魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第三十五話 声の届く距離

『ヴィータちゃん。聞こえる?』

 

 返事はなかった。

 

 なのはは艦内通路の曲がり角で止まった。手元には、中枢へ続く進路が出ている。逆の方向に、ヴィータの反応がある。動いていない。

 

 ヴィータの名前を呼ぶ。もう一度呼んだところで、通信に短い雑音が返った。

 

『……い、け』

 

「ヴィータちゃん!」

 

 駆動路の映像は取れない。床に落ちた通信機が拾った声かもしれない。どんな傷を負ったのか、なのはには見えなかった。

 

 アースラへ回線をつなぐ。

 

「はやてちゃん、ヴィータちゃんのところに救援を。反応はある。でも、返事が途切れた」

 

『位置は見えとる。今、艦内へ入れる人を探してる』

 

 はやての声が、一度だけ詰まった。

 

『なのはちゃんは、中枢まで行ける?』

 

「……うん」

 

『なら、ヴィヴィオのところへ。ヴィータは私も探す』

 

 なのはは返事をした。戻りたい気持ちが消えたわけではない。ヴィータのいる駆動路まで引き返して、そこからもう一度中枢へ来る時間が、ヴィヴィオに残されているかも分からなかった。

 

 怪我の具合を聞いてから決めたい。そう思うのに、返事をするための息さえヴィータにはないらしい。足を止めて待てば聞こえてくるのではと、なのはは何秒か通信機を握った。

 

 その間も、中枢を示す印は動かない。

 

「ヴィータちゃん。私、先にヴィヴィオのところへ行くね」

 

 聞こえているかは分からない。

 

 通信を切らずに、なのはは走った。

 

     ◇

 

 駆動路の床は冷たかった。

 

 ヴィータは脇腹から伸びた硬い影を片手で押さえ、もう片方の手をグラーフアイゼンへ伸ばした。指が届く前に、影がわずかに動く。

 

「っ……」

 

 声を出せば、息が続かない。天井の奥から、同じ形のものが下りてきた。止めかけた駆動機構は、まだ動いている。

 

 なのはの通信は聞こえた。

 

 行け、と言えたかどうかは分からない。何度目かの呼びかけに応えようとしても、喉から空気が抜けるだけだった。

 

 ようやく槌の柄に指先が触れた。

 

 まだ、離さない。

 

     ◇

 

 玉座へ続く通路で、ディエチは遠くの砲撃音を聞いていた。

 

 艦内の画面には、なのはの進路が細い線で映っている。別の画面には、地上を移動する姉妹達。負傷者の数字も、地上本部を離れる避難車両も見えた。

 

「こんなに壊して、何が残るんだろう」

 

 ディエチが呟くと、クアットロが笑った。

 

「ずいぶん、今さらですわね」

 

「任務をやめるとは言ってない。でも、あの子まで巻き込んで」

 

 ディエチは玉座の先を見た。ヴィヴィオの姿はここから見えない。先ほど聞こえた泣き声だけが、耳に残っている。

 

「あの子のお母さんは、来るんだよね」

 

「来ますわ。だから、ここで迎えるんでしょう?」

 

 クアットロが画面上の点に触れる。なのはの進路に、もう幾つかの遮断壁が生まれた。

 

「ドクターが欲しいものを手に入れれば、わたくし達も好きにできる。あなたは余計なことを考えず、砲を構えていて」

 

 ディエチは答えなかった。砲身を抱え直し、通路の奥に立つ。

 

 瓦礫の下から出る時、自分を支えた白い仮面の男がいた。あの時、男は仕事の続きを命じなかった。立てるかどうかだけを確かめて、去った。

 

 そのことと、今の任務とは別だ。

 

 別だと思っても、聞いたばかりの声を消せなかった。

 

     ◇

 

 地下施設の奥で、フェイトは二人の足音を数えた。

 

 右にトーレ。左にセッテ。行く手を塞ぐように立っている。フェイトの頬には、中央通路でついた細い傷が残っていた。

 

「そこを通る」

 

 返事の代わりに、セッテが飛び込む。バルディッシュで刃を受けると、トーレの蹴りが横から来た。フェイトは壁へ身を寄せ、二人を同時に視界へ収める。

 

「手前の通路にいた少年は」

 

 トーレの視線が、フェイトの武器へ移った。

 

「通してくれなかった。傷を負って、倒れてる」

 

 セッテの刃が一瞬だけ止まった。止まったのは短い間だった。

 

「ここを抜けたら、誰か、彼を診て」

 

「お前が傷つけたんだろう」

 

 トーレが地を蹴る。

 

 フェイトには返す言葉がなかった。刃をかわし、セッテの足元へ拘束の光を走らせる。光は届く前に切られた。

 

 彼をあそこに残してきた。自分の手で倒して、すぐに戻ることもできずにいる。

 

 トーレ達の後ろには、研究区画がある。ヴィヴィオと同じように、施設へ連れてこられた子がいたかもしれない。今、そこへ進めるのは自分だけだった。

 

