「クオンとは、何だろうね」
ジェイル・スカリエッティは、返事を求める顔で尋ねた。
研究施設の最奥。ヌメロンが通された部屋には、椅子が二つある。間に置かれた透明な卓には、昨夜までの生体観測記録が広げられていた。
十三歳ほどの少年の顔。
白い仮面を外したままの、クオン・ヌメロンの顔だった。
「ボクに聞くの?」
「君が自分の名前を決めたと聞いたからね」
スカリエッティは一枚の記録を指で拡大した。
六課の隊舎が崩れた夜。ヴィヴィオを抱いたヌメロン。映像に映った顔は、昨夜ナンバーズの前で名乗った顔と同じだった。
「同じ記憶を持ち、姿を変え、失われれば別の個体へ残る。君達をひとまとめにクオンと呼んでも、研究上は差し支えない。では、クオン・ヌメロンとは?」
「ボクだよ」
「別のクオンが、今の君になれると思うかい?」
ヌメロンは答えかけて、口を閉じた。
共有される記憶はある。ストライクが見た戦場を、ヌメロンも思い出せる。昨日ナンバーズが十二人で自分を呼んだ時のことも、遠くのクオンへ流れている。
それでも、あの声を聞いて返事をしたのは、この身体だった。
「みんなが兄だって呼んだのは、ボクだ」
「だから、他の個体が同じ声で返事をしても、君にはならない?」
「うん」
「面白い」
感心したような声だった。
「君達は、最初から戦う子供を帰そうとしている。誰かの願いを記録しただけなら、その目的も君自身のものと言えるのかね?」
「最初に何を願ったかは、ボクの中にも残ってる」
「では、やはり同じだ」
「違うよ」
ヌメロンは昨夜、ウェンディが治療区画で痛む肩を隠して笑っていたことを思い出した。
「あの子が痛いって言わなくても、痛くないかと思ったのはボクだ。そんなこと、誰にも教わってない」
スカリエッティは否定せず、卓に残る観測値を見た。
「それが君を、ほかのクオンから分けたのだろうね」
ヌメロンは椅子に座らなかった。卓の上の記録には、十二人の名前も並んでいる。
「ギンガとヴィヴィオは、どこ?」
「早速、話を先へ進めるんだね」
「昨日までは、この施設にいた」
「ギンガ・ナカジマは処置中だ。安全に取り外せないことは、ウーノから聞いただろう。聖王の器にも、適切な場所がある」
「ヴィヴィオは、帰る場所を自分で選んでる。なのはのところ」
スカリエッティは、十三歳の顔を眺めた。
「君に頼んだのかな?」
「ボクを呼んで、助けてって言った」
「その手を離したのは君だ」
ヌメロンの指が動いた。
昨夜見た映像では、ヴィヴィオの指と自分の指の間に、僅かな隙間があった。
「だから迎えに行く」
「そして、今度はナンバーズの前に立つ」
スカリエッティが卓を切り替える。
十二の名前が壁へ映った。ウーノ、ドゥーエ、トーレ、クアットロ。最後のディードまで、ヌメロンが昨夜、一人ずつ無事を確かめた名前だった。
「彼女達を傷つけず、ギンガを治療機器から外し、聖王の器を運び出す。君はその順番を決められるかい?」
「君なら、止められる」
「私にとっては、止める理由がない」
研究者はあっさり言った。
ヌメロンは、その口を見た。自分の傷を治してくれた時と同じ声で、二人を解放しないと言っている。
「ナンバーズの帰る場所は、ここじゃなくてもいい」
「それを君が決めるのかね?」
「本人達が決める」
「命令を聞くことと、自分で選ぶことは違うよ」
「その違いを確かめたいのかい?」
卓上の名前に、まだ何も書かれていない指令欄が開く。
「君が作戦から離れる。管理局へ連絡する。私の施設から誰かを連れ出す。その時は、十二人全員に同じ指令を出そう」
ヌメロンは顔を上げた。
「クオン・ヌメロンを攻撃し、活動できなくなるまで続ける」
「……ボクを?」
「君は強い。数人なら傷つけずに躱せるかもしれない。だが、その間も彼女達は止まらない。消耗する。傷を負う。それでも、まだ立っている君を追わなくてはならない」
壁に表示された十二人の名前が、動かない。
「ボクが消えたら?」
「指令は終わる」
