第27話「呼ばれる前に」が抜けていました。
該当話を追加しましたので、未読の方は先にそちらをお読みください。
順番が前後してしまい、申し訳ありません。
臨時指揮所の画面の中で、ヴィヴィオが十三歳ほどの少年へ抱きついた。
『クオンお兄ちゃん、助けて』
焼け残った記録装置から回収された映像だった。
音はところどころ割れ、画面の端は熱で歪んでいる。
机の別の画面では、ヴィヴィオの捜索範囲が更新され続けていた。反応のない地点に印だけが増える。なのはは、そこを見るのが怖くて、映像へ目を戻した。
それでも、白い仮面を外した少年の顔だけは、少しも揺らいでいなかった。
肩へ届かない黒髪。
光の映らない、静かな目。
少女にも見える中性的な輪郭。
十年前の写真に残された九歳の少年が、そのまま四年だけ成長したような顔だった。
なのはは瞬きもせず、画面を見ていた。
少年が、抱きつかれたまま動きを止める。
下ろしかけた両手を一度だけ迷わせ、それからヴィヴィオの背へ回した。
その不器用な間を、なのはは知っていた。
『君も、なのはが帰ってくる場所も守る』
低くなった声の奥に、聞き覚えのある響きが残っている。
「……久遠君」
名前は、息と一緒にこぼれた。
隣にいたフェイトは否定しなかった。
できなかった。
画面の少年は、ヴィヴィオの頬を見下ろしている。
その横顔まで、二人の記憶にいる少年とよく似ていた。
「シャーリー」
フェイトが画面から目を離さずに尋ねる。
「映像の補正は?」
「輪郭修正も、年齢補正もかけていません。元の記録からこの状態です」
「認識阻害の影響は?」
「仮面をつけていた間の映像には残っています。でも、外した直後から完全に消えています」
シャーリーが別の窓を開く。
同じ少年が、崩れた梁を支えていた。
別の角度から撮られた顔も、同じだった。
避難した職員達の証言も一致している。
十三歳ほど。
はやて部隊長に似た騎士甲冑。
負傷者を助けた。
ヴィヴィオから、クオンお兄ちゃんと呼ばれていた。
「今度は、ちゃんと残ってる」
なのはが呟く。
「見た人の記憶にも、映像にも。同じ顔で」
再生が進む。
クオンはヴィヴィオをザフィーラへ託し、侵入者の前へ立った。
崩れた天井を支え、担架を逃がす。
その間に、紫色の光がヴィヴィオを包んだ。
『クオンお兄ちゃん!』
伸ばされた二人の手が届かない。
なのはは、そこで映像を止めた。
空を掴んだ少年の手が、画面に残る。
「ごめん」
画面の中では、ヴィヴィオがまだ助けを求めている。
再生を止めれば、あの声も止まる。だが、いまヴィヴィオがどこにいるのか、なのはには分からない。
手元の捜索図へ視線を移そうとしても、空を掴んだクオンの指が目に残った。
フェイトが、強く握られたなのはの手へ触れる。
「なのはだけのせいじゃない」
「……久遠君が、ヴィヴィオを守ろうとしてくれたみたいに見えた」
なのはは停止した顔を見た。
「本当に、久遠君だったら」
その先は言えない。
言わなくても、フェイトには伝わった。
「うん」
フェイトの指にも力が入る。
「私も、そう見える」
フェイトの返事に、なのはは画面の少年をもう一度見た。
十年間、久遠からの返事を待ってきた。
いま、十三歳の顔がヴィヴィオへ手を伸ばしている。
ヴィヴィオを取り戻さなければならない。その少年とも、もう一度会いたかった。
「久遠君は、生きてたのかもしれない」
なのははその可能性を、自分から打ち消したくなかった。
なのはは捜索図の端へ目をやる。ヴィヴィオの反応はまだない。
臨時指揮所の扉が開いた。
はやてが立っていた。
画面の十三歳の顔を見る。次になのはを見て、端末を持つ指へ力を込めた。
「……解析結果、出たで」
骨格と歩幅から推定した身体年齢は、十三歳前後。
障壁に残された魔力は、少年の身体そのものにも高密度の魔力が巡っていることを示していた。
「久遠君が生きとったら、いま十九歳や。それに、あの子には魔力資質がなかった」
はやては数値を指す。
「映像のクオンとは、年齢も魔力反応も合わへん」