 フェイトは迷いを抱えたまま、二人の間へ踏み込んだ。

 

 速度でセッテを越える。トーレが追い、衣服の端を裂く。フェイトは振り返らず、隔壁の操作盤へ刃を当てた。扉が閉じ、追ってきた二人との間に厚い板が落ちる。

 

 閉じた扉を、向こう側から打つ音がした。

 

 彼女達の息は乱れていなかった。通路で使った力の分だけ、自分の手が遅い。隔壁も、長くは持たないだろう。

 

 まだ終わっていない。フェイトは荒くなった息を整える前に、奥の扉を開いた。

 

 白い部屋だった。

 

 寝台と保管槽が壁沿いに並んでいる。空のものと、布で覆われたものがあった。足音が床へ響く。

 

「ようこそ」

 

 スカリエッティが部屋の奥から現れた。

 

「ここまで来るのに、ずいぶん時間をかけたね」

 

「あなたを止めに来た」

 

「それは分かっている。彼も、君を止めるために随分頑張ってくれた」

 

 フェイトはバルディッシュを握り直した。

 

「あの子を道具にしたの?」

 

「彼自身が、通したくないと言っただろう」

 

 答えになっていない。そう言おうとした瞬間、背後の隔壁が開いた。

 

 フェイトが半身を返す。トーレではない。部屋の床に刻まれた線が光り、足元の魔力を奪っていく。スカリエッティは、最初から彼女をこの位置へ導いていた。

 

 フェイトはザンバーを振り上げた。スカリエッティの手から放たれた干渉が、刃の根元を直撃する。

 

 硬い音とともに、金の刃が砕けた。

 

「バルディッシュ!」

 

『……稼働、継続可能です』

 

 柄は手の中に残っている。相棒がまだ応えてくれたことに、フェイトは一度だけ息をついた。

 

 床の線は入口から続いていた。壁に寄せられた寝台の配置も、逃げ道を狭めている。トーレとセッテから抜けたつもりで、ここへ入るしかない道を選ばされていた。

 

 答えは聞こえる。けれど、足元に集まる拘束の方が早い。フェイトは手を伸ばし、かろうじて残る刃をスカリエッティへ向けた。

 

「私一人を止めても、みんなが来る」

 

「知っているとも」

 

 拘束の光が、フェイトの手首まで上がる。

 

「だから、君にはそこで見ていてほしい」

 

 フェイトは力を込めた。通路で戦った少年が、まだ床にいる。こちらを向いたまま『あとで戻る』と告げた、自分の声を覚えている。

 

 今は、戻れない。

 

     ◇

 

 地上の廃ビルで、ティアナは壊れた窓枠へ背を預けた。

 

 足から血が流れている。ディードに切られた箇所へ応急の止血をしたが、体重をかけると痛む。

 

「また偽物かよ」

 

 ノーヴェが低く言った。

 

 角を曲がったティアナの姿を追い、彼女は踏み込む。そこにいたのは、散る寸前の幻像だった。ウェンディの砲が窓枠を崩し、隠れていたティアナの肩へ破片が降る。

 

 ティアナはそれを払って、床へ撃った。

 

「何してんだ!」

 

「私の居場所、ちゃんと見てるかと思って」

 

 床を撃ち抜いた煙の向こうへ移る。ナンバーズが幻像を見破る仕組みはまだ分からない。それでも、狙いがいつも自分の正面へ向くなら、立つ場所と撃つ場所を別にできる。

 

 結界の継ぎ目へ、短い位置情報を通す。先ほど失敗した一回目とは違い、今回は通信表示が一瞬だけ点いた。

 

『受信しました』

 

 シャーリーの声だった。

 

 助けが間に合う保証はない。ティアナは端末をしまい、次の弾を装填する。

 

 ノーヴェの手首にある留め具が、強く踏み込むたび小さく光った。

 

「そこ、まだ治ってないでしょう」

 

「お前が気にすんな」

 

 言い返す速さは変わらない。その速さの裏で、肩の動きだけが少し遅れた。

 

 ティアナは足を引きずり、もう一度射線を作る。いま戦っている相手の事情まで知らない。目の前の三人を越えなければ、スバルのところへ届かない。

 

     ◇

 

 スバルの拳は、ギンガの腕に止められた。

 

「ギン姉。聞こえてる?」

 

 答えはない。返ったのは、こちらの顎へ向かう次の拳だった。

 

 スバルは腕で受ける。受けきれず、背中が壁へぶつかった。マッハキャリバーが警告を出す。

 

『脚部に負荷が集中しています』

 

「大丈夫。まだ走れる」

 

 ギンガは、以前の練習の時に覚えた癖を使う。スバルが左へ逃げるより早く、左の出口へ回っていた。

 

 何度も教えてくれた相手だから、次に何をしてくるか分かる。

 

 何度も教えてくれた相手が、自分の声に応えない。

 

 スバルは反対側へ跳び、距離を取り直した。

 

「迎えに来たんだよ」

 

 声が震えた。震えても、もう一度呼ぶ。

 

     ◇

 

