魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

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第6話 昔からある席

 ノーヴェから指定された場所は、訓練施設でも工房でもなかった。

 

「ここですか」

 

 アインハルトが見上げたのは、ごく普通の家だった。

 

「ここだよ。ヴィヴィオん家」

 

 ノーヴェは慣れた手つきで呼び鈴を押した。返事を待つ間に、アインハルトは鞄の中身をもう一度確かめる。

 

 持ってきたのは、普段の稽古記録と覇王流の術式について自分でまとめた資料だった。

 

 インターミドルへ出場するには、競技規定に対応した個人用デバイスが必要になる。八神はやてと、リインフォース、アギトが製作について相談したい。それが今日聞かされた用件だった。

 

 なぜ高町家で話すのかまでは聞いていない。

 

 扉が開く。

 

「いらっしゃい、ノーヴェさん、アインハルトさん!」

 

 ヴィヴィオが顔を出した。彼女は二人を招き入れながら、奥へ声をかける。

 

「ママ、二人とも来たよ!」

 

「はーい。もう少しで終わるから、先に座ってて」

 

 台所から、なのはの声が返った。

 

 そのすぐ後に、別の声がする。

 

「なのは、それはこっちで切るんじゃなかった?」

 

「あっ。本当だ。ヌメロンくん、ありがとう」

 

 アインハルトの足が止まった。

 

 台所を覗くと、ヌメロンがなのはの隣に立っていた。道場で見る稽古着ではなく、簡素な私服の袖を肘まで上げている。片手に包丁を持ち、切り分けた野菜を皿へ移していた。

 

「こんにちは、アインハルト」

 

 彼は驚いた様子もなく言った。

 

「こんにちは。あなたも、呼ばれていたんですか」

 

「ヴィヴィオの稽古記録を持ってきたんだ。それから、夕飯の手伝い」

 

「記録だけのはずだったんだけどね」

 

 なのはが笑う。

 

「来た時に、なのはが一人で作ってたから」

 

「一人でも作れるよ?」

 

「知ってる。でも早く終わったら、みんなで話せるでしょ」

 

 ヌメロンはそう言って、次の野菜へ包丁を入れた。

 

 なのはは何か言い返そうとして、結局、少し困ったように笑った。

 

「ヌメロンくん、そういうところだよ」

 

「どこ?」

 

「分からないならいいです」

 

 ノーヴェがアインハルトの横を通り過ぎる。

 

「気にすんな。いつもああだから」

 

「いつも……」

 

 アインハルトはもう一度、台所の二人を見た。

 

 道場でヌメロンが料理をする姿は知っている。けれど、ここは彼の家ではない。なのはも彼へ手順を説明せず、戸棚の場所を教えもしなかった。

 

 ヌメロンは迷わず、使い終えた包丁を所定の場所へ戻した。

 

     ◇

 

 居間にはすでに、はやてとリインフォース、アギトがいた。

 

 卓上には端末がいくつも並び、アインハルトの術式に関する資料が表示されている。はやては椅子へ座ったまま、画面を次々に切り替えていた。

 

「来たな、アインハルト。急に呼んですまんな」

 

「いえ。よろしくお願いします」

 

 アインハルトが頭を下げる。

 

「まだ作ると決まったわけやない。まず、アインハルトがどうしたいか聞くところからや」

 

「はい」

 

「そんな硬ならんでええよ。今日は相談やから」

 

 はやてが隣の椅子を指す。その席には資料が積まれていた。

 

 アインハルトが座る前に、台所から戻ったヌメロンが資料を持ち上げ、別の机へ移した。どこへ置くか、はやてに尋ねない。

 

「ありがとう。そこ、ヌメロンの席やったな」

 

「今日はアインハルトが使った方が、画面を見やすいよ」

 

 ヌメロンは向かい側の空いた椅子を引いた。

 

「ボクはこっちでいい」

 

 はやても、なのはも、何も言わなかった。

 

 アインハルトは勧められた席へ座る。椅子そのものはほかと同じだ。誰かの名前が書いてあるわけでもない。

 

 それでも、そこが普段はヌメロンの場所なのだと、全員が知っていた。

 

「まず、競技用デバイスが必要な理由から説明するです」

 

 リインフォースが小さな身体で画面の前へ移動する。大会規定、出力制限、安全機構。アインハルトが既に読んだ内容もあったが、彼女は遮らずに聞いた。

 