「でも、十年の間に何があったか、私達は知らないよ」
なのはが返す。
「同じ人だって証拠にはならないのは分かる。でも、違うって決める証拠にもならない」
「……うん」
はやては端末を下ろした。
フェイトも数値を見ていた。顔が似ているというだけで久遠だと認めることはできない。それでも、はやての言葉だけで別人と決めることもできなかった。
「会って、本人に聞きたい」
なのはは映像の少年へ目を戻す。
「久遠君なの、って。違うなら、この子のことを知りたい」
シャーリーが別の解析窓を開く。
はやての端末に、輸送襲撃の直後から続く照合履歴があった。
「はやてちゃん、この子のこと、前から調べてたんだね」
はやては頷いた。
「ヴィータ達の報告があってからや。仮面のせいで、顔はずっと定まらへんかった」
「どうして教えてくれなかったの?」
「……確かめられることが、少なかったから」
「私達にも見せてほしかった」
なのはの声は責める調子ではなかった。
はやては、その方が答えに困った。
短い通知音が鳴る。
なのはが捜索図へ向き直った。
「ヴィヴィオは?」
「新しい位置情報ではありません。召喚陣の残留魔力を解析中です」
シャーリーの返事に、なのはは小さく頷く。
次の通知が来れば、またすぐに振り向くだろう。
それでも今は、画面の少年へ視線を戻した。
「ヴィヴィオがあの子を呼んでた。もう一度会えたら、ヴィヴィオがどこへ連れていかれたか聞けるかもしれない」
「せやな」
「それと、久遠君のことも」
はやては答えなかった。
久遠が消えた夜、はやては病院にいた。
図書館へ行ったのはシグナム達で、自分は後から管理局の資料を読んだ。
窓際の席を写した写真。
床と机の脚に広がる血。
その中心に残った、夜天の書から切り離された黒い写本。表紙にも久遠の血が付いていた。
後に鑑識が、血は久遠のものだと確かめた。
はやては写本の管理を任されてからも、白い頁をめくるたびに写真を思い出した。
あの日、久遠に本の返却を頼んだのは自分だった。
写真のことをなのはとフェイトに言おうとして、何度も言葉を飲み込んだ。今も同じだった。
「はやてちゃん?」
なのはが尋ねる。
「久遠君、返したら連絡するって言ってたの」
あの夜、久遠の携帯電話には、なのはへ発信しようとした記録が残っていた。
「あの夜、久遠君に何があったの?」
はやては口を開いた。声が出ない。
「遺体は見つかってないんだよね」
はやては頷いた。
なのはは、少しだけ息をつく。
「じゃあ、まだ確かめられるよ」
はやての喉が動いた。
言わなければと思う。
けれど、なのはのすぐ隣には、ヴィヴィオの捜索図が開いている。
血の跡が写った資料の話を、そこへ持ち込む声が出なかった。
フェイトが、はやての手元を見る。
端末を握る指が白くなっていた。
「はやて。十年前の記録と、この子を照合した資料があるんだね?」
はやては、今度は頷くこともできなかった。
フェイトはそれ以上尋ねなかった。
なのはは捜索図の更新を確かめ、停止した映像を再生する。
はやては何も言わず、ヴィヴィオを追う座標へ目を移した。
◇
治療中のシャマルから届いた証言が再生された。
『クオンは、私達を攻撃するために来たのではありません』
医療用の固定具に肩を預け、途切れがちな声で続ける。
『職員を避難させて、瓦礫を支えてくれました。ヴィヴィオちゃんを抱き返して、ザフィーラに託したんです』
ザフィーラの証言は短かった。
『敵として来た者ではない』
それだけを伝えるために、重傷の身体で意識を繋いだ声だった。
「クオンってのは間違いねえ」
腕に包帯を巻いたヴィータが言う。
「前に会った奴も、ボク達はクオンだって言ってた」
「達、か」
フェイトが繰り返す。
シャーリーが、これまでの記録を並べた。
輸送襲撃時の欠損した映像。
白い仮面の小さな人影。
目撃者ごとに年齢も声も揺れた記録。
そして今回、仮面を外した十三歳の少年。
「同じ一人が姿を変えているのか、複数の個体がいるのか。今の資料では判別できません」
「記憶の共有も?」
