「あの研究を、誰が止められた」
ゼストの問いに、レジアスはすぐ答えなかった。
机には地上本部からの退避命令がある。職員を安全な区画へ移すため、自分が先ほど承認したものだ。ゼストの部隊が研究施設へ踏み込んだ時、同じように職員の名前を並べて考えることができていたか。
「私には、止める権限があった」
ようやく言う。
「なら、なぜ」
「守るために必要だと、思った」
レジアスはゼストから目を逸らさない。地上の人間が救援を求めても、本局の判断を待つうちに手遅れになる。自分達で動かせる力を持ちたかった。そのために、見てはいけない書類へ何度も目を通した。
「研究に問題があることは知っていた。君達があの施設へ向かった理由も分かっていた。だが、君達が殺されたのは、すべてが終わってから知った」
ゼストの手が槍の柄を握る。
「知らなければ、許したことにはならないと?」
「ならない」
レジアスの声は乾いていた。
「報告を上げた者を遠ざけたのは私だ。君の部隊が何を見るか、分かっていたのに」
言葉にすると、机の上の退避名簿も違って見える。かつて失った者達にも名前があった。いつの間にか事件番号だけで話していた。
「クイントのことは、スバル達に――」
「俺が聞く」
ゼストが遮った。娘達のところへ責任を押しつける話を聞きに来たわけではない。
「友人だったお前が、俺達を見なかった理由を聞いている」
レジアスは口を閉じる。地上を守りたいと言えば、ゼストがまだ分かってくれると思っていた時期があった。ここで同じ言葉を使えば、もう二度と目を合わせられない気がした。
扉の外で短い認証音が鳴った。
「今は、入るな」
レジアスが言う。返事はなかった。
外の廊下でドゥーエは、扉越しに聞こえた声を思い返す。古い部隊のこと。地上を守るために見なかったもの。どちらの言葉が正しいか、彼女が決める役目ではない。
入室認証は通っている。書類を届けて去るだけなら、レジアスはこのあとも生きて、部隊について答えるだろう。
ドクターから与えられた任務も、ここまで入るために使った顔も、なくならない。ドゥーエは紙束の下に刃を沿わせる。扉が開く前に、一度だけ指が止まった。
帰還口で「おかえり」と言う少年の顔が浮かぶ。自分が何をしたか話せる日が来るのか、分からなかった。それでも今は扉を押す。
予定表には、退避資料を運ぶ補佐官の入室が載っている。警備の確認を抜けた顔が、扉の隙間から覗いた。長く地上本部で見慣れてきた職員の顔だった。
「急ぎの書類です」
ゼストは槍を下げていた。レジアスも、彼の目から離れて資料を受け取ろうとする。
差し出された紙の下に、細い刃があった。
「レジアス!」
ゼストが叫ぶ。刃はもう、レジアスの胸へ届いていた。
レジアスは書類を落とす。退避者の名前が床に散った。
刃を握った女の顔が変わった。
ナンバーズの二番、ドゥーエ。
ゼストが間へ入る。ドゥーエはレジアスを支えるふりをして身体を寄せ、もう一方の刃をゼストに向けた。
「まだ仕事が残っています」
声は穏やかだった。レジアスに刺した刃を抜けば、助からないことを彼女自身も分かっている。
ゼストは槍で刃を払う。ドゥーエは身を翻し、机を間に挟んだ。次の動きは速い。ゼストの喉を狙った手を避け、槍を振り抜く。
ドゥーエが壁に当たった。
破片が床に落ち、彼女の片腕が動かなくなる。それでももう一度立とうとする。
「やめろ」
ゼストは、彼女を知らない。
レジアスにしたことは見た。止めなければ、自分の後ろの人間にも刃を向ける。そう判断して槍を構えた。
ドゥーエの顔から、別人の輪郭が薄れる。
出撃前に会った少年が、一度だけ頭に浮かんだ。
『戻ってからのお楽しみです』
あの時、自分は帰る時刻を言わなかった。いつも通りの見送りだと思っていた。
戻ったら、あの子がまた先に声をかけるのだと思っていた。自分の口から何を言うかは決めていなかった。
ゼストの槍が届く。
ドゥーエの身体が床へ落ちた。
ゼストは槍を引き、レジアスのそばに膝をつく。声をかける。返ってきたのは浅い息だけで、言いかけた答えの続きはなかった。