 アギトが横から別の図を出す。

 

「問題は、お前の術式が古いってことだ。普通の設定をそのまま載せても、身体の動きに合わねえかもしれない」

 

「覇王流に対応させる必要がある、ということですか」

 

「それだけじゃないです。アインハルトの今の戦い方にも合わせるですよ」

 

 リインフォースが答える。

 

「古い術式を再現するだけでは、アインハルトのためのデバイスにはならないです」

 

 アインハルトは画面を見た。

 

 覇王流を正しく使えること。それは必要だった。けれど、道場でヌメロンへ試した三歩目は、クラウスの記憶だけから出たものではない。合宿で覚え、リオとの稽古で変えた足だった。

 

「これは、クオンが持ってきてくれた記録や」

 

 はやてが別の資料を開く。

 

 道場での足運び、出力の変化、打撃を止めた位置。勝敗ではなく、動きが変わった部分だけが記録されている。

 

「いつの間に」

 

 アインハルトはヌメロンを見る。

 

「道場の記録は、いつも残してるよ」

 

「デバイスを作るために?」

 

「違うよ」

 

 ヌメロンは首を振った。

 

「アインハルトが作りたいか、ボクは聞いてなかったから。今日は、必要なら見てもらえるように写しを持ってきただけ」

 

「あなたは、作った方がいいと思いますか」

 

 問いかけると、ヌメロンはすぐには答えなかった。

 

「大会へ出るなら、必要になる。でも、大会へ出るかも、どんなデバイスにするかも、アインハルトが決めることだよ」

 

「師範としての意見を聞いています」

 

「師範としてなら」

 

 ヌメロンは画面の三歩目を指した。

 

「今のアインハルトの動きを、一緒に覚えてくれる相手がいたらいいと思う。昔の型を正しくするためだけじゃなくて、これから変わったところも見てくれる相手」

 

 リインフォースとアギトが顔を見合わせる。

 

「それなら、学習型がいいですね」

 

「成長に合わせて調整できる余地も多めに取るか」

 

 二人が新しい画面を開く。

 

 はやては何も急かさず、アインハルトの返事を待った。

 

「作っていただきたいです」

 

 アインハルトは言った。

 

「覇王流と、今の私の両方を記録できるものを」

 

「了解や」

 

 はやてが笑う。

 

「ほんなら、ここからは私らの仕事やな」

 

     ◇

 

 話が具体的な術式へ移る頃、玄関の扉が開いた。

 

「ただいま」

 

 フェイトの声だった。

 

「おかえりなさい、フェイトママ!」

 

 ヴィヴィオが真っ先に立ち上がる。なのはも台所から顔を出した。

 

「おかえり、フェイトちゃん」

 

 ヌメロンは席を立ち、入口へ向かう。戻ってきた時には、フェイトの上着を片腕に掛けていた。

 

「おかえり、フェイト。今日は少し遅かったね」

 

「ただいま、ヌメロン。最後の確認が長引いて」

 

「夕飯、フェイトの分も取り分けてあるよ」

 

「ありがとう。間に合ってよかった」

 

 フェイトは自然に答え、ヌメロンから上着を受け取らない。彼はそのまま廊下の収納へ掛けに行った。

 

 アインハルトは、二人のやり取りを見ていた。

 

 帰ってきた人間と、迎えた人間。

 

 けれどここは、ヌメロンの家ではないはずだった。

 

「何や、アインハルト。珍しいもん見た顔して」

 

 はやてに言われ、視線を戻す。

 

「いえ」

 

「ヌメロンなら、だいたいあんな感じや」

 

「はやては帰ってきても上着を自分で掛けるでしょ」

 

 戻ってきたヌメロンが会話へ入る。

 

「当たり前や。子ども扱いせんといて」

 

「でも、資料を読み始めるとお茶を忘れる」

 

 ヌメロンは、はやての手元にある冷めかけた杯を指した。

 

「まだ飲んどる途中や」

 

「さっきから量が変わってないよ」

 

「そういう細かいとこ、ほんま昔からよう見とるな」

 

「はやてが分かりやすいんだよ」

 

「それ、なのはちゃんとフェイトちゃんにも言うてみ」

 

 ヌメロンが二人を見る。

 

「なのはとフェイトも分かりやすいよ」

 

 なのはが料理を運ぶ手を止めた。

 

「即答するんだ」

 

「なのはは困ると、笑う前に眉が少し下がるから」

 

