八神はやてには、一週間で家族が四人増えていた。
正確には、三人と一匹だった。
「一匹ちゃう。四人や」
「まだ何も言ってないよ」
「久遠君の顔に書いてあった」
いつもの図書館。
窓際の席で、はやてが頬を膨らませる。
その両隣には、見覚えのない二人がいた。
一人は、金色の髪を緩くまとめた女の人。
もう一人は、赤い髪を二つに結んだ少女。
年は久遠たちと同じくらいに見える。
けれど、椅子へ座ったまま腕を組み、久遠をにらむ姿は、どう見ても友好的ではなかった。
「久遠君、紹介するな。こっちがシャマル」
「はじめまして。あなたが久遠君ね」
女の人――シャマルが、柔らかく微笑んだ。
「はやてちゃんから聞いています。図書館で本を取ってくれた、とても親切なお友達だって」
「可愛い男の子とも言ったで」
「それは言わなくていい」
「男?」
赤い髪の少女が、初めて口を開いた。
久遠の顔を上から下まで眺める。
「言われなきゃ分かんねえな」
「はやてと同じことを言った」
「私はお姉さんやと思ったんや」
「もっと悪い」
はやてとシャマルが笑う。
赤い髪の少女だけは、まだ笑わなかった。
「それで、こっちがヴィータ」
「……どうも」
「溱久遠。よろしく」
「はやてとは、どういう関係だ?」
「友達」
「それだけか?」
「それ以外に何があるの」
ヴィータが黙る。
久遠も黙って見返した。
「二人とも、図書館で喧嘩せんといてな」
「喧嘩してない」
「してねえ」
声が重なった。
「仲良くなれそうやね」
「どこを見てそう思ったの」
久遠が尋ねる。
「息ぴったりやったで」
反論しようとしたヴィータの声が大きくなり、司書に注意された。
少しだけ、すっきりした。
◇
机の上には、例の外国料理の本が開かれていた。
青い栞は、前回より三頁だけ後ろへ移っている。
久遠がいない間にも、はやては解読を進めたらしい。
「こんなの、ほんとに読めんのか?」
ヴィータが本をのぞき込む。
「私は写真を読んどる」
「見る、でしょ」
「まだ言うてる」
「久遠は読めるのか?」
「半分くらい」
「一頁の半分?」
はやてが聞く。
「一冊の」
「嘘や」
「すぐ決めつける」
「じゃあ、ここ読んでみろよ」
ヴィータが頁の一行を指差した。
久遠は文字を見つめる。
「火を使うときは、大人と一緒に」
「絶対違うやろ」
「今考えただろ」
「でも、大事なことだよ」
「料理の注意書きとしては合ってますね」
シャマルまで久遠の味方をした。
ヴィータが納得できない顔で椅子へ座り直す。
「家族って、この二人?」
久遠は声を抑えて、はやてへ尋ねた。
「あと、家にシグナムとザフィーラがおる」
「先週はいなかったよね」
「うん。私もびっくりした」
「遠い親戚なんです」
シャマルが答える。
「どれくらい遠いんですか?」
「ええと……」
シャマルが言葉に詰まった。
「ものすごく遠くや」
はやてが助け舟を出す。
「どこから来たんですか?」
「説明しにくいくらい遠くやね」
「説明する気がないのは分かった」
「久遠君、意外と細かいなあ」
「一人で暮らしてた友達の家に、急に知らない人が四人増えたら気にするよ」
久遠がそう言うと、ヴィータの目つきが鋭くなった。
「あたしたちは、知らない人じゃねえ」
「僕にとっては、まだ知らない人だよ」
「なんだと」
「ヴィータ」
はやてが名前を呼ぶ。
それだけで、ヴィータは口を閉じた。
不満そうではあったが、言い返さない。
「心配してくれとるんやね」
はやてが久遠を見る。
「まあ」
「ほんなら、今日うちに来る?」
「家に?」
「晩ご飯、一緒に食べよ。全員紹介したる」