レジアスの目は、床の名簿へ向いたまま閉じた。
◇
シグナムとアギトが部屋へ着いた時、ゼストはそこにいた。
槍の先には血が残る。床には二人が倒れ、散った書類の間へ、ゼストの影が落ちている。
「何があった」
シグナムはレヴァンティンを抜いたまま尋ねた。
「この女がレジアスを刺した」
ゼストはドゥーエを指す。
「俺が、彼女を止めた」
シグナムは二つの傷と凶器の位置を見る。槍の傷はドゥーエの側にある。レジアスの胸には、細い刃が残っていた。
アギトはゼストの肩へ寄った。いつもなら、言い訳ひとつせず槍を握る相手が、今は立ち上がるのに時間をかけている。
「その子、戦闘機人か」
シグナムの問いに、ゼストが頷く。
「俺は名を知らない」
アギトが床の識別を読む。
「二番……ドゥーエ」
シグナムは通信を開いた。人命救助と現場の保全を求める。室内の二人にもう手は届かない。通路の向こうには、まだ避難している職員がいた。
ゼストはレジアスのそばから動かない。シグナムも、彼を追い立てなかった。
◇
地下施設の中央通路で、ヌメロンは手当てされた腕を見ていた。
動かせば痛む。ウーノに止められた通り、静かにしている方がましだった。
壁の端末に、各地の配置が小さく表示される。戦いが始まってから、戻った者の欄はまだない。ティアナの結界が解けたことでノーヴェ達の位置が変わり、ヴィヴィオのいる艦はさらに高く昇っていた。
どこかの回線で短い警報が鳴る。
十二人の名前が並ぶ欄を、ヌメロンはすぐには見なかった。いつも警報ばかりが増える。ウーノが戻れば、何の報告か教えてもらえると思った。
二度目が鳴った。
顔を向ける。二番の文字が、灰色になっている。
ドゥーエ。
最後の受信時刻から、数字が増えていく。隠密任務なら通信を切ることもある。彼女は顔を変え、記録の外を歩くのが仕事だ。
それでも、この欄の小さな反応まで消えたことはなかった。
出撃前、彼女が別の顔で話しかけてきた時にも、この欄だけは二番だった。姿が見えなくても、どこかでまだ任務を続けていると分かった。そのための小さな表示だった。
ヌメロンは、隣の印を確かめる。一番がある。三番もある。順に追うと、二番だけが抜けていた。画面の故障ならほかにも同じことが起きてほしかった。
「……ドゥーエ?」
端末を触ろうとする。腕の固定具が床に引っかかり、指が届かない。
ウーノの管制回線を呼ぶより、監視装置が先に点いた。
『彼女の連絡が途切れたようだね』
スカリエッティの声だった。
「どこにいるの」
『任務中だ。私にも詳細な状況は分からない』
「さっきまで、ここにあった」
『潜入中に反応を消すのは珍しくないよ』
ヌメロンは返事をしなかった。あの子の仕事を知っている。隠す時には、どの情報が消えて、どの情報だけが帰還のために残るかも聞いた。今消えたのは、帰ってくる時にも残していた方だった。
「迎えに行きたい」
『君が動けば、残った子達にはどういう指令が届くかな』
声に強さはない。ヌメロンは壁の方へ手を伸ばし、痛みで止めた。
自分で行けないことを、身体が先に教えてくる。たとえ立てても、その先で誰を傷つけさせられるか分からない。
「……まだ、決まってない」
『何がだい?』
「帰らないって、決まってない」
スカリエッティの返事はなかった。
もう一度、床に手をつく。膝を寄せたところで、固定していた肩から熱い痛みが走る。身体が持ち上がらない。
目の高さが下がった。
包帯を巻いた腕が、さっきより小さい。固定具の端が浮き、服の袖に手が隠れる。使い切った力で保っていた十三歳の輪郭がほどけ、九歳ほどの姿へ戻っていく。
指を包んでいた布も緩み、床へ落ちた。拾おうとして身体を動かすと、肩が言うことをきかない。小さくなった身体なら通路を這って行けるのではないかと、ヌメロンは一度思った。肘さえ支えられず、頬が床に触れた。
遠くの地上本部へ行くには、まず扉まで行かなければならない。その距離が今は残っている。
落ちていた頁が戻ったわけではない。指を開いても、黒い文字は一つも生まれなかった。