「ヌメロンくん」

 

「フェイトは?」

 

 はやてが楽しそうに促す。

 

「疲れてる時ほど、大丈夫って先に言う」

 

 フェイトは一瞬だけ目を伏せ、それから困ったように笑った。

 

「……否定しにくいな」

 

「で、そういう時に限ってこの子は、何も聞かんと欲しいもん出してくるんや」

 

 はやてがアインハルトへ説明する。

 

「今も昔も、無自覚でやるから質が悪い」

 

「心配してるだけだよ」

 

「三人一緒に引っかけといて、よう言うわ」

 

「引っかける?」

 

 ヌメロンが本当に分からない顔をする。

 

 なのは、フェイト、はやての三人が顔を見合わせた。

 

「そのままでいいよ、ヌメロンくん」

 

 なのはが言う。

 

「なのはちゃん、それやと被害が増えるで」

 

「説明しても、たぶん直らないと思う」

 

 フェイトまで加わる。

 

「みんな、ひどくない?」

 

 ヌメロンは不満そうに言った。それを聞いて、ヴィヴィオが声を上げて笑う。

 

 ノーヴェはもう慣れているらしく、端末から顔も上げなかった。

 

 アインハルトだけが、会話の意味を完全には理解できなかった。

 

 ただ、ヌメロンが三人の名前を呼ぶ時、そこに師範としての丁寧さがないことは分かった。なのは達も、彼が何者かを確かめるような目を向けない。

 

 彼はそこにいて、冗談を言い、三人から同時に責められている。

 

 それが、この家では普通なのだ。

 

     ◇

 

 相談が終わると、そのまま夕食になった。

 

 誰が残るかを確認する会話はなかった。なのはが用意した器の数は、初めから足りている。

 

 アインハルトは立ち上がりかけた。

 

「私は、これで失礼します」

 

「アインハルトさんも食べていって」

 

 ヴィヴィオが隣の椅子を引く。

 

「でも」

 

「人数分作ってあるよ」

 

 なのはが台所から答えた。

 

 卓上を見る。自分の前にも、既に器が置かれていた。

 

 ヌメロンが置いたのか、なのはが置いたのかは分からない。

 

「……いただきます」

 

 アインハルトはもう一度座った。

 

 ヌメロンは先ほど譲った席ではなく、端の椅子にいる。けれど会話から外れてはいない。

 

 ヴィヴィオが大会の組み合わせについて話し、ノーヴェがまだ決まっていないと止める。アギトは料理を取り分けるリインフォースへ自分の分が少ないと言い、はやてが横から同じ量だと指摘する。

 

 なのはがヌメロンの皿を見る。

 

「野菜、少なくない?」

 

「切りながら味見したから」

 

「それは食べた数に入りません」

 

 なのはは彼の返事を待たず、野菜を追加した。

 

「さっきボクを子ども扱いしないでって、はやてが言ってたよ」

 

「私は言ってないもん」

 

「なのはも昔は野菜を残してたのに」

 

「いつの話をしてるの?」

 

「桃子さんに見つかって、ボクの皿に移そうとした頃」

 

 ヴィヴィオが目を輝かせる。

 

「ママ、そんなことしてたの?」

 

「してないよ! 一回だけ、交換しようとしただけ!」

 

「一回はしたんだ」

 

 フェイトが笑う。

 

 なのははヌメロンを睨んだが、本気で怒ってはいなかった。

 

 アインハルトは食事を口へ運びながら、ヌメロンを見た。

 

 彼には、自分の知らない時間がある。

 

 道場でストライクから教わった時間。ノーヴェやウェンディ、ディエチ達と兄妹になった時間。そして、なのは達とこうして話せるようになるまでの時間。

 

 なのはの昔を話して笑い、フェイトの帰りを迎え、はやての冷めたお茶を気にする。それはこの場で積み重ねたものだった。

 

 どこから始まった関係なのか、アインハルトは知らない。けれど、誰か一人でもヌメロンがここにいることを不思議がる者はいなかった。

 

「アインハルトさん?」

 

 ヴィヴィオに呼ばれる。

 

「すみません。何でしょう」

 

「デバイス、楽しみだね」

 

「はい」

 

 アインハルトは答えた。

 

「どのような子になるのか、まだ分かりませんが」

 

「きっと仲良くなれるよ」

 

 ヴィヴィオが笑う。

 

 過去を知り、今の自分も覚えてくれる相手。

 