「可能性はあります。でも、断定できる証拠はありません」
はやては新しい調査記録を開いた。
対象呼称、クオン。
推定、複数個体または形態変化。
十三歳相当個体は、仮面を外した状態で認識可能。
六課職員の救助、およびヴィヴィオの防護行動を確認。
人間の久遠との同一性は、確認できず。
敵性判定、保留。
はやては最後の二行を保存した。
なのははそれを見ていたが、何も言わなかった。
シャーリーが映像を横へずらし、クオンが最後にヴィヴィオへ伸ばした手を拡大する。
紫色の召喚陣が、その先で一瞬だけ光った。
「この光、追える?」
なのはが尋ねた。
「残留魔力と照合します」
シャーリーが作業に戻る。
フェイトはヴィヴィオの反応が途絶えた時刻を控えた。はやても捜索班へ新しい照合条件を送る。
なのはは、ヴィヴィオの小さな手と、その先へ伸びる十三歳の指を見ていた。
◇
フェイトは、捜索班の交代を見届けてから廊下へ出た。
はやてが答えられなかった問いを、聞かずに済ませるつもりはなかった。
通信先を選ぶ。
クロノ・ハラオウン。
応答までの数秒間に、フェイトは何を聞くべきかを何度も考え直した。
『フェイトか。六課の被害状況は聞いている』
「クロノ。十年前の、溱久遠の事件記録を見せて」
通信の向こうが静かになる。
「クオンを調べている。はやての資料に、あの事件との照合履歴があった」
『……はやては何と言った?』
「答えられなかった」
フェイトは廊下の窓を見た。
まだ、夜明けには遠い。
「だから、私が確認する。久遠のことも、今ヴィヴィオを探している私達のことも、私達に関係がある」
『分かった。原本の閲覧権限を渡す』
端末へ通知が届いた。
記録の冒頭には、シグナムとヴィータの現場発見報告があった。
その後に到着したクロノと調査班による、保全記録。
フェイトは写真を開く。
図書館の、窓際の席だった。
退院したら、久遠とまた待ち合わせるはずだった、いつもの席。
床に、机の脚に、赤い跡がある。
その中心に、黒い本が残っていた。表紙にも血が付着している。
文字を読み進める。
血液の照合結果――溱久遠と一致。
推定された出血量――九歳の子供が失えば、命に関わる。
遺体――発見されず。
黒い本は、夜天の書から切り離された写本と分析され、後に、はやてへ管理が委ねられた。
フェイトはそこで画面を伏せた。
久遠が消えた時、自分はあの席を写真で見たことさえなかった。
「はやては、この資料を読んだの?」
『写本の管理を任せる前に、閲覧できるようにした。現場にいたわけではない。あの夜、はやては病院にいた』
「クロノは、私達に話そうと思わなかった?」
『思った。けれど、捜索に結論が出ないまま、僕は現場の情報を制限した。その判断には僕にも責任がある』
フェイトは答えなかった。
怒ることもできた。何も知らずに十年待っていたことを思えば、怒らなければならない気もした。
けれど先に、なのはの顔が浮かんだ。
今夜、ヴィヴィオを連れ去られたばかりのなのは。
久遠の顔に似た少年を見て、「生きてたのかもしれない」と言ったなのは。
「この資料を、なのはにも見せる」
『……ああ』
「写真を開くかどうかは、なのはが決める」
クロノが短く息を吐いた。
『必要なら、僕も説明する』
「まず私が話す」
フェイトは通信を切った。
廊下の窓に、写真を見た後の自分の顔が映っていた。
◇
臨時指揮所では、なのはがヴィヴィオの行方を追っていた。
捜索班から戻る報告へ返事をして、次の区画を指定する。その合間に、停止したままの十三歳の顔を見る。
フェイトが戻ると、はやてが顔を上げた。
フェイトの端末に付いた古い事件の識別表示へ、目が止まる。
はやては何かを言おうとした。
けれど、声は出なかった。
「なのは」
フェイトが呼ぶ。
「久遠のこと、クロノに確認した」
なのはが振り返った。
「はやてちゃんも、ここにいて」
なのはの言葉にはやては頷き、椅子へ座ることもできず、二人の傍へ立った。
フェイトは写真の画面を伏せたまま話し始める。
「十年前、図書館に久遠の血が残っていた」