「それじゃ、ボクの代わりが来るだけだよ」
「君がいま認めたばかりだろう。代わりは君じゃない」
スカリエッティの声は、少しも強くならなかった。
ヌメロンは昨夜の帰還口を思い出した。ノーヴェが肩を支え、顔を背けたまま「おかえり」と言った。別のクオンへ、同じ言葉をもう一度言ってくれるとは限らない。
「全員が従うとは限らないよ」
やっと出た言葉に、スカリエッティが頷く。
「そうだね。君を攻撃する者を止めようとする者もいるだろう。そうなれば、彼女達同士で争う」
ヌメロンの目が、十二人の名前へ戻った。
「誰が君を守り、誰が指令を守るか、見てみたい気もする」
「そんなことのために、やらせないで」
「私がやらせるのではないよ。君が私の計画を妨げなければ、必要のない指令だ」
責任を、こちらの手へ滑らせる言い方だった。
ヌメロンが返す前に、スカリエッティは続ける。
「彼女達がどの任務を終えても、その指令だけは続く。君を壊すか、仲間と争うか。君のせいで、帰ることもできなくなるぞ」
ヌメロンは両手を握った。
今この部屋を壊すことはできる。スカリエッティに触れることだって、きっとできる。
けれど、指令欄は目の前の端末だけにあるわけではない。各任務の経路へ複製された認証が見える。スカリエッティを押さえても、十二人へ届く回線のすべては止まらない。
「ボクが言うことを聞いても、全員を帰すって約束はしてくれないんだね」
「勝手な約束は、君が嫌うだろう?」
それも、正しかった。
ヌメロンは昨夜、自分の名前を決めた。
決めたばかりの名前を奪われるより、名を呼んでくれた子達が互いに傷つく方が怖かった。
「何をすればいい」
「今は、ここにいてくれ。彼女達の任務を妨げず、管理局に情報を渡さない。必要になれば、君にも仕事を頼む」
「ヴィヴィオには、何もしないで」
「それは、私が決めることだ」
スカリエッティは最後まで、ヌメロンの求めた答えを渡さなかった。
出ていく少年の背へ、もう一度問いを投げる。
「君は、クオンとは何か分かったかい?」
ヌメロンは振り返らなかった。
「分かってることがある。ボクが壊れたら、泣く子がいる」
扉が閉まる。
スカリエッティは、空席の前に開いた指令欄を消さなかった。
◇
廊下には、ノーヴェがいた。
待ち伏せを隠す気もない。壁に背を預けたまま、ヌメロンの顔を見た。
「またドクターと長話か」
「うん」
「何の話だよ」
ヌメロンは、ノーヴェの手を見る。昨夜、自分を受け止めた腕。今は新しい戦闘服の留め具を締めている。
「……クオンって、何だろうって」
「知らねえよ。お前はお前だろ」
返事が速かった。
「それで困るのか?」
「困らない」
「じゃあ行くぞ。準備がある」
ノーヴェが歩き出す。
ヌメロンは並べなかった。行き先を聞けば、止めたくなる。止めれば、あの指令が十二人へ届く。
「ノーヴェ」
「何だ」
「……帰ってきて」
「昨日も帰ったろ」
ノーヴェは肩越しに手を振り、曲がり角の向こうへ消えた。
その先の管制区画では、ドゥーエが別人の顔を選んでいた。
彼女はヌメロンを見るなり、変装を解かずに片手を上げる。
「お兄ちゃん、今日はお見送りだけ?」
「仕事、長くなる?」
「それは戻ってからのお楽しみです」
ドゥーエは答えを残さず、扉へ入っていった。
ヌメロンは二人の帰還時刻を端末に記そうとして、やめた。知らされていない時刻を自分で書いても、彼女達は帰ってこない。
代わりに名前だけを残した。
十二人とも、まだ生きている。
◇
地上本部の防衛計画書には、アインヘリアル三基の稼働日が並んでいた。
クオン・オーダーは、三つの日付に線を引く。
別の画面には、レジアス・ゲイズ執務室の出入り名簿。
人事記録にいない補佐官の名が一つ。顔と声を変えて潜入しているドゥーエだった。
姉妹がどこにいるかは、クオン同士の記憶から分かる。だがドゥーエが実際に誰を殺すつもりか、その命令書まで覗けるわけではない。
出入りの時刻と、スカリエッティが隠した撤収経路を重ねる。