ドゥーエの印は、灰色のままだ。
ストライク。
別の場所にいる兄弟へ、見たものが伝わる。端末の文字、動かない腕、名前を呼んだ自分の声。けれど記憶を見せるだけでは、頼みごとにはならなかった。
「ストライク……聞いて」
声にすると、今の身体には大きすぎて、咳が出た。
◇
地上でストライクは、崩れた街路の角に立ち止まった。
避難車両の最後尾が曲がり角を抜けたところだった。ノーヴェ達のいる廃ビルからも少し離れている。白い仮面の内側へ、ヌメロンの記憶が流れ込む。
二番の反応が途切れた。床に置かれた腕は、見慣れた十三歳のものより小さい。
ストライクにも、その先は見えない。ドゥーエがどこで倒れたのかも、そもそも倒れたのかも知らない。
「聞いてる」
口に出すと、近くの退避誘導員が一瞬振り返った。ストライクは人のいない路地へ入る。
『ボクが、行けない』
「見た」
『ドゥーエが、消えた』
子供の声が震える。ストライクは答えを急がなかった。ヌメロンはまだ、ドゥーエが死んだとは言っていない。言えるだけのものを受け取っていない。
『見てきて。まだ帰れるなら……連れて帰って』
ストライクが拳を握る。
「分かった。俺が行く」
『……お願い』
助けを求める相手の声が、途中で切れた。通信障害ではない。息が足りず、続けられなくなっただけだった。
ストライクはノーヴェ達の方角を見る。姿は見えない。地上を回り、負傷した子を見つければ動くようにとオーダーに頼まれた。その仕事は、終わったわけではない。
それでも、ヌメロンから今、具体的な頼みを受けた。
レジアスの執務室。最後に分かっているドゥーエの行き先へ向かう。道中で何が起きているか、行くまで分からない。
オーダーが暗殺の見立てを伏せた記憶も、ストライクにはある。だからこそ急ぐ。誰に責任があるかを問いただすのは、ドゥーエの姿を見つけてからでもできる。
自分も、あの見立てを知っていた。地上でディエチを助け、その後もほかの姉妹の動きを追った。その間、ドゥーエがどこにいるかを確かめには行かなかった。今、ヌメロンから頼まれたことが、それまでの時間を戻してくれるわけではない。
白い仮面を直し、走り出した。
◇
アースラへ入った地上本部の報告は、最初は二人の死亡通知だけだった。
レジアス・ゲイズ。身元確認中の戦闘機人。
はやては送られてきた執務室の映像を開き、床に落ちた番号を読んだ。
「二番……」
そばにいたクロノも、同じ映像を見ている。彼の端末には、以前オーダーから受け取った地上本部の避難経路が残っていた。その資料には、執務室へ入る補佐官の動線まで載っている。
「オーダーを呼ぶ」
クロノの声は静かだった。
通信像が現れる。スーツ姿の男は、いつも通りに画面の前へ座っていた。
『レジアスの件かい』
「君が送った資料に、暗殺者の出入りは含まれていたか」
「出入り予定はあった」
「身元は?」
オーダーは少しだけ間を置いた。
「偽名だと考えていた。レジアスが狙われる可能性も推定していた」
はやてがクロノを見る。クロノはオーダーから目を離さない。
「それを、僕には送っていない」
「送らなかった」
「なぜ」
オーダーの隣に、送信されず残った資料が映る。彼は消さなかった。
「レジアスがいなくなれば、地上本部で私の進めたい人事が通る。彼を守る情報を渡すことは、その機会を失うことだった」
クロノが息を吸う。
「君が殺したと言っているわけじゃない。間に合うかもしれない情報を持っていたのに、僕が判断する機会を奪った」
「そうだ」
オーダーは弁明しなかった。先に送った避難経路で、逃げられた職員もいる。だからといって、伏せたもう一通の重さは変わらない。
遠い地下の通路で、ヌメロンが小さくなった腕を持ち上げられずにいる。同じクオンであるオーダーには、その記憶も届いていた。ストライクが助けに向かったのは、彼が命じたからではない。弟が自分の口で頼んだからだ。
「君は、僕が止めろと言ったことは守る。何年もそうしてきた」
クロノの声がわずかに低くなる。
「言われていない手段を使う前に、今回の結果を考えなかったのか」