なのはの目が、端末へ向いた。
「シグナム達が現場を見つけた。クロノも調査に入った。はやては、その時はまだ病院にいたんだ」
はやての手が、端末を握り締める。
「血は、あの黒い写本にも付いていた。後から久遠のものだと確認された」
「……どのくらい?」
フェイトは一度、息を継いだ。
「九歳の子が失えば、命に関わる量だった」
なのはが、画面の少年を見る。
ヴィヴィオを抱き返す、十三歳の横顔。
「身体は?」
「見つかっていない」
「なら、久遠君だって可能性は、なくなってないよね」
なのはの声は揺れていた。
フェイトは頷きかけて、止まる。
「そこまでは、この資料だけでは決められない。でも、久遠がひどい怪我をしたことは確かだよ」
なのはは、はやてを見た。
「はやてちゃんは、知ってたんだね」
はやては小さく頷いた。
「あの本を、ずっと持ってたんだよね」
もう一度、頷く。
「十年前、私達、一緒に久遠君を待ってたよね」
はやてが顔を上げた。
「どうして、教えてくれなかったの?」
はやては端末を握ったまま、口を開けなかった。
なのはは返事を待った。問いを取り消すこともできなかった。
けれど、目の前のヴィヴィオの捜索図からも離れられない。
「写真もあるの?」
「ある。今、開く?」
なのはは首を横へ振った。
「あとで見る。隠さないでね」
「うん」
フェイトが答える。
はやては唇を噛んで、視線を落とした。
なのはは捜索図へ戻ろうとしたが、画面の時刻を一度見失った。
ヴィヴィオが消えた瞬間まで映像を戻す。
指が震えて、目的の位置を通り過ぎた。もう一度戻す。
「いまは、ヴィヴィオを探す」
画面の少年の顔を、なのははもう一度見た。
久遠君かもしれない。
その思いを、誰にも代わりに終わらせてほしくなかった。
はやては何も言わない。
フェイトも、なのはの隣で捜索図を開いた。
◇
臨時医療施設の廊下には、休む暇のない足音が続いていた。
焼け残った機材が運び込まれ、使える端末が繋ぎ直される。
隊舎は壊れた。
けれど、機動六課までなくなったわけではない。
ティアナは病室の前で、左腕を見つめているスバルを見つけた。
包帯の下には、姉と同じ機械の身体がある。
「入らないの?」
「……みんなに、言ってなかったから」
「今さら、それであんたが別人になるわけじゃないでしょ」
ティアナは隣へ立った。
「ギンガさんを取り戻す。ヴィヴィオも助ける。そのために治して、立てるようにする。今はそこまで」
スバルは俯いたまま、何度か息をした。
「うん」
返事は小さい。
それでも、病室の扉を開けるには十分だった。
なのははヴィヴィオの捜索記録を開き直す。
フェイトはスカリエッティの拠点候補を洗う。
はやては残存戦力を繋ぎ、次の出動へ備える。
敗れた者達は、帰したい人の名前を胸に、もう一度立ち上がろうとしていた。
◇
同じ映像に残った少年は、白い仮面をつけないまま研究施設へ戻っていた。
白黒を反転させた騎士甲冑は裂け、両手には瓦礫を支え続けた損傷が残っている。
右の掌から指先へ走る亀裂は、まだ塞がっていなかった。
転移光が消えた途端、クオンの膝が落ちる。
「お兄ちゃん!」
ウェンディが駆け寄ろうとした。
「待て!」
ノーヴェが先に止める。
クオンの周囲で、制御しきれない残りの魔力が細い刃のように揺れていた。
誰かを傷つけるほどではない。
けれど、今の身体が崩れる寸前にあることは分かった。
クオンは床へ手をついたまま、壁面の帰還一覧を見る。
「みんなは?」
「その身体で最初に聞くことが、それかよ」
ノーヴェが怒鳴る。
「チンク姉も、セインも、ウェンディもいる。トーレ達も戻った。ここへ向かった連中は全員、生きて帰った」
「ギンガ・ナカジマは?」
空気が止まる。
ノーヴェの奥歯が噛み締められた。
ノーヴェが帰ったと聞いて、胸が緩んだ。
そのノーヴェの拳で倒れたギンガには、スバルという妹がいる。
スバルはまだ、姉の帰りを待っている。
喉の奥に、安堵が引っかかった。
「治療区画です」
ウーノが答える。
「損傷が大きく、現在は神経接続を伴う処置を受けています」