 アインハルトは先ほど画面で見た、自分の三歩目を思い出した。

 

     ◇

 

 帰る時間になると、ヌメロンも上着を取った。

 

「送っていくよ」

 

「一人で帰れます」

 

「知ってる」

 

 彼は否定しなかった。

 

「ボクも道場へ寄りたいから、途中まで一緒に行こう」

 

 アインハルトがノーヴェを見ると、彼女はヴィヴィオと明日の予定を確認している。

 

「ノーヴェは?」

 

「今日はこっちに残るって。ヴィヴィオの稽古時間を決めるみたい」

 

「では、お願いします」

 

 二人で高町家を出る。

 

 夜の道は静かだった。家の中で何人もの声が重なっていたせいか、靴音が大きく聞こえる。

 

 ヌメロンは、アインハルトの歩幅に合わせていた。

 

「デバイスのこと、決められてよかったね」

 

「はい。記録も、ありがとうございました」

 

「いつもの記録だよ」

 

「私が気づいていなかった変化まで残っていました」

 

「見てたから」

 

 簡単に答える。

 

 道場でも、そうだった。彼は拳の強さだけでなく、足が変わったことや、相手を傷つける前に手を開いたことを見ていた。

 

 アインハルトはしばらく歩いてから尋ねた。

 

「あなたは、なのは達とは随分親しいんですね」

 

「うん」

 

「昔からですか」

 

「知り合ってからの時間だけなら、アインハルトが思っているほど昔じゃないよ」

 

「それなのに、あの家では」

 

 言葉を探す。

 

「あなたの席が、初めからあったように見えました」

 

 ヌメロンは少し驚いた顔をした。それから、穏やかに笑う。

 

「気づいたら、あったんだ」

 

「なのは達に、そこへいてほしいと言われたんですか」

 

「言われてないよ。ボクも、あそこへ座ろうと決めてたわけじゃない」

 

「では、なぜ」

 

「何度も会って、話して、ご飯を食べたからかな」

 

 ヌメロンは考えながら答えた。

 

「なのはが困ってたら手伝って、フェイトが帰ってきたら迎えて、はやてが何か抱えてたら隣に座った。三人も、ボクが困った時は同じことをしてくれた」

 

「それだけですか」

 

「たぶん、それだけ」

 

 特別な約束も、決定的な一日もない。

 

 アインハルトには、それが不思議だった。

 

 覇王の記憶は、人生を決めるほど重い。クラウスが何を失い、何を望んだか。その全てが、自分の進む道を指している。

 

 けれどヌメロンの席は、付き合った時間の長さだけで置かれたものではなかった。

 

 何度も会い、その都度選んだ小さな行動が、気づけば一つの場所になっている。

 

「あの方達にとって、あなたは何なんですか」

 

「友達だよ」

 

 ヌメロンは迷わず答えた。

 

「家族に近いところもあるかもしれない。でも、みんなで名前を決めたことはない」

 

「決めなくても、あそこにいていいんですか」

 

「うん。ボクは、いたいと思ってる」

 

 答えは、アインハルトのために用意されたものではない。

 

 だからこそ、彼女はそれを覚えておこうと思った。

 

 道場へ分かれる角が近づく。ヌメロンが足を止めた。

 

「アインハルトの家は、ここから真っすぐだったね」

 

「はい」

 

「じゃあ、今日はここまで」

 

 ヌメロンは最後まで送ると言わなかった。彼女が一人で帰れると言ったことを覚えている。

 

 アインハルトも、一歩進んでから振り返った。

 

「ヌメロン」

 

「うん?」

 

 初めて、名前だけで呼んだ。

 

 彼は何も指摘せず、続きを待っている。

 

「私にも、あなたのことを教えてください」

 

「何が知りたい?」

 

 すぐに尋ねられ、アインハルトは答えに詰まった。

 

 なのは達との昔。ストライクのこと。ノーヴェ達の兄になった経緯。聞きたいことはいくつもあるはずなのに、どれから口にすればよいか分からない。

 

「それは、これから考えます」

 

「分かった」

 

 ヌメロンは笑った。

 

「考えたら、聞いて」

 

「はい。また道場へ行きます」

 

「待ってるよ、アインハルト」

 

 彼は道場へ続く道を歩き出す。

 

 アインハルトも自分の家へ向かった。

 

 背中合わせに別の場所へ帰る。それでも次に会う場所は、もう決まっていた。

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