 離れた道路では、キャロがルーテシアの前に立っていた。

 

 ガリューの腕が伸び、エリオが剣で受ける。さっきまで、名前を呼ぶとルーテシアはわずかに顔を上げていた。

 

 今はそれもない。

 

「ルーテシアちゃん、痛いの?」

 

 キャロが尋ねる。ルーテシアの足元に広がった召喚陣が、答えるように強く光った。

 

 向こうの管制席で、クアットロが指を動かす。出撃前に仕込んだ制御が、召喚術式に割り込んでいた。ルーテシアの目から、さっきまであった迷いが消える。

 

「キャロ、下がって!」

 

 エリオが前へ出る。ガリューの刃が二人の間を切り裂いた。

 

 キャロは転がってかわし、もう一度ルーテシアを見た。目は合わない。けれど、呼ぶことをやめれば、もう一度振り向いてくれるかどうかも分からなくなる。

 

「私、ここにいるよ!」

 

 フリードが鳴いた。キャロはその背に手を添え、エリオと並ぶ。

 

     ◇

 

 市街地の病院では、避難のために病室の扉が開け放たれていた。

 

 ヴァイスは片目を覆ったまま、廊下を通る車椅子の音を聞いている。

 

「兄さん」

 

 見舞いに来たラグナが、ベッドの脇にいた。久しぶりに近くで見る顔だった。彼女は以前、ヴァイスの放った一発で傷を負った。それから、兄妹の間には短い挨拶ばかりが残った。

 

「避難するんだろ。先に行けよ」

 

「兄さんも行くでしょ」

 

「……俺は、何してんだろうな」

 

 撃つ手が震えた記憶を、今も忘れられない。けれど、外ではまた誰かが銃を必要としている。

 

 入口に立ったザフィーラが、負傷した身体を壁へ預けた。

 

「ここにいるか、行くかは、お前が決めることだ」

 

「傷、開くぞ」

 

「お前もな」

 

 ザフィーラはそう言って病室を出た。行き先は、まだ仲間が戦っている場所だった。

 

 ラグナがヴァイスの手に触れた。ヴァイスは彼女の顔を見る。傷のことをなかったことにはできない。だからといって、背を向けたままでいたいとも思わなかった。

 

「帰ってから、話せるか」

 

「うん」

 

 ヴァイスは立ち上がった。廊下の向こうで、避難を急がせる声がしていた。

 

     ◇

 

 アースラの艦橋に、通信が重なって入った。

 

『スターズ、位置情報を受信。ティアナは交戦中』

 

『ライトニング、フェイト隊長の応答なし』

 

 はやてはヴィータの反応を開いたまま、フェイトの位置を重ねた。二人とも動いていない。どちらも生体反応は残っている。それ以上のことは分からない。

 

「シャッハさんとヴェロッサは?」

 

「地下入口を維持しています。シャッハさんの負傷で奥へは進めません」

 

 シャーリーが答えた。

 

 はやては唇を噛む。自分がゆりかごへ飛べば、ヴィータに近づけるかもしれない。その間に、ほかの戦線から来る救援要請を誰が受けるのか。

 

 画面に映る印は、一つ減っては、また一つ点く。

 

「ヴィータの反応を追い続けて。フェイトちゃんにも、呼びかけをやめんといて」

 

 はやては回線へ手を伸ばした。

 

 答えられない者まで、応えない者として片づけたくなかった。

 

     ◇

 

 地下中央通路で、ヌメロンは天井を見ていた。

 

 向こうの隔壁が閉じる音は聞いた。その後、フェイトの足音は戻ってこない。

 

 監視灯が赤く変わる。奥の区画で何が起きたかを、ここからは見られなかった。

 

 身体を起こそうとして、肩に痛みが走る。指を開いても頁は出ない。もう一度やれば立てるかもしれないと思ったが、肘を曲げたところで息が止まった。

 

 通路の外で、誰かの足音がした。管制へ戻る作業員か、逃げる人か。姿を確かめる前に遠ざかってしまう。

 

 ノーヴェの声は、もう回線から聞こえなかった。交戦中なのだろう。それ以外のことは分からない。

 

 フェイトには、あとで戻ると言われた。

 

 ボクはここにいる。そう伝えたい。けれど、通路の先へ声を飛ばすだけの息もなく、監視装置はただ灯ったままだった。

 

     ◇

 

 なのはは最後の遮断壁を抜けた。

 

 玉座へ続く直線の通路に、一人の少女が砲を構えて立っている。

 

「ヴィヴィオは、この先にいる?」

 

 少女は答えるまで、少し間を置いた。

 

「いるよ」

 

「通してほしい」

 

「それは、できない」

 

 ディエチの砲身に光が集まる。なのははレイジングハートを持ち上げた。

 

 通信には、ヴィータの反応がまだ残っている。フェイトの声は、しばらく聞いていない。

 

 そのどちらかに戻れる道も、ここからは遠い。

 

「迎えに来たの」

 

 なのはは先に進むため、ディエチを見据えた。

 

 砲撃が通路を白く照らす。

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