、まだ縮まらなかった。

 

     ◇

 

 ギンガの身体が、崩れた道路へ倒れた。

 

 チンクの刃。

 

 ノーヴェの拳。

 

 ウェンディの射撃。

 

 三方向から削られた防御は、もう残っていない。

 

 ノーヴェが息を荒くしながら立つ。

 

「終わりだ」

 

 ギンガは起き上がろうとした。

 

 腕に力が入らない。

 

 視界の端で、チンクも片膝をついている。

 

 勝った側も無傷ではなかった。

 

「ギン姉!」

 

 青い道が、瓦礫の上を駆ける。

 

 スバルが到着した。

 

 倒れた姉。

 

 その身体へ伸びる敵の手。

 

 目に入ったものは、それだけだった。

 

「離れろ!」

 

 拳が振り抜かれる。

 

 ノーヴェが受け、ウェンディのボードごと後方へ弾かれた。

 

 反撃がスバルの左腕を捉える。

 

 皮膚が裂ける。

 

 その下から現れたものは、骨ではなかった。

 

 金属の骨格。

 

 人工の筋肉。

 

 姉と同じ、戦闘機人の身体。

 

 スバルは隠そうとしなかった。

 

 壊れた腕のまま、もう一歩踏み込む。

 

 瞳から理性の色が薄れた。

 

「ギン姉を、返せ!」

 

 地面が沈む。

 

 ノーヴェは歯を食いしばった。

 

 先ほどまでとは違う。

 

 技術も隊形も捨てている。

 

 ただ姉を奪い返すためだけの力が、正面から迫っていた。

 

「セイン!」

 

 チンクの声と同時に、道路が水面のように揺れた。

 

 セインの腕が足元から伸びる。

 

 ギンガ。

 

 チンク。

 

 ノーヴェ。

 

 ウェンディ。

 

 四人の身体が、地面の中へ沈んだ。

 

 スバルの拳が、何もない道路を砕く。

 

「待って!」

 

 追おうとした青い道の先で、退路ごと地面が割れた。

 

 今度の破壊は、ナンバーズのものではない。

 

 白い仮面の青年が、亀裂の向こうへ拳を振り下ろしていた。

 

 収束した魔法陣が地下の追跡経路だけを潰す。

 

 スバルへは、一度も拳を向けなかった。

 

「邪魔を……!」

 

 スバルが顔を上げる。

 

 しかし、そこに誰がいたのかを認識できない。

 

 白い仮面。

 

 大きな身体。

 

 それ以上の情報が、怒りの中から滑り落ちる。

 

 ストライクは答えなかった。

 

 地下へ消えた反応を追う。

 

 四つ。

 

 すべて動いている。

 

「そのまま帰れ」

 

 届くはずのない声を、地下へ投げる。

 

「兄弟が数えてる」

 

 遠くから、なのはの魔力反応が近づいてくる。

 

 ストライクは追撃経路を完全に閉じ、次の帰還点へ向かった。

 

 姉を呼び続けるスバルの声だけが、壊れた道路へ残った。

 

 青い道が消える。

 

 力を使い切ったスバルの身体が傾いた。

 

 地面へ落ちる寸前、白い腕が抱き止める。

 

「スバル!」

 

 遅れて到着したなのはだった。

 

 壊れた左腕。

 

 涙で濡れた顔。

 

 何もいなくなった道路。

 

 なのはは一瞬で、間に合わなかったことを知った。

 

「ギン姉が……」

 

「うん」

 

「連れていかれた……」

 

「うん」

 

 なのはは答えながら、スバルの身体を抱きしめた。

 

 取り返すと言う前に、今ここにいる一人を落とさないために。

 

 その腕の中でも、スバルは姉の名前を呼び続けた。

 

     ◇

 

 機動六課では、クオンが一歩も進めずにいた。

 

 ガリューの拳を受ければ、ディードの光剣が脇を抜ける。

 

 光剣を頁で絡め取れば、オットーの光が避難通路を穿つ。

 

 誰も傷つけずに止めるたび、別の誰かがクオンの手を抜けていく。

 

「クオン」

 

 ディードが、初めて迷いを見せた。

 

 仮面のない顔を見ている。

 

「その顔……」

 

「今は進まないで」

 

 クオンは光剣を握った。

 

 手袋が裂け、掌から黒い液が落ちる。

 

 それでも折らない。

 

 持ち主ごと弾き飛ばすこともしない。

 

「君たちも帰す。ここにいる人達も帰す」

 

「できません」

 

 オットーの砲撃が放たれた。

 

 狙いはクオンではない。

 

 背後の天井。

 

 支柱が折れ、医務区画へ続く通路全体が傾く。

 

「クオン!」

 

 シャマルの声が、初めてその名を呼んだ。

 

 クオンは振り返る。

 

 大きな瓦礫が、担架と職員達の上へ落ちていた。

 