「ヴィヴィオは?」
「別区画で検査中ですわ」
クアットロが微笑んだ。
クオンは立ち上がる。
一歩目で、足元へ白い欠片が落ちた。
「二人を連れて帰る」
「どちらへ?」
「ギンガ・ナカジマはスバルたち家族のところ。ヴィヴィオは、なのはのところ」
「まあ」
クアットロの笑みが深くなる。
「帰ってきた妹達を置いて、今度はそちらのお二人を迎えに行くんですの?」
「置いていかない」
「でしたら、どうなさるのかしら」
施設図が開く。
ギンガのいる治療区画までに三つの隔壁。
ヴィヴィオの収容区画には、転移阻害と防衛機構。
その前へ立つのは、機械だけではない。
トーレ。
セッテ。
オットーとディード。
命令を受ければ、クオンを止めるナンバーズ達だった。
「通して」
「ドクターの許可なく、それはできません」
ウーノの声は静かだった。
「ギンガ・ナカジマは、今設備から外せば身体と意識の双方に回復不能な損傷が残る可能性があります」
「処置を止めて」
「安全に中断できる段階ではありません」
嘘である可能性はある。
けれど、表示されたギンガの生体反応が不安定なのは事実だった。
クオンには、その処置を安全に終わらせる知識がない。
「ヴィヴィオを見せて」
クアットロが一瞬だけ黙った。
「生体映像を見せて」
壁面に、小さな身体が映る。
眠っていた。
呼吸はある。
だが、自分で起きて、自分で帰る場所を選べる状態ではない。
クオンが踏み出す。
身体の輪郭が揺れた。
残存活動時間。
八分。
隔壁を壊し、ナンバーズを傷つけずに二人を連れ出すには足りない。
それでも、足を止められなかった。
肩を掴んだ手がある。
「どこへ行く」
ストライクだった。
白い仮面をつけた十九歳の青年が、帰還口から歩いてくる。
騎士甲冑には戦場の煤が残っていた。
「二人を帰す」
「今のお前じゃ、辿り着く前に消える」
「それでも行く」
「消えたあと、誰がこいつらを帰す」
クオンは答えられない。
振り返れば、傷ついて帰ってきた十一人がいる。
眠っている者。
立っているだけで苦痛を隠している者。
次の命令が出れば、また戦場へ向かう者。
そして、別任務からまだ戻っていないドゥーエ。
「助ける相手を選べって言うの?」
「違う」
ストライクの声に、いつもの笑いはなかった。
「全員助けるなら、まず死ぬなと言ってる」
肩を掴む力が強くなる。
「取り返すなら、生きて帰れ」
六課で通信越しに告げられた言葉と同じだった。
一人で手が足りないと認め、初めてストライクへ託した。
託した者達は、帰ってきた。
ストライクが端末を放る。
「頼まれた奴らは全員帰した」
チンク。
ノーヴェ。
ウェンディ。
セイン。
ほかの出撃者も、帰還経路を通過している。
「ありがとう」
「俺に頼んだ。だから帰した。それだけだ」
「君も帰ってきた」
ストライクの顔が、白い仮面の向こうでわずかに動く。
「俺まで数えるつもりか」
「頼んだ人が帰らなかったら、終わりじゃない」
「勝手にしろ」
突き放す声だった。
けれど、ストライクはクオンがノーヴェへ身体を預けるまで、肩から手を離さなかった。
「次に頼むなら、立って言え。今のお前じゃ、お願い一つ最後まで言えねえぞ」
クオンの膝が再び落ちる。
今度はノーヴェが支えた。
「馬鹿」
「ごめん」
「謝る前に治せ。お前が一番、帰ってきてねえじゃねえか」
施設には着いた。
けれど、誰かに帰還を確かめてもらうまでが帰ることなら。
クオンはノーヴェを見る。
「……ただいま」
「急に言うな」
ノーヴェは顔を背けた。
支える腕だけは離さない。
「……おかえり、兄貴」
◇
最低限の修復を終えると、クオンは治療区画を回った。
端末の表示だけでは足りない。
自分の目で見る。
声を聞く。
必要なら、手へ触れる。
最初はウーノ。
外傷なし。
管制権限を維持。
拠点内、安否確認済み。
「確認しましたか?」
「うん」
「では次へどうぞ。まだ十人います、お兄様」
クオンが目を瞬く。
「業務上、呼称を定めただけです」
ウーノは何事もなかったように、次の区画を示した。