アインヘリアルが潰れたあと、レジアスが生きて指揮を続ける予定はない。
そう読むには、十分だった。
オーダーの端末に、クロノから通信が入る。
『地上本部の情報は?』
「防衛線を三基へ集中させている。避難区画の人員は動かせたよ。停止勧告は通らなかった」
『スカリエッティの襲撃時刻が分かったら、すぐ共有してほしい』
「分かれば送る」
クロノ・ハラオウンは短く礼を言った。オーダーが、裏付けのある情報を必要な時に届けてきたのは事実だった。
通話のあと、送信待ちの資料が二つ残る。
一つは防衛区画の避難経路。クロノへ送る。
もう一つは、ドゥーエの偽名とレジアス暗殺の見立て。
それを受け取れば、クロノは警護を強め、レジアスを別の場所へ移すだろう。ドゥーエも見つかるかもしれない。
送らなければ、レジアスのいない地上本部で、これまで彼に退けられてきた人事と予算が動く。オーダーが何年もかけて作った人脈を、表へ出せる。
クロノに言われた、脅迫をするな、記録を改めるな、疑いだけで誰かを消すな、という三つの線。
オーダーは、どれも越えていない。
画面の上には、クロノへ送らない資料だけが残った。
同じ記憶を持つ別のクオンが、この判断を知らないままでいられるわけではない。オーダーは、それでも送信を取り消した。
「……都合がいい、か」
言葉にしても、指は戻らなかった。
彼は別の相手を呼ぶ。
◇
道場で木剣を置いたストライクの前に、オーダーの通信像が現れた。
「手を貸してほしい」
「お前が俺に頼むのは珍しいな」
ストライクは弟子達を外へ出した。
「ヌメロンの件か」
「彼は動けない。動けばナンバーズ全員が彼を追うよう、スカリエッティが用意している」
「見た。あの話の仕方までな」
ストライクも、ヌメロンが聞いた声を共有していた。
「どうせあいつは、自分が一人で耐えればいいと思ってる。で、俺に何をやらせる?」
「ナンバーズの行先を追ってくれ。彼女達に救援が必要な時、ヌメロンの代わりに動く。彼を施設から無理に連れ出さなくていい」
「命令か?」
「指示だ。聞くかどうかは君が決めてくれ」
「便利な政治屋だな。自分は動かず、俺の足を使う」
「君にしか頼めない仕事もあるよ」
「褒めても安くはならねえぞ」
ストライクは壁の上着を取った。
「あいつには、俺が行くと伝えたか?」
「クオン同士だ。もう届いているはずだよ」
「だったら、隠し事には向かねえな」
共有されるのは、オーダーが送らなかった資料のことも同じだった。
ストライクは少しだけ目を細める。
「レジアスの件も、か」
「私が選んだ」
「ドゥーエがそこにいる」
「知っている」
それ以上オーダーは言わなかった。
ストライクは拳を握り、ほどく。
「だから、ナンバーズ全員の方へ俺を向かわせるわけか」
「ヌメロンへ、兄からのささやかな贈り物だよ」
「贈るなら、自分が何を犠牲にする気なのかも話せ」
返事を待たず、ストライクは通信を切った。
それでも上着を着て、道場を出た。
助ける相手と、オーダーを許すかどうかは別だった。
◇
ヌメロンには、二人の会話が届いていた。
レジアスの名前も、ドゥーエが近くにいることも、オーダーが資料を送らなかったことも知った。
クロノへ伝える経路を探す。その手が、壁に並んだ十二人の出撃記録を見て止まった。
別のクオンから知らせても、レジアスの警護が変わればスカリエッティは疑うだろう。疑われた時、誰に命令が届くかは分かっている。オーダーも、それを知った上で警告を伏せている。
端末の向こうで、スカリエッティがこちらの接続先を見ている。
『何か必要かな、ヌメロン?』
「……ドゥーエの帰還時刻」
『彼女の任務が終われば、分かるよ』
終わったあとでは遅いかもしれない。
その言葉を言えば、何が起こるのかも分かっている。ドゥーエだけを助けようとしても、彼女自身にこちらを攻撃する命令が行く。
ヌメロンは回線を切った。