 黒い頁を伸ばす。

 

 何枚も重ね、落下を空中で止める。

 

 その一瞬に、ディードが横を抜けた。

 

 ザフィーラが立ちはだかる。

 

 鋼の軛が床から伸び、光剣の進路を塞いだ。

 

「この先へは行かせん!」

 

 ディードの剣と鋼の軛が衝突する。

 

 ザフィーラは退かない。

 

 ヴィヴィオを背へ隠し、二撃目も受けた。

 

 オットーの光が横合いから走る。

 

 シャマルが防護魔法を展開した。

 

 障壁が砕ける。

 

 シャマルの身体が壁へ叩きつけられた。

 

「シャマル!」

 

 ザフィーラの視線が一瞬だけ動く。

 

 その隙を、ディードの光剣が貫いた。

 

 青い身体が、床へ落ちる。

 

「ザフィーラ!」

 

 ヴィヴィオの悲鳴が響いた。

 

 クオンは頁を引き戻そうとした。

 

 できない。

 

 力を抜けば、頭上の瓦礫が担架ごと人を潰す。

 

 支えているのは、何人分の命か。

 

 数える余裕もなかった。

 

「立って!」

 

 クオンは職員達へ叫ぶ。

 

「動ける人が担架を引いて! 早く!」

 

 はやてと見間違えた少年の声に、職員達が動く。

 

 一人。

 

 二人。

 

 瓦礫の下から退避していく。

 

 その間にも、ルーテシアの召喚陣がヴィヴィオの足元へ広がった。

 

「嫌!」

 

 ヴィヴィオがザフィーラへしがみつく。

 

 重傷を負った青い獣が、前脚を床へ立てた。

 

「行かせ……ん」

 

 倒れた身体で、もう一度ヴィヴィオを庇う。

 

 クオンが託した役目を、最後まで手放さなかった。

 

 ガリューがザフィーラを引き剥がす。

 

 クオンは片手を瓦礫から離した。

 

 黒い頁が腕の形を取り、ヴィヴィオへ伸びる。

 

 オットーの光が頁を焼いた。

 

 指先が崩れる。

 

 それでも伸ばす。

 

「ヴィヴィオ!」

 

 少女が顔を上げた。

 

 金と緑の目が、クオンだけを見る。

 

「クオンお兄ちゃん!」

 

 小さな手が伸びる。

 

「助けて!」

 

 先ほどまで、腕の中にいた。

 

 甲冑へ回された腕の力を覚えている。

 

 胸へ押しつけられた頬の温度を覚えている。

 

 今は、指一本分の距離さえ届かない。

 

「待って」

 

 言ってから、その言葉の残酷さに気づいた。

 

 待つと決めたのはヴィヴィオだった。

 

 帰ってくるなのはを、ここで待つと。

 

 自分は、その場所を守ると約束した。

 

 待たせる側になってはいけなかった。

 

 召喚陣の光が強くなる。

 

 クオンの頁が、もう一度焼き切られた。

 

 ヴィヴィオの姿が紫色の光へ沈む。

 

「クオンお兄ちゃん!」

 

 最後まで、クオンの名を呼んでいた。

 

 最後まで、クオンの顔を見ていた。

 

 光が消える。

 

 そこには、何も残らなかった。

 

 クオンの手が空を掴む。

 

 背後で、担架の車輪が瓦礫の下から抜けた。

 

「全員、出ました!」

 

 職員の声が届く。

 

 クオンは、支えていた瓦礫をゆっくりと床へ下ろした。

 

 助かった呼吸がある。

 

 帰せなかった体温がある。

 

 どちらも、同じ自分の手で選んだ結果だった。

 

     ◇

 

 戦場から、ナンバーズの反応が一つずつ離れていく。

 

 トーレ。

 

 セッテ。

 

 オットー。

 

 ディード。

 

 ディエチ。

 

 クオンの視界に、帰還経路へ入った印が増えていく。

 

 地上本部側では、ストライクが最後の追撃を止めていた。

 

『四人、帰還路へ入った』

 

 仮面越しの声が通信へ届く。

 

『チンク、ノーヴェ、ウェンディ、セイン。全員生きてる』

 

「うん」

 

『ほかも順に帰してる。俺がいるんだ。取り落とすわけねえだろ』

 

「うん」

 

『兄弟』

 

「聞いてるよ」

 

『そっちはどうした』

 

 クオンは答えられなかった。

 

 空になった廊下を見る。

 

 ヴィヴィオがいた場所。

 

 ザフィーラへ託した場所。

 

 助けてと呼ばれた場所。

 

「一人、帰せなかった」

 

 通信の向こうで、ストライクが黙る。

 

 慰める言葉は言わなかった。

 

 できるとも思っていなかった。

 

『なら、生きて帰れ』

 

 代わりに、それだけを言う。

 

『取り返すなら、そのあとだ』

 

「分かった」

 

 クオンは通信を切った。

 