トーレとセッテは、消耗が大きいものの自力で歩けた。
トーレは確認される側であることへ不満そうに眉を寄せる。
「兄なら、妹より先に倒れるな」
「うん」
隣でセッテが一度頷いた。
「あなたの帰還も確認しました。お兄さん」
クアットロは無傷に近かった。
「素顔を晒してまで管理局員を助けるなんて。お兄ちゃんは、ずいぶん欲張りになりましたのね」
「君達を帰したかった。あの人達も死なせたくなかった」
「そして、ヴィヴィオは奪われた」
「うん」
クオンは否定しなかった。
「届かなかった」
クアットロの笑顔が、ほんの一瞬だけ止まる。
チンクは治療寝台の上にいた。
セインが隣で、帰還時の状況を何度も説明している。
「ちゃんと全員連れて帰ったッスよ。だから、そんな顔しないでください、お兄ちゃん」
「セインが帰したんだね」
「ストライクさんが追撃を止めてくれたッスけど、運んだのは自分ッス」
「ありがとう」
「どういたしましてッス」
チンクが片方の目を開いた。
「こちらも確認した。お前も生きて帰ったな、兄上」
「うん」
オットーとディードは、六課で素顔を見ている。
二人の視線はもう滑らなかった。
「顔を隠さなくてよいのですか、お兄さん」
オットーが尋ねる。
「今は、この顔で帰ってきたことを確認したい」
「本当に、同じ顔に見えます」
ディードが言った。
「今度は、目を離しても忘れません。……お兄さん」
「そう」
以前なら、それで終わっていた。
今は、同じ顔を同じように見てもらえることが、少しだけ嬉しかった。
ディエチは左肩の固定具を確かめられた。
「前は、ボクが君を先に帰したね」
「はい」
「次も危なくなったら、同じようにする」
ディエチは少し考えてから、首を横へ振った。
「次は、一緒に帰る方法を選んでください。お兄さん」
「うん」
ウェンディは軽傷を重傷のように訴え、ノーヴェに頭を小突かれた。
「痛いッス! 負傷者にひどいッスよ、ノーヴェ!」
「一番元気だろうが!」
二人の声を聞き、クオンは帰還欄へ名前を入れる。
ノーヴェ。
ウェンディ。
帰還済み。
十一人。
最後の一欄だけが埋まらない。
ドゥーエ。
任務継続。
その下へ、別の枠を作る。
ギンガ・ナカジマ。
現在地、この施設。
帰還先、家族のところ。
状態、未帰還。
もう一人の欄は、すでに作ってある。
ヴィヴィオ。
帰還先、なのはのところ。
状態、未帰還。
「施設の中にいるのに、未帰還ですの?」
背後からクアットロが覗き込んだ。
「いる場所と、帰る場所は同じじゃない」
「でしたら、無理にでも連れていけばよろしいのに」
「今行けば、ギンガ・ナカジマを壊すかもしれない。ヴィヴィオへ届くまでに、君達を傷つける」
「選べない?」
「選ばない」
クオンは二つの未帰還を消さなかった。
「ボクは回復する。ギンガ・ナカジマの処置を安全に止められる時を探す。ヴィヴィオが移される場所も見つける」
「その間に、手遅れになるかもしれませんわ」
「うん」
六課で届かなかった手を見下ろす。
「だから、一人で行く以外の方法も探す」
一人で全員を抱えようとして、ヴィヴィオへ届かなかった。
なら、同じやり方を正しいとは呼べない。
◇
ドゥーエの帰還予定時刻を過ぎた。
一時間。
二時間。
最終通信は途切れていない。
任務継続の表示も正常だった。
それでも、クオンは帰還口から動かなかった。
「まだ待っているの?」
ウーノが尋ねる。
「うん」
「予定の範囲内です」
「分かってる」
「以前は、なぜ待つのか分からないと言っていましたね」
クオンは帰還口を見たまま頷いた。
ドゥーエの手へ触れ、温度を確かめた朝がある。
帰ってこないのは嫌だと、理由の形も分からないまま思った。
今なら、少しだけ分かる。
「失いたくないから、待ってる」
ウーノは何も言わなかった。
代わりに、待機区画の照明を一段だけ落とす。
さらに三十分が過ぎた時、認証音が鳴った。
帰還口の隔壁が開く。
白い衣服。
長い髪。
穏やかな笑み。
ドゥーエは一歩入ったところで足を止めた。