「考えたよ」
オーダーは、地上本部の警護へ関する資料をクロノへ送った。今なら偽名の照合に使える。レジアスを守るためには、もう使えない。
「遅い」
「分かっている」
はやては言葉を挟めなかった。目の前の男が、彼女達へ必要な時に情報を送ってきたことも事実だ。クロノの顔には、その歳月だけの疲れがあった。
「クロノ君。出入り予定を見とったのなら、あの部屋を守る人に先に渡せた」
はやてが言うと、オーダーは頷いた。
「送れば、ドゥーエは見つかったかもしれない」
彼が見つかってほしくなかったのはレジアスではなく、殺しに向かった方だった。はやてはそこで気づき、胸が冷えた。どちらの死も、これで取り消せない。
「地上の指揮権を、この件を隠したまま動かさないで」
クロノが言う。
「自分の判断を記録に残して。あとで必ず聞く」
「記録する」
通信が切れた。はやてが画面から顔を上げる。
「クロノ君、あの男が……」
「僕が知っていたはずの人だ。君の作戦は続けて。地上の後始末は僕が受ける」
クロノは次の通話を開いた。はやてはまだ、地上の報告にある二番の正体を六課へ共有していない。ヴィータの反応も、フェイトの反応も追っている最中だった。
◇
市街地では、エリオがガリューの刃を両手で止めた。
先ほどまで、キャロが名を呼ぶとルーテシアの目が動いた。今は召喚の指示だけが、彼女の口から落ちてくる。
「キャロ、右へ」
「うん」
フリードの背に乗ったキャロが高度を変える。真下で召喚陣が開いた。避け切れない衝撃に背が揺れ、フリードの翼が壁をかすめる。
「ルーテシアちゃん、私たちの声、聞こえる?」
ルーテシアは答えなかった。キャロの方を見ても、視線が通り過ぎる。誰かに操られていることは分かる。どこからなのか、ここからは分からない。
エリオが前へ出た。ガリューはルーテシアの命令を守っている。彼だけを倒せば、ルーテシアが別のものを呼ぶだろう。
「彼女を止める。キャロ、離れないで」
「うん」
キャロはフリードを地面へ下ろした。逃げるための高さを捨て、呼びかけが届く距離まで進む。
エリオの槍がガリューの腕を受け、その隙間をキャロが抜けた。ルーテシアの魔法が、少女二人の間で爆ぜる。
キャロは腕で顔をかばう。痛みが走る。それでも立ち止まって、名前を呼んだ。
「ルーテシアちゃん! 私を見て」
紫の瞳が、一瞬だけキャロを捉えた。
「……かえ、れない」
ルーテシアの唇が、そう動いた。すぐに召喚陣が再び光り、苦しそうに顔が歪む。
「帰るところがあるんでしょ」
キャロには、その場所を用意できない。けれど、ルーテシアが目を開いた時にそこへ向かえるよう、今はこの場で止めたかった。
エリオがガリューを押し返す。シグナムに教わった一歩の踏み込みを使い、ガリューの身体をルーテシアから離す。キャロと目が合った。
二人の攻撃が同時に届く。ルーテシアの周りの術式が裂け、少女が膝をついた。
ガリューの動きが止まる。
「ルーテシアちゃん」
キャロが駆け寄ろうとした時、背後で新しい召喚陣が開いた。ルーテシアの目は閉じている。誰の指示もないまま、呼ばれていたものだけが動き始めた。
エリオがキャロの腕を引く。
「まだ終わってない」
「うん。ここにいる子達も、止めよう」
フリードが前へ出る。キャロは倒れたルーテシアと召喚されたものの間に立った。
◇
スカリエッティの研究室で、フェイトの手首を留める光はまだ消えていない。
壁に映る別の戦場で、エリオとキャロがルーテシアを守りながら退いていた。映像には途切れた音声も混じる。
「よく育てたね」
スカリエッティが言う。
「あの子達に何かするつもりなら、私に――」
「君は自分で作られた経緯を知っている。親が望んだ通りに生きられなかった時、どう呼ばれた?」
フェイトは息を止めた。ここで母の話を持ち出されると思っていなかったわけではない。それでも、エリオとキャロの姿を見ながら聞きたくはなかった。
「あの子達を、そんな話に使わないで」
「君と同じ技術に連なる子だ。心配するのは当然だよ」