 床へ倒れたザフィーラの隣へ膝をつく。

 

 傷口へ頁を重ね、出血を抑える。

 

 ザフィーラが薄く目を開けた。

 

「すまない」

 

「違うよ」

 

「託された」

 

「君は守った」

 

 クオンは答えた。

 

「最後まで、ヴィヴィオの前にいた」

 

 ザフィーラの目が閉じる。

 

 意識を失っただけだと確かめてから、クオンはシャマルへ向かった。

 

 呼吸はある。

 

 脈も途切れていない。

 

 シャマルが霞む視界でクオンを見る。

 

「あなたが……クオン、なのね」

 

「今は喋らないで」

 

「ヴィヴィオを……」

 

「連れて帰る」

 

 今度は、守るとは言わなかった。

 

 守れなかった約束を、同じ言葉で塗り重ねることができなかった。

 

「帰る場所は、あの子が決めたから」

 

 シャマルが目を閉じる。

 

 救護班の足音が近づいてきた。

 

 クオンは立ち上がる。

 

 顔を隠す仮面は、つけ直さなかった。

 

     ◇

 

 地上本部と機動六課に残った画面が、一斉に切り替わった。

 

 ジェイル・スカリエッティの姿が映る。

 

 声明。

 

 嘲笑。

 

 管理局の中枢へ、自分達がどれほど容易く手を届かせたかという誇示。

 

 言葉が続く間にも、負傷者は運ばれていた。

 

 炎は消えていない。

 

 瓦礫の下を探す声も止まらない。

 

 カリムは、破壊された本部を見下ろした。

 

 予言を覆せなかった。

 

 ギンガの反応は敵側へ移った。

 

 ヴィヴィオも戻っていない。

 

 はやては目を伏せなかった。

 

「まだや」

 

 声は小さかった。

 

 それでも、隣にいる者には届いた。

 

「機動六課は、まだ終わってへん」

 

 勝ったとは言えない。

 

 守れたとも言えない。

 

 それでも、ここで終わりにすることだけは拒んだ。

 

     ◇

 

 六課の壊れた記録装置から、一つの映像が回収された。

 

 白い仮面を外す少年。

 

 はやての騎士甲冑を反転させた姿。

 

 ヴィヴィオを抱き返す、十三歳ほどの顔。

 

 これまでの映像と違い、輪郭は揺れていない。

 

 見る者によって年齢も性別も変わらない。

 

 生き残った職員達の証言も一致していた。

 

 はやて部隊長に似た少年。

 

 避難路を作った者。

 

 ヴィヴィオから、クオンお兄ちゃんと呼ばれた者。

 

 搬送される直前、シャマルが残した言葉も記録へ添えられた。

 

 クオン。

 

 その名が、十年前の久遠と同じ音を持つことを、なのはとフェイトはすでに知っている。

 

 はやては、それよりも前から知っていた。

 

 けれど、映像の少年が人間の久遠本人だと断定できる証拠はない。

 

 それでも、正体不明の影として処理することは、もうできなかった。

 

 映像は調査待ちの記録として保存された。

 

     ◇

 

 クオンの視界で、今回の作戦へ出た最後の反応が帰還域へ入った。

 

 帰還一覧を開く。

 

 施設に残っていた者と、戦場から戻った者の名前が並ぶ。

 

 ウーノ。

 

 トーレ。

 

 クアットロ。

 

 チンク。

 

 セイン。

 

 セッテ。

 

 オットー。

 

 ノーヴェ。

 

 ディエチ。

 

 ウェンディ。

 

 ディード。

 

 一人ずつ、名前で確かめる。

 

 今回出撃した者の帰還欄が、すべて埋まった。

 

 ストライクへ頼んだ者達は帰ってきた。

 

 安堵は確かにあった。

 

 それを喜ぶ自分もいた。

 

 一つだけ、別の表示が残っている。

 

 ドゥーエ。

 

 任務継続。

 

 最終通信時刻は更新されている。

 

 生きている。

 

 けれど、まだここには帰っていない。

 

 十二人全員を、自分の目で確かめたわけではなかった。

 

 そして同じ画面の外にも、帰っていない者がいる。

 

 ギンガ・ナカジマ。

 

 家族のいる場所から奪われた。

 

 ヴィヴィオ。

 

 自分で選んだ場所から奪われた。

 

 クオンは新しい帰還欄を作った。

 

 名前を入力する。

 

 ヴィヴィオ。

 

 帰還先。

 

 なのはのところ。

 

 状態。

 

 未帰還。

 

 保存しようとして、指が止まった。

 

 空になった腕へ、まだ温度が残っている気がした。

 

 背へ回された小さな手。

 

 助けてと震えた声。

 

 なのはが帰ってきたら会うという、返事を返せなかった約束。

 

 クオンは保存を押した。

 

 帰っていないなら。

 

 まだ、数え終わっていない。

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