「はやて!」
「ヴィータも、知らんまま疑われるんは嫌やろ?」
「それは……そうだけど」
ヴィータは久遠をにらんだまま、渋々頷いた。
「決まりやな」
はやてが笑う。
その笑顔が、先週より明るいことだけは分かった。
◇
はやての家は、図書館からそう遠くない場所にあった。
玄関には、はやて一人の家とは思えない数の靴が並んでいた。
大人用が二足。
子供用が一足。
それとは別に、見たことのない大きさの足跡が床についている。
「おかえりなさい、はやて」
居間から、背の高い女の人が出てきた。
長い髪を一つにまとめ、姿勢よく立っている。
視線が久遠へ向いた。
それだけで、身体へ力が入る。
恭也と向かい合ったときに似ていた。
この人は強い。
理由は分からないが、そう感じた。
「客人か」
「図書館の友達や。久遠君、こっちがシグナム」
「シグナムだ。はやてから話は聞いている」
「溱久遠です」
「そう固くならなくていい」
「シグナムさんに言われても難しいです」
「なぜだ」
「今にも試合を始めそうだから」
シグナムが自分の服装を見下ろす。
「そのつもりはないのだが」
「シグナム、顔が怖いからな」
「ヴィータに言われたくはない」
シグナムの返事に、はやてが笑う。
その足元から、大きな青い獣が姿を現した。
犬に似ている。
けれど、久遠が知っているどの犬よりも大きい。
「犬?」
「犬じゃねえ」
ヴィータが即座に否定した。
「じゃあ、何?」
「ザフィーラだ」
「名前を聞いたんじゃないんだけど」
「ザフィーラはザフィーラや」
はやてまで同じ答えを返す。
久遠は獣の前へしゃがみ、手の甲をゆっくり差し出した。
青い鼻先が近づく。
匂いを確かめたあと、ザフィーラは静かに目を細めた。
「触っていい?」
「本人がええなら」
本人。
やはり普通の犬ではないらしい。
ザフィーラは逃げなかったので、首元の毛を一度だけ撫でた。
「よろしく、ザフィーラ」
返事はなかった。
ただ、何かを値踏みするような目で見られた。
◇
夕食の支度は、五人で始まった。
実際に料理をしているのは、ほとんどはやてだった。
「シャマル、それ塩やない。砂糖」
「あら」
「シグナム、玉ねぎをそんな薄う切らんでええよ」
「均一な方が火の通りがよいと思ったのだが」
「向こう側が透けとるやん」
「ヴィータ、味見は一回まで」
「まだ一回目だ」
「さっきも同じこと言うてたで」
家族が増えたというより、はやての世話をする相手が四人増えたように見えた。
「久遠君、そこのお皿取って」
「これ?」
「うん。ありがとう」
久遠は頼まれたことだけを手伝った。
はやてが一人でできることを奪わない。
届かないときは手を貸す。
図書館で教えられたばかりだった。
シグナムが運んでいた皿の一枚が、手元から滑った。
久遠が声を上げるより早く、シグナムの手が動く。
皿は床へ落ちる寸前で、その指に収まっていた。
「すごい」
「たまたまだ」
「たまたまで、見てない皿を取れるんですか?」
シグナムが答えに詰まる。
「シグナムは運動神経がええんよ」
はやてが笑ってごまかした。
久遠も、それ以上は追及しなかった。
知らないことは多い。
それでも、見えてきたこともある。
はやてが少し身体を傾ければ、シャマルがすぐに手を伸ばす。
咳を一つすれば、シグナムの視線が動く。
ヴィータは気にしていないふりをして、誰より先にはやての顔を見る。
ザフィーラは台所の入口から、一度も目を離さない。
四人とも、はやてを見ていた。
◇
「みんな、ほんまにはやての家族なんだね」
夕食の席で久遠が言うと、四人の動きが止まった。