スカリエッティは拘束を解かないまま、バルディッシュの欠けた刃へ視線を落とす。
「君はあの通路の少年にも似たものを見たのかな。自分の来歴を知らずに立つ姿に」
「あの子が何を知っているか、あなたにも分からないはず」
「そうだね。だから興味がある」
少年を語る声に、愛情はなかった。フェイトは、自分が彼の肩を砕いたことを忘れられない。そうしてこの部屋へ来て、まだ誰も連れ出せていない。
壁の向こうでキャロが再びルーテシアを呼ぶ声がした。
それは、届くかどうか分からなくても呼び続ける声だった。
フェイトがバルディッシュの柄を握る。欠けた刃は戻っていない。拘束を外すために残せる魔力も、限られている。
『フェイト』
相棒だけが、短く応えた。
フェイトは腕を引き、床へ届く拘束の根元を探った。今はまだ動かない。それでも、スカリエッティが次に映像へ目を向ける瞬間を待てる。
◇
ゆりかごの玉座では、なのはの盾がヴィヴィオの拳に押し込まれていた。
力で押し返せば、ヴィヴィオの腕が傷つく。なのはは肩を下げ、衝撃を身体の横へ逃がす。壁に置いた測定光が、クアットロの投影像へ流れる次の信号を拾った。
『前回より方向が絞れました』
レイジングハートが告げる。なのははその位置へ視線を動かさない。見たと知られれば、クアットロが経路を変える。
「そろそろ、疲れたでしょう?」
投影像が笑う。なのはは息を整えながら、ヴィヴィオの次の足音を待った。
「ヴィヴィオも、疲れてるよ」
「でも止まれませんわ」
なのはには、その言葉が自分に向けられているのか、ヴィヴィオに向けられているのか分からなかった。
ヴィヴィオの手が、また肩の傷へ来る。なのはは受け止め、指先に触れる。
「帰ろう。まだ聞いてくれなくても、何度でも言うから」
ヴィヴィオの目が、一瞬だけなのはを追った。そこへ操作の光が重なり、指が再び強く握られる。
なのはは手を離す。壁の小さな測定光を、一つだけ増やした。
◇
駆動路では、ヴィータが槌を床へ突いた。
脇腹の傷を押さえていた手を離すと、痛みで視界が揺れる。傷を広げない姿勢を探す時間はない。駆動機構はまだ、ゆりかごを動かしている。
「なのはは……着いたか」
通信には答えがない。返事がなくても、なのはが中枢へ進むと言った声は覚えている。
ヴィータはグラーフアイゼンを引き寄せる。一撃で止まらなかった支柱の奥に、もっと大きな駆動炉がある。こちらを止めなければ、ヴィヴィオを乗せた艦ごと空へ昇り続ける。
「まだ、やれる」
言葉で痛みが消えるわけではない。槌を持つ手だけは、放さなかった。
◇
地下中央通路で、ヌメロンは端末の二番を見つめていた。
ウーノが戻り、身体に合わなくなった固定具を替えた。何が起きたかは知らない、と彼女も言った。二番の欄はまだ灰色だ。
「ほかの子は?」
「管制で確認できる限り、反応はあります」
残った十一人の反応は、今も各地にある。彼女達に自分を攻撃させる指令もまだ出ていない。それを聞いても、失われた一つの欄は元に戻らない。
ウーノが水を差し出す。ヌメロンは手を伸ばしたが、小さくなった指に力が入らず、受け取れなかった。ウーノが容器を支える。
「お兄様、ドゥーエは――」
「分からない」
彼女に言わせたくなかった。確認されていないことを、どちらかに決めたくない。
「ストライクが、見に行ってくれる」
ウーノの手が止まる。
「あなたが頼んだのですか」
「うん。ボクは行けないから」
自分で名を呼べば、向こうが返事をしてくれると思っていた。最初に二番を呼んだ時は、帰還口でドゥーエが振り返った。
今は、名前を呼んでも通路の壁に声が当たるだけだ。
ウーノが容器を下ろした。何か言いたげな顔をしたが、監視装置の灯を見て口をつぐむ。
ヌメロンは自分の小さな手を見る。直せなかった留め具も、届かなかった扉も、指先に残る。
ストライクがまだ着いていないことだけは、共有される足音で分かった。
「返事、待つ」
ウーノは頷き、そばに座った。次の任務報告が管制へ届くまでの短い間だけだった。
壁の二番は、灰色のまま動かなかった。