待っていた少年を見る。
白い仮面はない。
認識が滑り落ちることもない。
十三歳ほどの中性的な顔が、誰にとっても同じ輪郭でそこにある。
「お兄ちゃんって、そんな顔だったんですね」
クオンは自分の頬へ触れた。
「そうだね。ボクはこんな顔なんだ」
立ち上がる。
「怪我は?」
「ありません」
「追ってくる人は?」
「いません」
「次に出るのは?」
「少なくとも、今すぐではないわ」
同じ質問でも、以前とは違った。
空欄を埋めるためではない。
目の前の一人が、本当に帰ってきたと安心するために聞いている。
ドゥーエが手を差し出した。
「触れなくても、今度は見えるでしょう?」
「うん」
それでもクオンは、その手を握った。
温かい。
生きている。
ここにいる。
「おかえり、ドゥーエ」
今度は、返事を待った。
ドゥーエの作った笑顔が止まる。
ほんのわずかに、目元が柔らかくなった。
「ただいま、お兄ちゃん」
最後の帰還欄が埋まる。
ウーノ。
ドゥーエ。
トーレ。
クアットロ。
チンク。
セイン。
セッテ。
オットー。
ノーヴェ。
ディエチ。
ウェンディ。
ディード。
番号ではない。
一人ずつ、名前で確かめた十二人だった。
◇
「それで?」
ドゥーエが、握られたままの手を見た。
「十二人とも帰ったのに、まだ難しい顔をしているんですね」
クオンは帰還一覧を見る。
「帰ってきたことが嬉しい」
「ええ」
「でも、まだ二人帰ってない」
十二人の下に残る、ギンガとヴィヴィオの名。
嬉しいことと、怖いことが同時にある。
どちらかを消さなくてもよいのだと、今は思えた。
ウーノが記録の一箇所を示す。
「帰還確認者の個体名が空欄です」
「クオンでいい」
「同じ名を使う個体が複数います。今後も同じ任務を担うなら、識別できる呼称が必要です」
ノーヴェが壁へ寄りかかったまま鼻を鳴らす。
「また誰かに名前を決めてもらうのかよ」
「決めてもらわない」
返事はすぐに出た。
十二人の名前を見る。
番号を与えられた少女達を、番号ではなく名前で数えた。
帰ってきた一人へ、おかえりと言うために待った。
帰っていない二人を、まだ数え続けている。
数える者を表す、古い言葉が一つ浮かんだ。
「ヌメロン」
クオンは、初めて自分のためにその言葉を選んだ。
「ボクはクオンだよ。それは変わらない」
仮面のない顔で、十二人を見る。
「その中で、君達を名前で数えて、帰ってきたことを確かめるボクは――クオン・ヌメロン」
その声は、離れた治療区画の端末にも届いていた。
光は起きなかった。
姿も、力も変わらない。
ただ、十二人の視線が同じ一人へ集まった。
「今さら格好つけやがって」
ノーヴェが顔を背ける。
「でも、悪くないッスよ!」
ウェンディが笑う。
「名乗ったからには、次から先に倒れないでください」
ウーノが釘を刺す。
「一緒に帰る方法も、ですよ」
ディエチが付け加えた。
ドゥーエは手を離し、新しい名を確かめるように呼ぶ。
「クオン・ヌメロン」
「うん」
返事をしたのは、集合のどこかにいる誰かではなかった。
十二人に帰ってきてほしいと願い、十二人から兄と呼ばれた一人だった。
◇
機動六課の臨時指揮所では、十三歳の顔を添えた調査記録が保存された。
対象呼称、クオン。
個体名、不明。
なのはは、その一行を見た。
「名前は、もう知ってると思ってた」
「クオンは、あの子達全体の名前かもしれない」
フェイトが答える。
「この子自身の名前は、まだ私達が聞けてない」
はやては黙ったまま、画面の十三歳を見ている。
なのはが呼んだ「久遠君」を、はやてはまだ肯定も否定もできなかった。
同じ頃、管理局がまだ知らない場所で、空欄だった個体名が埋まった。
クオン・ヌメロン。
その下には、十二人全員の無事を確かめた印がある。
別枠に、ストライクの帰還も記録されていた。
さらに下に残る二人。
ギンガ・ナカジマ。
未帰還。
ヴィヴィオ。
帰還先、なのはのところ。
未帰還。
ヌメロンは、新しい名を記録したあとも画面を閉じなかった。
まだ帰っていない名前が、二つ残っていた。