はやてだけが、不思議そうに首を傾げる。
「最初からそう言うてるやん」
「名字も違うのに?」
「シグナムたちには名字がないんや」
「ないの?」
「必要なら、八神でええ」
何でもないことのように、はやては言った。
「一緒に暮らしとるんやから」
シグナムが目を伏せる。
シャマルは口元へ手を当てた。
ヴィータは、黙ったままご飯を口へ運んだ。
「血がつながってなくても?」
「久遠君、意外と古いこと言うなあ」
「そういう意味じゃなくて。家族って、どうやって家族になるのかなって」
はやては少し考えた。
「一緒にご飯を食べて」
目の前の食卓を見る。
「出かけるときは、いってきますって言うて」
隣にいるヴィータを見る。
「帰ってきたら、ただいまって言う」
それから、全員を見回した。
「おかえりって返してくれる人がおったら、それで家族でええんと違う?」
「そんなに簡単でいいの?」
「難しくしたら、私ずっと一人やん」
はやては笑った。
寂しそうではなかった。
今ここにいる家族を、本当に嬉しいと思っている笑顔だった。
「そうだね」
久遠は頷く。
「なら、家族だ」
シグナムが初めて、ほんの少しだけ笑った。
◇
帰り際。
玄関の外まで、ヴィータがついてきた。
「一人で帰れんのか?」
「同い年くらいのヴィータに心配されたくない」
「あたしの方がずっと年上だ」
「嘘だ」
「ほんとだ!」
「声が大きい」
家の中から、はやての笑い声が聞こえた。
ヴィータは慌てて声を抑える。
「……お前、はやてを泣かせるなよ」
「それ、僕が言おうと思ってた」
「あたしたちが、はやてを泣かせるわけねえ」
「僕もだよ」
二人でにらみ合う。
先に視線を外したのは、ヴィータだった。
「変なやつ」
「はやての家族も、変な人ばかりだった」
「喧嘩売ってんのか?」
「でも、はやてのことが大事なのは分かった」
ヴィータの顔から、怒りが少し消える。
「当たり前だ」
「だったら、ヴィータたちもちゃんと帰ってきてね」
「は?」
「はやてが待つだろ」
ヴィータが言葉を失う。
「どこへ行くか知らないけど、全員、すぐいなくなりそうな顔をしてるから」
「そんな顔、してねえよ」
「してる」
久遠は門の外へ出た。
「また図書館で」
「……おう」
「ヴィータも来る?」
「行かねえ」
「分かった」
「でも」
歩き出した久遠の背中へ、ヴィータが声を投げる。
「また家には来い。はやてが喜ぶから」
久遠は振り返った。
「ヴィータは?」
「あたしは別に」
「じゃあ、はやてのために行く」
「そうしろ」
最後まで素直ではなかった。
けれど、少しだけ知ることはできた。
知らない家族なら、これから知っていけばいい。
久遠はそう思った。
◇
その夜。
はやてが眠りについたあと、四人は家を出た。
ヴィータの服が、赤い騎士甲冑へ変わる。
シグナムの腰には剣があり。
シャマルの指には、光る指輪があり。
ザフィーラは月を見上げていた。
「行くぞ」
シグナムが告げる。
「分かってる」
ヴィータは答えながら、昼間の言葉を思い出していた。
――ヴィータたちも、ちゃんと帰ってきてね。
「変なやつ」
「何か言ったか?」
「なんでもねえよ」
赤い光が夜空へ上がる。
四人の姿が、海鳴市から消えた。
はやては知らない。
新しくできた家族が、自分を生かすために誰かを傷つけていることを。
久遠も知らない。
図書館で笑っていた少女が、魔法の呪いに身体を蝕まれていることを。
そして家族たちも、まだ分かっていなかった。
はやてが望んでいるのは、自分のために傷つく騎士ではなく。
夕食の席へ帰ってくる家族なのだということを。