ストライクが手を貸してくれることは嬉しかった。それでも、オーダーが送らなかった名前を、見なかったことにはできない。
◇
ヌメロンが出撃区域へ踏み込めないまま、日が過ぎた。
ノーヴェの任務は次の任務へ続き、ウーノは管制へ戻り、ドゥーエの居場所は偽名の下へ隠れた。十二人の反応が途切れていないことを確かめるたび、ヌメロンはその日も誰にも本当の理由を話せなかった。
◇
機動六課が壊滅してから、一週間。
次元航行船アースラが、新しい本部になった。
なのはは艦橋へ行く前に、十年前の現場写真を開いた。
黒い写本の表紙についた血。床に落ちた久遠の鞄。窓際の席。
同じ画面をフェイトも見ている。はやてが写本を預かり、写真のことを十年間口にできなかったと知ってから、三人でゆっくり話せる時間はまだ来ていなかった。
「見せてくれて、ありがとう」
なのははフェイトへ端末を返した。
「はやてちゃんには、もう一度聞く。今度は、時間がある時に」
「うん」
「でも今はヴィヴィオが先」
なのはは写真から目を離した。最後に記録に残ったヴィヴィオは、あの十三歳の少年へ手を伸ばしていた。
久遠君に似た顔。
その子がどちらにいるのかは、まだ分からない。
だからといって、ヴィヴィオが助けを求めた声まで忘れられなかった。
艦橋では、はやてが救出方針を伝えていた。
「本局と地上本部の間で情報が止まっとる。待ってても十分な答えは来ん」
六課が追っていたレリック。その捜査線上に、スカリエッティがいる。
ヴィヴィオとギンガの捜索も、人命救助も、ここから六課がやるべき仕事だった。
「二人とも迎えに行く。うちらの手で」
はやての声に、なのはは頷いた。
スバルは目を伏せたまま、拳を握る。隣でティアナがその肩へ触れた。
失った隊舎は戻らない。それでも誰も、席を立たなかった。
◇
整備区画では、スバルが戻ってきたマッハキャリバーと向き合っていた。
「私、また怖くなるかもしれない」
『その時は私が支えます』
「ギン姉の前でも?」
『共に向かいます』
スバルは一度、強く頷いた。自分が戦闘機人であることをティアナへ話してから、気持ちが軽くなったわけではない。
それでも、姉を見つけるのは自分だと思えた。
なのははフォワードの最終リミッター解除に立ち会い、四人に言った。
「倒すところで作戦を終わらせないで。帰ってくるところまでだよ」
ティアナ、エリオ、キャロ、スバルがそれぞれ返事をする。
ヴィータとシャマルは、廊下で少し遅れて歩いた。
「前みたいには、治らないのよね」
「ああ」
「怖い?」
「怖いに決まってる」
ヴィータは壁際の窓を見ず、前を向いた。
「だから帰る。はやてを置いていかねえ」
シャマルも歩幅を合わせた。
◇
ギンガ・ナカジマが目を開いた時、目の前の表示には名前がなかった。
十三番。
ウーノは処置の数値を読み、クアットロは出撃用の識別を確認する。ギンガの身体は命令へ反応した。覚えていたはずの家や、妹を呼ぶ声は、口から出なかった。
その報告がヌメロンにも届く。
通信画面へ手を伸ばした途端、スカリエッティの部屋で見た指令欄が脳裏をよぎった。
ギンガはもう歩いている。以前のように、治療機器から外せないわけではない。
ヌメロンは席から腰を浮かせた。隔壁を越えてギンガを止めれば、指令が十二人へ届く。スバルの姉を連れ戻すために、ノーヴェ達へ自分を攻撃させることになる。
あと一歩を踏み出せなかった。
「その子には、妹がいる」
端末の前で言っても、ウーノには聞こえない。
出撃記録には、十三番と記される。
ヌメロンは画面を閉じなかった。ギンガはそのまま、ナンバーズと同じ戦場へ送られた。
◇
「地上本部方面、多数の戦闘機人反応!」
アースラの艦橋へ警報が走る。
アインヘリアルの防衛区画に侵入したナンバーズが、制御系を一つずつ断っていく。兵器の周囲には、退避が間に合わない職員も残っていた。
「救援要請は?」
「地上本部からは、まだ」
はやては歯を噛んだ。誰を守るための兵器なのかと思う。現場から上がる救難信号を、別の経路で追わせた。
そこへ一人の戦闘機人が映る。
青い髪。見慣れた動き。見たことのない目。
「……ギン姉」
スバルが声を漏らす。
画面の識別は、十三番。
スバルはその文字に指を置き、消せないまま言った。
「ギン姉だよ。私が迎えに行く」
爆発の閃光が、映像を白く染めた。
三基のアインヘリアルが沈黙する。
倒れた外壁が、離脱しようとしたディエチの足場を塞いだ。
灰色の上着を着た男が瓦礫の下へ入り、崩れた支柱を肩で受ける。白い仮面を着けたストライクだった。ディエチが抜けたのを見ると、彼は支柱を放して退いた。
「……お兄さんが頼んだんですか?」
「違う。オーダーだ」
ストライクはそれ以上説明しなかった。次の任務先も聞かず、彼女が立てることだけを確かめて姿を消した。
スカリエッティの施設にも、作戦成功の表示が届いた。
ヌメロンはノーヴェの反応を探す。ウェンディ、チンク、ディエチ。次々に点が戻る。ドゥーエの反応は遠いまま、まだ消えていない。
ディエチが足場から降りられたことも、ストライクの記憶から分かった。ヌメロンはその一件だけ、素直に嬉しかった。
帰還した者はいない。
彼女達が壊したものの傍で、負傷した職員が運ばれていく。ヌメロンは、その映像も見た。
スカリエッティに従う間、自分はそこから離れられない。
◇
ヴェロッサの猟犬が、地下水路の先で立ち止まった。
シャッハが術式の継ぎ目へ刃を当てる。何もない壁の向こうに、隠された通路が浮かび上がった。
「見つけた」
二人が六課へ送った座標は、スカリエッティの地下施設へ続いていた。
施設では、侵入警報が鳴った。ヌメロンも地下水路の映像を見る。そこには、スカリエッティが管理局へ招いたわけではない人間がいた。
ストライクは、ナンバーズが通る次の移動路へ向かっていた。現場で何ができるのかは、行ってみなければ分からない。
◇
振動は地下から始まった。
廃棄都市の土砂を押し上げ、巨大な艦の装甲が姿を現す。アースラの警戒表示が一斉に点灯した。
スカリエッティの映像が、全回線へ割り込む。
背景には、幼い少女が一人いた。
ヴィヴィオ。
小さな身体から伸びる線が、艦の中枢へ繋がっている。逃げようと動かした腕も、固定具の内側で止まった。
『古代ベルカの遺産、聖王のゆりかごだ』
なのはは、艦の規模を示す数値を見ていなかった。
画面の中で、ヴィヴィオの口が動く。
『なのは……ママ』
「ヴィヴィオ!」
返事が届いたかは分からない。
なのはは画面へ近づき、もう一度、はっきり言った。
「迎えに行く。待ってて」
隣にいたフェイトも、ヴィヴィオの位置を見ている。はやてが六課へ緊急招集を出した。
少年の顔について聞きたいことは、まだ一つも解けていない。
けれど、ヴィヴィオはいま、ここでなのはを呼んだ。
ヌメロンも別の画面で、その声を聞いていた。
帰還欄を開く。
ヴィヴィオ。帰還先、なのはのところ。未帰還。
その下に、ギンガの名。十二人の名。
スカリエッティに従っても、彼女達が帰れるとは約束されていない。逆らえば、彼女達が自分を壊すまで戦う。
ストライクが動いていることも、オーダーが一つの警告を隠したことも知っている。どちらの手も、ここからヴィヴィオの拘束を外せない。
ヌメロンは中枢の接続方法を読みかけて、スカリエッティの監視が端末へ重なるのを見た。
『よく見ておきたまえ』
扉の向こうから、あの穏やかな声がした。
『君も、いずれ仕事をする』
ヌメロンは返事をしなかった。
ヴィヴィオの手が、画面の端まで伸びている。
あの子を眠らせ、怖がる声を力に変える場所へ、ゆりかごという名前がついていた。
名前を変えたいと思った。自分の名を選んだあの夜のように。
でも、名前だけでは扉は開かない。
ヌメロンはヴィヴィオから目を逸らさず、端末の前に立ち続けた。
六課の救出部隊は、まだ出ていない。ヌメロンにも、次の指示は来ていない。
ゆりかごと呼ばれた艦だけが、彼らのいる空の上へ昇っていった。